ファースタンバーグ家(後編)

 ファースタンバーグ家は東テネシーの山奥、ワトゥーガ湖のほとりにある。  ワトゥーガ湖は複雑な地形を持つ湖だ。  それもそのはず、この湖はダム湖で、建設開始は一九四二年、第二時世界大戦と太平洋戦争の煽りを食らって一九四六年まで建設を中断し、一九四九年から運用を開始された。下流のエリザベストンを洪水から守るためと、周辺に電力を供給するために建設された。  南岸にはチェロキー国立公園が隣接するこの緑豊かな東テネシーの避暑地周辺に、黒エルフたちの住居は点在している。  涼しく緑豊かで、水量も魚の種類も、山の恵も豊富なこの湖周辺は、富裕層の避暑地として人気が高い。  未だに狩猟採集で生活している黒エルフも多いが、世界経済が大きく上向いた一九七〇年代以降は、家族ぐるみで貸し別荘やアクティビティ施設を経営するものも少なくはない。そしてほぼすべての家族が、金融取引を副業にしていた。  ワトゥーガ湖北岸のバトラーはそういった黒エルフたちの東テネシーでの経済中心であり、観光に来る他の種族に対するウェルカムセンターとなっていた。もちろん、ダムの底に沈んだオールド・バトラーから移住した住人もたくさんいる。  リドリー・ファースタンバーグとその一家が住む家は、バトラー中心街から四〇分ほど歩いたところにあった。 ◇  休暇をもらったときの俺たちの動きはだいたいこうだ。  一日目は|駐屯地《キャンプ》周辺でゆっくりし、二日目午後にファースタンバーグ家へ。その日と三日目は親父さんや義姉さんと当たり障りのない会話をして過ごし、四日目朝に次の目的地へ。  一週間以内の休みであればそのまま駐屯地に戻ったり、そもそも駐屯地の周辺から動かないこともあるが、十日以上休みをもらってるときは旅行に行ったり、俺の実家に戻ったりする。  中佐殿と休みが重なったときは、休み明け二日前に一緒にバーベキューするってのは前にも言ったとおりだ。  で、休暇三日目の今日。  俺とミスター・リドリー、ヴィクトリア義姉さんは、世界でも有数の厳重な身辺警護のもと、当たり障りの無い話をしながら、小さなヨットを浮かべて釣りをしていた。  まぁその。  現役上院議員とその後継者と、海兵特殊部隊員が。  政府の政策や世界の安全保障状況を。  株価推移と一緒に語ることが。  『当たり障りのない会話』に該当するかどうかについては、見方によって異なるだろう。  なもんで、俺がファースタンバーグ家に行くときは、CIAだのDIAだのNSAだのなんだのの見張りが、ごっそりついてくるのがお約束だった。  でも株式投資だのなんだの、カネでカネを買って増やすってのは、どうも俺にはピンとこない。  畑耕したり自動車直したり、衣服や家具を作ったり、あとはせいぜい新兵怒鳴りつけたり、俺の身の丈に合うのはそういうのだ。  それに俺が票を入れるのは、決まって共和党の、海兵予算か農業振興予算を維持または増額してくれる議員だけ。  ミスター・リドリーも義姉さんも、それはよく知っていた。  だからあんなあけっぴろげな話をしてたんだろうな。  もちろんここで言えるような話じゃない。  むしろ俺たちを監視してた連中のほうがダメだったんじゃないかなぁ。  おととし不正投資取引で捕まったFBIの職員、あいつなんか明らかに俺たちの会話を盗聴してて、それを生かしてたとしか考えられないもの。  ちなみにレイザーは、故郷の森で羽を伸ばしてウサギやイタチを追い掛けつつ、各局の監視員や工作員たちに密林での|標的追跡《マントラッキング》の実地講習を付けてやっていた。  一度だけつき合ったことがあったが、その時のあいつの表情と来たら、まるで獲物をいたぶる山猫だ。  興奮しっぱなしのレイザーと過ごしたその夜はえらく盛り上がったもんだが、その話はまた今度。 ◇  さて、釣りを楽しんでいた俺だ。  八〇センチはあろうかというマスを捕り逃し、ミスター・リドリーにからかわれたところで、いきなり言葉の短剣を突きつけられた。 「それでジョニーは、いつになったらあの子と結婚してくれるのかしら?」  ヴィクトリア義姉さんの言い方は、いつも唐突で直截的だ。  レイザーのようにまわりくどい言い方はしない。  だから俺は義姉さんと話すときはお茶やコーヒーを口に含まない。  いやそもそも俺たち|ぶよぶよ野郎《スライム》に、口も何もあったもんじゃないが。  ミスター・リドリーは? わかりきったことを聞くなよ。 「う、あー」 「言わなくてもわかっているわ。あなたはずっと海兵をしていたい、あの子はあなたから離れたくない、でも結婚したらどちらかは引退しなきゃいけない。それで決めあぐねてるんでしょ?」 「……イエス、マム」  義姉さんはいたずらっぽい笑顔を浮かべたまま俺を見つめている。  俺はレイザーそっくりのその笑顔にすっかり参り、ミスター・リドリーに助けを乞う視線を送った。  彼はきっちりなでつけた白髪をきらめかせ、戦時中の苦労が刻みつけた顔面の皺をさらに深くさせながらこう言った。 「私は別の意見がある」  重々しいその言葉に、俺はホッとした。  年上の重い言葉はそういう効果がある。 「私が君たちを海兵から追い出そうとしてから十二年が過ぎた。今さら君たちの出世を邪魔するものは、そうはいないだろう」 「つまり?」  レイザーを出世させて、俺はその副官。  それに賛同してくれるもんだと、俺は思った。  甘かった。 「とんだ跳ねっ返りだが、それでもアレは私の可愛い愛娘だ。婿になる男はそれなりの男であってほしい。たとえそれが下っ端少尉であっても、アレの母は冥府で喜んでくれる」  真面目くさった顔つきでそう言ったミスター・リドリーは、俺に振り向いてからニカッと笑った。 「いやしかし、これを言うのに十二年も待たされるとは!」 「仕方ありませんよ。あれであの子は、なかなか本音を言わないし。それに未だにジョニーたちに嫌がらせをして、お父様に忖度した気になってる馬鹿な人たちもいるんですもの」 「昨晩、アレから内緒の相談があると聞いたときは、まぁ嬉しかったような、ついに来る日が来たかという気になったが」    ファースタンバーグ親子が嬉しそうに笑うのを見て、俺はあっけにとられた。   「ええと、その、」 「君も鈍いやつだな、ジョニー。いや、そこが君のいいところなんだが」 「あの娘はどんな道筋を辿ろうとも、あなたと添い遂げると、もう一度腹を括ったわ。ところであなたはどうなのかしら? 私達はどうせなら相手は将校がいいと思ってる、っていう話」  ヴィクトリア義姉さんはそう言ってから、もう一声笑った。  ヨットの舷側に掛けられたミスター・リドリーの竿は、大きくしなっている。 ◇  その日の昼食は新鮮なマスと、レイザーが獲ってきたウサギをご相伴にあずかった。  それから初夏になりゆく日の下で、執事の爺さんに何度もぶん投げられて汗をかき、俺はシャワー代わりに庭先から直接湖に飛び込んだ。  ひんやりしていい気持ちだった。  見上げると青空が広がり、鳶が翼を広げてたゆたうようにして飛んでいる。  視界の隅の雲の色が黄色くなり始めていた。  そのままプカプカ浮いていると、俺のピンクの肌を下からつつく感触がする。  このあたりにスライムはいないから、魚たちが興味を持ったらしい。  くすぐったい感触に身を委ねたかったが、あんまり調子に乗らせるとかじられちまう。手を伸ばして魚を追い払っていると、大きな水音が屋敷の方から聞こえてきた。  水音は俺の直ぐ側までやってきて、そこで止まった。 「なんだか妙なことになったな?」  と、俺は振り向かずに言った。 「そんなことないさ」  と、水音の主は答える。  レイザーだった。 「どっちかが将校過程に進んで、そのほんの少しの間、一緒に任務に出れないってだけ。なんにも変わってないよ」 「そうかな」 「そうだよ」  レイザーの声にはわずかに陰りがあった。   「おにい、あのさ」 「おっと、謝ろうったってそうはいかんぞ、二等軍曹。お前の理屈に従えば、俺はお前に相談なくお前を将校にしようとした。お前は俺に相談なく、親父さんと義姉さんを焚き付けて俺を将校にしようとしてる。そこになんの違いがあるってんだ?」 「……でも、ちょっとやりすぎたかなって。怖くなっちゃって」  レイザー、いや、エリザベートの声は儚げで、俺はそれで初めて振り向いた。  黄金色の夕日に照らし出された彼女は、例えようもなく美しかった。  その彼女を泣かそうとしている? 俺が? 馬鹿なことを。 「おいで、エール」  レイザーでも、エリザベートでも、エリーでもない、秘密の呼び名。  俺は何本か腕を伸ばしてひっぱり、彼女を腹の上に抱え込んだ。  エールは顔をくしゃくしゃにしていた。 「お前が俺とちゃんと結婚したいって決めてくれたこと、すごく嬉しかったよ。ごめんな、俺はお前にずっと甘えてた」 「うん」 「俺はもう三六歳だ。これから将校になったって、五五歳までに大尉になれるかどうかもわかんないからさ。それで腰が引けてたのはマジな話だ」 「うん」 「でも、親父さん方が俺を将校にしたい気持ちもよく分かる。みんな俺にはうまいこと隠してるけど、将校でもない、それもスライムなんかに下の娘を取られてとかなんとか、周り中から陰口叩かれてるのは予想がつく」 「……うん」 「だから、お前と親父さんたちに報いなきゃいかんと思うんだ、いい加減。……嫁になってくれとは言わないよ、お前は本当は男なんだから。ただ、改めて言うよ」  それで俺は大きく息を吸い込んだ。 「将校になった俺の、生涯のパートナーになってほしい」  こういうときって、案外勇気がいるもんだ。  だがそれ相応の報いはあったように思う。  俺たちの会話はミスター・リドリーたちにしてみれば、たとえ屋敷の中にいようとも眼の前で話ししてるのに等しいもんで、その日はどえらく豪勢なディナーをたらふくごちそうになった。  おまけに次の日、エリザベストンの街まで降りてってトリ・シティーズ空港に行く道すがら、出会った黒エルフはレイザーにもにこやかに会釈をしてくれた。  純血主義がどうのと言ったって、一族が滅んじゃ話にならない。  少子高齢化に悩んでいるのはアーミッシュだけじゃないからな。  そんなふうにレイザーは説明し、俺の耳(らしきもの)に唇を寄せて囁いた。 「落ち着いたら、いっぱい子供作ろうな、おにいちゃん」  そんときゃぜひ、昨日着てた超際どい水着で誘惑してくれ、って言ったら顔真っ赤にしたレイザーにしこたまぶん殴られた。  いやまぁそこはひとつ、お約束ってことで。

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この作品の評価

124pt

かわいい……みんなかわいい……

2019.09.05 09:36

榊亮

2

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ああ、ついにお二人が結婚! 13年もなんと一途なこと!(笑)

2019.08.16 15:37

機人レンジ

1

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