Section.7 腐猫

 翌日の早朝。泉の側で、ちょうどいい高さの石を枕に寝ていたジャンヌが、大欠伸をしながら起きる。首をぐるぐる回すとパキパキ音が鳴った。  硬い地面の上で寝たためか、相当凝っているらしい。 「ああやっぱり夢じゃない……本当に大きくなってますね」  ぼんやりした目で手足を眺め、顔を洗うために水辺に寄る。相変わらず凄まじい透明度だが、空は少し曇っているからか、彼女の容貌も水面に辛うじて捉えられていた。 「これは……ジャンヌは結構美人さんなんじゃないですか?」  調子に乗って、「ウフン」と言いながらポーズを取ってみる。 「なにをしとるんだお主」 「ひょやっ!?」  猫耳をビクンと真上に立てて、恐る恐る後ろを確認するジャンヌ。月島の契約した精霊だというアグノスが、胡乱げに自分を眺めている。 「急に後ろに立たないでくださいよ〜漏れるかと思ったじゃないですか〜」 「ふんっ」  アグノスは鼻を鳴らし、なぜかジャンヌを睨みつける。  会った直後はジャンヌを可愛がっていたのに、昨晩から彼女へ向ける態度がきつい。 「あの……どうされたのでしょう」  困ったような表情で、ジャンヌは尋ねる。アグノスの目線は、相手の胸と腰のあたりを彷徨い。涙目になって、頰を膨らます。 「あ、あんまりジロジロ見られると、恥ずかしいのですけど」  月島から借りたシャツを、ジャンヌは下の方へグイーと伸ばす。中央に施されたスカルの文様が、骨にあるまじき情けない表情をした。 「……人はずるい。人はずるいぞおおおお」  ワーンと泣きながら、精霊は走り去ってしまった。「どうしたのだろうアグノスさん」と、ジャンヌは小首を傾げる。 「あれ? リクト様がいらっしゃいませんね」  訝しむ。自分とともに、焚き火を囲んで寝ていたはずの月島の姿がない。彼に抱きかかえられていたはずのウィンは、間抜けヅラを晒してまだ眠っているが。  睡眠は、精霊にも必要ならしい。  互いに抱擁し合う二人の寝姿はとても良きだったなぁと頬を弛緩させつつ。歩いて探してみると、朝日をバックに、海岸で走っている男の姿があった。髑髏シャツを貸し出したはずの彼は、タンクトップだけでなく簡素な長袖の服も身に纏っている。  これは昨日、上はタンクトップのみで寝ようとしていた月島に待ったをかけ、魔力で編んだ「精霊の衣」をアグノスが与えたことに起因する。お母さんみたいだとジャンヌは思った。  ゴツゴツした平べったい岩の上に、月島の靴が揃えて置いてある。彼曰く「俺のいた世界」製のそれは、ジャンヌからすると不思議な形状をしていた。革と動物の皮脂で仕立てた、足を覆うだけの彼女の靴とは違い、何重にもクロスする靴紐だったり、妙な溝がたくさん入っている靴底だったり、よく分からないが「凝っている」という印象を抱く。  靴の横にちょこんと座り海を眺めていると、月島が戻ってきた。裸足で走っていたからか、彼の足はきめ細やかな砂で真っ白だ。 「ジャンヌ。早いな」 「リクト様こそ。どうして走り込みなんか」 「昔の日課だ。この世界に来てから、五年前のように体に活力が|漲《みなぎ》ってな。あの時のように、走らずにはいられなかった」  靴を履かずに手に持ち、泉に戻る月島の後を、ジャンヌはパタパタついてくる。透き通る水で足の砂を洗い流し、靴下、靴と履いていく。 「『清浄』は便利だな。三日履きっぱなしの靴下が、ここまで綺麗になるなんて。ジャンヌ、ちょっと来い」 「はい」  手招きされたので行くと、月島はジャンヌに「清浄」の能力を使う。彼女に貸したシャツともに、猫耳の少女は清潔感を取り戻した。  すべすべになった肌を触り、ジャンヌは感動に打ち震える。 「これが『清浄』……髪が蛇になるほど欲しいです」 「それ、喉から手が出る的な諺なのか?」  メデューサになって「がおー」と威嚇するジャンヌを想像し、月島は微笑む。全然怖くないと。  疑問を投げかける月島に対し、ジャンヌは得意げに頷いた。 「古くから、蛇は欲望の象徴なのです。もっと言えばですね。昔々、あるところに、とある少女がいました。彼女は好きになった女の子と互いに愛し合い、結ばれたく願うものの、古臭い因習で親たちから同性婚が認められません。それでも諦めきれない彼女の愛欲が具現化して、髪の毛が全て蛇になっちゃうのでした。という寓話から、『髪が蛇になる』という言い回しが生まれました」 「あ、丁寧な説明ありがとう」  まさか解説がつくとは思っていなかった月島は、キョドりながらもにこやかに笑う。 「同性結婚を認めないなんてところは、もうほとんどないはずです。ええ、女の人同士はともかく、昔は男の人同士の結婚も認められなかったなんて、信じられません」  寓話に続けて、勢いよく語られる。スムーズな滑舌。話の流れがおかしくなってきた。  月島は笑ったまま「ん?」と固まる。 「甘美たる、男の人同士の愛が阻まれ、悪ければ迫害されるなんて……どこの世紀末ですか? ジャンヌたちは物陰から何を観察して退屈を紛らわせばいいのですか? どうやって奴隷生活に耐えろというのですかっ」  猫なのに吠えて、「目と目があった後の恥じらいプリーズ! 濃厚キスシーンプリーズ! 寝室に消えていく|二人《ふ・た・り♡》プリーズッ!! フヒヒッ」と生えている木に頭をぶつけるジャンヌ。鬼気迫る形相だ。  月島はそっと距離をとる。音に刺激されたのか、「んあ?」と目を覚ますウィン。 「はっ。失礼、リクト様。取り乱しました。強いて言えば、ジャンヌを奴隷にしていた商人さんが男色なこと、また取引相手の貴族さんに男色の方の多かったことが、前の職場の唯一の利点でした。フヒヒ」 「取り乱したままだぞ」  はっきりとした指摘。昨日の魔物を食す寸前のセリフといい、この子は色々と精神的病巣を抱えているのかもしれない。そんな疑惑が込められた哀れみの瞳が、ジャンヌに向けられる。 「……俺とウィンが隣同士で寝てた時、変な妄想してないだろうな」 「ヴェッ!? ……シテナイデスヨ」  目を思いっきり逸らし、下手な口笛でごまかそうとするジャンヌを、月島は危険物を眺めるように見つめるが。「趣味嗜好は人それぞれか」と、追究はしないことにした。 「どうしたの? ご主人様」 「どうしたこともない。ジャンヌの思考に臭みがあっただけだ」  寝起き状態から脱したウィンに、頭を撫でて対応する月島。 「おっ」  彼はふと、海の方向に首をやる。  空が、ようやく明るくなってきていた。太陽が水平線を完全に越えたのだ。  朝飯を用意するべく立ち上がろうとする月島は、四つん這いで近づいてくるジャンヌに気づく。そのまま彼女は、二の腕あたりに頬ずりしてきた。  完全に猫だ。  無意識に、右手を首のあたりに持っていく。すると、ジャンヌは「猫じゃないので、耳の付け根で……」とリクエストした。  願いに応じてやると、ジャンヌは嬉しそうに目を細める。 「ふひひ。リクト様。ジャンヌと結婚しても、ウィンちゃんとの浮気は許してあげます。フヒヒ」  肩を竦めてスルーする月島とは対照的に、「ジャ、ジャンヌちゃんにまで『ちゃん』付けされた……」とウィンは盛大に落ち込んだ。  直後、物陰から一部始終のやり取りを聞いていたアグノスが飛び出し、「|どっち《・・・》も認めんわ!」と顔を真っ赤にしてジャンヌに詰め寄る。  そこを「どっちってなんだい?」と揶揄したウィンは、アグノスから「ラリアットスイング池ポチャ」された。  月島は苦笑いしつつも、このままじゃ昼になると危惧して立ち上がり。 「朝飯、取りに行くぞー」  と、らしくない号令をかけてみる。  そうして、彼らの無人島生活二日目が始まった。

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9pt

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