極東黙示録1927 | 第壱章『帝都に舞う式鬼、霊鎮めたる巫女』
寝る犬

第弐話「式鬼甲冑ーしきかっちゅうー」

 九条大和《くじょうやまと》は、その手に軍刀を握りしめ、ただ震えていた。  いつもならば、手に持っただけで勇気をくれるはずの刀である。  しかし今はただ、その重さがずしりと腕にのしかかるのみであった。  人ならざるバケモノにも、その一振りを持って斬りかからしめたにもかかわらず、今の大和は蛇に睨まれた蛙のごとく、呼吸すら忘れて立ち尽くしている。  対する飯塚義直《いいづかよしなお》は、その顔から一切の表情を消し去り、また一歩大和への距離を詰めた。 「ぼくは……いえ、自分はバケモノではありません!」  ジリジリと後ずさりながら、大和は弁明する。  その言葉を聞いてもなお、飯塚はまた一歩、距離を詰めた。 「わるいな、少年。この天目一箇《あめのまひとつ》には、正体が判《わか》っちまうんだ」  耳に付けた機械から伸びる単眼鏡《モノクル》に軽く触れ、飯塚はもう一度大和を確認する。  レンズを通した大和の姿は、やはり先程の式鬼《しき》と同じく、紫色の靄《もや》を内包していた。 「本当に違うんです! 自分は陸軍幼年学校《りくぐんようねんがっこう》一年の、九条大和と――」 「――いいや、おまえさんはバケモノさ。今はまだ、それが外に出ていないだけだ」  大和の言葉を遮り、自分に言い聞かせるように飯塚は断言する。  肩に担がれた刀が一閃した。  上弦の月のような軌跡《きせき》を残して、禍々しい刃《やいば》が大和の頭上に襲いかかる。幼い頃から修練を積んだ大和の腕が奇跡的に反応し、刀を迎え撃った。  衝撃、そして風。  飯塚の刀は軍刀を押し込み、鈍い音を響かせた。 「……子供が俺の剣撃を二度も躱《かわ》すとはね……自信無くなっちまうなぁ。……まぁバケモノならさもありなんってとこかな」  ギリギリと軍刀を軋《きし》ませながら、飯塚は更に力を加える。  このまま、軍刀ごと斬り伏せられる。  そんな諦念《ていねん》が、大和の頭をよぎった。 「…………だ……」 ――ドクン 「……いや……だ」 ――ドクン 「いやだ! 殺されてなど……やるものか!」  斬り伏せられる寸前であった。  大和は己の体の中に、もう一つの巨大な鼓動を聞いた。  今まで下へ向かって押し下げられていた刀が、少しずつ、押し返され始める。  飯塚の目には、大和の体から紫の靄《もや》が、七つの鎌首を持ち上げたように見えた。 「ぼくは死なない! お前が……死ね!」  左目に赤い炎を灯《とも》し、大和は叫ぶ。  体格では二回りも大きいはずの飯塚が、刀ごとかち上げられ、バランスを崩した。 「……くそっ、だから言ったろ? バケモノだって!」 「黙れ!」  怒号と追撃。  飯塚はなんとか受け流し、電柱に背をぶつけてバランスをとる。容赦のない大和の軍刀は、瞬きの間《ま》に左右からほぼ同時に打ち下ろされ、飯塚のスーツを切り裂いた。 『飯塚少尉! 式鬼《しき》反応が……こんなの……おかしい!?』 「わぁってるよ! こいつはちょっとまずい! でもここで逃げるわけにゃいかんでしょ!」  地面に転がり、追撃を躱《かわ》す。  闇雲に刀を振り回し、わずかばかりの隙《すき》を作って立ち上がった。  左腕に大きな傷ができている。大和はそれを見てニタリと笑った。その顔は、もうすでに先程までの少年の面影《おもかげ》はない。  それは飯塚の言うとおりの、まさにバケモノの顔だった。 「死ね……お前……が……死……」 (その力に身を委《ゆだ》ねてはいけません。飲み込まれないで下さいませ)  突然、大和の耳に少女がささやく。  軍刀を手に、ただ飯塚を斬ることしか考えられなくなっていたはずの大和は、その瞬間、声の主を探して視線を中空へと向けた。  そんな隙《すき》を飯塚が逃《の》がそうはずもない。  刀を低く構え、地面を蹴る。その殺気に気づいた大和も、軍刀を両手で構え、迎撃《げいげき》の体制をとった。 「――畏《かしこ》み畏《かしこ》み申し上げます。来たれ迦楼羅王《かるらおう》! 四番右足、降ろします!」  遠くから聞こえたのは、先程頭の中に聞こえた少女の声と、重い機械の音。  思わず振り向く二人の視線の先には、右足から炎の翼を広げて加速し、盛大に砂煙を上げる、鋼鉄《はがね》の巨人の姿があった。 『飯塚少尉。壱与《いよ》さんが蛭子神《ひるこ》で現着《げんちゃく》します。……お気をつけて』  機械から女性の声が漏れる。  それを聞いた飯塚の顔色がサッと変わった。 「嬢《じょう》ちゃんっ! ちょっと待ちなさい!」 「いいえ飯塚さま! 壱与《いよ》は待ちません。だってその方《かた》は、式鬼《しき》じゃないのですもの!」  目に痛いような白と朱《あか》。  巫女《みこ》であろうか。白衣《しらぎぬ》は肩口で切られ、緋袴《ひばかま》は膝の上で切られた、肌の露出の多い着物ではあったが、細かい所を気にしなければ、少女の着物はまさしく巫女装束《みこしょうぞく》であった。  その少女が、自分より一回りも二回りも大きな鋼鉄《はがね》の人形《ひとがた》に収まっている。全高二メートル以上もあるその機械が、蒸気タービンの音を鳴り響かせて宙を舞っていた。しかも右足から、炎で形作られた鳥の翼を広げて、である。  空中で、その甲冑のような機械は、不自然に太い袖《そで》を真っ直ぐにこちらへ向けた。 「動くと当たってしまいますよ!」  少女の手をカバーする装甲の外側に並ぶ穴が赤熱する。  見る見るうちに、そこから黒い五寸釘が五本、打ち出された。  大和の周囲で地面に突き刺さった釘は、表面に電気を纏《まと》う。 「木火土金水《もっかどごんすい》! 四番左足、迦楼羅王《かるらおう》お返しします! 畏《かしこ》み畏《かしこ》み申し上げます。来たれ天石戸別神《あまのいわとわけのかみ》! 伍番右手!」  左足の炎が消え、宙を舞っていた鎧は重力に従って地面に落ちる。  そのかわり、右手に渦巻くように現れた黄金の蒸気が、地面に刺さった釘を結ぶように広がった。 「なんだ……これ?!」 「貴方《あなた》のお腹《なか》の力を封じます。もう敵はおりません。戦わなくても良ろしいのですよ!」 『五行封《ごぎょうほう》確認! 陰陽鏡《おんみょうきょう》出力八十四%! 行けます! 壱与さん、どうぞ!』 「はい! 奉《たてまつ》るは五色物《いつついろのもの》を備え祀《まつ》りて! 天津祝詞《あまつのりと》の太祝詞事《ふとのりごと》を以《もち》て、鎮魂《たましずめ》たまえと申し上げます!」  厳《おごそ》かさの欠片《かけら》もない祝詞《のりと》が上げられ、それでもその言霊《ことだま》に反応した釘は、大和の周囲で黄金色《こがねいろ》の光を放つ。  それぞれの釘を結ぶ光が五芒星《ごぼうせい》を形取ると、その光の道筋は、中心に居る大和を戒《いまし》めた。 「ぐっ……うあああああ! なんだ……これ! やめろ!」 「貴方のお腹《なか》の中の式鬼《しき》を鎮《しず》めます! 抗《あらが》わないでくださいませ!」 「鎮め……?! なに……を――」  何かを言い返そうとした大和は、そこで力尽きた。地面に軍刀を突き立て、黄金色の五芒星の中に倒れ込む。  それを待っていたかのように、すぐに地面の輝きも消えた。 『――封印完了。式鬼《しき》反応、正常値まで減衰《げんすい》しました』  壱与の駆《か》る式鬼甲冑《しきかっちゅう》と、飯塚の耳の機械から、同じ女性の落ち着いた声が終わりを告げる。  壱与が小さく「右手、天石戸別神《あまのいわとわけのかみ》お返しします」とつぶやくと、右手の光と蒸気タービンの唸りも消えた。  腕、脚、胴を固定していた革ベルトを外すのももどかしげに、彼女は式鬼甲冑《しきかっちゅう》から飛び降りる。膝の上までしか無い緋袴《ひばかま》がひらりと風に舞い、白衣《しらぎぬ》と見分けがつかないほど白い腿《もも》が露《あら》わになったが、それも気にしてはいないようだった。  地面に倒れ伏す大和に、細い腕を伸ばす。  壱与が大和に触れた瞬間、静電気のような衝撃が、二人の間に走った。 「痛っ」  小さく悲鳴を上げて、それでも大和から手は離さずに体を抱きかかえる。その腕の中で大和の目がゆっくりと開いた。  左目にはもう、炎は揺らいで居ない。 「きみは……?」 「わたしは……、わたしは式鬼甲冑《しきかっちゅう》『蛭子神《ひるこ》』の奏者《そうしゃ》、壱与《いよ》と申します」  壱与の顔にパッと笑顔の花が咲く。そして次の瞬間、笑顔のままの双眸《そうぼう》から、ハラハラと大粒の雫《しずく》が、大和の顔に降り注いだ。

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