そろそろ時間だ

 幸か不幸かでいえば、バーバは常に不幸であった。  幼い時分に母親をレイスに殺されたこともそうだったし、父親の姿を見たことがないのもそうだった。  指折り数えられる年齢に始めた盗みはすぐに強奪に取って代わった。盗みのために初めて人を殺したときの相手は女だったが、死んだ母親と同様、その傍には小汚く痩せさらばえた男子がいた。不幸は止まるはずもなかった。  初めての殺しで二人も殺めてしまったバーバは、名も覚えていない国を出て、流れて、殺して、流れて、殺されそうになってを繰り返し、遂に捕らえられた場所がフォーレルシュタットであった。これも不幸に違いなかったのだろう。  殺しの技術を魔物討伐に昇華させるための訓練を受けるかどうかを問われ、断れば死が待っていると宣告された。果たして、彼はフォーレルシュタットに飼い殺されることになったのである。  結末がやってこようとしているのだろうか?  既に死への恐怖はなかった。だが死は、あるときから常に感じている嫌な予感の結果にはなりえそうにもなかった。たとえこのままフォーレルシュタットに殺されることになったとしても、主観的にも客観的にもただ独りの凡夫の死でしかなく、それはバーバにとって、ある種の平穏の訪れを予期させるものだったのである。  ただひとつの予感を除いて。  ウィリアムの傷は激しく動いたことで開いたのか、血のしるべはより明瞭になり、水路は赤く染まっていた。  今、バーバは、水路の袋小路に彼を追い詰めている。 「…………」  目の前の男だけは、なんとしても止めなければならない。  ある種の予感は自分を正しい道へと誘っている。  バーバはそう信じていた。 「盗人め……。潔く死ね!」 「…………」  盗人は答えず、右手で剣を抜いた。 「上等だ!」  バーバはウィリアムにおどりかかった。  上段から思い切り両手で打ち下ろした曲剣を、ウィリアムはなんとか剣を横にして弾いた。右手で持ち左手で支える形だが、彼の左腕の傷は深刻らしく、血が地面に滴った。 「ははは……、あの世で大姉さまに詫びを入れるんだな……」 「…………」  むんず、とバーバがウィリアムの剣を掴んだ。その左手は真っ黒な光を帯びている。  引き抜こうとしたが、動かない。  一秒も経たないうちに、ウィリアムの剣にはひびが入り、刀身が崩れ始めた。  バーバはそれを見計らって、今度は右手だけで、振りかぶらず力を込め、最速で上段からの攻撃を再現した。  崩れつつある剣だったが、鍔は別だった。曲剣の上からの力を硬い鍔で受け流し、なんとかかわしきったが、ウィリアムは大きくバランスを崩した。バーバはすかさず横蹴りをウィリアムの腹にたたき込んだ。 「がっ!」  壁に打ちすえられたウィリアムは背中を強く打ち、そのまま昏倒しかけたが、横薙ぎに飛んでくる斬撃を本能で躱した。その際によろめいて倒れ込んだことで汚水を思い切り嗅ぎ、その激臭で目を覚ました。  ウィリアムは肩で息をしながら、腰から大ぶりのナイフを抜いた。その刀身にはなんの光も帯びていない。魔法の使用が前提となる戦いにおいて、一切の魔力が込められていない武器というのは、あまりにも非力であった。 「つまらん男だった。では死ね」  バーバは全身に地の魔法を纏った。硬い泥を貼り付けるという原始的な魔法で、物理的な攻撃のダメージを緩和させるためのものだった。術者の技量により大きく効果が変えることができ、バーバの技術からいって、ウィリアムのナイフでは斬りだろうが突きだろうが刃を通すことはないだろう。  バーバはゆっくりと近づく。  ウィリアムはナイフを構えた。  だがそのとき、ごとん、と、ばしゃ、を合わせたような、なにか重量のあるものが水路に落ちる音がした。 「……?」  バーバは油断せず、横目で音がした方を見る。 「!」  水路の袋小路、壁の隅の目立たないところにそれはあった。  ロザリオだった。  汚されたことで輝きを失っていたそれは、壁の一部となってすっぽりと嵌まっており、汚物と腐臭にまみれた下水道の景観として違和感がなかった。  それを見逃してしまったことは、命取りであったのかもしれない。  バーバはそう思わずにはいられなかった。 「教会の封印魔法術式だと……? あのロザリオが……」  壁の真ん中、石組みのひとつが抜け落ち、地面に落ちていた。抜けたところには穴が開き、奥には闇が見えている。  バーバはその穴から目が離せなかった。  汚水は壁の向こうに流れていく。ウィリアムの血が線を描き闇を目指して流れて、闇は濃さを増していくように深くなる。  それは邪悪な儀式だった。 「お前は……」  バーバは剣を構えたまま、訊ねた。 「らしくねえ。初っぱなかららしくなかった……。……なにを隠してる?」 「…………」 「お優しい大姉さまがいて、よそで金髪のお嬢さんまで攫ってきて、お前は何を求めているんだ?」 「…………」  もう見間違いではない。闇ははっきりとこちらに近づいてきていた。  闇はバーバが左手に纏った物と同じものである。  四種の魔力を合わせることで発現させることができる効果は、実は存在しない。  強引に混ぜた魔力は暗黒を産むだけで、それ自体はなんの効果も持たないのだ。  バーバはそれを、敵の使う魔法や魔法武具の持つ魔力を高速で吸収し、バランスを損なっている種類の魔力を身体に無理やり留め、魔法を維持するという技術に用いていた。  これは四種の魔力のうち、一つでも魔力の量が大きくずれれば……例えば火の魔力が多くなってしまえば、それはただの他三種の魔力が混ざった火の魔力になってしまう。これでは火の魔法を使うのにも適していない。  魔力を操作し、魔法として行使するするのではなく、純粋に魔力が持つ特性だけを活かした戦いの技術であった。  むろん、それが行使者の身体や精神に負担を与えないはずもない。 「殺すつもりか? ならば容赦しないぜ! お前も、リッチも、ここで生き埋めにしてやるよ!」  暗黒の魔法技術は邪悪な人間が編みだしたものであり、だからこそ強力で、人を蝕み、人を魅了するのだと、バーバはどこかで聞いたことがあった。  意識的、無意識的にかかわらず、純粋な邪悪さは人を惹きつけてやまない。  しかし、普段、人々が向き合うことになる相対的に善し悪しとされる行い、存在、観念など、それ自体は本来ただの想像であって、今バーバが相対している闇がもつ邪悪さ、そして神聖さとはまったく別のものだったのである。  ウィリアムという人間、鬼才の少女であるその姉、そして彼らが攫ってきたという少女。  それらは、人が想像した邪悪という線が繋げたものではなかったのだ。  バーバはようやく、そのことに気がついた。  そのときにはもう、闇が眼前を覆い尽くしていた。

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