第13章・決意

 その日の晩餐は部族が会し、当然の如く鯨だった。皆さっぱりと身なりを整え、普段の宴席と何等変わる所はないように思えた。だが、とろとろになるまで煮込まれた鯨肉は、本来ならば族長家の物であるはずの最上の部位だった。どこまでもスヴェルトの常識は通じない。龍涎香が見付かった振る舞い、という訳でもなさそうだ。ここでは、全てを分け合うのが当然なのだろうかと思った。  香草が効いた羮《あつもの》は、やはりジョスの味を思い起こさせた。この島の味に、スヴェルトは知らぬ間に慣らされていたようだ。かつての族長集会の際に口にした料理は自分達の料理とそうは違わなかったように感じたのは、料理人が他部族に合わせていたのだろう。  異教のこの部族は、最も最近に北海に加わったのだと子供の頃に教わった。それまでは孤高を保っていたのかどうかはスヴェルトには分からない。ただ、ジョスの枕語りでは何処《いずこ》ともなくこの北海にやって来たらしい。それが、何時の事なのかも分からないとも聞いた。  腹の膨れた子供達がうとうととし始めると、女達は席を立ち、男ばかりになった。話題は狩りと龍涎香の事だった。あの汚物まみれのぶよぶよとした塊が、やがて乾燥すると琥珀色になり、あの蠱惑的な香りを醸し出すようになるとは、到底信じられなかった。  皆、気分良く酔っているようだったが、スヴェルトは酔えずにいた。緊張から解かれ、ようやく落ち着く事が出来たにも関わらず、心は晴れなかった。  賑やかに下座の者達が騒ぐ中、〈海狼〉の奥方が現れ、スヴェルトに声を掛けた。 「お話がございます。よろしいでしょうか」  一瞬、家族の間に緊張が走った。だが、直ぐにそれは解け、イルガスは微かに笑った。 「ゆっくすると、いい」  杯を口に運び、〈海狼〉が言った。  スヴェルトは立ち上がり、奥方の後に付いた。 「お疲れのところ、申しわけございません」奥方は家族の棟から外に出た。族長の館の裏は、仄かな月明かりに照らされていた。「でも、あの子の気の変わらぬうちがよろしいかと思いましたので」  あの子。  ジョスと会えるのか。  スヴェルトの心臓が跳ね上がった。ずっとその事を望んでいたと言うのに、いざとなれば、まだ心の準備は出来てはいない。今迄の事、今日の事、全てに自分の中で解決がついた訳ではなかった。どのような顔をしてジョスに会えば良いのかも分からない始末だった。 「今、あの子は誰にも会いたくないと言って、離れに起居しております。何かあれば、すぐに人を呼んでください」  今は奥方と二人きりだ。話すなら、この時をおいてなかった。 「奥方様」スヴェルトはままよ、と言った。「お訊ねしたき事がございます」 「何でしょうか」  柔らかな声だった。 「ジョスは、貴女に全てを話したのでしょうか」 「聞きました」 「さぞかし、某を軽蔑なされた事でしょう」 「まさか」穏やかな声だった。「間違いは誰にもありましょう。それに、わたくしはあなたが偽りを申される方には見えません。そうだとしても、訳がおありでしょう」  スヴェルトは黙った。 「初子を亡くしたこと聞きました。その悲しみの大きさは、二人亡くしたわたくしにもよくわかります。いいえ、初めてであっただけに、あなたにとってもジョスにとっても、大変なできごとであったでしょう。わたくしがベルクリフさまの哀しみには心行き届かなかったように、あなたも、ご自分の哀しみの中に閉じこもってしまわれたのでしょう。ジョスにも、それは分かっておりますわ。そして、あの子はあなたを信じております。だから、わたくしもベルクリフさまも、あなたを信じておりますわ」  ジョスが自分を信じている。  それは大きな事だった。 「それと、奥方様は何故、血の復讐を望まれないのです。奥方様にも〈海狼〉殿にも、その権利はあるはずです。それなのに、何故、某に大事な一人娘であるジョスを下されたのです」 「スヴェルトどの」  静かな声だったが、それはしっかりとした意志のある言葉だった。 「血の復讐を果たさぬ者は北海では臆病者とそしられることは存じております。でも、わたくしは血讐を望みません。望んだところで、死んだ人々は戻ってはきません。それに、わたくし一人のことで七部族の結束を危うくすることはできません。結局は、血讐は血を呼ぶものでしかありませんし、わたくしはあれ以上の血が流れるのを見たくはないのです。ベルクリフさまも、そのことは理解してくださっています。たった一人のために、他部族との間に問題を起こすことはできません」 「しかし、何故、某とジョスとの婚姻を許されたのですか。我々は貴女に対して非道な行いを為したと思いますが」  どうしても、訊きたかった。この女性が奴隷の身分であった頃に自分達が為したであろう事を思うと、良くぞ許せるものだと思った。〈海狼〉の独断で決めた事であるならば、この女性には不満であるはずだ。 「ジョスとあなたが〈運命〉だからです。わたくしとベルクリフさまがそうであるように、別つことのできない関係を、二人に感じたからですわ。わたくしの父はそれを、比翼の鳥連理の枝と呼んでおりました」 「某は学がなくて、申し訳御座いません」  スヴェルトは恥を忍んで言った。 「翼を並べて飛ぶ二羽の鳥のように、枝を絡ませあう二本の木のように生きよ、と」  その言葉は深くスヴェルトの心に滲みて行った。ジョスとそう生きられれば、どれ程良いだろうかと思わずにはいられなかった。  ジョスのいるという離れには直ぐに着いたが、それは離れというよりは小屋のような建物だった。二人の住まいよりも小さい。独身者用の家のようだった。 「どうぞ、中にジョスがおります」  そう言って背を向けた奥方に、スヴェルトは慌てた。 「あの、取り次いで戴く訳には…」 「大丈夫ですわ。わたくしが間に入るよりも、あなたが直接、声をお掛けになった方がよろしいですわよ、こういう時には」  奥方はそう言うと母屋へ戻って行った。人生には一日以上の長のある人の言葉だ。従わない訳にはいかない。ましてや、ジョスの母親だ。その気性はスヴェルトよりも心得ているだろう。スヴェルトは大きく息を吸い込んだ。 「ジョス、俺だ、スヴェルトだ。開けるぞ」  かつては家や部屋に入るに際して声を掛けるなどなかった事だ。だが、ここでは皆がそうしているので、それがこの島での礼儀なのだろうと思った。それならば、従わねばならない。  返事はなかったが、スヴェルトは扉を開けた。  鯨油蝋燭の明かりに、部屋が照らされていた。  寝台と卓子、椅子等、最低限の家具しかなかった。病人の部屋のようにも思えた。 「ジョス」  スヴェルトは扉を閉め、再び声を掛けた。姿が見えなかった。会うの嫌さに逃げたのだろうか。  そう思った時だった。寝台から、髪を解いたジョスが身を起こした。  眠っていたのであろうか。だが、それでは奥方が自分を呼ぶ事はないだろう。病人部屋のようだという先程の感覚にどきりとした。 「具合でも、悪いのか」  スヴェルトは居心悪くなって言った。 「いいえ」  物憂げにジョスは答えた。久し振りに聞くその声には張りがなかった。  乱れた髪を掻き上げ、ジョスはスヴェルトを見た。痩せた、と思った。目にも力がない。だがそれを言い出す勇気はなかった。 「今日、洞窟の所にいただろう」  何を話して良いのか分からず、取り敢えずそう言った。「直ぐに奥に行ってしまったようだったが…それと、あの堅焼き麵麭は、美味かった」  ジョスはスヴェルトから目を逸らせた。 「おしゃべりのお節介がいたものね。何をしに、いらしたの」  感情のこもらない声だった。スヴェルトの知るジョスではないようだった。 「お前に会いに、お前を連れ戻しに来た」  今度は堂々と言えた。 「それは、あなたの意思、それとも、他の誰かの命令でいらしたの」  その言葉は、今のスヴェルトには氷のように冷たく聞こえた。 「俺自身の意志でだ」スヴェルトはジョスに近付いた。「お前をどれ程傷付けてしまったのか、これでも分かっているつもりだ。お前が俺を見捨てても仕方のない事も、分かっている。だが、俺はお前に戻って来て欲しい」 「嫌だ、と言ったら」  ジョスは目を合わせようとはしなかった。それ程までに会いたくはなかったのか、自分は嫌われてしまったのかと、スヴェルトの心は沈んだ。 「お前があの島に住みたくない気持ちは分かる。だが、離婚はしないで欲しい」 「それは、わたしが〈海狼〉の娘だからなの」  言葉遣いも、以前とは異なっていた。あの優しさは、欠片もなかった。 「違う」  スヴェルトは寝台の脇に跪いた。 「俺は、お前が何者であっても構わない。俺が共に暮らせるのは、お前をおいて他にはいない」  スヴェルトは大きく息を吐いた。 「俺はお前に惚れている。ようやく、それが分かった」  ジョスの細い手を、思わずスヴェルトは取った。 「お前が必要だ。俺が生きて行く上で、お前が一番、必要なんだ」  すいと抜かれようとする手を、スヴェルトは逃がさぬように力を込めて握った。 「お前が俺を捨てる、と言うのなら、年に一度で良い、お前が元気でいる姿を遠くからだけでも眺めさせてくれ」 「馬鹿ね」  ようやく感情の入った声でジョスが言った。それは可笑しみをこらえるような感じであり、スヴェルトの身体から力が抜けて行った。 「あなたは、本当にに、馬鹿よ」  ジョスの声は震えていた。その目には、見る見る内に涙が溢れてきた。 「そうだ、俺は馬鹿だ」  静かにスヴェルトが言うと、まるで蝶のようにふわりとジョスがその首に縋り付いて来た。  軽い。スヴェルトは愕いた。やはり、痩せた。 「そんな、泣きそうな顔をして言わないで」ジョスが言った。「あなたはいつだって、笑っていなくてはならないわ」 「無理を言うな」スヴェルトはジョスの背にそっと腕を回した。感情のままに行動すれば、その細い身体を砕いてしまいそうだった。「お前に見捨てられて、どうして笑っていられる」  スヴェルトはゆっくりとジョスの身を離し、その目を見た。空色の、吸い込まれるような目。  しんと静まり返った部屋の中で、二人は暫し見つめ合った。  夢にまで見たジョスだった。だが、その顔は泣いているのか笑っているのか、判別の付け難い表情を浮かべていた。 「お前の方こそ、笑っていてくれなくては困る」スヴェルトは言った。「その方が、お前は綺麗だ」 「そんな言葉、どこで覚えてきたの」ジョスはスヴェルトの胸を摑んだ。「わたしに戻ってほしければ、正直に言って」 「俺は、初めてお前を見た時から、そう思って来た」スヴェルトはゆっくりと言った。「俺の嫁がこんな綺麗な女でいいのか、と。だから、お前が俺に不満を持つのは仕方ないと思っていた。だが、お前は俺にとっては最高の女房で、女でいてくれた。結局、それを台無しにしたのは、俺の軽率さだった」  スヴェルトはジョスの髪を撫でた。龍涎香が香った。 「お前が去った時から、ずっと考えて来た。俺にとってお前は何だったのだろうか、と。お前は愚痴の一つも言わん、良い女房だった。いつでも美味い料理を作ってくれた。服も文句も言わずに繕い、新しく作ってもくれていた。決して、俺の邪魔をしなかった。唯論、俺はお前に女としても満足していた。だが、それ以上だった。その事に気付くのが、遅かった」  一つ、大きな溜息をスヴェルトは吐いた。 「何時の間にか、お前は俺の心の――魂の奥底にまで入り込んでいた。お前の前では、俺は戦士ではいられない。只の馬鹿な男でしかない。お前の本当の価値にも気付けなかった。自分の気持ちにすら、気付けなかった」  腕の中のジョスは身じろぎ一つ、しなかった。 「女房としても、女としても、お前は素晴らしく、離し難いと思った。だが、それだけではかった。お前がどのような生まれ育ちであろうとも、関係はない。俺に必要なのは、お前という存在なんだ。俺はお前に惚れている。それ以上に言いようのないくらいに。それは、自信を持って言える」 「おかしな人」  ジョスは再びスヴェルトの首に腕を投げ掛け、頬をすり寄せた。  短く刈って強《こわ》い髭でジョスのやわらかな肌が傷付かぬかと心配になった。 「お前に会うまでは、俺は戦馬鹿だった。腹一杯に飲み食い出来て、気が向いた時に女を抱ければそれで良かった」スヴェルトは正直に言った。「女房、子供を持つなど、考えもしなかった。だが、今は違う。お前がいなければ俺には生きて行く意味がない。お前が幸せになれるならば、どんな事でもしよう。我慢などではない。それが俺の望み、俺の幸せだ。お前がこの島で幸せに暮らしているというだけでも、俺には充分だ」  さっと、ジョスが身を引いた。その顔は真剣だった。 「あなたは、わたしがいなくても平気なの」 「そうではない」スヴェルトは言った。混乱して、また誤解を招くよう事を言ってしまったようだった。慎重に言葉を選ばねばならない。「俺はお前に傍にいて欲しい。だが、お前が俺達の中で幸せになれないのなら、この島で暮らした方がお前の幸せだろう」  スヴェルトは、今までジョスから隠してきた長剣を差し出した。 「俺の守り神はお前だ」  長剣の鞘に目を落としたジョスは、やがて気付いたのか、愕いたようにスヴェルトを見た。 「お前は俺にとっては鳥のように自由で、人魚のように捉えどころがなく魅力的だ。お前の母君が海神の娘ならば、お前は〈海狼〉と海神の娘との間に産まれた、この北海の娘だ。何時、何処にあっても、この剣と共にある限り、俺はお前と共にいると思える。お前に会えぬ時間を耐える事も出来る。お前のいない場所でも生きて行けるだろう」 「それは、あなたの勝手な思いだわ」  ジョスの言葉に、スヴェルトどきりとした。そうだ、独りよがりの思いである事に変わりはない。問題は、ジョスの思いなのだ。 「相変わらず、あなたは、わたしがどう思っていようとおかまいなしなのね」  ジョスの目には涙があった。それは嫌な涙ではなかったが、スヴェルトの胸を締め付けた。  いきなり、ジョスが唇を重ねてきた。甘やかで柔らかいその感触に、自分どれ程焦がれていたのかを思い知らされた。ジョスは、特別だった。何もかもが。 「あなたは、わたしがどれほどあなたを愛してきたのかを知らないのだわ」 「ああ」  スヴェルトは素直に答えた。 「わたしが、どれほどあなたを待っていたのかも」 「ああ」  その事に関しては一言もなかった。 「ようやく会えたのに、それも、婚姻の席で会えたというのに、あなたは思い出してはくれなかった」 「ああ」スヴェルトは自分でも言い訳だと思いながらも言った。「だが、俺は、お前を新床で目にした時から、本当はお前に惚れたのだと思う」 「馬鹿」  まだ何か言いたげなジョスの口を、今度はスヴェルトが封じた。  潮騒の音を聞きながら、スヴェルトはジョスを背後から抱えていた。  これ程に互いに求め合っていたとは思わなかった。初めて充分に慈しみ、ジョスに女の悦びを与える事が出来た。痩せたのは気になったが、温かさには変わりはなかった。これ程充足した想いは、ジョスからしか得られない。  好きなのでもない、惚れているのでもない、もっと、深いものだとスヴェルトは思った。  それが恐らく、ジョスが口にした愛、というものなのだろう。  スヴェルトはジョス項に唇を這わせた。どうしようもなく愛おしいという感情が湧き上がって来る。決し離したくはなかった。  くすぐったげにジョスが身をくねらせた。人魚のような動きだ。 「痩せたな。俺が色々とやらかしたせいか」  スヴェルトはジョスの身体の線を撫でながら言った。抱くとその違いは明らかだった。 「いいえ、そんな事はないわ」  ジョスの、スヴェルトに対する口調は変わっていた。以前のような丁寧さはなくなったが、より親密になった気がした。 「しかし――」  様々な事がジョスを悩ませていたのは確かであったし、島にいた時から食欲がなかったのも事実だ。 「――がひどいだけ」 「え」  スヴェルトには良く聞き取れなかった。聞き間違いではないのかと思った。 「悪阻《つわり》がひどいだけよ」  瞬間、頭の中が真っ白になった。ジョスの手が、スヴェルトの手を自らの下腹部に導いた。 「お前、それは」 「そうよ、身ごもっているの」  がばとスヴェルトが身体を起こした。 「お前、それなのにあんな、あんな――危険な事をして。それに今も」 「その事はもう、済んだ事。散々、父からお説教をされたわ。でも、この子は大丈夫」ジョスは振り向き、スヴェルトを落ち着かせるように胸に手を当てた。「分かるの。この子は大丈夫だって」  スヴェルトは何も言えなかった。これが母親というものなのか。何の根拠もなさそうだというのに、その自信はどこから来るのだろうか。  大きく息を吐いて、スヴェルトは寝台に大の字になった。 「お前と言う女は、全く目が離せない」 「でも、退屈もしないでしょう」  にっこりと笑ってジョスはスヴェルトの胸に凭れた。 「こちらが心配で倒れそうだ」  ジョスは小さく笑った。 「でもこの子は女の子でしょうね。母は、わたし身ごもった時だけ、悪阻がひどかったらしいですもの。がっかりしたかしら」 「がっかりだと」  スヴェルトは声を上げた。 「あなたの部族では、男の子が望まれるでしょう」  不安げな言葉にスヴェルトは笑った。そして、ジョスをしっかりと抱き締めた。 「お前の子だ。どちらにしても大歓迎だ。誰にも文句など言わせはしない」  ジョスの言葉は真実ではあったが、スヴェルトにはどうでも良かった。 「でも、あのようなことをして、わたしはあなたの妻でいられるかしら」  そうだ、問題はそんなに簡単な事ではない。ジョスにもそれは分かっているのだ。族長の弟にして船団長のスヴェルトに恥をかかせた。部族に恥をかかせたも 同然なのだ。 「心配するな。俺が、何があってもお前と子を守る。お前を離縁せよと言われても、従う気はない」 「それでは族長に反する事になるわ。悪くすれば、法外追放に…」  ジョスは唇を噛み、言葉を切った。それは、口にするには余りにも重い言葉なのだ。 「そうなれば、北海に戦士など誰も知らん土地へ行って、戦士稼業でもするか」スヴェルトは明るく言った。「この世界には、戦士を雇うような奇特な者も存在すると言うからな」 「わたしもご一緒します」 「お前はここにいてくれた方が安心だ」  スヴェルトは顔をしかめた。 「わたしが、黙ってあなたの帰りを待つ女に見えますか」  じっと、スヴェルトはジョスの顔を見た。意志の強い顔は〈海狼〉と似ていた。 「そうだな。だが、危険すぎる。しかも、子連れともなれば」 「わたしを何だと思っているの」ジョスがスヴェルトの胸を押した。「これでもあなたとの婚姻が決められるまで、この島の女戦士を務めていたのですから、自分と子のことくらいは守れます」 「女戦士――」  聞き慣れぬ言葉だった。それは、古謡の中でしか語られない伝説の存在だ。 「この島を守る者。水先案内人。あなたもわたしの義姉妹には会われたでしょう」  あの若者。  やけに若いと思ったが、あれは女だったのだ。道理で戦士にしては華奢な身体付きをしていた訳だ。  それに、ジョスの覚悟の程も戦士としてのものなのか。  実に、見事だ。実に見事に騙されたものだ。  スヴェルトは可笑しくなった。 「何を笑っているのです。わたしは、あなたの寝首を掻くこともできるのですからね」 「そうだったな」  スヴェルトは猶も笑いながら言った。実際に、喉を掻っ切られそうになった時の事を思い出した。寝ている間なら、造作もないだろう。 「せいぜい、そういう事のないように気を付けよう」  どのような素晴らしい腕の戦士であっても、やはりスヴェルトにとってはジョスは愛おしい可愛い女だった。 「まあ、何はともあれ、良かった、と言うべきでしょうか」  翌日の朝餉の席にジョスと共に姿を現したスヴェルトを見て、マグダルが言った。 「時には意見の相違もあるものだ。特に、まだ月日の浅い夫婦では、小さな行き違いでも大問題になる事もある。しかし、この話はお前には未だ早いかな」  落ち着いた様子で〈海狼〉が言った。この人は本当に何でもお見通しだとスヴェルトは思った。 「後、二、三日はいらっしゃれるのでしょう」奥方が言った。「出発されるにも、準備がございますし」 「はい」 「その間は、鯨漁で疲れた身体を休めて下さい」フラドリスが言った。「我々も、暫くはのんびりとさせて頂きますから」 「いろいろと、そちらさまにはご迷惑をおかけいたしましたもの、それなりの償いはさせていただきますわ」  辞退をしたが、それは奥方が譲らなかった。やんわりとしたその穏やかな言葉には、どうしても逆らえないものがあった。そういうところは、ジョスと奥方とは似ていると思った。だが、どちらに似ていようが、ジョスはジョスだった。だからこそ、スヴェルトは他の誰でもない、ジョスに魅かれるのだ。  出発の朝、一族の人々と家人達が見送りに来た。  スヴェルトはその中に、自分達が家で使っていた子供二人と黒髪の男を認めた。三人共に、奴隷の印である首の鎖はなかった。いや、この島で見かけた誰の首にも、それはなかった。ジョスがかつて言ったように、ここに奴隷はいないのだ。 「ドルスは農夫の仕事をしているわ。子供達は今、里親を探しているの」 「もう一人、お前付きの女がいただろう」  スヴェルトは不審に思った。あの娘がジョスの側を離れるとは思えなかった。ジョスの懐妊をスヴェルトに知らせなかった事で叱責を恐れている訳でもなかろう。既に、ジョスからあの娘に口止めをしていたのだからという事情は聞いていた。それに、今ではスヴェルトの奴隷ではなくこの島の自由人だ。叱責の理由がない。 「ミルドね」ジョスは微笑んだ。「あの子なら――」 「奥さま」  そのミルドが家人の中から飛び出して来た。 「お願いいたします。やはり、わたしもお連れください」 「それはできないと、昨日も話したでしょう。だって、あなたは――」 「良いのです、姉上」愕いた事に、フラドリスが口を開いた。「我々も話し合いましたから」  スヴェルトには何の事か全く理解が出来なかった。  ミルドはジョスの前に跪いた。 「わたくしは、奥さまと共に戻ります。お子さまがお生まれになるというのに、あのような家に奥さまをお帰しすることはできません。旦那さまがいらっしゃらない時には、わたしが奥さまをお守りいたします」 「守る、と言うよりは縛り付けておくべきかもな」  イルガスが苦笑した。「良い監視役ではないか」 「姉上、どうぞミルドをお連れ下さい」フラドリスが言った。「私は姉上への用事にかこつけて毎年、会いに行きますから」 「それで、かまわまないの、あなたたちは」 「そういう関係もある、とだけ、申しておきましょう」  フラドリスが微笑んだ。柔らかな、奥方に良く似た笑みだった。 「当事者が良いと言うならば、共に行くが良い」〈海狼〉は言った。「それも〈運命〉の様相の一つだ」  ジョスは、娘の手を取った。 「では、あなたはわたしの義妹《いもうと》だわ。使用人ではないわ」  スヴェルトの頭はなかなかついては行けなかった。つまり、この十日余りの間に、フラドリスと元奴隷の娘とは恋人関係になった、という事なのか。そして、その事を〈海狼〉も知っていて、何の疑問も反対もないというのか。  だが、それも、この島の者にとっては大事《おおごと》ではなさそうだった。「一人も二人も、船にとっては変わらんさ」  スヴェルトは静かに言った。  ジョスは嬉しそうに頷いた。  島影が見えなくなるまで、ジョスと娘はそちらを見つめ続けていた。寄り添いあうその姿は本当の姉妹のようだった。別れは愁嘆場にはならず、誰もがジョスと娘――ミルドの前途に不安を抱いてはいないようだった。  その根拠は分からない。しかし、この島の人々はスヴェルトの知るどの部族の者よりもその辺りの勘は優れているように思われた。住む環境の厳しさがそうさせるのだろうかとスヴェルトは思った。 「外洋は揺れがきつい。天幕の中で休め」  スヴェルトは艫の二人に声を掛けた。ジョスは微笑んだ。 「わたしは大丈夫。もう少し、潮風を楽しみたいわ」  スヴェルトは頷いた。ジョスに意見をしても無駄だという事は、分かっていた。自分を貫き通すだけの強さを持っている。それは非常に好ましかった。 「では、皆に集って貰おうか」  ヨルドが部下達に声を掛けた。訳が分からない、という顔で皆はスヴェルトとジョスの周りに集って来た。 「俺は一度、女房に逃げられた」  スヴェルトが言うと、抑えた笑いが一同から起こった。 「婚姻の腕輪も投げ返された」  腕輪をスヴェルトが掲げると、皆から感歎の声が上がった。 「だから、もう一度求婚する。お前らが証人だ」  様々な声が湧き起ったが、スヴェルトは気にしなかった。呆気に取られているジョスの前にスヴェルトは跪き、靴に触れた。イルガスから教えて貰った島風の作法だった。  靴に唇付けると、愕きの声が聞こえた。 「我、スヴェルトはここに誓う。これより後《のち》は、わが〈運命〉よ、そなたもし、我が手を取りたれば、この生命、汝が足下にあり、と。我が心臓はそなたに捧げられたりと。知り給え、我が勲《いさおし》と名誉はそなたの為に有り。我が愛、我が魂を受け入れ賜うならば、この手を取り、さもなくば、この場にて我に死を命じよ」  何とか憶えた言葉をスヴェルトは言う事が出来た。 「お立ちください、スヴェルトさま」  ジョスが微かに震える声で言った。「あなたの心、確かに受け取りましたわ」 スヴェルトは立ち上がり、ジョスの手を取った。 「ならば、この婚姻の証たる腕輪を再び受け取り給え」  ジョスは頷いた。  相変わらず細い手に、腕輪を通した。 「ついでにこいつも受け取ってくれ」  砕けた言い方しか出来なかった。それは、ジョスの指に合わせて北の涯の島の細工師に作って貰った新しい指輪だった。表は《《あじさし》》が、裏にはスヴェルトの紋章の熊が彫られている。それをジョスの中指に嵌めた。その顔が輝く。秘密にしていた甲斐があったというものだ。 「これも」  鯱の牙と後朝の指輪とを通した革紐、銀の飾り留めも手渡した。  ジョスはそれらを首に掛け、服に留めた。  スヴェルトはジョスを見つめた。どうするべきか迷った。だが、ここは、やはり自らに正直であるべきだと決めた。  ジョスを抱き寄せると、唇を重ねた。  部下達の囃し立てる声も、ヨルドが皆を叱り付ける声も気にならなかった。  これが、自分の求めていたものなのだ。     ※    ※    ※  夜の天幕の中で、ジョスはミルドと少し話をした。そして、フラドリスとミルドの決意を知った。 「どれほど離れていようとも、本当の〈運命〉ならばそれは関係ない、とあの方はおっしゃってくださいました」 「あなたたちは、わたしよりも大人だわ」  自分の衝動的な行動を思ってジョスは恥じた。 「いいえ、そんな事はありませんわ」ミルドは首を振った。「あのような立派なお方が、わたしのような者に好意を寄せてくださるなんて、とても今でも信じられませんわ」 「島では身分は関係ないわ。それに、あなたは本当にいい娘《こ》ですもの、幸せになってほしいのよ。わたしは恩義を感じる必要など、ないの」  ミルドは俯いた。 「ご一緒するのは、迷惑だったでしょうか」 「いいえ、あなたがいてくれれば、わたしは嬉しいわ。でも、それはあなたの幸福を犠牲にしてではないのよ」 「犠牲になど、しておりません」ミルドは言った。「わたしは本当に奥さまのお側にいたいのです。それは、フラドリスさまのお側にいたい、という気持ちと同じくらいに強いのです。でも、フラドリスさまは距離も時間も<運命>を変えることはできないのだとおっしゃいました。それで、わたしの気持ちは決まりました」  ジョスはミルドを抱き締めた。 「奥さまはいけないわ。あなたはわたしの義妹でしょう。フラドリスの<運命>ののですもの。あなたはわたしの家族よ。こんなに嬉しいことがあるかしら。あの子が<運命>を見出し、それがあなただっただなんて。フラドリスは良い子だわ。あの子はわたしと違ってお母さまに似ているから大丈夫よ」  ジョスは微笑み、ミルドははにかんだ笑みを見せた。名も与えられなかったこの娘が幸せを摑んだ事が、ジョスには嬉しかった。  そして、二人は眠りについた。  暫くして、外の声にジョスは目を醒ました。スヴェルトの声だった。舵を交代したらしかった。  ジョスはそっと天幕から出た。乗組員達は皆、甲板《こうはん》で眠りこけているようだった。ただ一人、スヴェルトだけが舵を手に星を見やっていた。  ジョスはスヴェルトに近付いた。 「どうした、眠れないのか」  振り向きもせずにスヴェルトは言った。その低く落ち着いた声に、ジョスは思わず涙しそうになった。 「あなたの声が聞えましたので」  ジョスはそう言ってスヴェルトの後ろに立った。大きな背中だった。 「夜風は身体に障る。この辺りの海風は、やはり冷たい」  心地の良い声だった。 「おい、聞いているのか」  振り向きかけたスヴェルトの背に、ジョスはそっと凭れ掛かった。無言で、スヴェルトは前方に顔を戻した。温かい背だった。スヴェルトの息づかいが、服を通しても分かった。深く、ゆっくりとした呼吸。それだけで安心できた。 「あの子のこと、わたしの妹として接してくださいね」 「ああ」  スヴェルトは答えた。「フラドリスの婚約者なのだろう」 「ええ、でも、婚姻という形ではあの子達の関係はくくれないでしょうね」 「――俺達について来たからか」 「そうです。でも、どうか、それを許してあげてください」 「二人がそう決めたのならば、俺が口出しする事でもないだろう」  ジョスはスヴェルトの胴に腕を回した。 「二人に子ができても、そう言えますか」 「俺は別に構わん。二人の人生だからな」 「あなたの子と、疑われてもですか」  意地悪な質問だという事は分かっていた。そして、その答えも。  スヴェルトは低く笑った。「そんな筈がない事を、お前が知っていれば俺は他人など、どうだっても構わない」  ジョスは、スヴェルトの身体に回した腕に力を込めた。 「どうして、島の求婚をなさったのですか」 「その方が、お前は嬉しいだろう」 「島の娘の憧れですものね」 「あれを<海狼>殿も母君にされたのだろう。イルガスも」 「あなたは最後は端折りましたけれど、正式なものを」  その言葉にスヴェルトは溜息を吐いた。 「やはりな。そう簡単に憶えられる物ではないし、俺は頭が悪い。それに随分と恥ずかしいものだな」 「祖父よりはましでしょう」 「イルガスが言っていたな。冗談ではないのか」  スヴェルトが笑った。 「本当のようです。顔は父にそっくりだったそうですが、性格はエルド叔父やマグダルに似ていたそうですもの」 「では、俺のはお前から見て合格かな」 「充分です」  ジョスは答えた。暫く二人は無言でいた。それでもジョスは満たされていた。穏やかな時間だった。乗組員達の鼾や寝言も気にならなかった。ジョスは目を閉じて全身でスヴェルトの存在を感じた。ようやく摑まえる事が出来た大切な人だった。 「帰れば、色々と面倒が待っているぞ」  スヴェルトが言った。「だが、心配はいらん。何があっても、俺が守る」 「心配など、しておりません」  ジョスは、はっきりと言った。 「だが、何が待っているのかは、俺にも想像が付かん」 「申しわけありません。あなたに迷惑ばかりかけて」 「元はと言えば、俺の責任だ。お前は何も悪くはない」  スヴェルトの言葉は嬉しかった。  この人が追い掛けて来る事は、父に言われるまでもなく分かっていた。問題は、自分と部族の誇りを傷付けられたからなのか、ジョス自身の事を想っての事からなのか、だった。  賭けた訳ではなかった。あの時は本当に、衝動で行動してしまった。何も考えずに、唯、あの場所から逃げ出したい一心だった。  スヴェルトに不義を疑われ、母を侮辱された。  あの島では奴隷の子は奴隷。スヴェルトからすれば、如何に族長の娘とは言え、奴隷を妻にと押し付けられたのと変わらないのだ。あのハザルと、自分は同じなのだ。  だが、そうではないと言ってくれた。自分でなくては駄目なのだと言ってくれた。島では神聖な誓いとされる船上での求婚をしてくれた。  それが、どれ程嬉しかったのか伝える術を、ジョスは持たなかった。 「なあ、ジョス」  スヴェルトの言葉に、ジョスは目を開けた。 「なんでしょう」 「もし、俺が法外追放になったとしても、お前は俺に付いて来るのか。あの娘のように、島で俺の訪れを待ってはくれないのか」 「わたしはミルドやフラドリスとは違うのです。いっその事、あなたが島で暮らすとおっしゃってくださったなら、父は喜んであなたを迎えるでしょうに」 「――<海狼>殿に迷惑を掛ける訳にはいかん。それに」スヴェルトは少し言い難そうに言った。「俺は戦でしか生きられない。あの島では、無理だ」  羊飼いや漁師としてのスヴェルトは想像も出来ないのはジョスも同じだった。 「では、わたしもあなたに従います。わたしは、あなたと離れたくはありません」 「信用がない、か」 「ええ、そうです。あなたが無茶をしない為にも、わたしが側にいる方が安心です」 「お前は、法外追放の厳しさを知っているのか」 「法の保護を受けないわたしたちを、誰も助けてはいけない。殺すも自由。北海七部族の影響の及ぶ場所では、わたしたちの身に何が起ころうとも関わってはいけない」 「…そうだ。だから、俺は、そうなるくらいならば、お前を形だけでも離縁して島に戻すのが良いと思う」 「そして、あなたはどうなさるのですか」 「一生、一人でいるさ」  大きく行きを吐きながらスヴェルトは言った。「そして、お前と子供に集会の時に会いに行く」 「それで、あなたは満足なのですか」 「お前と子の安全を考えれば、それが最善だろう」  心のこもっていない声だった。  ジョスはスヴェルトの身体に回していた腕を放し、頬に両手をやってその顔を自分に向けさせた。 「本当に、それでいいの、あなたは。七年に一度、わたしと子供に会うだけで」  スヴェルトはジョスを見つめた。そして、自分の顔を挟んでいるジョスの手をそっと離した。 「正直に言う。俺は、嫌だ」スヴェルトは目を逸らさなかった。「後先考えずに船を出したのは、事実だ。その事で俺は裁かれるだろう。だが、大きな叱りは受けまい。しかし、お前は違う。自分の島へ帰った、というのは、お前が俺を離縁したという意味にも取られるだろう。全ては族長である兄貴の裁量次第だ」 「申し訳ありません。後先考えなかったのは、わたしも一緒です」 「お前は謝るな」スヴェルトは素早く言った。「だから、法外追放よりは形だけの離縁の方が良かろう」 「わたしはあなたと共に生きたい。それができるなら、どんなことでも平気です」 「俺は、お前を危険に曝したくはない。子も出来たではないか。お前は、その子の事も考えなくてはならない。俺は、戦場を渡り歩く事になるぞ」  子供を平和な場所で育てたい気持ちに変わりはなかった。だが、その成長をスヴェルトが間近で見られないのならば、スヴェルトと残りの人生を数えるほどしか会えないのならば、その平和な人生を選んで後悔しないだろうか。 「それでも、離れるよりはよほどましだわ」 「頑固だな」  スヴェルトは苦笑した。 「今頃気付いたの。わたしは譲らない。わたしも女戦士だったわ。自分と子のことくらいは守れる。それに、あなたは族長命令でもわたしを離縁する気はない、と言ったわ」 「言ったな」 「では、共に生きてください」ジョスは懇願した。「わたしはフラドリスや母のように忍耐強くはないでしょう。優しくもありません。それでも、あなたがわたしを選んでくださったのなら、共に生きてください」 「決心に変わりはないのだな」  ジョスは頷いた。  スヴェルトがそっと、額に唇付けた。 「重い決断だぞ」 「わかっています」ジョスはスヴェルトを見上げた。「でも、あなたと共に生きられるのなら、わたしは地の果てへでも行きます」 「さすがは<海狼>の娘だな」  スヴェルトは笑うと再び顔を前方に向けた。  精悍な顔立ちにジョスは暫し、見とれた。出来れば、炉辺で子供達に囲まれているこの人を見たかった。父のように、静かに杯を傾けながら書を紐解く事はないだろう。厳しく近寄り難い事もあったが、時には穏やかな顔で母と微笑みを交わし合い、自分達を見守ってくれた父。成長すると遊戯盤で駒の進め方を指南してくれた優しい眼差しの人。その時間は、父を幸せにしなかっただろうか。  スヴェルトならば、父とは違った意味で良い父親になれるだろうとジョスは思った。その為にも、産まれて来る子の近くにいて欲しかった。  その反面、足手纏いにはなりたくはなかった。スヴェルトの為を思うなら、一緒にはいない方が良いに決まっている。形だけの離縁、という提案に乗るべきなのだろう。  だが、もう、待つのは嫌だった。自分の我儘が、子を危険に曝すかもしれないという事も分かっていた。  族長がどのように自分を処すのかは分からない。<海狼>との縁を繋ぎ止めておきたいのならば、ジョスの存在は大きいだろう。しかも、今は身籠もっている。正当なスヴェルトの跡取りになる子だ。女子であろうから、望むように船団長にはなれなくとも、相続権はある。  問題は、タマラだった。  タマラはジョスが部族に残る事を快くは思うまい。厄災を運ぶ者、部族の和を乱す者と思っている事だろう。事の始まりから、互いに気が合わなかったのだ。女同士の諍いで族長の判断が鈍る事はないだろうが、不和を好まぬのは族長も変わるまい。いや、むしろ族長の方が部族の結束に関しては厳しい判断を下す事だろう。 「早く戻れ、身体に障る」  言葉は素っ気なかったが、スヴェルトの声は優しかった。そう、何時でも気遣ってくれる時には優しいか叱るかだった。それを聞けるのは、恐らく、自分くらいなものだろう。 「乗り越えられますわよね」  ジョスは思わず声に出して言った。 「それでなくては、意味がなかろう。俺一人の正念場は、お前に再会した時だった。お前は手強かった。だが、今度は二人だ。乗り越えられなくて、どうする」  スヴェルトは笑顔を見せた。  舵から手を離せないスヴェルトに、ジョスも微笑みかけた。  全ては、戻ってからだった。  

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この作品の評価

4pt

10章まで読みました。 とうとう行動に移したヒロイン。 不器用な二人がどうなるか、ますます楽しみです。

2019.09.24 22:28

taeko246

0

非常な細やかな描写、感情の揺らぎ。 あまり知らなかったヴァイキングの世界が目に映るようです。 ヒロインのこれからの活躍に期待です(^^)

2019.08.29 13:42

taeko246

0

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