第一章

 自我の覚醒と同時に膨大な情報が流れ込んできて、瞬時に私は自分が何者か悟った。  私は自律型根拠地設営精霊、識別番号丙三〇五六号。  地脈の龍穴に設置される、標準的な量産型中規模拠点精霊だ。  勤勉な私は、迷うことなく記憶野から自分に課せられた任務を閲覧した。  命令:貴精霊は当該地域において地下防御陣地を構築し、敵軍の攻撃を可能な限り阻止せよ。敵の本格的な攻撃開始予想時期は約三万五千時間後。三万時間以内に陣地を概成せよ。  これが私の存在意義らしかった。  続いて私は与えられた地誌情報を確認する。  私が設置された場所は、まばらに広がる地脈の細い流れの末端にあった。龍穴も小規模で、汲み取れる魔素《マナ》はたかが知れている。道理で後方への魔力供給機能が削除されている筈だ。どうやら私は魔力供給源としては期待されていないらしい。私は軽い失望を覚え、慌ててそれを打ち消した。私は拠点精霊。私に感情はない。  私は気を取り直して意識野を拡大した。頭上一面に荒野が広がっている。私が配置されたのは、『鼎《かなえ》の同盟』と称する、人間、エルフ、ドワーフの三族神聖連合に加盟するエルメア王国、その東の辺境の半乾燥気候の荒原地帯らしかった。夏の暑熱と冬の寒冷の差が著しく、植生は僅かで樹木は一本もない。それ故だろうか、ほとんど開発もなされていない。  最も近い街道まで北に十里、知的種族の棲息地までは北西に二十里以上ある。私は仮にこれらを一〇一番街道、二〇一番村落と名付けた。それ以外に、人工物らしいものは何も見つからない不毛な無人地帯である。つまり、この地域の戦略的価値は高くない、というより低い。最も低いと書いて最低である。友軍情報によれば、この戦区に配された我が軍は私だけらしかった。私は再び失望を味わい、そして何とか努力して否定した。私は感情を持たない拠点精霊であるからだ。  私は真面目で勤勉な精霊なので、任務は果たさなければならない。  私が閲覧を許された戦略情報は多くはない。その限られた情報によれば、エルメア王国は先年の我が軍の攻勢と焦土戦により、前国王が戦死し国土は荒廃に帰した。今は同盟国の支援を受けて軍を再建している最中だ。我が軍の情報軍の分析によれば、エルメア王国軍の反攻は約三万五千時間後、一〇一番道沿いが敵の支作戦正面の一つになる公算が高いという。  漸《ようや》く、私は自分の作戦上の地位を認識した。私は友軍の防衛準備か攻勢開始までの時間稼ぎの遅滞陣地なのだ。平たく言えば、こんなど田舎のど辺境の地で、孤立無援で、敵軍を可能な限り引き付けて捨奸《すてかん》せいといわれているのだ。  巫山戯《ふざけ》るなよ司令部の馬鹿野郎どもめ、お前ら全員死んでしまえ、なんて思ってはいけない。拠点精霊に感情はない。  当面、転移魔法でできた地中深くの小さな空間に置かれた私の拠点は、私自身である魔結晶石、魔素を魔力に精製する魔力炉と召喚門しかない。その召喚門の奥で影が蠢いているのを私は感じた。  門といっても門柱も門扉もない。でこぼこの床(それを床と呼んでよいのなら)に引かれた魔法円に過ぎない。その円が淡く輝き、何者かが浮かび上がってきた。  最初に出てきたのは、背の丈三尺程、二足歩行の蛙のような輪郭の胴体を持つインプだった。鉤爪に強大な力を秘めた逞しい上腕と精密で繊細な細工をこなす下腕の二対の腕を備えた、疲れを知らぬ使い魔。猫車《ねこ》に鶴嘴《つるはし》や円匙《えんぴ》など様々な土工木工道具を載せている。戦闘には不向きな職魔《しょくま》だが、自分の掘った塹壕の中で死ぬ覚悟は持っている。拠点設営に不可欠の存在だ。  続いて、十尺程の粘土を捏《こ》ね上げた不格好な人形が浮かび上がる。私の護衛を務めるクレイ・ゴーレム。彼らは私を守って死ぬ最後の盾だ。  私の頼もしくも誇らしい手勢の召喚はしかし、拍子抜けするくらいすぐ終わった。インプ五名にクレイ・ゴーレム三名。え、これだけ、桁が足りなくないですか、なんて思ってはいけない。これが司令部が送ってくれた全戦力。現状、司令部が転送できる精一杯の勢力なのだろう。後は、私自身がこの痩せた土地から魔素を産出して召喚しなければならない。  快調な滑り出しとは言えない。より正確に言うと最悪だ。私は泣きたくなった。しかし、絶望してはならない。だいたい私には涙腺も泣く機能もない。私は自律型根拠地設営精霊丙三〇五六号。私に感情はない、はずだ。  兎に角行動を起こさねばならない。  私は拠点精霊用に定められた作戦行動規定に従い、端末を起動させた。  端末は、怠惰で狷介な魔物どもを指揮するために必要な手段だ。ただの光る石ころの指揮に喜んで服する者はいない。  魔力炉から魔力が召喚門に流れ込み、人型の影が浮かび上がる。紺の甚平《じんべい》に竹細工の雪駄。背丈は五尺五寸、青灰色の肌の禿げ頭、顔の下半分は髭に覆われ、ぎろりとした目玉の中年魔族、これが私の端末だ。  呆然と突っ立ている男の脳に埋め込まれた小さな魔石に、私は自分の仮想人格を転写した。男が痙攣して激しく頭を前後させる。が、十秒もしないうちに動きを止め、ゆっくりと息を吐いた。  私は慣れぬ五感の感覚をゆっくり楽しみながら、自分の体を見下ろした。  我ながら冴えない容貌だ。どうしてこんな外見を選んだかというと、単純に選ぶのが面倒で、外見例で一番最初に出てきたのを選んだからだ。分身選びに時間をかけるのは無粋というものだ。  嘘です。失敗しました。もう少し考えるべきでした。貴族然とした美丈夫とか、妖艶な美女にでも外見を設定すれば良かった。おまけに作成に費やす魔力を節約するために、膂力も魔力も戦闘技能も強化していない。ただのしょぼくれた中年男。棒で殴られたら簡単に死ぬ。  もっとも死んでも本体の私は特に痛痒を感じない。本体の魔結晶石を破壊されない限り、私は機能を止めない。この端末が死亡したら、次はもっと見映えのする外見の端末にしよう。全身被甲鎧の暗黒騎士なんていかにも迷宮主らしくて素敵かもしれない。  そこで私は我に返った。容姿に関して後悔の暇はなかった。部下たちが私の命令を待っている。私の本体の青白い光の中、インプの無表情な複眼が、クレイ・ゴーレムの目鼻も定かならない顔が、凝《じ》っと私を見つめている。  私は胸を張ると、できるだけ威厳を込めて、就役して初めての命令を下した。 「現時点より、拠点の普請に入る。現在地を本陣とする。作業頭《さぎょうとう》を三つ設定する。本陣を基点にインプ一号、二号は東、インプ三号、四号は南に通路を掘開せよ。通路の規格は根拠地規格で地下交通壕二型を基準とする。インプ五号は本陣の拡張と掘開した壁の補強だ。細部は現地で指示する。ゴーレムはそれぞれ各作業頭の警備だ。掛かれ」  果たして通じたのか。長いような短いようないたたまれない沈黙の後、部下たちが一斉に動き出した。良かった、通じた。行動を開始した彼らを眺めて私はやっと安堵を覚えた。  それから七百時間、私は延々と迷宮の拡張に努めた。インプは魔素を含んだ土を掘り、本陣まで運んで魔力炉に卸下《しゃか》していく。魔力炉は土塊《つちくれ》から精製した魔力を蓄積していく。貯めた魔力を消費して迷宮の施設を整え、魔物を召喚し、迷宮を強化するのが私の当面の仕事だ。私は魔力を費やして次々にインプを召喚し、召喚されたインプは更に迷宮は拡張していく。  私は、自分が迷宮を拡げる行為に淫《いん》していたことを認めなくてはならない。本来なら拡張と平行して施設を整え、兵魔《ひょうま》と呼ばれる魔物たちを召喚して迷宮を警備させ、更に陣地と障害を構成しなければならない。  しかし、私は自分に課せられた面倒で煩雑な任務から目を逸らし、地中に空間を広げることに没頭した。ただひたすら土を掘り、インプを召喚し、また土を掘る。その単純な連続作業に、何故か私は夢中になっていた。  インプの数が八十名を超えて、私はやっと気を取り直して迷宮設営の次の段階に取り掛かることにした。逃避を止めて厳しい現実と向き合う潮時だった。  ついに兵魔《ひょうま》を召喚するのだ。何を召喚するのかは決めていた。私の参謀を勤められるだけの知恵があり、最前線で部隊を指揮できる中級兵魔。私はゴーレムを従えて召喚門の前に立つと、呪を唱えた。  やがて、召喚門が穏やかに光りだした。インプ召喚で何度も見た光景だが、緊張で喉が強張る。息を詰めて見守る中、すっと人影が浮かび上がり、魔法円から踏み出した。  おお、なかなかの美女《びんじょ》だ。私の口から思わず嘆声が漏れた。  齢の頃二十五あたりか、黒髪を振り分けにした女。細い面立ちに線を引いたような細い目、白い肌に紅の唇、白小袖に黒地に紅葉模様を散らした打掛を腰巻にし、赤い鼻緒の女下駄を履いた爪先を用心深く地面に下した。  やがて顔を上げた女は、私を認めるとにっと笑って柔らかい動作で頭を下げた。 「命により参上いたしました。アラクネのテラーニャでございます。迷宮主様であられましょうや」  涼やかな声色が耳に心地よい。 「よろしく、この迷宮の指揮官三〇五六号だ」 「こちらこそよろしうお願い申し上げます」  私はほっとした。絡新婦《じょろうぐも》を選んだのは間違いではなかったようだ。好戦的で暴力的な魔物を召喚するのはちょっと怖かった。だが、このテラーニャならうまく付き合っていけそうだ。 「ようございました」 「何が」 「お優しそうな主様《ぬしさま》で」  和やかに微笑んだ。何故か私も嬉しくなった。 「ところで、主様」 「お、おう」 「妾の寝所はどちらでございましょうや」 「ああ、こっちだ」 「いえ、場所さえ教えていただければ、自分で参ります」 「大丈夫。すぐ近くだから」  実際、部下の寝床として用意した部屋はすぐ近くだ。私は、ゴーレムたちを残して本陣に隣接する南側の部屋に彼女を誘《いざな》った。 「ここだ。好きな場所で休んでくれ」  一町半もある大広間だ。この日に備えて、インプたちに丹念に床を真《ま》っ平《たいら》に整地させた自慢の部屋だ。壁と天井に嵌めた光石が仄かな光を放っている。  だが、何故かテラーニャが顔面を僅かに引き攣らせた。 「どうした、何か問題が」 「主様」  声が固い。 「ここで、妾に雑魚寝せよと仰るのですか」 「え、駄目なのか」  彼女の眼が吊り上がる。どうやら愚問だったようだ。 「しかも夜具もない土間に」 「あ、ああ、それは気が回らなかった。すまん」  インプもゴーレムも塒《ねぐら》を必要としていなかったので、考えたこともなかった。インプは迷宮の隅で勝手に寝るし、ゴーレムは魔法生物なのでそもそも睡眠を必要としない。 「すぐ寝所の内装を整えてくださいまし。土間なともっての他でございます。それに、部屋を仕切る壁かせめて衝立《ついたて》を。取り敢えずは板間の二畳ほどに|薄縁《うすべり》で十分でございます」 「ああ、しかし、時間がかかる」 「どうしてです」 「いや、まだ工房も作ってなくて」 「え、工房も無しに妾を呼んだのですか」 「すまん」 「もしかして厨房も」 「ああ、食料は地中で捕まえたデス・ワームの干し肉がある。いくらでもあるぞ」  全長二尺から三尺程度の環形動物だ。狂暴で身体の両端を跳ね上げて敵を威嚇し噛みついてくるが、動きが鈍いお陰でインプでも簡単に捕まえることができる。 「食ってみるか。なかなか美味いぞ」  ぴしりと空気が割れる音がした気がした。テラーニャが物凄い眼でこちらを睨みつけている。私にも、彼女が怒っていることだけは理解できた。  テラーニャが仁王立ちして、仮面のように無表情な顔で地面を指差し、厳かに告げた。 「主様、正座」  凄まじい気を感じて、私は素直に彼女の前に正座した。 「今まで何をやってこられたのですか」 「いや、色々と不足なのは認める。だが、この地の魔力は乏しい。贅沢をする余裕は」 「黙って」  言い訳する私を彼女は一喝した。 「はい」 「主様、この迷宮は兵を集めるにはあまりに準備不足。部下は主様のために死を賭して戦いまする。もう少し、我らの待遇に気を使ってくださいまし。これは福利厚生以前の問題です」 「はあ」 「まず、工房と鍛冶場をお作りなさいませ。それが出来たらインプを働かせましょう。まずは建材を生産し、部下たちを迎えるために寝床を整えねば。鍛冶仕事のためにザラマンダーを一体召喚するのもよろしうございましょう。インプたちにも良い道具を持たせねばなりません。それから、厨房を作って兵糧の甘露を作りましょう。本格的に部下を召喚するのはそれからでございます」 「魔力がいくらあっても足りんぞ」 「主様、弱音を吐かれますな。何とかするのが迷宮主の甲斐性でございませぬか。それまでは、妾も不本意ながら土の床と地虫の肉で我慢したしましょう」 「わ、わかった」 「それと」 「まだ何かあるのか」 「主様、臭うございます」  わざとらしくテラーニャが手を鼻に当てて眉を顰《しか》める。 「そうかな」  私は擦り切れて泥に汚れた甚平の袖を嗅いだ。どこが臭いのだろうか、私は訝《いぶか》しんだ。 「あい、まことに臭や臭や」  テラーニャは大げさに顔を歪ませた。 「最後に風呂を使われたのはいつでございます」 「え、風呂だと。そんなものここには無いぞ。時々、湧き水で顔を洗うくらいはする」  正確にはこの迷宮に湧き水などない。だが、湧き水があれば、私は確実に顔を洗うだろう。だから、嘘は言っていない。  テラーニャの白い肌から血の気が失せてもっと白くなった。 「主様、いつから風呂を召されておられぬので」  彼女がもう一度尋くので、 「テラーニャよ」  私は曇りない眼《まなこ》をテラーニャに向けた。 「あい」 「これには訳がある」 「どのような訳でございますか」 「一月風呂に入っていないとな、脂《あぶら》で身体が防水になる」 「きいいいいっ」  血相変えた絡新婦《じょろうぐも》の唇から鋭い威嚇音が響いた。 「いや、待ってくれ、水はあるのだ。しかも大量に。銭湯を始められるくらい」  私は何とかテラーニャを宥《なだ》めようと両手を振った。こういうのを無駄な抵抗、蟷螂の斧という。彼女が本気なら、私は一瞬で引き裂かれるだろう。 「どこに水がありますの」  汚物を見るような視線が私を突き刺す。めげずに私は彼女に手を差し伸べた。 「こっちだ、案内《あない》しよう」  近くで仕事していたインプに鶴嘴《つるはし》を持って付いてくるよう命じた。交通壕を西に五丁ほど歩くと、下層に続く斜坑が口を開けている。その前に立って、 「こっちだ。整地していないので、気をつけてくれ」  テラーニャが頷くのを確かめて、先に立って歩き出した。 「この通路は何ですの」  テラーニャが訊いた。 「下層に続く連絡壕だ」 「まあ、縦深陣地を造っていますの」  初めてテラーニャが感心したふうな声を出した。 「ああ、幸い本陣が地中深くにあるからな。本陣の層を中心に、下に一層、上に一層造った。これから更に上へ向かって掘り進む。地表まであと三層は造れるだろう」 「まるで蟻の巣ですわね」 「うむ。蟲人の地下要塞を参考にした。ただし、崩落しても下層を埋めぬよう、各層を螺旋状に配置する計画だ。兵を籠《こ》めれば十分に戦える筈だ」 「その肝心の兵も陣地も段列もないではありませぬか。運良く今まで敵に見つからなかったから良いようなものの、豪胆なのか抜けておられるのか」  テラーニャの小言に思わず笑い声が出た。 「まあ賭けだな。この辺りの地脈は貧しく、上は木一本生えていない荒野だ。どうせ航空竜騎兵による航空偵察くらいで、地上偵察などほとんど無いと踏んだのだ」 「だからこちらも警戒していないという訳ですか。無謀ではありませぬか」 「この土地は貧しい。これくらい無茶をしないと、埒が明かぬ」 「それでも冒険者と呼ばれる敵性住民が浸透してくる可能性はございますでしょう。奴らは何処にでも入り込むと聞いております」 「うむ、そなたの言う通りだ。今までは運が良かった。それ故にそなたを呼んだのだ」  しばらく歩くと、斜坑の屈曲点に行き当たった。 「ここだ」  テラーニャに合図した。 「これは」  テラーニャが怪訝な顔をした。仕方ない。見たところはただの変哲もない岩肌だ。 「ほれ、触ってみよ」  私は岩肌に手を置いて顎をしゃくった。テラーニャが怖《お》ず怖《お》ずと岩肌に掌を触れた。ほんの一瞬、糸のような眼が僅かに開いた。 「岩が震えていますね。それに、温かい」 「わかったか」 「主様、これは」 「下層へ続く交通壕を掘ってる途中で見つけた。地下水脈。しかも温水だ」  私はテラーニャの顔を見てにっと笑った。 「風呂に入れるぞ」 「主様」  テラーニャが怪訝な顔をしている。 「水があると御存知なら、どうして水路を引かれませなんだ」 「うむ、そこだ」  私は大きく頷いて、 「水量が読めない。迷宮が水没する恐れがあった。だから、縄張の一部を変更して、下層を丸ごと溜桝《ためます》にした」  斜坑の奥を指さした。 「溜桝とはいかほどでございますの」 「うむ、ざっと六百万石分はあろうか」 「それほどに」  テラーニャは呆れた声を上げた。 「だからこのままにしておいた。今日までは」 「今日まで、とは」  テラーニャの問いに答えず、 「さて」  私は付いてきたインプ二名に振り向いて、 「やれ」  短く命じた。長い付き合いでインプはすぐに私の意図を察し、きいと一声鳴いて鶴嘴を構えた。 「主様」  テラーニャが顔色を変えた。 「何をなさるのです」 「うむ、今からここに」  岩肌をどんと叩いて、 「穴を開ける」  私の言葉にテラーニャがひっと小さい悲鳴を上げた。 「主様、落ち着いて。迷宮が水没したら如何《いかが》なさいます。それに、もし熱湯なら」 「いや、私は風呂に入るに心を決めた。お前も風呂を望んだであろうが」 「そんな。危のうございます」 「うまくいけば、迷宮の水の供給は一挙に解決できる」 「水を得るならもっと穏やかな方法がいくらでもありましょうに」 「テラーニャよ、これも賭けだ」 「賭けではございませぬ。これは無謀」 「差し迫った状況では常に無謀が深慮を上回る」 「誰の言葉ですか」 「私だ」 「主様、臭いと言ったこと、謝ります。本当に臭かったのです」  テラーニャが泣きそうな声で小さく叫んだ。 「謝罪になってないぞ、それにもう手遅れだ」  私はインプに向けて手を振り下ろした。間髪入れず鶴嘴が勢いよく岩に叩きつけられた。  私とテラーニャが見守る中、岩を叩く金属音が斜坑に鳴り響いた。 「いけるか」  何度目だっただろうか、ついに何かが漏れる音がして、岩肌から勢いよく水が迸《ほとばし》った。続いてもう一筋。 「おお」  水飛沫《みずしぶき》に触れた手に熱を感じた。 「どうだ、テラーニャ、これで風呂に入れるぞ」 「ええ」  テラーニャが引き攣った笑顔を見せた。 「いいぞ、どんどん掘れ」  私は調子に乗ってインプを励ました。鶴嘴が叩きつけられるごとに、水の流れはどんどん太くなる。 「主様、その辺りで」  テラーニャが恐る恐る声をかけたのと、インプたちの動きが止まったのはほとんど同時だった。 「どうした」  インプたちは互いに顔を見合わせていたが、ふいに、 「きっ」  短く一声鳴くや、来た道を兎のように駆け去っていった。 「待て、どこへ行く。戻ってこい」 「主様」  インプらを止めようとした私は、テラーニャの引き攣った声に振り返った。 「なんだ」 「あれを」  テラーニャが湯を噴き出す岩肌を指さしている。  鶴嘴で縦横に罅《ひび》が入った岩が小刻みに躍っている。  大音量の警報が私の脳裏に鳴り響いた。  これは危ない、すぐ逃げないと。頭のどこかで悲鳴が上がっているのに、足は竦み上がり、目は岩に魅入られたように釘づけだ。  やっと足が状況が理解して動き出そうとした瞬間、岩が崩れる鈍い音がした。 「わっ」  轟音とともに、決河《けっか》の勢いで水が襲い掛かってきた。何とか踏み止まろうとした足が呆気なく払われ、私は激流に呑み込まれた。  ああ、これはもう駄目だ。溺れる暇もなく水流に揉まれ、岩肌に叩きつけられて私は死ぬ。風呂に入る手間が省けた。次の端末はもっと二枚目に。  そんなことを考えていた私の左手が、くんと引かれた。  何かと見上げれば、銀色に輝く糸が私の手首に巻き付いている。その向こうに、天井に張り付いて手をこちらに伸ばしたテラーニャが見えた。 「主様」 「テラーニャ」  叫ぼうとしたが、大量の水が口に入って声が出ない。出るのはごぼごぼ泡が噴き出るような音だけだ。  その間にも、私の体はゆっくりと引き上げられていく。凄まじい膂力だ。テラーニャの細腕がぐいぐい私を引き寄せていった。やっと乾いた土の上まで引きずられた私は、膝と手をついて盛大に水を吐いた。 「主様、大事ございませぬか」  涙の浮いた目を声に向けると、テラーニャが心配そうな顔で膝をついている。  その時になってやっと、テラーニャが掌から糸を出して私を助けてくれたことを知った。 「ああ、礼を言う」  立ち上がろうとした私を膝が嘲笑う。テラーニャに助けられて何とか立ち上がると、大きく息を吐いた。 「お陰で助かった。流石は絡新婦《じょろうぐも》だな」 「絡新婦《じょろうぐも》と呼ぶのはお止めくださいまし。妾はアラクネでございます」  テラーニャが冷え冷えとした声でいった。 「あ、ああ、わかった。アラクネだな」  私はそう言い直して、改めて激流を見やった。先ほどより勢いが落ちているが、それでも結構な水量だ。 「どうやら賭けに勝ったようだな」  テラーニャに笑いかけた。 「こんな危ない真似はもうお止しになってくださいまし」 「ああ、わかった。心配をかけたな。それより」 「何か」 「ここから半丁ほど下った左側の壁に退避塹を掘っている。そこまで付き合ってくれるか」 「あれですか」  斜坑の奥へ眼を凝らしたテラーニャが訊いた。 「夜目が利くのか」 「アラクネでございますゆえ」  ちょっと得意そうにテラーニャが鼻を蠢《うごめ》かせた。 「この上更に何があると言われるのです」 「行けばわかる」  水は踝《くるぶし》の上辺りを流れている。私はテラーニャに支えられて、慎重に斜坑を降りていった。 「おう、ここだ」  退避壕に入ると、中は十畳ほどの広間になっている。本来は戦闘用ではなく、斜坑を掘り進むインプの作業拠点として掘った壕だ。  思った通り、いい具合に湯が溜まっている。少し泥で濁っているが、贅沢を言ってはいけない。 「本来の目的であった湯浴みといこうか」  私は汚れた甚平《じんべえ》を脱いで下帯一つになると、即席の湯船に身を沈めた。 「うむ、少し温《ぬる》いが、なかなかの湯加減」  見上げると醒めた顔でテラーニャが私を見下ろしている。 「お前も入らぬか、びしょ濡れではないか、そのままでは風邪を引く」 「こんな所でですか」 「工房が出来たら、筒を作って下層まで掘り抜いて、それから喞筒《そくとう》を使って水を汲み上げよう。そうすれば真っ当な風呂も作れる。だが、今はこれが唯一の風呂だ」  テラーニャは一つ溜息をくれると、 「わかりました」  するすると着物を脱いで、襦袢一つになると、そっと湯に足を入れた。私から一番遠い隅っこに。私は内心少し傷ついた。  肩まで浸かって、テラーニャが小さく微笑んだ。 「ほんに良い湯でございます」  暫く互いに無言でいたが、やっとテラーニャが呟くように口を開いた。 「主様」 「何だ」 「もしかして、気づいておられませんので」 「そういう私を試すような物言いは止めてくれないか」  テラーニャはちょっと鼻白むと、 「水の流れとともに魔素が流れ込んでおります」  澄ました顔で告げた。 「え、まことか」 「御自分でお確かめになられませ」  頭の中を探ると、確かに魔力炉に蓄積されている魔力の上昇量が僅かだが増加している。 「おお」  私は思わず声を上げた。 「主様が水脈の流れを変えたせいでございましょう」  テラーニャがにっと笑う。 「何ということだ」 「おめでとうございまする」 「かたじけない。テラーニャのお陰だ」  私は立ち上がった。柄にもなく高揚していた。 「いえ、妾は何も」 「そんなことはない。お前が風呂に入れといったお陰だ」  私はテラーニャに歩み寄った。 「もっと早くお前を召喚すべきであった」 「主様、何を」 「こういう時は抱き合って喜ぶものだろう。さあ」  私は両手を拡げ、次の瞬間、テラーニャの眼が吊り上がった。 「主様、それ以上近寄ると足首を砕きますよ」 「すまん、調子に乗っていた」  そうですよね、下帯一本のおっさんに笑顔で近寄られたら誰だって嫌ですよね。私はすごすごと後ろに退がった。  気まずい。気が大きくなってテラーニャの機嫌を損ねてしまったようだ。最初に召喚した部下に嫌われてしまった。魔素流入の喜びもどこかへ飛んで行った。二の句が継げず、私は俯いて湯を眺め続けた。時間の流れが重い。  ふいに、テラーニャが呟くように言った。 「主様」 「はいっ」  反射的に顔を上げていた。彼女の機嫌が直ってくれるなら、私は尻の毛だって抜いてみせる覚悟だ。 「まだ主様の御名《おんな》を聞いておりません」 「え、言わなかったか。丙三〇五六号だ」 「それは識別番号でございましょう。妾が聞きたいのはお名前です」  私は答えに窮した。 「通称か愛称でも良いのです。番号では味気のうございます」 「え、いや、考えたこともなかった」  私は腕を組んで首を傾けた。 「何もないのですか」  テラーニャは呆れ返った顔をして私を見ている。 「いや、特には」  どうしよう。これ以上、テラーニャの心証を損ねるのはまずい。 『死を司る絶望の黒き翼ジークフリード』はどうか、いや、駄目だ。屠殺される家畜を見る眼で見られる。だからと言って適当な名前も論外だ。『あ』なんてやる気のない名にしたら絶対に怒られる。  長考の末、私は降参することにした。 「自分の名など思いつかん。だいたい、名前なぞ自分で付けるものではなかろう。そうだ、テラーニャが付けてくれ」 「え、妾が」 「うむ、良い名を頼む」 「そんな」  テラーニャが口を引き結んで俯いた。やばい。更に御機嫌を損ねてしまったか。 「今すぐという訳ではない。私は別に番号でも構わんのだ」  取り繕うように言ったが、テラーニャは無言で下を向いている。これ以上は何を話しても失点を重ねるだけだ。とうとう、私たちは二人して黙り込んでしまった。  結局、先に逃げたインプたちが私ら二人を救助するためにゴーレムを連れてくるまで、彼女は一言も喋らなかった。  寝所に入ったテラーニャは、両手から糸を繰り出して側壁に即席の繭を作り、そのまま入ってしまった。  私は大急ぎで本陣に戻ると、彼女の言葉通り工房作りに取り掛かった。魔力炉の前に立って低く呪を唱える。魔力炉から魔力が流れ出し、空間に物質転換炉が現出した。  連隊段列用の転換炉二型は、渡り二間程の野戦釜を伏せたような安っぽい外観をしているが、魔力を費やして各種規格の魔樹製の建材や金属の延金《のべかね》等、様々な資材を生み出すことができる。  私はゴーレムに転換炉を担がせて北の大部屋に置くと、インプを二十名選んで工房を作るよう命じた。  インプらが早速取り付いて側面の取り出し口から建材を引き出し、鋸《のこ》を振って工房で使う作業机や棚を作り始めた。しかし、満足している暇はない。  やることは多い。もっとも、テラーニャに言わせれば、とっくにやっていなければならなかったことだ。彼女が不貞寝してる間にやれるところまでやらなくては。  私は本陣に取って返すと、今度はザラマンダーを召喚した。  ザラマンダーはその名の通り六尺程の直立する筋骨逞しい蜥蜴《とかげ》のような姿をしている。ただし、全身は鱗ではなく岩で覆われ、身体のあちこちから焔を吹き出し、眼球のある場所には小さな炎が灯っているだけだ。 「ザラマンダーのギランだ。命により参上した。お主が我が大将か」 「ああ、挨拶はいい。来てくれ」  時間がない。私はザラマンダーを急かして早足で工房へ向かった。 「御大将よ、本陣のクレイ・ゴーレムと普請のインプどもの他に兵はいないのか」 「一人いるが、今は寝ている」  ギランの問いに私はもどかしく答えた。 「何と、大将を働かせて自分は寝ておるのか」  私は苛立たし気に振り返ると、切羽詰まった目でザラマンダーを見上げた。 「事情を説明している暇はない。事態は切迫している」  私は苛立っていた。今なら素手で古竜に喧嘩を売れる気分だった。 「お、おう」  ギランが僅かに及び腰になった。 「いいか、今すぐ鍛冶場を設《しつら》えて貰わねばならん。インプもゴーレムも転換炉も備蓄魔力も好きに使っていい」 「うむ。鍛冶がザラマンダーの本分ゆえ、異論はないが」 「頼む。お前の働きにこの迷宮の将来の全てが掛かっている。お前がどれだけ迅速に、どれだけ立派な鍛冶場を作るれるかに、この迷宮の運命が掛かっているのだ」 「そこまで我を買って頂いておられるか」  ザラマンダーは感動した面持ちで言った。 「そうだ」  事情を説明するのももどかしい。 (だってテラーニャがそう言っていたからな)  私は工房の隣の大部屋に入って、足を止めた。 「ここだ。好きに使え」  ギランは驚いたように部屋を見回し、 「このような広い部屋を」 「うむ、すぐに掛かってくれ」  ギランが姿勢を正し、不敵な笑いを浮かべた。 「承ったぞ、大将よ。最高の鍛冶場を作ろう」 「頼んだぞ。手伝いのインプを連れてくる」 「大将、一ついいか」  部屋を出ようとした私をギランが呼び止めた。 「どうした」 「鍛冶場を構えたら、何から作れば良いのか。剣か、鏃か」 「取り敢えず小隊用設営工具一式と釘だ。インプどもは作業机や備品棚を寄木で作っている。あれでは時間がかかりすぎる。それと送水管と喞筒《そくとう》、それにスライムを仕込んだ濾過器もいる」 「何、喞筒とな」  水を汲み上げる絡繰《からくり》のことだ。  ギランが間の抜けた声を出した。 「インプらに下層の溜桝まで掘り抜かせる。そこから水を汲み上げて、この階層に浴場を作るのだ」  私の言葉を聞いたギランが物凄く阿呆な顔をした。だが、きっと彼の目にも私が極め付きの阿呆に見えているに違いない。 「何のために」 「説明してる暇はない。いいか、細かいことは任せた。工房の転換炉から鉄鋌《てってい》でも真鍮でも欲しいものは幾らでも出していい」  私はそれだけ言い残すと、本陣へ戻った。  後は厨房の手当だけだが、もう魔力炉の備蓄魔力は尽きかけている。供給量は上がったが、工房の転換炉が動いている状況では、魔法の大鍋を出せるようになるまでにはまだ時間がかかる。  当面、やることがなくなったので、私はデス・ワームの干し肉に手を伸ばした。取り敢えずは飯だ。腹が減っては頭が動かない。肉の体は不便だ。テラーニャには美味いと言ったが、この体を得てからワームしか食ったことがないので、美味いか不味いかわからない。だが、あの時のテラーニャの顔色を見れば、多分美味くはないのだろう。矢張り一日も早く賄所を作って甘露を供給できる態勢を作らねばならない。  労働力に問題はないが、インプの数は将来的に百は必要だろう。重作業をこなすゴーレムももっと必要だが、それには魔石と魔石に呪を刻む魔装具職人を都合する必要がある。  ああ、そうだ、兵魔も召喚しなければ。畜生、やることが多すぎる。改善されたとはいえ、魔力の供給が限られる現状では、何を最優先に進めるのかよく吟味しなければ。  こういう様々なことを相談したくてテラーニャを呼んだというのに、私はテラーニャに嫌われてしまった。  私は自分の|迂闊《うかつ》を呪った。だが、落ち込んでいても始まらない。食事を終えたら工房と鍛冶場の様子を見にいかなければ。  その時、ふいに暗闇の中から声がした。 「主様」  ぎくりとして振り返ると、テラーニャの白い顔が闇の中に浮かんでいる。私は地虫の肉を慌てて嚥下して立ち上がった。 「テラーニャか」  本陣に入ってきたテラーニャは、凝《じ》っと私の顔を見ていたが、意を決したようにやや上気した顔で厳《おごそ》かに告げた。 「ゼキ」 「は」  よく聞き取れなかった。 「ゼキです」 「ぜき、とは」  テラーニャが小さくむっとした顔をした。 「もう、主様の御名でございます」 「あ、ああ」  私はやっと気づいた。 「昨日からずっと考えていたのか。それはすまぬことをした。適当な呼び名で良かったのに」 「とんでもない。この迷宮を統べる御方の名を決める大任を任されたのです。熟考を重ねるなというほうが無理というもの」 「そうか、ゼキか。良い名だ。かたじけない」  そんなことで一晩悩んでいたのか。心配して損をした。名など記号と同じ、識別の用を足せばいいなんて口が裂けても言えない。 「お気に召していただき、良うございました」  テラーニャが口角を上げてにっと笑った。私もつられて思わず笑ってしまった。 「それと」  テラーニャが恭《うやうや》しく折り畳まれた布を差し出した。 「主様の新しい御召し物でございます」  手に取ると、鈍《にび》色の甚平と下帯、それに雪駄だった。 「これはどうしたのだ」 「妾の糸で織りました。今の御召し物はもうすっかり擦り切れておられますので」  私は甚平を広げた。 「素晴らしい。たいしたものだ」 「さあ、お召し替えなさいませ。妾は後ろを向いておりますので」 「お、応」  私は言われるままにいそいそと着ている服を脱ぎ、テラーニャの編んだ下帯を締め、甚平を羽織り、最後に雪駄に足を入れた。軽く、柔らかく肌に馴染んだ。 「テラーニャ、見てくれ、どうだ」  振り返ったテラーニャの顔にぱっと喜色が浮かんだ。 「ようお似合いでございます」 「ん、そうか。とても良い着心地だ。少し派手やかな気がするが」  実際、テラーニャお手製の甚平は迷宮内の微かな明かりを反射して鈍く光った。 「迷宮の主たる者、それくらい華やかでいただかなくては我らが困ります」  確かに今までの格好では迷宮に迷い込んだ浮浪と言われても文句を言えない。 「そうか」 「アラクネの糸は髪より細く鋼より強うございます。常の衣服としてお召しなられませ。替えの甚平と下帯も編みましょう。特に下帯は毎日替えられますよう」  有無を言わせぬ口調だった。 「うむ、承知した」 「はい」  テラーニャは嬉しそうに笑った。  私は心中密かに胸を撫で下ろした。どうやら嫌われているわけではなかったようだ。そう思うと無性に嬉しくなってきた。 「礼をしたいが、何か望むものはあるか」  口を滑らせてから、しまったと悔やんだ。 「いや、この迷宮はいまだ貧しく、与えられる褒美などたかが知れているが、将来、迷宮がもっと大きくなれば、お前の望みに応えられるかもしれんからな」  私は慌てて付け加えた。 「褒美でございますか」  テラーニャは眉を寄せて考えるようであったが、ちらりと私に視線をくれると、 「烏滸《おこ》がましいお願いではありますが、一つございます」  遠慮がちに言った。 「何だ、何が所望だ。何でもいいぞ、私が出来ることであれば」 「あの、その」  言いにくそうにテラーニャは俯いていたが、 「主様の生き血を」 「へ」 「生き血を頂きとうございます」 「生き血、ですか」  聞き返した私にテラーニャが顔を上げ、すまなさそうに見つめてきた。 「妾はアラクネでございます。生き物の精気を吸って糧とする化生でございます。人の食べ物を食することもできますが、やはり生き物の精に勝るものはございません」  そうだった。アラクネは獲物の暖かい血を好む。そして、今この迷宮でそんな生き物は私しかいない。 「生き血を飲み干したいというわけではございません。一合、一合ほどで良いのです」  言ってしまって後悔したのか、悄気返《しょげかえ》るテラーニャを見て私は覚悟を決めた。これで彼女が喜ぶなら安いものだ。 「うむ、わかった」 「やっぱり駄目でございますよね、身の程知らずでございました。申し訳ありませぬ」 「いや、血を吸ってもいいぞ」 「え」  テラーニャの糸のような眼が僅かに見開いた。 「よろしいので」 「あまり痛くしないでくれ」 「あの、まことによろしいので」  上目遣いで探るように訊いてくる。 「まことによろしいから、好きなように吸うがいい」  テラーニャは大きく深呼吸すると、すっと私に歩み寄って、 「それでは、お頸《くび》をお傾けになって」 「こうか」 「あい」  テラーニャが両手を伸ばして私の首筋にしがみついた。ふわりと甘い匂いが鼻孔をくすぐった。唇の間から小さく尖った歯が並んでいるのが見えたが、不思議と不安は感じなかった。  彼女は私より二寸ほど背が低い。自然、私は前屈みになった。あまり胸は豊かではないな。嗅覚を刺激されたせいだろうか、私は不謹慎なことを考えていた。  やがて、傾けた首筋にテラーニャが唇を寄せ、かぷりと噛みついた。  唇が触れたところに熱を感じたが、恐れていた痛みはなかった。血を吸われている感覚もない。甘噛みされてるだけなのではと私は訝しんだ。が、テラーニャの鼻息を肌に感じて、吸われているのだろうと察した。  それよりも、テラーニャにぶら下がられている形のせいで、腰の痛みのほうが深刻だった。テラーニャの細い腰を抱けば楽になれるのだが、彼女とはそんな仲ではないので手を回すのは躊躇われた。  何を話せばいいのか、何をすればいいのかわからず、私は間抜けな案山子《かかし》のように立ち尽くした。  どれほどの刻が経ったかわからないが、やっとテラーニャが身体を離した。唇がべとりと血に濡れているのを見て、私は間抜けにも、やはり血を吸われていたのだと納得した。 「ご馳走さまでした。美味しゅうございました」  頬を桃色に染めたテラーニャが口を拭って微笑んだ。 「お粗末さまであった」  気の利いた台詞が思いつかなかった。 「ほほ」  私の頓馬《とんま》な返事に、テラーニャは声を上げて笑った。 「大丈夫でございましたか」 「うむ、全く痛くなかった」 「アラクネは、獲物が暴れぬよう、牙先から弱い麻痺毒を出しますゆえ」  私は首筋にやった手を見つめた。指先に僅かに乾いた血がこびりついている。 「ふむ、血も流れておらぬ」 「妾の唾には僅かながら血を止める効能もこざいます」 「なるほどのう」  私は少し感心した。 「あの、御加減は如何《いかが》でございましょうや。眩暈などございませぬか」 「いや、大事ない。この体はもともと血の気が多いらしい」 「それはよろしうございました」  そう言って、テラーニャが深々と頭を下げた。 「返す返すも礼を申します」 「気にするな、これからも時々は吸っていいぞ」 「よろしいので」  テラーニャが面を上げた。 「構わん。これくらいで私の副官が元気になるのであれば、むしろこちらから頼みたいぐらいよ」 「まあ」  テラーニャが驚いたような困ったような始末に困った顔をしたので、私は無性に楽しくなってきた。 「さあ、普請場を見に行こう。今、工房と鍛冶場を作っている。そうそう、ザラマンダーを召喚したぞ。存外に気のいい奴でな。今張り切って鍛冶場の支度を整えてる筈だ」  私はテラーニャの手を引いて、本陣を出た。 「殿様」  小薙刀を手にしたナーガ兵が、本陣の陣幕を開けて入ってきた。一丈余の蛇身に、どことなく人間に似た顔と二本の逞しい腕《かいな》を持った魔物だ。夜目が効き、敏捷で狭所での戦闘に長じている。私がテラーニャと相談し、迷宮の主力として召喚した。今は十名ばかりだが、いずれより多く召喚することになるだろう。 「どうした、ネスイ」  テラーニャと絵図面を広げて迷宮の縄張りを相談していた私は顔を上げて、そのナーガの名を呼んだ。  ネスイは陣笠成の兜の庇を上げると、 「バイラ殿が殿様にお越し願いたいと」 「どうした」 「三の丸の普請場で一大事が出来《しゅったい》いたした」  三の丸は本陣のある本丸の二つ上の階層で、現在、インプの半数を投じて拡張している最中だ。 「案内《あない》してくれ。テラーニャ、一緒に来てくれるか」 「あい」  私は地面をゆっくり這いずるスライムを避けて歩きながら本陣のある階層から延びる斜坑を上がり、 「一大事とは何だ」  松明を手に先導するネスイに訊いた。 「来て頂ければわかり申す。兎に角、迅《と》くお越しくだされ」  肝の太いナーガが身震いし、松明の火の粉が微かに舞う。嫌な予感しかしなかった。  二つ上の階層に着くと、篝火の薄明りの中に人数が蹲《うずくま》っていた。インプ六名とナーガが三名。暗闇の中でも、皆が浮足立っている気配が手に取るようにわかった。ここは階層の拡張のための交通壕を掘り進めている場所だ。 「バイラ殿、バイラ殿はいずこ」  テラーニャが闇に向かって呼んだ。 「殿のお越しじゃ。早う御前《おんまえ》に来られませ」 「さん候」  低く太い声がして、墨を溶かしたような闇が動いて起ち上がった。  身の丈八尺の巨体が私を見下ろしている。栗色の毛で覆われ、筋骨の盛り上がった体躯に雄牛の頭のミノタウロス。左右に広がる漆黒の双角が鈍く光った。鉄の面具に鉄板を打ち出した胴鎧を着け、八尺の金撮棒《かなさいぼう》を肩に担いでいる。このミノタウロスは、その巨躯《きょく》に似合わず杖術の細々《こまごま》した小技に長けている。 「どうした、何があった」 「インプが見たそうな」  憮然とした口振りだ。 「何をだ」 「龍でござる。物見したナーガによれば、確かに龍だったそうだ」  龍だと。私は怪訝な顔をした。私が受け取った戦略情報には、この地域に龍がいるような情報も兆候も無かった。  龍は、竜の永遠の敵対者と伝説が伝える神話級の邪悪な怪物だ。翼も脚もなく、蛇のような細長い胴をくねらせて泳ぐように空を飛ぶ。速さでは竜に遅れをとるが、攻防力と運動性で勝る。龍を相手に格闘戦に持ち込まれれば竜は成す術もない。魔王軍にも蒼龍級六頭を筆頭に数十頭の龍が寄騎《よりき》し、魔王軍戦略打撃軍団の中核戦力の一つに数えられている。  が、三の丸の隣に寝ているのは野生の龍だろう。野生の龍は独特の価値観を持ち、性格は独善孤高で狂暴、腹が空いているとか、目障りだとか、太陽が黄色かったからとか、他愛もない理由で街を襲い、他種族を殺す。  二百年前、東方軍がネタリア地方の鎮撫任務中に遭遇した野生の古蒼龍は、交戦に及んだ一個師団を壊滅させ、魔王軍は討滅に十個師団を投入する羽目になった。  魔王軍の野戦行動規定にはこう示されている。『作戦行動中に野生の龍と遭遇の際は、愛想の一つも使って極力戦闘を避け、速やかに上級部隊へ報告せよ』  私は目の前が真っ暗になった。 「そうだ、とはどういうことだ」  気を取り直して私は訊き返した。別の何かと見違えたのではないのか。例えば育ちすぎたデス・ワームか何かと。 「それがしは見ておらぬ。それがしが駆け付けたときにはもう、怯えたインプが早々に穴を塞いでしもうた後であったわい」  私はバイラが不機嫌な理由がわかった。  ミノタウロスは誇り高く縄張り意識が強い。己れの縄張りに闖入者《ちんにゅうしゃ》がいて、その者を己れの目で確かめてもいない。そのようなことは、この迷宮の物頭《ものがしら》としての矜持が許さないのだろう。 「龍を見た者は誰か」 「ここに」  私の呼びかけに、ナーガの一人が声を上げた。 「コセイか」 「左様で」 「まことに龍であったか」 「確かに。翼も脚もなく、長々とした身体が蜷局《とぐろ》を巻いて、高々と鼾《いびき》をかいており申した」 「ふむ、寝ておったのか」 「龍の腐った寝息が拙者の顔にかかりおったわい」  豪胆にもコセイは龍の鼻先まで這っていったという。 「大きさはわかるか」 「身体を幾重にも折り曲げておった故、見当もつかねど、面《つら》の長さは少のうとも一間はあり申した」 「大物でござる」  バイラが横から囁《ささや》くように口を挟んだ。恐らく赤龍、下手すれば龍族最強とされる蒼龍級だ。 「ふむ、見てみたいものだ」  己れの目で見てみないと、脅威の大きさを判定できない。  私は身を寄せ合うインプたちを見て、 「掘ってみるか。中を覗ける程度の穴でいい」  私の言葉にインプらがきっと小さく悲鳴を上げて震え上がった。 「インプどもは怯えてござる。それに、覗き穴を開けたとて、闇を見通せぬ殿には見ること能《あた》わず。逆に気取られるのが落ちでござろう」  バイラが止めた。確かに彼の言う通り、好奇心で近寄るのは愚かだ。 「いかがいたしましょう」  テラーニャが声を潜めて訊いてきた。こっちが聞きたいくらいだ。 「知れたこと。迷宮の兵を集めて総掛かりで彼奴《きゃつ》を討ち取るに如《し》かず」  バイラが物具《もののぐ》を揺すった。その許しを得るために私を呼んだのだろう。 「無茶を申すな」  私は即座に言った。  今、迷宮には、アラクネとザラマンダーとミノタウロスが一名ずつにクレイ・ゴーレム三名、ナーガが十名しかいない。包帯所にいる三名のラミアは衛生兵だし、インプは百五十三名いるがこれも戦力として期待できない。他には迷宮内の清掃用に召喚したスライムが数十匹ほど。いや、今は分裂してもっと増えているだろう。そのうち何匹かは、厠の底にへばりついている。餌場の取り合いという同族間の過酷な抗争を雄々しく戦い抜き、厠と呼ばれる誉《ほまれ》の玉座を勝ち取った栄光の勝利者たちだ。  畜生、ミノタウロスの猪武者め。この戦力でどうやって龍と戦おうというのだ。 「では、どうなさる。あれが居座っておる限り、普請もままならぬわい」  バイラが逆三角の上体を折り曲げて私に訊く。すごい圧迫感だが、今の私には気後れする余裕もない。 「この階層の普請は全て中断する。三の丸のインプは全て四の丸に下がり、そこの小普請を手伝え。ネスイ、普請場からゴーレムを引き上げて、ここで警戒させろ。ナーガの衆はそれを見届けた後に四の丸に下がれ」  私は小声で命じて、まだ何か言いたそうなバイラを手で制し、 「一時間後に本陣で軍議だ。テラーニャ、バイラ、それにナーガも全員来てくれ。テラーニャよ、ギランにも来るように伝えよ」  ザラマンダーのギランは滅多に鍛冶場から出てこない。寝る時も火床で寝ている。 「あい」  テラーニャが踵を返して戻っていった。  バイラが不満げに噴《ふん》と鼻を鳴らした。 「堪《こら》えよ、バイラ。我らの当面の務めはこの迷宮を完成させること。逸《はや》って龍に突き懸かって怪我しておる暇はないわ」  私は努めて毅然とした態度で告げた。宥めるような口振りは、かえってこの誇り高いミノタウロスには逆効果なのだ。 「ふむ、厄介でござるのう」  焼いたデス・ワームの肉に齧《かぶ》りつきながら、ギランが呟いた。  言われなくてもわかっているので、建設途中の三の丸の絵図面を囲んだ一同は沈痛な顔を上げようともしない。 「決まっておる。夜這いと一緒じゃ。寝ておるうちに忍び寄って一挙に討ち取ってしまえばよい」  甘露を咀嚼しながらバイラが言う。 「コセイよ、正直に答えよ。果たして殺しきれると思うか」 「無理でござろうの。あの鱗、我らの得物が通るかも怪しうござる」  コセイがまるで他人事《ひとごと》のように言った。 「司令部から頂いている資料にはあれの存在を窺わせるようなものは無かったのですか」  テラーニャが窺うように訊いてきた。 「検索し直してみたが、それらしいものは無かったな。この地域は辺鄙で測量軍団も左程《さほど》に力を入れていたわけではないからのう」  私は腕を組んで溜息をついた。 「のう、正面切って龍を仕留めるには、どんな手があると思う」  私はギランに話を向けた。 「年経た龍が相手となると、重天使級の戦力が必要でござろうの。それも地面の下では分が悪い。地上に引き摺り出さねば」 「となると、堕天使か」  バイラが甘露を嚥み下しながら呟いた。 「この迷宮では召喚することすら無理だ」  私は力無く笑った。 「ならばせめて、後方の司令部に加勢を頼めば」  テラーニャが身を乗り出した。 「敵の本格的な攻勢開始まで通信は封止されている。呼びかけても応答はあるまい。むしろこちらの位置が敵に露見する危険のほうが大きい」 「酒《ささ》を食わせて酔い潰れた龍を退治したという話もあるが」  ギランが独り言のように言ったが、 「あれはただの御伽噺《おとぎばなし》、それに、今はまだ酒造所も作っておらぬのですよ」  とテラーニャが即座に返した。 「うむ、今から酒造所を作る手もあるが、不確かな伝承に頼るのも危うい。それに頭だけで一間だぞ。酔って寝入るまでに何石分の酒が必要になるか見当もつかん」 「そうか」  ギランが残念そうに腕を組んで唸り声を上げた。 「ナーガも龍も蛇の眷属《けんぞく》、同類の誼《よしみ》で交渉を持つことはできぬのですか」  テラーニャがナーガたちに問うた。だが、ナーガ衆の頭目格のネスイはむっとして、 「我らと龍が同類というのは、リザードマンどもが己《おのれ》らを竜の眷属と称するのと同じ痴《し》れ言でござる」  不機嫌そうに顎を撫でた。 「確かに我ら、龍と同じく『始源の蛇』を祖に奉ぜしが、我らナーガの祖は『腕《かいな》の蛇』、龍の祖は『翼の蛇』、天地開闢《てんちかいびゃく》の折に分かたれた裔《すえ》なれば、今や全くの異族でござるわ」  ナーガたちがネスイの言葉に和するように頷いた。  皆が一斉に黙り込んでしまった。 「やはりここは乾坤一擲、殿の魔力で呼び出せるだけの兵を召喚し、決戦を挑むしかなかろうに」  バイラが足を踏み鳴らした。 「その程度で勝てる相手ならな」  私は皿に盛られた甘露に手を伸ばした。 「兵を増やし、全員に魔法武器を持たせたとしても、この迷宮の能力では勝ち目は薄い。よしんば勝てたとしても、迷宮にも兵にも多大な損害が出る。そうなれば、我らは任務の遂行が不可能になる。それに」 「それに、とは」  バイラが私に挑むように尋いてくる。 「私は無駄死を出したくないのだ」  バイラは一瞬鼻白む顔をしたが、 「では、息を潜めて彼奴《きゃつ》を起こさぬよう放っておこうと申されるのか」  腹立たしげに作戦台を叩いた。 「いや、テラーニャが申したことで決心がついた。矢張り私が一度あれと話し合うてみようと思う」 「殿」  テラーニャが叱声のような悲鳴のような声を上げた。  私は構わずナーガたちに顔を向けた。 「コセイよ」 「はっ」 「腹の下に財宝を見たか。金貨や宝石の類だ」 「いや、それらしいものは見ませなんだ。彼奴《きゃつ》の腐れ腹の下には土塊《つちくれ》の他は何も」 「わかった」 「ギランよ、硝子《がらす》玉は作れるか」 「珪砂も岩塩もあるから原料には困らぬが、硝子を作る窯がない」 「今から窯を作ってどれ位かかる」 「それ位は造作もない。窯の支度に三日いや二日、それから一日あれば硝子玉も幾つか作れよう」 「頼む。三寸、いや二寸程度でよいから硝子玉を十個ばかり作ってくれい」 「インプを借りるぞ。それと工房の転換炉も動かす」 「構わぬ」  ギランは返事もせずに焼き肉の残りを口に押し込むと、立ち上がって本陣から出て行った。 「殿、龍が光物《ひかりもの》を好むという話も、益体もない言い伝えでござるぞ。それに、金銀財宝ならば兎も角、硝子玉など子供騙しもいいところ」  バイラが呆れたような声で言った。 「うむ、だが物は試しともいう。酒を造るより手間もかからぬだろう。宝物《ほうもつ》があればよいが、どうせ黄金《こがね》や宝玉の類などこの迷宮にはないからのう。龍には私一人で会う。私ならば、殺されてもどうせまた身体を作り直せばよい」 「もし、うまく行かねば、いかがなさいます」  テラーニャが心配そうな顔で訊いた。 「駄目ならば、別の手だてを考えるだけだ」  私は無責任に言い放って甘露を齧った。酸味の利いた味が口に広がった。  三日はかかると言っておきながら、ギランは相当に張り切ったらしい。二日目に私が鍛冶場を訪れたときには、既に十ばかりの硝子玉が土運びの笊《ざる》に転がっていた。 「見事なものではないか」  インプらと硝子窯に取り付いているギランの背中に声をかけた。 「まだまだ、ようく御覧《ごろう》じなされ」  ギランの返答に、私は硝子玉を取り上げてまじまじと見つめた。 「テラーニャはどう思う」  テラーニャは両手で硝子玉を受け取ると、 「ええ、まこと見事な硝子玉かと」  我が室《むろ》にも一つ欲しいくらい、と答えた。が、ギランは振り向きもせず、 「鉛を足したがまだ濁っており申す。どうも窯の温度に工夫が足りぬようで。それに形も歪《いびつ》じゃ」  真円には程遠いと呟くように言った。足許を見れば周囲には砕けた硝子の破片が散らばり、それをインプたちが拾い集めている。 「いつ頃出来上がりそうだ」  私はギランの背中に問いかけた。 「それがし、硝子というものを片手間の手慰みと侮っておった。今しばらくお待ちあれ。龍めが唸るほどの硝子玉を作って進ぜましょうほどに」  どうもギランの職人肌が裏目に出たらしい。こうなると何を言っても無駄だろう。 「わかった。頼んだぞ」  ザラマンダーの背にそれだけ言い残して、私はテラーニャを連れて鍛冶場を後にした。 「なあ、テラーニャ」  交通壕を歩きながら、私は何ともなしに言った。 「あい、主様」  テラーニャは、二人きりのときは私を『主様』と呼ぶ。 「酒造りの達者な魔物となれば何が良いであろうか」 「やはり、龍を酔い潰さんと酒造所を設けられますので」 「うむ、ギランめ、硝子作りが膏肓《こうもう》に入ってしまったようだ。あれでは何時硝子玉ができるかわからぬ。次善の策を講じねば」 「それは」  テラーニャはしばらく考えるようだったが、 「酒蟲《しゅちゅう》が宜《よろ》しかろうかと」  何より手間がかかりませぬ故と言う。 「酒蟲《しゅちゅう》か」 「猩々《しょうじょう》も美酒を造りまするが、召喚の魔力が高くつく上に、いかい気位が高うございます。部下の顔色を伺うてばかりの主様には扱いかねるかと」 「むう、私はそんなふうに思われておるのか」 「気落ちなさいますな。皆、そんな主様を好ましう思うております」 「喜んでよいのか、悲しんでよいのか」 「素直にお喜びあれ。皆、主様なればこそ、逃げ出しもせずこんな穴の中に踏み止まっておるのです」  テラーニャが私の顔を見て微笑んだ。  召喚門から現れた酒蟲《しゅちゅう》は、体長四寸程で鮮やかな赤の太った守宮《いもり》のような恰好をしていた。  テラーニャは蠢《うごめ》くそれを両手で優しく取り上げ、盥《たらい》の水にそっと放した。酒蟲は暴れるでも泳ぐでもなく、盥の底をのたりのたりと歩き回る。その様をテラーニャは暫く眺めていたが、やがてそっと人差し指を水に漬けて、その指をぺろりと嘗めた。 「主様、お酒《さき》でございます」  得意げににこりと笑った。 「もうできたのか」 「まだ薄うございます。甕《かめ》に入れて三日も経てば程よき味になりましょう」 「どれ」  私は盥に指を入れるのがどうにも不安だったので、テラーニャの手を取ってその指を口に含んだ。 「ふむ、これが酒の味というものか。知識としては知っていたが、実際に飲んでみると不思議な味よな」  見ると、テラーニャが真っ赤な顔で私を睨んでいる。 「もう、お戯れを」 「いや、すまん。私が指を入れると、酒蟲を驚かすのではないかと思ってな」 「このような真似は二度となさりますな。困ります、このような」  テラーニャが俯いて口ごもった。  「すまん、悪巫山戯《わるふざけ》はもう二度とすまい。ほら、機嫌を直してくれい」 「もう、嫌な主様でございます」  テラーニャが口を尖らせて私を見上げた。  召喚された五匹の酒蟲は、それぞれ水を張った大桶に入れられ、本陣の脇に置かれた。私は、賄所《まかないどころ》脇の休息所に置こうとしたのだが、テラーニャに止められた。  ナーガら蛇の眷属は大の酒好き。盗み酒されてすぐになくなってしまいます、とテラーニャは真剣な顔で言った。せめて私の目の届くところに、ということで本陣に置くことに決めた。  ナーガは酒が好物という話は本当だったようだ。本陣に置いた酒のせいで、ナーガたちが本陣に足を向ける回数は明らかに増えた。私に報告や相談をするついでに柄杓で一杯引っかけていく。包帯所のラミアがやってきて、消毒用に分けて欲しいと酒を請い、明らかに治療に使うには多すぎる量を汲んで小躍りしながら帰っていった。  龍を見つけて以来、私の弱腰に不貞腐れていたバイラも本陣にやってきて、どうやって龍を討つのか威勢のいい話を一席ぶった後、ややこれは、とわざとらしく酒桶を見つけ、どれ毒見をなどと言いながら柄杓の酒を美味そうに呑んだ。  その魁偉な容貌に反して、このミノタウロスは滅法酒に弱かったようだ。上機嫌に顔を真っ赤にしたバイラは、やあこれは上酒と嬉しそうにしていたが、やがてそのまま腰を落として眠りこけてしまった。 「やれやれ、龍を酔い潰す前に、部下たちが酒毒に当たりそうだな」  私は床几に腰を降ろして溜息を吐いた。  酒造りを初めて四日、封をした桶一つを除いて、四つの酒桶の酒は皆が争って飲んでしまっていた。インプがその度に水を足しているが、相変わらず薄いままだ。 「そう仰りますな。皆、不安と苛立ちで気晴らしがしたいのでありましょう」 「そう言うテラーニャは飲んでいないな」 「アラクネは酒に酔いませぬ故」 「それは知らなんだ。では、相談だが」 「何か」 「テラーニャは何か気晴らしになることはあるのか」  まだ貧弱な迷宮だが、できることなら叶えてやりたい。今は無理でもいつかは。 「さて、何でございましょうや」  思わせぶりに彼女は微笑んだ。 「何でも良い。何かないのか」 「煙草を」  テラーニャがぽつりと呟いた。 「何」 「煙草を喫《す》いとうございます」 「煙草か」  私は腕を組んだ。  煙管の類いなら鍛冶場ですぐ作れるだろうが、肝腎の煙草の葉をどうするか。  この迷宮の地上は不毛の荒野が広がるばかり。地下に農園を造ることも、私の力では無理もいいところだ。 「せめて私が甲型精霊であったなら」  思いがつい口をついてしまった。 「あいや、お気になさらず。望外なことを申しました」  テラーニャが慌てて言い繕った。 「そんなことはないぞ。今は無理だが、いずれお前の吐く糸が黒う煤ける程に煙草を楽しませてやろう」 「ほほ、期待せずにお待ちしております」  テラーニャが口を覆って小さく笑った。 「冗談ではないぞ。私は常に本気だ」  私がつい大人気なく身を乗り出したのとほとんど同時に、陣幕が勢いよく跳ね上がった。 「できましたぞ」  全身から勢いよく炎を噴きながら、ギランが御機嫌に音声《おんじょう》を発して大股に入ってきた。 「何がだ」 「硝子玉でござる。極めたとは申せねど、その一端は掴み申した。いやあ、これはもう硝子屋を始めるしかござらぬな」  ギランは隅の酒桶を見るや、無造作に封を解き、 「祝い酒でござるか」  などと勝手なことを言って、勢いよく顔を突っ込んだ。  呆気にとられて私とテラーニャが見つめる中、ギランは桶に首まで突っ込んでじっとしていた。喉が鳴っているので、溺れ死んだわけではないことはわかった。  いっそ溺れてくれればよかった。ギランが顔を上げたとき、桶の酒は半分近くなくなっていた。桶の底の酒蟲《しゅちゅう》が心なしか怯えているように見えた。 「いやはや、この迷宮でこれ程の美酒を味わえるとは」  ギランは酒に濡れた顔を綻ばせた。 「この酒ならば龍も満足するでござろう。それがしの硝子玉と二つ並べれば、龍はもう篭絡《ろうらく》したも同然」 「いや、それはない」  私は努めて冷静を装って答えた。 「はて、解《げ》せぬことを」 「龍に飲ませるはずの酒は、今さっきギラン殿が呑んでしまわれたからです」  せめて一桶くらいはと取っておいたのにとテラーニャが棒を呑んだような仏頂面で答えた。 「あ」  岩と石で象《かたど》られたようなザラマンダーにしては表情が豊かな奴だ。体から噴き出ていた焔が種火になり、眼窩の炎が消え入りそうに小さくなった。 「これはしたり。いや全く済まぬことを」 「まあよい、御自慢の硝子玉で何とかなろうて。さあ、見せて貰おう」  面白いくらい悄気《しょげ》返っているギランに言葉をかけ、私たちは本陣を出て鍛冶場に向かった。 「凄いなこれは」  透き通る五寸程の球体を篝《かがり》に翳《かざ》し、私は唸った。  白状すると、どこがどう凄いのかよくわからなかったが、美しいものなのは理解できた。 「そうでござろう」  ギランが得意げに腕を組んだ。その隣で、ギランを手伝ったインプたちがギランの仕草を真似て胸を張っている。 「いくつある」 「染料がないため、透明なものばかり十八個」 「ふむ、それだけあればよいか」 「テラーニャ」 「あい」 「お前の糸で、大きめの風呂敷を織ってくれるか。ギランが腕を振るった美品ゆえ、最も上等な布で包みたい。出来次第、龍に会いにいく」 「仰せのままに、殿」  テラーニャが頷いた。 「できれば、もう少し腹を据える暇《いとま》が欲しかったところだが」  誰に言うとでもなく、私は苦笑いを浮かべた。 「さあ、行くか」  全く気乗りしなかったので、自分を奮い立たせるために私は声高に宣言した。  これから龍に会いに行くのだ。奴が機嫌がいいことを神に祈ろう。ああ、何を言ってるのだ私は。神は敵じゃないか。でも敵だろうが、案山子《かかし》だろうが、熱帯魚だろうが、何でもいいから祈りたい気分だった。 「殿、物具《もののぐ》を着けられませ」  バイラが鎧櫃を開けて真新しい具足を私に見せた。鉄の小札《こざね》を嚇《おど》した腹巻。前にギランが鍛えた逸品だ。飾り気皆無の質実剛健な造作で、袖は大きく草摺《くさずり》も長く、いかにも頑丈そうだが、同時にいかにも重そうだった。気が滅入るくらい。 「いや、無用だ。龍相手にそんなものが役に立つと思うか」 「思いませんな」  詰まらなさそうにミノタウロスは鼻を鳴らした。  私は掘削を中断した交通壕に立つと、芝居っ気たっぷりに左手を上げ、振り返りもせず、 「硝子玉を」  と告げた。  黙ってテラーニャが硝子玉の風呂敷包みを差し出した。私は静かに頷き、決意をもって風呂敷の結び目を掴んだ。  がくんと左手に重力を感じた。何だこの重さは。危うくギラン自慢の美術品を地面に叩きつけるところだった。 「殿様、大丈夫ですか」  テラーニャが私を見つめている。やめてくれ、そんな初めて一人で買い物に行く子供を見る母親のような眼で見ないでくれ。 「いや、大事ない。足が滑ったようだ」  説得力のない言い訳をしながら、私は何とか風呂敷包みを持ち直し、控えているインプたちに向けて、 「掘れ」  短く命じた。インプは返事をするかわりに、土を掘り始めた。 「テラーニャ」 「あい」 「私が殺られたら、すぐに三の丸を放棄して、三の丸と四の丸の斜坑を閉鎖しろ。後は本陣で私の端末を再起動させてから考えよう」 「仰せの通りに」  テラーニャが無表情に答えた。皆を振り返る。バイラもナーガたちもギランも、沈痛な面持ちで私を睨んでいる。まるで死者の船を送り出す北の蛮族のように。 「案ずるな。この体が死んでも、本陣の結晶石が破壊されぬ限り、私は死なぬ。そんな葬式向きの面《つら》をするな」  だが、皆はびっくりするくらい無反応で、私は思わず狼狽《たじろ》いだ。  仕方ないので、 「では、行ってくる」  右手に松明を持って、私はインプが掘り開けた穴に入って行った。  コセイが言ってたように、中は物凄い臭気だった。まるで裏通りにひと月放っておかれた腐乱死体のような臭いだ。そんな臭いは嗅いだことはなかったが、きっとそんな臭いに違いない。染みた目に涙が浮かぶ。  その奥に微かに気配がする。それも巨大な。脳の奥で本能が逃げろと喚き散らしている。  目が慣れるのを待って、私は歩き出した。 「凄まじい臭いでござるな」  十歩と行かないうちに、ふいに低い声が響き、私は肝が口から溢れ出るくらい驚いた。 「ええ、帰ったら湯浴みしなければ」  振り向くと、テラーニャとバイラが立っていた。 「馬鹿者、何故尾いてきた。今すぐ戻れ」  私は小声で叱った。 「ナーガどもへの指図はギランに任せて参った。主君が死地に入るのを黙って見送るなど、ミノタウロスの流儀にはござらぬ」  当たり前のことを訊くなというふうに肩を揺すった。 「妾は殿の副官でござります故、御一緒するのが当然。それにそのような危なげな足取りでは、折角の硝子玉が割れてしまいましょう」  澄ました顔のテラーニャが私の手から風呂敷包みを捥《も》ぎ取った。  ここで口論しても埒が明かない。 「わかった、危ないと思ったら、私を見捨てて逃げるのだぞ」  私たち三人は、松明の灯を頼りに暗い空洞の深奥に向かって歩き出した。  奥へ歩みを進めるにつれて、悪臭もどんどん酷くなっていった。まるで世界中の糞を詰め込んだ壺に顔を突っ込んだ気分だ。  だが、幸運なことに、悪臭に比例して増大する気配のおかげで、吐き気を催す気分にもなれなかった。  ふいに私の口から含み笑いが漏れた。笑いは私の意に反して止まらず、私は左手で口を押えた。 「殿様、如何《いかが》なさいました」 「いや、すまん」  私は立ち止まり、非常な努力を払って笑いを抑え込んだ。 「これが死の恐怖というやつなのか。初体験だ」 「勇士は死に臨んで大いに笑うという。殿は勇士でござるな」  バイラが一人勝手に納得しながら呟いた。 「いや、過剰な恐怖を処理しきれていないだけだ。証拠に、誰かが片腕をくれたら帰っていいって言ってくれたら、喜んで片腕を差し出す気分なんだぞ」 「それでも殿様はここまで歩かれました」  テラーニャが私の顔を覗き込んだ。 「迷宮主としての義務感から進んでいるだけだ。私は死んでも復活できるのだから。勇士という者が存在するなら、お前たちこそ勇士だ」  私は二人を交互に見やった。 「良いか、私を守って死んでも私は喜ばない。己れの命だけを大事に考えよ。生き返ってもお主らがおらぬでは、私の心が死んでしまう」 「敵を目前にして生き残れと申しつけられる主君も聞いたことがない。が、精々気張ってその言いつけを守るといたそう」  バイラが面白くもなさそうに笑った。 「さて、では三人で龍の尻を舐めにいくとしよう」 「殿様、それを言うならば、蹴り飛ばしにいく、です」  松明の灯を受けて、山のようにあまりに巨大で無慈悲な質量が見えてきた。 「あれか」 「うむ、龍でござるな。しかもあれは」  バイラが言葉に詰まった。それも当然だ。松明の灯の照り返しを受けて、鉄黒色に光っている。その事実に私はおおいに恐怖した。漏らさなかった自分を誉めてやりたい。 「この目で見ても信じられぬ。あの鱗の色、あれはまさしく音に聞く黒龍でござるぞ」  ミノタウロスが震える舌で小さく呟いた。 「孫にしてやる話ができ申した」 「孫がいたのか」  私の問いに、バイラははっとした顔をした。 「これは迂闊《うかつ》。まだ妻を迎えてもおらなんだ」  黒龍は龍の中でも最も年経た個体とされている。古い神話でしか語られたことのない存在。実在を疑う者も多い。というか、黒龍がいると本気で信じるほうが正気を疑われる。私もついさっきまではそうだった。理論上、万余の齢を重ねた龍は格が上がって鱗が変色し黒龍になると言われているが、普通はそこまで命永らえる前に死ぬ。神話の龍と呼ばれるのも理由がない話ではないのだ。  だが、無慈悲にもそれは存在した。よりによって我が迷宮のお隣さんとして。 「なんであんな化け物が」  言いかけた私の口をテラーニャの手が塞いだ。 「殿様、声が聞こえます」 「寝てるのではないのか」 「いえ、寝てはおりませぬ。さっきから凝《じ》っとこちらを伺っております」 「え」  言われて気づいた。物見したナーガのコセイは、龍は喧《やかま》しく鼾《いびき》をかいていたと言っていた。だが、そんな騒音は聞こえない。つまり、奴は起きていて、闇の奥から凝《じ》っと私たちを眺めているのだ。まるで安女郎屋の呼び込みのように。  改めて私は闇夜に全裸で徘徊する中年の陰間《おかま》を見たような恐怖を感じ、思わず身震いした。  ようやく、夜目の利かない私にも黒龍の外観がはっきり見えてきた。と言っても頭とそこから伸びた蛇に似た身体の一部だけだった。残りの身体がどこまで伸びているのかわからない。そいつは、蛇身の中ほどに半ば埋まるように頭を乗せている。見た目はただの蛇だ。黒い蛇。がっかりするくらい何の捻りもない。ただ、その寸法だけは凄まじく巨大だ。  コセイの粗忽《そこつ》者め。何が頭の長さは一間くらいだ。その倍は軽くある。私は物見したナーガを心の中で罵ったが、だからと言って結果が変わるわけでもなかった。  数珠《じゅず》玉のような巨きな目が松明の灯を受けて濡れたように光っている。こちらを見ているのかすらわからない。意志があるのかすらも。私は声が届きそうな位置まで用心深く近寄ると、テラーニャとバイラに目で合図し、一歩踏み出して黒龍に呼び掛けた。 「やあ、調子はどうかな」  何を言ってるのだお前はという非難は甘んじて受け入れよう。もっと気の利いた台詞はなかったのかという罵倒も。  だが、神話の龍相手に何を言えばいいのか。だいたい私は人に好かれる術《すべ》も知らない。自我を獲得してから二月と少ししか経っていないのだ。 「最近、隣に越してきた者だ。それで、こうして手土産を持って挨拶回りに参った」  テラーニャから受け取った風呂敷を慎重に地に降ろした。風呂敷を解《ほど》き、硝子玉を一つ取って差し出すように手を伸ばした。 「如何《いかが》かな、我が家の工房で作ったものだ。気に入って頂ければ嬉しいのだが」  何を言っているのだ私は。だが、恐怖と焦燥が私の舌を動かし続けた。 「そうそう、最近、酒造りを始めたのだ。なかなかの出来でな。一樽進呈しようか」 「黙れ」  低く、内臓に響く声だった。顎の隙間から龍の舌が踊っている。  はい、黙ります。私は瞬時に口を噤《つぐ》んだ。 「そんな粗雑な玩具で我の関心を買おうとは、舐められたものだ」  耳からではなく、頭に直接響く声。念話だ。 「それに我は酒を飲まぬ。女房に逃げられて以来、酒は止めた」 「それは済まぬことを。そんな複雑な家庭事情とは知らなかったものでな」 「黙れ。聞かれたことだけ答えろ」  私は再び口を閉じた。 「貴様が迷宮の主か」 「ああ」 「では、後ろの牛頭《ごず》と絡新婦《じょろうぐも》はお前の手下か」 「部下だ。ミノタウロスのバイラとアラクネのテラーニャ、そして私が迷宮の主、ゼキだ」 「お前たちの気配は一月も前から気づいていた。我が安眠を妨げ、我が静謐《せいひつ》を汚したな。その振る舞い、許し難し」 「同情はするが、やむを得ない仕儀だったのだ。予《あらかじ》め大家が教えてくれておれば良かったのだが」 「減らず口を叩くな。お前たちを皆殺しにしてもいいのだ。お前たち全員を百回殺してやろうか」  黒龍の思考に微かに苛立ちを感じた。 「では、どうすれば許して貰えるのか」 「我の奴婢となれ。否と言うなら皆殺しだ」 「奴婢とは」 「お前たちの根城には召喚門があろうが。我に贄《にえ》を差し出すべし」 「おのれ、言わせておけば」  バイラが金撮棒《かなさいぼう》を構えて前に出ようとした。 「バイラ、止めよ」 「しかし、彼奴《きゃつ》めは我らが輩《ともがら》を喰うと申しておるのですぞ。余りと言えば余りの雑言《ぞうごん》」 「待て、考え違いをいたすな」  慌てた黒龍の思考が流れ込んできた。 「誰が喰うと言うたか、愚か者め。肉食《にくじき》の欲念などとうの昔に解脱しておる。身の回りの世話をする雑色《ぞうしき》が欲しいと申したのだ。まあ、気に入らなければ殺すがな」  余りにも俗物な要求に私の思考が一瞬停止した。が、すぐに立ち直り、龍に尋いた。 「何人程欲しいのか」 「そうさな、取り敢えずはざっと三百程かの」 「え」 「この穴蔵を、我に相応しい邸に造り替えるのだ。それに我に傅《かしず》く美姫に楽師、踊り女も」 「無体な。そのような余裕など我が迷宮には」 「それはそちらの都合。さあ、早う返答せよ」  私は思わず降り向いてテラーニャとバイラの顔を凝視した。 「どうしよう」 「断固断るべきでござるぞ、殿。例え敵わずとも膝を屈する勿《なか》れ」  バイラが憤然と答えた。こういう局面ではバイラには何も期待していなかったので、私は無視することにした。 「テラーニャ」  私は縋るような目をテラーニャに向けた。 「殿様、まずは何か龍の弱味を握らねば」 「弱味などどこにあるのだ」  私は泣きそうな声で言った。 「聞こえておるぞ」  後ろから黒龍の思念が響いた。 「殿様、何か手を考えなされませ。考えなければ」  テラーニャが両の拳を固く握り、思い余った顔で、 「主様とは二度と口を利きませぬ」  金切り声を上げた。  そんな、またテラーニャに嫌われてしまう。内臓が地に落ちるような気分だ。彼女の理不尽を責めることすら思い及ばなかった。明らかに私は取り乱していた。  私は混乱した思考を抱えたまま、黒龍に向き直った。 「わかった」 「ほう、存念を決めたか」 「殺すがいい」  慌てて探した言葉が口から出た。これは賭けだ。 「何」 「殺すがいいと言ったのだ」 「主様」  テラーニャの悲鳴が背中に突き刺さる。  だが、私は振り向かない。振り向いている余裕なんてない。 「殺せぬのだろう。殺せるならとっくにやっている筈だ。一月前にこんな穴から出て、我が迷宮に押し入り、我らを残らず討ち平らげている筈」 「何を烏滸《おこ》なことを」 「そうであろうが。我らを殺せぬから、こうやって脅しておるのだ」  喉から次々に言葉が転《まろ》び出る。 「黙れ」 「ああ、黙ってやろう。黒龍ともあろう存在が、下衆《げす》な脅ししかできぬとは。失望したぞ、黒龍、いや、腐れ蛇」  私は縺《もつ》れる足を叱咤して、できる限り威厳を込めて振り返った。 「テラーニャ、バイラ、帰るぞ。穴を塞いで、厳重に封をしておけ。こいつのことは無視していい」 「お、応」  状況を理解できていないバイラが馬鹿面で返した。 「テラーニャ、風呂敷を頼む」 「あい」  テラーニャが慌てて風呂敷を結び直す。 「よし、行くぞ。普請が遅れている。まったく、下らぬことに拘《かかずらわ》って無駄に刻を費やしてしまった」  私は歩き出した。我が迷宮に向かって。 「殿様、よろしいのですか」  テラーニャが心配顔で訊いてきた。 「いいのだ。挨拶回りは終わった。あれは放っておいていい」 「待て」  後ろから龍の声がする。私は振り返りたい誘惑を抑え、ずんずん歩を進めた。 「テラーニャ、バイラ、帰ったら風呂に入るぞ。付き合え。まったく、臭うて敵《かな》わぬ」 「待て、待ってくれ」  命令が哀願に変わったが、私は無視した。 「そうだ、ギランめが飲み残した上酒があったな。風呂上がりにあれで一杯やろう。お前たちも付き合え」  私はわざと大声で言った。 「それは楽しみでござるな」  バイラが楽しそうに肩を揺すった。 「今度は酒に潰されて寝るなよ。眠りこけたお前を家まで運ぶのに、いかい苦労したぞ。寝るなら室《むろ》に戻って寝ろ」  長屋に起居するナーガたちと違い、テラーニャとバイラは、本陣南の居住区に一軒家を与えられている。板葺きの小陣屋だが、役向きの者たちが集《つど》えるように、八畳の板敷の台所がある。ささやかな坪庭もあるが、これは眺めて心を慰めるためではなく、部下を詮議するためのものだ。ギランの分も建てたのだが、彼は鍛冶場で寝起きしているので、今は埃を被っている。 「あれは不覚でござった。いや、今度は大丈夫でござる。それがしが酒《ささ》にも豪の者であることを御覧にいれましょうぞ」  私の意図を察したのだろう。わざとはしゃぐようにバイラが大声を上げる。 「いっそ、験直《げんなお》しに皆で宴を催しましょう」  テラーニャもわざとらしく手を叩いた。 「頼む、待ってくれい」  哀願が泣き言に変わり始め、ようやく私は自らの優位を確信して歩を止めた。 「まだ何か用か」  私は勿体ぶって答えた。 「動けぬのだ」  黒龍の弱々しい声が聞こえてくる。 「何だと」 「我はここから動けぬのだ。頼む、助けてくれ」 「どういうことだ。説明しろ」  しばらく逡巡《しゅんじゅん》の間が空いて、やっと黒龍が話し出した。 「忌々しい剣が刺さっている。故にここから動けぬのだ。もう二千年以上も」 「それで」 「その剣を抜いて欲しいのだ。このまま痛みに苛まれながら余生を過ごすのは耐えられぬ」  今までの威容がどこかに吹き飛んだような、情けない声だった。 「それくらい、自分で抜けぬのか」 「呪がかかっておる。自分ではどうしようもないのだ」 「ふむ」  私は腕を腰に当てた。 「その剣を抜いたら私たちを皆殺しにする算段であろう。封印を解かれた魔神が封印を解いた者を殺す。よくある御伽噺《おとぎばなし》だな」  テラーニャとバイラがうんうんと頷いた。 「そんなことはない。恩人を害するような真似などするものか。龍の顎《あぎと》の毒牙に賭けて誓おう」 「そんなことで私が信用すると思うのか。目出度いことよ」 「どうすれば信用してくれる」 「それはお前が考えることだ。私に聞かれても困る」 「無体な」  黒龍の目が僅かに歪む。どうやら困り果てた顔をしているらしい。 「それはそちらの都合だ。何も思いつかないのなら、もう二千年、そこにいることだ」  背後でテラーニャとバイラが固唾を呑む気配が伝わってきた。ここが切所《せっしょ》だ。 「わかった」  とうとう黒龍が呻くように言った。 「我が真名を告げよう」 「なんと」  バイラが驚いたように呟いた。  龍にとって真名を知られることは、活殺《かっさつ》を握られるに等しい。戦略打撃軍団の龍たちも、真名で魔王軍に縛られているという。 「まことか」 「龍は己れの真名を偽《いつわ》れぬ」 「わかった。聞こう」  私は大きく深呼吸して、黒龍を睨みつけた。 「我が名はヤマタ」  黒龍の言葉に、ひっとテラーニャが小さく悲鳴を上げた。 「あの龍が、まさか」 「知っているのか、テラーニャ」 「殿様、あの『八岐《やまた》』です。国産みの神話に出てくる悪龍でございます」 「しかし、八岐は神々と英雄の軍勢に滅ぼされたはず」  私は恐れ入るように頭を垂れる黒龍を見上げた。 「ヤマタよ、お前と同じ名を持つ龍は他にいるのか」 「ヤマタの名を持つ龍は我以外におらぬ」  少なくとも我が封じられた二千年前まではと付け加えた。 「しかし殿、確か八岐はその名の由来の通り八つ頸《くび》の龍でござるぞ。この龍の頸は一つだけ」  バイラが口を挟んだ。 「人の紡いだ神話など知ったことか。我が身は八つの峰、八つの谷を跨ぐ故、八跨《やまた》の名を享《う》けた。我が名はヤマタ。我は滅されてなどおらぬ」 「ふむ、その名に偽りはないな」  龍が名乗ったとき、ヤマタこそ間違いなくこの龍のまことの名であることを私は直感で感じていた。 「どうして偽ろうか、我が主《あるじ》よ」 「わかった、では、わ主を封じている剣を抜こう。どこに刺さっているのだ」 「ここに」  ヤマタが僅かに頭を上げると、確かに顎の下に僅かに金色に輝く柄頭が見えた。 「あれか」  地面から軽く五丈はある。その高さだけで気が萎えた。が、抜かぬわけにはいかない。 「ここで待て」  テラーニャとバイラに言い置くと、私は鋭い光を放つ剣の柄を目指して、龍の蜷局《とぐろ》をよじ登り始めた。  ヤマタの鱗は、最も小さいものでも戦場で使う掻楯《かいだて》ほどもあった。どの鱗も鋼の板のように硬く、表面は磨き上げたように滑らかで、私はしばしば足を滑らせ、何度も無様にずり落ちる羽目になった。時折、鱗の下の大質量の筋肉が撓《たわ》み、その度に鱗の装甲がちりちり鳴りながら上下した。  最後に言っておかなくてはならないが、ヤマタの身体は獣《けだもの》全てが持っているような悪臭を放っており、それは、この龍の寝床に入ったときに嗅いだ臭いを集めて煮詰めて結晶にしたようなものだった。私は、自分の肺が腐り落ちるのではないかと秘かに危惧した。  非常な努力と時間を払って、私はやっと剣の刺さったところまで辿り着いた。  柄は三尺ほどの古風な毛抜形、私は最初、金で鍍金《めっき》されていると思ったが、柄を握って勘違いだと悟った。これは魔金だ。この剣は希少な魔金でできている。鋼や魔銀、魔鉄をも凌ぐ最強の金属。なんと贅沢な。その剣が鍔まで深々と龍の身体に刺さっている。 「これは痛そうだ」  私は息を整えると、確かめるように口に出した。 「うむ、呪いの剣だ。早く抜いてくれ」 「わかった。痛いからって泣くなよ」  私は両手で柄を握り、思い切り引いた。予想していたよりもすんなりと抜けた。しかし私は、その手応えのなさより、刺さっていた剣に驚いた。身の厚さ八分、幅一寸八分、六尺五寸はある長大な剣身だった。凄まじく重い。 「なんだこれは」  私は思わず呻いた。驚いたことに、剣身には血の付着も見られない。 「経絡に打ち込まれておったのだ。おお、痛みが引いていく。礼を言わねばならぬ、我が主よ。これで楽になった」  ヤマタが私の疑問に答えるように言った。 「なに、刺抜《とげぬ》きと同じだ」  もっと気の利いた台詞を言えたらよかったが、私は非常に疲労していたので、それ以上の言葉をかける余裕がなかった。 「さて、どうやって降りるか」  私は心配そうなテラーニャとバイラを見下ろして言った。 「任せよ」  唐突に足許が揺れた。ヤマタが蜷局《とぐろ》を解こうとしている。 「わっ、待て」  私は剣が再びヤマタの身体を傷つけることを恐れ、両手で捧げるように持ち上げて両足を踏ん張った。  だが、龍を切り刻んで刺身を作るのも、転倒して地面に叩きつけられて潰れた蛙のようになるのも杞憂だった。  ヤマタの身体が滑らかに畝《うね》り、私は、空飛ぶ絨毯に乗ったけちな盗賊のように、そっと地面に降ろされた。 「殿」  テラーニャとバイラが駆け寄ってきた。 「御無事で」 「ああ、大事無い」  私は剣をバイラに手渡しながら答えた。 「これはまた古い形の野太刀でござるな」  バイラは息を詰め、ためつすがめつ眺めている。 「欲しければやるぞ。どうせこのような業物を扱えるのはお主くらいであろう」 「いや、反りが深過ぎる故、それがしの好みに合い申さず。それに」  物打ちの辺りを軽く撫でた。 「刃に大きな切れがござる。最早これは打ち物としては寿命」 「そうか」 「御本陣の飾り太刀になさるのが一番かと」 「そうしよう」  その時、頭上からヤマタの声が降ってきた。 「さて、よろしいかな、我が主」 「何だ」 「少し離れられよ。出来れば耳も塞いだほうがいい」 「どうした」 「いいから早う」  私たちは数歩離れて耳を塞いだ。  それを見届けたヤマタがすっと首を伸ばし、天を仰いでくわと口を開けた。  次の瞬間、空気が鳴動した。凄まじい轟音。荒々しい衝撃に薙ぎ倒され、地に転がった。最初、私は地震だと思った。ヤマタが咆哮していると気づくまで時間がかかった。背筋に違和感を感じる。土だ。土が落ちてきている。天井が崩落しているのか。 「やめろ」  私は声の限りに叫んだ。私の声はしかし、私の耳に届かなかった。  ヤマタは延々と吠え続け、数分後、やっと顎を閉じた。  耳の奥で高音が鳴っている。 「すまない。我慢できなかった」 「何だ、今のは」 「歓喜の叫びだ。二千年振りの」 「もう私の前では二度とするな」 「閉じた空間なので、これでも気を遣った積りなのだが」 「あれでか」  バイラが呆れ返った顔でヤマタを見上げた。耳から血が一筋流れている。 「申し訳ない。傷つける積りではなかった」  ヤマタが詫びた。私には、彼が本気でそう言っているとは思えなかった。 「いいか、二度とするなよ」  大事なことなので、私は念を押した。 「うむ、次に吠えるときは、我が主の敵と対峙したときだ」 「いや、そんなことはいいから」 「何だと」 「何だと、ではない。お前を縛る剣は抜いた。好きなところへ行くがいい。できれば迷宮を崩さないよう、そっと出て行ってくれ」  こんな化け物に迷宮の隣に居着かれては、生きた心地がしない。何より臭い。 「つれないな、我が主」 「お前は自由の身だ。好きに生きろ。命令だ」 「承った。では、好きにさせてもらおう」  そう言って、黒龍は蜷局《とぐろ》を巻き直した。 「何をしている。ここは雷雲を呼び、嵐を巻いて天に昇る場面ではないのか」 「天に昇って何がある。冷たい星の光があるばかりよ」  二股の舌をぶんぶん振りながらヤマタが答えた。 「この穴は居心地がいいのだ。呪われた疵が癒えるまでここにいたい」 「いつ癒えるのだ、その疵は」 「さて、五年かかるか、十年かかるか」  そう言って、気持ちよさそうに目を閉じた。  駄目だこれは。私はこれ以上何を言っても無駄だと悟った。片手でひょいと摘まみ上げて、外に放り出せればよかったのだが。 「殿、帰りましょう」 「そうだな、問題は解決した。帰ろう」  徒労を覚えた私はテラーニャの言葉に頷いた。  ところが、再び歩き出そうとした私たちを、 「我が主よ」  ヤマタが呼び止めた。 「何だ。まだ何かあるのか」  ヤマタが半目を開いた。 「あの、その」  私はその言葉にどこかいじらしさを感じたが、巨大で不気味な図体と悪臭がそれを台無しにしていた。 「硝子の珠《たま》をだな、所望いたす」 「雑な玩具と言っていなかったか」 「確かにそう申した。だがそれは強がっていただけ。龍は光物《ひかりもの》に目がないのだ。謝る。謝るから置いて行ってもらえぬだろうか」 「ただの硝子だぞ。黄金(こがね)でも金剛石でもない、ただの硝子だ」 「光に貴賤はない。龍はただその光のみを愛するのだ」  私はテラーニャに顎をしゃくった。  テラーニャが風呂敷包みを解《ほど》き、硝子玉を丁寧に地に並べた。 「おお、かたじけない。我が主」 「調子のいいことだ」 「珠《たま》の返報《へんぽう》をいたそう。そこなお上臈」  ヤマタはテラーニャに呼び掛けた。 「足許に我が顎《あぎと》から抜け落ちた牙が見えるはず。珠と同じ数だけ持ち帰り、御本陣の床に撒かれよ」  確かに辺りにはヤマタのものだったと思われる牙があちこちに散らばっている。  鎧通しのように鋭く、短いものでも幅八寸、長さ一尺半はあった。  私が小さく頷いたのを見て、テラーニャとバイラが身を屈めて牙を集め始めた。 「牙兵か。竜牙兵、いやこの場合は龍牙兵だな」 「何だ、御存知だったか。詰まらぬ」  失望したようにヤマタが呻いた。齢経《としへ》た竜や龍の牙を地に埋めると、地中から武装兵が現れる。よく聞く伝説だ。 「我の牙から生える兵《つわもの》どもよ。期待して損はない」 「ふむ、有難く預かろう」  牙を拾い終わったテラーニャとバイラが立ち上がったのを認めて、私はもう一度ヤマタに声をかけた。 「では帰るぞ。たまには様子を見にこよう」 「その時は出来れば酒を頼みたい」 「女房殿に逃げられて、止め酒したのではなかったか」 「あれが出て行って永い。もう帰ってはくるまいよ。少しくらい呑んでも罰は当たるまい」 「わかった」  私は苦笑しながら答えた。  こいつは本当にあの神話の悪龍なのか。疑念を拭いきれない。天軍の半分を敵に回して一歩も引かなかったヤマタがこんな俗物とは。だが、考えるのは後にしよう。 「酔って暴れるなよ」 「十分に懲りておるわ」 「それと、この洞に清掃用のスライムを放つぞ」  臭いが酷いと私は言った。 「それは願ってもないこと。こう見えて、我は綺麗好きなのでな」 「抜かしおる」  それだけ言って、私はテラーニャとバイラに目で合図して歩き出した。  黒龍の洞から出ると、ナーガの衆がわらわらと集まってきた。 「殿、御首尾は」  私はインプらにヤマタの牙を本陣に運ぶように命じると、 「すまぬが、ちと疲れた」  そのままへたり込むように床に座り込んだ。本当は疲れたわけではない。やっと腰が抜けたのだ。そのまま大きく息を吐くと、 「うむ、大事ない。あれとは話をつけた」  皆を見回して告げた。おおと歓声が上がった。 「あれは手負うている。癒えるまであすこに居させる。我らを害せぬよう約定を結んだ」 「何と、弱っておるなら一挙に仕掛けては」  ネスイの言葉にナーガたちが色めき立つ。 「頼むからやめてくれ、疵を負うていても我らの手に負えるものではないわ。なあ」  私がバイラを見上げた。巨漢のミノタウロスが静かに頷いたのを見て、ナーガたちは黙り込んだ。 「そうそう、あの硝子玉だがな、龍めが、ヤマタという名なのだがな、いかい気に入っていたぞ」  私はギランに顔を向けて言った。が、ザラマンダーは力作を褒められても喜ぶふうも見せず、 「はあ」  と気のない返事をする。  先刻《さっき》から、ギランがちらちらとバイラが肩に担いだ野太刀に目を遣っていることに私も気づいていた。鍛冶職だけあって、気になって仕方ないらしい。 「バイラよ」  私はミノタウロスに声をかけた。 「鑑《み》せてやれ」  バイラがぞんざいに差し出した太刀を作法通り受け取ったギランは、しばし刀身を凝視すると、 「魔金でござるか。大変な業物でござるな。しかし、惜しい」  ギランが深々と嘆息した。 「刃の毀《こぼ》れは研げばよかろうが、皮鉄に疲れあり。物打ちに大きな刃切れ、鎬《しのぎ》に目立つ矢疵が三つ、これは相当に手荒く使われたようですな」 「龍の喉元に刺さっておった太刀だ」 「さもあらん」  ギランは感心したように呟いた。 「鍛え直せるか」  バイラが窺うように訊いたが、ギランは残念そうに首を振った。 「無念なれど、今の鍛冶場では荷が勝ち過ぎるわい。ザラマンダーをあと五名程召喚していただかねば」  火力が足りぬと歯軋りし、名残惜しそうにバイラに太刀を返した。 「わかった。心に留めておこう。バイラ、それを本陣に飾ってくれ。迷宮の守り刀にする」 「承ったわい」  バイラが太刀を担いで本陣へと去っていった。それを見届けて、 「さあ、皆の衆も持ち場に戻れや。普請の指図は後で達するほどに」  私は大きく手を叩いた。皆がぞろぞろと散るのを見送り、私はテラーニャに助けられて身を起こした。  テラーニャを除いて全員が周囲から去ったのを確認し、私はテラーニャに告げた。 「テラーニャよ、礼を言わねばならぬ」 「はて、妾が何か仕出かしましたか」 「龍の弱みを探れと申したではないか」  テラーニャは暫く考え込むようだったが、 「さて、そのようなことを申したような気が」  しきりに首を捻った。 「お前の言葉で賭けに出る気になったのだ」 「まあ」 「風呂のことといい、今回のことといい、私はお主に背を蹴られて前に進んでいるようなものだな。これからも宜しく頼む」 「まあ、勿体ないお言葉」  テラーニャが驚いたような顔をする。 「出来れば、もそっと手加減して蹴ってもらいたいが」 「ほほ、お戯れを。妾は主様の副官。蹴れと申されるなら幾らでも蹴り上げましょうや」  本当に面白そうに笑い声を上げた。私は少し身震いした。 「さて、風呂に入ろうか。お互い臭うて堪らぬ」  間が持たないので、わざと明るく声をかけた。 「あい」  テラーニャが嬉しそうに顔を綻ばせた。  結局、ヤマタが居座っているせいで、三の丸をこれ以上拡げるのは断念するに至った。三の丸に建設予定だった倉庫も放棄し、代わりに武者溜りを随所に設け、隠し虎口《こぐち》も増やした。三の丸に攻め寄せた敵は、入り組んだ交通豪と側背から襲い掛かる斬込兵の襲撃に悩まされ、最後にヤマタの待ち構える洞に突入することになる。その時の連中の顔を思い浮かべただけで私は楽しくなった。  三の丸の普請と並行して二の丸への斜坑が掘り進められた。バイラは相変わらず普請場を見て回り、檄を飛ばしている。ナーガは六十名に増え、ギランに命じて、そのうち二十名には弩を持たせた。迷宮内の戦闘でも、飛び道具は恐るべき威力を発揮する。  私は、テラーニャと相談して、ヴァンパイアを召喚した。懸案だった重作業用ゴーレムを製造するためだ。  下層の溜桝《ためます》に流れ込む水脈に乗って、魔素の流入量も増加している。そろそろゴーレムのための魔石細工を行えるウォーロックを召喚すべき時だった。  召喚門から現れたヴァンパイアは、見たところ四十前後に見えた。尤《もっと》も、アンデッドのヴァンパイアにとって、見た目の年齢は無意味だ。背は六尺足らず、草色の道服を羽織り、背の割にやや長めの腕、暗闇に浮き上がる病的に青白い肌、総髪に撫でつけた黒髪、鷲鼻の上の細く鋭い目が値踏みするように私を眺めている。  ヴァンパイアは一般に気難しい種族だ。さて、どう話しかければと私は思案していると、ヴァンパイアは急に破顔し、 「やあ、私の名はクルーガ。よろしく頼む」  筋張った腕を伸ばし、私の手を取ってぶんぶん振った。 「私はこの迷宮の指揮官のゼキだ。よろしく。こちらはアラクネのテラーニャ、私の副官だ」  クルーガはテラーニャに会釈して、本陣を見回した。 「居心地のいい所だな。気に入った」  クルーガが不敵に笑った。薄い唇の間から鋭い牙が覗いた。 「まだ十分とは言えないがな」 「いや、迷宮というものは、出来上がりより、作っている途中のほうが面白い。よくぞ呼んでくださった」  クルーガが窺うように目を細めた。周囲を探っているのだろう。 「どうやら魔法職は私だけのようだが」 「ああ、これから魔導兵も増員する予定だが、わ主が最初だ」 「それはいい。私が最先任というわけか」 「うむ。行く行くは魔導奉行も務めてもらうことになるが、構わないか」 「責任重大だな。心して務めよう」  楽しそうに肩を揺すり、 「それで、当面は何をすればいいのかね」 「北の工房の隣に研究室用の地積を用意した。迷宮建設用のストーン・ゴーレムを一個中隊六名、製造してもらいたい」 「それは構わないが」  クルーガが僅かに怪訝な顔をした。 「ゴーレムは魔法生物だ。六名ではなく、六体の間違いではないのか」 「ゴーレムにも自我がある。口がないので会話は手信号だがね。だから六名だ」  吸血鬼の細い目が僅かに開き、漆黒の瞳が私を覗き込んだ。何かまずいことを言ってしまったかと私は不安になった。しかし、クルーガは、 「ふむ、それは興味深い考えだ」  合点したように頷くと、 「承った。確かにストーン・ゴーレムを六名、製造に取り掛からせてもらおう」  私に向かって長身を折り曲げた。 「陣屋を用意している。まずはそこに案内し、それから研究室を見せよう。研究室といっても、今はただの空き部屋だ。必要なものは工房のインプに命じてくれ」 「いや、陣屋は必要ない。研究室に棺を用意してもらおう。後は思索に耽るための長椅子さえあれば十分だ。殿様よ」 「主様、そろそろ主様の御寝所をお造りなされませ」  最近、二人きりになると、テラーニャは私が起居する専用の部屋を作るよう勧めるようになった。 「私は別に問題を感じておらぬのだが」  床几に体を預けて私は答えた。  目の前の図盤には普請半ばの一の丸の絵図が拡げられている。至る所に朱筆が入り、インプとゴーレムたちが掘開している地点を示している。  ここは一の丸に設けられた仮本陣だ。最も地表に近い階層である一の丸の普請が完成した暁には、一の丸の戦闘を指揮する前方指揮所になる。 「疲れればそこらで眠るだけだ。何かあればすぐ起こしてもらえるからな」 「主様がそんなことでは、長屋で暮らす皆が困ります。せめて皆と同じように夜具を使うて御休みなされませ」 「ギランもクルーガも仕事場で寝起きしておるではないか」 「主様はザラマンダーでもヴァンパイアでもございますまい」  テラーニャが冷たく言い放った。  彼女がこういう物言いをするときは、反論しても無駄だ。 「長屋の空き部屋でも良いのだが」 「それでは長屋の兵どもが心休めることができませぬ。別にそれなりの寝所を作らねば」 「まあ、追々《おいおい》な」 「主様の『追々』は聞き飽きまいた」  テラーニャが口を尖らせた。 「わかった。もうすぐ皆が来るぞ。その話は後だ」  私の言葉を待っていたかのように、迷宮の主だった者たちががやがやと仮本陣に入ってきた。 「いよいよ、地上に御打ち入りでござるな。否、この場合は打ち出《い》づるでござるか」  バイラが上機嫌に鼻を鳴らして床几に尻を落とした。さもあろう。彼は一の丸の守将に内定している。 「落ち着き給え。地上への出口を開けるといえども、監視哨を設け、地上を見張るだけだ。まだ積極的に外に打って出るには程遠い戦力しかないのだから」  珍しく研究室から上がってきたクルーガが優雅に腰を下ろした。その後ろにはヴァンパイアの男が一名に女が二名、無表情な顔で付き従っている。迷宮にストーン・ゴーレム一個大隊十八名を配備できたのは、彼らヴァンパイアのおかげだ。 「ギランはどうした」 「彼は相変わらずの鍛冶仕事だ。インプどもを指図して鏃を作っていた」 「ぬう」  地上には何が待ち構えているのかわからない。万が一、敵が迷宮に乱入してきたら、全戦力で迎え撃たねばならない。そのため、兵の大半を一の丸に集めている。ザラマンダーであるギランも戦力に数えていた私は思わず呻いた。 「仮に戦端が開けば、鏃は幾らあっても足りない。それに後詰めだと思えばいいではないか」  クルーガが宥めるように私に言った。  私は不承不承に頷いた。どうせ今から本丸まで呼びに行っても間に合わない。 「殿」  陣幕を寄せて、鎧武者が入ってきた。吹返《ふきかえし》のない桃形鉢《ももなりはち》を被り、腹巻に腰下まで伸びた草摺《くさずり》、鎖籠手に鉄脛巾という物々しい出で立ちに、狭い迷宮での使い勝手を考えて打刀を落とし差している。  ヤマタの牙から生まれた龍牙兵の一人だ。試しに本陣の土間に埋めたヤマタの牙から産まれた。  十八名全員が顔も声も仕草も似ていて、未だに私は誰が誰なのか見分けがつかない。 「ミシャか。兵《つわもの》ども揃うたか」  私は龍牙兵に顔を向け、努めて気張って音声《おんじょう》を発した。 「精兵《せいひょう》選《え》りすぐって控え候。御大将の御下知を」  ミシャがどすの利いた声で返事をした。 「殊勝なり。では面《つら》を見よう」  選りすぐりも何も、迷宮の全戦力ではないか。私は心裡《こころうち》で呟いたが、これも戦陣の作法、定められた口上だ。今回の作戦には、出陣の儀を行って、皆の戦支度と戦意を確認する意味もある。 「こちらへ」  ミシャの声に私は重々しく立ち上がった。私もギランが誂《しつら》えた鎧姿で頭に揉み烏帽子を乗せている。動くたびに鉄が擦れる音がする。重くて閉口したが、気負っている皆の前では嫌な顔もできない。  ミシャが陣幕を払い、私はテラーニャらを引き具して仮本陣前の広場に出た。 「方々、御大将御出ましじゃ」  呼び回る声がして、松明が並んだ。灯の下、ナーガに龍牙兵、ラミア、ストーン・ゴーレムらの顔が一斉に私に向いた。 「かねて手筈通り、今宵、我ら地上へ押し出す」  私は殊更に大声で呼ばわった。 「応」  薄暗がりのあちこちから声が上がった。 「外に何がいるかわからぬ。敵なれば、一の丸に引き込んで悉《ことごと》く討ち取れ」  歓声が上がった。外は無人の荒野だ。敵がいる可能性はほとんどない。それは皆も承知している。だが、万が一ということもある。それに、地上に出るという節目に際して、皆の士気を上げる必要もあった。 「シャドウ・デーモン」 「ここに」  足許から四つの人影が浮かび上がった。  物影に潜む魔物。隠形に長け、隠密を専らとする乱波仕事に向いている。地上に出るに当たって召喚した悪魔だ。 「インプが地上への道を付けたならば、出口周辺の警戒に当たれ。異状がなけれな、お前たちの掩護下にインプどもが監視哨を構築し、出口を偽装する。何者か居たらば、極力戦闘を避け、生きて帰って情報を持ち帰れ。よいか、必ず復命せよ」 「心得て候《そうろう》」  シャドウ・デーモンたちが影に沈んだ。  私は一同を見回し、 「出口を開くのは三十分後。皆の衆、配置につけや」  私の掛け声で、皆が一斉に動き出しだ。  バイラがナーガと龍牙兵を率いて地上への連絡壕沿いの武者溜へと消えていった。ヴァンパイアとストーン・ゴーレムは二の備えとしてバイラたちの後方の待機壕に、ラミア三名は仮本陣脇の包帯所へと入っていった。  私の周りには、テラーニャと、ストーン・ゴーレムの就役で後備《うしろぞなえ》として第一線の任務から後退したクレイ・ゴーレムらだけが残された。 「後は、地上への出口を開いて、哨所を作るだけだ」  私は床几に座り込んで烏帽子を毟《むし》るように脱いだ。禿げた頭皮に冷気が心地いい。 「まず何事もございますまい」  テラーニャが気遣うように言った。 「まあな。何かあれば、こんな悠長な真似はしておらぬわい」  本来、地上への道をつけるのは、もっと後になってからだった。一の丸の普請を概ね終わらせ、陣を整えてからにすべきなのだ。だが、長く地中に留まることは、士気の重大な弛緩を招く。というわけで、バイラやナーガたちの強い進言を受けて、この作戦を決行したのだ。 「外のことは置いておくとして、どうだろうか、事が無事終われば、軽く鎧解《よろいと》きの宴でも開こうと思う。食い物は相変わらずの甘露と地虫しかないが、酒だけは好きなように飲ませてやりたい」  今や、酒蟲の酒桶は二十近くに増えている。 「殿様の申されることなれば、いかようにも」 「お主にも、私の血を吸わせよう。ここのところ、忙しかったであろ。これは私からの礼だ」 「まあ。それは過分な」  テラーニャが僅かに微笑んで舌なめずりした。 「吸いすぎるなよ」 「心得ております」  ただ待つというのも、なかなかに居心地が悪い。 「早う、ジニウは戻らぬものか」  シャドウ・デーモンの頭目だ。彼が地上の敵状の存否を報告し、それを以《もっ》て出口の築城普請を命じる手筈になっている。  私の愚痴めいた言葉にテラーニャは声を上げて笑い、 「軍陣には禁句がございます。戻れ、とは引き退《しりぞ》くことに外ならず。御縁起が悪《あ》しうございます」  ひどく丁寧な口調で言った。 「そう申すな。どうせ敵など」  私の返事を遮るように、目の前に唐突に影が持ち上がった。 「わっ」  思わず床几から転げ落ちそうになった。 「殿」  そんな私の醜態を気にも留めずに影が喋る。 「ジニウか」 「は」  平板な口調でシャドウ・デーモンが応えた。 「早かったな。地表はどうだった」 「そのことでござる」  素っ気ないシャドウ・デーモンにしては珍しく、やけに持って回った言い方をする。 「心してお聞きあれ」 「早う申せ」 「地表に人影あり。その数、凡《およ》そ五十。他に馬と羊が百以上、犬が十数」 「何だと」  思わず声が裏返った。 「戦構《いくさかま》えか」 「否、軍兵《ぐんぴょう》とは思えず。無造作に焚火を囲み、歩哨も立てておりませぬ。風体から察するに、恐らくは流民の類かと」 「信じられぬ。上は草も生えぬ荒野なはず。どこから湧いて来た」 「真実《まこと》でござる」  ジニウの口調に僅かに腹立ちを感じた。 「いや、許せ。お前たちの目を疑っているわけではない。しかし、水も食料もない荒原にそれだけの人数が居座っているとは解せぬこと」  私はテラーニャを振り返った。が、彼女もどう答えてよいのかわからぬ顔をしている。 「わかった。この目で確かめよう」  自分を鼓舞するために、ぱんと腹巻を叩いて、烏帽子を被り直した。 「バイラらには伝えたか」 「既に、バイラ殿、クルーガ殿、それにナーガの小頭衆に声をかけまいた。皆、斜坑下の退避壕に控えており申す」 「うむ、他のシャドウ・デーモンは」 「十分に距離を取って風下より見張っており申す。気取られることはないかと」 「流石よな」  私はジニウらの手際を誉めると、テラーニャに振り向き、 「参るぞ」  声をかけて歩き出した。 「まったく」 「殿様、いかがなされました」  テラーニャが訊いてきた。重い具足を引き摺って歩きながら、つい思っていることが口をついたようだ。 「いや、黒龍の次は正体定かならぬ人の群れだ。予想外の事ばかり起きて、心が休まらぬわい」 「だから、御寝所を作られませと何度も申し上げたはず」  それ見たことか、とテラーニャは呆れた顔で私を見た。 「あれか」  インプが開けた開口部の縁《へり》から顔を出し、私は隣にいるバイラに尋ねた。差し渡し四尺もないので、私とバイラが並んだだけで、穴はもう満員だ。  窮屈そうな格好のミノタウロスは答えない。かわりに、当たり前のことを訊くなと言わんばかりに小さく鼻を鳴らした。  星明りの下、四丁ほど向こうに野営の明かりが幾つも瞬いていた。よく観察すると、人と家畜の気配に満ちている。数人単位で焚火を囲んでいるのだ。恐らく夕餉の最中だろう。その周囲に、百を軽く超える羊が草を食《は》んでいる。おかしい。私が司令部から与えられた地形情報では、地表には家畜の群れに食わせるほどの植生はないはずだ。 「殿、あまり長くいると気づかれる。中へ入り給え」  後ろからクルーガの声がしたので、私たちはナーガ兵を監視に残すと、交通豪の脇に掘った退避壕まで下がった。 「どういうことだ」  私は皆を見回して、自問するように言った。 「この辺りの地表は樹木の一本もなく、生える草も僅かなはず。だが、数多の羊どもが草を食んでいる」 「そんなことより、今、気に掛けるべきは羊を連れている連中でござるぞ、殿」  バイラが囁くように言った。 「恐らくは遊牧の民だ。あの天幕には見覚えがある」  クルーガの言に私は頷き、 「問題は、その羊飼いどもが何故こんなところにいるかだが」 「あの草地を目当てに流れてきたのでござろう。それに」  バイラが肩を揺すった。 「気づいておられぬか。連中、泉の周りに天幕を立てておる」 「ちょっと待て」  私はバイラを見つめた。 「泉だと」 「然《しか》り。かなり大きな泉がござるぞ」  夜目の効く彼らは私に見えないものが見えているのだろう。しかし、 「面妖な」  迷宮の頭上に泉があるなど、私の予想の外だ。地表は乾燥した荒野だったはず。 「そうでもない、いいかな」  クルーガが口を開いた。 「迷宮は、下層の地下水を喞筒《そくとう》で汲み上げている」 「ああ、その通りだ」 「送水筒を地表近くまで伸ばし、余った水を地表に捨て流しているではないか」 「その水が泉を作っているだと」 「その通り。予想しておくべきだった」 「つまり、魔素を含んだ水が泉となり、周囲を緑地に変えたというのか」 「殿が迷宮を構えたことで、この地の地脈が大きく動いたのだ。それで砂漠に徳池が顕れたのだろう」 「むう」  私は頭を抱えた。目立たぬように細心の注意を払って迷宮を拡げてきた積りが、とんだ蹉跌《さてつ》を踏んでいたとは。 「殿、それより連中の始末でござる」  バイラが急かすように、 「連中は油断しておる模様。今なら押し包んで証拠を残さず鏖《みなごろし》にでき申す」  まるで、丸々太った地虫を見つけたときのように、さらりと血腥《ちなまぐさ》いことを言った。 「できると思うか」  私は疑わしげに首を振り、側に控えているナーガのネスイに尋ねた。 「難しうござろうな。連中は馬を持っている。馬で逃げられれば、徒歩《かち》の我らに追いつく術《すべ》もない。一人でも逃せば我らの企みは破れ申す。日ならずして討伐の軍勢が差し向けられるでござろうな」  ネスイが顔を歪めた。 「むう、ならばどうすればいいと言うのだ」  バイラが不満そうに首を傾けた。 「ジニウよ」  私はシャドウ・デーモンに声をかけた。 「ここに」  側壁の影が急に盛り上がった。 「種族はわかるか」 「全てゴブリンでござる。他の種族は見当たらず」  緑肌の矮人。非力だが敏捷で狡猾。苛烈な環境によく耐える亜人だ。 「恐らくは遊牧を生業とする部族なのだろう」  クルーガが納得したように口に出し、 「どうするかね。皆殺しにしてもいいが、まだ『屍者の坑《あな》』もない」  残念そうに腕を組んだ。  屍者の坑《あな》は、屍坑《しこう》またはデス・ピットとも呼ばれる巨きな墓穴だ。死体を放り込んでおけば、自動的にスケルトン兵になる。戦術級の迷宮には必須とされる施設だが、まだ投げ込むべき死体がなかったので、掘ってもいない。 「よし」  私は心を決めた。全員の目が私に集まった。 「明日の朝、連中と交渉する。ここで兵杖《ひょうじょう》の沙汰に及べば、迷宮の位置を敵に通報されるだろう。ここは穏便に事を運びたい。鼎《かなえ》の同盟から軽んじられているゴブリンならば、交渉も可能だろう」 「手緩《てぬる》うござるな」  憮然な顔をするバイラに私は言った。 「交渉が決裂すればお前の出番だ。その時は」 「その時は」 「賄《まかない》の献立に羊と馬の肉が加わることになる」 「それとゴブリンの生き血も」  薄く笑ってヴァンパイアが付け足した。  翌朝、鎧姿を解いた私は、テラーニャ手製の小袖と夏羽織に着替え、頭を裹頭《かとう》に包んだ。付き従うのはテラーニャのみ。バイラやナーガ兵らは同行を願い出たが、異形の者どもを連れてゴブリンたちを無用に刺激したくない。 「せめて腹当てなりとも召されよ」  バイラは私の身を案じて言った。 「テラーニャ殿の糸を信じぬわけではないが、その成りでは些《いささ》か心細うござる」 「無用。戦の談判に行くわけではないのだ」  言い置いて、私は手桶を提げて出口に向かった。斜坑の側壁には、長柄や弩を手にしたナーガ兵たちが立ち並んで、私を凝《じ》っと見送っている。私に危害が加えられたら彼らは一斉に飛び出すことになっていた。  出口近くには龍牙兵たちが待ち構えていた。太陽の光が入ってきて、斜坑の中の埃を照らしたため、辺りはまるで蛍が乱舞しているように見えた。尤《もっと》も、私は蛍を実際に見たこともないのだが。 「シャドウ・デーモンの報せでは、多くはまだ寝入っており申すが、数名、天幕から出て外で仕事をしている模様。いずれその数は増えましょう」  ミシャが私の耳に口を寄せた。 「わかった。警戒を怠るなよ」 「無理をなさらぬよう」  バイラが念を押すように言った。 「精々気を付けるとしよう」 「テラーニャ、殿を頼み申すぞ」 「あい。お任せあれ」  僅かに蒼ざめた面持ちでテラーニャが答えた。  やがて、私は出口を抜け、生まれて初めて地上に出た。顔に風を感じた。立ち止まって東に目を転じると、遠く山々の稜線に陽が顔を出している。あれが太陽か。あまりの光量に思わず目が眩む。ようやく慣れた目を天空に移した。抜けるような青空。畜生、月並みな感想しか出てこない。私は痴呆のように口を開け、ひたすらに天を見つめた。 「主様、如何《いかが》なさいました」  テラーニャが小声で尋ねてきた。 「ああ、初めて外に出たものでな」  実際、私は呆けていたのだろう。テラーニャが心配そうな顔で私を見ている。 「許せ、知識としては心得ていても、直に体験するのは初めて故に、つい我を忘れてしもうた」 「主様」  テラーニャが低い声で囁いた。まるで抜けていく私の魂を呼び戻そうとするかのように。私は気を取り直して視線を戻した。遠くにゴブリンたちの天幕が見える。それに羊と馬の群れ。それが私の意識をはっきりと現実に引き戻した。 「うむ、思っていたほどの感慨は沸かぬな。やはり精霊は感情を持たぬからか」 「まあ」  安堵したのか、テラーニャが小さく笑い声を漏らした。 「主様ほどに感情豊かな迷宮主を妾は知りませぬ」 「そうなのか」 「ええ、さあ、早う参りましょう。バイラらが心配いたします」 「そうだな」  私は再び歩き出した。  一丁も歩かないうちに、向こうも私たちに気づいたようだ。外で馬の世話をしていたゴブリンが私たちを認めるや、大音《だいおん》で喚きだした。そこからは卓袱台《ちゃぶだい》を引っくり返したような大騒ぎだ。甲高い悲鳴のような警告がここまで聞こえてくる。天幕からわらわらと人数が出て、一つ所に固まるのが見えた。全員が武装している。女子供までが弓や長柄を構えて私たちに向けた。 「主様」  テラーニャが小さく鋭い声で囁いた。 「慌てるな。このまま行くぞ」  ゴブリンたちは、丸腰の私たちを見て、どう扱えばいいのか思案しているようだった。が、すぐに三人のゴブリンが群衆から飛び出してきた。 「ふむ、奴らめ、よう躾られているな」  私は感心した。あの三人がこの一族の主立った者たちなのだろう。  私たちは更に距離を詰めた。五歩の距離で、ようやく中央のゴブリンが手を挙げた。停まれという意味なのだろう。そう察して私は立ち止った。  三人のゴブリンが無遠慮な眼差しを私たちに向けてきたので、私も彼らを値踏みすることにした。  三人ともまだ若く、同じ装束だ。背は五尺に満たないが、痩身矮躯《そうしんわいく》なゴブリンにしては肩が厚く腕も太い。革の頭巾を被り、単衣に革の胸当て、下半身は革袴で、右手に弓懸《ゆがけ》を挿している。三人とも、左肩に半弓を掛け、左腰に短い小刀、右腰の箙に短矢が並んでいるが、真ん中のゴブリンのみが二尺足らずの打刀を差している。背後に控えている不安げな顔のゴブリンたちより上等な服を着ているのは、この群れの指導層だからだろう。  やがて、間が持たなくなったのだろう、中央のゴブリンが口を開いた。 「ヌバキの族長、カゲイだ」  それだけ言って物凄い形相で睨みつけてきた。 「私はゼキ。この地の住人である」  私も負けずに傲然に言い放った。下手に出ては逆効果と思ったからだ。 「貴様らは何者だ」  カゲイが迫るような低い声で言い、刀の鐺《こじり》を反らせた。  声が届かなかったのかと思った私はもう一度言った。 「ゼキだ」  私の愚答に苛立ったのだろう。カゲイの顔が歪んだ。 「貴様の名を問うたのではない。この地は我ら以外に誰もおらぬ筈。それなのに貴様らは前触れもなく現れた。奇体《きたい》なり」  ああ、そういうことか。私は納得した。 「その認識は誤っている。この地は私の物だ。これまでも、これからも」  口に出したことで、本当にこの緑地の主であるという実感が心の底から湧いてきた。そうだ、私はこの地の主。この地の総てを支配する者。私は一人静かに、支配者の恍惚と不安を味わった。誰の言葉だったか思い出せないが、私は暫《しばら》くこの感覚に身を委ねていたかった。しかし、私の感慨も長くは続かない。ゴブリンどもが私を現実に引き戻した。 「騙されんぞ。この地に入ってから五日。昨日まで、我ら以外に人影を見ておらぬわい」  カゲイの左手に控えたゴブリンが声を荒げた。 「差し詰め、この草地を横取りせんとする流匪であろう」 「控えよ、ヒゲン」  カゲイが窘めるように言った。 「無礼を詫びよう。ゼキ殿とやら。その風体、とても盗賊野盗の類には見えず」 「いや、疑うのも無理はない。私の塒《ねぐら》は地中にあるが故に」 「ほう、地中とな」  カゲイの薄い眉がぴくりと動いた。 「何人ほどおられるのか」  余りにも露骨な問いに、私は思わず嬉しくなった。人数が少なければ、私たちを殺し、住居を奪おうと企んでいるのだ。こういうところは盗賊も遊牧の民も変わらない。特に、この群れのように公儀の仕置《しおき》の埒外《らちがい》にいる連中は。だいたい、遊牧民という連中は、商売と略奪を区別しない。  私はだんだんとこのゴブリンの若者が好きになってきた。殺すには惜しい。  私は薄ら笑いを浮かべた。 「試してみるかね」  今の言葉で私の考えを察したのだろう。テラーニャがしゃっと息を吐き、全身の力を抜いた。まるで、獲物に飛び掛かる機を待ち構える肉食獣のように。彼女は中級兵魔のアラクネだ。ゴブリン三人を引き裂くのに一呼吸もいらない。  私とカゲイの間の空気が細い刃《やいば》に触れられたように震えた。殺気を察したゴブリンの群れに動揺が走る。  どれくらい刻が経ったのか。だか、それほど長い時間ではなかった筈だ。  先に手を上げたのは、ゴブリンたちのほうだった。 「いや、これは悪《あ》しき物言いをした。改めて詫びよう」  すっとテラーニャの殺気が遠のいていく。私は内心安堵した。  カゲイは弓を肩から外して足許に置き、刀を鞘ごと抜いて弓の横に並べた。それを見て、残る二人のゴブリンもカゲイに倣って弓を置いた。 「そうか、それは良かった」  私はテラーニャに目を遣った。 「テラーニャ、もう大丈夫だ」  カゲイはまだ、用心深く窺うように私を見ている。 「ところで、どういった用向きで参られたのか」 「我が土地を訪れた客人に挨拶に参ったのだ。危害を加える気は毛頭ない。これは手土産」  私は手桶を差し出した。 「我が邸《やしき》で造った酒だ」 「待たれや」  カゲイが私の動きを制するように手を上げた。 「何か」 「まずはその面《つら》を見せられよ」 「これは失礼した」  私は手桶を置き、顔を覆う布を取った。ゴブリンたちが息を呑む。 「魔族か」  私の青灰色の顔が朝日に晒され、ゴブリンたちから呻き声が上がる。 「何故魔族がここに」 「戦乱に倦《う》み、国を棄てて一党と共にこの僻地に遁世《とんせい》した、と言えば信じてもらえるかな」 「何故この地に」 「ここならば誰の目にも触れぬと思ったのだ」 「わかった。信じよう」  全然信じてない目でカゲイが言った。理由などどうでもいいのだろう。彼にとっては、一族を養うために泉と牧草地を使えるかどうかのほうが問題なのだ。 「静かに暮らしたいのだ。泉も草も好きに使っていい。この土地のことを吹聴しなければな」 「よいのか」  思いがけない言葉に動揺したのだろう。カゲイの声が僅かに裏返った。 「ああ、私には特に用のないものだ」 「かたじけない。我が部族を代表して礼を申す」  カゲイが深々と頭を下げたのを見て、ヒゲンともう一人も狼狽《うろた》えながら私に礼をした。 「では、改めて」  私は懐から土器《かわらけ》を二つ取り出すと、柄杓《ひしゃく》で酒を注ぎ、二つともカゲイに差し出した。毒など入っていないことを示す作法だ。  カゲイが片方の土器《かわらけ》を取ると、私はもう一方に口に運び、くいと呷った。それを見ていたカゲイが恐る恐る口をつける。 「ふむ、なかなかの上酒でござるな。我らの馬乳酒とは些《いささ》か趣《おもむき》が異なるが」  カゲイは土器をヒゲンに回した。 「後で一樽運ばせよう。皆で飲んでもらいたい。それと」  私はテラーニャに顔を向けて小さく頷いた。  テラーニャが小さな風呂敷包みを解いて私に手渡した。中は立方体に切り揃えた甘露だ。 「これは」 「これも私たちが作ったものだ。甘露という」  カゲイは甘露を手に取って暫く眺めていたが、 「ふむ、我らが羊の乳から作る乳酪《にゅうらく》に似ておる」  手で小さく千切り取って口に入れ、 「味も似ておる」  私に向かって面白くもなさそうに言った。 「何と。それは残念ことをした」 「いや、気にされますな」 「こういう場所故に、私の邸には他に差し上げられるような物はない。後はデス・ワームの干し肉くらいしか」  突然、ゴブリンたちがざわついた。 「今、何と申された」 「あ、いや、デス・ワームの肉と」  カゲイの目が輝いた。 「何と、大地虫の肉といわば、都でも評判の乙味《おつあじ》でござるぞ」  地中深く潜むために滅多に獲れず、貴族や有徳人《うとくにん》でもなかなか口にできない高級食材という。 「え、あんなものが」  私はテラーニャと顔を見合わせた。彼女も驚愕と不審が混ざった微妙な顔をしている。私は、カゲイに向き直り、 「何かの間違いではござらぬか。あんなもの、始末に困るほど湧いておる。なあ」  テラーニャに同意を求めるように振ると、 「あい、まことに」  テラーニャが同意するように軽く頭を下げた。 「良ければ客人にも振舞おう。戻って」  そこまでテラーニャに言いかけて、私は思案した。まだ、インプやナーガを表に出すのは時期が早い。ミノタウロスやヴァンパイアなど以ての他だ。 「ミシャたちに言って、運ばせてくれ」  龍牙兵なら外見《そとみ》も人に近い。まず怖がられることはないだろう。 「いかほど運ばせましょうや」 「そうさな」  私はゴブリンたちを見回した。多すぎても困るだろう。 「取り敢えずは十貫程。それに、酒の大樽を一つ、いや二つ頼む」 「心得ました」  テラーニャが一礼して去っていった。それを見届けて、 「暫く待って貰えるか。持って上がるのに刻がかかる」  私はゴブリンたちに声をかけた。 「ならば、我が天幕に案内《あない》しよう。こちらへ」  カゲイが腰を落として弓と刀を拾い上げた。  正直なところ、遊牧民の天幕に入ったことも初めてだったので、何の感想も浮かばなかった。円筒形の天幕で、中央に装飾された柱が二本、壁は格子状の骨組で構成され、床は板敷、天窓の下に急拵《きゅうこしら》えの炉が切られている。  移動生活を旨とするからには、それなりに機能的なのだろう。我が軍の野戦天幕に比べて合理的な構造とは思えなかったが、居住性はこちらのほうがずっと良さそうだった。多分、この天幕には、終《つい》の棲家《すみか》としての伝統や祖先への敬意のような、余人には与《あずか》り知れぬ価値があるに違いない。  中にはゴブリンの若い女と少年が緊張の面持ちで立っていた。恐らくカゲイの妻子だろう。カゲイは二人に茶の支度をするよう告げて追い出すと、私に円座を勧め、炉を挟むように自分たちも坐った。 「改めて挨拶いたそう。我は一族を統べるカゲイ、こちらはヒゲンとハマヌと申す」  カゲイが二人の仲間を紹介した。私も居住まいを正し、 「これはご丁寧に。我が名はゼキ、先程の連れの女《め》はテラーニャと申す」 「テラーニャ殿と申されるか。先刻、かの女性《にょしょう》が発した気、ただの賤女《しずのめ》とは思われず」 「ああ、テラーニャはアラクネでござる」 「道理で、我らは命拾いしたことになるのう。流石は魔族、魔物を従えておられるとは豪気な」  カゲイが両隣のヒゲンとハマヌの膝を交互に叩いて豪快に笑った。肝太《きもふと》いところを見せようとする演技か、それとも本音かわからなかった。  ほとんど待つ間もなく、先程のゴブリンの女が天目《てんもく》に入った茶を運んできた。 「紹介しよう。我が妻《め》のミゼルでござる。この」  と顎を振ってヒゲンを指し示し、 「ヒゲンの妹で」 「それはそれは、ゼキと申す。御亭主と懇意になりましてな」  私はミゼルに正対して丁重に頭を下げた。が、ミゼルは私に鋭く一瞥をくれると、早々に天幕から出て行ってしまった。 「申し訳ござらぬ。魔族を我が家に迎えるのは初めてでござってな。悪《あ》しう思われますな」  カゲイが取り成すように言った。 「いや、それがし、見ての通り悪相でござれば、こちらこそ申し訳ないことをいたした」  私の返事が気に入ったのか、カゲイは膝を叩いて何度も頷いた。 「さあ、茶など召されよ。我が一族は総じて他の部族より質素を旨といたしておるが、茶のみは奢ってござってな。一族秘伝の磚茶《たんちゃ》でござる」  私は天目に口をつけた。確かに美味い。 「我らは専らこれに馬乳を入れて喫《の》むが、客人にはこのほうが良いと思いましてな」  カゲイは嬉しそうに顔を綻ばせた。客を持て成すことを素直に喜ぶ。根は悪い男ではなさそうだ。  私は天目を置くと、 「随分と難儀されておるようですな」  ぼそりと呟くように言って、三人の顔色を窺った。  案の定、三人は揃えたようにさっと顔を蒼ざめさせた。 「どういう意味でござるか」  今まで黙っていたハマヌが押し殺したような冷めた声で言った。 「僭越ながら、御一党の中に年寄り少なく、外の天幕にも戦の跡が少なからず見受けられた」  この天幕はほとんど無傷のようだが、他の天幕には矢に射抜かれた跡や焼け焦げを繕った形跡が幾つも見えた。それも全て新しい。 「御慧眼かな」  気まずい沈黙の後、沈痛な面持ちでカゲイが口を開いた。 「昨年、エルメア王の軍勢がイドの町に砦を築き、軍馬を養うため周辺の草地から遊牧の民を追い出しにかかりおった。我らゴブリンは、少ない牧草地を巡って部族同士で相争う羽目になり申した。  我が一族も敵の部族の奇襲を受けて多く討ち取られ、何とか生き残りを束《たば》ね、命からがら、こうして東の辺境に逃げ落ちて参った次第」  悔しそうに顔を歪めた。 「いっそ、魔王領に身を寄せようかと東を目指して進むうちに、この泉を見つけた次第でござる」 「まことに僥倖でござった」  ヒゲンが何度も頷いた。 「うむ、一族悉く他の強盛な部族の奴婢に成り果て、または枯野《かれの》に屍《かばね》を晒し、祖霊を祀《まつ》ることも叶わぬ仕儀になった者も少なからずと聞いておる」  カゲイは、遣る方無さそうにぐいと天目の茶を呷った。  私は彼らに同情を抱いたが、それでも聞いておかねばならないことがあった。 「ここから北に十里ほどのところに、東西に走る道があり、そこから二十里ほど西に町があると聞き及んでいたが、其処《そこ》がイドでござろうか」  私が、それぞれ仮に一〇一番街道、二〇一番村落と名付けた場所だ。そこに王国の軍勢が駐留していれば、由々しい事態だ。 「ああ、それはハクイの町でござろう。イドの町はそれより征東街道を西に十五里」 「ふむ」  私は密かに安堵した。三十里以上離隔しているとなれば、軍を発しても、この迷宮に至るまで最低四日はかかる。 「だが」  カゲイは腕を組んで俯いた。 「そのハクイも何やら兵乱があったと聞き及び申す。故に我ら、騒ぎを避けて街道を大きく離れ、この荒野を進んでおったのでござるわ」  私は内心の動揺を押し殺し、 「それは災難でござったな。せめてこの泉で好きなだけ逗留なさるがいい」  カゲイの空いた天目に持ってきた酒を鷹揚に注いだ。 「かたじけない」  ゴブリンの族長は深々と頭を下げた。  やがて、天幕の外が騒がしくなってきた。 「地虫の肉が届いたようだ」  そう告げて、私は立ち上がった。 「すまぬが私はゴブリンの作法を知らぬ。外に出て我が家の者どもを迎えてよいかな」 「ああ、勿論」  素早く動いたヒゲンが天幕の入り口の外布を捲《まく》り上げた。  天幕から顔を出すと、丁度、テラーニャを先頭に龍牙兵たちがやってくるのが見えた。朝の陽を受けて具足の黒鉄《くろがね》が鈍く光る。  干し肉を入れた鉄鍋を運ぶ鎧武者が十名、その後ろに四名に担がれた大樽が二つ。地中から湧いたような皆者の群れを見て、ゴブリンたちに動揺が走るのを感じた。テラーニャめ、牙兵を全て連れてきたのか。 「あれもゼキ殿の御家来衆でござるか」  呆けた顔でカゲイが訊いた。 「いかにも、我が家人《けにん》でござる」   「殿様、参りました」 「うむ、ご苦労」  私はテラーニャの耳に口を寄せ、 「全員連れて来たのか」  小声で囁くように言った。 「あい」  テラーニャが微笑みを湛えた顔で平然と答えた。 「ゴブリンどもが怯えておる」  ゴブリンらが小さく円陣を組むように寄り集まり、固唾を呑んでこちらを見ている。 「殿を害そうなどと思わせぬためには必要なこと」  気を利かせた積りなのだろう。  小言の一つも言おうと思ったが、既《すんで》の所で何とか言葉を呑み込んだ。彼女なりに私の身を案じてくれているのだ。  そうこうするうちに、鉄の小札《こざね》を軋ませながら、ミシャが私たちの所にやってきた。 「殿、御無事でありましたか」 「ミシャか、大儀だったな。賄《まかない》の真似までさせてしまった」 「何を申される。我ら龍牙兵、野陣にては君側《くんそく》に侍《はべ》り、俎板《まないた》庖丁《ほうちょう》を扱うのも役目の一つでござるぞ」  酒で煮込みを作りましょう。我らが料理の手並み、よう御覧あれと勢い込んで言い出した。 「いや、待て、待て」  私は慌てて両手を振った。 「調理はゴブリンたちに任せる。これも向こうへの礼儀」  私は真面目な顔で出鱈目を言った。 「礼儀でござるか」  胡散臭い目つきでゴブリンらを眺め回しながら、ミシャが訊いた。 「おう、礼儀だ、ゴブリンの礼儀。お主らは迷宮に戻り、バイラに伝えよ。出口の警戒に数名を残し、他の者は通常の警備に戻れ、とな」 「承った。しかし」  面甲の奥でミシャの目がぎらりと光った。 「万が一のこともござる。何名か残しましょう」 「万が一とは何だ」 「ゴブリンの本性は狂暴、安心できませぬ。殿の身に何かあれば、我らは役目|懈怠《けたい》の誹《そし》りを免れず」  お前たちのような物騒な恰好の連中が残るほうが余程危うい、と危うく口を滑らせかけたが、 「大事ない。シャドウ・デーモンらが蔭共《かげとも》しておる。それに、お前たちが迷宮を固う守ってくれておるお陰で、私は安心してゴブリンどもを相手できるのだ」  私の言葉にミシャは目を輝かせ、感じ入った顔をした。 「そこまで我らを頼りにされておられるとは、武人冥利に尽き申す。それでは仰せのままに。留守はお任せあれ」  具足の重さを感じさせぬ跳ねるような足取りで踵《きびす》を返し、他の龍牙兵をまとめて坑口へと戻っていった。  龍牙兵たちが地下に戻るのを見届けて、私はカゲイらに振り返った。 「申し訳なかった。我が家人《けにん》どもは無粋者揃いでござってな」  殊更に明るく笑いかけた。 「お約束のデス・ワームの肉でござる。朝方ではあるが、酒《さき》もござる故に、打ち揃ってお召しあれ」  それでもゴブリンたちは用心深く、動こうともしない。  困った私はカゲイにそれとなく目配りした。  カゲイは私に無言で頷くや、鍋の一つに歩み寄り、膝をついて肉を摘まみ上げて、一口齧った。  カゲイの目が一瞬見開いた。 「確かに地虫の肉じゃ。佳味《かみ》かな」  大仰に言って立ち上がると、一族の者たちに、 「ゼキ殿の御振舞《おんふるまい》じゃ、有難う頂かねば非礼であろう」  ゴブリンたちは飢えていたのだろう。族長の声に、皆がわっと鍋に群がった。  ゴブリンの野営地は朝から野宴の席になった。  私とテラーニャはカゲイらと並んで色彩豊かな毛織の敷物に席を与えられた。  ゴブリンたちは、鍋に味噌や雑穀、野菜などを放り込んで雑炊を作っている。どれも私の迷宮にはないものだ。  碗を回されたので、一口啜ってみると確かに美味い。 「ふむ、良き味でござるな」  私の言葉に、カゲイは愉快そうに笑った。 「不思議の御方かな。あれだけの御家来衆を抱え、そのような見目好《みめよ》き御上臈《おじょうろう》を連れながら、ゴブリンの下手《げて》な雑汁《ぞうじる》に舌鼓を打たれるとは」 「ほほ、お上手でございますこと」  誉められたテラーニャが口に手を当てて小さく微笑んだ。 「恥ずかしながら、地虫の肉と甘露に酒を除いて、我が家も不調法でござってな」  兵に単調な食生活を強いるのは魔王軍の悪癖の一つだ。魔王軍には、「飯は貧しい程に兵は強くなる」という一種奇怪な信条があった。そのため、甘露以外に兵糧は与えられず、将兵は糧《かて》を求めて戦地で苛烈な略奪に走る。 「ふむ、地虫の礼に味噌など差し上げたいが、我らも余り持ち合わせがなくてな」  カゲイが済まなさそうに言うので、 「いや、気遣いは無用でござる。詰まらぬことを申した」  私は慌てて手を振った。  宴の席は酒も回り、やがて誰からともなく歌が出て、手踊りまで始まった。酒が入って踊り出すのはナーガやラミアたちも同じなので、別段驚きもしなかったが、柄にもなく優雅な舞を披露する者もいる。  中でも長い髪のゴブリンの娘が、破れ扇を手に思いもよらぬ上手な舞を見せている。  それを眺めていると、酒で上機嫌になったハマヌが、 「あれは我が姪にござる。名をメイミと申してな。戦で両親を亡くし、やつがれが世話しておる」 「ほう」  手にした扇には、紅梅の図が描かれていた。 「随分と塞ぎ込んでおり申した。あれほど明るく振る舞うのは久し振りでござる」 「それは良うござった」  ハマヌは酔眼を向けて、自家製らしい馬乳酒を私の茶碗に注ぎながら、 「ヤツがれが申すのも何だが、麗しうござろう」 「確かに」 「今宵の伽《とぎ》にいかがであろうか」  平然と際どいことを言う。 「え、今、何と」  亜人には、客人を持て成すのに夜伽を勧める風習がある。他者との友誼《ゆうぎ》を深めるための儀式の一つだ。知識としては知っていたが、実際に直面するのでは話は別だ。私は情けない程に慌てた。  途端に背に冷え冷えとした殺気を感じた。振り向かなくてもわかる。テラーニャだ。 「いや、その儀は御遠慮申し上げよう。あれ程の美女《びんじょ》、想いを寄せる者も多かろう」  伽を勧められた側が断っても非礼には当たらないし、執拗に勧めるのも礼を失することになる。生態が違いすぎて性交することも難しい種族も少なくないのだ。 「そうでござるか」  特に残念でもなさそうにハマヌは呟いた。彼も礼儀として勧めただけなのだろう。背後の殺気が収まるのを感じ、私は密かに胸を撫で下ろした。  太陽も中天に差し掛かった頃、宴の騒ぎもようやく収まろうとしていた。  カゲイは私に乳茶の茶碗を差し出し、 「思わぬ馳走に預かり、改めて礼を申そう」 「いや、私もこの地で初めての客人を迎え、楽しうござった」 「地虫の肉にこの牧草地、報いたいが、今、お渡しできるものといわば、羊の毛と僅かな味噌くらいしか」  済まさなそうに言った。この若い族長は、一方的に施されることで、私の風下に立つことを危惧しているのだろう。  私も本題を切り出すことにした。 「デス・ワームの肉なら余ってござる。好きなだけ差し上げよう」  その言葉にカゲイが眉を上げた。左右に控えるヒゲンとハマヌがはっとして私を見つめた。私は出来るだけ平然を装って告げた。 「町に持っていけば、高う売れよう」  窺うようにカゲイらを見返した。カゲイは考え込むようだったが、 「何故、ゼキ殿は御自分で売りに行かれぬのか」  醒めた声で言った。カゲイだけは酒を飲んでいなかった。 「一つには、魔族である私が町に出れば、何かと不都合があること」  私は馬乳酒を啜った。 「魔王の支配を嫌い、西に逃れたる魔族は珍しうござらぬが」 「だが、その魔族が高価なデス・ワームの肉を扱うとなれば、話は別でござろう」 「ふむ、確かに」  カゲイは表情も変えずに頷いた。 「もう一つは、先程の味噌もそうだが、生活《たつき》の道具が色々と不足しておることでござる」 「ふむ」 「そこで、地虫の肉を売って得た銭の内で、贖《あがの》うてきて貰いたい」 「何を贖《あがな》えば良いのかな」 「そうさな」  私は腕を組んだ。 「味噌の他にも穀類や野菜の種、絹を数反、それに什器を一揃い、細かいことはお任せ申そう。まあ地虫の売り上げ次第でござる。足が出るならば無理せずとも苦しからず」 「それくらいなら造作もないことだが」 「ああ、それと、煙草の葉も少々お願いしたい」 「承った。明日の朝、早速にハクイの町に売りに出立致そう」 「ハクイの町は何かと物騒なのでは」 「何、あそこはもともと亜人の町。もう騒動も収まってござろう。危うければ他の町に向かうまで」 「かたじけない。地虫の干し肉は夕刻までには届けさせよう」  私たちは頭を下げるゴブリンたちに見送られ、宴の場から離れた。  十分に離れてから、 「うまくいったかな」  それとなくテラーニャに尋いた。 「まずは上々かと」 「ふむ。ミシャに言ってデス・ワームの肉を届けさせねばならぬな。長持ちに五つ程届けさせよう。どうせ捨てるほど余っておる」 「まさか、地虫の肉がそれほど珍重されておるとは思いもしませなんだ」 「そうだな、瓢箪から駒とはまさにこのこと」 「それに」 「何だ」 「嬉しうござました。煙草のこと、主様がお覚えになっておられました」 「どうして忘れることがあろうか。お前が望んだことであろうに」 「うふ、うふふ」  本当に嬉しそうに笑うので、私は少し気味悪くなってきた。  翌朝、日が昇る頃には、ゴブリンの部族は野営地を引き払って姿を消していた。  地面には無数の蹄の痕、それに荷車の轍が縦横に残されていた。いずれも北西へ向かっている。 「羊や馬の糞すら残さぬとは」  踏まれた草を確かめながら、私は呆れて声を上げた。 「焚きつけにでも使うのだろうな。遊牧の民は物を無駄にしない」  クルーガが目を細めて言った。ヴァンパイアなので眩しい光は苦手なのだろう。 「見事な退き口でござった。殆ど音も立てぬとは」  バイラが感心したように鼻を鳴らした。 「それでもちゃんと土産も残しておる。律儀なものよ」  野営地の跡に、綺麗に洗った鍋の山と羊毛の束が二抱えほど、それに味噌樽が一つ残されていた。 「それにしても、デス・ワームの干し肉を売りに行くだけならば、女子供まで連れずともよろしいのに」  羊毛を撫でながらテラーニャが言った。 「ハクイの町とやら、何が待ち受けているのかわからぬのでございましょうに」 「人質を残したくなかったのであろう」  私は地平線を眺めながら答えた。 「なるほど」  クルーガが呟くように言った。 「では、殿様はゴブリンらがもう戻って来ないとお思いなので」  テラーニャが眼を上げて私を見つめた。 「五分五分だな。まあ、連中が戻らずとも、我らが失うたのは地虫の肉のみ。損はない」 「いんや、殿は大層な損をしたことになりますぞ」  バイラが肩を揺すったので、腹巻の小札がかちかちと音を立てた。 「どういうことだ」 「メイミなる娘、ゴブリンにしては大層に美しうござるそうな。殿は馳走になり損ねましたな」  面白そうな面《つら》で私を見下ろしてくる。 「貴様、どうしてそれを」 「シャドウ・デーモンから聞き及んでござるわ」  口の軽い影法師どもめ。私は臍《ほぞ》を噛んだ。 「惜しいことをしたな。殿よ。側女《そばめ》にでもして、あの一族を取り込める好機を逃した」  クルーガが巨魚を逃したような残念な顔で言い添えた。このヴァンパイアは、時折、冗談なのか本気なのかわからないことを言う。 「むう、そのようなこと、考えも及ばなんだ。これは失敗《しくじ》った」  思わず軽口を叩いた。が、ふいに視線を感じて振り向くと、テラーニャが細い眼を強張らせ、石のような表情で冷たく私を睨んでいる。 「訳がないであろうが。だいたい、そのようなことであの一族を手下《てか》にできるなら苦労せぬわ」  慌てて言い添えて、わざとらしく笑ってみたが、テラーニャの視線が突き刺さるように痛い。 「なあ、そうであろう」  私は縋る想いで皆を見回した。 「うむ、軒《のき》を貸して母屋を取られるの例えもござるからな。いや、御分別でござった」  バイラが得心したように何度も頷いた。 「であろう」  私は取り繕うように胸を張りながら、このミノタウロスへ湧き上がる怒りを必死に抑え込んだ。元はといわば、お前がいらんことを言うたせいであろうが。  私は何とか気を取り直した。今後のことを指示せねばならない。 「シャドウ・デーモン」  私を窮地に追い込んだ出歯亀どもを呼んだ。 「ここに」  影が四つ、出し抜けに取り囲むように私の周囲に立った。涅《くり》色の皮を張り付けた骸骨のような悪魔。片膝をついて、空虚な眼窩が私を見上げた。 「立て。いちいち控えなくてよい」  私の言葉に、四人は一斉に無言で立ち上がった。 「ゴブリンどもはいつ起った」 「二時間ほど前に」  ジニウがほとんど口を動かさずに答えた。 「日の出前に出立したのか」  クルーガがぼそりと言った。 「追いまするか。今なら追いつくのも容易《たやす》いかと」 「無用、それより今は休め。明日より、二名一組で出口の周辺を見張れ。近いうちにシャドウ・デーモンの数も増やす。お前が差配せよ」 「承り申した」 「ならば室《むろ》へ戻れ、大儀だった」  答えるかわりに、シャドウ・デーモンたちは一斉に一間ばかり飛び退いて、そのまま溶けるように消えた。 「いちいち芝居がかった者どもでござるな」  バイラが呆れ顔で言い、ごきりと首を鳴らした。 「さて」  私は一同に向き直った。 「ゴブリンどもが戻るにせよ戻らぬにせよ、この迷宮の位置はエルメア王国の者どもにも知れたと思わねばならぬ」 「それは早計ではなかろうか。殿はゴブリンの族長に口止めなされたはず。彼らが戻ってくるならば、我らのことは余人に知られておらぬと考えてよいのでは」  バイラが訝し気に訊いてきた。 「人の口に戸は立てられぬ。あの一族の誰かの口から洩れると覚悟すべきだ。それに」  私は空を仰いだ。 「この緑地のことはいずれ航空竜騎兵の空中偵察で知られるだろう。むしろ、もう知られておってもおかしくない。恐らくは」 「恐らく、とは」  クルーガが先を促すように訊き直した。 「いずれ、王国の息のかかった者がやってくる」  一同が小さく嘆息した。 「ふむ、冒険者どもでござるな」  バイラが皆を代表して答えた。冒険者とは、鼎《かなえ》の同盟が使う不正規兵のことだ。長距離斥候や焼き働き、破壊工作に長けた半民半兵の輩。その残虐ぶりと好戦的な性格で、鼎《かなえ》の同盟の国々で傭兵として重宝されている。敵は軍を動かす前にまず冒険者を投入するのが常だった。 「いかがなさる」  ミノタウロスが心配そうな顔をした。 「バイラよ」 「は」 「迷宮の出口に陣屋を設ける。急拵《きゅうこしら》えで良い」 「何故に陣屋など。このような地形で、屋形など構えても守り切れませぬぞ」 「砦ではない。一つは、迷宮の坑口を上空から隠すためだ。現地住民に知られた今となっては、普通に偽装しても隠し切れぬ。  更には、私がたまたまこの地に居を構えたふうを装うため。可能ならば、地虫の肉を扱う商人《あきんど》の振りをするのだ。いずれは砦に作り替えるかも知れぬが、それはずっと先になる」 「ならば、すぐにでも」 「それと、一の丸の普請も急がねばならぬぞ。冒険者が来たらば一の丸で悉く首にする」 「迷宮普請はミノタウロスの御家芸。お任せあれ」  バイラがどんと胸を叩いた。 「クルーガには、ゴーレムを使って二の丸に穴を掘ってもらう。出来るだけ大きな穴だ」 「屍者の坑《あな》か」  クルーガは察しがいい。 「うむ」 「掘るに異存はないが、穴を管理する者がいたほうがいい。私は本格のネクロマンサーではない」 「うむ、今日にも召喚しよう」 「それなら問題なかろう。では」  足早に立ち去るバイラとクルーガを見送り、 「さて、忙しうなるぞ」  一人残ったテラーニャに何気に語り掛けたが、テラーニャは答えない。澄ました顔で遠くを見ている。まるで私を視界から消したように。 「何だ、ゴブリンの娘の件をまだ怒っておるのか」 「怒ってなどおりませぬ」  気色《けしき》ばんだ顔で私を睨みつけた。 「だいたい、主様は御自分のお顔を御覧になったことがおありなのですか」 「はて」 「禿げ上がったお頭《つむり》に鍾馗髭《しょうきひげ》、目は四白《しはく》の凶眼、まるで黒入道のよう。これで女子《おなご》に好かれようなど、沙汰の限りにございます」 「そんなに酷いか」  色男ではない自覚はあったが、こうも生々しく残酷に指摘された衝撃に私は思わずよろめいた。 「悪面相《あくめんそう》でございます。ゴブリンの童《わらし》どもも、主様を見て怯えておりました」 「むう」  酷い言われ様だ。だが否定できない。カゲイの息子が私を見て引き攣けを起こしかけたのを思い出した。 「そのような主様を平気な娘など」  テラーニャがきっと見つめていた眼を伏せて、消え入るような小さい声でもごもごと何事か呟いた。よく聞き取れなかった。 「え、何だと」  テラーニャの顔がみるみる朱に染まる。 「だから、他所《よそ》の娘に色目など使われますな」  言い捨てるように叫んで、顔を隠すようにテラーニャが向こうに顔を背けた。 「すまん、今、何と申した」  テラーニャは答えず、すたすた歩き出してしまった。 「おい、待て、待ってくれ」  私は何とかテラーニャの機嫌を取ろうと、必死で後を追った。  迷宮に戻った私は、三の丸に隣接する黒龍の洞《ほら》に向かった。壁も床も冷たい石がむき出しになっていて、崩落を防ぐ材でそこかしこが補強されている。  湿気とともに、もうすっかり嗅ぎ慣れた臭いが漂ってきた。腐敗した死骸と糞尿が混じり合った強烈な臭い、拒絶と絶望、そして恐怖の香りだ。 「済まぬが、少々騒がしくなるかもしれぬ」  私は闇の中に堆《うずたか》く盛り上がる丘に語りかけた。丘が緩やかに蠢《うごめ》いた。 「ゴブリンどもか。気づいておったわ」  ヤマタの思念が響いてきた。 「地下からの排水が地表に溜まって泉になった。それを、不覚にも放牧のゴブリンに勘づかれた」 「ふむ、このような鄙《ひな》びた処《ところ》にまで押しかけるとは、人の性《さが》とは浅ましきものよ。この世の全ての地をその足で踏まねば収まらぬらしい」 「どうやら、上の」  私は天を指さした。 「エルメア王国で騒動があったようだ。件《くだん》のゴブリンども、その累《るい》でここまで押し出されたらしい。いずれ我らも物見を出して様子を探らねば」 「人の浮世の柵《しがらみ》とは厄介なものよ」  ヤマタが長々と嘆息し、地鳴りのような音が木霊した。 「それで、如何《いかが》なさるのだ、我が主よ」 「知れたこと。戦備《いくさぞな》え整うまで刻を稼ぐ」 「人とは隙間を見つけてどこにでも入り込む生き物だ。未知への探求、名誉欲、射幸心、義務など、様々に益体もない理屈をつけてな。  すぐにこの迷宮の入り口も知れよう。この曲輪《くるわ》も、更にこの下の層も、連中が闊歩することになる」 「許すものか。私はこの迷宮の主ぞ。私こそが迷宮なのだ」  私は黒龍を睨み据えた。 「私は絶対に侵入を許さない。そんなことをすれば、皆殺しにしてやろうぞ。そいつらの町や村を襲い、女子供を殺して犯し、家を焼いて塩を撒いてやろう。  私は拠点精霊、私はそのために作られた」  ヤマタが小さく蛇身を揺すった。嗤《わら》ったのだ。 「ふむ、この室《むろ》にまで寄せて来らば、我が相手をしよう。しかし、いまだ手負いの身ゆえ、合力するにも限りがある」 「ここまで来させる積りはないわ」 「そうであればよいのだがな」 「そのために、上の二の丸に孔《あな》を掘る。煩《うるそ》うなるが、我慢してもらいたい」 「屍坑《しこう》か」 「察しが良いな」 「捕らえた敵を放り込んでアンデッドの隊を編成するか」 「そうだ、魔力を費やし召喚門で兵を呼ぶのも限度がある」 「アンデッドは特に神聖魔法に弱い。アンデッドに頼り過ぎるのは危うし」 「それも承知」  ヤマタは少し考えていたが、 「後方からの援軍は期待できないのか」 「この迷宮は遅滞陣地だ。司令部の増援は期待できない」 「ふむ、楽しそうだな」 「ああ、まさにこれぞ迷宮の戦よ。迷宮主冥利に尽きるというもの」  私は不敵な面《つら》で笑おうとした。うまく笑えたか自信がなかった。  やがて、闇に馴れてきた目に幾つかの煌めきが見えた。ヤマタの顎の下に硝子玉が転がっている。その数は五十を超えそうだった。 「ギランの作った硝子玉か」 「うむ、我が無聊《ぶりょう》を慰めんと、時折持ってきてくれておる」  有難いことよと呟くように言う。 「最近は、色を着けることを覚えてな」  よく見ると、淡い碧色や桃色の硝子玉が混じっている。 「ギランめ、腕を上げたな」 「うむ、それがな」  言い難《にく》そうに、ヤマタは巨大な頭を傾けた。 「我は色つきは好かぬのだ。否、嫌いという訳ではない。だが、光は混じりけのない純粋こそ望ましい」  何たる贅沢なことを、私は呆れた。 「ならば、ギランにそう言えばよいではないか。色つきは要らぬと」 「あのザラマンダーめ、嬉々として持ってくるのだぞ。気の毒で、とても我が口からは言えぬわい」 「なら我慢することだ」 「むう」 「ところで、我が主よ」  含み笑いする私に我慢ならなくなったのだろうか。ヤマタが話を振った。 「何だ」 「いつも連れておるアラクネの上臈が見えぬが」  ぎくりと背筋に悪寒が走る。 「ああ、少し機嫌を損ねてしもうたようでな」 「我が主は女心に疎《うと》いからのう」 「揶揄《からか》うな。よくある癇癖《かんぺき》ならん」  私は強がってみせた。 「妻《さい》と番《つご》うた人生の先達として教えてやろう」  ヤマタが二股の舌先を踊らせるように振った。その女房に逃げられた癖にと私は内心鼻白んだ。だが奴は男女の付き合いで私より一日の長があるのも確かだ。 「ふむ、聞こう」  私は素直に黒龍の御高説を聞いてみることにした。 「ぱんと頬の一つも張ってやればよいのだ。その後、黙って抱き締めてやれば、一発で腰から砕けおるわい。牝《めす》など単純なものよ」  教えを乞おうとした私が愚かだった。 「烏滸《おこ》を申す。頬など張ってみよ。張り返されて私の首が飛ぶ。  それに、あれはただの副官。そもそも、男女の交わりなどないわ」 「なんと、未《ま》だ据膳を喰ろうておらぬのか」  黒龍の顎から呻き声が漏れた。 「アラクネは女怪《にょかい》、すなわち同族に牡《おす》がおらぬ。故に市井《しせい》に潜み人の牡《おす》から種を享《う》けて子を成すものだ」  ヤマタは得意げに述べた。それくらいは私も知っているが、ヤマタが気落ちするのを恐れて敢えて指摘しなかった。 「アラクネは交おうた牡《おす》を喰らうと聞くが」 「あれは、アラクネの深情《ふかなさ》けを大袈裟に誇張した下らぬ虚言《きょげん》」 「ふむ。しかし、戦陣での色恋は御法度だからのう」 「そのような錆びた掟など誰も守らぬわい」 「だいたい、私は拠点精霊だぞ。惚れられる筈もなかろう」 「ふむ、ではそういうことにしておこう」  話に飽いたのか、ヤマタは顎を蜷局《とぐろ》に埋めて目を細めた。 「では行くぞ。これでも忙《せわ》しい身でな」 「うむ、また物語など付き合うてくれ」 「後で酒など届させよう」  私は苦笑いして洞を後にした。  結局、テラーニャには機嫌を直してもらった。私の血で。  現金な女だ。その女が私の首筋に顔を埋め、舌先を上に向かって走らせた。歯で耳朶《じだ》を噛み、 「もう、怒ってなどおりませぬのに」  嬉しそうに言って、舌を首筋に戻して優しく食いついた。 「ゴブリンの娘ずれに心動かされる私ではない」 「ええ、存じておりますとも」  喘ぐように呟きながら、テラーニャは私の血を吸った。もう何度も吸われているので、慣れてはいたが、今日のテラーニャはやけに情熱的だった。  体を離し、荒い息をついて嬉しそうに歪んだ細い眼で私を見上げ、にっこり微笑んで、 「参りましょう」 「ああ」  私はテラーニャに手を引かれるように本陣へ向かった。  私はテラーニャに命じてギランとクルーガを本陣に召し出し、召喚門の前に立った。私は最初にザラマンダーを五名呼び出すと、ギランを指し示して、 「よくぞ参った。私はこの迷宮の指揮官、丙三〇五六号だ。ゼキと呼べ。これなるは汝らの先任になるギランだ。彼に従え」  それからギランに向き直り、 「これでお前は名実共にこの迷宮の兵具奉行だ。私の兵の物具の一切を任せる。頼んだぞ」 「畏まった」  ギランが私に向かって平伏した。 「続いてネクロマンサーを召喚する」 「何を召喚されるので」  テラーニャが問うたので、私は皆を見回し、 「リッチだ」 「え」  皆が一斉に声を上げて私を見た。阿呆を見るような目で。バイラすら哀れむような面《つら》で私を見ている。なんという屈辱。 「いいかな、殿様」  クルーガが皆を代弁するように前に出た。 「何か」 「ネクロマンサーなら他にも召喚できる。何故、リッチなのかな」 「法撃兵が必要だからだ」 「法撃支援兵が必要なことに異論はない。だが、今の迷宮の余剰魔力でリッチを何名召喚できるか、わかっているのかね」 「一個小隊三名ほどかな」 「それだけの魔力があれば、スケルトン・メイジなら一個法兵大隊半は召喚できる」 「承知している」 「なら何故リッチなのだ。確かにリッチは強力な法兵だが、総法撃量ならばスケルトン・メイジ一個大隊のほうが遥かに上だ」 「だが、射程ならばリッチのほうが圧倒的に長い」 「射程など」  言いかけたクルーガの言葉が途切れた。凝《じ》っと私の目を覗き込む。まるで心の奥を穿《ほじく》り出すかのように。やがて、探るように口を開いた。 「どういうことだ、迷宮内の戦闘ならば法撃の射程などほとんど意味をなさぬ。まさか」 「そうだ。近いうちに、我が拠点の主戦闘陣地を地表へ移す」  本陣にいる全員が息を呑んだ。空気を読んだのか、召喚されたばかりのザラマンダーたちまで。迷宮の戦闘といえば、優勢な敵を狭隘で複雑な迷宮内部に誘引し、分断し、罠や奇襲により敵を消耗させるのが常道だ。  私がしようとしているのは、迷宮主のする戦いではない。 「平地での法撃合戦では、射程が重要な要素となる。軍団法兵であるリッチの長射程法撃は絶対に必要だ。理解したか」  皆が黙り込んで私を見ている。誰もが迷宮戦の利点を放棄する私の計画を無茶だと思っているのだろう。 「ふむ、豪気なるかな」  沈黙を破ったのはバイラだった。 「後詰なき迷宮戦は結局は膠着して消耗戦になり、先細りになる。やはり、地上に陣を張り、可能な限り前方で敵を迎え撃つに如かず」  ばんと巨きな掌で腹巻を叩いて、面白そうに笑い出した。 「ふむ、既に迷宮の位置は暴露しておろう。悪くないかもしれぬ」  クルーガが己れに言い聞かせるように口を開いた。 「でも、司令部の御指図に背くことになりませぬか」  心配そうにテラーニャが言った。 「いや、地下陣地を作れというのはあくまで戦闘指導だ。状況が変わった今、それを曲げても問題はあるまい。要は、如何にして与えられた任を全うするかだ。しかし、思い切ったな、迷宮の殿よ」 「迷宮の普請も手を抜く積りはない。縦深に陣を構えねば、この地を守り切れぬ。敵の戦力をできるだけこの地に引きつけて、できるだけ長く戦うのだ。インプの数も増やさねばならぬ」 「ならば、いずれ孔《あな》から這い出るスケルトンどもに持たせる得物は」  黙っていたギランが手を上げた。 「長柄槍と弓でよろしうござるな」 「槍は規定通り重槍兵用の三間柄だ。それと掻楯《かいだて》も頼むぞ」 「これは忙しうなりそうでござるな」  ギランが愉快そうに笑って口から火を吐いた。 「それ故にザラマンダーの人数を増やしたのだ。気張れよ」  私はそう言いて、リッチを召喚すべく呪を唱えた。  カゲイが一族を率いて帰ってきたのは、二週間後の夕暮れ時だった。  物見櫓からの報告で、私はテラーニャを連れて屋形から外に出た。 「殿」  物見櫓から声が降ってきた。 「こちらへ」  弓を手にした龍牙兵が手を振っている。  私とテラーニャは梯子に足をかけた。 「あれか」  北西からこちらへ向かってくる一群が見える。 「殿の申される通りでござった。しかし、物凄い数でござるな」  先日より倍以上に膨れ上がっている。羊が数百頭、それを取り囲むように進む馬上のゴブリン、その後ろに馬や驢馬《ろば》に牽《ひ》かれた荷車が三十程も続いている。その行列の外周を警戒用の大型犬が何頭も走り回っていた。 「同族の者たちと語り合って合流したのでありましょう」  テラーニャが群れを眺めながら呟いた。 「ゴブリンたちを尾けているような人影は見えるか」  私は龍牙兵に訊いた。  こういう遊牧民の集団や隊商を狙う野盗の物見が跋扈《ばっこ》するのも、この地方では通例だ。物見どもは、夜営地で少数の略奪者を手引きする。威力偵察、平たく言えば小手調べだ。最初の小襲撃で集団の強弱を計り、与《くみ》し易しと見れば、次は大人数で襲いかかる。  龍牙兵は遠眼鏡を手にして暫《しばら》く眺め回した。  ギランの硝子工房に作らせたものだ。円盤状の硝子玉を二つ、筒の前後に嵌めただけの他愛もない代物だが、櫓からの遠見には使い勝手がいい。 「それらしい影は見られず」  遠眼鏡から目を離した龍牙兵が報告した。 「油断すまい。テラーニャ、シャドウ・デーモンを全て出し、北西に二里の位置に哨戒線を張れ」 「あい」 「言うまでもないが、戦いは努めて避けよ」 「心得ております」 「さて、ゴブリンを出迎えねばならぬ」  私は櫓の龍牙兵に向き直った。 「よいか、くれぐれも連中を怖がらせたりするなよ」 「これは心外なり。それを申されるなら、殿の御面相《ごめんそう》のほうが余程恐ろし気でござるわ」  まるで魔除けの鬼瓦などと無礼なことを言う。  ほほと背後でテラーニャが声を上げて笑った。 「悪面《あくめん》こそ武人の誉れと申す。我も殿の顔《かんばせ》にあやかりたし」  この龍牙兵はどうやら真面目に言っているらしかった。 「むむ」  どうやらこの狭い櫓台に私の味方は一人もいないらしい。 「ええい、もうよい。私はゴブリンどもを出迎えに大手口に参る。このまま物見を続けよ。テラーニャ、シャドウ・デーモンに指図してから大手口まで来よ」  承りましたとテラーニャと龍牙兵が笑顔で答え、私は釈然としないものを抱えて梯子に手をかけた。  大手門の前で待っていると、一団から数騎飛び出してきて、私の前に轡を並べた。カゲイにヒゲン カゲイ、それに見知らぬゴブリンが二人。  私はカゲイに向かって声をかけた。 「よう戻られた」  カゲイは慌ただしく鞍から降りるや、高々と笑いながら歩を進め、いきなり私に抱擁した。 「ゼキ殿、この魔族の世捨て人め」  皮脂に混じる土や馬糞の臭いに思わず閉口し、私は顔が歪まぬように努力を払う羽目になった。  カゲイは一頻《ひとしき》り哄笑して、ようやく私を解放した。 「遅れて申し訳ない。地虫の肉を売り捌《さば》くのに刻がかかり申してな。あれだけの量じゃ。怪しまれずに銭にするのに手間がかかり申したわい」  そういうものなのか。ただ、高価なものを市《いち》で売り払えばよいという単純な話ではないのだろう。そんなことは考えもしなかった。どうやら私はそういう取引の機微に全く疎いらしい。  カゲイは私の背後を見回し、呆れたように声を上げた。 「何と、僅かな間にこのような御殿を作られるとは。ゼキ殿は幻術を使われるか」 「なに、外見《そとみ》ばかりは気張っているが、中はまだまだでござる。家財道具など作らせておるが」  言いながら私も背後を振り仰いだ。  元より家具など整える積りはない。この屋形はこの地を訪れる現地住民を応対するためのもので、住居ではないのだ。  平屋で板葺きだが、中に数十人は入れる広間があり、迷宮へ通じる隠し通路は奥の寝所の床下に巧妙に隠され、常時三名のナーガ兵が警備している。  四周には兵数百が入れるほどの溜りが設えられ、それを囲むように高さ一丈半の杭が植えられている。物見櫓が二つ、それに大手口は材を組み合わせただけの荒々しいものだが、射座を配した四脚門で、ここも三名の龍牙兵が詰めている。  私はもっと簡素な建物でいいと言ったのだが、バイラたちが張り切ったせいで、ちょっとした関砦《せきさい》の体《てい》をなしている。 「それにしても」  私はゴブリンの集団を見回した。 「随分と人数が増えたようだが」 「我らの遠縁の者にござる」  新参のゴブリン二名を手で示し、彼らに目で合図をした。  髪に白いものが混じったゴブリンが、若いほうを連れ、私の前に進み出て平伏した。 「バルグと申す。この者は」  連れに顔を向けて示して、 「我が倅のヴァジスでござる。この緑地の支配者たるゼキ殿に敬意を送り申そう」  私は慌ててバルグの手を取った。 「面《おもて》を上げられよ。カゲイ殿に縁《えにし》あるお方ならば歓迎せぬ法はござらぬ」 「これは思いも寄らぬ御言葉かな。有難し」  私に手を引かれるように起ち上がったバルグは忽《たちま》ち破顔した。が、目は笑っていない。私を値踏みしているのだ。年経ているだけあって、落ち着いた老獪な目をしている。 「ゼキ殿に土産を持参いたした。我ら、羊を追い野を流離《さすら》う無粋者故、お気に召していただけるかどうか」  バルグの如才ない言葉に、カゲイが笑いながら、 「我らも頼まれた品をお渡しせねばならぬ。併せて御検分していただかねば」  と口を挟んできた。私は思わず微笑んだ。 「はは、忙《せわ》しないことでござるの」  二人が後ろのゴブリンたちに手を振ると、予《あらかじ》め言い含められていたのだろう、数台の荷車が動き出すのが見える。 「どちらへ運べばよいか」 「柵の内側へ、テラーニャ、案内《あない》して土間に回してくれ」 「あい」  テラーニャがゴブリンの集団に歩み寄るのを見届けて、 「ではこちらへ」  私は五人を促して屋形に入った。 「皆に野営地を作らせてもよろしうござるかな」 「無論でござる。何ならこの屋形に泊まられてもよいが」 「いや、我ら木の壁と天井はどうも落ち着かぬ。天幕を張らせていただきたい」 「ならば、どこなりとも好きな場所を使われよ」 「かたじけない」  カゲイは頷くと、両手を大きく振った。それを合図に、ゴブリンたちが解けるように散り、めいめいに荷車から畳まれた天幕を卸《おろ》し始めた。  その周囲を、ゴブリンが連れた犬たちが守るように歩き回っている。 「見事な犬でござるな」  四肢が太短く、肩は仔馬の高さ程もある。 「巨狼の血を引いておるでな」  カゲイが自慢げに腰に手を当てた。 「ふむ、ゴブリン騎兵といわば、馬ではなく巨狼に乗るものと聞き及んでいたが」 「それは我が曾祖父の代まででござるわ。狼は乗り心地が悪《あ》しうござってな。一度馬に乗れば、狼に跨るなどとてもとても」  とからからと笑った。 「なるほどのう」  私は感心したように頷いて、屋形の玄関を潜った。  私は、ゴブリンたちと框に上がり、玄関の土間に置かれていく土産の品々を検分することになった。  まず、いちいちバルグが説明を加える中、彼の手土産が並べられていく。  羊毛が十把、毛織の絨毯が四枚、それに、馬革の鞍、細かな装飾が施された鉄弓、金細工が施された箙に征矢が作法通り三十六本、魔銀の太刀が一振り。  私は太刀を取ると鞘を払い、目の高さに上げた。刃がぎらりと光った。柄は革巻き、刃渡り二尺七寸、反り浅く、見たところ長く使われていないようだった。装飾を施したり、立派に見せようとするところはまるでない。魔法剣でも神秘的な力を秘めた剣でもなく、明らかに人を切り刻むための剣だ。相手を殺すか、失敗《しくじ》っても相手の体には一生障害が残ってしまう。それも出来るだけ多くの人間を。刀身には信じられないほどの憎悪と恐怖があった。 「それは王家御注文打ちの刀匠シュライアスの一門が鍛えた利刀でござる」  バルグが自慢げに胸を反らせた。 「美しい」  私は思わず呻いた。そして急に、自分はこの剣のことをもっとよく知りたくはないということに気づいた。剣は美しいが、その美しさは例えるなら森林火災のような美しさだ。それは近くで愛《め》でる美しさではなく、遠くから眺めるような美しさだ。  私は太刀を鞘に納め、 「これをギランに鑑《み》せてやってくれ」  とテラーニャに命じた。 「あい、直ちに」  テラーニャが太刀を両手で抱えて奥に消えるのを見送り、バルグに向き直った。 「私には過ぎたる贈り物の数々、まことに恐縮いたした」  謙遜ではなく、私は本心から言った。目利きはできないが、いずれも値打物であることは私にもわかる。 「何の、この緑地を好きに使わせていただく返報ならば、安いものでござるわ」  バルグが声高に笑った。  続いて、カゲイに頼んでいた品々が並べられた。  味噌が十樽、米十俵、漬物樽が五つ、絹二十反、漆塗りの碗や皿、行李に箪笥などの家財道具が並べられていく。最後に刻み煙草が一袋置かれた。  バルグのものより格は下がるが、それでも実用の品の数々が有難かった。 「種籾や野菜の種は手に入れること叶わず。公儀の目が厳しうてな」  済まなさそうにカゲイが告げた。 「いや、そういう事情なら致し方なし。それより、銭は足りたであろうか」 「十分に。むしろ余りすぎた故にお返し申そうかと」  懐から重そうな袋を取り出した。 「いや、取っておかれよ。どうせ銭などここでは役にも立たぬものでござる」  私は大袈裟に手を振った。 「それより、広間にて宴の用意をさせ申そう。それまで、座敷にて酒などいかがかな」  私は立ち上がって、ゴブリンたちに向かってにこりと笑いかけた。  座敷には既に酒が用意され、クルーガが影のように控えていた。極端な痩躯《そうく》で、鞣革のような皮膚の下には肉が全くついていない。鷲鼻ばかり目立つ顔に刃物で刻んだような細い目が無表情にゴブリンたちを見回した。  ゴブリンたちが動じる暇も与えず、 「これは私の用人でクルーガと申す者でござる」  私が紹介すると、クルーガはたちまち相好を崩し、 「クルーガと申す。主人に大層な贈り物を賜り、礼のしようもござらぬ」  深々と平伏し、戸惑うゴブリンたちを急《せ》かす様に、 「ささ、お坐りあれ。我が家自慢の酒でござる。ゆっくりとお寛ぎあれ」  と半ば強引に円座を勧めていく。このヴァンパイアは、黙っていれば恐ろし気だが、喋り出すと途端に社交的な軽忽《けいこつ》さを露にする。 「男ばかりのむさい席でござる。手酌でよろしうござるな」  そう言って私は瓶子を取った。 「ふむ、エルメア王国は二つに割れておるのか」  酒杯を傾けながら、私は呟きを漏らした。 「左様でござる。先王マイラス、戦野に儚《はかの》うなって嫡男サーベラが跡目を継ぎしが、いまだ若年ゆえに王弟イビラス公が後見を務めておられた」  カゲイが酒に濡れた指先を舐めた。 「ところが、宰相ナステル伯を筆頭に一門衆が権勢を振るうようになると、イビラス公は疎まれるようになり申した。  そして、三月前、王家重代の家臣数名が不行跡の科《とが》にて誅殺されるに及び、身の危険を感じたイビラス公、手勢を率いてハクイの町に引き移った次第」 「何時《いつ》ぞやカゲイ殿が申されたハクイの騒ぎとは、そのことでござるか」 「然《しか》り。一門衆の息のかかったハクイの代官キーロイス、兵を募りイビラス公の御本陣に夜襲をかけまいたが、歴戦のイビラス勢に散々に返り討ちされ、辻々に首を掛けられてござる」  カゲイがデス・ワームの肉を売りに訪れたときも、まだ白骨化した首が残っていたという。 「イビラス公の遣り口は手堅い」  カゲイは据えた目で続けた。  王都に対して使者を立て、 「イビラス公のハクイ襲封《しゅうふう》並びに謀反人キーロイス及びその一党誅殺」  と馬鹿丁寧に報告した。王国はまだ内乱を戦う余力はない。このため、イビラス公のハクイ入りは済《な》し崩しに沙汰止みになっている。 「知恵者でござるな。在《ざい》の者はいかが申しておるのか」 「これが結構な評判なそうな」  自らハクイ探題と称して占拠した代官所を探題府とし、ただちに高札を立てて年貢を四公六民とし、種籾や種を専売にして農民にただ同然で下げ渡した。 「それで種籾などを得られなかったと」 「うむ、我ら流浪の民には売れぬと断られ申した」 「とは言え、領民にとっては善政でござるな」  王国は先年に被《こうむ》った戦禍から立て直しのため、庶民に過酷な重税を課している。民に優しいイビラス公の人気が上がらぬほうがおかしい。 「既に近領の百姓ども、挙《こぞ》ってイビラス公の領内へと移りつつあるとか」 (それは危うい)  領民に逃げられた近隣の領主どもが黙っていないだろう。 「それに、人間、エルフ、ドワーフの三族以外の亜人も分け隔てなく取り立てておるそうで」  手駒の不足を補おうとしているのだ。 「カゲイ殿はイビラス公に身を寄せようとは思われぬのか」  いままで黙っていたクルーガがぼそりと言った。 「何の、王家の争いの先兵として使い潰される程に愚かではござらぬ」  カゲイが冷えた声で笑った。 「して、新王サーベラは」 「結構な美丈夫であるそうだが、有り様は阿呆でござるわい」  カゲイは噴と鼻を鳴らした。それを見て他のゴブリンらが小さく笑い声を上げた。 「先の戦では亡き先王の軍を纏めて旗頭となり、同盟軍の一角を占めて反攻を主導した一人に数えられたが、今は全くの腑抜け」  闘茶や蹴鞠に現《うつつ》を抜かし、その他のことは一門衆に任せきりという。  その一門衆も、土地から物を獲っていくだけの存在で、後は何の役にも立たない輩と、カゲイは吐き捨てるように言った。 「毎年秋頃になると、野盗の群れが村々に攻め寄せ、作物を奪い、人攫《ひとさら》いいたす」  こんな時も、兵を繰り出すことは一切せず、傍観するばかりという。 「仕方なく、郷《さと》の者が刀槍を取って追い払い申す」 「我らもしばしば合力を頼まれ、馬を駆り弓を取ること一度や二度ではござらぬ」  バルグが横からそう言って、ぐいと土器《かわらけ》の酒を呷った。  ヒゲンとハマヌ、それにバルグの息子のヴァジスも遣る方無いように何度も頷いた。 「情け無きことでござるな」  彼らゴブリンたちの今の窮状の元凶でもあるのだろう。私は彼らに同調する振りをした。 「それで、専横を極めておるという一門衆筆頭のナステルとは何者でござるか」 「これが大変な切れ者であるそうな」 「ほう」 「元はサーベラ王の傅役《もりやく》と申すが、曲がりなりにも焦土と化した国土を立て直し、各領主の兵を集成して国軍を再建した功臣。先の戦でも、国王軍の作戦を主導したのはこの者という」 「油断ならぬ男でござるな」 「今、王国はこの男の食い物にされているといっても過言ではござらぬ。イドの町に軍兵を進めて周辺の牧草地を独り占めにしたのもこやつの差し金」  カゲイが忌々し気に膝を叩いた。  やがて、ゆっくりと引き戸が開いてテラーニャが入ってきた。 「殿様、宴の支度が整いましてございます」 「うむ、では方々、広間に参ろう」  私は起ち立がり、ゴブリンらを急かすように明るく告げた。  広間には既に野営の設営を終えたゴブリンたちが並んで待っていた。  広間に四十人ほど、残りは広間に面した庭に板を敷いて坐っている。その数、凡そ百は下らないだろう。あちこちに酒樽が置かれている。 「広間が狭く、このような仕儀になりましたこと、お許し下さいませ」  テラーニャが深々と頭を下げた。 「いや、急に押し掛けた我らこそ無礼。こうしてお招き預かっただけでも望外の喜びにござる」  バルグが慌てて何度も頭を下げ、 「さあ、顔をお上げくだされ」  とテラーニャの腕を取った。 「これで全てでござるか」 「野営地を無人《ぶじん》にするわけにもいかず、幾らか人数を残してござるわ。その者らも合わせれば二百程でござる」 「それでは、野営地にも酒や料理など届けさせよう」 「御心遣い、痛み入る」  カゲイが感心したように声を上げた。 「ゼキ殿、あれは」  カゲイの問う声に庭先に目をやると、そこには土を盛った急拵えの竈《かまど》が五つほど切られ、そこに薄い鉄板が敷かれている。 「『鋤焼《すきやき》』と申して、農村では農具に油を引き、獣肉など炙《あぶ》り食いするそうな。生憎、邸には鋤も無い故に、代わりに鉄板で」 「御趣向かな」 「潰したばかりの地虫の生肉を用意いたした。腹一杯食ろうてくだされ」 「おお、新鮮な地虫の肉とは、貴人でも滅多に味わえぬ贅沢でござるな」  横で聞いていたヒゲンが喜声を上げた。  喜んで貰わねば困る、私は心中で胸を張った。こういう時のために、二の丸にわざわざ生け簀《す》まで作ったのだ。凶暴な大地虫はすぐに共食いを始めるので、大人しくさせるのに随分と苦労した。  私たちが上座につくと、時を置かずに俎板に乗せた肉が運ばれてきた。  運んできたのはインプとラミアだ。流石にもうカゲイたちも驚かなかった。  だが、驚きは見せなくとも、やはり珍しいらしい。火を起こしているインプらを指差し、 「ゼキ殿、あれは如何なる者にござるか」  と問うてきた。 「あれはインプ、魔国では珍しくもない使い魔どもにござる」 「ふむ、あのような者どもは初めて見た。奴婢でござるか」  私は高々と笑って、 「あれは従者でござる。我が家人に奴婢などおり申さぬわ」 「ふむ」  カゲイは何事か言いたそうだったが、礼を失すると思ったのだろう、黙ってインプらを見つめ続けた。  そうこうするうちに肉が焼ける匂いが漂い、一同に酒が回されたのを見計らって、私は立ち上がった。 「皆様方、我が邸によう参られた。せめてもの御持て成しでござる。今夜は存分に楽しまれよ」  私は出来るだけ明るい声で告げた。すると、カゲイが立ち上がって盃を持ち上げ、 「ゼキ殿に」  と大声で宣した。それを合図にゴブリンたちから歓声が上がった。  焼けた地虫の肉を皿に乗せたラミアが、愛想を振りまきながら宴席の間を動き回っている。 「御女中衆でござるか」  飽くほど眺めていたヒゲンが訊いてきた。 「美形揃いでござるな」  ラミアは腰の辺りから下が蛇身の女怪だ。紫銀色の髪に嫣《えん》な若い女の上半身を持ち、専ら若い男を誘惑するといわれているだけあって、男好きする肉置《ししおき》をしている。詳しく言えば、艶めかしく動く縊れた腰に巨きな胸、常に濡れているような大きな紫の瞳は思わせぶりで、私も時々困ることがある。 「いや、まことに麗しや」  酒を飲むのも忘れてヒゲンが呆けたような声で呟いた。 「あれらが着ている小袖は、先日、カゲイ殿からいただいた羊毛を織ったものでござる」 「おお、それは送った甲斐があったというもの」  宴の場も和らいで、所々で歌声が上がり、ゴブリンらが手踊りを始めた頃、 「殿、遠物見から報せがきた」  クルーガが言った。いつの間にか彼は、私の後ろに立っていた。  ゴブリンたちに聞かれたくないのだろう。低く小さくぼそぼそした口調だが、何故か一語一句はっきり私の耳に届いた。 「野盗の群れが近づいている」  吸血鬼は確かにそう言った。 「何、野盗だと」  私は思わず大声を上げて、他に聞こえないようにしていたクルーガの気遣いを台無しにした。  宴の騒音のお陰で上座のゴブリンたち以外に聞こえなかったが、カゲイが私に不審な目を向けてきた。 「野盗とは聞き捨てならぬ」 「屋形の北、一里足らずの丘の陰に騎馬が八十程、その数は時を追って増えている様子。恐らく、払暁に襲い掛かってくる」  クルーガがまるで他人事のように言った。 「この屋形を好餌《こうじ》と見て仲間を呼び集めているのだろう」 「心当たりはござるか」  私はゴブリンの族長に訊いた。 「群盗の斥候かはわからぬが、ハクイの町を出て最初の日に怪しい影を見た。三日前のことにござる。三頭の驢馬に跨り、それぞれ犬を一頭連れていた。次の日には失せていたので諦めたと思い、気にも止めなんだが」  隊商や遊牧の列に盗賊の手先の影が付きまとうのはよくある話だという。 「いかがいたそう、殿よ」  クルーガが落ち着いた声で尋いた。最初から答えはわかっているような顔で。 「迎え撃つしかあるまい」 「うむ」 「カゲイ殿らに災いが及ぶのは避けたい。そんなことになれば我らの名折れ」 「物頭もそう考えて、支度している」 「待たれよ」  カゲイが口を挟んできた。 「賊を呼び込んだは我らが手落ち。我らも戦い申そう」  クルーガが露骨に嫌な顔をしたので、私は慌てて目で窘《たしな》めた。 「敵に魔導士は見えたか」 「それらしい姿は見えなかったそうだ。だが、これから馳せ参じてくる者の中にいても不思議ではない」 「それで、物頭の策は」  ゴブリンたちの手前、クルーガは口に出すのを躊躇《ためら》う様子だったが、私の目を見て、仕方ないという顔で話し出した。 「経路上に兵ども重畳《ちょうじょう》に埋伏《まいふく》させ、列の後尾から静かに襲うそうだ。最後はこの屋形で迎え撃つ」 「道とてない荒野だ。敵の前進路が目論見から外れたらいかがする」 「シャドウ・デーモンどもが待ち伏せの適地を見繕っている。問題ないだろう」 「ゼキ殿」  痺れを切らしたカゲイが声を荒げた。軍議の場で放置された形になったのが我慢ならないようだ。 「カゲイ殿」  私はカゲイに向き直った。 「聞いての通りでござる。道中で奴らを削り、最後は我が屋形で敵を迎え撃つ」 「ならば我らも御加勢を」 「応よ、馬を駆り、賊の一人たりともこの屋形に近寄らせるものではないわ」  バルグが吼えて、床を拳で叩く。  その頃になると、広間のゴブリンたちも変事に気づいたのだろう、こちらを凝《じ》っと見守っている。  私は慌てた。ゴブリンの一名たりとも死傷させれば遺恨の因《もと》になりかねない。 「あいや、それには及ばず。何の、野盗ずれに手間取る我らではござらぬ」  私はカゲイらを落ち着かせようと手を大きく振った。 「それに、闇の中の乱戦ともなれば、味方に無用の死人手負いが増えるやもしれず」 「ならば、我らも屋形の柵側に立ち、御家来衆と共に戦わん」  カゲイの大声に、ヒゲンとハマヌが昂奮したように何度も頷いた。  私は内心困惑した。屋形に拠《よ》っての防戦となれば、まず間違いなく敵は火責めしてくる。このような屋形、燃えても惜しくはないが、ゴブリンに死人怪我人が出るのは困る。それに、ゴブリンたちの中に内通者がいたならば厄介だ。もしかしたら、ゴブリン全員が賊に内通している可能性も捨てきれない。 「それより」  私は戦意に燃えるカゲイの目を見つめた。 「敵はまずこの屋形に仕掛けてくる筈。屋形から離れ、火を消し、声を潜めておられたい。敵が我が屋形に攻め掛かってきたならば、その背後を襲われよ」 「挟み撃ちでござるか」  カゲイが舌舐めずりして面白そうな顔をした。 「うむ、天幕を畳み、泉の反対側で羊を囲んで守りを固められたい」 「心得た」 「クルーガよ」  私はヴァンパイアに向き直った。 「ゴーレムどもを連れ、カゲイ殿御一族に寄騎《よりき》せよ」 「お任せあれ」  ゴブリンたちが裏切ったときの保険の意味もある。それを察したクルーガが不敵に微笑んだ。  その頃には、宴席のゴブリン全員が息を詰めてこちらを窺うように見つめていた。  それに応えるように、カゲイが立ち上がった。刀の鐺《こじり》を上げ、 「皆の衆、聞いた通りだ。匪賊ども残らず討ち平らげ、軍神の贄《にえ》とせん」  大音声《だいおんじょう》で呼びやると、一同の間から応の声が沸き上がった。  流石は遊牧の民だ。ゴブリンたちはそれから一時間もしないうちに羊たちを寄り集めて天幕を畳み、後は荷車へ積み込むばかりとなった。  私はカゲイとバルグと並んで、感心しながらゴブリンたちの手並みを見ていた。 「素晴らしい手際でござるな」 「何の、野に伏し草を枕とする生業でござればこれくらい」  笑いかけたカゲイの声を、犬のけたたましい吼え声が遮った。  振り返ると、大手口からナーガ兵たちの列が静かに這い出てくるのが見えた。全員が物具に身を固めている。薙刀を手にした突撃兵が三個小隊に弩兵が一個小隊。いずれも夜戦に備えて刀身に煤を塗り、鎧の袖を縛っている。  ゴブリンたちが懸命に犬たちを静めている中を、隊列は私の前まで来て足を止めた。先頭のネスイが兜の庇《ひさし》を上げ、 「これより出立いたす」 「うむ、吉報を待っておる」 「お任せあれ」  ネスイはにっと笑うや、さっと芝居がかった動作で手を挙げる。ナーガ兵の列が再び音もなく動き出し、たちまち闇の中に消えた。 「あれもゼキ殿の御家来でござるか」  カゲイが気味悪いものを見た目で私を見上げた。 「うむ、闇に慣れたる者どもにござれば、月も見えぬ暗夜の戦いには打って付け」 「しかし、敵《かたき》は騎馬でござる。大丈夫でござるか」  我らも御一緒したほうがと、バルグが心配そうに言った。  私はうずうずと笑い、 「お任せあられよ。我らが手並み、よう御覧《ごろう》じられよ」  思い切り強がってみせた。  やがて、クルーガが手下《てか》のヴァンパイア四名とゴーレムたちを連れ、地響きを立てながら、こちらへやってきた。 「クルーガ以下四名にストーン・ゴーレム十八、クレイ・ゴーレム三でござる」  私はカゲイに告げ、 「クルーガ、頼うだぞ。カゲイ殿、バルグ殿の御一族、一人《いちにん》たりとも損ずるべからず」 「任せてくれ給え」  クルーガが微笑んで身震いした。この男も、流血の予感に気の昂ぶりを抑えきれないようだ。  丁度、ゴブリンの荷車も荷造りを終えて動き出そうとしている。 「さあ、カゲイ殿、バルグ殿、参りましょう」 「あ、ああ」  ゴーレムたちの巨体に圧倒されたのか、縺《もつ》れた声でカゲイが答えた。 「それではゼキ殿、御武運を」 「かたじけない。それでは戦の後で」  カゲイたちが動き出したのを見送ると、私は戦支度の喧騒からたった一人取り残された気分になり、急に孤独を感じて慌てて踵を返すと足早に屋形に向かった。  大手を潜ると、屋形の玄関口でテラーニャが私を待っていた。 「殿様、鎧着せの支度ができまいた。さあ、具足を召されませ」 「着けねば駄目か。鎧は疲れる。ギランめ、あれは鍛えが良すぎるのだ」  出来れば身軽なままがよかったが、テラーニャは承知しない。 「駄々っ子のようなことを申されますな。さあ、こちらへ」  私の手を取り、半ば強引に中へ引いていく。 「せめて、敵が直近《まぢか》に迫ってからでもよいだろう」 「なりませぬ」  框《かまち》には陣幕が張られ、床几が置かれて本陣の形になっている。床几の後ろに鎧櫃《よろいびつ》、その周囲にミノタウロスのバイラとラミア三名が待ち構えていた。ゴブリンたちの贈り物は、既に全て迷宮の奥へと運び去られている。  剥かれるように下帯ひとつになったところに、ラミアたちが手際よく、鎧下の小袖、丈の短い大口袴、佩楯、右手に弓懸《ゆがけ》、鎧直垂《よろいひれたれ》、臑当《すねあて》、左の籠手と着けていく。最後に胴を着けられ、揉み烏帽子を被らされて床几に座らされ、右手に筋の入った兜、左手にゴブリンから贈られた弓を持たされた。まるで節句の鎧人形になった気分だ。鎧の着付けが終わると、ラミアたちはさっさと一の丸の包帯所へと去って行ってしまった。 「よう御似合いでござる」  私の着付けを面白そうに眺めていたバイラが目を細めた。 「龍牙兵どもの配置は」 「大手門の櫓に三名、物見櫓に二名ずつ、残りは柵の守りに」 「櫓の者は降ろして備えに回せ」 「よろしいのか」 「どうせ、急造の櫓だ。矢戦になれば分が悪い。こんなことで手負いを出したくないのだ」 「ふむ」 「それと」 「まだ何か」 「篝火は燃やしたままに。決して火を絶やすな」 「それは」  バイラが口ごもった。何を言いたいのかはわかる。本来は光源を自陣から遠くに置き、己れを闇に潜ませるのが魔王軍の夜戦の軍法だ。 「構わん。敵がまっしぐらにこの屋形を目指すようにしたい。それに」  私はミノタウロスを見上げた。 「火を絶やせば我らの意図を見破られる」 「確かに」 「この屋形は守り切れぬ。敵が寄せてくれば、軽く一防ぎして、すぐに迷宮戦に持ち込む」 「承知してござる」 「そう龍牙兵にももう一度念を押せ」 「畏《かしこ》まり候」  首を振り肩をいからせながら、バイラは玄関を出て行った。  後には私とテラーニャだけが残された。 「弓など扱えぬのに」  その重さに閉口した私は不平をこぼした。もう立ち上がるのも億劫だ。が、テラーニャは毅然とした態度で、 「折角、バルグ殿から贈られた弓で御座います。有難くお持ちあれ」  と言って、赤子をあやす様ににこりと笑った。そんな顔をされると何も言えなくなってしまう。 「そういえば、太刀のほうは」 「ギラン殿が鍛冶場に持ち帰りました。たいそうな業物だそうで」 「そのギランはどうしている」 「ザラマンダーたちは、一の丸の切所《せっしょ》にて控えております」 「ふむ、手筈通りだな」 「あい」  切所は殺所とも書く。一の丸に侵入した敵は、最初の関門を抜けたところでザラマンダー六名が作り出す灼熱地獄に自ら飛び込むことになる。 「龍牙兵は」  テラーニャは暫く闇の向こうの気配を探っていたが、 「皆、既に持ち場に」 「櫓からは降りておるであろうな」 「あい」 「ならば良し」  私は大きく溜息をついた。後は敵を待つだけだ。 「殿」 「わっ」  気が抜けたところに急に声をかけられて、私は心の臓を握られたように仰天し、弓を取り落としかけた。  陣幕の隅に闇が塊のように蟠《わだかま》って立っている。 「サイアスか」  観音帽子《かんのんもうす》に墨染の僧衣、錦の袈裟を引っ掛けた骸骨が立っている。その背後にも同じ装束の骸骨が二人。  二の丸に掘った屍者の坑《あな》を司るリッチたちだ。 「我らは屋形の守りにつかなくて良いのか」  下顎も動かさずにサイアスが聞いた。リッチは舌もないのに流暢に会話をこなす。 「良いのだ。堀もなく柵一重のみの屋形だ。守り切れるとは思っておらぬわ。龍牙兵らにも、小当たりしたならば、すぐさま一の丸へ退くよう申し伝えてある。その際に、彼らの後退を法撃で掩護せよ」 「良いのか、屋形が吹き飛ぶぞ」 「構わん、最大出力で吹き飛ばせ。軍団法兵の法力を見せよ。手加減するな」 「心得た」  顎がかたかた音を立てて鳴った。笑ったのだ。 「ただし、ただしだ」  私は言い聞かせるように指を立てた。 「ゴブリンどもを巻き添えにするなよ」 「何故だ。坑《あな》の贄《にえ》が増えて好都合ではないか」 「痴れ者め。あのゴブリンどもとは友誼《ゆうぎ》を結ばねばならぬ」 「将来的な展望というものか」 「そうだ。そのほうが、後々、贄《にえ》も増えることになる」 「そういうことなら」 「うむ、行け」 「それでは」  リッチたちが掻き消えるように姿を消した。心なしか、篝火の灯が明るくなったように感じる。 「やれやれ、どうも皆、初めての合戦で頭が血膨れしておる」 「ほほ」  私の愚痴に、テラーニャが小さく笑った。 「何だ」 「一番張り切っておられるのは主様でありましょう」 「そうか」 「あい」  テラーニャが手を口に当てて含み笑った。 「そういえば、お前は腹当など着けずともよいのか」 「妾は別式女の類ではございませぬ故」 「そうか、鎧姿のお前も見てみたい気がするが」 「あら」 「きっと凛々しかろう」 「ほほ、いずれお見せするやにしれませぬ」  そう言って、テラーニャは嬉しそうに顔を綻ばせた。  やがて、闇の中からミノタウロスの巨体が浮かび上がった。 「殿、配下の者ども悉《ことごと》く手筈通りに」  バイラが金撮棒《かなさいぼう》を担いだ肩を揺すりながら、玄関から入ってきた。その巨体にも関わらず、このミノタウロスはこういう時は全く足音を立てない。 「ゴブリンどもは」 「泉の向こう側にて円陣を組んでおり申す」 「クルーガらとゴーレムたちはどうだ」 「ヴァンパイアどもはゴブリンの列に混じり、ゴーレムは円陣の中央にて女子供らの矢禦《やふせ》ぎに」 「ふむ、物具つけ、列に立ちたるゴブリンの数はいか程か」 「ゴブリンの一党、総勢二百余なれど、まともに戦える者は六十足らずかと」 「少ないな」 「それより、あの犬どものほうが余程手強い。よく躾けられ、その数三十を下らず」 「ふむ、我らも犬を飼うべきであろうか」  餌なら事欠かない。 「いっそ、我らも魔狼など召喚なされますか」  テラーニャが訊いてきた。 「ふむ」  私は首を傾けて考えたが、 「否、まだ早い。所詮は畜生である。御し切れぬと厄介だからな」 「で、ありましょうな」  バイラが鼻を鳴らして玄関口に立ち、 「さて、敵《かたき》ども、いつ動くか」  闇の向こうへ目を凝らした。  その広い背中を眺めながら、 「それにしても」  私は何気なく呟いた。 「折角の肉が無駄になってしもうたな」 「余っておりますから、良いではありませぬか」 「そうだな。いっそ、迷宮普請など止めて肉屋でも開くか」 「ほほ、このような所まで肉を求めにくるのは盗人くらいでありましょう」  テラーニャがころころと笑い声を上げた。  それからどれくらい経っただろうか。急にバイラが大声を上げた。私は弓と兜を置き、テラーニャとともに跳ねるように外に駆け出して、冷え冷えとした乾いた荒野の向こうに目を向けた。  月もない星明かりの中、地と空の交わる辺りの遥か遠くに、強烈な一点の光が強い星のように輝いていた。  丁度、屋形の玄関に駆けつけた数名の龍牙兵がそれを見て、ぼそぼそと呟いている。すると突然、彼らの間から叫び声が上がった。  間もなく二つ目の光の点が現れ、そして一つ、また一つと増えていった。私は十二まで数えたが、それ以上は数えるのをやめた。  これらの輝く火の点は一列になって現れ、蛇のように畝《うね》り動いた、というより、まさに波動する龍の体のようだった。 「御覚悟はよろしうござるな」  バイラが私に囁いた。龍牙兵たちが口々に、 「戦いに幸あれ」  と叫んだ。私も同じ言葉を言い返すと、彼らは持場へと小走りに去っていった。  輝く火の点はまだ遠くだったが、次第に近づいてきた。今や、私には雷鳴と思える音が聞こえてきた。乗馬に枚を銜《ふく》ませていても、轡《くつわ》や蹄の音は凄まじい。後方に大きく土煙が上がっている。  私が息を殺し、目を見張り、耳を澄ませていると、バイラが呆然と、 「始まった」  と呟いた。そして、彼を見る私の視線に気づき、 「ナーガの衆が動き申した」  とはっきりと言い添えた。  私は再び炎の蛇に目を遣った。が、何が起こっているのか、よくわからなかった。群盗どもは炎と雷鳴を伴い、物凄い勢いで我々のほうへ迫っている。一つ一つの輝く点は次第に大きく、気味悪い赤色になり、ちらちらと舐めるように動いた。まことに猛々しい光景だったが、私は恐れなかった。連中は我々の用意した死の顎《あぎと》へ真っ直ぐ進んでいるからだ。  ふいに、 「ナーガどもが、殿《しんがり》を捉《とら》え申した」  バイラが夜目の利かない私に告げた。  ようやく私にも、炎の蛇の尾の部分の光点が幾つか消えていることに気づいた。 「ナーガ兵が次々に仕掛けており申す」  バイラが続けて言った。やがて、炎の蛇の前進が止まった。自らの尾を呑もうとする伝説の毒蛇のように、炎の蛇が頭を巡らせた。賊のものだろう、仲間に警告する声がここまで聞こえ、甲高い剣戟と怒号と悲鳴、馬の嘶《いなな》きが後に続いた。時折、矢羽根の風切り音が空気を裂いた。 「むう、賊の中軍が伏兵に気づいたか」 「大丈夫か」  戦闘音を聞きながら、私は段々と不安になってきた。  あの炎の乱舞の中で、ナーガ兵たちが優勢な賊の騎兵相手に戦っている。 「大事ござらぬわい。ナーガども、賊の前後を封じており申すわ」  御味方優勢でござるというバイラの言葉を証明するように、戦闘は急速に終息した。  鋭い笛の音が何度か響き、炎の点がぱっと散った。松明を投げ捨てたのだろう、光が次々と地に撒かれていく。それでもしばらくは蹄の音が聞こえてきたが、やがてそれも消え、荒野に沈黙が戻った。 「どうなった」  私は急くようにバイラに尋ねた。 「どうやら賊どもは散ったようでござるな」 「逃げたのか」 「そう考えるのは早計。再び集結して隊列を立て直し、仕掛けてくるやもしれず」  ナーガ兵らに再戦を挑むか、屋形が手薄と見て強襲してくるか、油断は禁物と言った。 「では、我らも備えを解くわけにはいかぬか」 「御分別でござる。何、もうすぐ日が昇り申す。敵《かたき》の企みは刻ならず明らかになり申そう」  バイラが私の不安を拭うように鼻を鳴らした。見ると、東の空が白々《しらじら》と明け始めていた。 「殿様、そう気を張っていては思わぬ不覚を取りましょう。さあ」  テラーニャが玄関の框《かまち》から床几を持ってきて、私に勧めてくれた。  疲れ果てて、言うべき言葉も出なくなっていた私は、黙って床几に尻を落とした。冷たい夜気の中、ようやく私は下帯の裏まで汗に濡れていることに気づいた。  太陽がようやく全身を現し、私は龍牙兵たちに命じて櫓に上らせた。 「どうだ」  私は櫓を見上げて声をかけた。重い具足を着たままで、櫓の梯子を上る気になれなかったからだ。 「四周に敵影を認め申さず」  遠眼鏡を翳しながら、龍牙兵が叫び返してきた。 「ナーガたちは」 「今、こちらへ向かっており申す」 「わかった。物見を続けよ」  そう言ってから、私はテラーニャとバイラに振り返り、 「賊ども逃げ去ったようだ。シャドウ・デーモンは戻ったか」 「ここに」 「ひっ」  耳許で声を掛けられ、私は危うく転びかけた。シャドウ・デーモンのジニウが不景気な顔で私を見つめている。息がかかりそうな距離で。 「お前たち、私を驚かせて戯れおるか」 「はて」  シャドウ・デーモンの捜索小隊長は、不思議そうに顔を歪めた。まさか、自覚がないのか。 「敵の動きは」  私は気を取り直して訊いた。 「全て逃げ散り申した。最早影も見え申さず」 「ふむ」 「賊の大将はかなりの切れ者、形勢不利と見るや、速やかに退きまいた」 「ふむ、ではまた仕掛けてくるか」 「一度《ひとたび》攻めたならば反復すべし、兵法の初歩でござる」  バイラが腕組みして言った。 「敵は余力を残して退き申した。再び寄せてくるは必定」 「わかった。ジニウ」 「は」 「ナーガらが戻ったならば、通常の警戒態勢に戻れ。遠くに去ったなら、どうせすぐには寄せて来れまい」 「仰せのままに」  来たときと同じようにジニウが影に沈むように消えた。 「さて、ナーガたちを出迎えようぞ」  私は大きく伸びをして歩き出した。  それほど待つこともなく、ナーガ兵たちは緑地に帰ってきた。列の後ろに十数頭の馬と駱駝が見えて、その背にはまだ血の滴る骸《むくろ》が積まれていた。  彼らは大手の前で足を止めるや、疲れた顔も見せず、賊の死骸を降ろして並べ始めた。 「殿」  私の姿を認めてネスイが血と泥で汚れた顔を歪ませて笑顔を作った。 「よう戻った。どうであった」 「は」  ネスイは姿勢を正し、 「敵の数は凡《およ》そ百五十。いずれも馬か駱駝に跨り、それぞれ松明を持っており申した。手筈通り、道中に手分けして伏せ、殿《しんがり》から討ち取るべく仕掛けまいたが、すぐに気取られ、乱戦になり申した。  我ら、地を這うて馬の脚を斬り払い、落馬した者から仕留めましたが、敵の大将らしき者の呼子を合図に、彼奴《きゃつ》ら一斉に散ってござる。徒歩《かち》の我らに追う術もなく、用心のため円陣を敷き、朝を待って帰参した次第」 「こちらの被害は」 「討死はござらぬ、手負いは八名ばかり」  戦死者がいないと知って私は胸を撫で下ろした。 「怪我の具合は」 「槍創《やりきず》が三、馬の蹄に蹴られ踏まれたるが五、いずれも浅手でござるわい」 「速やかに包帯所へ」 「心得て候」  ネスイが振り返って手で合図すると、負傷したナーガたちが仲間に助けられて屋形の奥へ消えた。それを見届けながら、 「踏まれたか」  私は確かめるように訊いた。 「確かに」 「では、矢張りただの匪賊か」  騎兵用の軍馬ならば、突撃に際して脚を痛めぬために、倒れた人や馬を踏みつけぬよう調練を施されている。少なくとも敵は王国の軍兵ではないということか。 「恐らくは」  だが、ネスイは腑に落ちない顔をしている。 「しかし、敵《かたき》ども、ただの群盗にしては、かなり統率が取れておったのも事実。怪態《けたい》なり」 「魔導士は見たか」 「わかりませぬ。我ら気取られて素早く敵に膚接《ふせつ》した故、相撃を恐れて法撃せなんだかも」 「ふむ」  私は地に並べられた屍骸を眺めた。数は十一。思ったより少ない。人間が四、エルフが四、ドワーフが三、驚いたことに、エルフのうち二人は女だった。いずれも具足姿で、中にはかなり上等な胴を着けている者もいる。死体の大半に矢疵が目立った。全員が首を裂かれているが、これはナーガたちが作法通り施した止《とど》めの疵だ。 「これで全てか」 「は、馬と駱駝の死骸を除き、余すことなく回収してござる。賊ども、逃げる際《きわ》に手負いを拾えるだけ拾うており申した。敵ながら天晴れ」  私たちが死体を実検していると、ゴブリンたちが近寄ってきて、死体の列を囲んで恐々と何事か言い合いだした。 「カゲイ殿」  私はゴブリンの族長に声をかけた。 「この辺りの盗賊どもは、このように装備が良いのであろうか」 「いや、このような物具揃うた賊は珍しうござる」  殆どが着の身着のまま、奪った防具を身に着けていても、大半は半具足であるという。 「誰か、顔を見知った者はござるか」  私は皆に聞こえるように言った。  すると、物見槍を携えたゴブリンの若者が恐る恐る声を上げた。 「この男」  エルフを指差して、 「ハクイの町で話しかけられましでございます」 「シャギか。何時のことだ」  カゲイが厳しい声で訊いた。 「賭場にて隣同士になり、意気投合して酒を奢られました」 「何を話した。まさか、この泉のことを漏らしてはあるまいな」  カゲイが険しい顔で刀の柄に手をかけた。 「滅相もござらぬ。他愛もない世間話でございます。ゼキ様のことも、この泉のことも一言たりとも話しておりませぬ」  シャギという若者は哀れなほど上ずった声で答えた。 「恐らく、探りを入れられたのはシャギただ一人ではあるまいと存ずる」  死骸の列を見下ろしていたハマヌが口を開いた。 「高価な地虫の肉を売り回っておった故、目をつけられたのでござろう」  立ち上がって私に目を向けて、 「目立たぬよう、小口に分けて売り捌き申したが、不覚にございました」  詫びるように深々と頭を下げた。 「いや、こちらこそ思慮が足らず、御迷惑をかけた」  私は慌てて手を振った。気まずい。突き詰めれば、この戦、私の浅知恵が因《もと》なのだ。 「となると、この者どもは一体」  話題を変えようと、私は誰に問うともなく言った。 「どうやら王国の冒険者だな」  死体を一つ一つ嘗めるように丁寧に調べていたクルーガが立ち上がって告げた。 「なんと」  皆の耳目がクルーガに集まった。 「これを」  ヴァンパイアが私に木札を差し出した。奇妙な文様が彫られている。穴が空けられ、細紐が通されている。 「これは何だ」 「王国冒険者組合の鑑札だな。恐らく全ての者の懐に同じものがあるだろう」 「まさか、これほど早う冒険者に知られるとは」  バイラが呻き声を上げた。私はクルーガに向き直り、 「既に王国政府に知られたということか」 「即断はできない。遣《や》り口が荒すぎる」  クルーガは鑑札を手で弄《もてあそ》びながら、 「まるで盗賊の急ぎ働きのようだ。カゲイ殿らが地虫の肉で荒稼ぎしたのを見て、銭の匂いを嗅いだのだろう」  ゴブリンの群れと侮り、同輩に声をかけ人数を集めて横取りを企んだが、思わぬ組織的な抵抗に遭い算を乱して後退したのだろうと言った。 「となると、冒険者ども、攻め口を変えてまた寄せてくるな」 「いかにも」  バイラが仏頂面で鼻を震わせた。 「どう攻めてくると思う」 「今度は本腰を入れて攻め寄せて参りましょうなあ。白昼堂々、隊伍を組んで寄せてくるやも知れず」 「他人事のように申すな」 「まさに、物事は天高く飛ぶ鳥の目で俯瞰する如く見ることが大事でござる。さて、いかがいたそう」 「聞いたような口を」  減らず口なら幾らでも出るが、良い考えは出てこない。思案がまとまらないので、私は思案を一時《いっとき》脇に置くことにした。 「もうよい、死体を片付けよ」  そう言ってバイラに目配せした。心得たりとバイラが顔を寄せてきた。 「冒険者どもから物具を解き、死骸は全て二の丸の坑へ」  ゴブリンたちに聞こえぬよう、声を潜めて囁くように言った。 「は」  頷いたバイラがナーガたちに向かって叫んだ。 「賊どもの物具を剥げ」  ナーガ兵が小柄を手に血で固まった具足の紐を切り、死体から引き剥がして積み上げていった。その横にはナーガたちが戦場から拾ってきた刀槍が山になっている。 「これは全て我らが受け取り申す、よろしいか」  私は横に立つカゲイに尋いた。 「異存ござらぬ。全てゼキ殿の御家来衆の手柄でござる」  壊れ具足など貰っても、たいして銭にならない。売りに行っても運び損とカゲイは笑った。 「代わりに、生け捕った馬と駱駝は全て差し上げよう」 「よろしいのか」 「どうせ我らには必要のないものでござる。が、そちらは何頭いても困りはせぬでござろう」 「確かにその通りだが、よろしいのか」  騎乗のために訓練された馬と駱駝だ。遊牧を生業《なりわい》とするゴブリンたちには垂涎だろう。 「遠慮せず受け取ってくだされ。迷惑料でござる」 「かたじけない」  やがて、物陰に控えていたインプたちが寄ってきて、戦利品と丸裸になった死体を抱えて屋形に入っていった。 「死体をどうされるのか」  死体の疵口《きずぐち》から零れ落ちた臓物《ぞうもつ》の欠片を薄気味悪そうに眺めていたバルグが尋いてきた。 「ああ、あれでござるか。浄めて埋葬いたす。死ねばもう敵も味方もござらぬからのう」 「お優しいことで。それも魔界の流儀にござるか」  私は照れたように笑顔を作った。  言えない。まさか正直に、下でリッチどもが手躍りしながら手ぐすね引いて待ち構えていて、肉と内臓は削いで生け簀の地虫に撒き与え、骨はスケルトン兵の触媒にしますなんて言えない。  死体が運び去られるのを名残惜しそうに見送っていたクルーガが寄ってきた。 「さて、これからどうする」  こいつもバイラと同じことを言う。 「この度のことは我らの失態。雪《すす》ぐには何をすれば」  カゲイが深刻そうな顔をして訊いてきた。  私は途方に暮れた。どうして皆私に聞くんだ。そんな目で私を見ないでくれ。思わず泳いだ目がテラーニャに止まった。私の視線に気づいたテラーニャが、優し気に微笑んだ。 「よし、思い切ったぞ」  私は力を込めて膝を叩いた。込めすぎて激痛が走ったが、それは敢えて無視することにした。 「カゲイ殿、もう一度、ハクイの町へ行って貰えぬかな。今度は生きた地虫も運んで売ってきていただきたい」 「それは」  カゲイは口ごもった。 「我が兵《つわもの》どもを道中の護衛につけ申す。それで」  私はカゲイに顔を寄せた。その目に微かに恐怖が見える。彼には一族を率いる族長としての責任がある。再度の襲撃を警戒しているのだ。 「町に着いたならば、ここで私が地虫の肉を売っておると吹聴して貰いたい。それに、盗賊の群れに襲われたものの、見事に撃退したことも」 「どういう意味でござる」 「町の住民全てがこの泉のことを知らば、冒険者どもが徒党を組んで攻め寄せてくる理由がなくなる。正式に肉屋ということにしてしまえば、冒険者組合も手は出せまい」 「そううまうまと話が進みましょうや。死人まで出した冒険者どもが黙っておるとは」 「そのときは、野盗を装い肉屋を狼藉せんとしたること、白日に晒されることになる」 「成程のう」  カゲイは得心したように何度も頭を上下させ、 「それで出立は」 「準備でき次第」 「承ったぞ、ゼキ殿」  カゲイが重々しく頷いた。きっと、再び地虫を売って得る銭が、頭の中で音を立てているのだろう。  三日後、カゲイら一党は緑地を出た。まだ冒険者どもが横行しているかもしれない。だからこの度の一行は、ほぼ野戦の小荷駄編成で行く。  一間半の馬上槍を脇に抱えた騎乗の龍牙兵十八名を前後に置き、荷車を中央に据えて、これも武装したゴブリンらが犬を連れて左右を固めた。更に、シャドウ・デーモン一個分隊四名が隠密に随伴している。  合戦道中に不向きな年寄りに女子供は、羊と犬十頭ばかりと共に緑地に残置され、ナーガ兵一個小隊が直接警備についた。いざとなれば屋形に避難させる段取りになっている。  その屋形では、未明からバイラの指図で、インプとゴーレムたちが柵の外周に堀を掻き上げて土塁を築いていた。 「気をつけて行かれよ」  私は馬上のカゲイを見上げて声をかけた。 「お任せあれ」 「生きた地虫は必ず捌いてから銭に替えられよ」  生きた地虫は、神経節に鍼《はり》を打って麻痺させている。この最も新鮮な肉の保存方法を、試行錯誤の末に考え出したのはクルーガの功績だった。 「生きたまま売って、養殖されでもしたら大損でござるからな」 「心得ており申すわい」  更に私はカゲイと轡を並べたミシャに顔を向けた。 「カゲイ殿らをよくお助けせよ」 「承知いたしました」 「よいか、町に着いても目立つことはするな。皆の安全を一番に考えよ。ゆめゆめ揉め事など起こすべからず。いざとなれば荷など捨て置いて逃げて参れ」 「は」 「どこぞの姫君が悪漢に乱妨されているのを見ても看過《かんか》するのだぞ。病んだ父を抱えた町娘が借金の肩に女郎に叩き売られていても無視せよ。見目麗しき巫女に一緒に世界を救いましょうなどと誘われても叩き出せ。よいな、わかったな」 「わかっており申す」  ミシャが、面白そうな困ったような顔で鎧の袖を揺すって答えた。 「殿様、ミシャ殿が困っております。昨夜から何度も同じことをおっしゃって」  テラーニャが困り顔で口を挟んできた。 「しかし」 「幼子を使いに出すわけではございますまい。ほら、カゲイ様もミシャ殿も困惑しておりますよ」  テラーニャが私の言葉を遮って言い放った。  カゲイとミシャが苦笑する顔を見合わせている。まったく、こやつらは私の気も知らずに。 「いや、殿様の御気遣い、痛み入ってござる」  ミシャが宥めるように言い、前衛に立ちますのでと告げて馬腹《ばふく》を蹴った。 「では、我らも参りますぞ」  カゲイが馬首を巡らせて一声吠えると、行列が一斉に動き出した。緑地に残るゴブリンたちから、夫や父親の名を呼ぶ声がする。 「くれぐれも頼み申したぞ」  なおも気遣う私の声に、カゲイは振り向くことなく片手を挙げて応えた。  緩やかな起伏以外に遮蔽物もない荒野だ。カゲイたちの隊列が見えなくなるまで時間もかかる。ゴブリンたちも心得たもので、数分もすると皆それぞの仕事に散っていった。  私も屋形に帰ろうと踵を返したとき、ふいに呼ぶ声がした。カゲイの妻のミゼルが息子のクギラを連れ、思い詰めた表情で立っている。 「ゼキ様」 「様などつけずとも結構でござる。どうなされた」  私は中腰になって二人に視線を合わせ、クギラに向かって私にできる最高に優しい笑顔を作った。が、ゴブリンの幼児は顔を強張らせ、母親の袖を握る手に力を込めたのが目の端に映った。この幼児はいまだに私の顔に馴れてくれない。手を伸ばして頭を撫でてやろうと思ったが、今回も諦めることにした。 「夫は、兄は大丈夫でしょうか」 「心配ござらぬ。我が精兵《せいひょう》が荷守りについてござる。帰ってくるまで、心安らかに過ごされよ」 「ゼキ殿」 「はい」 「私ども一族は、戦火から逃れてやっとここに辿り着きました。ここは素晴らしいところです。羊の食《は》む草が豊かで、水の心配もございません。皆、ここに居着き、心穏やかに過ごしたいと思うています」 「それは私も同じこと。私も戦に明け暮れる祖国に倦《う》み、ここを安息の地と定めたのでござる」 「この騒ぎが収まれば、平和に暮らしていけますか」 「無論。何の心配もいり申さず」  私は大嘘をついた。いずれこの地は敵に囲まれ、魔女の鍋の底みたいになりますなんて言えない。 「ならばあの戦支度は」 「ああ、あの普請は」  私は首を回して堀を掘るインプらに顔を向けるや、 「ただの盗賊避けにござるよ」 「まことですか」 「まことに」  安心させようと私は何度も頷いてみせた。ミゼルが私の目を見つめている。信じていない眼だ。私だって信じてない。でも、このゴブリンの一族には縋《すが》るものが他にない。 「何か困ったことがあれば、何でも申されよ。ほれ、あそこのナーガにでも」  私は腕を振り、薙刀を肩に野営地を巡回しているナーガを指し示した。 「話せば気のいい輩《やから》でござるよ」  実際、ゴブリンの子供たちはもう異形に馴れ始めている。そのナーガ兵にも童《わらし》たちが歓声を上げながら纏《まと》わりついていた。 「ええ」  ミゼルが薄気味悪そうに眼を向けた。大人たちはまだ私を信用し切れていないらしい。  二の丸の屍者の坑《あな》では、スケルトン兵の生成が始まっていた。 「どうだ」  私の声に、穴の底を見下ろしていたクルーガとリッチたちが重々しく振り向いた。 「問題はないか」  私の問いに、 「工程に問題はない」  サイアスが無表情に答えた。骸骨なので表情など最初からないのだが。 「しかし」 「しかし、何だ」 「数が少ない」  不満げな声が響いた。 「新鮮な死体が百は届くと聞いていた」 「うむ、それは」  私は言いながら穴の縁に立って下を見た。穴の底には冒険者たちの骨を埋めた土饅頭が十ばかり、その中央に魔法円が青く光っている。 「仕方ない。賊ども、なかなかに分別を弁えておってな。形勢に利有らずと見るや速やかに引き退りおった」 「これでは数を揃えるのは当分先になる」 「それは困ったな」  恐れを知らず、どれだけ損害を受けても決して隊列を崩さないスケルトンは重槍兵に最適だ。 「重槍兵は他の魔物で代替するのはどうかね。例えばミュルミドンとか」  興味深そうに魔法円を眺めていたクルーガが口を開いた。 「むう」  蟻兵ともいう。甲殻に覆われた勇猛な魔物だ。団体行動に優れ、本能的に一糸乱れぬ動きをする。 「だが」  私は首を振った。 「重槍兵は数が全てだ。ミュルミドンで兵数を揃えるには魔力がかかりすぎる。しばらくは陣地防御に徹するしかあるまい」 「そうか」  具申を却下されたことに残念でもなさそうにクルーガが呟いた。 「それに、いずれ近いうちに穴の死体は増えることになる」 「当てはあるのかね」  とサイアスが、僅かに首を曲げた。 「まさかゴブリンどもを」  何もない眼窩の奥が光った気がした。 「やめろ。冗談でも言うな」 「ではどこの誰を放り込むのか」 「どうせ冒険者どもがやってくる」  クルーガがぴくりと薄い眉を上げた。 「どういうことかね。冒険者が攻め寄せぬようにするために、ゴブリンたちを町に遣ったのではないのか」 「数を恃《たの》み正面から寄せてくることはなくなるだろう。だが」  私は皆を見回した。 「今度は少数による浸透に切り替えてくる。肉屋の看板を出したくらいで連中が手を引くと、本当に信じていたのか」 「なら何故、昨日そう言わなかった」 「ゴブリンどもを安堵させるためだ」  誰でも都合のいい話は耳に優しい。 「騙したのか」 「人聞きが悪い。言ってどうなる。ゴブリンらを無駄に怯えさせるだけだ」 「ふむ」  クルーガが顎に手をやって考え込む顔をした。 「まさか、わ主まで本気で冒険者は来なくなると信じていたのか」 「いや、うむ、まあ、その可能性を考慮しないわけではなかったが」  クルーガがはっとした顔をして取り繕うように言った。ヴァンパイアが動揺した顔は初めて見たので、私は少し楽しくなった。 「それとな」  私の言葉にクルーガが言い訳の口を閉じた。 「ミュルミドンの件は考えよう。重槍兵の隊列の脇を固める打物を持った兵が必要だ」 「ナーガたちでは駄目なのかね」 「ナーガは迷宮内のような暗所《あんしょ》狭所《きょうしょ》での戦いには優れているが、隠掩蔽に乏しい平地での合戦ではその力を存分に揮《ふる》えぬ」  この度の冒険者との戦闘で思い知った。 「ふむ」  クルーガが感心したように顎を引いた。 「では、ミュルミドンを召喚するのか」 「まだ先の話だ。まとまった数を召喚しなければならない。それにはまだ魔力が足りぬ」 「そうか」  ヴァンパイアはどことなく晴れやかな顔をした。 「どうでも良いが、穴に投げる死体は増えるのだろうな」  空気を読まないリッチが口を挟んだ。  私はサイアスに向き直った。 「最初のスケルトン兵はいつ頃出てくる」 「一週間程」  素っ気なくサイアスが答えた。 「その頃には甲冑も長柄槍も仕上がるとギラン殿も申しておりました」  それまで口を噤《つぐ》んで話を聞いていたテラーニャがそっと言い添えた。 「うむ、それでは頼んだぞ」  問題の解決をさりげなく先送りして私は穴を後にした。  私とテラーニャは本丸まで降りると、本陣に寄ることなく鍛冶場に入った。凄まじい熱気が顔を叩き、金気が鼻腔を刺し、槌音が耳朶を打つ。その喧噪の中を、私たちは鍛冶仕事の邪魔にならぬよう足許を確かめながら進んだ。  本来、鍛冶場は女人禁制だが、性別のないザラマンダーはその観念が薄い。それ故、ここではテラーニャも堂々と鍛冶場に入る。  そのギランらザラマンダーたちが、インプらに手伝わせて槍の穂先を鍛えている。  私たちに気づいたインプに喚起されてギランが振り返った。 「殿様、ようお越しで」  ギランが上体を折り曲げた。 「忙しいところを済まぬな」 「何の、御気遣いなどなさらずとも」 「うむ、捗っておるようではないか」  私は作業台に並ぶ長柄の槍穂を撫でた。重槍兵の使う長柄槍の穂は六寸程しかない。刃もついておらず、先端のみ異様に鋭い。 「ほう、上々ではないか」 「穂先は造作もござらぬが」  ギランが困ったように言った。 「何か問題があるのか」 「柄が厄介でござってな。魔樹の単材では振っても撓《しな》らず、強く振れば折れ申す」  長柄槍の柄は『打ち柄』ともいう。よく撓らなければ役に立たない。 「樫なり竹なり手に入ればようござるが」  地上は見渡す限り木一本生えていない。かといって、はるばる町まで出掛けて入手するのも憚《はばか》られる。そのような材を大量に購入すれば、戦支度かと怪しまれる。 「それで、色々と工夫いたした」  そう言って首を巡らせ、 「ハリル」  と同輩のザラマンダーの名を呼んだ。火床に屈みこんでいたザラマンダーが振り返る。 「殿様に、例のものを」  ハリルが立ち上がり、 「こちらへ」  と促すほうへ進むと、細長い鉄の棒がいくつも並んでいる。 「これは」 「長柄に仕込む鋼の芯でござるわ」  ハリルが自慢げに噴《ふん》と火焔の鼻息を吹いた。 「何と、これを芯にするのか」 「然り。これを魔樹の割り板で包み、固く巻き締めて漆を掛け申す。これで」  ハリルが一本取り上げて手元で軽く振ると、鉄棒が蛇のように畝《うね》った。 「よう撓り、それでいて折れぬ槍が出来もうす」 「しかし、重くはないのか」 「何の、よう鍛えました故、なかなかに」  言いながら私に差し出したので、私はおずおずと手を伸ばして受け取ると、 「ふむ、流石に重いが、持てぬ重さではない」 「疲れを知らぬスケルトンならば、苦もなく振れるかと」 「軽く、適度に撓る鋼芯でござる」  二人して勢い込んで言う。 「よう作れたの」  私はハリルに槍を返しながら言った。 「何度も試してようやく良き案配のものができ申した」  ギランが胸を張り、ハリルが満足げに頷いた。 「そう言わば、昨日届けた賊どもの物具はどうした」 「ああ、あれでござるか」  ギランが鍛冶場の奥を指し示し、 「こちらに積み上げてござる」  鍛冶場の奥の部屋に案内した。  饐《す》えた錆《さび》と黴《かび》の湿り気を帯びた臭いがする。その中に、冒険者たちから奪った具足に刀、槍などが雑然と積み上げられていた。 「使えそうなものは選《よ》けてござるが」  見ると、刀二振りに騎兵用の槍が三柄のみ、隅に丁寧に並べられている。 「残りは、使い物になるかというと」  と口籠った。 「鍛え良き胴などもござるが、壊れ、血汚れており申すので」  修理するより新しく作ったほうが早いという。  カゲイの言葉に嘘はなかったと、私は内心で苦笑した。  そこで私はカゲイの遠縁のバルグの刀を思い出した。 「ゴブリンが持ってきた太刀はどうだ」  私の言葉にギランは嬉しそうに身を乗り出した。 「おお、あれでござるか」 「今どこにある」 「神棚を作り、火神に祭っており申す」  顎をしゃくった先に白木を組み合わせた粗末な神棚があり、刀掛けに太刀が置かれている。 「あれは大層な業物、一体、どこで手に入れたのやら」 「恐らくは盗品か戦の分捕り品であろう。王室御用達の刀匠が鍛《う》った一品らしいが」 「ああ、それは嘘でござろう。値を吊り上げるための方便でござるな」  柄を外してみたが、無銘でござったとしれしれと笑った。 「しかし、切れ味は絶品でござる。恐らくは妖刀の類かと」  数打ちの鈍刀《なまくら》の中から時折このように凄まじい刀が出るという。 「殿の佩刀にしても恥ずかしうない一振りでござる」  初めて刀を手にした時の感触を思い出し、私は思わず身震いした。 「いや、私が佩《は》いても役に立つまい。あれはあのまま鍛冶場の宝とせよ」 「御心のままに。もし御入用であるならば、拵《こしらえ》を改めます故、何時でも申しつけられよ」 「ああ、その時は頼もう」  気のない返事をして、私はテラーニャを振り返った。 「腹が空いた。朝餉にしよう」 「あい」  鉄の熱気に閉口していたのだろう。テラーニャがほっとしたように答えた。確かにこの熱はアラクネには辛そうだ。 「それでは頼んだぞ。私は屋形に戻って飯にする」  振り返って告げると、ギランは再び分捕り品の山に目をやり、 「あれはいかがなさる。鋳潰《いつぶ》してもよろしうござるか」 「いや、取っておいてくれ。クルーガに何やら存念があるらしい」  私とテラーニャは地上の屋形に戻り、奥座敷に入ると、寛ぐ暇もなくラミアたちが遅い朝餉を運んできた。  膳の上には粥が一碗に具もない味噌汁、それに香の物が四切れ。 「これは」  と訊くと、 「いずれもカゲイ殿御一党がハクイの町から調達したものでございます」  膳を運んできたラミアのミニエが答えた。 「よう作れたな」 「ゴブリンの女房衆に教わりました」 「ふむ」  簡素で薄味だが、地虫の肉と甘露に飽きた舌には有難い。 「うむ、美味い」  私は思わず声を上げた。 「よろしうございました」  本当に嬉しそうに笑う。 「この味噌汁、出汁が取れているな」 「はい、ゴブリンから小魚の煮干しなど分けていただきました」 「ふむ、たいしたものだ」 「ここで余っているものと言えば甘露と地虫、それに岩塩くらいで」  済まなそうに言うので、 「うむ、町との取引が盛んになれば色々と取り寄せよう」 「はい」 「それで、皆にも食わせておるか」 「はい、屯食《とんじき》にして味噌を塗り、炙って配っております」 「それで評判は」 「はい、ナーガたちは喜んで食ろうております。ミノタウロスのバイラ殿も」 「そうか、そうか。皆喜んでいるか。良かったのう」 「しかし、クルーガ殿もサイアス殿もあまり良い顔をなされず」 「あ奴らはアンデッドだからな」 「それでもクルーガ殿は食べていただかれました。サイアス殿は見向きもせず」 「待て、サイアスはリッチだぞ。胃の腑もないのに食べられる訳もなかろう」 「あれ」  ミニエははっとした顔をして、 「私としたことが」  両手で顔を覆って顔を伏せてしまった。 「サイアスも困ったであろうな」  あの骸骨面が困り果てている光景が頭に浮かび、私は思わず声を上げて笑った。 「ほほ」  テラーニャもつられて笑い出した。 「とんだ粗相を」 「まあよい」  恐縮して平伏しようとするミニエを手で制し、 「案ずるな。リッチは魔法の深奥《しんおう》を究《きわ》めんと高僧や高位の魔導士が即身変成し、輪廻の環から解き放たれたる者。それくらいでは動じぬ」 「しかし」 「ああ見えてサイアスは奥床しき性《さが》故、お主を傷つけまいと気づかぬ振りをしたのであろう」  恥じ入るラミアを何とか宥め、 「米も味噌も食いたい者にはどんどん食わせてやれ」 「あまり蓄えはございませぬ。大事に使わねば」  テラーニャが横から口を出した。 「なに、構わぬ。その時は地虫と甘露に戻ればよいのだ。望むままに腹一杯食わせよ。良いな」  ミニエのほうを向いて言った。 「はい」  ミニエが慌ただしく頭を下げた。 「本来は看護兵のお主らに賄《まかない》までさせて済まなく思うている。いずれ、賄役の者も召喚しようぞ」  ミニエが膳を下げて出ていき、私は座敷にテラーニャと二人きりになった。 「少し休もう。朝から歩き詰めだ」  私は大きく伸びをして脹脛《ふくらはぎ》を揉みながら、テラーニャが部屋の隅から火打箱を引き寄せて煙管を取り出すのを、何気なく眺めた。ギランの鍛冶場で作らせた延煙管《のべきせる》だ。  テラーニャは手慣れた仕草で煙草を詰めると、俯いて火皿を炭火に近づけて、二度三度と息を吸って焚きつけてから、すうと一息吸ってようやく吸い口から唇を離した。それから細い眼を一層細め、陶然とした表情で長く細く紫煙を吐いた。  そこでふいに私の視線に気づき、ぱっと顔に朱を走らせ、 「主様、そんな目で見ないでください。恥ずかしい」 「いや、心地よさげに吸うものだから、つい見とれてしまった。許せ」 「もう、主様は目力が強すぎて、凝《じ》っと見つめられると落ち着きませぬ。まるで裸にされたよう」  細い目の端を赤らめながら、テラーニャが詰《なじ》るように口を尖らせた。 「それは済まぬことをした。ほれ、この通り」  私はおどけて両手で目を覆ってみせ、 「さあ、心置きなく喫《す》うがいい」  テラーニャはけらけらと笑い、 「お止めください。却って恥かしうございます」 「そうか」 「それより」  急に真面目な顔をしてテラーニャが言った。 「何だ」 「先ほどの御言葉でございます」 「はて」  何のことかわからなかった。 「賄の者を召喚なされるとか」 「おう、あれか」 「当てはあるのでございますか」 「むう」  正直、何も思いつかない。 「主様は優し過ぎまする。それ故に何でも安請け合いされて」 「面目ない」  私は俯いて身を縮こませた。  やがてテラーニャは煙管を灰吹《はいふき》に置き、私に向き直った。 「それでも」  言葉とともに、膝に優しい感触がする。目を上げると、にじり寄ったテラーニャの細い眼が間近に私の顔を覗き込んでいる。 「皆、そんな主様を好ましう思っております」  煙に混じる甘ったるい体臭に私は思わずぎくりとした。 「無論のこと、妾も」  妖しく歪んだ唇が近づいてくる。私は思案が追いつかず、魅入られたように固まった。 「殿、殿はいずこ」  快く緊迫感溢れた静寂を、ミノタウロスの胴間声が無慈悲に打ち破った。  どたどたと重量感のある足音が座敷にまで響く。  テラーニャが私を突き飛ばすように体を離し、居住まいを正した。その直後、 「殿、普請のことでお話が」  がらりと板戸が開き、バイラが巨体を傾けて入ってきた。 「殿、ここにおられたか」  座敷を見回し、 「はて、お二人とも顔が赤い。風邪でござるか。いや、気をつけていただかねば困りますな」  がらがらと大声で笑って、地響きを立てて折敷いた。  私はこいつを召喚したことを心の底から後悔した。 「ふむ、賄役《まかないやく》でござるか」  バイラが首筋を掻きながら呟いた。 「賄の者など、分を超えた贅沢ではござらぬか」  詰まらなそうな顔をして、 「それよりも、ラミアの数を増やしなされ。医療兵が三名では、ちと心細うござる」  至極真っ当なことを言った。 「これからは手負いも増えましょう。ラミアの数を増やせば余裕も生まれ、賄する暇も出来ましょう」 「むう」  私は内心驚いた。猪武者と思っていたが、意外と真っ当なことを言う。ちらと目をやると、我が意を得たりとテラーニャが何度も頷いている。 「そうか、ミノタウロスの娘でも呼ぼうかと思うておったが」 「え」  バイラが目を見開き、首を巡らせて私を凝視した。 「ミノタウロスの女性《にょしょう》はそれはもう美しいと聞き、賄役に最適と思っておったが」 「あ、いや」 「しかし、お主がそう言うならばやむを得ぬ。ラミアを呼ぼうぞ」 「むむ」  バイラが顔を真っ赤にして呻いた。 「どうした。呼んで欲しいのか。ミノタウロスの娘を」 「いや、とんでもない。ここは戦陣、恋仲になるなど以ての外でござるぞ」  裏返った声でバイラが叫んだ。 「誰と誰が恋仲になるのだ」 「あ、いや、滅相もない」  後ろでテラーニャがぷっと噴き出した。 「だいたい、ミノタウロスの娘を召喚したとて、お前に懸想してくれるとは限るまい」 「殿、何を世迷言を。それがしは戦士でござる。色も恋も無用。そもそも色恋沙汰など御法度ではござらぬか」  妄想が暴走したバイラは湯気の出そうな顔で激しく狼狽《うろた》えた。 「ミノタウロスの娘は肉置《ししお》き豊かで、胸など一抱えもあると聞く。さぞ見応えがあろう」  その豊満な肢体を思い浮かべ、私はつい遠い目をした。  バイラが居心地悪そうに身を竦めている。ここらが潮時だろう。 「うむ、わかった、わかった」  私は笑いながら膝を叩き、 「バイラの意見を容れてラミアの数を増やそう。ただし、段列を指図する者も必要である。いずれ、ミノタウロスの娘を召喚しようぞ」 「殿、それがしは決してミノタウロスの娘を希《のぞ》んだ訳ではござらぬ」 「わかった、そう向きになるな。これは迷宮にとって必要なことと思うたまでだ。決してお主のためではない」 「あ、いや、それならば異存ござらぬ」  バイラは居心地悪そうに立ち上がり、普請場に戻らねばと言い置いて、いそいそと逃げるように出て行ってしまった。 「あ奴め、もう夫婦《めおと》になった気でおるわ」  私は腹を抱えた。案外と繊細な奴だ。 「のう」  とテラーニャの顔を見て、私は蒼ざめた。テラーニャが鉄のような冷たい眼で私を見ている。  体中から血が落ちる音が聞こえた。 「主様は巨きな胸の娘がお好みでございますか」 「あ、いや、待て、そのような訳では」 「どうせ妾は胸が薄うございます」  冷気を含んだ声。私は内臓が凍りつくかと思い、魂の底から震えた。 「そのようなことは申しておらぬ。ただ、ミノタウロスの娘の胸が巨きいと言うただけ。大きな胸が好みなど一言も」 「いいえ。そういう目をされました」 「どんな目だ」 「きっ」  テラーニャが短い威嚇音とともに立ち上がった。 「大きなお胸がお好みなら、ラミアの胸でも弄《いじ》っておればよろしい。どうせ私など」  そこで言葉を切り、ゴブリンたちの様子を見てきますと叩きつけるように言い放つと、どすどすと怒気荒く歩き去ってしまった。私は呆然と見送るしかなかった。  それからどれくらい経ったか。クルーガが座敷に入ってきた。 「先ほど、副官殿とすれ違うたが、随分と悄気返《しょげかえ》っていたぞ。また何か怒らせたか」 「クルーガか」  私は恥ずかしさを誤魔化そうと頭を掻いた。 「どうも女心は理解できぬ」 「何があったか聞かぬが」  クルーガが胡坐をかいた。 「よいかな、殿」  クルーガがこれ以上ないくらい真面目な顔をした。 「女子《おなご》がああしている場合、まず男が悪い」 「いや、私は何も」 「それが世の理《ことわり》だぞ。いいから、すぐ追いかけて謝るべきだ。崖から五体投地する覚悟で御機嫌を取れ」 「むう」  納得がいかない。 「いいか、殿様と副官殿に仲違いされては、私たちもしなくてよい苦労を背負い込むことになるのだ」 「しかし」 「しかしも糸瓜《へちま》もない。さあ」  尻を叩くように急かされて私は嫌々腰を上げた。 「早く追い給え」 「ああ」  戸口に向かおうとして、私は振り返った。 「何か用事があったのではないか」 「そんなことはどうでも良い。さあ、早う」  どうにも腑に落ちないものを腹に抱えながら、私は小走りに玄関へ向かった。

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