Section.10 脱出

「……すまん。我が外の環境を見れなかったばかりに……」  申し訳ない様子で、月島に謝る歯車。  彼らの眼下には。  薄い雲の絨毯。  水平線。  ポツポツとした島。  ここは、天空。  足を踏ん張らなければ吹き飛ばされかねないほどの強風が、月島の髪をブワッと搔き上げる。彼の背中で眠る猫耳人間の長髪も、同様だ。  月島は黙りこくり、真下に広がる海をじっと眺める。 「これでは逃げられぬ。どうする? 最早、この|飛空船《・・・》を乗っ取るくらいしか方法は見当たらないと思うが……」 「……」  歯車は、言ってみて無謀だなと、自らに呆れる。今まで月島がスムーズにやってこれたのは、相手が少人数で、しかも不意打ちだったからだ。  だがこうなっては、取れる策はハイジャックくらいしかないのも事実。 「我のせいだ。こうなったら責任を取ってお主と心中するくらいは……」 「レベルアップして強化された体、高度は2000から2500メートルくらい、島は……」  なにやらブツブツ言い始めた月島に、「どうした?」と疑問符を上げる歯車。  緊張状態からおかしくなったのだろうかと訝しむ。 「なあ歯車」 「だから歯車と呼ぶな。アグノスだアグノス」 「念のため聞きたい。あまり期待はしていないが。『精霊刀』状態になった後、俺からどのくらいの時間と距離、離れられる?」 「……?」  質問の意図が読めず、動揺する歯車。確かに自分は、刀になってから主より離れて、いつまでもその状態でいれるわけではない。自分の本来の形質とは異なった姿だから。  尤も、実のところ歯車の姿も、この精霊の真の姿ではないのだが。こちらは自らの形質を反映したもののため、長時間そのままでいられる。  固まっていると、「早く答えろ」と急かされたのでいそいそ計算を始める。 「大体だが、時間は二分くらい、距離は5000メートルくらいか」 「えっ。そんなに長く、大丈夫なのか?」  月島の方は、もっと短い時間と距離を告げられると思っていたのか。素直に驚いている。この男をビックリさせられたことに、こんな時にも関わらずどこか嬉しくなってしまう歯車。 「は、はは、ははははは!!」  だが、突然大きな声で笑い出す月島に、今度は歯車の方がビックリする。 「う、うむ? 気でも狂ったか?」 「まさか。俺はいつでも正常だ」  涼やかな表情を返す相方に、「それはどうだろうか」と歯車はカタッと揺れた。  一瞬不機嫌そうになる月島だったが、「まあいい」と瞑目し。 「ラッキーだ」  と、不敵に呟いた。 ========= 「こちらシャガ。脱走者です! 長官の殺害を確認。次官のステファニ殿は急いで対応をお願いします! 私は長官の殺害現場から最も近い、出入り口Bに向かいます」  魔力で動く通信機のダイヤルを施設全体に合わせて、若いエリート天使のシャガは現在の状況を簡潔に伝える。彼の耳に響くのは、機械を通したような自らの声。  映像や音声等を記録する類の魔道具は予算の都合上この飛空船には配備されていないが、業務連絡を行うための簡単なスピーカーならば備え付けられている。召喚した異世界人用の独房にだけ、音声を集積する魔道具の設置申請書が通ったことが十分大盤振る舞いだった。  さて、たった今緊急事態を伝えた彼は、ただの研修生。この施設において指揮を行う権限はない。正直言って頼りないが、次点の権力者であるステファニに指揮を頼む。  本当はこの場で待機して、指示があれば動くべきであるシャガは、しかし立ち止まってはいられない。ここで待っているだけでは事態は最悪の方向へ突き進むと第六感が囁き、彼を駆り立てる。  冷や汗が、額、そして頬へと伝う。 「あれは、580071は絶対、この世界に解き放ってはいけない」  召喚された月島を見てから、シャガの心中は穏やかでなかった。あれは言葉では形容しようのない、恐ろしい何かを備えていると直感した。  実際初めての死合でも、驚くほど冷静にクレバーに、彼は敵に対処してみせた。召喚当時の怯え具合からは考えられないほど。  自分だけの力で、先行き真っ暗な恐怖の状況に対応してみせた。最初の死合でそれが出来ている個体は、データ上では未だ観察されたことはなかった。  天使族と魔神族の、長きに|亘《わた》る争いに続く鬱陶しい均衡を崩す、切り札になり得る存在ではないか。  |天使族《自ら》の手中にある内は、楽観的にそう思えた。  十五年前、神によりなされた託宣。 “一人の渡り人が、聖戦に大きな変化をもたらす”  間違いない。580071のことだ。なぜかそう思い込む。シャガは目を血走らせる。  だからこそ、天使族でコントロールしないといけない。  外から引っ掻き回されたら、たまらない。  死した長官に最も近い出入り口の前に、辿り着く。ゴクリと唾を飲みながら、自らのカードキーで扉を開いた。  それと同時に。  シャガの目は、天空へと身を投げ出す月島の姿を捉えた。 「なっ」  数秒硬直したのち、前のめりになって落下防止用の手すりに縋り付いて、若い天使は真下を眺める。  小さ過ぎる人間の姿は、どこにも見当たらない。 「じ、自殺……? 諦めたのか……?」  呆然とする。580071は、神託の指し示す異世界人ではないのか。自分は見誤ったのか。  釈然としない終わり方だが、とシャガは顎に手を当てる。どうやってかは分からないが、長官を殺した相手。予想の通り、この飛空船の制圧を試みられでもすれば、犠牲者は相当出たはずだ。  ここから落ちて、人間が助かるはずがない。  最悪の結果ではない。  これで事件は収束した。理性で報告書に書くべきことを並べる。  並べようとする。 「本当に、これで」  心のどこかが、もやもやし、むず痒い。  もう一度、真下の海を見る。 「終わったのか……?」  エリートな天使の、動体視力は。  ほんの一瞬だけ、超高速で飛空船に近づいてくる何かを捉えた。  それは的確に、飛空船の動力源である「魔力油タンク」を貫き。火花を撒き散らし。着火。  直接これらの事象を見たわけではないが、シャガの優秀な本能は、全身に死のアラートを撒き散らす。  咄嗟に彼は、手すりから飛び降りた。580071がやった通りに。  足の離れた天空の船は、轟音とともに、莫大な火力の爆炎に飲み込まれる。  シャガの体も、炎に包まれた。すぐに爆風に弾かれる。  全身の火傷に加え、片翼を喪失した状態で。  錐揉み回転し、大きな水飛沫をあげ。若い天使の体は、海の底へと沈んでいった。 ========= 「『魔力伸縮』」  月島の掌から、無色に近いブヨブヨとした魔力が、ウネウネと出てくる。 「それは?」 「さっきあの中年天使を殺す前、『気配遮断』『透明化』とともに|SP《スキルポイント》で取った。実のところここが地上じゃないというのは、想定の範囲内でな。一応海中である場合も考慮して、『潜水』も取っていたけど」  「いい買い物だったなぁ」としみじみ話す月島。 「なるほど……お主には無駄に膨大なSPがあったな。確かにそれならば、こういうところからの脱出も不可能ではない。この飛空船にそのブヨブヨした魔力を貼り付けて慎重に下りていけば、岩よりも固い海面に高速ぶつかり稽古する必要はなくなる」 「いや、それだとMPは保たない。長時間魔力を体から出していると、たとえ固体状でもじわじわ外に放出されてしまうらしい」 「!? じゃあどうするのだ」 「なあに、バンジージャンプの要領で降りても大丈夫さ、今の体ならな。でもそれだけじゃ追っ手が心配だ……」  掌から出続けるロープ状の魔力を引きちぎり、その両端を丸め。手すりから身を大きく出し、飛空船の腹の中心部分に向けて片端ずつ投げる。  ぺっとりと二箇所でくっつく魔力ロープ。 「で、魔力を送り続けながらロープの真ん中を持って……『精霊刀』」 「む?」  小太刀になった歯車を、ズブリとブヨブヨの魔力ロープに埋め込む月島。 「おいお主。いったい何を……っ」 「強度と弾力調整。よし、行くぞ」  背中の猫耳人間を別の魔力ロープでしっかり、特に頭部を念入りに固定する。飛空船に固定したロープをしっかり握り、トウッと掛け声をあげながら。  月島は、飛び降りた。 「ぬおおおおおおああああっ〜〜……」  大海原に向かって落下。風を切る。  高音で叫び続ける刀な精霊とは対照的に、月島は細心の注意を払って、魔力ロープの強度を調整し続けた。不規則な強風によるブレは、少しの集中の途切れも許さない。 「くっ……」  頭がクラクラする。  目眩が彼を襲う。  MPが、凄まじい勢いで消費されている証拠。  海が近づいた。最後の正念場。  弾力を高めれば、徐々に減速し、海面スレスレで速度ゼロ。 「よし」 「おおっ、安全に降りれたな! さすがっ、さすがである!」  成功だ。精霊の心は、喜びに満ち溢れる。  だがしかし、ホッとしたのも束の間。 「まだ。最後のパチンコが、残ってる」 「? ……パチンコ……って、まさかっっっっ!???」  鋭利な視線で狙いを定め。  フッと手を離す月島。 「ぶちかませ」 「い、イヤアアァァァッママアアァァァァッッッ〜〜〜〜〜……」  ポチャンと海に落ちる彼を残して。  飛空船に吸い寄せられ、グングン加速していく小太刀。  タイムリミットの二分もしないうち。有史以来初の使われ方をした「精霊刀」は、巨大な飛空船の要である燃料タンクを突き抜けて。  勢いで、魔力ロープから外れたのだろう。止まらず、飛空船の大爆発という自らの活躍の成果を見ることないまま、歯車の精霊は。  お空にキラリ、消えて行きましたとさ。

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