Section.2 天秤

 「食うか?」という提案と一緒に差し出された川魚。  猫耳の少女は、微かに逡巡した様子を見せる。躊躇う間に、彼女の腹は再度鳴った。目前に食べ物があるのに、堪え切れる空腹ではない。 「いただきます……」  恐る恐る、魚刺さる串を手に取り、ムシャムシャと食べ始める。美味しいらしい。猫耳の少女の顔が綻ぶ。  月島は、子供の仕事を褒めるように、彼女の頭を撫でる。 「よしよし。毒味と味見、ありがとな」  地球にはいない、未知の魚だ。安全に食べられる保証はなかった。少女の様子を見る限り大丈夫そうだと月島は判断する。  「えっ!?」と驚愕し、猫耳の少女は目をまんまるにした。 「お主……」  呆れる歯車の精霊、アグノスに対し、月島は「お前に食料が必要ないのが誤算だったな」と流し目を向ける。 「は? つまり元々我に可食判定させようと思っていたのか? こんな小さな女の子に? 貴様恥を知れ」 「食中毒になったら辛いだろ? お前人間じゃないしいいかなって」 「お主が人でなしだっ! というかこの子はいいのか」 「それは、食事を恵む代わりに可食判定をしてもらうという取引だ」 「本人の意思確認をせよっ!?」  こいつ最悪だという視線で睨みつけながら、アグノスは猫耳の少女を守るように抱きかかえる。抱きかかえられている方は食事に夢中で、月島の言葉など気にしていなさそうだったが。 「あれ? お前俺以外に干渉出来たのか?」 「うむ。この本来の麗しい姿はお主以外の人間にも見えるし触れるぞ。あの『真諦を象りし姿』に関しては、シンクロしたお主以外には見えも触れもしない」 「麗しい? ははは。ただのちんちくりんじゃん。それよりあの歯車姿、そんな仰々しい名前があったのか。かっこいいが似合わん。分かりやすく歯車モードでいいだろ」 「ち、ちんちくりん……? 歯車モード………?」  膝を折り、悲しみに暮れるアグノスを放置して、月島は自分の分の魚を焼くのに集中し始める。もう一匹目を食べ終えたのか、彼の作業を物欲しげに見つめる猫耳の少女。 「これはさすがに俺の分ということにしてくれ。まだ食べたいなら、あと八匹いるからテキトーに串刺して自分で焼いてくれないかな?」  猫耳の少女はコクンと素直に頷き、串に魚を刺す。串は竿を加工したもので不格好だが、彼女に手間取る様子はない。こういう作業は初めてではなさそうだ。 「料理、よくするのか?」  魚を焼く間の手持ち無沙汰を慰めるべく、質問を寄越してみる。 「はい、料理、好きでした」  どことなく曇ったような表情で、されど無理して笑おうとしながら、猫耳の少女は答える。目を覚ました時の絶望したような彼女の表情が、月島の脳裏に思い出された。  料理すること自体に支障が生まれた、というようには見えない。ならば料理に関連することで悲しい出来事でもあったのだろうか。  料理という単語から連想されるのは、レストランの場合もあるが、この少女の言葉に限っては家族。もしかして、家族に何か不幸なことが?  思考する。先ほどの「助けて、くれたのですか?」という言葉、異世界人を殺し合わせる飛空船に搭乗、料理という言葉に見せた憂い。  家、あるいは家のあるコミュニティがあの天使族の襲撃に遭い、異世界人の経験値用に攫われてきたのか。 「そろそろ焼けたかな」  炙った川魚を口元まで持ち上げ、フーフー熱を冷まし。口に入れる。 「え? 味付け一切してないのに、めちゃ美味しい」  信じられないとばかりに目を瞠る。すると「でしょう?」と、横から可愛らしい声が聞こえてきた。 「こんなにおいしいお魚は、生まれて初めてです」 「そうだな。プリップリなのに引き締まっていて、脂のノリがホント良くて。今までの魚と比べれば、次元が違う。食われてきた魚くんたちとしては浮かばれないだろうが」 「ふひひ、嬉しそうに食べるのですね」  かくいう彼女も、自分の手に持つ魚の串が料理として完成するのを、今か今かと焦がれている。こんな昼間にも関わらず、垂らすヨダレが火の光を反射しているのが分かるほど。 「君ほどではないだろう。……ええと、名前は?」  話し相手を「君」と呼んだことで、名が分からないと不便だということに彼は気づく。聞かれた少女は、強くニカッと笑った。 「ジャンヌです。そのままお呼びください」 「へぇ。フランスの聖人みたいだな。俺は、月島陸斗。月島でも陸斗でも、呼び方は好きにしてくれ」 「はい、リクト様」  苦笑いする陸斗様は、「様はよしてくれ」と頼む。 「ジャンヌに様付けされる資格は、俺にはない。敬語も使わなくていい」 「いいえ。魚を恵んでくださったじゃないですか!」  答えの天真爛漫さに、月島は心を痛めた。  自分は、もしかすると。  飛空船ごと、ジャンヌの家族や仲間を。  助かる可能性を最も大きくするためにしたこととはいえ。  罪悪感は、徐々に大きくなっていく。  「そろそろ頃合いですね」と、ジャンヌは魚にかぶりつく。もしかすると、敬語や丁寧語は日常的な癖なのかもしれない。 「おいしいですっ!」 「……美味しい食事は、素晴らしいな」 「まったくもって、その通りです!!」  体を横のジャンヌに向け、全力で同意する彼女の頭を撫でる。すると、どうしてか話の輪に入ってこない、後方にいるアグノスがふと視界に入る。  とても仲の良い友人同士の会話にうまく入り込めない、転校してから一週間の小学生のような表情で、静かに俯いていた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇  ビュオウと強い海風が吹き、島の木々を揺らす。  泉のほとりに生える木もまた、ゆらゆらと揺蕩う。  幽霊のように枝葉を垂らす彼らは、柳の木に似ているが、少し見ただけで葉の形がまったく異なっていると分かる。あのスマートな紡錘形とは違い、どこか乾燥したメカブを思わせる。  腹ごしらえを済ませた月島とジャンヌは、精霊刀にて作った切り株の上に腰掛けながら、のんびりと周囲を眺めていた。「あー」と月島は、覇気のない声を出す。 「こんな時間いつぶりだろうか」 「そうなんですか? 普段はおいそがしいのですか?」 「まあな。最近はずっと、先行研究を探しながら自前の制約付き最大化問題とにらめっこしているよ」 「??」  何を言っているのか分からないとばかりに、ジャンヌは首をグイッと傾げる。そこを「かわいいなーこやつは」と、アグノスは後ろから抱きしめた。 「制約付き最大化問題、そら知らないわな。そうだな。貯金を削ってお菓子を買えば、今日の満足度は上がる。でも貯金が少なくなれば明日から買えるお菓子が減って、未来の満足度が下がってしまうだろ? 理解出来るか?」 「まあそれは」 「当たり前だな」  「おかし食べたいですねぇ」「我もだ」と笑い合う少女二人。どうやらアグノスは、不必要だが食事自体は可能らしい。月島は、落ちた枯れ枝をスッと拾う。 「買えるからとお菓子をどんどん買い足していけば、満腹だったり飽きたりして、一個ごとに感じられる追加的な幸福感はどんどん少なくなっていく。逆に将来の自分の中では、食べられるお菓子がどんどん少なくなっていくのだから、今の自分に買われるお菓子一個ごとにひもじさはどんどん大きくなっていくだろう」 「うーん、どういうことですか?」 「例えばだな。今の自分のお小遣いで、飴が六個買えるとする。今日三個食べ、明日も三個食べると考えるところからスタートするとして。今日四個、明日二個に変えたら、今日はもっとハッピーになれるけど、明日は三個食べれたはずが二個に減って、ひもじさの分ちょっと幸せが薄れるだろう?」  ステータスに記載された召喚者ボーナス「地球外言語」の影響か、月島はこの世界の数字をスラスラと地に落書きする。 「アメはおいしく高級品ですからね。その通りだと思います」 「高級品なのか? まあそれは置いとくとして。そこからさらに今日五個、明日一個に変えれば、飴五個はさすがに多いから飴四個の時からそこまで満足度は上がらないし、翌日の飴一個は飴二個と比べて半分、すごいひもじいから、三個から二個に飴を減らした時の幸せの減少分と比べても、さらに大きく減ってしまう」  飴五個と聞いてさすがにそこまで食べられないよ〜とばかりに頰を緩ませ、飴一個と聞いて悲しそうに眉を下げる。表情をコロコロ変えるジャンヌに、アグノスのニヤニヤ笑いは止まらない。 「今日食べる量を一個増やし、明日に食べる量一個減らすみたいな調整をすると、食べてる量は六個で変わらないのに今日明日全体の満足度は減ってしまう場合があることが分かる。ほら、今日一個明日五個みたいな時は、今日二個明日四個に予定を変更すれば全体の満足度は増えそうだろう? そこでだ」  月島は直線上に、「今日六個明日ゼロ個」「今日五個明日一個」……というように、ありうる組み合わせを点として全部書き込んでいく。 「それぞれの場合に自分が享受出来そうな幸福を、点からの高さが大きければ大きいほど良いとして、プロットしてごらん。こんな風に」  「今日四個明日二個」の点の上方に、月島はさらなる点を書き加える。追加した点と「今日四個明日二個」の点の間に線分を引いて、「このラインの大きさが、ハッピーを表すのさ」と説明した。  ジャンヌは一生懸命考えて、点を七つ、打つ。よく出来ましたとばかりに月島は彼女の頭を撫でて、「今日三個明日三個」の上に打たれた点を指差し。 「ということは、君の満足度は今日飴を三個買って食べ、明日飴を三個買って食べることで最大化されるわけだ。我慢強くて偉いぞ」  嬉しそうに顔を赤くして、頷くジャンヌ。 「六個飴が買えるという制約の下、今日明日のハッピーを最大化する。こういうのが制約付き最大化問題だ」 「はえー、異世界人は飴をどう食べるかにこんな小難しいこと考えるのか」  「星と生命の媒介者」が一柱、アグノスは間抜けヅラを晒してジャンヌの飴に関するグラフを眺める。 「多分ジャンヌは、こんな小難しいことを考えなくても、無意識のうちに今日は飴を三個食べて、明日も飴を三個食べるという行動を選んだはずだ。我慢出来なくて、計画を破って今日に四個食べるということもあるかもしれないが。とにかく、何かを調整する行動をとれば、自分の満足度が増え、同時に減る。こういうトレードオフがある場合には、たとえ無意識のものであろうとも、人の行動は制約付き最大化問題で記述出来ることが多い」 「ふひひ、なるほど。そのトレードオフを見つければ、みんなのやることが読めちゃうってことですね!」  月島は目を見開く。今の説明を聞いただけで、十歳ほどの少女がその思考に辿り着いたことに驚いたのだ。  その思考には、普段から他者の行動を強く意識していなければ辿り着けない。  つまり小さいジャンヌは、周囲の動きを読まねばならない環境にいた。 「……まあそういうことだ。この性質を利用して、人の社会を分析するのが、俺の課題で、楽しみさ」  ジャンヌの境遇を意識の隅に追いやり、切り株から立ち上がって伸びをする。能力「軟体」のおかげか、ゴキゴキ鳴らない。  目前の泉の透き通るような水は、とても気持ち良さそうだ。 「水浴びと洗濯でもするか」  言うや否や。月島は服を脱いでパンツ一丁になり、両腕を広げて泉に飛び込んだ。

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9pt

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