第32話 最善

「罠って言えば、落とし穴だろ」 「む、ふつう」  サイクロプス戦で使える罠について話す継人つぐとの言葉に、ルーリエは周囲に転がる岩を面白そうに指輪に出し入れしながら答えた。  ルーリエが遊んでいる『宝物庫の金貨の指輪+3』という装備は、実際に使用してみると、とんでもない代物だった。この指輪に付いた【アイテムボックス】というスキルがその最たる理由だ。  このスキルは手が――というより、指輪が触れている物体をどこか別の空間に収納できるというものだった。別空間に収納された物体は、ステータスウィンドウのようなものでリスト化され、取り出す際も意思一つで実行できる。ただし制限も存在し、アイテムを取り出す際は指輪が触れる位置にしかアイテムは出せず、さらに水や空気以外――つまり固体に重なるようにアイテムを取り出すこともできなかった。 「ここまで落とし穴に落ちてきたせいか、それしか浮かばんわ……。でもまあ、ぶっちゃけ素人でも作れる罠なんて落とし穴ぐらいだろ」 「……でも、ほれない」  ルーリエがスコップを地面に当てると、ガキンッと硬質な手応えが返ってくる。  この階層を形作る岩は、一階層の土混じりのそれとは違い、かなりの硬度を誇っていた。 「なにも掘るだけが穴の作り方じゃないだろ? その指輪――アイテムボックスを使えばいい」  そう言って、継人が視線を向けたのはゴミ穴の底――水没したフロアの水面だ。 「――む?」 「ここはだいたい水深五、六メートルぐらいある。つまりあの巨人でも沈む深さだ。ここに巨人一体が収まるスペースを残して、その周りを集めた岩でぐるりと埋め立てて囲んでやれば――落とし穴の完成だ。しかもこの落とし穴なら、はじめから中に水が張られていることになる。うまく落として閉じ込められれば、これだけで相手は溺れ死ぬかもしれない」 「て、てんさいかもっ……」 「まあ待て。まだ終わりじゃない」  継人は興奮した様子のルーリエをピッと手で制すると、通路の端に立ち、誤って広間に転落しないように注意しながら、水面をバシャバシャと踏み鳴らし始めた。  くりん、と首を傾げつつルーリエがしばらく見守っていると、水面から魚――ブルーキラーフィッシュが飛び出し、継人に襲いかかった。  継人がその襲撃をひょいと軽く躱すと、ブルーキラーフィッシュは水深十センチの通路に落下し、ピチピチと跳ねた。 「ほら、この魚凶暴だけどアホだから簡単に捕まえられる。こいつらを乱獲して落とし穴に入れといてやれば――、溺れて死ぬか。喰われて死ぬか。凶悪な罠になるだろうよ」  *  こうして出来上がった罠の上――落とし穴のふちにあたる、水を埋め立てて出来た岩壁の上で、継人とルーリエの二人は息を呑んで状況を見守っていた。  サイクロプスがもがいているからだろう。穴の蓋にあたる大岩の下の隙間からは、青い血液で染まった水が溢れ、二人の足元からは鈍い振動が伝わってくる。  継人は何もできずにただ待つだけだが、ルーリエは耳をぴくぴくと動かし、【聴覚探知】でサイクロプスの動きを探っていた。 「――ルーリエ。サイクロプスが動かなくなったら岩を消してくれ。外への扉ってのがどんなものかは知らないけど、すぐ探さないと消えたりするかもしれん」  ルーリエは継人の言葉に頷きながらも、両の耳を忙しなく動かす。  彼女の聴覚は急激に弱っていくサイクロプスを捉えていた。もはや肺に空気も残っていないのか、苦鳴すら聞こえない。もがく動きも緩慢になり、二人の足元に響く岩壁を押し潰そうとする揺れにも力がない。  徐々に水中を支配するのが、肉食魚が蠢く音と、彼らが肉を咀嚼する音だけになりつつあった。  戦いの決着は、もうそこまで迫っていた。  まず言っておかなければならないのは、継人は最善を尽くしたということだ。  岩と水しかないような場所でこれだけの罠を作り出し、より確実に相手を仕留めるために魔眼を活かした戦術を組み合わせ、完全に思い通りに事が運んだとは言い難いが、それでも彼は成し遂げた。  そう、彼は間違いなく完遂したのだ。  もう一度言おう。継人は最善を尽くした。  だから、継人に悪いところがあったとするのなら、それはもう『運』が悪かったとしか言いようがない。  最初に気づいたのはルーリエだった。  ブルーキラーフィッシュが蠢く音に支配されつつあった水中に、突如、異音が混ざったのだ。  硬いなにかが擦れるような、ぶつかるような、そんな音だった。  遅れて継人も気づいた。  足元から謎の小さな光の粒子が立ちのぼり始めたのだ。  なんだ? と思っていると、ふらりと後ろに倒れそうになった。別に彼が目眩を起こしたわけではない。  傾いたのだ。  足元の岩壁が。  積み上げた岩壁が。  生け簀を仕切る壁が。 「――は?」  と思ったときにはもう遅い。  岩壁は傾き、そして――――崩れた。  一瞬の浮遊感に背筋が冷えるのと同時に継人は水中に投げ出された。  突然の状況にあっても、彼には考えている暇も、冷静になっている暇も、そして、混乱している暇さえなかった。  落とし穴の蓋が、生け簀の蓋が、この階層にあった最大級の大岩が、岩壁が崩れたことで足場を失い、倒れ込むように継人目掛けて降ってきたのだ。 「――――ッ!!」  岩の下敷きになる己の姿を幻視し、思わず身を固くした継人だったが、傍らに同じく水中に投げ出されたルーリエを発見したことで気を持ち直した。咄嗟にルーリエに手を伸ばし、脇に抱える。 (泳いで躱すのは無理だ――。せめて底に足さえつけば――)  刹那の間で考えながら視線を水底に落とす。 (駄目だ、遠い。――間に合わないッ!)  万事休すと歯を食いしばる継人をよそに、脇に抱えられたルーリエは冷静だった。  彼女は危機感すら感じさせないボンヤリとした半眼で、降ってくる大岩をまっすぐに見上げると、その小さな手を目一杯伸ばし、岩肌に触れ、  大岩を収納した。 (――なっ!? ……アイテムボックスか! うおおおおっ、最高だルーリエ! 外に出たら野菜を死ぬほど食わせてやるからなっ!)  継人が相棒を内心絶賛するが、事態は続いている。  大岩がアイテムボックス内に収納されたことにより、水中に大岩の体積をもつ真空が生まれ、それを周りの水が埋め始めたことで、そこに複雑な水流が発生した。  継人は水流に呑まれながらも、ルーリエが流されないように抱きしめ、耐える。そして、きりもみ状態をやっと脱したところで、その景色が彼の視界に飛び込んできた。  それは苦労して水中に積み上げた岩壁が無残に崩れ去り、そこから光の粒子が立ちのぼる、幻想的ともいえる景色だった。光の粒子は岩壁を形成する岩が分解されるように発生していた。  崩れるに決まっていた。  今この瞬間も、岩壁の一部である岩の一つ一つが、光の粒子となって消え続けているのだ。崩れないはずがなかった。  誰が予想できただろう。  少なくとも継人には想像もつかなかった。  今起きているこの現象は『ダンジョンの復元』である。  一階層で採掘人が掘った壁が直るのと同じ現象。  ゴミ穴の蓋が塞がり、罠として何度でも機能し続けることと同様。  どれだけ破壊しても一日ほどで元に戻るという、ダンジョンが持つ不可思議な機能。  罠を作り始めてからおよそ一日。その復元機能が、今この場で動き出してしまったのだ。  継人を責めることはできない。それは言うなれば認識の違いだ。  この階層に数多く転がる岩自体がダンジョンの一部であり、その岩の移動がダンジョンの破壊に該当するなど、誰が分かるというのか。  不運という他ない。  例えば、あと数分作戦の決行が早ければ、例えば、あとほんの少し相手のHPを削り取ることができていれば、例えば、逆に魔眼の使用を考慮せずにまっすぐ落とし穴に向かっていれば、全く違う結末が待っていたことだろう。  だが運命の悪戯か、神の嫌がらせか、結果そうはならなかった。  故に。  立ちのぼる光の粒子の向こう。  水中にたゆたう青い煙の奥から、そいつは姿を現した。  全身を肉食魚に食い荒らされ、肋骨がほとんど剥き出しになっていた。左腕は既に失い、一部内臓まで見えている様は、生きていることが信じられないほどに凄惨な姿だ。しかし、姿とは対照的に、その単眼はギラギラと危険な輝きを放っていた。  目は口ほどにものを言う。その言葉通りだった。  弱者の小細工に殺されかけ、不様に悲鳴まであげさせられ、彼の王として、強者としてのプライドは、ズタズタに引き裂かれていた。  サイクロプスの目が継人に向かってこう言っていた。  ――必ず殺す。

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