第五話 パンケーキ(前編)

 ナターシャは、水で薄められすぎた粗悪なウイスキーを傾けた。そして、決して美味いとは言えないそれに顔をしかめさせると、グラスを置き溜め息を吐いた。  もう四回は〈扉〉の先の世界へと渡った。そして、神器のひとつは見つけることが出来た。しかしながら、まだ手に入れることは出来ていない。世界は刻一刻と灰色に飲まれていくというのに、まだひとつも神器を手にしてはいないのだ。これは由々しき事態だと、ナターシャは思った。  また、ナターシャは疑問にも思った。「〈扉〉の先で出会う人物と、その者とともに現れる〈未知の食事〉は、一体自分にどう関わってくるのだろうか」と。今まで出会った者のうち、一人は神器を有していた。もしかしたら、他の二人も神器を隠し持っている、もしくはこれから神器と関わる人物なのかもしれない。しかしながら、どうして〈神器探し〉と食事が表裏一体となっているのだろう。  ナターシャはウイスキーを一口煽ると、唐突にフと笑みを浮かべた。いまだに神器を入手出来ていないというのは確かによろしくはないのだが、たとえ〈収穫無し〉でこちらに戻ってきたとしても、それは〈プラマイゼロ〉や〈むしろ、マイナス〉ではなく、ナターシャにとっては大変な〈プラス〉だった。というのも、この辛く厳しい旅が始まってから、ナターシャは誰かと食事をともになどしていなかったからだ。それに、怒りや哀しみ、虚しさという感情にばかり支配され、笑ったり幸福を感じたりということもなくなっていた。そんなナターシャにとって〈扉〉の先での出来事というのは、一時《いっとき》の安らぎであり、小さな幸せであり、忘れかけている様々なことを思い出させてくれる貴重なものだった。ナターシャはこの素晴らしい体験を「これはきっと、神様の思し召しなのだわ」と思い、感謝した。  ナターシャはグラスの中の氷を揺らしながら、〈扉〉の向こうでこれまでに出会った人物達に思いを馳せた。先日出会った料理人の男性は、本当にロベルトおじちゃんにそっくりだった。人間《ヒューマン》でありながら、ドワーフであるおじちゃんに見た目も雰囲気も似ているというのは、とても驚くべきことだった。彼との遭遇は、ナターシャの愛すべき魔装具である拳銃〈ゲオルグ〉が教えてくれた神話で謳われている「共通の魂を有する二人の人間が、こちらとあちらの世界に同時に存在する」というのは本当なのだなと、実感した瞬間でもあった。  彼はドワーフのように職人としての誇りを持ち、無骨な見た目とは裏腹な繊細な仕事を行っていた。そしてドワーフのように、大地のような優しさを讃えていた。ナターシャはふと、「水野や日比谷は、こちらの世界ではどんな人だろう?」と考えを巡らせた。  きっと、水野は|犬狼族《ラウルフ》だ。それも、都会に住んでいるような。田舎の森でひっそりと排他的に生活する彼らと違って、都会住まいの彼らは人懐こい。まるで犬のようにキャンキャンと鳴きながら、隣人について回るのだ。そしてやはり犬のように、興味を持ったものには「それ何?」と繰り返し、目を輝かせながらとことん食らいついていくのだ。  ナターシャは水野が自身へと向ける眼差しを知っていた。それは、かつて世界が平和で、ナターシャが趣味の旅をして回っていた頃によく浴びせられた視線だった。ナターシャが故郷へと帰ってきて、近所の子供達に旅行先での出来事を話して聞かせた際に、その子供達から向けられた〈興味感心と羨望〉の眼差し。はたまた、旅先で出会った都会のラウフル。彼らもまた、近所の子供達のように興味に満ちた瞳でナターシャを見つめ、羨望で潤ませていた。水野の眼差しは、それと同じだったのだ。――だからきっと、水野はラウフルに違いないわと思い、ナターシャは苦笑いを浮かべた。  ――じゃあ、日比谷は?  ナターシャは「彼はきっとエルフだろう」と思ってすぐに、不愉快そうに顔を歪めた。何故なら、エルフはナターシャの愛すべき同族であるのと同時に、最も憎んでいる種族でもあったからだ。  エルフ族の大多数は風の国〈ウィンディア〉に住んでいる。ウィンディアに住まう彼らは高慢な者ばかりで〈エルフこそが至上の種族だ〉と思い込み、他を見下している。そして森住まいの|犬狼族《ラウルフ》以上に排他的で、他に興味を示すということなどは一切ない。  しかしながら、本来エルフは〈知りたがり〉である。知力が高いがゆえに、興味が尽きないのだ。そのため、探究心に駆られてウィンディアから出ていった者も少なからずいた。ナターシャは、その少数派エルフの一族の出であった。  風の国に住まうエルフは、当然ながら風の力に愛されている。その〈風〉は、〈火〉と特に相性が良かったようで、だからウィンディアから出ていった者の大半は最終的に火の国〈フレイディア〉に落ち着いた。そして〈火〉の力を吸収した彼らは、エルフ特有の輝かしい金から燃え盛るような夕日へと、その髪色を変えた。誇り高きウィンディアのエルフは、そんな赤髪のエルフ達を「揺らめく炎に惑わされ、燃え盛る炎で身を焦がし、そしてエルフの誇りを焼けただれさせた」と軽蔑した。 (彼が、そんなエルフのような人でなければいいのだけれども……)  そんな思いとともに、ナターシャは溜め息を吐き出した。ウイスキーを煽るように飲み干して、テーブルにお代とチップを置く。そして席を立つと、ナターシャは店を後にした。しかし、すぐに帽子を店内に忘れてきたことを思い出した。    **********  踵を返して店の扉を押し開けると、そこは〈先ほどまで酒を煽っていた店〉ではない店だった。暗い室内に人がひしめき合い、耳を塞ぎたくなるような大きな音、噎せ返るような煙草の煙で充満したそこは、たしかに酒場のようではあった。しかし、たしかに先ほどの店とは様子が違ったのだ。  これはもしや、またあの〈扉〉を潜ったのだろうか――。そんなことを考えながら辺りを見回していると、見知らぬ男が馴れ馴れしく話しかけてきた。 「お姉さん、一人? ――ん、何? そんな個性的な格好している割には、人見知りとかしちゃうタイプなのかな? とりあえずさ、お近づきの印に何か奢るよ。酒は飲める?」  ナターシャとりあえず、親切はありがたく受け取っておくことにした。そしてウイスキーを奢ってもらったのだが、先ほどまで飲んでいたものよりも味が濃く、深みがあって美味しかった。思わず感嘆するように唸ると、男が「お姉さん、イケるクチなんだね」と笑った。  彼はその後も馴れ馴れしく、肩や腰に手を回してきた。親切にして頂いたからといって、ナターシャはそれを許すつもりは毛頭なかった。適当にあしらいながら酒を堪能していると、先ほどまでの煩い音が消え、ステージの演者が姿を消した。しかしすぐに、ステージ上に人影が現れた。ぼんやりとそれを見つめていたナターシャは、演者の中に見覚えのある顔があるのに気がついて思わず「あ」と声を上げた。  |彼《・》とその仲間達は、先ほどの演者が行っていたような耳障りなパフォーマンスを数曲行った。しかしそのうちの一つは、この場には少々そぐわぬしっとりとした曲だった。だが、|彼《・》にはこの曲のほうがあっているようにナターシャは感じた。――歌の内容は分からないけれど、でも、いい声。そう思い、ステージ上の|彼《・》を眺めながらその歌声に聞き入っていると、|彼《・》とガッツリ視線があった。  |彼《・》は顔色一つ変えなかったが、ステージから捌ける際、少しだけ早足だった。何か問題でもあったのかとナターシャが首を傾げさせていると、酒を奢ってくれた男が凝りもせず腰を抱き寄せてきた。 「お姉さん、ああいう曲が好みなの? 俺も、ああいうしっとりしたやつ、得意だよ。――なあ、ライブ抜け出さねえ? 俺がお姉さんのためだけに歌える場所に、移動しようぜ」  ナターシャはあからさまに嫌悪を示した。すると、男が文句を言う前に、ナターシャは|彼《・》に腕を取られて引き寄せられた。 「ゴメンネ、オニーサン。コノコ、オレノツレナンデ」  |彼《・》に強引に引っ張られながら、ナターシャは店を後にした。店から結構離れてようやく、|彼《・》は掴んでいたナターシャの腕を解放した。 「ねえ、何でそんな慌てて店を後にしたのよ」 「キミネ、カンタンニナンパヤロウニカラダユルシテルナヨ。アブナッカシイナ」 「え? 何? 何て言っているの?」  ナターシャが困惑の色を見せると、彼――日比谷は嗚呼と呻いて小さな板のようなものを取り出した。――それは先日、水野が〈フォトをとる〉ということに使用したものと酷似していた。  日比谷は板に向かって「OK、グルグル」と呟くと、続けて何やら言葉を発した。すると、それはナターシャの知っている言語へと魔法のように訳された。 『あなたは、危うくあの男に犯されていたかもしれません』  ナターシャはギョッとすると、顔を真っ赤にして小さく悲鳴を上げた。誘惑されているのだろうとは思っていたが、まさかそこまでとは。しかしながら、ナターシャは化物を倒しながらの一人旅をしている身である。あのくらいの男であれば、簡単に退治出来る自信があった。それを彼に伝えるべく「私は大丈夫」と端的に言うと、彼は首を振ってNOと返してきた。 「でも、私――」 「君は女性。危険なこと、駄目」  ナターシャは嬉しかった。この旅を始めてから、ナターシャは〈女性〉として扱われたことが殆ど無かったからだ。ナターシャの世界の誰もがナターシャを〈灰色の魔道士に唯一対抗出来るであろう者〉としか見ておらず、この世界に来て初めて出会った水野に至っては〈憧れのエルフ〉だ。だから、ナターシャを〈女性〉として扱ってくれたのは、先日遭遇した〈ロベルトおじちゃんにそっくりな男性〉と、この日比谷くらいなものだろうか。 「何を笑っているの?」 「……ううん、何でも。心配してくれてありがとう」  ナターシャの密かな〈嬉しさ〉が伝わったのか、単に感謝されて気恥ずかしかったのか、日比谷は照れくさそうにほんのりと頬を染めて頭を掻いた。  彼は気を取り直すと「パンケーキは好き?」と尋ねてきた。ナターシャが頷いて返すと、彼は再びナターシャの手を取った。

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この作品の評価

78pt

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現在第3話まで読ませていただきました。 まだ序盤ですがツボにハマりましたのでブックマークさせていただきました水野君大学生だったんですね。 フリーターだと思ってた。 続きも読ませていただきます。

2019.10.14 14:37

ソメヂメス

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