第四話 お刺身

 銃の手入れも終わり、最後の仕上げとでもいうかのように、グリップ部分に施されている彫刻をナターシャはひと撫でした。荘厳な文様と一緒に、〈選ばれし者〉にしか見ることの出来ない文字がそこには刻まれている。 「ゲオルグ」  ナターシャがぽつりと呟くと、銃はそれに呼応するかのように魔力による熱を発した。――〈ゲオルグ〉、それは、〈選ばれし者〉の眼前にのみ現れる、神より賜りし魔装具の名だった。  ナターシャは度々、不思議な夢を見ることがあった。それは神話の一場面や、神話や吟遊詩人の歌う語りにすらなっていないような風景の一場面などだった。そんな夢を見るたびに、ナターシャは「これは〈ゲオルグ〉が昔語りをしてくれているのだ」と思っては、銃に頬を寄せ、グリップの彫刻にキスを落とした。  その〈ゲオルグの昔語り〉のひとつに、このような内容のものがあった。  太古の昔、この世界には存在しない種族の数名が一時的に、この世界の神域に匿われていたという。その種族は〈ヒューマン〉といい、こちらの世界と対になる世界からやってきたそうだ。  ヒューマンのいる世界とこちらの世界は陰と陽の関係とでもいえばよいのか、まるで正反対の世界だという。こちらの世界にはエルフやオーク、コボルトなど様々な〈人〉が存在するが、ヒューマンの世界にはヒューマンしか〈人〉は存在しない。こちらの世界ではマナやエーテルが世界中に満ちており魔法が活発であるが、ヒューマンの世界ではマナやエーテルは乏しく、こちらでいうところの〈魔法〉はほとんど使用されていない。代わりに、こちらでは発展の乏しい〈科学〉という魔法が主流なのだそうだ。  しかし、ヒューマンの中にもマナやエーテルの扱いに長け、こちらの世界の〈魔法〉を使用できる者が少なからずいた。その者達は仲間であるはずの他のヒューマンから奇異の目で見られ、迫害を受けていたという。行き過ぎた迫害が、生きたまま磔にし火をつけるという凄惨な事件へと発展することもしばしばで、心を痛めた神が彼らを神域にて匿われたのだそうだ。  〈ゲオルグ〉が言うには、彼らが匿われている間、神の魔装具である〈ゲオルグ〉達は自分のパートナーとなる人物を選定するのに苦労したそうだ。なんでも、あちらの世界に存在する〈人〉とこちらの世界に存在する〈人〉とで、ひとつの魂を共有して生きているのだという。――分かりやすく言うと、あちらの世界にもナターシャは存在しているし、こちらの世界でも水野や日比谷が存在しているということだ。  〈ゲオルグ〉逹がどうして苦労したのかというと、同じ魂を持つ者同士が出会ってはならないという不文律のようなものがあるそうで、間違っても〈神域で匿われているヒューマンと魂を同じくする者〉を選ばぬように腐心しなければならなかったらしい。  神は神域で匿っているヒューマンに、〈ゲオルグ〉逹のような魔装具を4つお与えになった。しかし、いくらマナやエーテルが扱えるとはいえ、ヒューマンはこちらの〈人〉よりも魔力的に劣っていた。そのため、こちらの世界の人間が使う武器型の魔装具よりも魔力を大幅に増幅させられ、かつ呪文もなしに魔法が使えるようになる装飾品型の魔装具をヒューマンのために神はお創りになった。(こちらの〈人〉は呪文など唱えなくても魔法が使えるが、あちらの〈人〉は魔力が弱すぎるため、言葉という媒体を用いなければ魔法が使えなかったそうだ)  ナターシャが今まさに探し求めている神器というのが、このヒューマンに与えられた4つの魔装具だ。匿われたヒューマン達は自分達の世界に帰る際にこの神器を持ち帰っている。こちらの世界の魔装具は〈ゲオルグ〉以外は灰色の魔道士とその眷属に破壊されてしまっているため、元々神の眷属であった魔道士に対抗出来る|武器《もの》は〈ゲオルグ〉とヒューマンに与えられた魔装具だけなのだ。  ナターシャは膝を抱えると、そこに顎を乗せた。そして、先ほど出会った日比谷のことを思い返した。――神器を持っていたということは、彼は昔この世界にやってきたヒューマンと何か関係があるのだろうか。では、彼に出会う前に二度遭遇した水野とは、彼とは一体どんな理由で出会ったのだろうか。もしかして、水野も神器と何らかの関係があるのだろうか。そして、あちらとこちらで対になる人物がいるのだとしたら、この世界のどこかには彼らの|片割れ《・・・》が存在するのだろうか。 (そもそも、神話は神話だし。ゲオルグの言う通り、本当に対になる人物なんているのかしら?)  ナターシャは立ち上がると、何か食べるものを分けてもらおうと部屋を出た。さすがに、たこ焼きだけでは腹が満たされなかったからだ。    **********  部屋の扉をくぐると、そこは見慣れぬ店の中だった。まさか一日に二度も、しかも同じ場所に〈扉〉が出現するとは思いもよらなかったため、ナターシャはつい呆然と立ち尽くしてしまった。  店は、横に伸びるカウンターに椅子がひと並びする、まるでバーのような作りだった。しかし、バーのように壁際に酒が並んでいるということはなく、引き戸がついたり暖簾がかかったりしている戸棚が並んでいるだけだった。  誰かいないのかと辺りを見回してみると、白い作業服に身を包んだ男性が驚愕の表情で硬直していた。その男性を見て、ナターシャも思わず目を見開いた。――彼は、ナターシャの故郷で食堂を営んでいるロベルトおじちゃんに瓜二つだった。  こちらの世界にはヒューマンしかおらず、そしてロベルトおじちゃんはドワーフであるから、〈瓜二つ〉ということはもちろんあり得ない。しかし、彼は紛《まご》うことなく〈ロベルトおじちゃん〉だった。  あまりの衝撃にナターシャが動けずにいると、店に誰かが来店したようで、〈ロベルトおじちゃん〉は慌ただしく来訪者の対応を始めた。その来訪者を見て、ナターシャは更なる衝撃を受けた。彼は、どう見てもアドルフおじちゃんにそっくりなのだ。  〈ロベルトおじちゃん〉は彼の持ち込んだ木箱を開け、品質を確認して満足そうに微笑んだ。その木箱の中身は、高級そうな肉だった。――アドルフおじちゃんも肉屋である。偶然の一致とは、さすがに言い難い。目の前にいる彼は、〈アドルフおじちゃん〉で間違いないようだ。  〈ロベルトおじちゃん〉が伝票にサインすると、〈アドルフおじちゃん〉は豪快な笑顔を浮かべた。ナターシャが去っていく〈アドルフおじちゃん〉の背中を目で追い、彼によってピシャリと閉められた引き戸をぼんやりと見つめていると、〈ロベルトおじちゃん〉が声をかけてきた。 「ええっと、あなた、イングリッシュは話せます?」  困惑の表情を浮かべる〈おじちゃん〉を見て目をパチクリとさせると、ナターシャは必死に首を縦に振った。 「ええ、話せます。話せるわ」  ナターシャの答えを聞いた〈おじちゃん〉は、ホッと胸を撫で下ろすどころか更に困惑したようだった。どうしたのだろうと思うとともに、自分の視界がぼやけてきたことに気づいて、ナターシャも困惑した。 「何か、悲しいことでも?」 「いえ、違うの。あなたが、故郷の〈仲の良いおじちゃん〉に瓜二つだったものだから、つい」 「ずっと、帰れていないんですか?」 「ええ、もうずっと、長いこと――」  目頭を押さえて必死に涙を止めようとするナターシャを、〈おじちゃん〉は遠慮がちに抱きしめた。彼はナターシャの背中を優しくポンポンと叩くと、ゆったりとした口調で言った。 「その〈故郷のおじちゃん〉の代わりに、私が胸を貸しますよ。さ、我慢せずにお泣きなさい」  〈おじちゃん〉はナターシャが落ち着くまで、ずっとハグをしてくれていた。ナターシャが落ち着いてくると、〈おじちゃん〉はナターシャから離れてにっこりと笑った。 「お腹が空いてると、悲しい気持ちは増しますからね。ごちそうしますよ。さあ、座って」 「でも、私、お金――」  戸惑うナターシャに、〈おじちゃん〉は首を小さく横に振った。そして再びニコリと笑うと、椅子に腰掛けるようにと促した。 「大丈夫。分かってます。あなたが|何もないところから《・・・・・・・・・》|急に現れた《・・・・・》のを見た時は、本当に驚きましたよ」  ナターシャは顔を赤らめると、促されるまま椅子に腰掛けた。〈おじちゃん〉はカウンターの内側へと回り込むと、長方形のものに包丁を入れ始めた。――長方形のそれは、どうやら魚のようだった。  いくつもの〈長方形のもの〉に手早く包丁を入れる様はまるで芸術品を創りあげるかのような美しい手つきで、ずっと見ていても全然飽きなかった。  切り身を皿に盛り付け、椀に汁物と白いご飯を盛った〈おじちゃん〉は、二本の棒を見せてきた。 「オハシ、使えますか?」  ナターシャが首を横に振ると、〈おじちゃん〉は棒を仕舞って、代わりにスプーンとフォークを出してくれた。 「すぐ出せるものが〈お刺身〉しかなくて、ごめんなさいね。お肉のほうがいいんでしょうけど、調理に時間がかかるから……。――お口に合うといいんですが」  遠慮がちに微笑むと、〈おじちゃん〉は盛り付けの終わった皿や椀をナターシャの前に並べた。更に盛られた魚の切り身は、まるで宝石のように輝いていた。  〈おじちゃん〉は今ナターシャの前に並べたのと同じものを、ナターシャの隣の席にも並べた。それを不思議そうにナターシャが見つめていると「私もちょうど、これからお昼なんですよ」と言って〈おじちゃん〉が笑った。  ナターシャは再び瞳を潤ませた。動揺する〈おじちゃん〉に謝罪の言葉を述べると、ナターシャはポツリと言った。 「誰かと一緒に食事をするのも、久々だったものだから……」  ナターシャの言葉を聞いて、〈おじちゃん〉は何を言うでもなくにこにこと微笑んでいた。その〈優しさ〉が、ナターシャにとってはとてもありがたかった。  〈おじちゃん〉が着席し、手を合わせて「イタダキマス」と言うのをナターシャは横目で見ていた。真似をしてイタダキマスと言うと、ナターシャは早速フォークを手に持ち、そして悩んだ。〈おじちゃん〉はナターシャの様子に気がつくと、小さな更に黒い液体を注いでくれた。 「このショウユ……大豆のソースをね、つけて食べるんですよ。ワサビ……そこの山の形をした緑色のものを少しだけとって、ソースに溶かしてご覧なさい。そうすると、味がピリリとシマッて、より一層美味しくなりますから」  言われるがまま、ナターシャはワサビを少しだけとってショウユに溶かした。そしてそこに、刺し身の一切れを浸し、口に運んだ。そして、ナターシャは目を見開いた。――生だ! このお魚、完全に生だわ!  生魚の切り身というと、酢で〆《しめ》て殺菌処理を行ったものというイメージがナターシャの中にはあった。海の幸が豊富に穫れる水の国〈ウォルタニア〉でだって、完全な生というのは見たことも聞いたことがなかった。何故なら、生は中《あ》たりやすいし、寄生虫の心配もあるからだ。  卵も生で食せる世界は、魚も生で食せるというのかと、ナターシャは驚くとともに感心しきりだった。〈完全な生である〉ということに驚きすぎて味わうことを忘れていたナターシャは、二切れ目――濃い桃色のものをショウユにつけて口に運んだ。それは、とても深くて濃い味わいで、肉にも似たコクを感じさせた。しかも、まるで氷のように口の中で溶けてなくなっていくではないか!これは、本当に魚なのだろうか!  次に、ナターシャは淡い色合いの切り身を口に運んだ。淡白そうに見えて、実際はじんわりとした甘みが口の中で広がっていった。  白い麺状のものは、先ほどの切り身とはまた違った甘さがあった。しかし、ぬるぬるとしていて、歯ごたえがあって、何故だか口の中でまとまり固まっていく。一生懸命噛み続けてはいるものの、飲み込むタイミングが良く分からない。  ナターシャが悩ましい顔つきでもぐもぐと顎を動かしていると、〈おじちゃん〉が苦笑交じりに飲み物を差し出してきた。 「イカはね、新鮮なものほど、飲み込みづらいですよね。うちの娘もね、〈口の中でまとまっちゃって、いつ飲み込めばいいか分かんない〉って、よく言っていますよ」 「えっ、これ、イカなの!?」  ナターシャは口元を手で覆い隠すと、驚いて声を上げた。茹でたり焼いたりしたものと、味も食感も全然違うということに、驚かずにはいられなかった。  銀色に光る皮のついた、少々ねっとりとした脂っぽさのある切り身を食べている時、〈おじちゃん〉がおもむろに席を立った。すると、〈おじちゃん〉は同じ切り身を用意して、銃口のようなものがついた金属の筒を取り出した。〈おじちゃん〉が引金を引くと、銃口から松明を焚くが如く火が吹き出した。その光景にナターシャが驚き戸惑っていると、〈おじちゃん〉はその炎でさっと刺し身を炙った。すると、先ほどまで銀色に輝いていた皮がサアッと黄金色に変わったではないか!  食べてみると、〈脂っぽさ〉がねっとりとしたものからさらりとしたものに変化していた。ほんの少し火を入れるだけでも、こんなにも味が変わるなんてと驚くとともに、ナターシャはうっとりと頬を染め上げた。  お刺身を食べる合間にご飯や汁物も頂きながら、ナターシャは〈おじちゃん〉にロベルトおじちゃんのことを話して聞かせた。楽しそうに話すナターシャを見て、〈おじちゃん〉も嬉しそうに笑っていた。  食べ終わり、幸せな気持ちで〈緑色のお茶〉を飲んでいる時、ふと「緑といえば」とワサビのことが気になった。――そのまま食べたら、どんな味がするのかしら。そう思い、結構な量を口に運ぼうとしたナターシャを、〈おじちゃん〉は慌てて止めようとした。しかし、ナターシャはそのままワサビを口に入れてしまった。 「ん゛ー!!!!」    **********  あまりの辛さに驚き叫ぶと、元の世界に戻っていた。マスタードとはまた違う刺すような辛さに、ナターシャはじっとうずくまって動かなくなった。  最後の最後でとてつもない罠にかかったような気がしたが、久々の〈おじちゃん〉に久々の〈誰かと一緒にご飯を食べるという幸せ〉に、ナターシャは自然と笑顔になった。  そしてナターシャは立ち上がると、水を分けてもらうべく部屋をあとにした。

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78pt

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現在第3話まで読ませていただきました。 まだ序盤ですがツボにハマりましたのでブックマークさせていただきました水野君大学生だったんですね。 フリーターだと思ってた。 続きも読ませていただきます。

2019.10.14 14:37

ソメヂメス

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