お誕生日おめでとう

「ところで、その剣はいったいなんですか?」  血まみれのヤガーは、手に持ったナイフを眺めながらウィリアムに話しかける。その言葉で、マティアスとトッドは彼が抜き身の長剣を持っていることに気がついた。  マティアスもトッドも、焦りの表情を見せる。 「ウィリアム……、なにをするつもりだ……」 「上にはヘンリーがいたはずだ! おまえ、まさか……」 「…………」  無表情のまま剣を握りしめるウィリアムに、殺意を向けたのはヤガーだった。 「この狭い室内でその剣を振り回すつもりですか?」 「や、やめろウィリアム! 逃げろ! 逃げるんだ!」  マティアスは、ウィリアムに向けて枯れた声で叫んだ。 「アンネと一緒に、ここから逃げろ!」  その言葉に、トッドが道を塞ぐ。  ヤガーも懐に隠し持つ魔法結晶に手を伸ばし、臨戦態勢を取った。  挟み撃ちの格好となったウィリアムは、長剣を重たそうに揺らした。鋼と石床が擦れて、高い音が響く。 「先生、ごめん」  彼は、柄を懐に持ち、剣の腹を肩に担ぐ形で支えた。  大人が特大の両手剣を担ぎ上げるやり方で、そこから攻撃に転じる構えを取った。  マティアスは肝をつぶし、ヤガーとトッドは戦う姿勢を取る。 「ぐは!」  だが、ヤガーが手を振り上げるよりも早く、俊足のウィリアムが持つ剣の先が血まみれ男の細身の腹をとらえた。ヤガーは壁に叩きつけられ、衝撃が小さな地下室を揺らす。ややあってから、ウィリアムが踏みつけた血だまりのしぶきがマティアスの頬とトッドの服に点々と染みをつくった。  だが、剣は柔らかい腹を貫いたわけではない。  剣先から半ばまで硬く厚い土で阻まれ、剣はそれ以上押すことも引くこともできない状態になっていた。 「ウィリアム!」 「くくく……。っ!」  狭い室内では突きしか放てないと一点を読んだヤガーの、厚い地の防御魔法だった。  邪悪に笑むヤガーは、次の魔法を用意しようとする。  だが、攻撃に使おうとした魔力は防御のために使うことになった。  がつ、と鈍い音がヤガーの耳を揺らした。 「くおっ……」  ウィリアムは剣の柄から手を離し、徒手でヤガーの顔を殴りつけていた。  そのたびに防御の魔法がヤガーの顔面に発生し、ウィリアムの拳を痛めつけていく。しかし、防御を通してなお伝わる衝撃がヤガーの思考を奪ってゆく。 「このやろ……!」  トッドが腰から大ぶりのナイフを抜き、ウィリアムの背後を突こうとする。  ヤガーが顔面に魔力を集中させすぎてしまい、緩んだ腹の防御魔法から剣がぐらつくのはそれと同時だった。 「ぐっ!」 「っ……」 「ぐあ!」  ウィリアムは一度剣を深く押し込んでから、勢いよく剣を引き抜いた。  彼の右二の腕と前腕に深いナイフの裂傷ができるのと、剣の重量が乗った右肘がトッドの腹を打ちすえるのは同時だった。  トッドは後ろによろめき、ぬるりとべたつくなにかに足を取られ尻餅をついた。  浅いながらも刺し傷を負ったヤガーは痛みを堪えながら、ぎろりと目の前の少年を睨み付け、人を殺すための魔法を作りあげた。それは口の奥、奥歯に仕込まれた火の魔法結晶を源とし、あんぐりと開いた口から赤い光を伴って発せられようとしている。  後ろに踏ん張ったウィリアムは目の前のヤガーを見ていた。彼は血だまりの中に足を突っ込みながらも、粘度の高いなにかが彼を踏ん張らせた。手の甲や肘の傷が動きを鈍らせたが、彼はそのまま、突きの体制を取りヤガーに突進した。  ヤガーの腹に長剣が突き立つ。 「ぐおおおおおおっ!」  ヤガーは表情をぐしゃぐしゃに歪めながらも、魔法を発動させた。  赤い光が一時だけ瞬き、ウィリアムは頭部を失って後ろに吹っ飛んだ。 「ウィル! そ、そんな……!」  悲痛な声をあげたマティアスの顔に、ピンク色の何かがぴたぴたと張り付く。靴にかつんと音を立てて転がったのは、前歯だった。  マティアスはその光景が理解できなかった。理性がその情報を否定した。  首から上がないウィリアムは、ふらふらとトッドの懐に倒れ込む。 「うおっ……」  それが死体だと気がついたトッドは、あわててそれを押しのけた。  首のない死体から猛烈な勢いで血が流れ出し、赤と赤が混ざり合っていく。  ややあって、焦げ臭いなにかが鼻に刺激臭をもたらした。  その悪臭に吐き気を催しつつも、ヤガーの腹に剣が突き立っていることに気がついたトッドは、慌てて彼に駆け寄った。 「お、おい、ヤガーさんよ……」  壁に磔になっているヤガーは動くこともままならない。  血が背や腹の傷から剣を伝って流れ、床に流れている赤色と合わさっていく。  トッドは、まず彼が助からないと確信していた。 「くくく……」  だが、ヤガーは笑っている。 「……私は、魔法の完成を、見た」 「……遺言かい?」  トッドの据わった口調の言葉に、ヤガーは首を横に振った。  ごぼっ、と口から赤い泡があふれる。口の端は赤く妙な形に歪んでいる。 「……生まれた彼らは、まさしく、悪魔だった」  血を吐きながら、ヤガーはぼそぼそと掠れた声を出した。 「我々人類は悪魔たちに勝った。小さな戦いではありましたが、私は命を投げ打ち、人と悪魔の戦いの緒戦を勝利に終わらせることができた」  そう一息に言って、ヤガーはうなだれた。  トッドは神妙な面持ちで、彼の言葉を聞いていた。 「悪魔、魔女、魔物……人と神に仇なす災いに、救いの光あれ……」 「ふ、ふざけるな……!」  身体中が人間の赤い組織まみれになっているマティアスが唾を吐きながら吠えた。 「悪魔はきさまらだ……! 他人を貶め、弱者から搾取し、薄汚い金と権力の悪意にまみれたお前たちこそ、悪魔そのものだ! おれは、おまえたちを許さないぞ……!」  ヤガーもトッドも、黙りこくって彼に返す言葉がない。  悔し涙を流しているマティアスに、トッドは淡々と言った。 「マティアス先生よ、ヤガーさん、もう死んでるよ」 「なんだと……!」 「様子が変だとは思ってたが、まさかガキをばらばらにするとは思ってなかったぜ。死ぬ気でウィリアムのガキを仕留めるつもりだとは知らされてなかったさ……」  そう言って、トッドは死臭が充満し、血みどろになっている部屋を見回す。  無残な有様の部屋に、彼は面倒そうに首を鳴らした。 「掃除も報告も、面倒なことになったな」 「トッド……きさまも死に逃げたヤガーと同じ考えなのか……?」 「馬鹿言わんでくれ、先生よ。難しいことを考えるのは苦手なんだ。悪魔だの天使だの、身寄りのねえオレたちの中でそんなのを考えてるのは上の連中とヤガーさんぐらいしかいねえ」 「ならば……せめて、彼らをヒエロ公のもとに葬らなければ……。く、くそっ……アンに、アンに、なんと言ったらいいのか……」  うつむいてぶつぶつと独り言を放つマティアスを、トッドはあきれた目つきで見ていた。この惨状を目の当たりにしてなお、信心深さと慈悲深さを持ち続けることができる彼の生真面目さを再評価したトッドは、もう一度部屋を見回した。 「……んん?」  瞬きをして、血のついていない手で目をこする。  もう一度辺りを見回してみる。  椅子に縛られて動けないマティアスがいる。  首のないウィリアムの死体がある。  腹を貫かれて絶命しているヤガーの死体がある。  彼がまとめていた書類が、部屋の隅の小さなテーブルに置かれている。数枚地面に落ちて、血に染まっていた。  誰も座っていない椅子と、切られたロープの残骸がある。  散らばったナイフと自分のナイフと床に溜まっている血を、天井に吊されたランプが煌々と照らす。 「お、おい……」  トッドは気がついた。  胸部を切開された少女の胴体、切断された身体の一部などが部屋に存在していない。  隅に転がっていたはずの頭部も、見えない。  壁についていたはずの血の跡も、見えない。  特に胴体は、開胸部から心臓の代わりに妙な塊が見えていて、印象が深かったはずだ。  それすらも部屋に存在していない。 「う、うっ!」  トッドは半狂乱になって、マティアスの胸ぐらを掴んだ。 「おいっ! あのガキの死体をどこにやった!」 「な、なんだと……?」 「ウィリアムじゃあねえ、小せえ方の金髪のガキだ! 死体がねえ!」  頭が冷えたマティアスも、ぼやける視界の中にユイの死体がないことに気がついた。  だが、頭に血が上っているトッドは何か言おうとする彼を阻む。 「なにをしやがった、先生よ! 早く言わねえと、痛い目を見るぞ!」  マティアスはなにも言うことができなかった。  思考は目の前の光景とトッドの暴力によって、完全に奪われてしまっていた。  顔を赤くしているトッドの後ろで、首のないウィリアムの死体が、ヤガーの腹から長剣を引き抜き、 「はあそうか死にてえわけだな? やつの姉とお前の家族にはオレがよろしく言っといてやるよ!」  そして、 「死がふっ」  その剣で、トッドの腰から首までを一息に串刺しにした。  おびただしい量の血がマティアスにかかる。  真っ赤に染まる視界の中で、首なしウィリアムは絶命したトッドから剣を引き抜き、死体を部屋の隅にうち捨てた。  瞬きをした次の瞬間、マティアスが目の当たりにしたのは、顔の筋肉、赤白い骨、ぎょろついた眼球、奥歯まで露出しきった歯、浮き出た血管などをさらけ出している顔。人の顔面の皮を肉ごと引きはがしたような恐ろしいものだった。  おぞましい顔の表面を皮膚が徐々に覆い隠しながら、ウィリアムの死体だったなにか は部屋を出て行く。  マティアスはもうなにも言うことができない。  時刻は零時を過ぎ、日付が変わったところだった。

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