Part 5-3 Feel Stifling 息苦しさ

Caribbean Sea Offing 14:05 Jul.18th 7月18日 午後2:05 カリブ海 沖合  瑠璃《るり》色の瞳を丸々と見開いて黒いガスマスクを着けたマリーは、じっと大人達を見つめていた。  まだ迷彩戦闘服の意味も分からない幼い少女が立ち尽くすのは、見掛け上の家具が置かれたボクシング・リングよりひとまわり大きな部屋だった。  その奥角の一つ──そこにじっと立って部屋に入ってくる男達のすべての動きを眼に焼きつけるようにとドール大尉から言い渡されていた。  部屋にあるドアは二ヶ所。そのどちらのドアの傍らにも黒い眼出し帽を被った古参の軍曹がマリーにはAKMと教えられた銃を手に息を殺している。  何の前触れもなくいきなりドアがわずかに開かれ室内に手が差し込まれた。その手には小さな筒のようなものが握られているとマリーが眼に止めた瞬間、手首はスナップを効かせその筒が部屋中央のカーペットの上に投げ出された。  その転がる金属の缶が毛足に勢いを失いながら止まる直前にレバーが微かな音を立て壁まで弾け転がった。直後に何が始まったのかマリーにはまったく理解出来なかった。  今まで聞いたことのない大きな叩きつけてくる音の波に身体を揺すられ、太陽を見上げた時よりも真っ白な光が眼に刺さってきた。  その繰り返しが何回続いたかも分からない内に唐突に一切の刺激が消え失せた。部屋の中はねずみ色のガスが溢《あふ》れ隅々まで広がり流れ重なり入れ替わり渦を巻きうごめいていた。  その霞《かす》んだ視界の中を銃を構えたマリーと同じガスマスクを着けた男達が凄まじい速さで駆け抜け“クリア!”の鋭い声が連呼した。煙の合間から見える床には銃を奪われ組み伏せられながら背中に両腕を回された軍曹達二人がマリーには目がちかちかしながらも見えていた。 「マリー──これがハ──ス・アタック──インドア・アタ──クとも──うんだ」  マリーはドール大尉が耳元で大きな声で話してくれているのに途切れとぎれにしか聞こえなかった。両方の耳にはまるで教会の鐘が入り込んだみたいに音が鳴り響いていた。連続する爆発音の共鳴の余韻にマリーは自分でどれくらいの声を出しているのか分からずにドール大尉に尋ねた。 「ねェ、ドール、わたしのみみにめちゃくちゃうるさいようせいがはいりこんでるの! どうしてゆかではなびにひをつけたの?」 「マリー、あれは花火じゃないよ。あれで部屋の中の敵の目と耳を麻痺させて動けなくするんだ。フラッシュ・バンって言うんだよ」 「ふらっしゅ⋯⋯ばん?」  マリーは早くやかましい妖精達が耳から出ていってくれないかと願いながらまた新しく教えられた言葉を呟《つぶや》いた。  直後、マリーは耳を被《おお》った掌越しに打ち付ける連続した凄まじい爆発音に襲われ、瞼《まぶた》を閉じているのに刺さってくる真っ白な明かりに曝《さら》された。  音響閃光手榴弾!  いったい誰が?  少女達?  マリーは疑問に感じながらも次に起こりえる事を同時に導き出した。そうして薄目を開けると思った通り目の前が灰色の煙りで覆われかけ角膜が早くも刺激を受け始め涙があふれてきた。複数の男女の怒号や悲鳴が立ち上がる中、マリーの集中力は全開になっていた。  間を入れず涙でかすむ薄目で何処を見ても煙りばかりの視界を探る最中、様々な方向から不規則なタイプライターを打つような音が聞こえだした。  誰かが|消音器《サプレッサー》越しに射撃をしている!  マリーはその考えに鳥肌だった。人が倒れるときの肉が床に叩き付けられる音を四、五回耳にしてマリーはハイジャッカー達が手にしていたアサルトライフル独特の間延びした射撃音をまったく耳にしてない事に気がついた。  それでもいずれ誰かが銃を乱射する。火線が交差するこんな中央に突っ立っていてはいけないと叩き込まれていた本能が彼女に最大限の警告を発していた。  マリーは姿勢を高くしている危険性を避けるため急いでしゃがみこみ中腰のまま壁を目指した。その時、一瞬自分の方へ闇雲に進み出てくるハイジャッカーの一人が見えマリーは反射的にその男のみぞおち目掛け拳を打ち込めるように身構え下半身のバネをため込んだ。  だが、うねった煙りに再びその男がシルエットになり、さらにその背後に別の黒い人影が素早く回り込みカラシニコフを手にしていた男の後ろから首筋に両腕を伸ばし何かを構えるのが見えた。直後タイプライターの打刻音が二回。  タップシュート!  確実に射殺する為に瞬間に二度以上射撃している。それも撃たれる敵が反射神経で銃を暴発させない様に延髄《えんずい》を狙う特殊な射撃。  そして人が崩れ堕ちる音!  涙を一筋流したマリーの直ぐ近くで誰かが鋭く声を放った。 "CHECK !"(:報告!)  マリーはその唄う様な声に聞き覚えがあったが状況を認識する事で手一杯だった。直後呼応したように煙りの様々な方向から明快な声が続いた。 "C3,T4──KIA !"(:コマンド3 ターゲット4 即死!),"C2,T6──KIA !","C5,T2──KIA !","C4,T1──RERA !"(:コマンド4 ターゲット1 拘束!),"C6,T5──KIA !","C7,T3──KIA !".  射殺、射殺、射殺──その言葉がマリーの頭の中にリフレインのように繰り返され、彼女は跪《ひざまず》き両手で頭を抱きかかえ沸き上がる怒りに身を震わした。  私がなぜ、十六歳の時にあの部隊へ背を向けたか。  怒りと絶望に鐘を三度鳴らしプロテック・ヘッドギアを床に叩きつけ父の思惑を睨《にら》みつけたあの瞬間──蘇って来た切り裂くような悲しみに嗚咽《おえつ》を漏らしそうになった彼女の周囲で煙りが急速に薄れ始めた。誰かが窓を開き風を通していた。 「馬鹿野郎──」  押し出すように言葉を吐きながらマリーが顔を上げ立ち上がり最初に眼にしたのは、人質を懐抱する黒ずくめの七人の特殊部隊兵だった。  彼らは一見して彼女の見知る特殊部隊兵とは異なっていた。特別なヘッドギアを装着しており顔面も完全に被われている。だが身体に密着したフロッグメンのようなコマンドスーツの体形から男女混合の部隊であることがマリーには分かった。  いかなる時も危険度を掌握《しょうあく》しなくてはならないと遥か以前に条件反射になるまで鍛えられたマリーは彼らの火器へと無意識に視線を定めた。  特殊部隊兵の太股《ふともも》横のホルスターに装着する武器がパティから教えられた短機関銃──P90の銃口にバトンの様な|発砲音抑制器《サプレッサー》を付けたものだと怒りの中にいながらマリーは冷静に分析していた。  彼らのその様は彼女の知っているどんな戦闘服とも異なっていた。  彼女は顔をめぐらし涙のあふれ続ける眼で近くの特殊部隊兵を見た。それは女だった。兵士離れした長身モデルの様な優美なボディラインをしたその兵士は下げた右手にまだ短機関銃を握り締めていた。  その兵士が足を動かしたのでマリーは足先に眼を向けた。そこには一人のハイジャック犯が倒れており後頭部の下に早くも血溜まりが広がっていた。女兵士はまるで汚ならしいものでも触れる様に爪先で倒れた男の覆面をずらし顔を確認しようとしていた。  死体だから足で、とそれを見てマリーの怒りがさらに湧き上がってきた。 「人質となった者の中に具合の悪い者はいるか?」  その女兵士が突然顔を上げ唄いかける様な声で問うた。  人質となっていた人々から返事はなかった。その時人質の一人が立ち上がり女兵士に話しながら近付いて来た。 「助けてくれて有り難う。見事だった。私は合衆国上院議員のエディ・オーエンだ。君達は何処の所属か? 陸軍か? いいや海兵隊なのか?」  マリーが視線を向けると恰幅の良い六十代前半の赤ら顔をした男だった。マリーの視界の端で議員に話し掛けられたヘッドギアに片手をかけた女兵士。持ち上がってゆくヘルメットの下からあふれ出す見事なウエーブの掛かったブロンドの髪。  フローラ・サンドラン!  愕然《がくぜん》として振り向いたマリーの前にNDC・COOがいた。  フローラは引き締まった顔をすぐさま穏やかに変えると上院議員と話しだした。だが目には不測の事態に備えるとでもいうような緊張感が滲《にじ》んでいた。 「オーエン上院議員、我々は貴方を救う為にこの事案に迅速な対応を致しました」 「君──NDC社長の、確か──サンドラン」  上院議員の声は震えていた。フローラはまたニコリと微笑んだ。だがどこかしら機械的で氷の女王のような笑みだった。 「我々はモーリス副大統領のみが存じ上げる私設特殊部隊です。いわゆる非公開のPMC(:民間軍事企業)。ですからこの事はあらゆる機関やマスメディアへご内密に。副大統領にお会いする機会があればお礼ぐらいはかまいません。守れないとあらば──我々は今この場で貴方の口を永久に塞ぐ事もいとわない──」  フローラの置いた間に上院議員は荒い息のまま彼女を凝視していた。その呪縛を弛める様にフローラは話を続けた。 「間もなく合衆国海軍の艦艇が到着するよう手配してあります。謎の集団からハイジャッカーらが突然襲われたとご説明を御願い致します。生かして拘束した一名は軍に引き渡して下さい」  フローラは唄い上げると上院議員から顔を逸らし人質達の方へわずかに顔を振り向けた。 "We're retrdating !"(:撤収する!)  彼女は鋭く言い放つとヘッドギアを左手で小脇に抱え出入り口へと振り返り歩き出した。その背にマリーは叫んだ。 「待って! フローラ!」  だが彼女は振り返らなかった。声を張り上げたせいで荒く息を吸い込んだその時マリーは唐突に一つの違和感を感じ取った。  あれだけの煙りを吸ったのに一度も息苦しくなかった。  多くの場合SWATが使う音響閃光手榴弾は人質に危害が及んだり犯人への人権に配慮してあり、それに比べ軍の特務部隊が使うものが出すスモークはとんでもなく息苦しい。鎮圧が目的でなく圧倒的な制圧が狙いなので仕様がまったく違う。  少女のころ訓練施設でガスマスクを奪い取られ同じ煙りを吸い込み胸を掻きむしった記憶が鮮明に蘇った。それなのに眼だけが刺激され続けている。  これは何なの?  突然にフローラがオフホワイトのスーツ姿でガラステーブル越しのソファーに腰掛けている様が眼に飛び込んできた。 「マリー、貴女はあそこに居合わせたのよ。息苦しさを除けば」  パティの声に横を振り向いたマリア・ガーランドは彼女の額から手を離した少女が恐ろしくなり反対のアリッサの方へ身体を逃がした。

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