第21話 いない

「魔力なんてマジであんのかよ」  早朝の涼やかな空気が立ち込める山道。目の粗い石を積み整備された階段を上りながら、清涼な空気を肺一杯に吸い込んだ継人つぐとは、吐き出す勢いとともにぼやいた。  昨晩は、一昨日同様、未明まで【魔力感知】の習得を目指し瞑想に耽っていた継人だったが、結果もやはり一昨日同様に、魔力の存在を感知するには至らなかった。  正直、未だ取っ掛かりすら掴めていない状態で、これでは徒らに睡眠時間を削っているだけだった。ぼやきたくもなるというものだろう。  鬱屈とした気分と眠気は、朝の清涼な空気を吸い込んでも、洗い流されてはくれない。  しかし、それでもポツポツと歩を進める継人は、今日もダンジョンの前に辿り着いていた。 「――……まだ、か」  昨日は先に来て、ダンジョンの入口前で待っていたルーリエだが、今日はまだ来ていないようだった。  朝早く、というアバウトな待ち合わせをしているので、お互いにやってくる時間が多少ズレるのは仕方がないことだろう。  本当は正確な時間を決めて待ち合わせしたいのだが、継人はこの世界で未だ時計らしき物を見かけたことがない。  彼が知る限り、この世界で時間を確かめる方法は、聖教会が鳴らしているという鐘の音だけだ。  日の出、正午、日の入り。一日に三度響く澄んだ音色だけが、時間を知らせてくれる唯一の存在だった。  地球から腕時計でも持ってこられていればな、と思った継人だったが、よくよく考えれば、この世界が地球と同じ一日二十四時間とは考えづらい。体感的には一日の長さはそれほど違いがないように思えるが、それでも地球の自転周期とピッタリ同じ時間というのはありえないだろう。  それなら毎日ズレる時計を持っていても仕方ない。全く使い道がないわけではないが、積極的に欲しがるほどの物ではないだろう。  そんなことをつらつらと考えながらしばらく待っていたが、ルーリエはまだ来ない。  仕方がないから時間を潰せるものでもないだろうか、と継人は広場を見渡すが、この時間では露店の一つもまだ出ていない。  いっそここで【魔力感知】の練習でもしようかと考えるも、さすがにそんな気分にはなれない。  では、どうしようかとさらに視線を巡らせていたところで、ふと一本の木が彼の目に留まった。この広場は木々に囲まれているが、その中でもダンジョンの入口から見て一番近い場所に生えている木だ。  継人はその木に歩み寄ると、おもむろに腰のナイフを抜き放ち、木に向かって投げつけた。  ナイフは勢いよく木に命中したが、幹に刺さることはなく、ガキッと鈍い音を立てて弾かれ、そのままポトリと地面に落ちた。 「……う~ん。やっぱムズイな」  投げナイフは、きちんと刃の部分が当たるようにうまく投げないと刺さらない。そのコツを掴むには、練習が必要だろう。  昨日の狩りでは、投げナイフを有効活用できなかったので丁度良い機会だ。  SSS  ナイフを三投し、それを拾いに木に歩み寄り、離れてまたナイフを投げる。  黙々とそれだけを続け、どれほど時間が経ったか。  ナイフ三本を投げれば、一本はうまく突き立つようになってきた頃合い。  時刻はもう早朝というほどではなくなっていた。事実、ポツポツと増え始めた人影が、バケツ片手にダンジョンに潜っていくのが確認できる。  継人はその様子を横目に、木の幹に刺さったナイフを引き抜きながら、 「遅すぎだろ」  と、ぼやいた。  もしかして……いや、もしかしてしなくてもこれは――、 「……寝坊か」  継人は、はあ、と一つ溜息をつくと、ルーリエが泊まっている奴隷宿舎に目を向けた。  彼はしばらく黙ってそちら見ていたが、観念したようにもう一つ溜息をつくと、頭を掻きながら、奴隷宿舎に向かって歩き出した。  木造の古い校舎――ほど巨大ではないが、どこかそれに似たおもむきがある建物。  継人がその内部に足を踏み入れると、入ってすぐ真横に受付のようなものがあった。 「……ここは奴隷専用の宿舎ですよ?」  受付にいた四十歳ほどの女が、入ってきた継人に気づくなりギョッとした顔で声をかけてきた。  魔力鉱石の買い取りをしている者達と同じベストを着ているので、レーゼハイマ商会の人間だろう。 「ああ、分かってる。ここにルーリエって女の子がいるだろ? 悪いけど取り次いでもらえないか」 「……うちの奴隷にどういったご用件でしょう?」 「昨日、あの子がダンジョンに忘れ物していったんだよ。それを届けにな」  訝しげに尋ねた女の質問に、継人は適当な嘘を並べる。  さすがに、今から一緒にモンスター狩りに行くとは言えない。 「それでしたらこちらで預かりますが」 「……あー。疑うわけじゃないんだが、自分で渡さないと返した気がしないんだよ」  職員の女は相貌に一瞬不愉快そうな色を覗かせたが、すぐに気を取り直すようにそれを消して、「わかりました」と名簿のような物に目を走らせた。  しかし、 「――え、と…………昨日は泊まってませんね」 「は?」 「ですから、昨日は彼女はここには泊まってません」 「……ルーリエだぞ? 羊人族の子供の」  そんなわけないだろう、と継人はもう一度確認するが、 「もちろん分かってます。ですけど彼女の名前は宿泊名簿にはありません。たぶん稼ぎが少なかったから、宿泊費が足りずに外で寝泊まりしたんじゃないですか? たまにあることですよ」 (――稼ぎが少なかったから宿泊費が足りない?)  そんなはずはない。確かに昨日の稼ぎはまだルーリエには渡していないが、それでも彼女の手持ちで、宿代ぐらい十分に払えるということは確認済みである。 「…………ここの一泊の値段は銀貨三枚だったよな?」 「ここは奴隷専用宿舎です」  女が即答するが、そんなことは分かっている。  継人がイラついたように彼女を睨み、答えを促す。 「……ええ、銀貨三枚です」  それはルーリエが言っていた通りの値段で間違いない。  であるならば宿泊費は問題なく払えるはずだ。昨日確認したルーリエの所持金は銀貨九枚、なのに銀貨三枚の宿泊費が払えないなどありえない。 「……本当に泊まってないんだな?」 「泊まってません。きっと広場のどこかで寝てると思います。外を捜してください」  女が露骨に迷惑そうな表情を作って、言外に出ていけと継人に告げる。  言われるまでもなくルーリエがいないのならば用はない。継人は奴隷宿舎を後にした。 (どういうことだ? なんで泊まってない?)  混乱しながらも、継人は広場を見て回る。  職員の女が言っていた通りに理由があって外で寝たのかもしれない。  例えば金を落としたとかだ。ありえない話ではない。  しかし……いない。  どの建物の陰にも、裏にも、ルーリエはいない。  確かに外で寝ていた借金奴隷も四人いたが、全員が男だった。 「どうなってる……」  捜しても捜しても見つからない。  次第に継人の中に、焦燥とともになんとも言い表せない嫌な予感が募っていく。  そんな予感から目を逸らすように、広場を隅々まで回り、広場を囲む木々の間にも目を走らせていく。そして、遂には広場を数週し、もはや捜していない場所がなくなるに至って、継人はようやく確信した。 (ここにはルーリエはいない)  まず、なぜ? という疑問。次にどこへ? という疑問。疑問疑問で混乱しかかる頭をなんとか治めて、継人は思考を巡らせる。  シンプルに考えれば、この広場にいないということは、どこか別の場所にいるということだ。そして、ダンジョン前の広場から、別の場所に移動しようと思ったとき、選択肢は大きく二つしかない。  一つは広場の端にある階段を下って街に向かう、というもの。  昨日継人と別れた後に、ルーリエも街に下り、そのまま日が暮れてしまい戻れなくなった。彼女が街に下りる理由は分からないが、考えられない話ではない。  その場合は、彼女は借金奴隷なので宿も取れずに野宿したということになるが、この広場にも野宿をしている者がいることからも分かる通り、外で寝たからといって凍え死ぬような気候ではない。寝床にしたってルーリエほど体が小さければ、どこにでも隠れて眠れるだろう。  さらに言えば、ルーリエは継人を冒険者ギルドに案内できるほどには、街の地理にも精通している。故に彼女が街で迷子になるようなことも考えづらい。  つまり、街に下りてルーリエに何かがあったという可能性は低い。だったら何事もなく彼女は姿を現すはずだが現実はそうなっていない。  ということは、ルーリエが街に下りた可能性自体が低いということだ。 (――だったら、もう一つが……)  継人は街の方角に向けた視線を百八十度滑らせる。  視線の先には、五メートル近い幅を持つ百段あまりの階段。  モンスターが跋扈ばっこする危険地帯へと誘う入口。  もう一つの選択肢はここ――ダンジョンしかない。 (ダンジョンに潜ったまま帰ってない? …………昨日から?)  その考えに至った瞬間、継人の背筋に悪寒が走る。  馬鹿な――と思いながらも、継人はダンジョンに向かって駆け出していた。  一人でモンスターを狩りに行くな。昨日、継人はそう言い、ルーリエは同意した。きちんと約束したはずなのだ。それなのに彼女は一人で行ってしまったのだろうか? しかし、約束した端からそれを破るような真似を彼女がするだろうか? 自問してみるが、継人にはルーリエが約束を破るイメージが持てない。  なのに――嫌な予感が拭えない。それどころか、どんどんそれが膨らんでいく。 「……はあっ、はあっ、はあっ」  魔力鉱石採掘場広間。見慣れたそこに辿り着いたときには継人の息は上がっていた。  肩で息をしながら、広間の中を見て回る。寝ぼけたルーリエが何かの間違いで採掘をしているのではないか。そう淡い期待を込めて視線を巡らせる。 (――いない。いない。いない)  しかし、やはり、いない。この広間にもルーリエはいない。  それでも諦めきれずに、継人が縋るような思いで視線を走らせていると――、ある一人の男とバチリと目が合った。  三十歳前後の、なんでもない、至って普通の採掘人に見える男。  男は継人と目が合うなり、露骨に視線を逸らしたが、それでもすぐにチラチラと継人に探るような視線を寄越してきた。  なんだ? と継人は訝しみながら男を注視する。 名前:テムサス 職業:借金奴隷『レーゼハイマ』所有  ルーリエと同じ、レーゼハイマの借金奴隷のようだ。  ならば彼女の顔ぐらいは分かるかもしれない。 「なあ、あんた。ちょっといいか。この辺りで羊人族の女の子を見かけなかったか? ルーリエって名前で、あんたと同じレーゼハイマの奴隷なんだけど」  継人がそう尋ねると男は気まずそうに目を逸らした。  その反応に嫌な何かを感じ取り、継人は男に詰め寄る。 「おい、何か知ってんのかっ?」 「……い、いや、その、……あの子なら、昨日ダナルートに……」  予想もしていなかった――しかし、最悪な名前が出たことで継人の頭に一瞬で血が上る。 「ダナルートッ? あいつがなんだ!? ルーリエはどうしたッ!?」 「……昨日、あの子供がダナルート達と揉めて、それで……ダンジョンの奥に連れていかれて」  そう言って男は広間の奥――五つの分岐へと延びる通路にチラリと目を向けた。 「連れていかれて……? 連れていかれて、それでどうした……?」 「し、知らんよ。しばらくしたらダナルート達だけ戻ってきて、あの子供は戻ってこなかった」 「ふっざけんなッ!!」  継人は男の胸倉を乱暴に掴み上げた。 「いつだ! それはいつだ! いつから戻ってないッ!!」  八つ当たりだと分かっていても、そんな場面を見過ごし、今のうのうと語るこの男に憎しみが沸く。 「ぐ、き、昨日の……夕方ごろで、その後は知らない」  昨日の夕方――もう半日以上前である。半日以上経っても戻っていないのだ。モンスターが蔓延るダンジョンの奥から。 「そ、そんな怖い顔されても俺は関係ない。だ、大体お前だよな? この前ダナルートと揉めてたタグ無しって。そのタグ無しはどこだとか、そいつを出す出さないで揉めてたんだから、あの子供に何かあってもお前のせいだろうよ」  その言葉を聞いた瞬間、継人は胸倉を掴んだ手から力を抜いた――いや、力が抜けた。 「…………俺のせい?」 「そ、そうさ。やっぱりお前があのときのタグ無しか」  継人は茫然としかけるが、すぐに頭を振った。自責の念に駆られている場合ではない。今は一刻も早くルーリエの元に駆けつけなければならない。  継人は男の前から踵を返すと、広間から延びる一本の通路に向かって走り出した。  ルーリエが連れていかれたというその通路の先は、五つに分岐しており、複雑に入り組んだ作りになってはいるが、その実、どこにも道が通じていない袋小路である。  彼女が連れていかれたまま戻っていないのだとすれば、間違いなくまだこの先にいるはずなのだ。  通路を走って走って走って、分岐が見えた瞬間、 「ルゥゥリエェェェェェッッッ!!」  継人は思いっきり叫んだ。  洞窟の壁面に叫び声が反響し、こだまし、ダンジョンの奥へ奥へと声が伸びていく。  そして、その声に返事がくることを期待して、継人は荒れる息を必死に押し殺しながら耳を澄ませた。  が、声が伸び、薄れ、消えていった後に返ってきたのは、耳が痛いくらいの静寂だけだった。  継人はもう一度相棒の名を力の限り叫んだが――やはり結果は変わらない。  もう彼は何も考えなかった。  尻ポケットを探り、そこにあった折り畳まれた地図にザッと目を通すと、五つある分岐の左端の通路に飛び込んでいった。  小さな小さな相棒の姿を求めて――。  一方、採掘場広間では……継人にルーリエの情報を教えた男が、ほくそ笑みながらダンジョンを後にするところだった。

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