第一話 ホットドッグとペ●シコーラ

 ナターシャがゆっくり目を開けると、宙に浮いていた弾薬が掌上にゆっくりと落ちてきた。それをそっと握り締めると、彼女は満足気に一息吐いた。――昨日からコツコツと作っていた魔弾の最後の一つがようやく完成したのだ。  弾薬を握りしめたまま、ナターシャは何とはなしに左方に存在する扉に目をやった。  何もない荒野に、扉だけがぽつんとある。壁も建物の骨組みも、屋根もない。ただ扉だけがそこにあるのだ。この不可思議な〈扉〉を、ナターシャはくぐらねばならない。その先に、灰色の魔道士の野望を打ち砕くのに必要な神器があるはずなのだ。  それにしてもお腹が空いたわ、と思いながらナターシャは弾薬を弾薬ポーチへと仕舞いこんだ。一つ作るだけでも体力と魔力を相当使うというのに、昨日から予備ポーチの分まで作っていたのだ。腹がへるのも致し方なかった。しかしながら、既に非常食ですら尽きかけていた。近くの街へ戻ろうにも、十数日もかかる距離だ。もう後戻りもできない。  ナターシャは深くため息を吐くと立ち上がりながらテンガロンハットを目深にかぶり直した。そしてドアノブに手をかけた。 「嗚呼、お腹が空いたなあ……」    **********  扉をくぐり抜けると、そこはどこかの部屋の中といった感じだった。漂ってくる良い香りに引き寄せられるかのように視線を動かすと、今まさにヴァルマフンドにかぶりつこうとしている男と目があった。男は手にしていたヴァルマフンドをゆっくりと机の上に置くと勢い良く立ち上がった。 「動かないで!」  ナターシャは咄嗟に銃を抜き、男に向けて構えた。両手を上げながら「私はイングリッシュが話せません」とたどたどしく言う男のその言葉に、ナターシャは若干の戸惑いを覚えた。――イングリッシュ? 何だろう、それは。言葉は通じるようだが、一部の単語が共通では無いのだろうか。  それにしても。実にいい香りだ。あのような芳しい香りはいつ振りだろうか。――不覚にも、ナターシャはこの緊急事態の|最中《さなか》に訪れた天国に一瞬気を取られた。そして、腹の虫が鳴いた。  それを聞いた男は笑いながら、何やら言い、こちらへと一歩踏み出した。ナターシャは問答無用で引き金を引いたが、発砲はなされなかった。二度三度引き金を引くも状況は変わらず、しかも弾詰まりが起きているような様子もない。パニックを起こしたナターシャは勢い良く後ろを振り返ったが、既に〈扉〉は消え失せていた。  肩を掴まれて男の方へと向き直ると、男は笑顔で「ブーツ」と言った。そしてナターシャに見えるように片足を上げて、自身の素足を指差した。どうやらブーツを脱げということらしい。  この距離では、虚を突いて後ろ腰に装備したダガーを引き抜き応戦するというのも難しい。それに、男には戦う意志はないらしい。それならば、今は男の言いなりになっておいたほうが得策か。  ナターシャは男と視線を合わせたまま、そろそろとブーツを脱いだ。男は満足したかのようにニッと笑うと、素早くナターシャの背後へと回った。そして彼女の両肩を掴み、進めとでも言いたげにグイグイと押しやった。――ヴァルマフンドの方へと。  四、五歩ほど歩くともう、あの芳しい天国の園の元へと辿り着いた。床にそのまま腰を下ろすのはあり得ないとナターシャは思ったが、訛りのある言葉で「座って」と男が言うのでそれに従った。  疑い深気な表情のままテンガロンハットを脱ぐナターシャに、男はぎこちなく笑いかけた。そして、彼女の横に座り込みながらヴァルマフンドを指差して言った。 「〈ホットドッグ〉、あげます。食べて」 「は!? 犬の肉ですって!?」  ナターシャは叫び、美しい夕焼け色の短髪を逆立てた。鬼の形相を浮かべ、立ち上がろうとしながら何やら後ろ腰に手を回す彼女に驚いた男は慌てて首を横に振った。 「違う。肉は犬ではありません。豚です」 「え、何、豚なの?」  必死に首を縦に振りながら「豚」という単語を繰り返す男を睨みつけながら、ナターシャは再び床へと座り込んだ。一瞬だけ、ヴァルマフンド(この男は、何故かホットドッグと呼んでいた)をちらりと見て、再び男へと視線を戻す。すると男は頬を引き攣らせてはいるものの、笑顔を崩すことなく再び「食べて」と言った。 「あなた。お腹。グーグー。だから。お願い、食べて」  男はそのようなことを片言で言いながら、今度は「お願い」という単語を繰り返した。ナターシャは男を睨んだまま、ヴァルマフンドに手を伸ばした。  頬張った瞬間、ナターシャは目を見開いた。――美味しい! え、何これ、凄く美味しい!!  これほどまでにふかふかなパンを、ナターシャは食べたことがなかった。ついこの前食べたパンなどはハード系のパンではないというにも関わらず、固くて、しかもパサパサとしていた。むしろ、ついこの前に限らず、その日の焼きたてにありつけなければ、大体がそんな感じだ。だがしかし、このパンは焼きたてという感じではないのにしっとりと柔らかではないか! きっとこのパンを作ったのは随分と手練の、熟練の職人なのだろう。  腸詰め肉も美味しいには美味しいが、地元にあるキングスミートのアドルフおじちゃんが作る極太フランクがやっぱり一番だな、とナターシャは思った。あそこの店の腸詰めはフランクもウインナーも皮がプリッとしていて、歯を立てるとパキッという音が耳の奥に心地よく響く。そして、口いっぱいに凝縮した肉の旨味が肉汁とともに広がるのだ。今食べてるこれは、皮が弾ける音がすることもなく、旨味もそこそこ、肉汁もなし。パンが良いだけに、これは少しがっかりだ。  そしてトマトソース。何ていうか、味が濃い。熟した質の良いトマトであれば、下手に香辛料をあれこれと入れなくても、トマトの風味だけで十分すぎるほどに満足感を得られるというのに。トマトの味が生かされておらず、何ともまあ残念な仕上がりとなっている。  一番最初に感じたあの衝撃は一体何だったのか。久々に食べ物を口にした喜びで勘違いを起こしてしまったのか。パンはこんなにも素晴らしい逸品だというのに、腸詰めとトマトソースがこれでは、何ていうか、残念極まりない。―――最初の一口のあと、勢い良く二口めを齧り付いたナターシャの顔から輝きが消え、必死に咀嚼していた顎の動きが鈍くなった。男はあからさまにテンションが失速していく彼女を心配して声をかけたが、ナターシャはそれに反応すら返さなかった。  気を取り直して、ナターシャは黙々とヴァルマフンド――ホットドッグを食べ進めた。この先いつ食事にありつけるか分からないのだ、今のうちにしっかり食べておかねば。  半分を少し過ぎた辺りまで食べ進めたところで、ナターシャは飲み物が欲しくなった。視線だけをキョロキョロと動かしていると、男がそれに気付いて「飲み物?」と聞いてきた。ナターシャが頷くと、男が飲み物と思しきものを手渡してきた。  そのコップは紙で出来ていて、ふたは紙のようなガラスのような、そのどちらでもあるような奇妙な材質で出来ていた。ナターシャはそのふたを外すと、中身の液体を口に含んだ。  最初の一口で、ナターシャは驚嘆した。驚きのあまり、しばらく中空を仰ぐことしか出来なかった。これは先ほどのヴァルマフンドの時のような見掛け倒しなものではなく、本物の衝撃だった。  はしばみ色の瞳を大きく見開いて瞬きすらせずに動かないナターシャの肩を男がつついた。ナターシャはその遠慮がちな振動で我に返った。―――美味しい! 何これ、美味しい! 何これ……。何これ、ペ●シって書いてある! コップにペ●シって書いてある! ペ●シって、この飲み物の名前かしら?  ナターシャは感動のあまり、ふるふると身を震わせた。そしてコップを両手で掴むと、貪るように飲んだ。――美味しい! 何これ、本当に美味しい! 舌がとろけるよう……。しかも、すごく甘いわ!  小さな氷の欠片が気管に引っかかった。ナターシャが胸を抑えて咳き込むと、氷を吐き出すのと同時にげっぷがこみ上げてきた。恥ずかしさのあまり口元を抑えて俯くと、急に何かに耳を引っ張られた。ナターシャは驚き顔を上げながら、耳に触れているものを払いのけた。耳を引っ張っていたのは男の手で、男は乱暴に振り払われたことなど気にも留めずに、キラキラとした目でナターシャを見つめていた。  あまりのペ●シの美味しさに、男の存在をすっかり忘れていた。何という失態。しかしながら、男はそれ以上の攻撃行為は示さず、羨望ともとれる眼差しでナターシャを見つめ続けるだけだった。時折、男が「ヤベエ リアルエルフダ ヤベエ」という言葉を呪文のごとく呟いた。―――何だろう、よく分からないけど、背筋が寒いわ。  それにしても、このペ●シという飲み物は一体何なのだろうか。先日立ち寄った水の国の、炭酸泉が名物のあの村で飲んだジンジャーエールよりも炭酸が強いとは。  こんなにもキツい炭酸水をナターシャは飲んだことがなかった。そして、こんなに甘いということは、大量に砂糖が入っているのだろう。砂糖を豊富に使えるということも、ナターシャにとっては驚きだった。液体の色が黒いのは、使っている砂糖が黒いからだろうか。それとも、別な何かが――  また、この氷。氷なんていう貴重なものが、こんなにも大量に入っているだなんて。ここはきっと、魔法の国に違いない。こんな素晴らしい魔法に富んだところなら、絶対に神器も存在しているだろう。  それにしても、このペ●シという飲み物は本当に美味しい。早く神器探しに行かねばならぬのも承知してはいる。それこそが世界を救う唯一の手段なのだから。しかし、この素晴らしい飲み物は最後の一滴まで堪能したい。とりあえず…… 「とりあえず、これ飲んだら世界救うわ!」  ナターシャが満面の笑みを浮かべ、残りのペ●シを愛おしげに見つめていると、コップを持っている手が透けてその先にある机が視界に入った。自身の身に起きた突然の変異に動揺していると、男が悲しげな表情で「マッテ キエナイデ オレノヨメ」と叫んだ。男の言葉の意味が理解できずにナターシャが眉間にしわを寄せると、次の瞬間にはあの〈扉〉が目の前にあった。――元いた荒野に、どういうわけか戻ってきてしまっていたのである。  脱いだはずのブーツや帽子も、ご丁寧にもナターシャと一緒にこちらの世界へと帰還していた。ホッとしたのもつかの間、ナターシャはあることに気がついて驚愕した。そして悲しげに顔をくしゃくしゃにすると力の限り叫んだ。 「ペ●シがない! まだ少し残ってたのにぃ!」

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この作品の評価

78pt

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現在第3話まで読ませていただきました。 まだ序盤ですがツボにハマりましたのでブックマークさせていただきました水野君大学生だったんですね。 フリーターだと思ってた。 続きも読ませていただきます。

2019.10.14 14:37

ソメヂメス

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