第五話 撫子(2)

 着物の柄で、私と気付かれたご主人は、振り向いた際に、素顔であったことに非常に驚かれたようであった。そういえば前回お会いした際は、まだ包帯を巻いていた時であった。その後、異変に気づいた才四郎が、民宿の軒先から顔を出して、ああ、これは。という話になった。  いつもなら、素顔の時は、笠を目深にかぶるなどし、このかわった目の色を人の目にさらすことはない。しかしこの時は、宿に入るつもりでいたのと、花を折るのに邪魔で才四郎に預けてしまっていたのだ。その不用心さが、良くなかった……。  民宿の前で立ち話となる。  どうやら先の兵士の一団は、この宿屋のご主人と親しい間柄の武将のものであったらしい。この先の町でも、宿を営んでいるご主人は、兵士全員を宿に泊めることはできないが、野宿をするところへ、酒や、兵糧を振舞うとのことで、そこへ向う途中であるとのことだった。懇意にしている武将が戦で勝てば、商売がしやすくなる。戦と商いは切っても切れない。戦があれば、金が動く。商機を逃してはならない。と、申される。  人の命のやり取りをする場に、金勘定を持ち込むとは……頭が固いと言われる私のような者は、あまり、よい心持ちはしないのだが……。冷静に客観視するのであれば、人より金を稼ぎ、富を得るのは、戦と同じくらい困難で厳しく、命がけであるのかもしれない。 「ここで会ったのも何かのご縁。ぜひ、宿の方へお泊りください」  と、強く勧められる。私としては、民宿が気に入っていたのだけれど、才四郎の知り合いでもあるし強くは言えない。彼も兵がいるような場所に若い娘を連れて行きたくない、と断ってくれたのだが、野宿先と宿屋は距離的には遠い、宿に護衛のものもいる、と、なかなか引き下がれない。 「ぜひ、また笛をお聴かせ願いたい」  前回、身の丈に合わないようなお部屋をご準備いただいたご恩もある。困り果てていると、その様子を見かねたのだろう。民宿のお婆様が、このような時代ですから、お知り合いに会えたのであれば、そちらへお泊まりになった方が良いのでは、とご親切にも計らいの言葉をいただく。すでに手折ってしまったお花もお持ちくださって結構ですよ、と優しいお気遣いをいただき、それでは、と、宿屋のご主人のところへ今回もお世話になることにしたのである。  その晩は特に何もなく、ゆっくり休ませていただいた。朝、出発の準備をという話をしていたところ、宿屋のご主人が、突然部屋に現れて申された。兵を二日休めることになっているのだが、武将が好物であられる、高級品の干し椎茸を非常食用に準備したい。二つ山を越えた先の、取引のある農家へ取りに行くのだが、山賊が道中、幅を聞かせている箇所がある。護衛をお願いしたい……と。夜が少し遅くなってしまうが、日帰りで帰れる場所ではある。彼だけであれば、もっと早くに帰ってこれるのかもしれないが、荷車の護衛とならば、時間がかかる。今回も良いお部屋を用意いただいた御礼も兼ね、彼は引き受けることにした。勿論私は今回も留守番である。  前回と同じであるからと、気軽に私達は考えていたのだが……それも無用心であった。    準備もあり、正午過ぎに彼を見送った。  あっという間に日も暮れる。後数刻で、彼が帰ってくる頃であろうか。私は障子窓を開けて、月を見遣りながら彼を待っていた。秋の月は、なぜこれほどまでに美しいのであろうか。夜であるのに、白々とした月明かりが溶け込んだかのように、辺りは不思議と明るい。空気も澄み、呼吸をする度に、身体の中の細部まで行き渡り、清められていくような気持ちになる。  そんな時だった。襖を叩く音がした。  彼ではない。誰かと訝しく部屋の中より尋ねると、宿屋のご主人であった。何かあったのかと、廊下に繋がる襖を開けてお聞きしたところ、彼が帰ってくるまで、よい酒が入りましたので、よろしければ一緒にと、誘われる。彼以外の男性と、部屋で二人きりになる等みっともない真似は出来ない。彼が戻るまでお待ちくださいと、お願いをしたのに、のらりくらりと、なぜか部屋に入られてしまった。  そのいつもと違う図々しい様子に、猜疑心を抱きつつ、無下に追い出すこともできず。そろそろ彼が帰ってくるので、戻られたら三人で飲みましょう、と、私は盃に手をつけず、お話をお聞きすることにした。  ご主人の方は、何か焦燥感に駆られているようなご様子で、酒を煽り始める。そのような飲み方はお身体に触ります、と、申し出てみたものの、一向に止められる気配がない。他愛ない、世間話をしていた筈なのだが……。 「まさか、これ程までに……お美しい方であられたとは……」 何杯目であったろうか。元々色白のご主人である。目元まで赤くなっているご様子から、だいぶ酔われた様子である。突如、無遠慮な視線を向けられ、私は困惑した。  昔、まだ家族一緒に暮らしていた頃、館に商人が入ることはよくあった。彼らは気さくで、幼い私にも気軽に話し掛けてきた。こちらを喜ばせるような褒め言葉を二、三と、その後に続く面白おかしい商い品の話。私はよく笑って聞いていたものだ。その様子を遠くから見ていた兄が、彼らが帰った後、言った言葉が思い出される。 『商人は口が上手い。楽しい話をして興味を持たせて、自らの商品を言葉巧みに買わせたり、意のままにさせようとする。彼らと話すなとは言わないが、気を付けなくてはいけないよ』  このご主人の目的は分からないが。先ほどから私の容姿について、お褒めいただいている。まるで昔のあの商人のように。きっとご主人は私の気を良くしようと思われているのかもしれないが……何度も言うが……私は他人の容姿について、未だに無頓着で、よくわからない。いつも共にいる才四郎が、美丈夫かどうかということでさえ、実際の所、よく分かっていない。その為か特に嬉しいといった、感情も起きない。弱り果ててしまう。 「目の色が珍しいので、そう見えるだけではないでしょうか」 私の何時もと変わらぬ対応に、一瞬ご主人が口をつぐまれた。嫌な静けさが部屋に満ちる。不意にご主人が盃を置かれた。そのまま私を下から見上げるような視線を投げかける。その瞳が燈台の明かりを受け、なぜだろう。妖しく揺らいだ。 「彼とすでに、そのような仲でおられるのでしょう。一度だけ、私と共に一夜をお過ごしいただいても……」  私は息を飲んだ。内心どこかで、そのようなことをその内言い出されるのではないか……という嫌な予感に苛まれている所だった。才四郎の知り合いを、疑いたくなかったのだが……。こういった場合、慌てふためいたり、浮ついたような態度をとるとさらに泥沼に陥る。と、昔、侍女であった梅に聞いたことがあった。何もなかったように、冷静に。あちらが冷めるのを促すように。ひたすらに淡々と応対すべきである、これが、問題が起きない、最善の対処方であると。 「嫁入り前に、そのような真似をできるはずがございません」  私は表情を変えず、ご主人の目をまっすぐ見つめ、淡々と返した。 「嫁入り前とは……彼とはまだ寝てないのですか? なぜ……」  なんて不躾な質問なのであろうか。私は内心穏やかならぬ心持ちとなる。そのことについては、私自身が一番、疑問であり、悩みに思っていることでもある。むしろ私が聞きたいくらいであるが……動揺を悟られないように、返答もせずに。ただただご主人をまっすぐと見据え続けた。 「彼の方は、本気ではないということではないのですか」 突然の言葉に、動揺が顔に出てしまいそうになり……慌てて己を叱咤する。 「これ程までに麗しいあなたと同室で……彼はあなたを女性と思っていないのでは、ないのでしょうか」 極めつけに放たれた一言に、怒りよりも先に、なぜか胸が締め付けられる。内容が内容なだけに、誰にも打ち明けられず、一人で思い悩んでいたことを、ずばり指摘されたのだ……。触れられたくない胸中を、他人に土足で踏み荒らされたようで、思わず声を荒げてご主人を、そしりたい心持ちになり、ぐっと堪える。  才四郎は私のことを愛してくれている。とても可愛がってくれている。それは痛いほどよくわかっている。でも……前にそういった話になった際、彼は私に、成人してない子供に魅力は感じない、そんな気にならない、と頑なにそう否定した。十日程前から、添い寝しているのに、未だに何もない。可愛い可愛いとかわいがってくれる彼と、女性の魅力がないと、そっぽを向いて言う彼。一体どちらが彼の本心なのであろう。 「私はあなたを一人の女性として、愛したいと思っているのです」  そう言われて、冒頭のような押し問答に、もつれ込んでしまった……。  ご主人をいなしながら、私は思案を巡らせる。  まさか……ご主人の仰るように、彼は私のことを、一人の女性として見ていないのだろうか。子供が珍しい蝶を捕らえ、暫し愛でるが、時が経てばすぐ飽きるのと同じように、彼もそのような気持ちでいるとしたら……。いや、そんなこと、あるわけない。彼はいつも私を一番に考え、自分の命をかけてまで守ってくれている。小春の内面が好きだ、と言ってくれているではないか。そんな彼を疑うなど、私は一体どうしてしまったのだろう。 それに……私は……自らの気持ちを再度思いかえす。彼がどう思っていようとも、私は彼を愛している。これは変わらない事実である。だからこそ、他の男性と、などと考えられるわけがない。絶対にそんなことしたくはない。万が一彼が……私を女性として見ていなかったとしても。  その瞬間、ご主人は、言葉では無理だと思われたのであろう。実力行使に出られた。私はもちろん素直にそれに従うつもりはない。その手を思い切り引き寄せ、私は技を掛けた。  気付くと、私の背後に、背負い投げで畳にしこたま体を打ち付けて、伸びたご主人の姿があった。恐らく私と、不貞なことを致すつもりで人避けしていたのだろう。部屋の外で人が動くような気配はない。このようなことがあったとは、他の者も暫く気づかれないと思うが。さすがに目が覚められた際には面倒になるに違いない。  ーー仕方ない。  才四郎に文を書き起きて、昨日のあの民宿のお婆様のところへ、身を寄せよう。荷物を手早くまとめる。書き置きを残して、ふと文机に飾っていた撫子の花に目をとめる。……彼も私のことを、撫でたくなるような愛しい存在だと思ってくれていればいいのだけれど。そのまま花瓶からそれを抜き取り、紙にくるんで風呂敷にしまった。  編み笠を手に取る。いくら兵が野宿している場所から離れているとはいえ、女一人、ここからたいぶ離れた、あの民宿へ向かうことに不安がない訳ではない。しかしここに居る方が危険であろう。この宿から抜け出す選択肢の方が、余程ましに思える。表から出るわけにはいかない。宿のものに引き留められたら面倒だ。偶々この宿の障子窓の下は、路地となっている。はしたないのは承知だが、窓からこっそり抜け出ようと、障子窓を広く開けようと手をかけた。    ……その刹那であった。

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