第三夜 20

 ツンツン、ツンツン。  人差し指でおでこをツンツンしてみる。|春文《はるふみ》なら、これで「くすぐったぁー」と|甲高《かんだか》い声を上げながら起きてくる。あれ、でも、この人、髪を結ってる……これって、ちょんまげ? |春文《はるふみ》は短かったけど……おでこにホクロもある……。 「く、くすぐったぁーっ」  突然、|甲高《かんだか》い声と共に目の前の男が──ガバっと起き上がった。 「くすぐったぁー誰ぞ、|儂《わし》をくすぐるのはっ」 「えっ」 「誰ぞっ、|夜這《よば》いかっ」  男が遙の手首を瞬時に|掴《つか》み、遙は思わずぺたり、と床に座り込んだ。 「は、|春文《はるふみ》……?」 「|儂《わし》は|春時《はるとき》ぞ」 相手を間違えたか?、しかも夜が明けそうというのに|夜這《よば》いとは?、と起き上がった線の細い男が遙の手首を握ったまま、そう言った。 「|春文《はるふみ》、じゃないの……? そんなに|甲高《かんだか》い声なのに……」 「? そなた……」 「ここは……|何処《どこ》?」 「そなた、もしや……」  二人がそう言って互いに止まった後、朝日が山間から顔を出す。|煌々《こうこう》と赤く冷たく部屋を染め上げ──そこに映し出されるのは、栗色の艶やかな長い髪に|瑠璃《るり》の打掛、白い頬と手、揺れる──|碧《あお》の瞳。 「……もしや、|遙鏡《ようきょう》、か?」  |春時《はるとき》と名乗る男はそう言って遙を見た。遙は遙で目の前の男が|春文《はるふみ》ではなく別人、しかも温和で変人な|春文《はるふみ》と雰囲気が全く違う。  不安げな瞳で──遙は|春時《はるとき》を見上げた。|春時《はるとき》は|春時《はるとき》で遙を食い入るように|見据《みす》えた後、手首を離し、後ろにずり下がって、丁寧に頭を下げた。 「|藤原《ふじわら》|春時《はるとき》にござりまする」 お目覚め頂き、|恐悦《きょうえつ》|至極《しごく》に存じ上げます、と|甲高《かんだか》い声のトーンを少し落として、遙の前にそう|平伏《ひれふ》した。 「我が藤原家の家宝、『|梅樹飛雀遙鏡《ばいじゅひじゃくようきょう》』様」 |某《それがし》が藤原家当主であり、貴殿の|守人《もりびと》にござりまする、と──|春時《はるとき》は続けた。 「……|貴方《あなた》が、|守人《もりびと》……?」 「左様にござりまする」 藤原家存亡の危機にて、|某《それがし》が貴殿の目覚めを促し申した、と|春時《はるとき》は鋭い視線を遙に向けた。 「今や我が藤原家は|一介《いっかい》の武家に成り下がっておりまする」 |猿関白《さるかんぱく》の世、いつ取り潰されるかわかりませぬ、と苦々しく呟いた。 「|遙鏡《ようきょう》は鏡ぞ、その光を我が藤原家に照らして欲しい」 「……」  遙は固まった。目の前の男の話は、わかるようなわからないようなものだった。だが、遙の正式名称を知っていて、|守人《もりびと》だという|春文《はるふみ》そっくりの|藤原《ふじわら》|春時《はるとき》という男……嘘にしては話ができすぎている……。  遙は部屋に徐々に伸びて来る朝日に視線を落とした。吐き気が更に増し、思わず口を手で覆う。 「|遙鏡《ようきょう》よ、具合が悪いのか?」 「……|禊《みそぎ》を、」 綺麗な水で|禊《みそぎ》をさせて、と遙は弱く言った。体の芯がおかしい。『心』と『体』がちぐはぐのような、|入《・》|れ《・》|物《・》と|中《・》|身《・》が合わないような、そんな感覚が遙を襲い──思わず目を伏せた。 ──黒正、様……。  遠くにそう思って、自身を照らす朝日を、何処か別次元のもののように感じながら、遙は|睫毛《まつげ》を震わせた。       *

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この作品の評価

34pt

毎日楽しみにしていました🎵とても好きな作品でした🤗こ

2020.04.05 23:26

のんこ

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