第三話 螢惑(後)

 一方、才四郎は和尚のそのような腹の中など知る由もない。自室で明後日の出立を控え、部屋で思案を巡らしてるところであった。  東国、鎌倉へはすでに何度となく諜報の任で行ったことがある。自分だけであれば多少無理しても日数のかからぬ道を行くが、今回は小春がいる。追手も気にせねばならない。どの道を行くべきか。  いや、そもそも……。  ふと才四郎の思考が止まる。彼女を。小春を出家などさせて良いのか。  出家すれば二度と寺から出れなくなる。それ以降彼女と会えなくなることは、子供でも分かるような事実だ。それなのに……。彼女一人を行かせて堪るかと、請け負った仕事ではあるが気が重い。いや、そもそもあれ程食い下がれば普通こちらの気持ちに気付くものではないのか。ーー和尚殿には勘づかれた筈だが。  廊下より床の軋む音がする。その足音から男であると勘付くと同時に、無言でこちらの様子を伺われていることにも気付いた。そのただならぬ気配に才四郎は静かに刀を引き寄せる。……と、その挙動に気付いたかのように重たい圧が瞬時に消え、縁側の障子の向こうから声がする。 「すまん、わしじゃ。般若湯を持ってきた。清酒だぞ」  清酒といえば、僧坊酒と称される酒の高級品である。庶民は、安い濁り酒と相場が決まっている。飲んでみたい、と、素直に興味がわくと同時に、別の疑念が起きる。 「坊主なのにいいのか、などと不粋なことを申すなよ」  読まれている。小春から元優れた武人であったと聞いたのを思い出し、気付かれぬよう苦笑いながら、才四郎は腰をあげた。 「いただきます」  二人で縁側に腰をかける。いなや和尚に急かされ、注いでもらった酒に口をつける。 ーー旨い。  初めて口にする清酒に舌鼓を打ち、しばらく無言で味わってしまう。和尚はそのような才四郎の様子を、どこか嬉しそうに眺めていたが、何も声をかけてこない。暫く静かに酌み交わしていたのだが。  突如、思い立ったかのように急に和尚が才四郎へ向き直り、頭を下げた。 「吉乃の件、感謝の念に堪えん。礼を言う。ありがとう」  突然のことに、才四郎も急ぎ杯を置き向き直った。 「いえ。私のような者に、身に余る褒美を頂き」  和尚が、気にせず飲むように促しながら、 「お前が行かぬなら、わしが寺を任せて行こうかと思っていた所だ。助かった」  そう続けた。やはりなんだかんだ言って、大切な姪なのであろう。しかしよく自分に任せるなどと言ったものだ、と不思議に思いながらも盃を傾ける。和尚がさらに続ける。 「それ以前に。才四郎、お前には謝らねばならん」  なぜ謝られなければならないのか。訳が分からす才四郎は和尚を訝しく見つめつつ返す。 「謝罪を頂くような、心当りはございませんが」  和尚が、ため息混じりに答える。 「吉乃のことだ。お主。……姪に手を出しておらんのだろう」  ああ。やはりか。才四郎は内心溜息をついた。つい先にも思うていたことだが、今朝のあのようなやりとりを目前として、こちらの気持ちに気づかない方が可笑しい。  自分は今まで任務とはいえ、多くの女人と関係を持ち欺いてきた。その結果、一番伝わって欲しい人にこちらの想いが全く伝わらない。これはきっとその報いなのだろう。羞恥より先に自嘲の念に襲われる。彼は目を伏せ、自虐気味に少し笑いながら答える。 「お気付きになられましたか。お恥ずかしい」  和尚も呆れた様子で溜め息をつく。 「あの応酬をみてわからぬのは、当の吉乃だけであろうよ」  全くもってその通りだ。 「道中目附もおり、お主も難儀したことであろう」  それも気取られているらしい。今度は才四郎がちらりと横目で和尚を見た。そ知らぬ降りして、酒を煽っているが、自分が暗殺以外の任も受けていたことに、この御仁は気付いているのだと確信する。  手を出していないのではなく、出せなかったのだ。あまりにも小春があの時のこどもに似ていて、無理矢理に………など、到底出来なかった。思いを告げようと思ったが、女好きと思われている嫌いもあり、憚られる。自分に心を開いてくれる様子がわかる度に、言いづらくなる。  夜毎様子を伺いに来る目附を欺くのに、町娘や、遊女などをこっそり招き入れて、なんとかやり過ごしていた。小春に誤解され、軽蔑されても、とにかく彼女を守りたかった。忍隊の追跡が難くなる辺りまで行き、機会を伺い、目附一人をまいて、彼女を逃がすまでは。  それもこれも全て、和尚はお見通しなのだろう。才四郎は観念した。してしまえば、気楽なものだ。 「あのやり取りの後、吉乃姫は私を女人好きな癖に、どうしようもなく優しいお人好し、と認識されてるようですが」  和尚が、堪えきれなくなったか笑い始める。 「いや。本当に申し訳ない。あれの教育係の梅は、これまた美人だが気が強く、男女の機微を欠片も理解しない猛者でな。わし以外にも粉砕された男、数知れずだ。まさか吉乃までああなるとは。奴に悪気はないのだ」  悪気があっては困る。全くその気がなくて困ってもいるが。 「輪をかけて質が悪い」 「すまぬ。何度でも吉乃に変わって謝る」  思わずこぼしたものの、和尚に謝られてもしようがない。 「結構です」  諦めはとうについてる。才四郎が杯を置いた。つられて和尚も置く。二人してぼんやりと庭の竹林を眺める。田植えの時期となり、寺の麓の田に水が入ったからか、蛙の声が喧しく聞こえてくる。しばらくそれを黙って聞いている。  つと、和尚が動く。彼に珍しく真っ直ぐに射ぬくような瞳で才四郎を見下ろし口を開いた。 「しかしな才四郎。吉乃はあの見た目だ。火傷負う前は、天女と見紛う愛らしい姿であったがな。気質もあの調子だ。失礼至極と理解しているが。あれのどこが」  いいのか? と聞いているのだろう、と才四郎は理解する。自分が聞きたいぐらいだ。 「昔自害しようとした際に、思いとどまる切っ掛けをくれた者がいます」  才四郎は、酔いにまかせて五年前のあの出来事を和尚に話すことにした。 「なるほどな」  長い話となったが、和尚は何も言わず、目を閉じて静かに聞いていた。話が終わると同時に深く幾度とうなずく。  才四郎には小春と城の前で会ったとき、ああ、あの時のこどもだと、確信めいた直感があった。けれども彼女は全く自分のことを覚えていないという。旅するうちにわかるだろうと、行動してみれば、小春の行動、発言どれをとっても、あの時のこどもと被る。彼女の叔父はどう感じているのか。才四郎はじっと待つ。和尚が顔を上げて、こちらを見て口を開いた。 「それは吉乃本人ではないのか」   やはり。  途端、胸のすく思いがする。小春のことを今は誰よりも、自分自身よりも大切に思っている。しかし思い返せば、この感情は五年前のあの時のこどもに対して、抱いていた想いだ。  もし五年前のあのこどもと彼女が別人だったら………。  勿論小春への想いは変わらないが、なぜか心変わりをしたような、それを良しとしないような感情が沸き上がり混乱する。自分は五年間、あの悲しそうで、儚げであった彼女と共になりたいと、願い続けてきたのだから。こみ上げる複雑な思いを飲み込むように酒をのみ、才四郎は、 「そう思われますか」  と、だけ答える。 「言ってることが、あやつの父、兄の口癖ままであるし。笛も吹く。生まれたときから吉乃は桜のような良い香りがする。母の香のせいかもしれんが」 「しかし。銀髪。火傷を負ってない。そして記憶もないとな」  そこだ。和尚が黙る。 「吉乃の髪は昔から、鴉の羽のような黒であるしなあ。世間に疎いところはあるが、嘘をつくような者では絶対ない。だから、本当に覚えていないのだろうが。うーむ」  才四郎はふと、いつも持ち歩いている布を和尚に見せようかと思い立ち、懐に手を伸ばした。彼女があのとき最後に渡してくれた、あの桜の小さな布だ。女々しい奴と、自分で自分を嘲笑いながら、いまだに捨てれないでいる。この前ほこらで、泣きながら寝た小春の涙を拭いてやった。その時、母上などと呟いていた。もしかしたら……いやしかし。もし彼女の物と違うと言われたら? さっき飲み込んだあの答えの出ない感情が沸き上がる。……手を膝に戻す。今宵もそれを確かめることができぬままとなってしまう……。  こちらの逡巡など知るよしもない。しばらく和尚はひとり考えてごとをしていたようだが、徐に才四郎を見やり、口を開いた。 「記憶、髪のことはわからんが。吉乃は本当に火傷を負ってると、お主思うか」  才四郎は思ってもみなかった発言に、雷に打たれたような思いで顔を上げた。初めて会った時から、その衝撃的な姿に驚きながらも、そういうものだと思ってきたが。根本的なことで疑ったことなど一度もなかった。 「兄の行信も最期まで、あやつの容姿を心配していたが、それは一重に人並ならぬ美しさのことで、火傷のことなど一言も言っておらぬ。石内の城に行く際に、最後に会った筈であるが」  しかしだからといって無理やり包帯を取らせる訳にはいかないだろう。火傷を負っていないという確信が今はない。そんなことをしたら、小春の心は一生自分に閉ざされてしまう。それは避けたい。そして記憶の件もまだ分からぬままだ。  どうすれば、と、代わって黙りこむ才四郎に、なぜか明るく和尚が声をかける。 「まあ、そういう訳で。不明点については若い二人。いや、お前が解決するとして。仮に吉乃だったとする。単刀直入に聞こう」  勝手に面倒ごとを押し付けてまとめるな、と内心呆れつつ才四郎は和尚を横目でみた。さっきから和尚の発言には驚かされっぱなしだ。次は何だと身構える。和尚は、盃から口を離し、にやりと笑う。嫌な予感しかしない。 「おまえ、吉乃と夫婦になる気はないか。お前のような強く、よい男と共になるのが、吉乃にとって何よりの幸せだろう」  何を言うのだ、この御仁は。思ってもいなかった発言に、才四郎は酒を吹き出しそうになりむせた。 「は? 何を突然」  とだけ、なんとか返す。「酔っぱらいめ」とは言わなかったが明らかに気付いている様子の和尚は、むっとした様子で続けた。 「酔っての戯れ言ではないぞ。あいつが出家する前になんとか懐柔できたなら、吉乃をお前にやる。本当はここでやってもいい位だが、他の娘のように、「お前はあの者に嫁げ」「はい、わかりました」と素直に行くような娘ではない。お前も重々承知しておろう」  嬉しくないと言ったら嘘になる。出来るならそうしたい。  しかし。 「私は庶民の出。忍として生きてき参りました。想像に固くないかと存じますが、口に出来ない汚い仕事を多くしてきております。私のような下卑た身にあい相応しくないかと」  和尚がこともなさげに請け負う。 「吉乃も姫であったが、実家はすでになく庶民と同じだ。身分などない。それはあやつも理解しておる。しかもお前と言う清き水がなければ生きていけん、弱き魚のようなものだ。しかし問題もある」  と、続ける。 「お前の言葉を借りれば、吉乃はまさに強情っぱりだ。母譲りでかなりのものだ。あれの母も恐ろしく綺麗だが、こうと決めたら最後、人の話を全く聞かん。石内の殿との縁談を蹴り飛ばして下級武家の兄、吉乃の父と結ばれた。殿も最後は折れてその之定を渡して、さくらを一生守れと約束を交わしたのだが」  さらに捲し立てる。 「さらに一度共になれば一生守って行かねばならぬ。お前が息絶えたら、そこで吉乃の命も尽きる。他の女人なら、自分の命に代えて助けて、新しい伴侶を見つけてくれなど道もあるが、吉乃はあの見た目だ。そうはいかん」  そんなことは、とうに理解している。 「覚悟してなければ、ここまでこけにされて、東国に護衛にいくなどと申していませんが」  自分でも、冷静に見て自分の行動が、端からみてだいぶ破綻していると気付いている。例え滑稽でも、それは無理だと思えるようなことであったとしても、受け入れる覚悟はしたつもりだった。  五年間探し続けてきたのだ。そしてやっとそうであると思われる娘と今共にいる。そう簡単に離してたまるものか。  そんなこちらの決心が伝わったのか、ふと、和尚が表情を緩めた。そして、目を閉じる。 「そうだな。確かにそうだ。言うまでもなかったな」  なにか言おうとして止めたか、和尚は盃をぐいと空にすると続ける。 「あれも昔は今よりずっと感情豊かで、素直な明るい娘だったのだが」  ふと違和感を覚えて才四郎は和尚を見つめた。確かに見た目は昔と変わったかもしれない。昔の彼女しか知らない和尚には、いまの小春の姿は堪えきれないのかも知れない。しかし。言っておかねば。才四郎はなぜか、言い様のない強い気持ちに突き動かされ口を開いた。 「今でも、甘味を食ってるときと、怒っている時は、素直で可愛い顔をしていますよ」  一瞬和尚が、ぽかんと豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしてこちはをみた。そして事もあろうか、時と場をわきまえんばかりの声で笑い始めるではないか。 「これまた。やられたな。お主ほどの切れ者が、のろけてどうする。もう酒で腹一杯。これ以上言うてくれるな」  そこまで笑うようなことか? 可愛いあんたの姪だろう。釈然としないまま、憮然とした表情の才四郎の肩に手を置き和尚は、なぜか上機嫌で頷く。 「出家前に必ずなんとかしろ。お前ならなんとか出来る。期待しておるからな」  才四郎は依然、不機嫌な表情で面倒臭そうに答える。 「なんとかと仰いますが、そうできないので今の状況なのでしょうが」 「切り札を用意しよう。出発の日に渡す。良いところまで行ったら駄目出しで吉乃に渡せ。いいな」  このなまぐさ坊主は。 「面白がってませんか?」  酒も入っている。思わず素で聞いてしまう。 「いや。わしはいつも至極真剣、真面目その物だ。坊主だからな」  先程からあれだけ飲んでよく言う。と返そうとしたが、言ってもしようがないと気づき、口に出さず胸に押し込んだ。  かわりに空を見上げる。今宵は、春の夜によくあるように、霞むことなく星がよく見えることに気づく。特に螢惑が恐ろしくはっきりと赤く燃えている。これからの一筋縄に行かぬ道のりを示唆しているかのような……。  本当に良いのだろうか。先程和尚は、自分のことを「清らかな水」と言ったがとんでもない。はっきり言いはしてないが、自分は女人を誑かす以外に、謀略で人を欺き、盗みの回数も数知れず。殺人まで犯したことがある身だ。科者と大差ない。いつか目の前で彼女を守るためとはいえ、人を殺すことになるやもしれない。和尚殿がよくとも、あの穢れなど全く知らないような小春がどう思うか。  この空のように、遮るものなく小春に気持ちが伝えることが出来れば、どんなに楽だろうか。才四郎は黙って盃の酒を煽った。

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