第六章

 ハクイの東の関に着いたのは、二日目の未明のことだった。すでにレネイアらが連絡してくれていたのだろう。関門ではグラウスと彼の郎党数名が馬を並べて私たちを待っていた。 「遅参したかな」  私の言葉に、グラウスは手を振り、 「否《いな》、いかい早い御着きで恐縮でござる」 「後から小荷駄の者どもが参る」 「その方々は拙者の手の者に案内《あない》させましょう。まずはこちらへ」  と連れられて、私たちは関所西の溜りに入った。  驢馬から降りたところで、バイラとミレネスが連れ立ってやってきた。 「殿」 「おお、先駆け大儀。大事ないか」 「ええ、何の問題もございませんわ」  ミレネスが胸を張った。 「うむ、そうか。流石はスフィンクス騎兵よな」 「ほほ」  ミレネスは疲れも感じさせぬ顔で微笑んだ。  それからグラウスの視線に気づき、 「すまぬが、ちと用を足して参る。バイラ、付き合え」 「承知」  私はバイラとともに溜りの隅に移動し、柵の根本で四股を踏むように足を広げ、草摺を持ち上げて袴の股を割った。 そこから一物を引き出して勢いよく放尿しながら、 「バイラよ、シャドウ・デーモンは」  と小声で問うた。シャドウ・デーモンは一個分隊六名を泉に残し、主力三個分隊を連れてきている。その存在は味方であるハクイの衆にも伏せたままだ。 「ジニウはミレネスの影に潜ませてござる。他の者は既に経路上の斥候に」 「ふむ、気取られてはおらぬな」 「それは心配ないかと」 「そうか」  やっと私は安心して、排泄の快感に身を委ねた。  小用を終えた私を待ち兼ねたように、グラウスが、 「今日はここでお寝みあれ。レネイア殿の報せで粥なり用意してござる。また、旗と合印をお渡しいたそう」  大きな葛籠《つづら》を背負った小者がぞろぞろと溜りに入ってきて、鮮やかな臙脂《えんじ》色の袖印を地に並べ始めた。 「臙脂《えんじ》でござるか」  私の問いに、 「殿下も王族といえども、敵と同じ水色地の合印を使うわけにもいかず」  グラウスは苦笑いを浮かべ、 「幸いこの地は染物職も多く、容易く用意できまいたわ」 「ふむ」  私は手にした袖印を見つめた。戦場で使うにしては上物の布を使っている。かなり前から用意していたことが伺えた。 「旗もすぐ届けさせましょう。しかし、まことに差物《さしもの》は無用にござるか」  幾旒《いくりゅう》かは用意はしているが、とグラウスが尋いた。  私は丁重に断り、 「我ら背旗なるものを差す流儀がござらぬ故、合足理《がったり》も受筒も用意しておらず」 「しかれども、旗無き者は寸法者《ずんぼうもの》と侮られまするぞ」 「構わぬ。旗など戦場《いくさば》で邪魔になる。我らの働きを見れば、皆も黙るでござろうよ」  私は強がってみせた。  やがて、小者たちが袖印を配り始めた。が、魔物が恐ろしいのだろう。明らかに腰が引けている。 「別に取って喰うわけでもないのだが」  思わず呟いた私の言葉に、グラウスが申し訳なさそうに、 「この地に魔物が入るのは初めてのこと。御容赦願いたい」  私は彼の顔をまじまじと見つめた。 「グラウス殿は違うと」 「殿下に付き従い、北部戦線にて」  この男も、あの戦線で辛酸を舐めてきたのか。 「ほう」 「あの頃は、こうして肩を並べて戦うなどとは夢にも思わず」 「魔物が憎くはござらぬのか」  私の問いに、グラウスは暫《しば》し考えていたが、 「とても口にすること能《あた》わず。知性と教養が邪魔をする」  そう答えてにたりの笑みを浮かべた。  そうこうしているうちに、第三梯隊が溜りに入ってきた。最低限の休息を除き夜も日も継いでの強行軍で、コボルトのうち数名が足が止まるなりへたり込んだ。  ゴーレムが牽く荷車から括り袴のテラーニャが飛び降り、第四中隊長のワッグと工兵中隊長アツラと共に寄ってきて一礼した。 「殿様」 「大儀。大事はないか」 「大きな怪我もなく落伍は出ておりませぬ。しかし」  倒れたコボルトが同輩に抱え起こされるのを忌々しげに眺めながら、アツラが告げた。彼の自慢の黒毛も、荒野の埃を被って灰を吹いたようになっている。 「うむ、合印を受け取り、草鞋を替えよ。それが済めば粥を食わせて大休止だ。それと」  私はテラーニャに顔を向け、 「中隊長以上を集めよ。タムタへの着陣を評定する」 「あい」  その時、溜りの人々の間からどよめきが起こった。目を向けると、クルーガに連れられるように、身の丈十尺余の鉄の巨人が身を屈めて関門を潜るのが見えた。鉄の側材《がわざい》を並べた桶のような胴体の頂部に円錐形の頭部が突き出ていて、胴体から一対の細長い腕と短く太い足が生えている。 「あれは」  呆然と見つめるグラウスに、 「ああ、あれはアイアン・ゴーレムでござる。名を『太郎丸』と」 「やつがれも何度かアイアン・ゴーレムは目にしたことがござる。しかし、あれは」  そこで慌てたように口を噤《つぐ》んだ。  私は面白そうにグラウスを覗き込み、軍扇で口を隠して、 「不恰好でござろう」  小声で囁いた。 「はあ、まあ」  図星を突かれてグラウスが肯いた。 「あれは我が家中のウォーロックが拵えたものでござるが、その者、美に対する感性というものが、常軌を逸してござってな」  私は悲しそうに目を伏せた。  クルーガがアイアン・ゴーレムを組み上げると聞き、私はきっと金剛力士か鎧武者のような、凛々しいものになると想像していた。しかし、出来上がったのがあれだ。落成したときの落胆を私は今でも覚えている。 「だが性能は折り紙付き。それに、慣れれば存外に趣《おもむき》のある姿でござるぞ」  私は励ますようにグラウスの肩を叩いた。  やがて、主立つ者どもが私のもとに集まってきて、私とグラウスを取り囲むように立ち尽くした。グラウスと郎党たちに狼狽の色が浮かぶ。だが、私も疲労していたので、彼らに気を遣う余裕はなかった。 「さて、グラウス殿」  私は皆を代表して口を開いた。 「状況を説明していただこう」  グラウスは観念したように大きく深呼吸し、 「細作の報せによれば、敵の主力は禁軍第七師団一万三千のうち、三個歩兵連隊を先手としてタムタの前面に布陣、師団長バトラは残る一個連隊と騎兵連隊を率いてタムタの西三里のカヤバルなる小城に籠り、諸侯軍の増援を待っておる由にござる」 「諸侯軍の数は」 「定法通りなら、第七師団と同数以上、一万三千を下らぬかと」  禁軍と同数かそれ以上の兵数を諸侯から動員するのが王国軍の軍法だという。 「諸侯軍の着到はいつ頃でござろうや」 「三日のうちには揃いましょう」  増援を待って数で一挙に攻め寄せる肚《はら》であろう、と述べた。 「して、敵《かたき》の先手との距離は」 「一の柵から凡そ半里」 「近い」  バイラが呻くように言った。 「二騎三騎と物見を出し、小競り合いを繰り返してござる」  クマン・ゴブリンが使ったのと同じ手で、こちらを疲労させて戦意を挫こうとしているのか。 「ふむ、それで御味方は」 「殿下の譜代衆六千五百に加え、国人衆が四千五百、その数はまだ増えましょう」 「ほう、我らを入れて一万二千か。予想以上の数でござるな」  私の言葉にグラウスは微妙な顔つきをした。 「いかがされた」 「その多くが悴者《かせもの》青葉者でござる」  武者としては半端者や、兵具も満足に揃わぬ雑兵であるという。いずれも支給される飯と手柄を目当てに馳せ寄ってきた者どもで、旗色が悪いと見れば軽々と足を飛ばして逃げ出すことも厭《いと》わない。 「殿下の無辺な御広量に甘え、欠落者《かけおちもの》までもが争うて馳せ参じおる始末」  あんなものは兵糧の無駄、と吐き捨てるように言った。 「ふむ、ならば急ぎ着陣いたさねばならぬな」  私は部下たちを見回した。 「出立は一時間後、臙脂《えんじ》の旗を先に立ててハクイを押し通り、午前《ひるまえ》にはタムタの関に着く。歩行に障《さわり》ある者は第三梯隊の荷車に乗せよ。道中、構えて落伍を出すべからず」 「お待ちを、せめて今はゆるゆると行軍の疲れを取り、町を通るのは入相《いりあい》になってから」  私が言い放つのとほとんど同時にグラウスが口を挟んできた。彼の言いたいことも理解できる。白昼堂々と異形の軍勢が通り抜けるのは穏やかではない。が、私は肯《がえ》んじなかった。 「いや、休息はタムタに着いてから。今は一刻も早う陣に入り、イビラス公に着到を告げたい」 「むう」  グラウスが呻いた。イビラス公の名を出されては、ぐうの音も出ない。 「無論、町を騒がすのは私の本意ではない」  私はもう一度周りを睨め回し、 「申すまでもないが、ハクイを通過する際に雑言は一切これを禁じる。よう心得よ」 「はっ」  一斉に返事が戻ってきた。 「無論のこと、町の者どもとの諍《いさか》いも厳禁だ」 「もし喧嘩を売られたら」  バイラが訊いた。買いたくて仕方のない面《つら》で。 「その時は皆殺しにすべし。禍根を残すべからず」 「待たれよ、ゼキ殿」  慌ててグラウスが抗議の声を上げた。 「何か」 「それは些《いささ》か不穏当でござる」  ハクイはイビラスの膝下にある。悪戯に殺傷して民心が離れることを危惧しているのだ。だが、私もいい加減焦れていた。 「はて」  薄笑いを浮かべ、 「我ら、イビラス公に御加勢|仕《つかまつ》る者である。その行く手を遮る者は全てイビラス公の敵に他ならず」  少し離れて聞いていたスウが噴き出した。 「それは仰る通りでござるが」  グラウスは考えているようだったが、意を決したように顔を向け、 「いや、粗忽な物言いをいたした。許されよ。確かにゼキどのの申される通り、軍勢の前を塞ぐ者はこれを斬るが法でござる」  詫びるように頭を下げ、 「ならば我らが列の先頭に立ち、慮外者《りょがいもの》あらばこれを斬り捨てん」 「それはかたじけない」  グラウスが郎党らを見返して小さく頷き、たちまち三人が脱兎の如く駆け出した。町へ先触れに出したのだろう。決断と手際のよさに私は感心した。 「では、一時間後に出立し我ら戦場に入る。それまでにここ一月で一番上等な糞をしておけ」  私の言葉に、テラーニャとミレネスを除いた皆がどっと沸いた。  タムタの陣に着いた私は、早速イビラスに差し招かれた。 「おお、よう参った」  関所の大番所に構えられた本陣で、小具足姿のイビラスは上機嫌に私を迎えた。  私が着到を告げると、 「魔群の大将が参った。これで我ら万人力である」  と嬉しそうに左右の者たちの膝を叩いた。それから私に向かって、根小屋を用意していること、兵糧はすぐ届けさせること、水場は使用勝手であることなどを告げ、 「受け持つ陣は左手の奥じゃ。グラウスめに案内《あない》させよう。それと」  鷹揚に背を傾けながら、 「兵を五百ばかり預ける。好きに使え」 「承って候」  関所を出ると、グラウスが待ち構えていて、 「既に御家来衆は陣屋に」  と告げた。 「ふむ、案内《あない》してくれ」 「こちらへ」  と先に立って歩き出した。稲の切り株の残る田の間を抜けながら、 「レネイア殿らはいかがなされているか」  私は問うとでもなく呟いた。 「ああ、女騎士殿らでござるか」  グラウスが訊いてきた。 「うむ、泉を先行して以来会ってないので、些か気になってしもうてな」  無事復命できただろうか。 「ああ、無事に帰着いたしましたぞ。今、かの女《め》らはハクイの探題府にて奥の警備に」 「そうか、それは重畳」 「重畳、とは」 「うむ、女子《おなご》は戦場《いくさば》に出てくるものではないからのう」  グラウスは怪訝な顔をし、 「卒爾《そつじ》ながら、ゼキ殿の陣中にも女子《おなご》がおられるのでは」 「うむ、申される通りでござる。が、あれらは女怪《にょかい》、種族に男子《おのこ》がおらぬ。外見《なり》は女性《にょしょう》なれど、中身は全くの異体でござる」  グラウスはふと立ち止まり、まじまじと私を見つめた。私もつられて足を止めた。 「何か」 「それはそれで、因果でござるな」  そう言って顔を歪めた。  その目の奥にえも言えぬ悲しみを見て私は言葉に詰まった。が、やがて私も遣る瀬無く薄く笑い、 「御存知なかったか、我ら皆、因果人でござる」  私は割り当てられた根小屋に入ると、私の軍勢の段列となる地積を眺めた。どうやら杣人《そまびと》の開いた集落のようで、製材のための作業小屋や、杣木《そまぎ》を並べるための広場まであるが、全て築城のために持ち去られたようで、垂木《たるき》の一本も残されていなかった。板葺きの四阿《あずまや》で炊場《かしきば》を作っているラミアらが、私を認めて笑顔で頭を下げた。  すでに広場では小荷駄役の軍夫どもが忙《せわ》しなく出入りしていて、クルーガの指図で、ゴーレムらとともに荷卸しをしている。グラウスの言に偽りなかったことに私は感心した。  糧秣の大半は関所の蔵から運び込まれたものらしく、米俵が半分、残り半分が叺《かます》に詰められた干飯《ほしい》だった。まずは米を炊き、戦闘が始まれば、干飯《ほしい》を喰えということだろう。とすると、イビラスは本格的な戦端までまだ僅かながら日数があると考えているのだ。 「それでは、それがしは牢人衆を呼んで参る」  と言い残して、クルーガは足早に去ってしまった。一人残った私が、さて我が陣屋はと見回していると、 「殿様」  テラーニャが、ミレネスとスウを連れて落ち着いた足取りでやってきて、私に一礼した。 「テラーニャか。どうだ、皆は寝《やす》めておるか」  警備はアンデッドに任せ、他の者どもは小屋で休ませるように命じていた。 「あい、それが」  困ったような笑顔を浮かべてミレネスを横目で見た。 「どうした。休息せよと命じたぞ」  私はミレネスを見上げた。 「じっとしておれません。私も陣場の検分に参りますわ」  ミレネスが槍を立てて胸を反らした。 「ならぬ、ずっと駆け通しだったではないか。休めるときに休むのも大事な務めぞ」 「けれど」  まるでぐずる赤子のように首を傾けた。 「更闌《こうた》ければ、汝ら騎兵にはひと働きしてもらわねばならぬ。分別せよ」 「まことですか」 「うむ。夕餉まで黙って寝ておれ」  漆黒のスフィンクスは頭を垂れて引き退いていった。その背を見ながら、 「よう寝かしつけてやってくれ」  テラーニャに小声で頼むと、 「あい」  テラーニャが、満更でもない顔をした。 「指揮官も大変だね」  面白そうにスウが口を開いた。  黒毛の総髪兜に鉄錆地の五枚胴、長大な野太刀を背負い、腰にも同じ長さの差料を帯び、手に二間柄の鉤槍という物々しさだ。 「ハクイの姉君のところに戻ってもいいのだぞ」  だが、スウは私の言葉に太々しく白い歯を剥き、 「駄目だよ。見届けずに帰ったらニド姉に怒られちゃう」 「しかし、お主に怪我などさせれば、私がニドに叱られる」 「へえ、心配してくれるんだ」  揶揄《からか》うように言うので、私は些かむっとした。 「当然である。我が手下《てか》ではないのだから」 「ふうん、でも、ニド姉ならこう言うね」 「何だ」 「『いいのよ』って」  やがて、バイラとミシャが、スケルトン兵らを三十ばかり引き具して近寄ってきた。 「殿」 「おう、バイラ、馬はどうした」 「馬留に繋いでおり申す。替え馬もござらぬので大事に使わねば」  鎧の肩を揺すって鼻を鳴らした。 「うむ。いずれ馬も増やさねばならぬな」  私の言にミシャが小さく頷いた。馬上で行軍したミシャを除き、他の龍牙兵らも休ませている。皆、顔には出さないが、牙兵であっても重い具足を着けて徒歩の強行軍の疲労は少なくないはずだ。  部下たちの士気は高いが、それだけに疲労の蓄積は無視できない。突然、糸が切れて倒れられては困る。いずれ、具足や得物を載せて運ぶための荷車も増やさねばならないだろう。  そこで私は頭を振って考えを振り払った。今やるべきことをやらねばならない。 「これより、持ち場の検分に参る」  私はテラーニャに段列の差配を任せると、陣場へと歩き出した。 「よいか、夫丸らが作事しておるだろう。決して脅すような真似はならぬぞ。特にバイラ」  私はミノタウロスを見上げた。バイラが心外そうに顔を歪めて私を見返した。  私の気配りは無用だったようだ。より正確に言えば、無駄だった。  既に、陣場にはアルゴスのモラスを連れたサイアスらリッチとスケルトン・メイジの各大隊合わせて三十六名の骸骨が入っていた。陣夫らが手を止め、恐怖に満ちた表情で立ち尽くしている。 「何をしているのだ」  私の詰問に、 「地形を見にきたのだ。我が主よ」  サイアスは事も無げに答えた。そうしている間にも、リッチとメイジらは眼窩を周囲に向け、虚無の視線を向けられた陣夫らが小さな悲鳴を上げた。 「陣夫どもが怯えている。何故ここに参った」 「地形を知悉することは、法撃兵として当然のこと」  確かにこいつの言う通りだ。その通りなのだが、もう少し待って欲しかった。私が作事人たちに事前に説明するまで。 「脅かす積りなどない。怯えるのは向こうの勝手であろう」  モラスが腰を屈めて割って入り、 「殿様が関所の本陣より戻られるまで待つよう申したのですが」  言い訳めいた繰り言を並べる。いや、お前も十分に怖ろしのだ、との言葉をなんとか呑み込んだ。口に出してしまうと、この優しい巨人はきっと深く悲しむだろう。私は陣夫らのほうに踏み出して、臙脂《えんじ》の袖印を見えるように示して、 「皆の衆、大事ござらん。この者ども、イビラス公に合力し、公の御手勢と肩を並べて戦う者どもでござるぞ。さあ、作事を続けなされよ」  大声で呼ばわった。  やがて、年嵩《としかさ》の小商人《こあきんど》風の男が進み出て、 「それはまことでございますか。厄神《やくじん》ではござらぬのか」  皆を代表するように大声で訊いてきた。どうやらここの夫丸を宰領する棟梁らしい。 「厄神《やくじん》なれば昼日中《ひるひなか》に出ることがあろうか。イビラス公より銭で請け合うておられるのだろう。作業を厭うて普請が遅れれば、殿下はどう思うであろうか」  私の声で、棟梁の頭の中の恐怖が銭の重さに負けたようだ。 「弓矢の沙汰を目の前にして何を怖れることがあろうか。皆の者、仕事に戻れや」  声を励まして陣夫の間を歩き回り、皆を作事に戻し始めた。陣夫らも、目の前の仕事に熱中することで恐怖を紛わそうと決めたようで、鍬を振るい、柵を結びはじめた。やがて景気づけの唄が出て、破れかぶれの唄声が普請場に響き渡った。 「やれやれ、これでは先が思いやられる」  その様を眺めていたサイアスがぼそりと呟いた。お前が言うな。 「暫く、暫く」  野太い声が響いた。目を向けると、やっと騒ぎを聞いて駆けつけたのか、士分の者が鎧を鳴らして駆け寄ってくるのが見えた。それを見て、一瞬我が目を疑った。人間にしては異様に大柄だ。背がバイラほどもある。初めは緑に塗った総面をしているかと思ったが、よく眺めれば地肌だ。緑肌のオークが、巨体を揺らし、息を切らせて駆けている。  オークは、法輪の前立の古頭成《こずなり》に黒漆の素掛縅《すがけおどし》という武者姿で、私の前で両手を膝について息を整えていたが、やっと顔を上げ、 「ゼキ殿でございますな。それがし、陣場方のエギンと申す」  深々と頭を下げ、 「御陣屋に参れば、既に陣場の御検分に出られたと聞き及んでこうして駆けて参った」  などと詫びた。案内役を申しつかっていたのだろう。この男がいれば無用の騒ぎも起こさずに済んだはずだと思うと、つい視線も冷たくなった。が、この寒い最中に全身から湯気を立てて駆けてきたのを見てしまうと、どうにも憎めなかった。そもそもこのオークを詰ったところでどうにもならない。 「いや、気になさるな。戦場で行き違いなどよくあること」  私が慰めるように言うと、やっとエギンはほっとしたように笑顔を見せた。  それから私の険しい視線を誤解したのか、 「ああ、オークがこのような形《なり》をしておるのが御不審でござろう」 「いや、それは」  私は口ごもった。人間の軍勢に亜人の足白や陣夫が数多く打ち混じっているのは珍しくない。しかし、亜人の士分がいる例は皆無に近い。 「殿下は、三族の他の種族からも多く士を取り立てておられるのでござるわ」  功あれば、士分に取り立てるのも珍しくござらぬ、と笑いながら顎を掻いた。 「ほう、では、エギン殿も有能の士でござるのだな」  私の世辞に、エギンは両手を突き出して大きく振り、 「あ、いや、それがしはただ読み書きができる故、取り立てられたに過ぎませぬ」  そう言って、緑色の顔を赤らめて照れるように笑った。  私もこのオークを気に入ってきた。つられるように笑い、 「ではエギン殿、縄張りの案内《あない》をお願い申し上げよう」  そう言うと、エギンは嬉しそうにごきりと首を鳴らした。  私たちの持ち場は第二線の最左翼、地元の者がヂシュと呼ぶ南北に伸びる小高い丘だった。中腹に柵が一列振られ、その西に布陣している友軍が見えた。 「あの柵までがゼキ殿の持ち場と心得られたい。その先はクタール殿の陣でござる」  丘上《おかうえ》でエギンが青竹を振った。ハクイの探題府で唾を散らして喚く四角い顔を思い出し、私は思わず苦笑してしまった。  クタールの陣地は、二重の柵と空堀に守られて如何《いか》にも堅固に見えた。が、 「突出している」  思わず呟きが漏れた。高所から見れば瞭然としている。敵の攻撃が集中するのは明らかだ。  エギンも心得ていて、 「あそこはハヤギという名の村にて、常より堀を掻き、柵を巡らせた惣村でござる」  平時から砦の態をなしていて、みすみす奪われるわけにはいかないと言う。 「それに、左翼は縦深が浅うござる。この丘を第一線にするのは心細い」  東に目を転じれば、言われた通り後背は深い森に覆われている。それに、この丘を奪われれば、北に見える関所を直撃されてしまう。 「クタール殿の陣が固く禦《ふせ》ぎ申す。ゼキ殿は迂回浸透してくる敵を台上で迎え撃たれたい」 「ふむ」  私は関所のさらに北側、陣地戦の右翼に目を向けた。 「関所の北側の前面は湿地帯のようだが」  私は目を細めて聞いた。 「川の水を引き込んでおり申す」  騎兵を軽々と進退できる地形ではないということか。ならば、 「敵はこの丘を奪って関所を衝くか、翼《よく》を伸ばして関所を包囲する心算《しんさん》ならん」 「本陣もそう考えて」  エギンは重々しく頷き、 「ハヤギ村に手勢の半数を割いてござる」 「なるほどのう」  確かに他の陣地に比べても兵が充満し、塹壕の密度も高い。対してこのヂシュの丘には稜線に柵が一重、壕も一線しか掘られていない。エギンも私の表情から察したのか、 「作事の衆に何なりと申しつけられよ」  その分の銭は弾んでいると言い、資材も幾らでも都合いたそうと請け負った。 「ふむ、それは有り難いが」  言いながら私は西に目を凝らした。確かにグラウスが言った通り、街道を挟む南北の林縁を繋ぐ土塁が一線、その向こうに色鮮やかな陣幕が張られて水色地の幟旗《のぼりばた》が林立している。奥には天幕に交じって陣屋が多く混じり、長期戦の構えであることが見て取れた。 「三個連隊九千を横一列に並べてござる」  私の視線に気づいたエギンが言った。私たちは暫く無言で敵陣を眺めていたが、 「モラスよ」  百眼の巨人の名を呼んだ。 「は」 「どう見る」  モラスは目を凝らしていたが、 「赤気の中、薄いが太い黄気が立っておりますな」 「どういう意味だ」 「戦意は盛んなれど、どこか軽躁が見えまする」 「ふむ」 「主力が着陣すれば片がつくと見込んで、浮かれておるのでは」  バイラが横から口を挟んだ。 「むう。ならば、その間にこちらも堀を深くし、壕を掘り進めるべきであろうな」  私の言葉に一同が深く頷いた。私はエギンに顔を向けた。 「御案内、痛み入った。後は我らが陣を受け取り、普請を宰領いたす」  私の謝意にエギンは安心した顔をし、 「それでは、それがしは本陣に戻り申す。不足のものがあれば本陣の普請方へ」  などと言いながら、足音を立てて去っていった。  エギンの背が十分に遠ざかったのを見計らい、私は低い声で、 「ジニウよ」  シャドウ・デーモンを呼んだ。 「は」  私の影から声がする。 「周囲に我らを窺う耳目はあるか」 「ござらぬ」 「うむ」 「どうなされた」  バイラが不審な顔で訊いてきた。ミシャも何事かと顔を寄せてきた。 「今宵、夜討ちいたす」 「え」  ミノタウロスが目を丸くした。 「日を措けば、敵は三万近くに膨れ上がる。対して我は一万二千、今のうちに、眼前の三個連隊を除かねばならぬ」  それでも敵は二万の軍勢が無傷で控えているのだ。 「敵は主力の到来を待って守りを固めておる。そうだな」  私はモラスに顔を向けた。 「恐らくは」  どこか自信なさげにモラスが答えた。 「敵は我らが攻めてこぬと高を括っておるのだ。その弛みを突く」 「正気でござるか、殿。そもそも、見知らぬ土地で夜襲など」  バイラが思わず声を上げた。 「声が大きい」 「むむ」  私はバイラに向かい、言葉を続けた。 「我らは夜目が利く」  主に私以外は、だが。 「薄暮になれば、主立つ者どもに戦場を見せよ。攻撃方向は」  私は敵陣を睨み、正面の敵に向かって右手を挙げた。 「敵の右翼を繰り抜き、それから右に転じて敵陣を横撃する。あわせて、イビラスの第一線の部隊が連中を圧迫する。上手くいけば三個連隊が袋の鼠よ」 「鼠でござるか」  バイラは私の顔をまじまじと眺め、何事か思案するようだった。その面《つら》に向かい、 「美味《いま》そうであろうが」  とにやりと笑ってみせた。 「まことでござるな」  バイラも楽しそうに鼻を鳴らし、長い舌で唇を舐めた。 「まあそこまでうまうまと事は運ぶまい。追い落とすだけでも上々と思わねば」  これで今宵、我が部隊は夜襲に決した。 「入相になれば、本陣で軍議がある。私はそこで夜討ちを具申する。容れられたならば、断固として成功させねばならぬ。バイラよ、汝はその積りで部隊の手配りをせよ。初手から最後まで無停止突破攻撃だ」 「承った」 「サイアスよ」  呼ばれてリッチが首を傾けた。 「汝ら法兵群を第一梯隊に組み入れる。漸進攻勢法撃だ、できるか」 「他に誰ができると申すのか」  珍しく軽口を叩いた。その背後で、リッチとスケルトン・メイジらが無気味に顎を鳴らす。 「うむ」  私は満足して頷き、 「企図を秘匿せねばならぬ。陣夫どもにもだ」  そして、台端まで拡がる南の林に目をやり、 「敵の乱波が浸透してくるとすれば、あの林からだ」  大きく指さすと、 「ジニウ、三個分隊で結界を張れ。南より林に入る者は敵味方区別せず悉く討ち取るべし」 「承知」 「残る一個分隊は、軍議の後に私とともに参れ」  言い終えると、私は一同を見回した。 「よいか、兵どもは十分に休ませよ。ただし、夕餉は腹一杯食わせるな」  それから私は黙って聞いていたスウに向かい、 「お主は付き合うことはない。根小屋で待ち、私が帰らなければハクイに戻ってニド殿らに報せてくれ」  が、スウはにたりと笑い、 「駄目だよ、こんな面白いこと、わたしが放っておくと思うの」 「しかし」 「行くよ。久し振りに濡れちゃったわ」  そう言って、狩の期待に震える大型肉食獣のように赤い瞳が歪んだ。  どこが濡れたのか訊きたかったが、私は黙っておくことにした。  根小屋に戻ると、すでにグライフが加勢の陣借り衆を連れて私を待っていた。軍夫も含めて八百余りが杣小屋《そまごや》の空地に屯している。  様々な種族の者が私に無遠慮な視線を向けている。多くが亜人だった。オークにゴブリン、ビーストマンにリザードマン、僅かながらエルフやドワーフまでいて、私を驚かせた。  気後れしそうになるのを堪え、私は胸を張って連中に目を向けた。具足が整い、薙刀や槍、弓弩を勇ましく携えている者は数えるほどで、多くは半具足の怪しげな恰好をしている。 「なんだこれは。山賊のほうが満足な武具をつけておる」  バイラが小声で呻いた。 「黙れ」  連中に聞こえぬよう、私は声を低めた。  だが、バイラの言う通り、彼らの装備はひどい。胴のみで袖も草摺もない者、籠手も脛当もなく、襤褸布《ぼろぬの》を巻いている者、多くは兜もなく、破れ笠を被っているのはまだましはほうで、頭に布のみを巻いている者も多い。  大半が、陣屋で給される粟粥と、戦場での略奪や手柄を餌に搔き集められた欠落者《かけおちもの》である。  イビラスも、まともな手兵《しゅへい》を与えるほどお人好しではないということか。私は皮肉に唇を歪めた。 「これは」  つい私はグラウスに詰るような視線を投げた。が、グラウスも予想していたのだろう。びくとも動じず、 「強弱は兵《つわもの》の物具《もののぐ》の如何《いかん》によらず。その者の働き次第でござる」  傲然と言い放った。 「むう」  正論だ。私は言葉に詰まった。改めて一同を見やった。予め伝えられていたのだろう。我ら異形の群れを見ても動揺も見せない。皆、戦慣れだけはしているのか、冷えた石のような目をしている。私は改めて向き直り、 「束ねの者は誰だ」  大声で呼ばわった。が、連中は迷うように互いの顔を見合わせている。私は秘かに失望を覚えた。つまり、こ奴らはただの烏合の衆だ。さて、どう使うべきかと思案するところに、 「儂じゃ」  連中の後ろのほうで声が上がった。それまで坐っていたのか、分厚い長身がのっそりと起き上がり、野伏《のぶせり》同然の者たちを悠々と掻き分けて私の前に立った。  九尺の巨体、バイラよりやや細身だが背は高い。青黒い肌、埃の浮いた黒い乱髪、細く鈍く光る目。前額から天を衝く一対の角が、オウガであることを示している。  一枚物の腹当に、黒鉄造りの鉄面を平紐で首から提げ、足は深い草摺《くさずり》、鎖の佩楯に大立挙《おおたちあげ》の膝当、右手に柄が六尺、身は五尺の大長巻という凄まじい出で立ちだ。  まさかこのような者が、私は舌を巻いた。  オウガは眦《まなじり》の跳ね上がった目を向け、 「儂が束ねじゃ。今決まった」  それから首を回し、確認するように背後の者たちを睨み据えた。  怖気ついた端武者どもが一様に首を縦に振るのを詰まらなそうに一瞥し、私のほうに面を向けた。オウガの巨体がぐらりと揺れた。まるで山が動いたように。 「ヴリトだ」  ぼそりと言った。名を告げたのだ。 「ゼキだ。此度《こたび》の戦で汝《うぬ》らを采配する者よ。ようく見知りおけ」  私も負けじと応じた。舌が縺《もつ》れそうだ。本当は逃げ出したかった。 「ほう」  ヴリトは面白そうに目を細めて私を眺めていたが、やがて顎を掻きながら、 「不帰《かえらず》の関の主である魔族とは、まことか」 「そう呼ばれておるのは存じておる」 「クマンのゴブリンどもを根切りしたと聞き及んだが」 「うむ」  私が肯くと、 「ゲイガンなる者を知っておるか」 「いや」 「クマン・ゴブリンの一党に合力して汝の砦を攻め、儚《はかの》うなったオウガよ」  思い出した。 「おう、その者ならよく存じておる」 「どうやって死んだ」 「手勢を率いて我が出丸の柵を越えたところを討ち取った」 「ふむ」  ヴリトは何か考えるようであったが、 「見苦しくなかったか」 「味方全てを打ち斃されても背も見せず、我らを痛罵していた。天晴な武者振りであった」 「そうか」  ヴリトは感慨深げに瞑目した。 「知人であるか」  私は恐る恐る尋いた。 「うむ」  ヴリトがゆっくりと目を開けた。その目に感情が走るのを私は見た。悲哀といってもいい。そして、ヴリトはゆっくりと口を開いた。 「あれは我が弟よ」 「へ」  驚きのあまり、胃の中身が逆流するかと思った。  次の瞬間、バイラとスウが私を庇うように前に出た。離れてやり取りを眺めていたテラーニャとクルーガが、飛び掛かるように身を屈めるが見えた。背後でリッチとスケルトン・メイジらが静かに念を練る気配がする。ミシャが私の肩上《わたがみ》に手をかけた。何かあればすぐ私を後ろに引き倒す積りなのを、握力を通して感じた。  が、私は用心深くミシャの手を払った。様子がおかしい。  ヴリトは左の掌で顔を覆った。その凶々しい指の間から、何かが緩やかに溢れ出した。涙だ。その固く引き結ばれた口から嗚咽が漏れた。オウガが静かに哭泣《こっきゅう》している。私は呆気にとられてその有様を見ていた。  やがてヴリトは左手を降ろし、拭いもしない目を私に向けた。 「礼を述べねばならぬ。そうか、あれは勇ましく死ねたか」  それからバイラの大身槍に目を向け、 「あれの形見か」  バイラが目を細め、僅かに踵を浮かし、 「いかにも弟御の得物でござる。それがしが譲り受け申した」  用心深く告げた。が、ヴリトは悲しげに微笑み、 「いや、返せなどとは言わぬ。それが戦場の慣《なら》いである」  それから再び私に視線を移し、 「見苦しいところを見せた。許されい」 「あ、いや、それは構わぬが」 「安心されよ。戦場での生死に遺恨を残さぬのが我らの仕来《しきたり》」  そう言われても安心できない。長巻を持つ手首を返すだけで、この男は私の首を易々と飛ばすことができるのだ。  そんな私の気持ちを察したのか、ヴリドは長巻の刃を左手で握って石突を立てた。 「あれが死んだと聞き、その死に様を確かめんと里に下りてきたのだ。こうしてその最期を相手より告げられることこそ僥倖ならん」  とほんの僅かに相好を崩した。それから顔を上げ、 「そうか、不肖の弟なれど我が一族の名に恥じぬ死に方をしたか」  さばさばとした表情で呟き、じろりと私を見た。 「この戦、汝のために大いに働こう。それが我らの礼儀である」 「お、応。期待しているぞ」  私はできるだけ気張って答えた。本心を言えば、これで満足して帰ってくれればよかったのだが。  ヴリトはにたりと口角を上げ、そうかそうか、見事に死んだかなどと嬉しそうに呟きながら、水場に歩き去っていった。バイラがその背を見送りながら、 「滅多に見れぬものを見ましたな。あれが『鬼の目にも涙』というものでござる」  感じ入ったように小さく鼻を鳴らした。  日が落ち、私はグラウスとともに、黄昏の中を関所に赴いた。陣屋ではすでに篝火が焚かれ、夜番の兵がそこかしこに立っている。 「弛んでいる」  周囲を一瞥して私は呻くように漏らした。陣中を酒や菓子を売り歩く商人が往来し、時折遊女のものらしい嬌音《きょうおん》が聞こえてくる。 「はて、そうでござろうか」  グラウスが眉を寄せた。 「うむ、まだ本格の戦には日数があると思うておるのだ」 「常に張り詰めておっては肝心なときに糸も切れましょう」  グラウスが言い訳するように答えた。 「ふむ、そういうものでござるか」  イビラスらも同じような気分であれば、夜襲を提案しても誰も乗らぬかもしれぬ。そう考えただけで私は気が重くなってきた。  陣幕を捲《めく》って中へ入ると、中は面番所だった。そこの畳を上げ、板間にして指揮所を構えている。大きな盤台に作戦図が広げられ、赤や青や緑の駒が置かれている。盤台を取り囲むように主だった者たちが床几に腰を降ろしていた。中央に座るイビラスは、金糸で刺繍された黒い鎧下を着ていて、いかにも金をかけたように見えた。  イビラスの左右には、それぞれの備《そなえ》の大将や重役が並んでいる。籠手や佩楯をつけた小具足姿も稀で、大半は鎧下のみの気安い恰好をしている。重々しく具足をつけているのは私とグラウスしかいない。 (敵陣は僅か半里先というのに、この気安さは何だ)  唾を吐きそうになるのを堪えていると、児小姓が寄ってきて私の兜を受け取り、 「こちらへ」  と私を席へと誘った。 「おお、ゼキよ、参ったか」  イビラスが景気のいい声で私の名を呼んだ。左手に次男のザルクスが坐っている。とすると、右に坐る長身の痩せた男がハブレスか。茶色の髪を短く刈り揃えたなかなかの美中年だ。三十過ぎと聞いていたが、関の守備を任されていただけあって油断のない目つきで私を値踏みしている。この戦では騎兵を任されているという話だ。 「参陣が遅れ、申し訳ござらぬ」  私は鷹揚に頭を下げた。 「なんの、まるで風の如く素早い着到。流石は魔群よと皆驚いておったわ」  なあ、と左右を見回す。何人かが苦笑いしながら頷いた。 「汝の軍勢を見たぞ。二年前の嶺北を思い出して、思わず肝が冷えたわ。まさか我が旗の下で戦うことになろうとは、奇なることよ」  上機嫌に土器《かわらけ》の酒を傾け、 「皆の者もよう見知りおけ。我らに合力する魔群の大将よ。今日からは皆と一味同心し、鐙を並べて戦う味方じゃ。間違えて矢を射かけること勿《なか》れ」  面白くもない自分の冗談に声を上げて笑った。  つられて何人かが白い歯を見せた。だが、多くは気味悪そうな視線を送ってくる。中には明白《あからさま》に憎悪に顔を歪める者もいる。彼らはただイビラスの手前だから大人しくしているのだ。戦闘の混乱に乗じて、私や私の部下に危害を加えるやもしれない。予想はしていたが、いい気持ちはしない。  挨拶の口上でも述べようと思っていたが、余計な物言いをして刺激したくなかった。かわりに私は太々しく笑みを浮かべることにした。思った通り、作戦所の空気が一層悪くなるのを感じた。  そんな空気を紛らわそうとしたのか、確か探題府でカルドと呼ばれていた白い頭の老人が、大きく咳払いして待ち兼ねたようにイビラスに顔を向け、 「殿下、揃いましてございます」 「うむ」 「それでは軍議を」 「おう、始めよ」  どうやら私が来るまで軍議を待っていたらしい。  すでに何度も軍議を重ねていたのだろう。私以外の全員が承知していることを再確認しているように、軍議は粛々と進んだ。焦点は、カヤバルに留まっているバトラ麾下の軍勢が何時来るかということばかりのようだった。グラウスが横から小声で色々と知恵をつけてくれたが、どうにも理解できなかったので、私は軽く聞き流すことにした。  皆、話すべきことは話し終えたのだろう。進行役のカルドが私に向かい、 「ゼキ殿、何かござらぬかな」  指揮所の視線が私に集まった。イビラスまで面白そうに私を眺めている。  私は背を伸ばし、低く息を吐いた。下手なことを言って物笑いの種になることは避けたかった。 「ふむ」  私は勿体ぶった仕草で左手の親指で右頬の疵を撫で、 「今宵、夜討は如何でござろうか」  わざと素っ気なく言った。  案の定、ざわめきが起こった。隣のグラウスが痴呆のような顔で私を見つめている。それも仕方ない。彼には告げていなかった。  余計なことを、と私を睨む者もいる。彼らの気持ちは痛いほど理解できた。 「いや、すでに我が軍の方針は固守に決しておる。夜討などはかえって混乱の因になる」  カルドが窘《たしな》めるように言う。私はうんざりした顔をして、 「敵は油断しておる。今なら敵は三個連隊九千、叩くならば、兵力で上回る今を措いて他にない」  カルドは言葉に詰まった。皆、嫌そうな顔で私を見ている。正論を言う者は常に嫌われるものだ。私は秘かに自分を慰めた。 「我が兵《つわもの》どもは夜戦《よるいくさ》に長けてござる。我らが先陣|仕《つかまつ》り申そう」  我ら闇に棲む者故、と私は薄気味悪く笑ってみせた。  私は立ち上がり、盤台に歩み寄って地図を見下ろした。意外と大きい。指揮棒もないので、仕方なく私は盤台に身を投げ出すように上体を屈め、地図に手をついた。鎧の金具が軋んで音を立てた。地図上の駒が幾つか転がったが、気にしないことにした。私は苦労して右手を伸ばし、ハヤギの村を指さした。 「我が手勢がハヤギ村の陣を超越して正面の敵に夜襲をかけ申す。それから」  右手を大きく動かしたせいで、危うく地図の上に倒れそうになった。察したグラウスが帯を持ってくれなければ、地図を駄目にしていたかもしれない。畜生、青竹の一本でも持ってくればよかった。あのオークが持っていたような。 「北の敵陣を横撃いたす。各々方は、我が夜討勢に合わせて正面の敵に攻め懸かられよ」  それから小声でグラウスに、 「もうようござる」  グラウスも心得ていて、ぐいと私の身体を起こしてくれた。私は息を整え、席に戻ると一同をぐるりと見回し、 「如何《いかが》でござるかな」  皆、憮然とした顔で地図を眺めている。と、大声が上がった。 「この戦は殿下直々の戦である。夜討の如き、野伏《のぶせり》同然の振る舞いはどうであろうか」  声の主を見れば、あの四角い顔のクタールが腕を組んでいる。この男も、要所を任せられている自負があるのだろう。 「そのような下賤な戦など、殿下の名折れである」  それから、ここは矢張り白昼堂々と正面決戦で堂々と敵を打ち破りたい、みたいなことを言った。彼に同調した何人かが、したり顔で何度も首を上下させている。  どうだと見返すクタールを、私は冷ややかに笑った。 「愚かなことを申される御仁かな」  クタールの顔色が変わった。が、私は構わず、 「家柄血筋で戦に勝てるとは御目出度《おめでた》い頭《つむり》をしておられる。それで勝てるなら苦労はござらぬわ」 「何だと、魔族ずれが」  実に騒々しい男だ。白状すると、私はこの四角い顔の男に好感を抱き始めていた。  私は、カルドに顔を向け、 「先ほど、イビラス公殿下は我ら一味同心の味方と申されたが、この大きい声のたわけ者も御味方の内でござるか」  たちまち顔を朱に染めたクタールが芝居がかった動作で盤台を叩き、まだ踏み止まっていた駒を地図上から吹き飛ばした。敵もあのように簡単に除けられればよいのに、などと私は真剣に思った。  だが、そんな私の思いも知らず、クタールは口角から泡を飛ばしながら、 「おのれ下郎、その悪口《あっこう》許し難し」  憤然と立ち上がるので、勢いで床几が派手に後ろに倒れた。 「その素っ首、斬り落としてくれん」  脇差の柄巻に手をかけるのを、 「控えよ、クタール」  カルドが一喝した。それから大きく溜息をついて困り果てた顔で上座を見た。そこにイビラスが坐っている。  私も出来るだけ落ち着いた動作でイビラスに顔を向けた。全員の目が上座に注がれた。この戦が初陣のザルクスは理解しているのかしていないのか、申し訳なさそうな顔で口を噤《つぐ》んでいる。一方ハブレスは、話を聞いてもいないのか、厳しい顔で地図上に目を走らせている。  当のイビラスといえば、采配の紐を弄《もてあそ》びながら無言で茫洋とした顔をしている。決断を迫られて考えているのだろう。もしかしたら何も考えていないのでは、と私は危惧した。  全員が息を殺してイビラスの決断を待っている。皆の思いを代表して、カルドが探るように、 「殿下、如何《いかが》いたしましょう」 「うむ」  イビラスが威厳を込めて口を開こうとしたその瞬間、低く鈍い轟音が響いた。  連続した爆発音が聞こえてくる。それで私は法撃兵の統制法撃だと知った。天井から細かい埃が舞っている。  最初、私はバイラかサイアス辺りの独断を疑った。だが、すぐその考えを打ち消した。彼らは独断専行の気はあるが、そこまで粗忽ではない。私は耳を澄ませた。法弾独特の飛翔音が聞こえてくる。とすれば答えは一つだ。  私はわざとらしく肩を鳴らし、 「敵もそれがしと同じ考えのようで」  世間噺でもするように言って、取り敢えず不敵に笑ってみせることにした。 「いや、待て。事故ではないのか。我が軍の魔導兵の不始末では」  現実を認めたくない誰かが言った。言った本人も信じていない口振りだった。  三度目の爆発音が響いた直後、使番らしい甲冑の者が走り込んできて崩れるように膝をつき、 「夜襲でございます」  喚くように言った。 「敵が我が陣を全線にわたって法撃」  指揮所の全員が凍りついたように動きを止めた。 「擾乱《じょうらん》法撃ではないのか」  別の誰かが言った。  私は顔を横に向けた。グラウスが青い顔を横に振る。今まで、敵にそのような動きはなかったということだ。  私はゆっくりと起ち上がり、 「我が持ち場に戻り申す。ヂシュの丘を奪われるわけにはまいらぬ故」  それから上座のイビラスに顔を向けた。イビラスが口許をにたりと曲げて頷いた。私はおおいに満足し、 「皆々方も自らの陣場に戻られたほうがよろしいようで」  言い捨てて小姓から受け取った兜を被ると、緒もそのままに指揮所を後にした。  一同が慌ただしく席を立つ気配を背に感じ、思わず顔がにやけた。振り返りもせず陣幕を上げて外に出ると、もうすっかり日も落ちて、空には星が瞬いている。だが、今は見惚れている暇はない。  周囲は慌てふためく人影で溢れていた。中には髪を乱した裸形の男や、派手な小袖の女もいる。きっとハクイから稼ぎに来た遊女だろう。  だが、法撃は本陣には及んでいない。全て第一線に集中している。 「盲弾《もうだん》ではなさそうだ」  着弾の間隔に迷いがない。 「よほど周到に観測していたと見ゆる」  私は、夜空を照らす爆発を遠望して呟いた。 「とすると」  グラウスが囁くように言った。 「うむ、本格的な攻勢であろう。恐らくは全軍を挙げて」  私は内心歯噛みした。昼間、モラスの観相見で、敵陣の軽躁の卦を士気の弛みと判じたのは間違いだった。あれは、夜討の支度からくる高揚だったか。見たい現実しか見ないのは私も変わらぬ。自嘲の笑みに思わず口許が緩んだ。  そんな私を見て、 「ゼキ殿、如何《いかが》なされた」  グラウスが眉を寄せて私を見ている。私は慌てて真面目な顔を作り、 「いや、すまぬ。早う戻らねばならぬ。急ぎましょうぞ」  そう言って歩を早めた。 「殿」  走り回る人々の間を掻き分けるように、一騎のスフィンクスが走り寄ってきた。闇夜にも鮮やかな漆黒の毛並み。 「おお、ミレネスか」  スフィンクス騎兵中隊の中隊長だ。長い黒髪が爆発の光を受けて艶やかに輝いた。ミレネスは半月の前立の兜の庇をくいと上げ、 「御無事で」 「うむ、皆は」 「すでに丘のそれぞれの持ち場へ」 「被害は」 「無傷ですわ。敵の法撃は前方の村に集中しています」 「そうか、しかし無茶をする。敵と間違われて斬りつけられたら何とする」  袖に合印はつけていても、怪しげな異形の者が混乱した陣所に夜間単身やってくるのは無謀にすぎる。しかし、ミレネスは気にするふうもなく、 「ミシャ殿が馬で参ると申されたのですが、夜道では我らスフィンクスのほうが早うございますから」  にこりと笑ってみせた。 「うむ、では急いで戻ろうぞ」  ここで議論している暇はなかった。すると、ミレネスはくるりと獅子の身体を回し、 「さあ、御乗りくださいませ」  と手を伸ばしてきた。 「え、いや、無用だ。歩いて参る」 「急ぐと申されたのは殿様ですわ。ケンタウロスと違い、スフィンクスは人を乗せることを厭《いと》いませぬ。さあ」  強引に腕を掴まれ、凄まじい怪力で背中に引き上げられた。 「そちらの方も、迅《と》く」  ミレネスは狼狽えるグラウスも有無もなく捕まえて、私の後ろに放り投げた。まるで仕留められた狩りの獲物になった気分だ。 「さあ、しっかりと掴まってくださいませ」 「こうか」  ミレネスの人の胴に腕を回す。その細さに驚いた。力を込めた掌が何か柔らかいものを感じた。鎧の上からでもはっきりわかる巨きな胸の感触。 「あ、すまぬ」  私はすぐさま詫びたが、ミレネスは気に留めるふうも見せず、 「喋ると舌を噛みますわ」  それだけ言うと、上体を前に傾けて風のように駆け出した。  丘の上の壕まで僅か数町の距離だったので、舌を噛まずに済んだ。だが、スフィンクスの骨格は人が騎乗するには向いていない。ミレネスから降りた途端に、夕餉が胃から逆流してきて、私は思わず足を止めた。 「殿様」  銀の大蜘蛛に変化したテラーニャが駆け寄ってくる。無事だと手を振り、舌の根元まで迫った芋粥を苦心して呑み込んだ私は、露天の監視壕に向かった。左右の壕には第一中隊の兵たちが石のように沈黙のまま待機していて、私は何故か誇らしい気分になった。  監視壕では、すでに主だつ者たちが私を待っていた。ヴリトまでいる。その額の双角を見て、このオウガに牢人衆の指揮を任せたことを思い出した。 「どうだ」  聞くまでのなかった。眼下に、炎に炙られたハヤギ村があった。法撃の爆発を縫うように夜空を横切って幾筋もの火矢が射ち込まれ、根小屋や資材置場から盛んに炎が吹き上がっていた。  ハヤギ村の前縁陣地が断末魔に喘いでいる。すでに悪鬼のような敵兵の群れが最後の柵を押し倒して防御線の正面を抜け、あちこちで守備兵たちと揉み合いを始めている。夜討の兵の波は第一平行壕を呑み込み、第二壕の胸壁に取りつきつつあった。  乱戦の中で弓や弩を構えている者はほとんど見えなかった。誰もが打物を振るって血みどろに戦っている。 「これは」  私は絶句した。ハヤギ村はすでに組織的な防衛力を喪いつつある。これほど脆いとは。いや、違う。敵は今夜に備えて入念に準備を進めていたのだ。 「法撃開始から三十分後には打物衆が寄せてござる。やけに動きがいい。余程の精鋭ですな」 「あれは何だ」  どれ、とバイラが身を寄せてきた。私は、防御陣地に喰い込んでいる黒々とした隊列を指さした。バイラは暫く目を細めていたが、 「ドワーフの重槍兵でござろう」 「あれがか」  五尺に満たぬ矮躯だが筋肉の塊のような体形、勇猛で膂力に優れ、かつては穴居生活を送っていたせいで暗視に優れる種族だ。だが、 「ドワーフは癇が強く、隊互を組んで戦う重槍兵には向かぬと聞いていたが」  ドワーフの得物といえば、弩か薙刀と相場が決まっている。 「あれは、一昨年に新編されたドワーフ重槍兵大隊でござるな」  グラウスが口を挟んだ。 「ナステル伯の兵制改革の成果の一つでござる。狷介《けんかい》なドワーフをよくも馴らしたもの」  他人事のように感心した口調で言う。  ここで眺めていても仕方がない。 「バイラよ。兵《つわもの》ども、配置についたか」  私はミノタウロスに問うた。 「既にそれぞれの陣場に籠り、殿の下知を待って候」 「うむ」  それから、百眼の巨人に向かい、 「モラスよ、敵の法撃兵は」 「村の正面に二個大隊四十名。中隊単位で三発ごとに位置を変えていて、弾幕が途切れませぬ」 「味方の法兵は」 「早々に制圧されたようで」 「敵は遣り手だな」 「そのようでござるな」  いい材料が一つもない。 「リッチとスケルトン・メイジの準備はよいか」 「全て射点にて」 「例の手でいく。急ぎ支度せよ」 「は」  モラスが駆け去っていく。その背を睨みながら、 「何をするのだ」  ヴリトが訊いた。私は一瞬言い淀んだ。こんなことを口にしてよいものか。だが、いずれはわかることだ。 「汝の弟をな」 「うむ」 「討ち取ったのと同じことをする」 「そうか」  拍子抜けするくらい素っ気ない反応だった。星明りの下、私は窺うようにヴリトの顔を仰ぎ見た。が、暗くてどんな顔をしているのかよくわからなかった。 「それでは者ども、用意せよ」  私の言葉で、左右の壕に潜んでいたスケルトンとミュルミドンが壕を出て、一斉に後方へ動き出した。監視壕の者たちもそれぞれの持ち場へ散っていく。 「え」  グラウスが周囲の動きに目を丸くした。 「ハヤギ村のクタール勢に加勢するのではござらぬのか」  グラウスが私に食ってかかった。 「引くな、戻って戦え」  怒号と悲鳴、剣戟《けんげき》の音に混じって絶叫のような声がハヤギ村から聞こえてくる。  が、私は顔色も変えず、 「あの敵の勢いだ。乱戦に突き入れても無駄である」  出来るだけはっきりした口調で告げた。 「敵の攻勢はこの丘にて喰い止める」 「ならば、何故に兵を退《さ》げられたのか」  グラウスが鋭く詰る声で叫んだ。馬鹿者め、声が大きい。こんな貧弱な壕一本でドワーフを喰い止められるものか。 「退《さ》げたのではない。釣り出すのだ」 「如何《いか》なる意味でござるか」 「あの、夜討の連中をだな」  私はちらりとハヤギ村に視線を戻し、 「袋の鼠にするのだ」  が、グラウスは言葉もなく、ただ私の顔を見つめている。 「美味でござるぞ。御存知なかったか」  もっとも私だって食ったことなどないのだが。  丘の上の壕には、私とテラーニャ、それにバイラとクルーガのみが残された。 「我らは退《さ》がらずともよいので」  心細げな声で、グラウスが訊いた。そうだった、こ奴もいた。 「貴殿は早う退《さ》がられよ。ここを真っ直ぐ行った先に堆土がある。予備指揮所になっていて、我が兵が籠めてござる」 「しかし」  迷っているようだ。だが、それどころではないので私は無視することにした。  ハヤギ村はすでに崩壊に瀕していた。自然発生的に守備兵の後退が始まっている。得物を捨てて身一つで逃げる者、身軽になるために鎧を脱いで裸になる者、どさくさに紛れて奪った味方の財物を担ぐ者。その群れに向かって容赦なく矢が射込まれた。  丘の斜面を逃げる者へ、敵法撃兵の法弾が追い打ちをかけている。中腹に植えられた柵が吹き飛ばされた。その後方で、ハヤギ村の陣地を突破した敵の一部が展開しつつある。その頃には、法撃の弾着が丘の頂部にまで落下してきた。手際がよすぎる。もうすぐ、この壕も敵の法撃に包まれるだろう。と思っていたら、隣の壕に着弾、頭から砂を被った。しまった。退がる時期を逸した。 「殿様。そろそろ」  テラーニャの押し殺した声。 「うむ」  私は平静を装って答え、監視壕を出て、斜面を転げ落ちるように走り出した。  爆発に追われ、足を前に出すごとに鎧の板物が撓んで暴れ、重量が綿噛《わたがみ》に食い込む。兜が頭を前後左右に揺らして眩暈がする。鞴《ふいご》のような音が妙に五月蠅《うるさ》い。愚かにも、それが自分の息だと気づくのに時間がかかった。狐が入ってきた兎小屋の兎のように心臓が跳ね回り、冬なのに土砂降りのような汗が顔を濡らす。  畜生、長居しすぎた。もう少し早く壕を出ていれば、悠々と歩いて退がれたものを。  やっと薄暗がりの中、窪地に龍牙兵らが蹲っているのが見えた。最後の上りは文字通り地獄坂だった。体に残った力を振り絞ってよろめき上がり、露天の後方指揮所に転がり込んだ。膝が狂ったように笑っていて、立っていられない。解放感も安堵もなかった。私は両手両膝をついて、釣り上げられた魚のように喘いだ。泣き声が漏れそうだ。  ミシャが黙って差し出した竹筒を引ったくり、口を開けて水を呑み込んだ。 「殿様、大丈夫でございますか」  テラーニャが気を遣って尋いてきた。私はなんとか息を整え、 「あのな、テラーニャ」  テラーニャを見上げた。法弾の爆発の閃光を受けて、鈍く光るテラーニャの銀の肢体は美しかった。 「あい」 「帰ったらギランに言って、もっと軽い具足を作らせねばならん。このままでは鎧の重さに殺されてしまう」 「それだけ軽口を叩けるなら、大丈夫でございますね」  私は何か言い返そうと試みたが、疲れきっていて気の利いた台詞が浮かばなかった。背後でスウとグラウスが苦笑している。私は酷い屈辱を覚えた。  私は非常に努力して立ち上がると、指揮壕の土壁に身を寄せ、兜の庇越しに敵方を睨んだ。それほど待つまでもなく、敗残の兵たちが、法撃に追われるように雪崩を打って斜面を走り下ってきた。その背後を追うように、陣鉦《じんがね》を打ち鳴らす音と大勢の足音が地響きのように聞こえてくる。 「むう」  このままでは、敵味方が混交して防御弾幕が張れぬ。グラウスが見ている。露骨に味方討ちするわけにはいかない。 「バイラよ、旗を立てろ」 「よう候」  バイラは頷くや、臙脂《えんじ》の幟旗《しき》を片手に指揮所を出ると、 「戦意ある者は旗に集えや。追い首獲られるは恥ぞ」  大声で呼ばわった。声に引かれるように一部の兵が寄ってきて、ミノタウロスの巨体を見て狼狽《たじろ》いだ。が、バイラは構わず、 「我の背後に控えられい」  そこには、ヴリトが率いる牢人衆が、少人数ごと物陰に身を潜めている。  ついに、法撃が射程を伸ばし、丘上に着弾し始めた。 「来るぞ」  クルーガが私に向かって呟いた。私は頷き、 「バイラ、もうよい」  旗を巻いたバイラが指揮壕に入るのと同時に、黒い塊が柵の列を飲み込み、壕へ向かって溢れ出そうとしている。 「いいぞ、奴ら、壕が無人《ぶじん》だと気づいておらぬ」  誰かが呻くように言った。この丘に立った時、守るなら反斜面防御と決めていた。思わず口角が弛んだのは、敵がこちらの策に乗ったからか、それとも戦闘の緊張と恐怖からくるものか、私にもよくわからなかった。  その時、唐突に太い喊声《かんせい》が沸き起り、法撃音を圧して戦場に轟いた。 「概ね一個大隊といったところか」  闇夜にもわかる整然さで、敵が突撃を開始した。塹壕に敵がいないのを知り、壕を乗り越え、陣鉦を打ち鳴らし、声を励まして突進してくる。 「凄い数だ、二個大隊はいる」 「新手だ。敵の先手は消耗したか」 「支え切れるか」  指揮壕で心細げな会話が交わされた。 「黙れ」  私は鋭く言った。ここまで来れば逃げることもできない。すでにほとんどの柵は押し倒されていて、敵の槍の前列は台上半ばに達しつつあった。  ついに、対敵距離が三丁を切った。 「まだか」  私は忌々しげに後方を振り返った。  ドワーフ重槍兵の隊列が稜線を越え、無人の野を山車のように駆け降りてくる。その後ろには、徒槍や薙刀を構えた軽歩兵が続いている。しかし、乱杭に張り巡らされた縄に足を取られ逆茂木に阻まれて、前列の前進速度が鈍った。続いて突っ込んできた後列の連中と混じり合っている。僅かに列が乱れた。老練な魔導兵中隊長であるマテルはその瞬間を見過ごさなかった。  突然、指揮壕の左右の闇から、けたたましい発法音が響いた。モスマンが法撃を開始したのだ。一発の威力はスケルトン・メイジに劣るが、初速と発射速度は桁違いだ。光の箭がドワーフの突撃部隊を縦横に切り裂く。 「お止めくだされ。まだ逃げてくる味方が」  グラウスが悲鳴を上げた。  私たちと敵兵の間に、まだ多くの友軍がいる。そのうちの一人が、モスマンの光箭の直撃を受け、上半身がばらばらに砕け飛んだ。 「撃たねば丘を奪われる。それに」  一瞬、言葉が詰まった。グラウスが絞め殺しそうな目で私を見ている。だが、私は振り切るように視線を外し、 「後退用の交通豪は示されていたはず。自業自得でござる」  再び敵へ目を向けた。千切れた人の体が飛び交い怒号と悲鳴が交差した。しかし、敵の勢いは一向に衰えない。夜間なので周囲の状況が掴めず、自軍の優位を信じているのだ。 「一個大隊どころかその倍はいるようだ」  クルーガが目前の地獄から目を逸らさずに呟いた。 「流石はドワーフ。まだ止まらぬ」  バイラが大身槍の柄を握りしめて感嘆の声を漏らした。 「むう、見誤ったか」  そんな私の焦りを嘲笑うかのように、数瞬の後、後方から頼もしい飛翔音とともに次々に光の軌跡が中空に弧を描き、そのまま垂直に近い角度で着弾した。サイアスの法兵群が法撃を開始したのだ。悲鳴とともに吹き飛ばされた鎧の破片が指揮壕の前縁に降った。  やがて、スケルトンの弓と弩が、着弾点に合わせて射撃を開始した。 「各突撃中隊長へ伝えよ、突撃兵を前に出せ」  目の前の殺戮から我に返った龍牙兵が、後方に控えていた突撃中隊に手を振った。それまで、無人のように静かだった闇から、金属音とともに一斉に槍の林が立った。スケルトン突撃兵の隊列がゆっくりと指揮壕を越えて前進し、槍襖が弾幕を抜けてきた敵兵を次々に刺殺していく。やがて敵兵の群れは浮足立ち、ばらばらに逃げ始めた。 「敵は後退するぞ。射ち方やめ。突撃兵を下がらせろ」  それでも、なおも矢を射る者もいる。弓兵中隊につけた牢人衆の弓手だろう。 「早くやめさせろ」  私の怒号に応えるかのように、龍牙兵が壕を飛び出した。  両軍の法撃も止み、目の前には炎と数百の引き裂かれた死体が取り残されていた。  まさにその時、信じられないことが起こった。最初、数多の足音に、背後から奇襲を受けたのかと思った。後方にはゴーレムとコボルトの工兵中隊、ザラマンダー、それに牢人衆が控えている。彼らを擦り抜けるのは不可能なはずだ。  足音の正体はすぐに知れた。私の兵ばかり働くのを面白くなさそうに眺めていた牢人衆が、逃げる敵兵を追いかけ始めたのだ。 「己れら、何を血迷うたか。下がれ、待機線まで戻らぬか」  私は壕から出て、両手を振って叫んだ。だが、彼らは空脛を飛ばして私の横を通り過ぎていく。 「後ろに控えておるなど腑抜け者よ。何のためにここまで来たのかわからぬわい」  闇の中で誰かが叫んだ。  ヴリトが指揮壕にのそりと入り込んできたのはその時だった。 「ヴリトよ、この有様はどういうことだ」  九尺もあるオウガがものを言う前に、私は彼に食ってかかった。そんな無謀な振る舞いに及ぶほどに私は錯乱していた。だが、ヴリトは涼しい顔をして、 「いや、すまぬ。連中、敵が退くのを見て、頭に血が上ってしもうたらしい」  全然申し訳なく思っていない口調で言った。 「それを押し留めるのが汝の役目であろうが」 「半分は待機線に残っておるぞ」  事もあろうに、ヴリトは胸を張ってみせた。それで十分だろうという顔で。  痴れ者め、と口から言葉が飛び出るのを何とか抑えた。 「どうする」  クルーガが訊いてきた。私は返すべき答えもなく、ただ闇に目を向けた。  統制が取れていない歩兵の攻撃が、どういう結果になるのかという生きた実験だった。死んでいようが生きていようが、お構いなしに倒れ伏している敵兵を刺しながら前進していた青葉者どもは、まず最初に敵法兵の遠距離法撃を受けた。それから丘の稜線に進出した敵の魔導兵の直接法撃と矢の攻撃に晒され、彼らは何が起こったのかわからないまま地に打ち倒されていった。敵の軽騎兵と軽兵が飛び出してきて、麦穂を刈るように生き残った味方の兵を殺戮している。こんな酷い負け戦は初めてだ。私は怒りと屈辱に喚き散らしそうになるのを何とか抑え、クルーガに血走った目を向けた。 「モラスに伝えよ」  百眼の巨人は法兵群の観測任務についている。 「反撃するのか。しかし、もう」  ヴァンパイアはそこで口を閉じた。間に合うまい、とその顔が告げている。 「対法兵戦だ。敵法兵は位置を暴露した。今が好機だ」 「なるほどな」  クルーガが手下《てか》のニキラに目をやり、それから顎をしゃくった。黙って頷いたニキラが後方へ駆けるのを見送り、私は指揮壕の全員に告げた。 「逆襲をかける。攻撃陣形を組むぞ」  バイラが圧《の》し掛かるように上体を曲げ、 「殿、それは蛮勇に過ぎる」  お前がその台詞を抜かすか、私は心の中でミノタウロスに毒づいた。 「いや、敵は新手が攻撃準備の最中のはず。これを叩き、ハザキ村を回復する。汝は第一梯隊を率いよ」  バイラは目を細めて僅かに思案顔をしたが、すぐ首を縦に振った。 「承った」 「テラーニャ、第三梯隊に尾いてまいれ。よいか、ラミアとザラマンダーらとともに後方に控えておれ。決して前に出るなよ」 「あい」 「私は第一梯隊と第二梯隊の間に位置する。それからヴリト、汝は牢人衆を率い、私の背後につけ。今度は妄動《もうどう》させること勿《なか》れ」  ヴリトは面白そうに鼻息荒く私を睨みつけ、 「ふん、程良い物言いをするわ、片腹痛し」  だが、ヴリトの憤懣に付き合っている暇はない。 「グラウス殿」  グラウスが無言で顔を上げ、私を見た。 「関所正面の御味方にお伝えあれ。我らが村に攻め懸かると同時に、正面の敵を攻め立てて拘束するよう」 「牽制攻撃でござるな、承った」  一礼してグラウスが壕を出て行った。彼の気配が消えたのを確かめ、 「ジニウよ」 「は」  足許から影が起き上った。 「我が部隊の左に哨戒線を張れ」 「南側だけでよろしうござるのか」 「森を浸透してくる敵の軽兵が怖い」  それからミレネスを振り返り、 「騎兵中隊はシャドウ・デーモンを掩護せよ」  スフィンクスはもともと熱帯の密林に棲んでいた魔族だ。並みの騎兵と違い、深い森林の戦に慣れている。が、ジニウは承知しなかった。 「なんの、殿の左の翼端《よくたん》は我らのみで十分。今は一兵でも必要なはず」 「殊勝な言い様をしよる」  私は苦々しく笑い、 「わかった。騎兵中隊は私とともに参れ」 「わかりましたわ」  後方から発法音が響いた。サイアスらが対法兵戦を始めたようだ。 「クルーガ、サイアスに伝達、敵法兵を叩いたならば、攻撃を掩護するよう伝えよ」  私の言葉にクルーガが頷き、ヴァンパイアのメルダが静かに指揮壕を出て行った。  私は再び一同を見回し、 「首は悉く打ち捨てよ。乱捕《らんどり》も許さぬ。理由なく列を外れた者は斬り捨てよ」  主にヴリトに向かって告げた。 「準備ができ次第、前進を開始する。掛かれ」  皆が一斉に動き出した。  ただ一人、テラーニャが寄ってきた。 「どうした、お前も早く行け」  だが、テラーニャは上体を屈め、私の首に提げている面具を取った。 「何をする」 「殿様、面頬をつけられませ」  そのまま面具を私の顔に当て、手を回して緒を締め始めた。 「おい、やめよ。これをつけると息苦しいのだ」  親に襟を直されている童《わらし》になったようで気恥ずかしい。ヴァンパイアと龍牙兵どもが苦笑している気配が伝わってくる。 「なりません。また御面相に疵を負えば如何《いかが》なさいます」 「むう」  ようやく面具をつけ終えたテラーニャが身を起こした。 「それでは参ります」 「うむ、気をつけよ。無理はするな」 「あい」  にっこり微笑んで、テラーニャは闇の中に消えた。  味方の法弾が次々に頭上を通過し、稜線越しに爆音が響いた。しかし、敵の法撃も規則正しく続いている。敵の着弾は後方へ集中していた。敵も指揮しているのは手練れの法撃将校だ。  法兵合戦に敗れれば、敵の法撃は私たちの頭上に降り注いでくる。つまり、サイアスらの法撃が続いている間は私たちは安全というわけか。私は皮肉に口角を上げた。 「敵は観測兵を稜線に上げているはず。魔導中隊に掃射させるか」  クルーガが耳許で囁いた。 「いや、位置を暴露するのは不味い」  私は息を殺して敵方を睨み続けた。  敵の着弾を百まで数えたとき、唐突に敵の法撃が終わった。振り返ると、味方の法撃も止んでいる。その事実に私は慄然とした。どちらかが対法兵戦に敗れたのだ。  その事実を知っているのかどうか、兵たちは相変わらず伏せ続けている。私は鼓膜に残る金属音を振り払おうと何度も頭を振った。 「殿」  ミシャが後方を指さした。法衣の上に胴当てをつけた骸骨の群れが間隔を開けてゆらゆらと揺れるようにやってくるのが見えた。嬉しさのあまり、私は思わず彼らに駆け寄った。 「サイアスか」 「うむ、正面の法撃兵はあらかた片づけた。これより前方の魔導兵を叩く」  私の喜色に気づいていないのか、まるで茶飲囃でもするような口調で言った。  私は安堵で座り込みそうになるのを堪え、 「待て、前へ出るな。見つかる」  押し止めようと両手を広げた。サイアスが不敵な面《つら》で私を見た。畜生、こんな骸骨面の考えることが手に取るようにわかるとは。 「あれは平射で片づける。奴ら、派手に撃ったからな。位置はモラスが把握しておる」  サイアスの後ろについたモラスが小さく頷いた。 「リッチの二斉射、スケルトン・メイジの六斉射、これで片が付く」  そう言って、更に前に出ようとする。 「わかった」  私は龍牙兵らに向けて、 「バイラに急ぎ伝令を出せ。我の法撃を合図に前進を開始せよ」  慌てて牙兵が走り出た。が、もう遅い。  リッチとメイジが私の真横で無造作に発法を始めた。発法音が鼓膜を突き刺す。数瞬の間も置かず、前列に控えていたモスマンまで法撃を始めた。私は発法の衝撃をもろに受けて地面に転がった。  肩を揺すられて顔を上げると、ミシャが目の前で何事か叫んでいる。 「どうした」  自分の声が聞こえないことに気づいた。 「何も聞こえぬ」  ミシャは嘆息すると耳許に口を寄せ、大声で怒鳴った。 「第一梯隊が前に出ますぞ」 「わっ」  ミシャの大声に私は思わず仰け反ってひっくり返った。ミシャが呆れ切った顔で私を見ている。 「お、応。我らも参るぞ」  私は何事もなかった振りをして走り出した。具足の重さが肩にかかり、気も重くなった。だが、今夜は走り回らねばならない。私は泣きたくなった。  バイラ率いる第一梯隊は易々と稜線を越えた。夜戦は上から下へ攻めるのが一番怖い。だが、恐れていた反撃はなかった。最前列に立つモスマンが時折掃射を繰り返している。  よし、いける。敵は夜襲の失敗とサイアスの法撃で混乱している。このままいけば村を奪回できる。私がほくそ笑んだ瞬間、前方で怒声が起こって第一梯隊の足が止った。 「どうした」  龍牙兵の誰かが呟いた。決まっている。 「敵の抵抗だな」  クルーガが前方に目を向けたまま答えた。占領した村の陣地に立て籠もって、組織的な抵抗を試みているのだ。 「第二梯隊を前に出せ」  第二中隊と第三中隊の重槍兵の隊列が、私の左右を通り過ぎていく。その後ろを、スケルトンの弩兵と薙刀を携えたミュルミドン、楯を担いだコボルトらが続く。  私は手持無沙汰な顔をしているヴリトを振り返り、 「まだ控えておれ」  言い置いて前方へ向かって走った。 「待て、大将が前へ出るな」  クルーガが後方で叫んだ。  私はすぐに第二梯隊を追い抜き、間もなく第一梯隊の横隊に追いついた。 「殿、ここは危のうござる」  応急の楯列の後ろで、バイラが叫んでいる。 「どうした」  私はバイラの前で膝をついた。 「あれを」  楯の隙間から見ると、二丁ほど先の土塁の上に楯陣が見えた。その背後から盛んに遠矢を射かけている。 「魔導兵は」 「モスマンの箭《や》ではあの土塁には効きそうにござらぬ。それに」  その言葉通り、モスマンたちは楯の内で身を縮めている。いつの間にか傍へ来たマテルが肩を竦《すく》めた。 「下手に撃てば、敵の魔導兵の応射を受けるでござろう」 「むう」 「サイアスらの進出を待つか」 「いや、待てぬ。敵に対応する暇を与えるな」  私は近寄る第二梯隊に向かって叫んだ。 「ミュルミドンは前へ出て敵の楯を突け。楯を寄せて弓を防げ」  私の下知にコボルトが楯を並べ、ミュルミドンがその背後で隊列を組んだ。  楯で固めた二つの隊列が、敵の楯陣へ寄せていく。 「弓衆、射返せ。敵に矢を射かけさせるな」  私が叫びきる前に、双方から矢が飛んだ。  楯の隙間を射通されたミュルミドンが転倒した。倒れたミュルミドンに次々に征矢が立つ。それでもミュルミドンらはじりじりと近寄り、敵の楯列に薙刀の刃を入れた。  この距離になると、敵の声の手に取るようにわかってきた。 「魔物じゃ。敵に魔物がおる」 「外道どもめ、皆殺しにせよ」 「楯割を使え」  そうだ。その魔物の群が、今からお前たちを押し潰してやる。  やがて楯の間から斧《おおよき》を構えた大柄なコボルトが飛び出し、敵の楯を打ち割ろうと振り上げる。それを防ごうと敵の槍が伸びた。これをミュルミドンの薙刀が叩き伏せる。両軍は俄然《がぜん》乱戦となった。 「頃はよし」  私は待機している第二梯隊の重槍兵へ呼びかけた。 「第二梯隊長柄衆、押し出せ」  スケルトンはアンデッドだ。いちいち返事をしたりしない。そのかわり、一斉に槍を立て、法撃で掘り返された地面を這うように進みだした。その光景は、何故か林が動くような神々しさを感じさせた。 「牢人衆、何をしている。懸かれや」  私は怒鳴った。 「応よ」  厳めしい鉄面をつけたオウガを先頭に、牢人どもが弾かれたように駆け出した。  隊列を組んだ重槍兵に最も必要なのは規律だ。その点について、スケルトン重槍兵は申し分なかった。スケルトンたちは敵の崩れた楯の隙間に身を入れ、戦鼓《せんこ》の合図とともに三間の長柄槍が打ち降ろす。 「叩き返せ」  敵方から悲鳴に近い胴間声がかかるが、スケルトンは前の者が倒れても粛々と列を埋め、敵の穂先を避けることもせず、規則正しく槍を振る。  数度の槍の応酬の後、敵は一人逃げ二人逃げ、ついに総崩れになった。その背をヴリトら牢人衆が追う。 「深追いするな」  私は叫んだが、牢人どもに聞こえているかどうか。彼らは敵味方の死骸が転がる壕を伝い、あちらこちらで敵の残兵と押し合うように戦っている。 「村の反対側の空堀まで抜けるぞ」 「よう候」  バイラが応え、大身槍を振り上げた。 「第二梯隊は前進。魔導衆、弓衆は随伴せよ。第一中隊は第三梯隊と突破口を固めい」  それから私に顔を寄せ、 「それがしは第二梯隊とともに」 「うむ、敵の魔導兵に注意せよ」 「なんの、牢人どもが狩り立てるでござろうよ」 「油断は禁物。それと、牢人どもを村から出すな」 「承知してござるわい」  ミノタウロスは鼻を鳴らして駆けていった。 「ミレネス」  私は騎兵中隊長を呼んだ。  待つ間もなく、漆黒のスフィンクスが駆けてきた。 「南を迂回して敵の後方に回り込み、段列を探せ」 「襲えばよろしいのですね」 「うむ。ただし、守りを固めておるなら、直ちに引き返して位置のみ知らせよ。無茶をしてハティを悲しませるな」 「心得ておりますわ」  取り敢えず打てる手は全て打った。私は長々と嘆息した。次はサイアスら法兵群を掌握しなければ。あれこれ考えを巡らせていると、クルーガがぼそりと呟いた。 「まずは勝てそうだな」 「いや、まだだ」  私は北に目をやった。法撃音に混じって喚き声や金物を叩き合う戦場音楽が聞こえてくる。そこではまだ戦闘が続いている。 「敵は主攻が潰《つい》えても、まだ戦い続けている。本来ならば、早々に兵を収めて攻撃開始線に戻るはず。助攻が予想以上に進展しておるやもしれぬ」 「まだ連絡が届いてないだけなのではないのか」 「そうであって欲しいが」  私は目を細めた。吐く息が面具の内側を濡らして気持ち悪い。 「あれ程に手際よく村を奪った連中だ。何を企んでおるか」  その時、 「殿」  ミシャの押し殺した声に私の思考が中断した。 「あちらを」  後方への連絡壕沿いに、人の群れがこちらへ歩いてくるのが見えた。 「敵か」  訊いてはみたが、すぐそうでないのはわかった。この距離なのに走りもせず、槍や薙刀も立てている。その袖に臙脂の合印が見えた。 「おお、御無事でござったか」  先頭の武者はあの四角い顔のクタールだ。  銀箔押しの烏帽子兜に同じく銀の胴、肩に吊った野太刀の鞘には金の蛭巻《ひるまき》という派手々々しい格好が泥に塗《まみ》れている。後ろに続く者たちも、兜を失った者や袖の取れた者など、酷い有様だ。ただ、眼光のみ爛々《らんらん》としていて、どうやら戦意までは失っていないらしい。  クタールが私の前に出て、深々と頭を下げた。 「御助勢、まことに痛み入る」  軍議の場とは打って変わって萎《しお》らしい態度に私は僅かに戸惑いを覚えた。 「兵はどれほど残られたか」 「戦える者は二百ばかり」  悔し気に顔を歪め、 「それがしが陣場に戻るころには既に柵を破られて成す術もなく、逃げる兵を纏めて交通壕奥の予備陣地で最後に一戦|仕《つかまつ》らんと覚悟を決めておったところ」  それを、私たちが逆襲をかけたのを見て慌てて駆けつけたと言う。 「が、それも間に合わなんだようだ」  四角い顔を悲しそうに歪めた。そして、 「斯《か》くなる上は」  いきなり脇差を抜き、喉輪の隙間に当てるので、私は慌てて止めた。 「お止めくださるな。殿下からお預かりした兵を悪戯に損《そこの》うてしもうた」  泉下にてお詫びせん、と喚きだした。 「各々、早う取り押さえられよ」  私の声にクタールの家来どもがわっと駆け寄って脇差を奪い、たちまちクタールを地面に押さえつけた。 「殿、落ち着かれませ」 「えい、離せ。汝《うぬ》ら、不遜なるぞ」  なおも叫ぶクタールに、 「将たる者、軽々しく御生害など申されるは沙汰の限り。それに、まだ戦は終わってはござらぬ」  死ぬなら殿下の前でなされよ、と私は宥めた。  クタールは途端に憑き物が落ちた顔をし、 「終わってはおらぬと」 「然り、まだ関所の正面では戦が続いており申す。さあお立ちあれ」  クタールは具足の泥を払い、脇差を鞘に納めた。 「そうか、そうであった。ここで手柄を立てれば、我が面目も立つか」  そう言って、納得するように何度も頷いた。何だこの田舎芝居は。あまりの変わり身の早さに私は面食らう思いだった。 「さあ、関所前の敵に攻め懸かりますぞ」 「うむ、是非ともそれがしに先陣を」  クタールは勢い込んで応じた。だが、その時、 「殿」  振り向いてぎょっとした。モラスが私たちを見下ろしていた。 「どうした。観測はもういいのか」 「急ぎお伝えせねばと思いまして」  それからちらりとクタールらに横目を向けたが、私が頷くのを見て、 「敵陣後方に後詰が」 「ふむ、距離と兵数は」 「ここからおよそ十丁余、数は三千は下らぬかと」 「なに、一個連隊だと」  その場にいた全員が百眼の巨人を見つめた。 「敵は三個連隊を並べて平押しに攻め寄せているのではないのか。どこから湧いた」 「その通りでござる。解せぬこと」 「段列の陣夫どもではないのか」  我ながら愚かな問いをした。そんな距離まで段列を推進するなどありえぬ話だ。  私は龍牙兵らを見回し、 「評定する。中隊長以上を集めよ」  龍牙兵らが散っていくのを私は苛立ちも隠さず見つめた。彼ら牙兵の責ではないのに。それからモラスの言う闇に目を向けた。あそこに、篝もなく息を殺して身を潜めた一個連隊がいる。  そんな私に、クタールが自信なさげな声で、 「恐らく、カヤバル城に残っているはずの一個歩兵連隊と騎兵連隊が押し出してきておるのだ」  連中が動員された諸侯軍とともに来着するのは三日後のはず、いやもう二日後か。その連中がここにいる。ということは、第七師団は独力でタムタの関を攻め落とそうとしているのか。 「おのれ、思い切った手を」  思わず呻きが漏れた。 「モラスよ」 「は」 「関所正面の戦況は」 「二の柵まで押し倒され、今は三の柵で何とか防いでおる模様」  つまり、無傷の連隊が前進してくれば、赤子を縊るより易々と関は陥ちるだろう。斥候を出したかったが、ジニウらシャドウ・デーモンは左の開放翼に哨戒線を張っているし、騎兵中隊も送り出したばかりだ。 「わたしが見て来ようか」  突然、スウがぼそりと言った。 「スウか、何故私の考えを読めた」 「女の勘ってやつよ」  得意そうに赤い目を細めた。 「一人で大丈夫か」 「任せて」  言うが早いか、スウは鉤槍を担いで闇に消えた。  ほとんど入れ違いに、 「ゼキよ、何事か」  ヴリトが血に濡れた長巻を担いでのそりと現れた。 「敵の新手だ。一個連隊はいる。今、牢人衆は何人残っておるか」 「ふむ」  ヴリトはそんなこと考えもしなかった面《つら》で首筋を掻いていたが、 「おおよそ百五十ばかりであろうか」  私はクタールのほうを向き、 「クタール殿、この者どもをお預けする。関所正面の敵に背後から懸かられたい」  改めてオウガを見上げ、 「牢人衆を率いてクタール殿に御加勢せよ」 「なんと人使いの荒い大将かな」  鉄面の奥でヴリトが愉快そうに笑った。 「抜かせ。好きなだけ稼いで参れ」  私も負けずに虚勢を張った。 「では、牢人どもを呼び集めてくる」  歩き去るヴリトを見送る私の背に、 「それでゼキ殿は如何《いかが》する」  クタールが口を挟んできた。 「それがしは、敵の後詰を禦《ふせ》ぐ」 「無茶な。敵はこちらの三倍、いやそれ以上でござるぞ」 「うむ、なれど他に手はない」 「確かに」  クタールが悔しそうに顔を歪ませた。 「我が背中をクタール殿にお預けいたそう」  精々不敵に笑うことにした。クタールの具足が鳴った。どうやら身震いしたらしい。 「お、応よ、任されよ」 「うむ。存分に働かれよ」  私も思わず具足の小札が軋んだ。クタールの震えが伝染したようだ。武者震いであればいいのだが。  私は、街道正面に損耗していない第四中隊を六列横隊で配し、その左右に他の中隊を並べた。  その前方に、アイアン・ゴーレムとストーン・ゴーレムを並べ、その背後にスケルトン弩兵の放列を敷かせた。  弓兵中隊は二手に分け、モスマンとともに左右の畔の後方に配置した。テラーニャとラミアたちを負傷者の世話に残し、ザラマンダーとクレイ・ゴーレムを彼女たちの護衛につけた他は、ほぼ全力がここにいる。ろくに地形を利用できない現状で敵の攻撃を阻止するには、これが最善と思われた。  戦の炎が私たちを背後から照らし、それが私を不愉快にさせた。私は全ての兵を折り敷かせた。せめて、敵に見つかるのを出来るだけ遅らせたかったからだ。私が疲れ果てていて坐り込みたかったからでは決してない。  やっと一息つけて竹筒の水を飲もうとしたとき、ふいに、猿《ましら》か梟のような高い啼き声が路面を抜けて響いてきた。 「なんだ」 「御安心を、敵ではござらぬ」  バイラが敵方から視線を外さずに答えた。  啼き声は次第に大きくなり、獣ではなく人の声なのだと私も気づいた。間も無く草を踏む足音とともに特徴的な鉤槍を持った人影が現れた。  スウはスケルトンの隊列を抜け、私のところまで駆けてきて、 「動くよ」  開口一番、そう言った。 「やはり押してくるか」  諦めて帰ってくれればよいのに。 「当ったり前じゃない」  スウが、何を今更という顔で私を眺めた。  やがて、遠雷のような響きが聞こえてきた。すぐそれは多数の人の足と蹄の音に変わった。私たちに幸いなことは、夜であるために敵の攻撃経路が街道沿いに限定されていることだった。つまり、敵は確実に私たちの正面に来るのだ。畜生、どこが幸運だ。重そうな籠を背負ったコボルトが前に出て、一辺が三寸ほどもある鉄菱を路上に播き始めた。  敵はついに、五丁いや四丁ほどまで前進してきた。そのころになると、闇に慣れた私の目に敵の姿がはっきり見えてきた。最前列は重槍兵の隊列。だが、ドワーフではない。人間の兵だ。 「止まらぬな。このまま突っ切る積りか」 「いや、来ますぞ」  バイラが答えた瞬間、敵の後方から十数本の細い光の筋が空中に走るのが見えた。白く光るそれは星空の中をぐんぐん上昇し、軌道を修正しながらこちらへ突っ込んでくる。  見惚れる間もなく、私たちの周囲に法弾が着弾した。正確な間隔で轟音と衝撃波が襲ってきた。私は爆風に叩かれ、地面に転がった。視界の隅で、一弾が隊列の真ん中で炸裂し、スケルトンが吹き飛ぶのが見えた。  後方からも光球が煙を引きながら前方の路上に吸い込まれて爆発した。サイアスらが対抗法撃を開始したのだ。 「立て、槍を構えよ」  大身槍を杖に立ち上がったバイラが叫んだ。スケルトンたちが一斉に起こり、たちまち槍襖を作った。  こちらに呼応するように、突然、闇の中から百余りの騎兵が進み出て、蹄の音とともに全速力で突っ込んできた。私は、槍襖の後ろに立って、彼らの姿が次第に大きくなるのを見た。蹄の音がどんどん大きくなってきて、耳を聾せんばかりになっていた。見事な甲冑に身を固め、肥馬に打ち跨った騎馬武者の列が、指物を猛烈に靡かせ、砂塵の中から圧し掛かるように迫ってくる。私はスケルトン兵らに同情したくなった。  敵の騎兵はますます肉薄してくる。突撃の雄叫びを上げ、行く手を遮るものは何であれ薙ぎ倒そうという勢いだった。 「ほう、見事な」  バイラが呟いた。 「この闇の中、列も乱さず駆けるとは」  そんなことに感心するのは止めてくれ。私は心の中でバイラを詰った。  やがて弦音が鳴り、弓の矢と弩の太矢が騎馬の群へ飛んだ。馬が後脚で立ち上がり、または頭から地面に突っ込んだりして、落馬する者が出始めた。だが、騎兵の勢いを減らすには何の益にもならなかった。むしろ、突撃の速度は増したように見えた。  ついに騎兵は、ゴーレムらの間を抜け、槍の穂先のすぐ前まで突っ込んできた。私は思わず足を踏ん張った。突き出されたスケルトンの槍列は微動だにしない。  直後、約束された破滅の音が轟いた。騎兵の速度と質量に、スケルトンがばらばらに吹き飛ぶ。槍を受けた馬が跳ね上がり、鞍から投げ出される者が出た。乗り手を失い真っ赤に血塗られた馬が、なおも駆けてスケルトンの隊列に突っ込んだ。槍襖の隙間を抜けて、足を止めた騎兵に襲いかかるミュルミドンが馬上槍で頭を割られて倒れる。怒号に混じって馬の悲鳴が響きわたった。 「む、いかん」  バイラが飛び出した。見ると、金の脇角の頭成兜に錆色の鳩胸胴、背に水色地に蛇の目白抜きの四半旗、柄を朱に塗った十文字槍の華々しい姿のケンタウロスが、悠々と槍の列を抜けようとしている。立ちはだかろうとしたスケルトンが槍で薙ぎ払われた。  その進路上で、バイラが妙な姿勢を取っている。両膝を地につき、逆さに立てた大身槍を両手で支え、背筋を真っ直ぐ伸ばした姿勢。  私は声を出すのも忘れてバイラを見つめた。  やがて、朱槍のケンタウロスも気づいたのだろう。 「牛頭《ごず》め、推参なり」  一声叫んで駆けると、バイラに十字槍を振り下ろした。私はバイラの脳天が砕ける姿を予感して、思わず目を閉じた。だからバイラが何をしたのかわからなかった。ようやく砂塵が薄れ、バイラが槍を手に立っているのが見えた。  直後、ケンタウロスが左膝をつくように傾ぎ、そのまま具足の金具を派手に鳴らして転倒した。左後脚が刺し貫かれていて半ば切断されていた。  すかさずコボルトらが駆け寄って首を取り、バイラに見せた。バイラは兜首をちらと眺めたが、 「捨て置け、殿の陣法である」  そう言って、敵を睨んだ。 「ガイスト殿が討たれた」  敵の騎兵に動揺が走った。やがて騎兵の群れは左右に分かれ、闇の中へ消えていった。馬を失った武者が逃げる背中に弩の太矢を立てられ、もんどり打って倒れた。 「おのれ、逃げる者を追い射ちするか、卑怯な」  敵陣から罵声が飛び、私は妙に楽しくなった。が、急に視線を感じて身震いした。見ると、敵陣の前で大振りな鍬形前立の武者が一人、白馬に跨ってこちらを見ている。遠くてよく見えないのに、その者がにやりと笑った気がした。 「むう、あれは」 「知っておるのか、バイラ」 「いや、ようは知らねど、恐らくあれは」  バイラはそこで言葉を切った。私は彼を見上げ、 「何だ。申してみよ」  バイラは自信なさそうな声で、 「第七師団長のバトラ伯でござろう」 「何、あれがか」  私は慌てて敵陣に目を戻した。だが、既に白馬の武者は消え失せていて、どこを探しても見つからなかった。  敵の騎兵がすっかり逃げ帰るのとほとんど同時に、敵の法弾が不愉快な飛翔音とともに飛来してきた。重槍兵の隊列に着弾し、スケルトンが何名か崩れ落ちた。 「いいぞ、奴ら、かなり消耗している」  法弾の数が減っていることに気づいて私は小さく笑った。  すかさず、サイアスたち法兵群の報復法撃が空を圧する勢いで敵陣後方に飛び去り、幾つも炎の柱が上がった。 「来るぞ」  私は己れを励ますように声に出した。敵の法兵は撃ち返されるのを覚悟で攻撃支援法撃を行ったのだ。 「クルーガ、ゴーレムを前に出せ」 「うむ」  クルーガが返事するのと同時に、アイアン・ゴーレムの太郎丸を頂点に、ストーン・ゴーレムらが緩やかな鋒矢の隊形で前進を開始した。たちまち、路上に矢羽根の音が鳴り響き、敵の矢がゴーレムらを襲う。だが、ゴーレムに矢は効かない。何筋かが空しく音を立てて弾き返された。  やがて、敵方からも、 「射ち方待て。徒矢《あだや》を放つべからず」  声がして、敵の矢が一斉に罷んだ。その直後、私の視界は真っ白な光に満たされた。一拍置いて破壊的な音響が私の鼓膜を叩き、思わず私は地面に転がった。今夜はもう何度転がったのかわからない。だが、私には何が起こったのかわかっていた。敵の直協魔導兵が、一斉に阻止法撃を開始したのだ。  ミシャらに助け起こされた私は、吹き飛ばされたゴーレムたちを見た。あるゴーレムは両腕を砕かれ、あるゴーレムは下肢を失い、それでも彼らは前進を止めない。そんなゴーレムたちに、次々に法弾が突き刺さり、炸裂する。  遂に全てのストーン・ゴーレムが動きを止め、最後まで立っていた太郎丸も、集中法撃を受けて擱座した。片手両足を失い、それでも敵陣に這い進もうとした太郎丸は、遂に三角錐の頭部を吹き飛ばされたのだ。敵陣から歓声が上がる。  私は傍らに控えていたガルダのマテルに向かい、 「敵の魔導兵の射点は確かめたか」 「確《しか》と」  マテルが長い舌を出して、上嘴《じょうし》を舐めた。 「ならばゴーレムの仇を討て」 「心得た」  マテルは大きく羽に覆われた両の腕《かいな》を広げた。みるみるその手が漆黒の翼に変化していく。それからマテルは天空を睨み、ただ一声、 「けっ」  と高く鳴いた。  刹那の後、スケルトンの隊列の左右から、低くけたたましい轟音とともに光の箭が迸った。モスマンどもが、敵の魔導兵が潜む辺りを掃射したのだ。 「手応えあり」  光の洪水から目を離さず、マテルが満足げに呟いた。が、私にはそれに応じる余裕がなかった。敵が前進を開始したのだ。  法兵合戦で法撃兵を消耗し、今度は随伴法兵も喪った敵が採れる策は一つだ。いまだ優勢な兵力で正面から私たちを一気に踏み潰す。私の予想通り、いや予想以上の早さで敵は槍襖を押し立て、掛け声を上げながら寄せてきた。その声と足音は強固な信念と戦意に溢れ、私をまるで巨大な雷に連打されているような気分にさせた。  モスマンの法撃と弓兵弩兵の阻止射撃に薙ぎ倒されながらも、敵は前進を止めない。そしてついに、 「叩けえ」  敵の掛け声を合図に、長柄槍の叩き合いが始まった。鉄芯入りのこちらの長柄は重い。たちまち敵兵が槍を弾かれ頭を叩かれて倒れ伏す。 「いけるか」  私は思わず拳を握った。だが、すぐ敵は後列の者が進み出て欠けた列を埋める。一方、こちらの槍の列は敵に比べて哀れなほど薄い。やがて、多くの風切り音がして、叩き合いを演じているスケルトンがばたばたと倒れた。 「殿」  ミシャが私の袖を引く。 「敵の弓でござる。こちらへ」  有無もなくコボルトらが掲げた楯の内に引きずり込まれた。  まさか、夜戦で打物戦《うちものいくさ》の最中に弓を射るとは。だが、敵の矢は味方の兵も巻き込むのも構わず降り注いでいた。楯の隙間から、背に征矢を受けた敵兵が音もなく倒れ伏すのが見えた。 「味方射ちも厭わぬか」  誰かが呻いた。 「敵にも物狂いがいるようだな」  そう思うと何故か楽しくなって、私は笑いを噛み殺すのに苦労した。  遂に私の周りにも、次々と矢が落下しはじめた。矢を受けたコボルトや龍牙兵が地に伏していった。  クルーガが駆け寄り、私に顔を近づけ、 「殿、両翼が」  首を巡らせた私は、左右のスケルトン弓兵とモスマンが、敵の騎兵の大群に追い散らされているのを見た。槍を受けて倒れたモスマンが、何度も蹄に踏み躙《にじ》られている。 「このままでは包囲される」 「サイアスらは」 「こちらへ向かっている最中だ」  クルーガが悔しそうに顔を歪めた。彼らは戦闘が打物合戦の様相に移ったのを見て、こちらへ前進している。そう指示していたのは私だ。そこにバイラも寄ってきて、 「殿、これまででござる。早々に御退散を。ヴァンパイアと牙兵は殿を御守りせよ」 「わ主はどうする」 「ここで敵を禦《ふせ》ぎ申す」  私は阿呆のような目で太々《ふてぶて》しい笑顔のミノタウロスを見つめた。が、そんな私の視線を知ってか知らずか、 「さあ、迅《と》く落ちられよ」  なおも言う。私は腹を立てた。こいつは私のことをわかっていない。肚《はら》の中から急に熱いものが湧き上がってきた。その熱さが私を突き動かした。 「応よ、では落ちるぞ」  私は皆に聞こえるように叫んだ。 「ただし、落ちる先は前方」  私は敵を指さした。 「殿、何を」 「黙れ、囲まれる前に、全力で前方の敵を突破するぞ。目指すは第七師団の馬印だ」  夜戦なので、敵も馬印など立てていないのだが。  バイラは阿呆のような面《つら》で私を眺めていたが、やがて不敵に笑い、鼻を鳴らした。 「しかし、どうやって」  クルーガが訊く。 「このままスケルトン重槍兵を押し出す。ミュルミドンは槍の両側を掩護。弓兵、弩兵、魔導兵は逐次に入れ替わって敵を射ち払え。コボルトは背後を固めよ。皆で敵陣を繰抜《くりぬ》かん」  クルーガは静かに頷き、手下《てか》のヴァンパイアに合図した。ヴァンパイアたちが散り散りになった弓兵らを呼び集めるために走り去る。マテルが常人には聞こえない高周波の鳴き声で部下のモスマンたちへ呼びかけた。 「しかし、この押し合いの状況では前に出ることすら至難だぞ」 「むう」  そこまでは考えていなかった。誰かが素敵な策を思いついてくれればよいのだが。騎兵中隊を手放すのではなかったか。その時、 「わたしがやるわ」  全員がその声に振り向いた。そこには、矢の雨の中、槍に凭《もた》れたスウがまるで他人事のように佇《たたず》んでいた。  スウは答えも待たず、戦の喧騒の中、鎧の紐を解《ほど》き始めた。 「おい、何を」 「着たままだとロラ姉に叱られるから」  スウは事も無げに呟きながら、脱ぎ続けている。五枚胴を脱ぎ捨て、兜を脱ぎ、鎧下だけになった。それでもスウは脱ぐのをやめない。鎧下を毟るように剥ぎ取り、最後に晒を解いて下帯まで脱ぎ捨てた。内臓まで凍りそうな冷え冷えした冬の月光を受けて、盛り上がった乳房が転《まろ》び出た。小麦色の肌、引き締まった腰からしなやかに伸びる筋肉質の脚、無毛の股間が戦の炎を受けて照り返る。金髪が戦場の風を受けて微かに揺れた。  凄絶に美しい裸身だった。私は戦も忘れ、ただ魅入られるばかりだった。隣でバイラの開いた口から涎が引いている。コボルトの荒い呼吸音が耳に刺さりそうだ。  そんな男どもの視線を気にするふうもなく、スウはすっと眼を閉じて顎を軽く引き、小さく何ごとか呪を唱えた。そして、スウの体が膨張した。  そこにいたのは、橙色《だいだいいろ》の棘に覆われた一匹の怪物だった。前屈みなのに身の丈は十尺を軽く超えていた。太く長く発達した四肢、鶴嘴のような爪、突き出た耳まで広がった双眼に赤黒い膜がかかり、大きく裂けた口には灰色の牙が巨大な鋸刃のように並んでいる。棘が折り重なってできたような貌《かお》の真ん中で、その口が歪《いびつ》に嗤《わら》った。 「ス、スウ」  私は変わり果てた姿のスウに話しかけようとしたが、そこから先が続かない。言うべき言葉が見つからなかった。思わず唾を呑み込み、助けを求めるように周りを見回した。だが、誰もが目を見張ったまま動かない。凄まじい戦場騒音の吹き荒れる中、スウの周囲だけが何故か静寂に包まれた気がした。あまりの変化の凄まじさに周囲の時間が凍ったように思われた。  勿論そんなわけはない。周囲では敵味方が血みどろになって殴り合うように戦っている。証拠に、敵の矢が次々と降り注いでいる。スウだった怪物の頭に、高い音がして一本の征矢が立った。だが、怪物は羽虫でも払うように矢を抜き捨てると、 「わたしが敵の槍に隙を作るから、ちゃんと前に出てよね」  神聖な静謐を破る甲高くよく通る声だった。紛れもなくスウの声だ。頼むから、そんな悍《おぞ》ましい怪物の口から可愛らしい声を出さないでくれ。悪い冗談だ。 「お、おう」  私はそう答えるのが精一杯。怪物、いやスウは敵のほうを向き、跳躍しようと体を撓《たわ》めた。全身の筋肉が緊張する気配が私のところまで伝わってきた。その貌は、どこから喰い荒らすか見定めているようだった。  その時、異変が起こった。さっきまでスケルトン重槍兵と叩き合っていた敵兵の槍の林が見る間に崩れ、杣人《そまびと》の斧で倒れるように、敵の槍がてんでばらばらに地に転がった。敵が鎧の押付を見せて、悲鳴を上げながら逃げ散っていくのが見えた。  左右に目を向けると、敵の騎兵が小魚の群のように引き退いていく最中だった。私は、自分の上に折り重なっている楯を押しのけて立ち上がった。  総崩れ寸前だったスケルトンの防衛線が突然動きを止め、虚ろな眼窩がただ前方を見つめている。 「何があった」  私は怒鳴った。だが、誰も答えなかったので、もう一度私は声を張り上げた。 「敵が逃げ出しておるようで」  龍牙兵の一人が、自信なさそうな声で答えた。それくらい見ればわかる。私は苛立ちを露にするのを何とか抑え込んだ。 「えっと、わたしはどうすればいいのかな」  怪物の姿のまま、スウが所在なさげにぼそりと呟いた。  私は龍牙兵に向かい、 「全員を急ぎ搔き集めよ、中隊長以上は私の許へ」  だが、私が下知するまでもなく、兵たちが私の周囲に集まってきた。一人のスケルトン兵が私に近寄ってきた。右の袖の代わりに杏葉《ぎょうよう》の金具をつけていて、弓兵だと知れた。 「どうした、汝は、確か」 「グズリでござる、殿」 「おお、そうだった。中隊長のラズロはどうした」 「中隊長は討ち死にいたした。生き残りの中ではそれがしが先任ゆえ」 「そうか、逝ったか」 「見事な最期でござった」  死んだのはラズロだけではなかった。二中隊長のコルテと四中隊長のワッグも乱戦の中で討たれていた。  他の者もひどい有様で、私は打ちのめされて暗澹とした気分になった。 「指揮官は全員集まったようだ」  クルーガが、低い声で私に告げた。 「うむ、敵が何故退いたか、わかる者はいるか」  だが、誰もが無言だった。ただ、私の下知を待っているように見えた。  やがて、バイラが身を乗り出し、 「下手な考えは何とやらと申す。それより、逃げた敵を追撃いたそうか」 「いや、敵が後退した理由もわからず深追いするのは危険だ」 「ならば、関所の戦闘に加勢なされるか」  冗談ではない、この状況でよく言えたものだ。私はミノタウロスを睨んだが、その目の奥に疲労を見て、言葉を呑み込んだ。こ奴の言い分にも一理ある。  私は東を見た。そこではまだ火矢が飛び交い法撃の爆発が夜空を照らしていて、戦闘が続いていることを示している。やはり、無理をしてでも関所正面の戦場へ向かうべきであろうか。状況不明の際は最も手近な敵へ攻め懸かれ、という言葉もある。  右の上膊《じょうはく》に巻いた包帯も痛々しい工兵中隊長のアツラが、怖々《おずおず》と左手を上げた。 「敵の後詰の前進を禦《ふせ》ぐのが我らが役目のはず。退いたとはいえ、敵の意図が不明な以上、軽々しく動くのは如何《いかが》でござろうか」  私は迷った。動くべきか。それとも、状況がわかるまで現在地を確保すべきでないのか。私は迷いに迷い、やがて考えるのを止めた。私は面具を剥がすように取って、肺一杯に新鮮な空気を吸う。やっと心が落ち着いた。私は晴れ晴れとした顔で周りを見回した。皆が私の言葉を待っている。 「この街道を抑えておる限り我らの負けはない。守りを固め、この地を死守せん」  私は自分の決断を励ますように大声で皆に告げた。白状すれば、私は疲れ果てていて、もう一歩も動きたくなかった。  私は、残兵を集めて方陣を組ませた。いつ敵が再び攻め寄せてくるかわからなかったからだ。  四辺にスケルトン重槍兵を並べ、その外周に弓兵と弩兵を配した。私は、ミュルミドン兵と手負いの者とともに方陣の中に位置し、方陣の四つの頂点にはモスマンを置いた。  やがて、サイアスが率いる法兵群が合流したので、彼らも四つに分けて方陣の頂点に配置した。もはや打物衆は憐れなほど消耗していて、彼らの法撃力が頼りだった。  方陣の周囲では、コボルトらが地に落ちた矢を拾い集めている。誰にも言わなかったが、もう一度本格的な攻撃を受けたら持ち堪えられる自信がなかった。私は非常に緊張していたので、血と肉の焦げる臭いも気にならなかった。  兵たちは、それぞれ前を見据えて動かない。隣で龍牙兵が息を潜め、兜の庇越しに血走った両目を盛んに動かして前方の闇の奥から何かを探し出そうとしている。 「とにかく、状況が掴めぬと動きようがない」  私は腕を組んだ。 「モラスよ。何か見えるか」  アルゴスのモラスは首を振り、 「戦場は彼我混乱しております。それがしには何とも。ただ、西側の敵はひたすらに西へ動いてるようで」  肝心なときに役に立たぬ奴め。私は疲れ果てていて、思わず情け無いことを考えた。 「物見を出しますか」  バイラが囁くように言う。 「いや、戦力を分散するのはよろしくない」  我が軍は半数近くが討たれていた。これ以上戦力を散らす気にはなれなかった。 「私が見てこようか」  変化を解き、鎧を着たスウが能天気に言う。 「うむ」  私は思案に暮れた。スウを出すにしても、どこへ向かわせるべきか。 「まずは、逃げた敵の企図を探らねばならぬ」  方陣の中には、逃げ遅れた敵の兵を十ばかり転がしてある。だが、いずれも雑兵で、尋いても怯えて要領の得ない答えが返ってくるばかりだった。偽装退却なのか、それとも再編成して攻めを反復してくるのか。だが、真相はがっかりするくらい簡単に判明した。  方陣の西面の兵たちに僅かに動揺が走った。 「どうした」  私は、足音を忍ばせて一中隊長のウフドの傍に寄り、彼の肩越しに訊いた。 「前方から微かに足音が」  ウフドが前方に目を凝らしたまま言った。 「何」  私には聞こえない。横からクルーガが顔を出し、 「確かにこちらへ向かっている」  目を閉じて囁いた。 「数は」 「一騎、しかも様子がおかしい。脚の運びは騎馬に似ているが、あれは蹄の音ではない」 「面妖な」  バイラが私を庇うように身を乗り出してきて、 「殿は方陣の中央に。龍牙兵とミュルミドンは殿の周りに人垣を作れ。クルーガよ、殿を任せた」  そのまま方陣の外に出て見得を切るように大身槍を一振りすると、闇の奥を睨んで路上に立った。  やがて、微かな星明りを受けて、駆けてくる影が見えてきた。 「おお、あれは」  誰かが声を漏らした。あれは馬ではない。スフィンクスだ。鎌刃の前立を立てた兜から風を受けて流れる長い金髪が見えた。  スフィンクス襲撃騎兵はこちらを認めると、大きく手を振った。  それに応えてバイラも槍を掲げて左右に振る。私はその光景を見て涙が出そうになった。 「迂闊だった。スフィンクスの足音を失念するとは」  クルーガが恥ずかしそうに呻いた。だが、それも仕方ない。私だってスフィンクス騎兵がここに馳せてくるとは夢にも思っていなかった。  そんな私たちの思いも他所に、スフィンクスは滑るように方陣の内に入ってきた。騎兵中隊の副中隊長を任されているシャイラだ。自慢の山吹色の毛並みが血と泥に汚れ、ところどころ焦げた跡もあった。 「殿様」  荒い息もそのままに、シャイラは面を外して私に微笑んだ。顔も返り血を浴び、なかなか壮絶な笑顔だ。 「無事だったか」  尋いた後で、口巻近くで折り取られた矢が板袖に立っていることに気づいた。 「疵は大事ないか」 「ええ、掠り疵です」  シャイラは平気な顔で答えた。負傷の苦痛など屁でもないと誇っているようだった。 「ミレネスは、皆は無事か」 「はい、何名か手負いましたが、皆、浅手でございます」 「そうか」  思わず笑みが零《こぼ》れた。久々にいい報せだった。 「それで、御報告したいことが」 「おお、すまん」  私はばつが悪くなり、顔を引き締めた。いかん、軽々しく喜びすぎた。 「はい、中隊は敵の小荷駄を追尾して、殿の御指図通り段列を発見、これを襲撃いたしました」  私は西に目を向けた。遠くに松明や篝ではない大きな火が見えた。私は間抜けにも町家の灯りだと思っていたが。 「では、あの火は汝らか」 「はい」 「おお、でかした」  私は思わず大声を上げそうになった。シャイラははにかむように笑い、 「その後、東に戦火を見て、御加勢|仕《つかまつ》らんと馳せ寄る途上、街道上を西へ走る騎馬十騎ばかりと遭遇戦になり」 「ふむ」 「これを追い散らし、うち一人を擒《とりこ》にいたしました。中隊主力はこちらへ向かっております。私は中隊長の命で先駆けして一足早くこちらへ」 「来る途中、異変はなかったか」  シャイラは少し考えるふうだったが、 「はい。街道沿いをばらばらに西へ進む敵兵の群と行き会いました」 「肝太いことを。その中を単騎で駆け抜けて参ったか」  私は、呆れ返ってシャイラを見上げた。 「闇夜で私の姿もよく見えなかったのでありましょう。それより、一刻も早う殿の許へ参らねばと思い、一心に駆けて参ったのです」 「殊勝な物言いをするわ」  私は思わず苦笑を漏らした。 「それで、ミレネスたちもこちらへ駆けておるのだな」 「もうすぐ参ると存じます」  そう言って、金髪のスフィンクスは西に顔を向けて鼻をひくつかせた。  それからほとんど待つまでもなく、大勢の足音がひたひたと響いてきた。漆黒のスフィンクスを先頭に、三十騎ばかりのスフィンクス騎兵が闇の中を素晴らしい速さで駆けてくるのが見えた。ようやく西側からの脅威が除かれたことを確信した私は、彼女たちを出迎えるために方陣の外に出た。 「殿様」  全身から血の臭いを漂わせたミレネスが誇らしげに私を見下ろしている。 「間に合うたようでございますわね」 「うむ、まあな」  私は強がって口角を歪めた。 「ここに来る途中、敵と行き交わなかったか」 「はい、血路を開こうと突き懸かりましたが、ほとんどの敵が得物も持たず、私たちを見ても逃げるばかりなので、途中から捨て置いて真っ直ぐ駆けて参りましたわ」 「そうか」  私は内心大きく安堵した。敵は組織的な後退ではなく、無秩序な敗走をしていると信じて間違いないようだった。それから、ふとミレネスの獅身の背に目を留めた。そこには、見事な鎧の武者が、身体をくの字にして俯《うつぶせ》せに横たわっている。 「それが擒《とりこ》か」 「はい、敵の動きを知るには生虜《せいりょ》が一番ですわ。それも高位の者こそ望ましうございましょう」 「おう、でかした」  ミレネスが大きく身震いして捕虜を放り出した。彼は力なく地に転がった。どうやら目を回しているようだった。 「暴れるので、頭を殴っておきましたわ」  駆け寄ったコボルトらが、その不幸な武者を後ろ手に縛り上げた。  兜こそ失われていたが、萌黄縅の腹巻の上に文錦《ぶんきん》の胴服を羽織り、一目で華冑の家の者と知れた。驚くほど年が若い。まだ二十代後半か三十代前半で、背が高く、髪も髭も茶色。思慮深そうな顔をしているが、白目を剥いていて台無しになっていた。 「高位の者らしいが、何者でござろうか」  その顔を覗き込み、バイラが誰に問うとでもなく呟いた。  方陣の中へ引き摺っていって捕虜に首実検させたが、誰も答えようとしない。 「目が覚めると面倒だ。舌など噛まぬよう、猿轡を強《き》つくしておけ」  私はそれだけ言うと、再び方陣の中央に戻った。  ほどなくして、東の空が白み始めてきた。払暁の薄明かりの中、私は自分たちが夥しい死者に囲まれていることを知った。頭や肩を割られた者、征矢を何本も突き立てられた者、四肢を失った者、腹を裂かれて広がった臓物に身を浸すように力尽きた馬も見えた。砕けて崩れ落ちたスケルトン、下半身を失ったミュルミドン、他にも私の兵たちが大勢横たわっている。だが、我が方の戦死者よりはるかに多くの敵兵が躯を晒しているようだった。 「だいたい読めてきた」  クルーガが、死者たちを眺めながら静かに言った。 「何がだ」 「恐らく、敵は我らを攻め倦《あぐ》ねるうちに、段列を焼かれたことで挟撃される恐怖に駆られたのだ」 「ふむ」  干飯《ほしい》を齧りながら耳を立てていたバイラが、 「ならば、危地は去ったということでござるか」 「今のところはな。だが、油断すまい。まだ戦は終わっておらぬ」  私は、スフィンクスを物見を出そうかと、東に顔を向けた。その時、私は信じられないものを見た。  砂塵の向こうから、一人の男が現れた。兜も被らず、得物も持たず、指物も失い、ただ着ている鎧から士分の者のように見受けられた。彼は、ただひたすらこちらへ向かって駆けてくる。水色の袖印から、敵兵であることだけはわかった。  最初、私は男が発狂しているのかと思った。たった一人で我が軍に組討《くみうち》でも挑む積りなのか。だが、男はスケルトンの槍先で急に止まると、大声で喚いた。 「た、助け候《そうらえ》」  驚く私たちが顔を見合わせていると、更に数名の敵兵が現れた。 「助け候《そうらえ》、何卒、命ばかりは」  彼らも声を揃えて喚き出した。  その後から、水色地の四半旗を差した騎馬の者が駆けてきて叫んだ。 「助け候《そうらえ》」  それから、続々と敵兵が現れた。徒歩《かち》の者もいれば騎馬の者もいた。足白もいれば、立派な鎧の者もいた。ゴブリンやエルフもいた。皆が口を揃えて、 「助け候《そうらえ》」  と叫びながら、私たちを取り囲んだ。  やがて、整然と隊列を組んだ騎馬の一隊が、群衆を押し分けるように進んできた。私はその先頭に銀の烏帽子兜の男を見て、思わず声を上げた。 「クタール殿」  その頃になってやっと、私は喉が嗄《か》れていることに気づいた。騎馬の列の後ろにヴリト以下牢人衆の姿も見えた。ヴリトが私に向かって凄味のある笑顔で手を振っている。  クタールは、馬から飛び降りると一直線に私のところまで歩いてきて、いきなり鎧をぶつけるように私に抱き着き、 「よう御無事でござった」  それから私の背をばんばんと叩いた。このような振る舞いは趣味でないので、私は大いに閉口した。 「そちらも御無事で何より」  呻くように答えると、クタールはようやく抱擁を解き、 「うむ、夜が明けた途端に敵は浮足立ち、やがて雪崩を打って逃げ出し始めよってな。どうやら後詰をゼキ殿に殲滅されたことで、包囲されると思ったらしい」 「大袈裟な。押し止めるのが精一杯でござったわ」  言ってから、己れの迂闊を責めた。手柄亡者の横行する戦場で謙遜は美徳より損になることが多い。豪快に笑って戦誇《いくさほこ》りすべきだったか。  だが、地を覆う死骸を見回したクタールは、感じ入った顔で私を見ながら、 「ゼキ殿はなかなかに奥床しいお方でござるな」  二度三度と頷いた。 「はあ」 「さて、この捕囚どもをいかがいたそう。五、六百はいるが」  すでに、ヴリトら牢人衆が嬉々として彼らの鎧を剥ぎ始めている。 「全てお預けいたそう。夜通し働いて眠くていかぬ故」  冗談だと思ったのか、クタールが大口を開けて笑い出した。私も付き合って力なく笑っていたが、ふと、ミレネスが捕まえた捕虜を思い出し、 「そうだ、こちらも何人か捕まえてござる。王国の軍法に詳しくない故、引き取っていただければ有難い」  コボルトらに引き出すように命じ、 「どうも一人、偉そうな者がおりましてな」  萌黄縅の腹巻の男に顎をしゃくった。男はすでに目が覚めていて、恨みがましい目で私たちを睨んでいる。 「ふむ」  クタールは露店の野菜でも見定めるような目で眺めていたが、突然、ひっと息を吸い、 「こ、これは、敵の大将バトラ伯でござるぞ」  と声を絞り出した。それから、私の鎧の袖を叩き、 「武功一等でござるぞ。流石は魔群の将でござるな」  まるで我がことのように嬉しそうに言った。だが、私は困憊しきっていたので、心の底からどうでもよかった。 「ふむ、ではこれもクタール殿にお譲りいたそう」 「いや、生命を救うてもろうた上にこのような大手柄を譲られるなど、それがしの一分が立ち申さぬ。必ず、殿下にはゼキ殿の手柄と言上いたすでござろう」  そう言って供の者に命じ、哀れなバトラ伯を縛り上げたまま自分の馬の鞍前に俯《うつぶ》せに横たえさせ、楽しそうにその尻を掌で叩いた。意外にいい音がして、私はバトラ伯に一層同情した。  クタールが捕虜たちを連れて関所に戻るのを見送りながら、 「これで、一応は勝ったということでよいのか」  私は独り言のように呟いた。 「そのようでござるな」  自信がないのか、横に立つバイラも不安そうに答えた。 「しかし、我が方も痛手だ」  陣を解いて戦場の後始末をしている部下たちを眺めた。牢人衆が敵の死骸から得物や具足を漁っていて、時折歓声のような声が上がっている。後方に下がらせていた陣夫どもまで姿を見せていた。 「だが、敵も主力である第七師団が敗走、戦は俄然こちらが優位に」 「本当にそう思っているのか」  バイラは答えず、ただ憤《ふん》と勢いよく鼻息を吹いた。 「やはり、ここは喜ぶべきなのだろうな」  その時、関所のほうから勝鬨の叫びが遠雷のようにここまで伝わってきた。 「そうですな、まずはお喜びあれ」  だが、ミノタウロスの言葉には微塵の喜色もなかった。 「殿、まずは飯でも召されよ」  ふいに、バイラがぼそりと言った。見上げると、ミノタウロスが立ちながら干飯《ほしい》を口一杯に頬張っている。 「何を」  思わず苦笑が漏れたが、私も急に空腹を覚えた。 「いや、汝の申す通りだ。今のうちに食ろうておこう」  私も腰の袋から、竹葉で包まれた腰兵糧を掴み出そうとした。  その時、ふいに足許の影が浮き上がった。 「殿」  シャドウ・デーモンのジニウだ。 「おお、如何した」 「ハヤギ村の包帯所が襲われてござる」 「え」  私は全身の血が凍りつくかと思った。 「如何《いか》なることか。汝ら、敵の浸透を許したか」  バイラが飯の粒を飛ばした。 「我ら、森を抜けようとする敵の乱波と鉢合《はちあい》になり、その際に、敵の一部が村の包帯所を襲うたものと」 「それで、敵の数は」  私は、バイラを手で押し止め、ジニウに訊いた。 「およそ五十ばかり。粗方は捕殺してござる」 「こちらの被害は」 「討死が七」 「むう」  私は唸り声を上げた。  シャドウ・デーモンは優秀な乱波だ。物見や焼働《やきばたらき》などの後方攪乱に長けている。だが、正面戦闘では脆い。やはり彼らのみに翼の警戒を任せたのは失敗だったか。私は己れの失策に思わず歯噛みした。 「それで包帯所は、テラーニャは」 「それが」  ジニウが口ごもった。 「早う申せ」 「テラーニャ殿が深手を負われ、村の小屋に臥して」  ジニウが言い終わらないうちに、私は村に向かって駆け出した。  自分では物凄い勢いで駆けていると思っていた。跳ねる鎧の重さも苦にならなかった。法撃で抉られた地面も畔も障害にはならなかった。私は全身が発条《ばね》になったように駆けた。だが、それは私がそう思っていただけで、すぐバイラが追いついてきて、 「殿、ミレネスの背にお乗りあれ。そのほうが早い」  私が答える前に慈悲もなく私の身体を担ぎ上げ、ミレネスの背に放り投げた。現実は峻厳《しゅんげん》だ。 「しっかりお掴まりになって」  答えも待たずにミレネスは速度を上げた。私は振り落とされぬようミレネスにしがみついた。  ハヤギ村の陣地はほとんど燃え落ちていて、残っている家屋は少なかった。そのうちの一軒の前で、私たちの姿を認めてザラマンダーが手を振っている。  ミレネスの背から転がり落ちるように降りた私に、ザラマンダーのハリルが背を丸め、 「申し訳ござらぬ。怪我人を庇おうとテラーニャ殿が」  私は手を上げてハリルの言葉を制した。 「テラーニャは」 「この中に」  小屋に入ろうとする私の前に、ハリルが慌てて立ち塞がった。 「今、ミニエが手当しております。今暫くお待ちを」 「黙れ」  私は押し殺した声で言って、小屋の中へ入った。  納屋だった小屋の中は薄暗く、埃と血の臭いがした。土間に板戸が敷かれ、変化を解いて人の姿のテラーニャが、打掛をかけられて横たわっていた。 「テラーニャ」  入ったときの勢いのまま近寄ろうとして、ラミアのミニエに止められた。 「お静かに、今やっと落ち着いたところです」  私は忍び足でテラーニャの枕元に膝をついた。  血の気の失せた青白い貌《かお》のテラーニャが眩しそうに私を見上げる。 「殿様、戦はどうなりました」 「うむ、まずは勝ったようだ」 「ようだ、とは心細いことを」  テラーニャは笑おうとして苦しそうに咳き込んだ。 「おい、無理をするな」  それから私はミニエに向き、 「疵の具合は」 「変化を解いたので疵は消えております。しかし」  ミニエはそこで言葉を切り、悲しそうに顔を伏せた。私は腸《はらわた》が溶け落ちたような気がした。 「殿様、お嘆きになられますな。戦場《いくさば》での手負い討死は当たり前のこと」  テラーニャが寂しそうに微笑んだ。私はテラーニャの顔を見つめたまま、 「ミニエ」 「はい」 「二人にしてくれ」  ミニエは答えず、ただ一礼して出て行った。  私は兜を脱ぎ身を乗り出して、打掛の下から伸ばしたテラーニャの手を両手で握り締めた。 「主様」 「逝くな、お前に逝かれては困る」 「ふふ、勿体ないお言葉ですこと」 「このようになるなら、もっとお前に優しくしておればよかった。許せ」  涙が溢れ、視界が滲んできた。 「いいえ、妾は主様に優しくしていただきました。テラーニャは幸せでございました」  やめろ、そんなことを言うな。 「主様、覚えておいででしょうか。二人で初めて湯浴みしたときのことを」 「うむ、よう覚えているぞ。二人して湯脈を掘り当てて、仲良く湯に浸かったのう」 「あい。あの時、主様は本当に臭うございました」 「はは、そうか、臭かったか」  私は泣きながら笑おうとした。うまく笑えればよかったのだが。 「ええ、鼻が曲がりそうでした。とんでもないところに呼ばれたと思いました」 「それは申し訳ないことをした。だが、あれから出来る限り毎日風呂に入っているぞ。下巻も努めて毎日替えておる」 「ええ、存じていますとも」  テラーニャがか細い笑みを浮かべた。 「黒龍の、ヤマタの洞に入ったことを覚えておるか」 「あい、よう覚えていますとも」 「あの時、お前とバイラは無茶をしおって」 「あの時の主様の背中がどうにも心細くて、つい後を尾いていってしまいました」 「そうか、心細かったか」  涙が止まらない。テラーニャの声が擦《かす》れ、手の力が少しずつ抜けていくのを感じた。 「そうだ、二人で初めて酒を嘗めたことを覚えているか」  話し続けなければ、テラーニャの魂が抜け出してしまいそうに感じた。 「あい」  だが、テラーニャはそれだけ言って、黙り込んでしまった。 「おい、テラーニャ」 「少し草臥《くたび》れました」  テラーニャの眼がゆっくりと閉じられた。 「おい、眠るな。眼を開けよ」 「出来ればもう一度、主様の生き血を頂きとうございました」  瞑目したまま、テラーニャがぽつりと小さく呟いた。 「う、うむ、血だな。待っておれ」  私は周章《あわ》てふためいて帯を解き、鎧の紐を緩めて胴鎧を脱ぎ捨てた。耳障りな金属音が狭い小屋に響いた。私は鎧下の襟元を寛げ、 「ほれ、血だ。私の血を吸うがよい」  テラーニャが弱々しく眼を開いた。私は打掛を剥《は》いでテラーニャの上体をそっと抱え起こしてやらねばならなかった。テラーニャは何も着ていなかった。彼女の裸身は美しかった。その細い眼が、細い肢体が、薄い胸が愛おしかった。  テラーニャの両腕を私の首に巻き、彼女の身体を抱き締めた。このような細い身体で私を支えていてくれていたとは。テラーニャの身体は冷たくて、更に私を悲しませた。 「さあ、吸え。好きなだけ吸うのだぞ」  私は彼女の身体を揺すり、呻くように乞うように言った。涙が鎧下を濡らして染みを作るのも気にならなかった。 「主、様」  テラーニャはぽつりと零すように言い、私の首筋に力無く牙を立てた。私は静かに泣きながら彼女を受け入れた。  それからどれくらい経っただろうか。まだ、テラーニャは私の首にしがみついている。心なしか、テラーニャの両腕に力が籠もり、体の奥が熱を帯びているような気がした。何故か、荒く熱い息を首筋に感じた。それがテラーニャの鼻息だと気づくのに時間はかからなかった。 「お、おい、テラーニャ」  私は出来るだけそっとテラーニャに囁きかけた。だが、テラーニャは首を微かに振るだけで、血を吸うのを止めない。いや、血を吸っているのではない。私の生命を吸っているのだ。いつの間にか、私が彼女を支えているのではなく、彼女がアラクネの膂力で私を支えていた。 「お、おい、その辺りで」  私は宥めるように言った。だが、彼女は聞いていないのか、ふんふん鼻を鳴らしてひたすらに私を貪った。  永遠に続くと思われた時間がようやく終わった。テラーニャがそっと私に巻いた腕《かいな》を解いて身体を離す。白く靭《しな》やかな裸身が桃色に染まり、細い眼が艶然と歪んでいる。その姿は、私の霞んだ目にも美しく見えた。  テラーニャは満足げに息を吐き、それからやっと我に返り、 「主様」  崩れ落ちそうな私を慌てて支えた。 「大丈夫でございますか」  大丈夫なわけあるか、死ぬかと思った、と言ってはいけない。 「う、うむ。お前は大丈夫なのか」 「申し訳ありません。つい、調子に乗って吸いすぎてしまいました」  本当にすまなさそうに眼を伏せた。 「もうお前の生命を心配しなくてもよいのか。助かったのだな、死なぬのだな」  テラーニャが僅かに眼を見開き、きょとんとした顔で私を見た。 「誰が死ぬと申されますので」 「お前だ。私はお前が死んでしまうかと」  そこで気づいた。誰もテラーニャが助からぬとも死ぬとも言ってない。ジニウも、ハリルも、ミニエも。 「妾は怪我で精が足りなくなり、寝込んだだけでございますが」  テラーニャが、怪訝そうな顔で言う。 「つまり、お前は精を使い果たして腹が減っていただけなのか」  私は確かめるように訊いた。 「そういう言い様をされては、恥ずかしうございます」  テラーニャが顔を赤らめてぷいと横を向いた。 「そうか、そうか、よかった。本当によかった」  思わず私は手を伸ばしてテラーニャを抱き締めた。だが、安堵のせいか、血を抜かれすぎたせいか、私は腰が抜けていて、傍目にはテラーニャに縋りついているようにしか見えなかったはずだ。 「あ、あの、主様」  戸惑うテラーニャの声がしたが、私は心行くまでテラーニャを抱き締めることに決めた。  ずっとこのままでいたかったが、小屋の外で部下たちが待っていることを思い出した私は、テラーニャに手伝われて苦労して鎧をつけ、テラーニャに見送られて小屋の外に出た。朝日がやけに眩しく、何故か黄色く見えた。  足が縺《もつ》れて倒れそうになるのを、駆け寄ったバイラが支えてくれた。 「殿」 「うむ、すまぬな。ちと疲れておるようだ」  それから心配そうな顔の皆を見回し、 「副官はもう大丈夫だ。少し寝かせておけば回復するであろう」  ミニエが何か悟ったのか、思わせ振りににたりと笑った。私は敢えて無視することにした。 「こちらの被害は」  私は努めて気を張って尋いた。  ハリルが一歩前に出て、 「クレイ・ゴーレム三名、それに小屋に寝かせていた手負いのミュルミドン一名とコボルト三名、手当を受けていた捕虜のドワーフ二名が敵の刃にかかり落命いたした」 「なんと、敵は怪我人を襲うたか」  私は思わず声を荒げた。それも敵味方見境なく襲うとは。 「テラーニャ殿は怪我人を庇おうと敵の前に立ち塞がり」  無念そうに顔を歪めた。 「それがしらがもっと早う駆けつけておれば」 「よい、汝に責《せめ》はない」  これも翼の警戒を軽んじた私のせいだ。  私は忌々しげに首を振った。その時初めて、村の広場に死骸が雑に並べられているのを見た。 「あれは」 「敵の乱波でござる」  私は死体の列に歩み寄った。凄まじい力で引き裂かれた死体の中に、焼け爛れた死体もあった。ザラマンダーの焔に焼かれたのだろう。鉄錆と肉の焦げた強い臭いが私の鼻孔を突いた。 「これで全てか」 「他に生け擒《どり》した者が」  ハリルが手を上げると、同輩のザラマンダーが縛り上げた捕虜二名を担いできて、乱暴に地面に転がした。  人間の男とエルフの女だ。二人とも夜討に似合わぬ派手な鎧下の小具足姿で、女は頭を殴られたか、流れた血で見事な金髪が赤黒く固まっている。 「汝《うぬ》らは何者だ。名乗れ」  自分でも驚くほど冷たい声で私は尋いた。だが、やはり二人は答えない。ただ転がされた姿勢のまま、黙って私を見上げるばかりだ。二人ともまだ若い。その目の奥に尋常ならざる憎悪を見て、私は思わず狼狽した。どうしよう。拷問《いたぶり》など私の趣味ではないのだが。 「冒険者だな」  声に振り向くと、いつの間にかクルーガが死体の一つの前で膝をついていた。その手に、冒険者を示す鑑札が握られていた。  その横でバイラが死体を見回し、 「鎧を脱ぎ、素肌で森を抜けようとしてシャドウ・デーモンと戦になり、一部がこちらへ迂回してたまたま包帯所に行き当たったのでござろう」  胴鎧を脱いだのは、迅速かつ隠密に森を抜けるためだろう。 「第七師団に加勢する冒険者どもか」  合印もつけていないところが、如何にも不正規兵らしい。  私は二人の前に折敷いて、 「冒険者か」  確かめるように訊いた。男が覚悟を決めたのだろう。 「魔物の大将か」  憎々しげな口調だった。 「冒険者組合はお前の首に賞金をかけた。いずれ、道々の輩《ともがら》がお前の首を狙って押し寄せてくるぞ」 「なるほど、私の首が欲しくて参陣したか」  思わず大きな溜息が出た。 「ならば何故包帯所を襲った。しかも敵味方問わず怪我人を襲うとは」 「ふん、魔物に助けられるなど、生きておる甲斐もないわ」 「なんと身勝手な」  名状し難い怒りが込み上げてきた。  どうしてくれようと思い巡らしていると、遠くから蹄の音が轟いてきて、私は振り返った。騎馬の群がこちらへ速足で駆けてくる。先頭は水牛角の脇立の兜を被り、続く大柄な武者は法輪の前立をしている。グラウスとオークのエギンだ。二人してこちらに大きく手を振っている。  私も立ち上がり、浮かぬ顔で手を上げて二人に応えた。  グラウスが馬から降り、 「ハヤギ村へ参られたと聞き及び申したので」 「うむ、包帯所が襲われてな」  グラウスとエギンは顔を見合わせ、 「それはお気の毒な」  こちらで警護の兵を出そうかと言うのを、 「いや、お構いあるな。それより、敵の兵も手当している。これをお引き取り願いたい。それと、我が方の負傷兵を根小屋へ運ぶ手筈を」 「心得申しました」  エギンが、周囲で働いている陣夫を呼びに歩き去った。すでに村にはクタールの手の者らが少しずつ入ってきていて、戦死者の回収と陣地の復旧に取り掛かっている。 「それで、この者らは」  グラウスが捕虜の二人に顎をしゃくった。 「敵に雇われた乱波でござる。合印もつけておらぬ故、斬り捨ててもよいが」 「ふむ」  グラウスが品定めするような目で二人を見た。二人の顔が僅かに明るくなった。魔物の擒《とりこ》になるより希みがあると思ったのだろう。甘いわ、痴れ者どもめ。 「王国の軍法では生虜の扱いはどうなっておられるのか」  聞いてはいたが、一応は確かめるために尋ねた。 「全て斬り捨てるわけにも参らぬ故、出入りの口入屋《くにゅうや》に売り払うことになっており申す」 「その後は」 「それは本人の器量と口入屋《くにゅうや》次第。大抵は奴婢として村の下人雑人に落としますが」  それからエルフの娘の顔を見て、 「これほどの美形ならば、遊女屋に高う売れましょう」  そう言って私の顔を見て、 「こちらで引き取りまするか。無論、代金は後程お届けいたす」 「いや、手負を見境なく襲う外道でござる。こちらで処断を」 「でござるか」  グラウスは興味を失くしたように捕虜二人から視線を外し、陣地を検分して参る、と言い残して去って行ってしまった。 「ねえ」  振り返ると、スウが立っていた。 「これ、どうするの」  私に向かって、結晶石を見せた。破壊されたクレイ・ゴーレムのものだ。 「敵に魔導士がおり、魔法攻撃の直撃を受け」  ハリルが無念そうに言う。  クルーガが結晶石を手に取って、しばらく眺めていたが、 「破損が酷い。それに、軍の規格品なので修理は無理だ」 「そうか」  クレイ・ゴーレムらとの付き合いは長かった。血を抜かれすぎて気弱になっていたのか、思わず涙が滲んだ。 「なら、わたしが貰っていいかな」  スウが訊く。 「何の役にも立たぬぞ」 「綺麗じゃない。手土産くらい持って帰らないとね」  三個の壊れた結晶石を受け取って、腰の袋に入れながら、 「それにね、うちのニド姉たちなら直せるかもしれない」 「直せるのか」 「わたしは専門じゃないから、よくわからないけどね」  可能性があるなら、託すべきだろう。 「ねえ、名は何ていうの」 「何の名前だ」 「この子たちの名前」  クレイ・ゴーレムたちの名を尋いているのだと気づいた。 「ああ、グスタフ、ドーラ、カールだ」  スウはその名を憶えようと、何度も口の中で唱えた。 「これから如何《いかが》なさる」  バイラが周囲を見回しながら訊いた。 「陣屋に戻って再編成だ。その前に、まずイビラスに戦況報告せねばならぬか。戦とは忙《せわ》しいことよ」  私は膝に力を込めて、一同を見回した。 「よいか、まだ戦は終わっておらぬ。気を抜くこと勿《なか》れ」  大声で呼ばわった。一番気が抜けそうなのが私なのは黙っておくことにした。  イビラス公と彼の幕僚たちは、第七師団の法撃で徹底的に破壊された面番所と広場を挟んで反対側にある小番屋に黒地に金の半月の戦旗を掲げていた。小番屋は茅葺《かやぶき》の屋根や塗壁に穴があき、柱に焦げた跡があったが、それでも関所で最も原型を保っていた。  私がクルーガとグラウスを連れて小番屋を訪れると、歩哨の休息所で待機していたらしい武者が飛び出してきた。 「イビラス公殿下に御用があって参った」 「どうぞ、こちらへ」  彼は妙に慇懃な態度で私たちを中へ促した。  矢避けの幕を潜って中へ入ると、そこにはイビラスの次男ザルクスが、老臣カルドを脇に控えさせ、上座で居心地悪そうに床几に腰を据えていた。この青年は、七尺近い巨体を赤糸で縅した真新しい黒塗の桶側胴で包み、殊勝にも日輪の前立の頭成兜を被っていた。  私たちは児小姓に勧められて床几に尻を落とすと、 「戦況報告に参上いたした」  できるだけ柔らかい物腰で述べた。ザルクスが兜をつけたままなので、私も兜を脱げない。それが私の神経を微かにささくれさせた。だが、ザルクスはそんな私の気分など気にも留めず、 「ゼキ殿の働き、まことに天晴でござった」  齢に似合わぬ野太い声だ。 (若年の癖に世辞を申すわ。片腹痛し)  そう思ったが、実年齢では私のほうがずっと年下だった。それに、鷹揚な若者特有の曇りのない笑顔を見て考えを改めた。どうやらこの若者は、本気で私を賞賛しているらしいと気づき、少し尻が痒くなった。 「特に、敵の大将バトラ伯を生捕りたること、まさしく昨夜の合戦の武功第一」 「はあ」  巨漢が興奮に顔を赤らめて私を見ている。その目に私への憧憬を見て、私は些か気持ち悪くなってきた。後ろでクルーガが小さく鼻で笑う気配がした。 「そ、それより、イビラス公殿下に御目通り願いたい」  私は一刻も早くこの若者から離れたかった。だが、ザルクスは済まなさそうに、 「父はここにはおりません」 「はて、怪《け》なること。殿下のおわすところ必ず半月の御旗あり。それを不在とは」  グラウスが口を挟んだ。  そこで私は思い至り、慄然とした。 「グラウス殿、まさか公殿下は」  青黒い顔がさらに蒼ざめさせた私を見て、グラウスの面《つら》もたちまち血の気が引いた。  私はザルクスとカルドを順に見て声を潜め、 「もしや、イビラス公殿下はお亡くなりになられたか」  二人は呆けた顔を見合わせ、それから膝を叩いて笑い出した。 「え」  太刀持ちの小姓まで笑っている。呆気にとられる私たちに、カルドが涙を拭いながら、 「いや、失礼を許されよ。大変な誤解をしておられる」  それから姿勢を正して、 「父は兄ハブレスとともに、他行いたしております。今はそれがしが関所の防備を任されている次第」  他行だと。行くならハクイしかない。まさか、ハクイの町に何かあったのか。大将を失ったとはいえ、まだ敵は一万五千を軽く上回るであろう兵力を擁している。ここを離れるなど、余程危急の用事なはずだ。押し黙って思案を巡らす私を見て気の毒に思ったのか、カルドが咳払いを一つくれ、 「昨夜随一の功者《こうしゃ》たるゼキ殿に黙っておくのは心苦しい」  それから声を低くして、 「実は、殿下は騎兵三百とともにカヤバル城に参られた」 「それ故に、獅子頭の馬印がなかったのでござるか」  グラウスが呻くように言った。 「無謀な。カヤバルには、諸侯の軍勢が続々と参陣しておるはず」  私の言葉に、カルドがにたりと笑った。 「さに非ず。実は」  そこでカルドは勿体ぶった仕草で言葉を切った。 「カヤバルに集まっておる諸侯の大半は、父に同心しておるのです」  口の重たい老人に代わってザルクスが言って、朗らかに笑った。 「え」  私は口をあんぐり開けて、ザルクスを見つけた。 「つまり、返り忠でござるか」 「左様。労せずしてカヤバルは陥ちるでござろう」  私は言葉に詰まった。だが、昨夜の第七師団の性急な夜襲も納得がいく。 「つまり、バトラ伯は諸侯の忠義を疑い、敢えて師団独力で攻め懸けたのか」  カルドが大きく頷き、 「恐らくそうでござろうな。だがバトラめ、まさか師団挙げて夜襲を仕掛けてくるなどとは、こちらも予想できるはずもなく」  本来ならば、この地で諸侯軍が寝返りを打ち、第七師団を揉み潰す予定だったという。 「まこと、ゼキ殿がおらねばどうなっていたか」  ザルクスが笑った。だが、私は呆然としていて、青年の眩しそうな笑顔も目に入らなかった。  イビラスは、その日のうちにほとんど抵抗を受けることなくカヤバルに入城、諸侯軍を糾合してそのままイドの町へ進軍した。次の日にはイドの郊外に野陣を張り、数度の小競り合いを交わした程度で、赤子に手羽先固めを掛けるように簡単にイドを掌中に収めた。その間、僅か三日。  その報せを受けたとき、私は打ち合わせと称してクタールの陣屋で茶を喫《の》んでいた。この三日間、私たちは防御部隊の再編成から陣地の修繕、補強など多忙を極めていた。それもようやく一息つき、クタールに茶を誘われたところだった。 「むう、それがしも同道しておれば」  クタールは戦陣仕立ての茶室で悔しそうに畳を拳で殴った。この男は武骨な面相に似合わず、多彩な趣味人だった。 「それでは、ここの戦普請も終わりでござるな」  私は値の張りそうな茶碗の茶を啜った。うむ、不味い。 「ゼキ殿はこれからいかがなされる」 「ふむ」  私は茶碗を眺めながら呟いた。薄紫の器の内側に大小の銀色の斑紋が浮いている。かなりの値打ち物らしいが、私には理解できなかった。 「時を待たず、殿下は王都に進軍なされるでありましょうな」  私は、言いながら茶碗を両手で注意深く置いた。誤って落としてしまっては一大事だ。クタールが大きく溜息をつき、 「ならば、いずれ我らも参陣の下知が」 「恐らくは」  私もつられて嘆息した。 「だが、私は一度泉に戻ろうと思うてござる」 「ほう」 「随分と部下を失ってしまった。補充して再編成せねばならぬ」  その言葉に、クタールが残念そうな寂しそうな顔をした。 「いや、出来るだけ早う戻る積りでござる。御懸念には及ばず」  私は慌てて言い添え、それではザルクス様に暇乞いをして参る、と席を立った。  次の日、私たちはザルクス以下僅かな者たちに見送られ、タムタの関所を後にした。数十頭の馬を贈られ、そのうち何頭かは失われたゴーレムらの代わりに荷車を牽いている。ほとんどが敵から分捕った馬で、ザルクスが好意で譲ってくれたものだ。 「阿呆らしい戦でござったな」  関所を見返しながら、バイラが呟くように零した。 「もとから勝ち戦と決まっておったのに、要らぬ苦労をした」 「そう申すな。あそこでイビラスが討たれておれば、全ては水泡であったのだ」  輓馬のガプラに跨るミノタウロスを驢馬の鞍上から見上げて私は宥めた。 「ふん、あの海千山千ならば、二の策三の策まで用意しておったでござろうよ」  バイラが不満げに鼻を鳴らした。 「しかし、これからが大変だ。王国の内紛に本格的に肩入れしてしまったのだからな」  クルーガが口を挟んできた。 「何とかなるであろうよ」  私は後ろを振り返った。まだザルクスらがこちらを見送っている。クタールやグラウス、オークのエギンの姿も見えた。だが、クルーガは私が感傷に浸る暇《いとま》も与えず、 「おまけに、王国の冒険者組合まで敵に回してしまった」  嫌なことを言った。 「まあな」  私は思わず苦笑いした。 「冒険者など、全て我が長巻の錆にしてくれるわい」  オウガのヴリトが重苦しい声で言って、肩に担いだ長巻を揺すった。  この男は私に仕官すると言い出し、半ば強引に転がり込んできたのだ。数十名の牢人までヴリトに付いてきている。 「うむ、その時は当てにしている」  私はそう言って鞍から尻を浮かせ、前衛として路上を疾駆するミレネスら騎兵中隊のスフィンクスを眺め、それから空を仰ぎ見た。モスマンらがゆっくりと遊弋しながら、周囲を警戒している。  暫く進んでいると、バイラが沈黙に耐えかねたように、 「思えば随分と遠くまで来たものよ。今はあの黴臭い迷宮が懐かしい」  ぼそりと口に出した。 「まあ、慌てて帰ることもなかろう。往きは無理をした故、帰りはゆるりと参ろうぞ」 「と、申されると」 「うむ、ハクイの東の関所に二、三日逗留して、市で米や味噌など仕入れよう」 「おお、それはよきお考え」 「じゃあ、うちの賭場にも顔を出して。ニド姉たちも喜ぶから」  スウが声をかけてきた。 「おう、それはよい。殿、是非とも参りましょうぞ。それがし、博打には一家言ありましてな」 「汝はロラに会いたいだけであろう」  私はせせら笑った。 「へえ、バイラさん、ロラ姉に気があるんだ」  スウが面白そうな顔をした。 「な、何を申す」  バイラが慌てだした。 「バイラはな、胸の巨きな女子に目がないのだ」  私の言葉に、一同がどっと沸いた。 「へえ、じゃあ、義兄上って呼ばなきゃね」 「え、いや」  バイラが困ったように首を振り、 「殿、戯れが過ぎますぞ」  顔を真っ赤にして喚いた。 「はは、済まなかったな。だが、町に会いたい者がおるのはお前だけではないぞ」 「はて、そのような者が」 「探題府には女騎士のレネイアが詰めておるはず」  私は曰く有りげに龍牙兵のミシャを見た。 「そうだな、ミシャよ」  今度はミシャが取り乱しだした。 「と、殿、それがしはレネイア殿とはまだ何も」 「まだ、とは如何《いか》なる意味であろうか」  また笑い声が上がった。 「殿も、他人の色恋沙汰などに現《うつつ》を抜かしておる場合ではないのではないか」  クルーガが、変なことを言い出した。 「クルーガよ、どういう意味だ」 「それは殿が一番よくわかっているはず」  ヴァンパイアが気味悪い笑みを浮かべた。 「え」  気がつくと、皆が私を見ている。スケルトンやミュルミドンまで。バイラが皆を代表するように、 「もしかして本気でわかっておられぬのか、それともわざと惚《ぼ》けておられるのか」  にたりと下卑た笑いを浮かべた。皆がにたにた笑いながら私を見つめている。  私は救いを求めるように後続の荷車の列に目を遣った。先頭の荷車の荷台に座るテラーニャと視線が合った。彼女が満面の笑みで大きく手を振るので、私は柄にもなく顔が赤くなった。  とまあ、私が見知っているのはこんな感じだったかな。ああ、そうだよ。タムタの関の戦では、私たちは横陣で戦ったのさ。巷の軍談では、ゼキ戦闘団は方陣を組んで第七師団の後詰を食い止めて師団長のバトラ伯を擒《とりこ》にしたと言われているそうだね。方陣を組んだのは、味方があらかた討ち取られて、進退窮まってもうこれが最後の一働きというときだ。バトラを捕まえたのもただの偶然だよ。  なに、軍学書でも私たちが方陣で戦ったことになっているのか。学者も偉そうにふんぞり返っている割にはたいしたことないな。まあ、後になって考えれば、あそこは最初から方陣で戦うべきだったとは思うがね。  ここから後は辻の講釈師が語る軍談と大きな違いはないと思う。語っても詮ないだろう。  それより、お嬢さんの話を聞きたいな、ミノタウロスの娘さん。あんたはバイラの曾々孫なんだろう。え、ライラって名前があるって。これは粗忽だった。確かに手紙にそう書いてあったな。すまなかったね、ライラさん。  そうか、あいつも随分と長生きしたものだな。ふむ、最後のほうはすっかり呆《ぼ》けて、猫を膝に乗せて一日中日向ぼっこか。  いや、失礼、あいつは色々と見掛け倒しなところがあってな、それを思い出してつい笑ってしまった。  そうか、大勢の家族に囲まれて大往生したか。なに、看取った家族親族は九十六人だって。はは、あいつらしい。あいつは常々戦場で死ぬと言っていたが、それにしても如何《いか》にもあいつらしい最期だな。そうか、幸せに逝けたか。最後の言葉が「御味方大勝利」か。うむ、それでこそバイラよ。それで、曾々爺さんの若い頃の行跡を調べて回っているのか。ご苦労な、いや感心なことだ。  さて、茶でもいかがかな。ゴブリンの遊牧民が作った磚茶《たんちゃ》というものだ。時折、市に売りに出されるので、見かけたら贖《あがな》うことにしているのさ。ゴブリンはこれに羊や馬の乳を注いで喫するそうだ。え、気持ち悪いって。まあ、確かにそうだな。  このゴブリンにも裏話があってな。当時、ゴルの荒野を仕切っていた新興のヌバキ族が、イビラス王に加勢した訳を知っているかね。亜人を差別しないイビラス王の度量に感じ入ったなんて、よく言われているような殊勝な理由じゃない。あれは、私たちがヌバキの族長、はて、何という名だったか、そうだ、カゲイという男に密使を立てて、イビラスから官符を下賜《かし》されるように色々と手を回した結果なのさ。イビラスが国王になれば、ヌバキ族はゴルの全てのゴブリン部族を差配できる。だから、ヌバキ族は必死にイビラスを支えたのだよ。おっと、喋りすぎたようだな。さあ、お茶をどうぞ。  え、ヴァンパイアが茶を嗜むのがそんなに珍しいかね。まあ生前の癖というやつだ。バイラもよく喫《の》んでいたよ。あいつは酒に滅法弱かったからな。そうか、曾々爺さんが酒を飲んでるところを見たことがなかったか。甘いものばかり食ってたって。はは、あいつらしい。  なに、それからどうなったか、だって。しつこいね、お嬢さん。そんなに知りたければ魔王軍の公開資料館にでも行ったほうがいい。ほう、もう行ったのか。それで飽き足らずに当時の人から生の話を聞きたいのか。勉強熱心だな。確かにアンデッドは生き証人に打ってつけだ。  だが、目新しい話はないと思うぞ。あれから、サーベラ王とイビラスで国を二つに割って相争い、互いに勝敗あって、一度などは迷宮を包囲されて二の丸まで押し込まれて、迷宮を枕に揃って討死にまで覚悟したこともあったな。そうして双方煮詰まってきたところに、魔王軍西部戦域軍があの荒野を越えて、イビラスに加勢したおかげでようやく決着がついたのさ。数万の大軍があの乾いた灰色の漠々《ばくばく》たる荒野を行軍して、ほとんど兵を損じなかった。あれこそ、あの戦争で行われた軍事的偉業の最たるものだ。あれに比べたら、私たちのやったことなんて道に転がる馬糞を掃除して回った程度のものだよ。  ああ、我らがゼキ戦闘団も王宮に最初に突入した部隊の一つだ。だが、軍談で言われてるような華々しいものじゃなかった。虎口《こぐち》に押し込められて、あの時も仲間が大勢死んだ。ゼキは、講釈師が張り扇を叩いて諳《そら》んじるような智将でも勇将でもなかったからな。ただ、どこにでもいるような真面目で責任感があって意地っ張りなだけの男だったよ。  え、それって褒めてるって。ああ、そうか、褒めてるのか。そうだな。私はあの男が好きだったからな。  おっと、私としたことが迂闊にも茶菓子を出すのを忘れていた。少し待ってくれ。丁度、バイラが好きそうな饅頭をたまたま買い置きしていたんだ。いや、お嬢さんに手紙を貰ったから、わざわざ市に出向いて贖《あがな》ってきたわけではないぞ。  さて、王宮を落としてサーベラ王を捕まえて、一門衆と呼ばれていた奸臣佞臣を撫で斬りにして、王国は魔王様と正式に和睦して目出度し目出度し一件落着。いや、実際は鼎の同盟との紛争が残っていたし、冒険者組合が暗躍したりと、それからも大変だったがね。だが、兎にも角にも鼎の同盟の王国側からの反攻作戦を未然に防いだことで、我らは見事に任務達成、我々も魔王様の感状を頂き、栄えある迷宮戦闘団は御役御免と相成ったわけだ。  バイラはそれを機に軍を致仕して故郷に帰り、素敵なミノタウロスの御上品を嫁に貰い、いろいろあってお嬢さんが生まれたわけだな。そのお嬢さんが巡り巡ってしがない町医者をやってる私の許を訪れるのも因果な話だ。  ああ、戦闘団で生き残った者たちは、ほとんどが魔王国に戻った。王国に残ったのは私も含めてほんの僅かさ。もうその頃には、魔族も王国に大勢移住し始めていたからね。おかげで今じゃ人と魔族や魔物が平気な顔で道を行き交っている。世界広しといえども、こんな光景が見れるのはこの国だけだろう。お陰で私もこうして一つ所でのんびりできているわけだ。  ザラマンダーのギランも残った一人だ。あいつはハクイで硝子細工の工房を始めた。今でもあいつの開いた工房は繁盛してるそうだよ。え、その首飾りの硝子細工もギランの工房で作ったやつなのか。はは、あ奴め。こんな可愛いお嬢さんの胸の谷間に収まっているとは。おっと失礼、粗相な物言いをしてしまった。  そうだ、龍牙兵の生き残りたちは全員王国に残った。人に近い外見《そとみ》だったからではないだろうか。王国の重鎮ライテン家を御存知かな。あの家の初代は龍牙兵のミシャという男だ。確か、レネイアという女騎士と夫婦《めおと》になってな。奴が戦闘団の中でも一番の出世頭だろう。  え、迷宮はどうなったかだって。戦闘団の解隊に伴って、中核の魔結晶石は停止して迷宮は自重で崩落した。いい迷宮だったが、もう軍事的価値はなかったからね。今はただ荒野に擂り鉢みたいな大きな孔《あな》が口を開けているだけさ。行くだけ骨折りというものだ。  迷宮に居食いしていた黒龍のヤマタは、その三日前に姿を消したそうだ。魔王軍のお偉方は、ヤマタを自軍に迎え入れようと色々考えてたらしいが、ヤマタはゼキを措いて主君を戴くわけにはいかぬと強情を張ってな。それで、迷宮の廃棄が決まったのを機に消えたわけだ。今頃は別れた家族を探し求めているか、どこか山奥で昼寝でもしているだろうさ。  結晶石の端末だったゼキはどうなったかって。あれも、結晶石が停止する前に姿を消したよ。アラクネのテラーニャも一緒に。軍では精霊発狂案件として処理されたはずだ。さて、どこに行ったか。私もあちこち探し回ったが、結局、会うことはできなかったな。いや、見当もつかないのかと訊かれても困る。あいつは迷宮の闇の中から生まれたからな。きっと、闇に帰ったんじゃないか。 「ダンジョン・トルーパーズ」おしまい

ブックマーク

この作品の評価

0pt

Loading...