散華の果てに返り咲く | 第零章『始まりの散華』
アオピーナ

第四話『別離』

 心を焦がした炎は、咲螺と永絆をただただ恐怖のどん底に陥れた。  それは未知の苦痛と衝撃、そして猛る炎がこれ以上何を奪い去っていくのかという嘆き── 「永絆……?」  何かが滴る音で目が覚めた。  目の前には炎の覇者が、そして大切な少女が縄で縛られたまま泣き叫んでいる。 「なず──」  不意に、傍らへと視線を落とす。  滴る赤い雫。感じる体重と冷たい体温。  桃色の花弁と、甘い香り。 「紅、ママ……? 紅ママ! 紅ママっ!」  多様な花弁で彩られたドレスは腹部から流れる鮮血で塗れており、顔は蒼白いまま目を開ける気配が無い。 「なんで、何が──」  辺りを見渡して。 「白……ママ……?」  崩落した家の残骸の中に埋もれている、血濡れた黒髪と突き刺さる杖を目にした。先端の花弁は白光を灯してはいなかった。 「白ママっ! なん、で……っ、永絆……! なんでそこに居るの? 嫌だ……嫌だ、皆ぁっ! どうして!」  爪を立てて地を掻き、曲げられた膝を起こして立とうとする。だが、脚が動く気配が無い。 「無駄だ。お前の脚は我が『ダリア』で動けなくしたからな」  冷徹にそう放った凛瞳を呆然と見据え、そして睨みつける。 「黙れっ! お前が言う事なんて誰が信じるか!」  目を地に落として爪を立て、手に力を込める。爪が剥がれかけ、痛みと血を吹き出すが、そんなこと知ったこっちゃない。  一度顔を上げて凛瞳に抱えられている永絆を見る。ポインセチアの花弁が連なった縄に縛られている。口には布のようなものを噛まされている。縛る縄は脅迫の意味もあるのだろうか。余計な行動を取ればそれを引いて着火するとでも言うのか。  ──負けるものか。 「立て、立て、立てっ! 立って、立ってよ! 立てって言ってるだろうがっ!」  地を掻き毟り、ついには爪が剥がれ、鋭くも重い激痛が脳裏に殴りつけられる。だが、構わず掻き毟って下半身に力を込める。  すぐにでも立ち上がり、珠爛の手当てをして純麗を助け出し、そうしたら凛瞳と守皇を殺して永絆を取り返す。 「なあ……自分がどれだけ無様なことをしているか分かっているのか」  氷のように冷たい声が、近付いてくる。 「黙れ、黙れ、黙れ! ……待っていろ、ママ達を助けてすぐにでもお前を殺す!」  地を掻いて動かない脚を奮い立たせる。 「大事な思い出も消え去り、大切な人すら失っていく……」  声が、近づく。 「黙れって言ってるでしょ!? まだ失ってなんか無い! 思い出はいつも胸の中にある! 大切な人もここに居る!」  立たなければ。早く立たなくては。立ち上がって、早く二人の母を助けて愛しきあの子を取り戻すのだ。 「世迷言を。それは無責任で無意味で無邪気な方便だ。頭を垂れて地を掻き毟り、やがて全てを忘れ去る……だから」  足音が止まり、紅い光に照らされる。「こうなる」 「が」  地を掻き毟る手が軋んだ。 「ぎ、いぁぁぁぁぁぁっ!?」  ぐちゅぐちゅと不快な音を立て、次には乾いた音を発し、終いには両腕が垂れて地に顎が放り出され、まるで血の巡りが一挙に押し寄せるようにして込み上げたそれを盛大に吐き出した。 「がぽ……っ、お、ぅ、ふ、ぅ……」  喉が熱く、胃が大きく痙攣して言葉を発すことが出来ない。  珠爛の冷たい身体が背中へ押しかかり、身体はもう動く事が出来ない。 「安心しろ。永絆は殺すつもりは無い。だがお前らは別だ。そして村の連中も始末しておかなけらばな。殺すつもりは無いが殺しておかなければならない。それが後始末というものだろう?」  平然とそう言ってのけるあたり、流石、世を統べる覇王の心は人間のそれを抜き出ている。 「ご、ろす……。ばっでいろ……っ、ぢゃんどごろしでやる……」  血塊と血泡を吐き出しながら、咲螺は殺意を言の葉に乗せて紡ぐ。  幽鬼めいた緩慢な動きで頭を動かし、上から見下ろす皇を血走った目で睨みつけながら。 「もう、いい。その見るに堪えない姿を見て、恐らく永絆も落胆するであろう」 「ぅ、がぁ、あぁぁぁぁっ!」  お前が、お前ごときが永絆を語るな。  そう叫びたいが、叫びは言葉を成さずに憎悪と恨みだけを乗せてぶつけられる。  否、凛瞳は既にこちらを見てはいない。  豪壮な朱色のドレスを翻して控えている花の竜と守皇の方へ戻ろうとしている。  自分達を炎に飲ませて。  がりぃっ、と裾に噛み付いた。  凛瞳は、どこまでも冷徹な目でその様を見下ろす。 「ごろす、ごろすっ、ごろす! ごろす……!」  殺意に猛る少女を、覇王は感情の無い瞳で見下ろしたまま、紅く煌めく右手を振り上げて呟いた。 「それではな」  紅く光る死が咲螺に迫った。 「……ィート、ピー……」  甘く優しい言葉が耳元で囁かれて。 「……ま、ま……」  衝撃、そして世界から桃色の花弁と共に隔絶された。 「紅ママ! 白ママ!」  桃色に光るその空間の中で、二人の母の名を叫ぶ。 「嫌、だよ……こんな別れ方、嫌だよ!」   そして、零れゆく大切な何かを掻き集めるようにして、大切で愛しいあの子の名前を叫ぶ。 「永絆! 永絆ぁっ! 永絆ぁ……っ!」  去り際に一目見ることすら出来ずに。  瀕死の母に助けられて。  瀕死の母すら助けられず。  光り輝く世界の狭間は、全てを失った少女を次なる世界へ誘っていた。  未知なる未来やその舞台──しかし、少女はその展望に胸を弾ませられる筈も無く。  ──こうして、炎の夜は全てを消し去っていったのだった。 ****  そして、歪みの空間が明け、浮遊感は地に足着くと同時に消え去る。 「……っ」  頬を伝う涙は灰の模様を少しずつ流していく。しかし、愛する者達との突然の別れと、身と心に負った傷はいくら泣いても流せない。   ふと、目の前に桃色の花弁が過ぎる。 「紅、ママ……!」  地に落ちそうなスイートピーの花びらを、掻き集めるようにして捉える。  もう、会えないのか。二度と会えないのだろうか。 「白ママ……永絆……っ!」  無力さに、そして絶望に打ちひしがれながら、幽鬼めいた足取りで見知らぬ土地を彷徨う。 「……そこの貴女」  鈴の音色が耳元で囁いた気がした。 「原初の巫女に似た貴女よ」  言われて、思わず振り返る。同時に、初めて自分が今居る風景を捉えた。  薄暗く、寂れた街。廃れた家屋の前には枯れた花を愛でる子供が居り、彼女達にも街にも生気は無い。 「貴女にはあんな子達とは違う……何か特別な魅力があるとお見受けするわ」     特別な魅力──言われて自嘲したくなる。  そんな魅力があったところで、凛瞳を殺すことが出来なかった。他の子供と違ったところで、永絆を、珠爛を、純麗を助けることは出来なかった。 「こんな道端で枯れるようならば、是非、私のお店で働いてみない?」  そう、あまりにも場違いな提言をされて、初めてその女を見る。  煌びやかな銀髪を下ろし、ラベンダーの花弁群が縁となった眼鏡の奥で優しく微笑む妖艶な美女。赤いポピーが飾られた黒く薄いワンピースに同色の羽織物を肩かける様は、村の友達が言っていた『水商売』という職業を連想させた。 「どうして、わたしを……」  未だ胸の内を渦巻く絶望と警戒心を自分で感じつつ、女の目を見て問う。 「先も言った通り……貴女のその、満ち溢れんばかりの魅力に魅了されたからよ。大丈夫。……貴女はまだ、返り咲ける」  心臓が高鳴った。  咲螺のことを何も知らない女が、口八丁手八丁に放った偶然の誘い文句に過ぎないのかもしれない。  しかし、「……分かりました。そのお店、案内して下さい」  咲螺が放った答えに、女は一度目を見開き、すぐにまた柔和な笑みに戻ると弾んだ声で礼を言い出す。 「わぁ……! ありがとう! 私は鳥花よ。優しく丁寧に教えるからね? ……手取り足取り」 「……はい」  鳥花は咲螺の灰の模様がある肩と腕を抱いて、彼女を顧みながらゆっくりと歩を進める。  汚れや傷が身体にあることは、この灰に塗れた街では珍しくないのだろう。  ──凛瞳を殺し、皆を助ける為に。  鳥花からの誘いに答えた直後から、胸の内で呪詛のように呟いていた言葉だ。  ──もう戻れない。そして、進むしかない。  傷は癒えない。涙が出ない訳では無い。  だが、それでも。  それでも、咲螺は前へ進む。  もう一度あの暖かい日々に返り咲く為に──。

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