極東黙示録1927 | 第壱章『帝都に舞う式鬼、霊鎮めたる巫女』
寝る犬

第参話「陰陽部隊―おんみょうぶたい―」

 笑顔のまま突然泣き出した少女に、九条大和《くじょうやまと》はどんな言葉をかければよいのかわからず、ただ困惑していた。  ゆっくりと右手を持ち上げ、壱与《いよ》と名乗った少女の頬に触れる。  暖かな涙のしずくを指先で拭《ぬぐ》うと、壱与は一瞬驚いた表情を浮かべ、もう一度笑った。 「……嬢ちゃん、どきなさい。そいつは俺が斬らにゃあならん」  大和と壱与、地面に座る二人を見下ろしながら、飯塚が肩の上で赤黒い日本刀をトントンと揺する。  見上げた壱与は、大和の頭を両手で抱えると、ぐいと胸に抱きかかえた。 「だめです、飯塚さま!」 「聞き分けの無いことを言うもんじゃないよ」 「この方は式鬼《しき》ではありませんもの! 飯塚さまがお斬りになられる理由がありません!」  駄々をこねる子供のように、壱与はぶんぶんと首を振る。  眉をひそめ、どうしたものかと思案する飯塚の見ている前へ、分厚い装甲の施された軍の車両が、次々と横付けされた。  重い扉が開かれ、数人の陸軍兵士がバラバラと飛び降りる。  彼らは手に持った三八式歩兵銃《サンパチしきほへいじゅう》のボルトハンドルをガチャリと鳴らし、銃口を大和へ向けた。  兵士たちの背後に、将校が一人、姿を現す。 「どうしました? 飯塚少尉、壱与」  聞こえた声は、意外にも若々しい女性の声だった。  壱与の胸に顔を埋《うず》めながら、なんとか視線を向けた大和に見えたのは、士官服に身を包んだ妙齢の女性。襟には二本線に星が二つ輝いており、その人物が中尉であることが伺《うかが》い知れた。 「……いや獅子王院《ししおういん》さん、嬢ちゃんがね。式鬼《バケモノ》を鎮《しず》めてくれたのは良いんだが、斬らせてくれなくてね――」 「――飯塚さま! 櫻子《さくらこ》さま! この方は式鬼《しき》ではありません!」  壱与が飯塚の言葉を遮《さえぎ》り、先ほどと同じ言葉を繰り返す。  獅子王院櫻子《ししおういんさくらこ》は、ポケットから小さな機械――天目一箇《あめのまひとつ》を取り出して耳にかけ、単眼鏡《モノクル》を引き出した。 「……式鬼《しき》反応は……あるようね。三崎伍長《みさきごちょう》?」  首をひねって後ろを振り返り、指揮車両の中から心配そうに櫻子を見つめていた通信士へ視線を送る。  櫻子よりもさらに若い女性通信士、三崎千鶴《みさきちづ》伍長は、慌てて視線を下ろして計器を操作し、すぐに櫻子へ視線を戻した。 「式鬼《しき》反応は正常範囲内です。今現在、危険はありません。しかし……」 「しかし、なにかしら?」  歯切れの悪い三崎の言葉に、櫻子の方眉《かたまゆ》が上がる。  一度視線を外し、壱与を見た三崎は、もう一度計器を確認し、言葉を継いだ。 「……今までの式鬼《しき》とは周波数も位相も違います。彼の霊子《れいし》は……壱与さんのものと酷似《こくじ》しています」 「そうです! この方は壱与と同じ御霊《みたま》をお持ちなんです! やっと見つけたんです!」  壱与は大和の頭を抱えたまま、必死に訴える。  その必死の形相を眺め、大和の困惑顔と見比べると、腕を組んだ櫻子は口の端《は》を持ち上げ、少し笑った。  ゆっくりと、胸のポケットから紙巻き煙草《たばこ》と燐寸《マッチ》を取り出す。  片手で器用に炎を灯すと、人形のように美しい顔が赤く照らされた。  大きく煙を吸い込み、長く吐き出す。煙は夜の闇に溶けるように、細くたなびいた。  煙草を持った右手を少し上げる。銃を構えていた兵士たちは、銃口を下ろしてボルトをひねった。 「第一分隊は第二戦闘配備《だいにせんとうはいび》で待機。飯塚少尉も下がって結構です。……そこの少年、名前は?」 「ぼく……自分は、九条大和です」  無理矢理に体を起こし、顔をしかめながらも大和は自身の名を名乗る。  その名前を聞いた櫻子は、なにかに気づいたように、もう一度改めて大和の顔を眺めた。 「もしかして貴方《あなた》、九条公爵《くじょうこうしゃく》の……?」 「……はい。父をご存知で?」 「そうね、何年か前に宮中晩餐会で。……そう言う事なら、わたしは遠縁の親戚と言うことになるかしらね。はじめまして、九条大和くん。わたしは獅子王院櫻子《ししおういんさくらこ》。陸軍中尉です」  ゆったりとした所作《しょさ》で右手を伸ばし、大和を引き起こす。ふわりと広がった甘い香りが、大和の鼻腔をくすぐった。 「それは陸幼《りくよう》の制服ね?」 「……はい」 「陸幼の生徒が、こんな時間に何をしているのかしら?」  大和は言葉に詰まる。  逃げてきたのだ。いじめを受けたわけではないが、それ以上に精神的苦痛を伴う『御稚児《おちご》』扱いに反発して、後先も考えずに陸軍幼年学校《りくぐんようねんがっこう》の宿舎を飛び出した。  あてもなく歩いているうちに先の怪異――いや、この人達の言うところの式鬼《しき》に出会ってしまい、あとは知っての通りだ。  そんな不名誉なことを説明できるわけもなく、大和はうつむいたまま、唇を噛《か》んだ。 「あの……どうぞ」  固くなった空気を振り払うように、大和の胸の前へと壱与の握りこぶしが突き出される。  反射的に出してしまった手のひらの上で、壱与は手を開き何かを手渡した。  コロンと転がったそれは、茶色くて四角い。白く透けた紙の包みにくるまれた、艷《つや》やかなキャラメルだった。 「ご存知ですか? キャラメルです。とても美味しいのですよ」 「……ありがとう」  一応お礼を言いはしたものの、まさか陸軍中尉の前でそれを食べるわけにもいかない。  大和はポケットから取り出したハンカチーフにそれを包み、そのままポケットに戻した。 「……珍しいわね。壱与が誰かにお菓子をあげるなんて」 「珍しいどころか、天変地異《てんぺんちい》の前触れだよ、獅子王院さん」 「もうっ! 飯塚さまも櫻子さまも! 壱与だってちゃんと分けるものは分けますっ!」  三人のやり取りに、周りの兵士たちからも笑い声が上がる。  本当にこの人達は軍人なのだろうか?  あまりにもざっくばらんな掛け合いに、大和はあっけにとられた。  ぽかんと口を開けている大和を見て、櫻子は慌てて咳払いを何度か繰り返す。  それに気づいた飯塚が一歩引き、壱与も大和の隣に並ぶように立って口をつぐむと、櫻子は判断を下した。 「大和くん。何があったのかは問いません。どうせもう陸幼には戻れないでしょうから、わたしたちの陸軍省《りくぐんしょう》付き陰陽独立特務大隊《おんみょうどくりつとくむだいたい》に編入しなさい。校長の長谷川少将閣下《はせがわしょうしょうかっか》とお父上の九条公爵閣下《くじょうこうしゃくかっか》には、わたしから話をつけておきます」 「特務大隊? 編入ですか? そんな、急に――」 「これは緊急措置よ。あなたに拒否権はないの。本来なら一度でも式鬼《しき》を体外に具現化させてしまった人間については、飯塚少尉の言うとおり、誅殺《ちゅうさつ》する義務がわたしたちにはあります。それでもあなたの式鬼《しき》反応は、今までわたしたちが《《生身の人間》》から観測することの出来なかった珍しいものなの。研究の対称として、これを放おって置くことはできないわ」 「でも」 「黙りなさい。神祇省《じんぎしょう》神祇官《じんぎかん》特権により、本日、大正十五年二月十七日を以て、九条大和を神祇省職員《じんぎしょうしょくいん》として徴発《ちょうはつ》。後《のち》、陸軍省付《りくぐんしょうづけ》陰陽独立特務大隊《おんみょうどくりつとくむだいたい》に配置し、陸軍二等兵とします」  冷たく突き放し、櫻子はことさら硬い口調で断言する。  復唱を促《うなが》された大和が逆らえるはずもなく、彼はこうして陰陽部隊《おんみょうぶたい》所属の少年兵となった。  煙草をくゆらせ、ゆっくりとうなづいた櫻子は、大和の肩にぽんと手を載せ、顔を近づける。 「……ごめんなさいね。こうでもしないと、わたしたちは貴方《あなた》を殺さなければいけないの」 「いえ、自分は陸幼《りくよう》を脱走した身ですので。……獅子王院中尉《ししおういんちゅうい》のご厚情《こうじょう》に感謝します」  表情固く礼を言う大和から「あら、そう」と顔を離した櫻子は、くるりと背を向け、指揮車両へと向かう。 「じゃあ今日から、壱与と一緒にわたしの家に居候しなさい。必要なものはメイドたちに言えば揃《そろ》えてもらえるわ。明日は身体検査や事務手続きで忙しくなるから、今日は早く休むように。わからないことは壱与に聞きなさい」  そこまで話して、櫻子は足を止める。  直立不動で聞いていた大和は、怪訝そうな顔で背中を見つめた。 「……ああそうそう、大和くん」 「はい」 「その『自分は』っていうの禁止ね。子供は子供らしく。『ぼくは』って言う方がいいわ」 「それは、ご命令でしょうか?」  まだ長い煙草を地面に投げ捨て、櫻子は軍靴《ぐんか》でそれを踏み潰す。 「そうね。そう考えてもらって構いません」 「……了解しました」  大和の硬い声に肩をすくめ、振り返りもせずに指揮車両へと乗り込む。  蒸気タービンの音を響かせて走り去る影を見送り、砂煙《すなけむり》が消えるまで、大和は直立不動の姿勢を崩さなかった。  いつの間にか大和の軍帽を拾い、背後に迫っていた飯塚が、パンっと大和の背中を叩く。 「さて、これからはお仲間ってわけだ。よろしくな、少年」  先程大和が斬りつけた腕には包帯が巻かれ、鮮やかな血の色が滲んでいる。それでも飯塚は笑顔で軍帽のホコリを払い、かぶせてくれた。 「はい。飯塚少尉殿。よろしくおねがいします。……それから、できればその『少年』と言う呼び方はおやめいただけませんか」 「ははっ、硬いねぇ」 「だめですよ、飯塚さま。きちんとお名前で呼んで差し上げないと」  いつの間にか私服であろう和装に着替えた壱与が、少し頬を膨らませて飯塚に詰め寄る。白いエプロンと、長い髪を束ねる赤いリボンが、先程までの巫女装束《みこしょうぞく》を連想させた。 「はいはい。わかったよ嬢《じょう》ちゃん。じゃ、大和少年、またな」  白手袋で肩越しにひらひらと手を振り、飯塚は去ってゆく。それを見送った壱与は振り返り、躊躇《ちゅうちょ》なく、大和の手を握った。 「では九条さま、帰りましょう」  いつの間にか横付けされていた自動車のドアがサッと開かれ、壱与と大和は黙って乗り込む。  車の中で聞きたいことは沢山あったはずなのだが、乗り心地の良い高級車に揺られ、握られたままの壱与の手のぬくもりを感じながら、大和はいつの間にか深い眠りについたのだった。

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