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 ーー良いですか。女は月のようなれど、乙女は実に太陽なのです。  ーー己の光を知りなさい。己の光を発しなさい。  ーー乙女らよ、今日はふたたび来ぬものです。  これが初めてでした。板書も半ばに、先生の話に引き寄せられたのは。  わたくしはこれまで学業にのめり込み続け、近所では絡繰人形のようだとも|揶揄《やゆ》されたことが有るほどでした。しかしながらそれでもあやとりを覚えなかった手は書物を捲り、お歌を聴かなかった耳は異国の言葉を聞き取り続けて什七年。  今やわたくしは生まれの欅川を離れ、|神守《かんもり》の女子師範学校で文字通り勉学に励んでいるのです。  全ては父のような立派な教師として、凛凛しく教鞭を執るためでした。  勿論これまで先生方の有難いお話は残らず拝聴し、心に留めていました。  但し、板書の手を止めた事は無かったのです。もし仮に止めてしまったとしても、その文字が消されてしまう前には全て書き写していました。  これが初めてでした。わたくしが、己を乙女として振り返ったのは。 「でねぇ、お隣の教室のミッちゃんがお手紙を渡したそうなのよ」 「まあまあついになのね!」 「いいわあ、あたしも其れ程の度胸を見習いたいわあ」 「あらあなたまだ何もなさってないの!駄目よ待っていちゃ」  カフェーでお友達の|綴方帳《ノオト》を見せて貰っている間、いつもの通り菓子を食べながら色恋沙汰の話が聞こえてきました。  普段の通りであればわたくしもそれなりに相槌を打つのですが、今日ばかりはどうにも聞き入ってしまいます。おかげで筆の遅い事この上無く、 「チヨちゃん、どうしちゃったのよ。まさか恋でもしちゃったのかしら!」  と引き合いに出される程でした。 「いいえいえ、わたくしに恋はまだ早いわ。覚える事が他にあるもの」 「あらなんてこと!先生も仰ってたじゃない、『乙女らよ、大志を抱きなさい』って」 「そんな事仰ってないわよあなた、『乙女らよ、明日はふたたび来るものです』よ!」 「いいえそれも違うわ!いいこと、先生は確かに『乙女らよ、……」 『今日はふたたび来ぬものです』。誠に、その通りだと思いました。  いつかはこうして学校が終わった後カフェーに寄ることも無くなり、いつかは教師として胸を張る日々が始まるのです。そしてそのような日々はもう、遠い未来の話ではないのでしょう。 「あら、あちらにいらっしゃるのは花守の方じゃないの?」 「まあほんと!それも女性の方と男性の方……」 「そうだわ思い出したわよ、今度あの|朝霞《あさか》の花守さまが……」 「まあまあまあおめでたい事!いいわあ、憧れちゃうわあ!」  そしていつかはわたくしも、愛だの恋だのを知らなくてはならないのでしょう。それはきっと教師になってからでは、遅いと思うのやも知れません。  ただ息を吐く他に、ココアに口を付け。  ふうっともう一度息を吐いた、  それから、数秒。 「チヨちゃんたら!……あんた今日本当に大丈夫かい?」 「あたし心配よチヨちゃん、お熱はなあい?」  ぺちりと頬を叩かれる痛覚も、ココアの甘さを感じる味覚も。  その数秒だけは、全て視覚に注がれました。

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