悪魔 | AGC.1347 36 612 Sp.79
井藤アイ治

あなたの言葉が嬉しかった

 階上がなにやら騒がしい。  血と死と悪意、そして狂気が充満する地下室の部屋に、椅子に縛られて動けないこのマティアスという男は、胸の内の怪物と格闘している。  マティアスは悲しみ、そして恐怖していた。  彼はウィリアムという男のことを理解しきれていなかったのである。  彼とは趣味がよく合った。精神の年齢が近いというのは本当だった。  酒の席こそ共にしたことはないものの、政治論、兵法、戦術など真面目な話をしたことは数知れないし、音楽、絵画、文学などの芸術分野においても論を戦わせれば白熱することは避けられなかった。  特に異形の魔物に対する斬新な戦術論に関しては舌を巻いた。危険の種類をパターン化して当てはめることで素早く敵の特徴を見抜き、生物としての弱点を見極め、正確に、しかし俊敏に仕留める。その反面、彼の戦い方は自分が傷を負うことを前提にしていて、彼自身もそのことを自覚していた。このことについては、マティアスらが基本とする魔法戦闘技術における、敵が行う攻撃に合わせた防御をする、という理論に軍配が上がり、魔法が使えないウィリアムも、その攻撃を見極める理論の教えを乞うた。  二人は、互いに異なる種類の知識を教えあった。  娘が彼に懐いたのも、父親である自分が親しく接しているからだったのかもしれない。  だがウィリアムは、マティアスが知らない一面も持っていた。  人を殺すための戦い方。 「…………」  マティアスの頭の中で熱いなにかがちりちりと燻っている。  人の殺め方、急所の狙い方、対集団での戦い方、閉所での戦い方、素早い殺し方……。  そして、首から上がないウィリアム。  彼がなにを隠していたのか、マティアスには最早分からなかった。 「誰かいるか!」 「!」  声を張り上げる男が近づいてくる。  足音から、どうやら複数人で来ていることが分かった。  扉が開くと、先頭の男は強烈な臭いに鼻を押さえるも、二つの死体、そして縛られて動けないマティアスを見るとすぐに駆け寄った。 「ま、マティアスさん! 大丈夫ですか!」 「あ、ああ……」  どかどかと入ってきた男たちがヤガーとトッドの死体を見て驚くも、すぐに自分の職務に入る。  彼らは、フォーレルシュタットの衛兵だった。マティアスの後輩たちにあたる。 「今、紐を解きます。大丈夫ですか?」 「ああ」 「動かないでくださいね」  淀みない手つきでロープを解き、マティアスの拘束を解いてゆく。  すでに絶命しているヤガーとトッドの検分をし終えた男たちは、悲痛な面持ちで言った。 「既に死亡しています」 「こちらも」 「くっ、そうか……」  拘束が解かれたマティアスは、締め付けの痛みに顔をしかめつつも、血流をほぐすために少し身体を動かした。どうやら問題ないらしい。 「いったい、どうしてここが? いや、それよりもウィリアムは……」 「腕を折られたヘンリー殿が詰所まで連絡をくださったのです。ウィリアム・キャクストンが気狂いを起こして殺されかけたと」 「な、なんだと……」 「すでにフォーレルシュタット中をあげて捜索が始まっています。例の、新移住者の子を連れて逃走中とのことで……」  男の話が終わるより早く、マティアスは吠えた。 「そ、そんな馬鹿な話があるか……!」 「しかし……」 「くそっ……」  なにも知らない彼らに、レイス機構や治安維持部の実情について話すわけにはいかなかった。べらべらと口外すればマティアスはもちろん、ここにいる衛兵たち、それに彼らの家族にまで危険が及ぶ。  歯がゆいマティアスだが、衛兵たちも譲れないことがあるらしい。 「彼は依然、逃走中です。説得にも応じず、拘束を試みると抵抗し、既に何人も仲間がやられています」  マティアスは青ざめた。 「こ、殺しているのか?」  男は首を横に振った。 「命までは……というよりは、重傷で留めているようなんです。放っておけば死ぬ傷で留め、我々が助けに行かざるを得ない状況を作り、追跡を遅らせている」  人との殺し合いに慣れた人間の手口だった。 「助けに入った仲間は攻撃されないのですが、追跡するものには容赦なく攻撃してきました。すでに、無傷での拘束は無理だと判断されています」 「こ、殺すのか?」 「すでにそれでも構わないと、命令が出ています」 「そんな……」  苦い顔をするマティアスに、男は言った。 「あるいは、あなたの説得にならば応じるかもしれません。同行をお願いできますか?」 「もちろんだ!」  男は、残っている衛兵たちに声をかけた。 「この場の処理を任せる!」  衛兵らは了解し、仕事に戻った。  男とマティアスは血が点々と続く廊下を進み、急いで階上に上がった。  施設を出ると、外では土砂降りの雨が降っている。  衛兵らの姿が散見され、雰囲気はものものしい。様子が気になって飲み屋街からやってきている野次馬の姿も見られ、静謐な夜の空気は壊されていた。 「彼は西区へと向かっています。馬に乗りましょう」  隣接する会議所の馬屋に走ると、鞍が取り付けられている馬が何匹も不安そうにいなないていた。そのうちの一匹に飛び乗り、慣れた手つきで手綱を握り、向かうべき方向を見定めると、馬はすぐにマティアスの意思を理解する。  男も同様で、馬との意思疎通を終えると、道を先導し始めた。  道には緊急用の松明が設置され、暗闇を照らす道しるべとして機能している。  この騒ぎに招集されたのは選りすぐりの汗血馬といったところで、雨の中の悪路の中でも惑うことなく松明を認識し、猛烈な速さで突き進んでいく。  景色と雨粒を置き去りにする中、雨で冷え切り固くなった頬をほぐしながら、マティアスは大きな声で男に話しかけた。 「お前は、ウィリアムに偏見を持っていないのか!」 「持っていなかったと言えば嘘になります! ですが、今は違う!」  男は答えながらも、視線はぶれることがない。馬も主の進むべき道を理解していた。 「だから信じられないのです! あのとき見事な剣を見せた技術の持ち主がこのようになってしまったことに!」 「…………」  彼も、ウィリアムの剣に魅入られたものの一人だった。  マティアスは黙りこくり、馬を走らせ続ける。  徐々に人の姿が多くなってくる。  怪我をしている衛兵、その治療をしている人間。  もはや、この一件は国を騒がす事件となってしまっていた。  やはり、あのときアンネと逃げていればよかったのだ。  マティアスは唇を噛んだ。  建物は少なくなり、畑の数が多くなり町並みは閑散としていく。  しかし、喧噪は進むにつれて大きくなっていく。  マティアスの胸騒ぎは収まらなかった。 「!」 「いました!」  ひときわ明かりと騒ぎが大きくなっているところが渦中だった。  西区、遠目に楓林が見える畑の間の道、かつてマティアスがアンネとユイに飴を渡した場所に、ウィリアムとユイはいた。  彼の背後には、裸にボロ布をまとっただけの、丸まるように倒れているユイの姿がある。泥だらけの傷だらけで、あちこちに赤い傷の線が見えていた。背から脇腹へと矢が一本、深々と貫通していて、そこから血があふれて背中と腹を赤く染めている。  ウィリアム自身も悲惨な有様だった。背に矢を四本受けていて、服から肌が露出している部分に擦り傷がない箇所が存在しない。左腕の骨に異常があるらしく、右手でなんとか持っている長剣を歪な持ち方で支えることしかできていない。  二人を追い詰めているのは五人だった。  三人は剣を持ち距離を詰め、二人は弓に矢をつがえて狙っている。  弦が弾かれる音が響き、矢の一本が放たれた。  風の魔法が乗った強烈な一撃は、ウィリアムの頭を目指して突き進んでいく。 「くっ……」 「あっ……!」  ウィリアムは鋭い反応で剣を持ち上げ矢を弾くも、左手で支えることができず剣が持っていかれた。すっ飛んだ剣はくわんと音を立てて転がり、衝撃をまともに受けたウィリアムは背に受けた矢を折りながら地面に転がった。  弦を引き絞っていた衛兵が弓を下げ、矢を放った者も、次の矢をつがえることはしなかった。  代わりに、剣を持った三人の衛兵らがきつく握りしめた剣の切っ先をウィリアムに向け、徐々に近づいていく。  倒れたウィリアムは立ち上がろうとするも、血と泥でぬるつく右手と折れている様子の左腕では起き上がれず、うなり声をあげてぬかるみを這いずっている。  近い位置に倒れ込んでいたユイは血の線を残しながらウィリアムの傍へと這って近づいていき、彼をかばうようにして覆い被さった。  剣を持つ衛兵らは一瞬ためらったが、 「やれっ! さっきのことを思い出せ!」  と、弓兵が怒号を飛ばすと、彼らは再び歩み始める。  マティアスは魔法を使ってもまだ手が出せる距離ではない。  手綱を握る手に力がこもる。馬の背を挟む腿の筋肉が盛り上がった。  この賢い汗血馬は身体を引き締め、主の言葉を待った。  マティアスは大きく息を吸い込み、あらんかぎりの声を張り上げた。 「やめろおおおおおおおお! やめてくれええええええええ!」  叫びは雨に溶けて消えたが、彼らの耳には届いたはずだった。  だが、牙を持つものたちはユイの腹を容赦なく蹴り飛ばしてどかし、その下のウィリアムに三本の剣を突き立てた。  のたうつユイは血反吐を口からあふれさせながら徐々に動かなくなっていく。  地面に縫い付けられたウィリアムは、何度かけいれんをするとすぐに動かなくなった。  首を失っても生きていたウィリアム。  叫び声ひとつ漏らさず切り刻まれ、ばらばらにされたユイ。  マティアスは青ざめた。  彼の真っ白になった思考を、狂気と悪意が支配した。

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