Carta

 もう死んじゃっている神様に祈るなんてへんなの。  日曜ミサ後の教会に残る小学校二年生のアツシは、隣接する児童養護施設で暮らしている。  生後間もなく病院の前に遺棄されたアツシは、左足にハンディキャップがあり里親希望者が見つからず、系列の乳児院から児童養護施設に入所した。様々な事情から入所している子供の中で親がいないのはアツシひとりだった。  隣に座るハルトに振り返れば、母親からの手紙を、足をブラブラさせながら読んでいた。ひとり親である母親の経済的理由から施設に預けられているハルトには、一ヶ月に一回決まって彼女から手紙が届く。肌身離さず身につけている母親の手作りらしい小さなバッグには、手紙が詰まっている。  アツシは集中して手紙を読んでいるハルトを横目で見やると、ネコかトラかわからないアップリケが縫い付けられたバッグを盗み見る。色とりどりの封筒の他に誕生日カードとクリスマスカードも詰まっていた。  (ボクが持っている手紙と違う)  施設に入所している子供たちには季節のイベントや誕生日には職員からメッセージカードが贈られる。それには切手も貼られていなければ、消印も押されていない。ハルトの手紙には、その両方が揃っている。明らかに自分が大切にしているメッセージカードとは違っていた。  孤児であるアツシ宛に外部から手紙が届くことはない。施設に在籍している理由を職員から教えられていない。けれど、感受性の強い子供ながらに察しているアツシは、ハルトを羨ましく思う反面孤独と劣等感を感じていた。 『いいな』  吐息だけで囁くように呟けば、寂しい気持ちが胸を突き上げてきて鼻の奥がツンと痛くなり慌てて祭壇の方へと向き直った。アツシは目の縁から溢れ出しそうな涙を塞き止めるかのように、思い切り固く目蓋を閉じ、右手で十字を切り両手の指を組み合わせる。そして先程悪態を吐いた神に祈る。  (ボクにも手紙が届きますように…)  その祈りは休日ミサの度に繰り返される。  晴れの日も雨の日も、風の日も雪の日も、嵐の日も。そして日曜祝日関係なく毎日午前と午後に、赤いフラップ付の郵便ポストを見に行くのが日課になった。自分を捨てた母親が手紙をくれるかもしれないと手紙が届くのを待ち続ける。しかし、アツシ宛の郵便物を配達員がポストに投函して行くことはなかった。  小学校三年生の夏。 「これやるよ、アツシ」  いつも身に付けているバッグをハルトから押し付けられた。すぐに「いらない」と押し返せば、押し問答に成った。ややあって背丈と力の差で負けて受け取ったバッグの中を覗けば、空っぽだった。 「大切なバッグなのにいいの?怒られない」 「俺、明日かあちゃんが迎えに来てくれるんだ」  ずっと同室だったハルトは、二十代前半の派手な母親が迎えに来て施設を退所して行った。アツシは小学校でも一緒だったハルトがいなくなり、周囲から孤立して次第に孤独感を深めていくなかでも日課を続けていた。  そんなある日、教会や施設の郵便物とは違うキャラクターが描かれた封筒を見つけた。入所している子供宛に親族が送ってきたのだろうと宛名を見れば、見覚えのある字で自分の名前が記されていた。素早く封筒を裏返して差出人を見れば、ここから遠く離れた街の住所の下にハルトの名前が綴られていた。アツシは生まれて初めて切手に消印が押された手紙をもらったことに驚きと嬉しさのあまり、唖然と立ち尽くす。  しばらくして、もう一度封筒の氏名を確認するかのように何度も見た。そこには間違いなく表には自分の名前そして裏にはハルトの名前が記されていた。 「…手紙」  驚嘆の声を零した次の瞬間、高ぶった感情から零れたのは笑顔と涙だった。 「ボク宛の手紙…ボクにも…」  ありがとう。ありがとハルト、と両手で封筒を抱しめているアツシの声は嗚咽へと変わる。  体温で温まるほど封筒を胸で抱しめていたアツシは、破らないように慎重にキャラクターのシールを捲り手紙の封を開ける。緊張で汗ばむ手を服で拭い、二つ折りの便箋を封筒からゆっくりと引き出す。そっと便箋を広げれば、ハルトの字が視界に飛び込んできた。  げんきにいきてるか?ゴハンもちゃんとたべてるか?  その書き出しから始まり、初めて暮らす街のことや新しい学校のことが便箋二枚にわたり、びっしりと筆圧の強い字で綴られていた。語りかけてくるかのような文章を読んでいると、一緒に街や学校を冒険しているような気持ちになった。  元気に生きてるか?メシもちゃんと食ってるか?  今日届いたばかりのハルトからの手紙に、「成長しないな」とアツシは笑う。  あの日から文通を始めて九年。アツシは、ふとこれまでの手紙の内容を思い返す。  小学低学年の頃は、学校で流行っている遊び、教師や友達そして母親のことだった。それが高学年になると部活のことや成長期の身体の変化に変わった。中学生の頃は、中二病全開の手紙を寄越したと思えば、進学の悩みを相談してきたりと思春期特有の不安定な手紙が続いたりもした。  机に肘を付いて宙に視線を漂わせ過去の内容を思い返していたアツシは目を手紙に戻す。横書きの便箋に書かれたクセのあるハルトの字を左から右へと追う。一枚目は定時制高校のことや鉄骨鳶として勤める建築会社の仲間のことだった。続けて二枚目を読み進める。左から右へと文章を追っていたアツシの目が止まる。  いままで書かなかったけど、ずっと俺の胸ン中に住んでいるやつがいる。  仕事中も授業中もメシ食ってるときも風呂ンときも…そいつの顔が浮かぶ。  なぁ、アツシ、この呪いを解く方法を教えてくれよ! 「呪いじゃなくて遅い初恋だと思うよ」  思わず口に出して笑ったのも束の間。すぐに自分の胸の中にいるハルトの存在に気づいた。否、本当は気付いていたが、気付いていないフリをしていた。アツシは教会の同性に恋愛感情を抱くことは自然に反する罪深い感情という教えを破れば、ハルトからの手紙が届かなくなるという思いから意識する度に恋心を殺してきたのだ。けれど、もう抑えられない。  アツシは感情の赴くままに机の引き出しを開けてバイト代で購入したレターセットを取り出す。彼は公立高校入学後、すぐに駅前の本屋でバイトを始めていた。施設の自立心を育てるという方針で多くの施設入所者は高校入学と同時にバイトを始める。卒業後の進路問わず、施設退所後のひとり暮らしの資金を貯める為だ。アツシは自立する資金と同時にハルトに会いに行く為の交通費を貯めるために始めた。彼らはあの日別れて以来、一度も会っていない。  初恋は告白しても成就しないと綴り、そして会えない時間で育った自分の気持ちを認める。しかし、アツシは何枚もの便箋に渡り書き終えた瞬間、はっと我に返り便箋を握り潰す。 「ボクのエゴを一方的にハルトに押し付けて……」  ボクを信頼して相談してくれているのに…ボクは、とアツシは机に両肘を付いて顔を覆う。  途中で途絶えることもなく返事が滞ることもなく文通を続けた九年間。初めて恋愛相談をされた動揺と嫉妬。伝えたいけれど伝えられないジレンマ。様々な種類の感情が複雑に絡み合い、胸を圧迫する。  視界を塞いでいた両手を離して顔を上げれば、別れる前日にハルトから貰ったバッグが目に飛び込んできた。トラだと教えられたアップリケが付いたバッグは色褪せ、初めて届いた手紙だけが入っている。入り切らない手紙はタンスに仕舞ってある。  アツシがハルトに返事を送ったのは、それから数ヶ月後のことだった。  ハルトから手紙が来なくなるという不安と恐怖から、自分の気持ちが文面から滲み出ないように注意しながら『呪いを解く方法』つまり相手に告白すればいいと認めて送った。 「今日も届いてない」  いままでハルトから必ず二週間以内に新しい手紙が届いていたが、今日も郵便ポストには教会や施設への郵便物だけだった。その度に告白が成功して、初めての彼女に浮かれているハルトの姿を想像して胸がチクリと痛んだ。  晴れの日も雨の日も、風の日も雪の日も、嵐の日も。そして日曜祝日関係なく毎日午前と午後に、赤いフラップ付の郵便ポストを覗きに行く。けれど、何ヶ月経っても配達員がポストに投函して行くことはなかった。  ハルトからの手紙が途絶えた日から季節は巡り、高校卒業と同時に施設を退所する日が来た。最後の日課を果たすべく郵便ポストを見に行くが、手紙は届いていなかった。希望を捨てず、新しい住所をシスターに教えているから大丈夫だと施設の方へと踵を返す。そのまま歩き出す。アツシが足を進めるごとに、無色透明な滴が地面に落ち吸い込まれていく。 「アツシ!」  呼び止める声に聞き覚えがあった。驚くと同時に振り返れば、男の子から少年へと成長したハルトがいた。次の瞬間、アツシは涙も拭わずに彼の元へと歩き出す。気持ちは走っていても日常使いの義足では走れず、もどかしさを感じながら歩み寄る。 「郵便ですぅ」  そう軽い口調で差し出された封筒は、これまでとは違う桜色の封筒だった。初めてハルトから手紙が届いた日のときのように緊張しながら封を切り、二つ折りの便箋を広げる。それは九年間で交わした手紙の中で最も短い手紙だった。  FIN

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