極東黙示録1927 | 第壱章『帝都に舞う式鬼、霊鎮めたる巫女』
寝る犬

第肆話「哨戒―しょうかい―」

 三月にしては温かい日だった。  新橋《しんばし》の駅で車を降り、九条大和《くじょうやまと》は銀座の煉瓦街《れんががい》へと足を向けた。  いつもの陸幼の制服ではなく、白シャツに黒いマントを羽織り、セーラーズボンを革のベルトで吊っている。頭にはハンチング帽を乗せ、なぜか少し居心地悪そうな顔をしていた。  隣では、その表情の原因である年上の女性がニコニコと笑っている。  長い三つ編みを揺らした三崎千鶴《みさきちづ》伍長も、今日は軍服ではなく、膝下丈《ひざしたたけ》のカラフルなワンピースとカーディガン、クローシェ帽《ぼう》と言う出で立ちだった。 「さぁ何をしてるの大和くん。貴方《あなた》の目だけが頼りなんですから。行きますよ」  無理矢理大和に腕を絡ませ、先に立って千鶴は歩き出す。  バランスを崩しそうになりながら、大和はおとなしく後に続いた。 「どう? もう陰陽大隊《おんみょうだいたい》の訓練や、櫻子《さくらこ》さまのお屋敷には慣れた?」  口をつぐんで黙々と歩く大和へ、千鶴は笑いかける。  絡めているのとは逆の手で帽子の位置を直すと、大和は少し顔を背《そむ》けた。 「隊の訓練は陸幼《りくよう》の授業に神道陰陽術《しんとうおんみょうじゅつ》の基礎が加わっただけですから問題ありません。中尉のお屋敷も、自宅とさして変わりませんし、メイドたちによく気をつけてもらっています」 「へぇ、櫻子さまのお屋敷、あんなに大きいのに。さすが華族《かぞく》のお坊ちゃんですね」 「……そう言う言われ方は、好きではありません」 「あらごめんなさい。そう、問題ないのね、《《訓練とお屋敷は》》」  言外《げんがい》に核心を突かれ、大和は口ごもる。  それでも千鶴が先を促すと、渋々ながら口を開いた。 「……中尉は夜中に帰ってこられて、ぼくが訓練に行くまで起きてこられません。なかなかお話させて頂く機会もなく、結局ぼくは何をすれば良いのかもわからない始末です」 「まぁ櫻子さまはお忙しいものね。それで? 壱与さんは?」  壱与があのとき「同じ御霊《みたま》を持つ」と説明し「やっと見つけた」と泣いた姿は、現場に居たすべての人間が見ていた。  その言葉の意味は本人からなんの説明もなく、陰陽大隊の中でもいろいろと憶測《おくそく》されていた。  そんな野次馬根性《やじうまこんじょう》もあるのだろう、千鶴の目は期待に大きく見開かれている。  口をへの字に曲げた大和は、更に顔を外に向けた。 「壱与ともほとんど話していません。例の新型の……」 「……あぁ、小型超高圧炉《こがたちょうこうあつろ》・循環式蒸気タービンでしょう?」 「はい、そのトヨクモ機関と陰陽鏡《おんみょうきょう》の連動試験《れんどうしけん》とかで、あの翌日から一週間もお屋敷に戻っていません」  本当になんの進展もないのだ。  聞けるものならば、大和本人が一番聞きたいところではあるが、仮にも軍に所属しているものが、軍務を放り出して雑談をするわけにも行かない。  大和のそんな気持ちを感じたのだろう、「なぁんだ」と言いかけて、千鶴はなんとか口を閉じた。 「ところで……本当に、こんな街なかに……しかもこんなに太陽が高いのに、式鬼《しき》が出るんですか?」  話を変えようと、大和は賑《にぎ》わう銀座の街を見回す。  千鶴は改めて大和の左目へと視線を向けた。 「あら、式鬼《しき》は時間や場所なんか選んでくれませんよ。……それはわたしたちより大和くんのほうが、よくわかっているでしょう? それと、さっきの『自分が何をすれば良いのか』ですけど、大和くん。私たちはあなたの『見える目』を評価してるの。だから、こうして哨戒の任に当たってくれれば、それで十分なんですよ」 「そう言われてしまうと、そうかも知れませんが……」  大和の赤みがかった左目には、普通の人には見えない式鬼《しき》が見える。  陰陽大隊にも『天目一箇《あめのまひとつ》』と言う霊子《れいし》の波長を視覚化する装備はあるのだが、量産がきかず数に限りがあるため、今回のように広範囲の哨戒任務《しょうかいにんむ》には限界があった。  そこで、大和の異能《いのう》である。  同じく式鬼《しき》を見ることができる壱与《いよ》は式鬼甲冑《しきかっちゅう》での第二種戦闘配備《だいにしゅせんとうはいび》が必要であるため、彼の左目は貴重な戦力であった。 「まぁ、今日ここに式鬼《しき》が出るというのは、あくまでも神祇省《じんぎしょう》の霊子《れいし》演算機《えんざんき》が導き出した《《予測》》ですけどね」 「予測……ですか」 「そうです。さすがの霊子《れいし》演算機《えんざんき》も、十割当たる予測はできません。だからこその広域哨戒任務《こういきしょうかいにんむ》なんですよ」  三崎・九条班以外にも、天目一箇《あめのまひとつ》を装備した班が三つと、なぜか《《なんとなく》》式鬼《しき》の気配を感じることのできる飯塚少尉の班も加えて、合計五つの班が、銀座の他にも各地で哨戒任務にあたっている。  ただし、式鬼《しき》は発見できても確実に仕留めることができるのは壱与の駆る式鬼甲冑《しきかっちゅう》か、飯塚少尉の持つ霊刀《れいとう》、天薙雲《あめのなぎくも》だけである。そのため、各班の主な目的は、哨戒《しょうかい》と足止めであった。 「まぁ気楽に。お姉さんとの逢《あ》い引《び》きだと思ってください」  あっけらかんとした表情で、千鶴はぐいと腕を引く。  豊満な胸が二の腕に当たり、予想外の柔らかさを感じた大和は、目を白黒させて無理矢理に腕を引く。赤くなった頬を見て、千鶴はからからと笑った。 「あはは、可愛いんですね。飯塚少尉と真剣で斬り合いをした大和くんと同一人物とは思えません」 「三崎伍長こそ。作戦行動中はあんなにキリッとした女性《ひと》なのに、普段とはぜんぜん違うじゃないですか」  切り返され、千鶴はぺろりと舌を出して肩をすくめる。  確かにその姿から、いつもの硬質な通信士の姿は、まったく想像もできなかった。 「わたしだって、花も恥じらう可憐《かれん》な乙女ですからね」 「自分で言いますか? それ」 「仕方ないじゃない。櫻子《さくらこ》さまと違って、誰にも言ってもらえないんですもの」  笑顔から一転して、頬《ほお》を膨らませた千鶴が眉根《まゆね》を寄せる。  くるくる変わる表情についていけず、大和は慌てて言葉を継いだ。 「あ……いや、すみません。ぼくは三崎伍長もお綺麗だと思いますよ」 「あはは、そんな取ってつけたように言われても。大和くんは真面目なのね」  赤い煉瓦《れんが》の道で、千鶴はくるりと回って大和の左目を覗き込む。  じっと見つめられ、大和はまた、頬を赤くした。 「子供だからと、あまりからかわないでください」  口をへの字に曲げて、ぷいと顔を背《そむ》ける。  千鶴はかがめていた腰を伸ばし、髪と帽子を直した。 「ごめんなさい。からかっているわけではないの。眼鏡《めがね》をしていないでしょう? だから、どうしてもじっと見てしまうクセがあって。時々櫻子さまにも怒られてしまうんですよ。はしたないって」 「どうして眼鏡をしないんですか? 似合ってるのに」 「だめですよ。美しくないじゃないですか。ロイド眼鏡が似合うのは、男性だけです」  女性は櫻子さまのように美しくあるべきですと、千鶴は力説する。  子供のように櫻子の素晴らしさを延々と語り続ける千鶴の肩越しに、大和は紫色の靄《もや》を見つけた。 「……三崎伍長!」  大和の低い警告に、千鶴の表情が一瞬で軍人の《《それ》》になる。  振り向き、耳にかけていた小さな通信機のスイッチを押すと、彼女は大和の頬に顔を寄せた。 「どこですか?」 「あれです。路地裏の……黒い猫」  顔を並べて指さした先。黒く毛艶《けづや》の悪い猫がこっちを見ていた。  駆け出そうとした大和は、千鶴に肩を掴まれてたたらを踏む。  抗議しようと振り返った大和は、路面電車の風圧を顔に感じた。  警告の鐘を鳴らし、路面電車は走り去る。ゴクリとつばを飲んだ大和に、千鶴は「気をつけて下さい」と諭し、大和がうなづくのを待って猫を追った。 「本部、こちら銀座班、三崎《みさき》です。銀座中央通り八丁目交差点付近、九条二等兵が式鬼《しき》らしき猫を発見、追跡します」  メガネを掛け、いつもの口調に戻った千鶴を見て、大和はなぜだか安心し、ちょっとだけ笑う。  そんな二人をあざ笑うように、痩せこけた黒猫は、その姿に似合わない俊敏さで、狭い路地を縦横に駆け巡った。 「三崎伍長、ここは不利です。何か手はありませんか?」 「手はいくつかあります。呪符を飛ばす、このまま追い続けて壱与さんの到着を待つ、本体を銃で撃ち殺す――」  細い路地には人通りもない。それを確認して、三崎伍長は、ハンドバッグの中にしまわれていた、美しいメッキ仕上げのコルトM1903を確認し、一瞬の躊躇の後、すぐ隣りにある紙の束から、星の印《しるし》が描かれた一枚を取り出した。 「――まぁ街なかでの発砲は、できれば避けたいところです」  走りながら星へ、ふぅっと息を吹きかける。  黒々と墨で書かれた星が赤く輝くのと同時に、黒猫へ向けて呪符《じゅふ》を投げつけた。 「急急如律令《きゅうきゅうにょりつりょう》! 茎立《くくた》ち! 行きなさい!」  千鶴の言霊《ことだま》に乗って、燃え上がった呪符は中空で真っ白な狐《きつね》へと姿を変える。  右へ、左へ。  黒猫の逃げ道へと先回りして、輝くような白狐《しろぎつね》、茎立《くくた》ちは怪しく跳ね回った。 ――ニャアアアア……  恨みがましい鳴き声が後を引き、大和の目には、紫色の靄《もや》が膨れ上がり、実体化するのが映った。  一見すると昆虫のような姿。しかしその肌は外骨格ではなく、人間のような生々しい皮膚を持っている。  肩から生えた鋭い鉤爪を持つ二対《につい》の腕が、茎立《くくた》ちを無造作に切り裂く。  白い狐が、千切られた呪符へと姿を変えるのと同時に、大和の隣で千鶴が血を吐き、崩れ落ちた。 「ぐっ……はっ」 「三崎伍長!」 「そ……んな。強す……ぎる」 「下がってください、式鬼《しき》が外に出ました!」  千鶴をかばって、背中の袋に隠していた軍刀を抜き放つ。大和は軍刀を握った両手から、力と自信が流れ込むのを感じた。 「だめ……逃げなさい、大和くん」  千鶴の言葉を無視して軍刀を構える。  大和の手で、磨き抜かれた玉鋼《たまはがね》の刀身が、鈍く光った。

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