見られた

「これは英雄譚、こっちは騎士物語。……女傑イルメディナの伝記? こんなのうちにあったかしら」 「…………」  ユイは椅子に座して、埃を被った書庫を漁るアンネを見ていた。  セントラルで初めて外に出たときよりも、幾分か彼女の表情は柔らいでいる。しかし、未だ見えざる何かに緊張しているらしく、座り方も視線のやり方もぎこちない。ふと自分の手が動くと、まるで珍獣が手を這ったかのようにおっかなびっくり目を向けて、なにごともないと分かると安堵する……否、一時的ではあるが強烈な焦燥をどうにかして解いた、といったような風に、小さく息を吐いた。 「……これ、ウィルのね。やだ、もう。私に内緒でこんなもの買って」  くすくすと笑うアンネは、年相応の少女らしく頬を赤らめている。  そのことに驚いているのか、また、いつものようにぎごちなさを覚えているのか、ユイはもぞもぞと身じろぎをした。 「本当は妖精のお伽噺の本を探していたんだけれど……あなたにはこっちの方がいいかしらね」  いたずらを目論むかのように微笑む姿も、少女の様相に相違なかった。  アンネはユイの隣に座り、本の表紙をめくる。 「女傑イルメディナ。二百年代後半の若き天才騎士。槍術の神に天賦の才を授けられ、ホーツィニア戦争ではシルヴァナを勝利に…………。ここは、どうでもいいわね」  興味を失ったように、アンネはぱらぱらとページをめくる。 「…………」 「私はね、もしかしたらだけど、女傑イルメディナはウィルの好みの女の子だったのかもしれないって思うのよ。ねえ、そう思わない? もしそうなら、きっとあなたにとって有意義な物語のはずよ」 「……?」  ぽかんとした顔でぱちくりとまばたきをするユイに、アンネは苦笑いをした。 「え、ええと……。そうね、続きを読みましょう。……イルメディナは戦いの才能もあったけれど、優れた指導者、為政者としての一面も持っていた。幼少の頃から勉学の座で優秀な成績を残していたらしいわ。戦いにおいては騎士たちの士気を高める演説も上手かったようね」 「…………」 「男騎士からいやがらせだってあったでしょうけれど、彼女はどう袖にしていたのかしらね? ……ああ、書いてあるわ。冷たくあしらう、皮肉を言う、露骨に無視する。しつこい相手には戦果と実力で黙らせたらしいわ。……強い女性だったのね」 「…………」  しばらくの間、アンネの声とページをめくる音が部屋に響いた。  ユイは内容を噛み締めるように、アンネが指す行の文章を目で追った。  二人はそれを繰り返す。  女戦士イルメディナの物語は、東の大国シルヴァナと、ホーツィニア樹海を挟んで西に存在するハルドキュネイという軍国の長い戦いの一端を、イルメディナのロマンスに焦点を当てて語られる物語である。戦争の舞台になるホーツィニアは来るものを拒む広大な樹海であり、幾度となく戦火に燃やし尽くされようと、異様な速度で再生を繰り返してきたという伝説がある。イルメディナは樹海の奥底で敵国の魔学者ヤーコブと許されざる恋に落ち、逃避行の果てにカンタレッラという毒魔法を編みだし、両国に甚大な被害をもたらしたという悲劇的な結末で締めくくられる。  本の巻末に付録として、この凄惨たる物語を、悲劇でありながらも寓話的にしたため、子ども向けに仕上げた文章がついていた。こちらのものには、カンタレッラの毒魔法が性交渉によって感染するなどの内容が省かれている。  アンネが読み聞かせていたのは付録のものであった。イルメディナの最期についてはアンネは元から知っていたので、ユイに読み聞かせるに相応しくない内容はその都度省略しながら読むつもりでいたのだが、ご丁寧にもそういうものが用意されているのならばこれ幸い、楽ができたと考えていた。  読み進めること二十分が経った。  アンネはぴたりと指を止めた。 「……?」  ユイは不思議そうにアンネを見るが、彼女は動こうとしない。  そのページの見出しには「悲恋の死、シルヴァナとイルメディナの最期」と書かれていたが、ユイの識字力ではそれを読むことができなかった。 「…………。なに? これは……」  よく見れば、アンネは本を見ていなかった。 「今、何かが起きている……。何? ……ウィルに危険が? いや、それは違う……。予定通りなら、今頃ウィルは……。そうじゃなくて、もっと他の……。…………」  自然と彼女の表情は険しいものになる。  ユイは不安そうにアンネを見て、彼女の強張った指で握られたせいでしわを作った紙を見た。そして、俯いて自分の両手を見た。両手はぶるぶると震えていた。 「…………。…………えっ?」 「……ひっ!」  突如、アンネが本のページを持っていた左手が炎を放ち、紙を燃やし始めた。ユイが小さく悲鳴をあげて仰け反った。 「…………」  アンネは慌てた様子もなく炎を魔力に戻し、固めて小さな結晶にした。  こつーん、と音を立てて床に落ちたそれには目もくれず、アンネはユイを抱きしめた。 「ご、ごめんなさい、ユイ」 「……うう」  部屋には焦げ臭い匂いが広がっている。伝記は、アンネが先ほどまで持っていたページが焼け焦げてほとんど読めなくなってしまっている。 「う、うう……」  すがりつくようにアンネの胸元に顔を押し当てたユイは、びくびくと肩を震わせた。 「ごめんなさい……。私は、なにを……。なにをして……」  アンネは腕の中で震えているユイをしっかりと抱きしめるために力をこめようとした。  そのときだった。 「あ」  アンネは、見つけてしまった。  ユイの頭皮に、切開の跡があるのを。  上から見るだけでも、いくつも、いくつもあるのを。 「ああ……」  アンネは祈るように、ユイをきつく抱きしめた。

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