寂しかった

 フォーレルシュタット北部の港町の外れ、城塞都市の下水道の終着点はそこにある。下水は近海への影響を考慮して、水質を一定に保ったものが海に流される。これは、フォーレルシュタットの魔法力を世に知らしめる手段のひとつでもあった。海や川から攻め込もうとする蛮族の侵入を牽制する役割を果たしていたのである。  その見取り図は、都市の防衛の観点から、おいそれと人々に周知されるものではないことは自明である。  だが、このこじんまりとした部屋に集まって額を向き合わせている三名の顔触れは、そんな重要な下水道の見取り図をぐるりと囲み、ものものしい雰囲気を醸し出していた。  その中には、あでやかな金髪を晒したウィリアムの姿もあった。  三人の中で一人だけ起立している男は、書類を数枚手に持ち、それらに目を光らせている。この男の名前はヤガーといった。糊のついた襟付きの上着を汗一つ掻かずに身につけており、左右二人の様子にじろじろとした視線を向けることを憚らない。  ウィリアムの対面、ヤガーの左手に座っている禿頭の男は、名前をバーバという。この男は春の終わりの陽気と閉じきった密室の蒸し暑さを薄着になることで堪えていたが、彼自身の代謝によって効果は薄いらしい。 「既に影響は出ています。北部十四区は死霊の目撃例があったため、既に排水制限を発令しております」  敬語のヤガーは、質の悪い紙に書かれたミミズのような文字を目で追いかけながら、表情のこもらない声を発した。  ヤガーが言葉を切ると、禿頭のバーバがふんと鼻を鳴らした。 「死霊だと? 水死霊か地死霊か、分かっていないのか?」 「詳しい報告はないようです。目撃とはいっても霧を見ただけなのでしょう」  その言葉に反応したのは、下水道の見取り図を指で追っていたウィリアムだった。 「目撃例は一つしかないが、水害は一カ所に集中している。地霊だと判断される」  バーバは舌打ちをした。 「分かりきったことを言うな、金髪。ここはお遊戯の発表会じゃないんだぞ!」  ウィリアムが肩を竦めると、禿頭はますます苛立ちを募らせたように、ナイフ・シャープナーの先端で見取り図をこつこつと突いた。レイスが目撃されたという箇所を示すトークンが、振動によってその位置をわずかながら変えた。ヤガーがそれを元の場所に戻す。 「人口密度の高さによってレイスの目撃例は少なくなる。俺が苛立っているのは、ここまで報告が上がってくるまでにレイスの属性予測を少したりとも立てることのできない下の連中に対してだ」  バーバは、ヤガーが持っていた書簡をひったくるようにして取った。 「俺がかわいがってきた後輩よりもお前の方が腕が立つ事実にぞっとするよ!」 「……では、話を次に進めてもよろしいですか?」  ウィリアムは頷いたが、バーバは天を仰いだ。 「くだらん。公の魔物研究家のヤガー・アンドリュース殿は、このレイス騒ぎにリッチが関わっていると言いたいのか?」 「その通りです。優れた魔法使いが魔法によって肉体を生き長らえさせることで生まれる屍鬼。意思と肉体の維持に、人から奪った全属性の魔力を必要とする、恐ろしい存在です」 「能書きはいい。リッチがレイスを発現させたとするなら、根拠を示してもらいたいな」 「分かりました。では」 「いや、待て。……おい、金髪!」 「?」 「お前ならばどう思うね? このレイス騒ぎにリッチが関わっているか、否か。理由も付け加えろ」 「発表会の場じゃないんだろ?」 「黙れ。リッチが関わっているとなれば、魔法が使えないお前はお役御免だ。どう言い訳をつけてリッチから逃げるのか、それともどう理由をつけてリッチに殺されにゆくのか、見物してやろうと言っているんだ」  シャープナーを懐にしまったバーバは、机の上に転がっていたパイプを口にくわえて、気障ったらしく指を鳴らした。すぐに白煙が立ち上り、彼は大きく煙を吸い込み、うまそうにたっぷりと味わってから吐き出した。  彼が吐き出した白煙をまともに顔に受けたウィリアムは、前屈みの姿勢から怯むこともなく、考える素振りをわざとらしく見せてから口を開いた。 「リッチが関わっている可能性がある」 「ぶふーう。……ほう?」 「…………」  大人二人の鋭い視線を受けながら、ウィリアムは説明を始めた。 「地死霊と示した根拠は水害の集中的な発生からだが、いくらはぐれレイスとはいっても、もとは人間だったものだ。地が水を澱ませるような、他の餌場を荒らすような真似はしない。地霊がはぐれることがないように。また、死んだ村の井戸に巣くうのは地死霊であるように」 「何が言いたい?」 「誘われている。地死霊を討伐するのに必要な道具を持ってやってくる人間を待ち伏せ、獲物にしようとしているものがいる。それがリッチの正体だ」  言い終えたウィリアムに対し、二人の男は表情を崩さない。  先に口を開いたのは、バーバだった。 「自信のある言い方だな」  パイプを噛みながら続ける。 「するとおまえは、耄碌した爺の昔語りに出てくるようなリッチを、物語に従って、鉛と四属性の結晶を混ぜて銀で覆ったロザリオをリッチに捧げて、火で燃やし尽くして灰に返せと、そう言いたいのか?」 「そこの魔学者も同じ結論だろう」 「…………」  話を振られたヤガーは、表情こそ変えなかったが、沈黙でもって答えを示した。  その間を取り返そうとするように、ヤガーは、 「はい」  とだけ言った。 「…………」  肯定の言葉を受けたバーバは、ヤガーの顔を睨み付けながら、パイプを思い切り吸い、煙を吐き出した。 「彼と同じ結論です、バーバさん。単純に事実を追えば間違いなく地死霊ですが、レイスの性格からいって下水道に潜伏することは有り得ないのです」 「フォーレルシュタットぐらいに発達した下水道のある国や都市で、同様に発生したレイスの事例はないのか」 「ありません。あったとしても、それが公になることはないでしょう」 「……クソッ」  悪態を吐いたバーバは、パイプを壺の中にひっくり返し、ガンと叩いて灰を落とした。 「リッチだと? 教会がリッチ避けのロザリオを快く渡すだろうか? くそ……」  ぶつぶつと算用を始めたバーバは、ウィリアムを睨んだ。 「オレは仕事があると聞いたときから、ただのアース・レイス騒ぎとばかり思っていた。見事なものだな。だが、お前は? リッチ相手に魔法なしでどうするってんだ? 逃げるつもりじゃないだろうな」  ウィリアムは首を横に振った。 「仕事はする。だが、リッチをどうするかは教えられない。企業秘密だ」 「……食えねえ野郎だ!」  バーバは下水道の地図を思い切り叩いた。示したのは、レイスが潜伏している可能性のある箇所の印。 「いつも通りだ。魔物と、くそったれな教会と、しみったれた報酬。そして最近加わった気に入らねえ金髪のガキだ! 変わらねえ、何も変わらねえよ」  ぶつぶつと文句を言いながら、手元のペンにインクをつけ、紙に汚い文字を書き連ねていく。額から落ちた汗のしずくが紙に染みを作った。バーバは書き終えると、それをウィリアムに押しつけた。 「いつも通りだ。オレはもう帰る」  バーバは蒸留酒の瓶を棚から引っ張り出すと、ドアをけたたましく開け、部屋から出て行った。  ウィリアムは動じることもなく、バーバから受け取った紙を読みながら、もう一枚の紙に同じ内容を写していった。最後の署名は、もちろんウィリアムの名で。  バーバの書類を上にしてヤガーに渡したウィリアムは、ふうと息を吐いて、椅子に背をもたれかけさせた。  猛烈な速さで書類に目を通したヤガーは頷くと、 「確かに。では、よろしくお願いします」  と、頭を下げた。  そして、そばに置いてあった瓶の蓋を開けた。 「いかがですか?」  ヤガーは尋ねたが、ウィリアムは首を横に振った。 「そうですか」  ヤガーはそれを、ラッパ飲みにした。三度、喉を鳴らした。  そして、 「顔色が優れない」  と、言った。 「?」 「それに、態度も変です。いつもならバーバさんに言い返していたでしょうに」 「そうだろうか」 「失礼ですが、そうです。……既に噂になっております。貴方の小旅行でのこと」 「ろくでもない噂だ」 「誠に失礼ですが、その通りです。移民管理官を収賄した、と」 「…………」 「彼は私の親戚でして。忙しい彼にいくら渡したのかと気になって」  ヤガーは表情を変えない。 「明日はよろしくお願いします。では」  そのまま、彼は蒸留酒の瓶を握りしめたまま、バーバが開け放しにしていた扉から出て行き、後ろ手にそれを閉めた。  一人残されたウィリアムは、帰り支度をしながら、アンネの言葉を思い出していた。 『広義に、リッチと呼ばれる怪物というのは存在しないのよ。もちろんレイスなんて怪物も、人間の創り出した幻想に過ぎないの』

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