魔女と球児 | ローゼンクランツ家の秘密
旭山リサ

書斎の絵は笑う

 空港に到着したのは、四時きっかりだった。  浴衣を着て、ガラゴロとトランクを引っ張る私は、周囲の人の注目を集めた。  でも、これでいいのだ。  帯刀家の皆さんとジョンさんに見送られながら、手荷物検査をくぐる。  待合ロビーに一人腰かけ、搭乗案内を待った。  イタリアに着いたら、日本の思い出をたくさん絵に描こう。  日本にいるあいだに描ききれなかった光景がいくつもある。  それにしても、どうしてこんなに描きたくなるのだろう。  朝も昼も夜も、私は描いていたい。  四才の時、麦畑を描きながらなぜか泣いていたことがある。  「ただ絵を描いていたかっただけなのに…」となぜか呟いていた。  前世の私が最後に描いたのは、黄金色の麦畑だったのだ。  描きかけの絵は、棺に入れられ、燃やされた。  嗚呼、急に眠くなった。どうしたのだろう…。きっと疲れだ。  飛び立つ飛行機をぼんやりと見つめていた。  しだいにまぶたが重くなる。  カツン…コツン…。  誰かが歩いてきて、となりに座る。 「ありがとう」  と、女性の声がした。  うとうとしながら「となりの人は、誰かと電話をしているのかな」と考えた。 「修道女になると、やってはいけないことや言ってはいけないことばかり。なにをしても自分に自信が持てなくて、でも…」  私は重いまぶたをほんの少し開ける。いったい誰だろう。 「あなたの言葉に救われたわ」  そばで微笑んでいたのは、修道女だった。  ハッとして目をあける。  どうやら椅子に座ったまま、寝ていたらしい。 「…夢?」  そうだ、私は夢を見たのだ。 「今のシスター…どこかで見たような。あ、もしかして…」  ローゼンクランツ家の書斎にある、あの絵だと思い出す。  絵に描かれているのは、教会で本を読む修道女と、となりに寄り添う修道士の青年だ。 「絵が出てきて、話しかけたみたい…」  きっとそうなのだろう。  絵を描く時も、描いたあとも、私の頭のなかでは絵が動いている。  風景画も、本来は動きあるものを描いたものだ。  そして絵にはその光景を見た人のなにかしらの想いが宿る。  書斎ではじめてあの絵を見せてもらった時、 「この絵、私を見ているわ」  私はそう言ったという。 「私を見て、今、微笑んだわ」  その言葉がキッカケで、書斎の絵はローゼンクランツ家の百不思議の一つとなった。「書斎の絵は笑う」と。  絵と目が合ったことは憶えていないが、私は今まで一度もあの絵を怖いと思ったことはない。魔法使いが描いた絵なだけに魔法がかかっているのだろう。なんせ先祖が、心をこめて描いた二人なのだから。  絵に描かれた修道女と修道士は、先祖の命の恩人だという。  残念ながら、修道士の名は伝えられていない。  修道女の名は「シスター・マリー」というそうだ。  そのためローゼンクランツ家では、マリーと名のついた女性がいると家が守られると伝えられていた。  私の名は、マリー・ローゼンクランツ。  祝福の薔薇の花冠をかぶり、生まれてきた魔女である。

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