9話 マンティコアとの決着と、その正体

『グオアアアアアアア!!!』  半狂乱気味に吠えるマンティコアが、腹部から血を滴らせながら飛びかかって来た。  セナを抱えた俺は、横に跳ね飛んで攻撃を回避する。  それとほぼ同時に、顔だけをこちらに向けたマンティコアが何かを唱えた。 『──!』  元は言語だったと思しきそれは、今や腹部から滴る血潮と激しい痛みからか、濁った咆哮にしか聞こえなかった。  それでも発動しつつあったマンティコアの魔術に、俺は思わず舌打ちをした。 「ああそうだ、そりゃ魔術くらい使うよな! そういうもんだった!!」 『グオオオオオオ!!!』  放たれた火攻術数発に対し、セナを抱えながら拳を打ち鳴らした俺は、召喚した鎖の端を背後の壁際に突き立てた。 「縮めッ!」  操作した鎖を右手に巻きつけて縮め、俺はその勢いで速やかに後方へ離脱していく。  魔術の基本にして最奥は想像力《イメージ》と言われている。  封印術の鎖でも、こうして想像力《イメージ》次第でいくらでも応用が効く。 「ジーク、無事ですか!?」  鎖を手繰り寄せて強引に着地すると、後ろからリアナが追いついてきた。 「俺は大丈夫だ、それよりセナを!」 「……っ! 分かりました!」  腕の中にいるセナをリアナに渡そうとしたら、セナが小さく身じろぎした。 「ううっ……ジーク、くん……」 「よかった、意識が戻ったか」  セナはぼんやりと俺を見つめながら、力なくにへらと笑った。 「ごめん、しくじっちゃった……。街中にいないなら、もしかして地下かもって思って。でもいざマンティコアに出くわしたら、こんなになっちゃって。……抱っこされてるみたいだけど、助けに来てくれたの?」  眠たげな半眼のセナは、小さく首を傾げた。  俺は首肯を返し、力強く言った。 「当たり前だろ。知り合いが目の前で食われかかってたら、助けるに決まってる!」 「……そっか、ありがとね。ジークくん、ちょっと怖いけど、やっぱりこれからもいい友達でいれそうだな……って……」  セナは消え入るような語尾を残し、また意識を手放してしまった。  それでも様子からして、少し休めばまた起きるだろう。  こうなったら……もう、覚悟を決めてやるしかない。 「リアナ、セナを連れて外に出られるか?」 「可能ですが、ジークを置いて行くことはできません。相手は複数の正規召喚士を相手取った個体、いくら手負いでも、一人では荷が重いかと」 「任せろよ。俺はあんな奴にはやられない、心配しすぎだ」  強気に言い切るが、リアナは強い意思を瞳に灯していた。  俺が残るなら自分も残るまで、か。  それでも、今はセナを連れて行って欲しいところだ。 「リアナは長く水を操って消耗してるだろ、今十全に動けるのは俺だけだ。それにあっちも簡単に逃してくれなさそうだし、どのみち殿は必要になる」 『ゴアアアアア……!』  マンティコアの殺気が、鈍重な唸り声と共に膨れ上がっていく。  後先を考えなくなった手負いの獣ほど、恐ろしいものもない。  こんな狭い場所でやたらと暴れられたら、それこそ動けないセナを守りきれるかどうか。 「……頼む、行ってくれ」  マンティコアと睨み合う俺に、結局折れてくれたのか。  リアナは数秒黙り込んだ後、静かにセナを背負った。 「……確かに、確かに働いて欲しいとは言いました。それでも、こんなことになるならいっそのこと、あのままふて寝させていた方がよっぽど良かったです!」 「すまん。でも……後で追うって約束する、今はそれで許してくれ」 「その約束、違えたら貴方が霊魂になっていても、追いかけてお説教ですからね!」  さらっと恐ろしいことを言ってのけたリアナは、セナを連れて外へ向かっていった。  さて、これで俺とマンティコアで完全に一対一。  後は互いに、命を削るのみ。 「なあ、さっきから唸ってばっかりだけど、もう心も言葉もなくしたか?」 『グルルルア……!』 「……そうか。しかしそれにしても、お前も死んでた魔物も、ケルベロスも。皆纏めて哺乳系魔獣だ。節足系はもちろん、爬虫系がいないってことは……あの名乗りからして、やっぱりそういうことなんだな?」 『グオオオオオオ!!!』  今の言葉が奴の怒りに触れたのか、はたまた単に痺れを切らせただけか。  マンティコアは嘶き、大口を開けて突進してきた。 「もう話もできない、意識もなくて完全に化け物になったって言うなら……ああ。今すぐ解放してやる、ちょっと待ってろ!!」 『オオオオオオ!!!』  馬車を優に上回る体躯で突進されれば、俺の打てる最初の一手は回避に限られる。  さっきみたく鎖を壁に突き立て、立体的な動きで回避を試みた刹那。  マンティコアが踏み砕いた歩行路の破片が、水しぶきと一緒に散っていく。  あんな筋力で一撃もらえば、その時点で負けが決まる。  だが、怯んでいてはどうにもならない。  こちらも攻めに転じようと、壁際を蹴って接近し── 「ラァッ!」  ──封印術の鎖を巻きつけた正拳突きを叩き込む……が。 「やっぱ硬いな……!?」  マンティコアの肌も筋肉も並々ならぬ強度であり、相手の魔力を抑える鎖を巻きつけた拳程度では、かすり傷がいいところだった。  寧ろ初撃で奴の腹に大穴を穿てたのは、怒り任せの馬鹿力と渾身の魔力激発があったからこそと言っても過言じゃない。  兎にも角にも、複数の正規召喚士の追撃を振り切った個体というのは伊達ではないらしかった。 『グオオオオオオ!!!』  もう魔術を使う頭すら残っていないマンティコアは、俺を追ってひたすら暴れた。  脇腹に空いた大穴から、垂れてはいけないものが見えても御構いなしだ。  攻める隙もなく避けるのに精一杯な俺も、疲労の蓄積で次第に追い詰められていた。 「こいつ……ぐっ!?」  瓦礫の破片を蹴りつけてきたマンティコアは、もうこちらの動きを捉えかかっていた。  こいつの学習能力は単なる魔物の比じゃないし、体力だって見てくれ以上に残っている。  さっきは適当にいなしていればいいと考えていたが、そんなの冗談じゃない。  ……ああ、それもそうだ、少し考えれば分かる話だった。  名乗られた通り、こいつは素体で全身強化済みの魔獣化兵。  それはつまり、並みの攻勢術なら数発の直撃にだって耐えられるようになっている訳で、原種のマンティコアとは違うものだ。  このままだと、あっちが力尽きる前にこっちがすり潰される。  鋭い爪が頬を掠める熱に、こうなったらやむなしと、俺は奥の手を解き放った。 「封印術・鎖縛! 改──!!」  魔術の改造、即ち、我流術の行使。  定型魔術《テンプレ》を外した魔術の改造は、ある種の賭けだ。  魔力の大量消費はもちろん、失敗時のリスクも半端なものではない。  最悪、その手のプロでさえ魔力が暴走して、自爆死することもある。  それでも鍛え続けた封印術の腕なら……不可能なんてことはない! 「──螺旋錠ッ!!!」  マンティコアの足元から鎖を四本、八本、十六本と次々に召喚し、螺旋階段状に巻きつける。  奴の素早い身のこなしに数本外したが、それでも回避が限られる狭い地下空間が幸いし、十本近くは当たっていた。 『ゴルルルルルル!?』  突如として動きを封殺されたマンティコアは、全身の筋肉を隆起させて大きく暴れた。  だが、鎖の拘束は緩まない、緩めない。  逆に螺旋状の鎖で奴の総身を締め上げ、鎖の擦れ合う火花を散らせて奴の呼吸と骨を断ちにかかる。 「逃すか、絶対に離さん!!」 『グオオオオオオ!!!』  怒りの怒号を上げるマンティコアだが、最早自由に動く箇所はほとんど残っていない。  決死の賭けが成功したこともあり、勝機が見えかける。  それでも、敵も然るもの。  混濁した意識が多少戻ったのか、口元を歪め、魔術詠唱を開始した。 「此の期に及んでまだ……ぐあぁっ!?」  集中力を封印術に割いていたこともあり、こちらはもう、放たれた魔術の炎弾を満足に回避することもできない。  左二の腕を大きく焦がされた俺は呻きながら、このままジリジリ締め上げて落とすのは悪手だと悟った。  決めるなら、今この時に決定打を入れるしかない。  失敗すれば最後、丸焦げの俺と失血したマンティコアで共倒れだ。 「それはリアナに怒られるから、勘弁だッ!」  残った魔力を全て、右腕に溜め込む。  改造魔術に魔力の大半を持っていかれた今、この一撃で仕留めなければ後が無い……! 「ウオオオオオオッ!!!」  喉奥から張り裂けんばかりに声を上げながら、全身のバネを使って炎の弾幕を掻い潜る。  肩や足を掠めていく爆炎に、全身から焦げた匂いが立ち上った。  ……構わない、接近さえできれば!  圧縮した魔力を制御して腕に溜め、形状のイメージを弩弓《バリスタ》から大槍《ランス》へと、普段以上に巨大化させる。  腕の中に収まりきらないそれを、俺は右腕に纏わせるようにして出現させ、振りかぶって構えた。 「ぶっ貫けえッ!!!」  絶叫しながら、限界まで締め上がった魔力を解放した。  腕を振り抜き、グォン! と空を切り裂く衝撃が炸裂し、重く鈍い音がマンティコアから上がった。  爆炎の帳を貫き、マンティコアの胸部のど真ん中に入った大槍は、強靭な筋肉と骨を砕いて、心臓をがっちりと捉えていた。 「勝負、ありだ……ッ!」  勝利の代償に、こちらも火傷だらけの満身創痍にされたが、それでも勝ちは勝ちだ。  マンティコアにはもう、動く力すら残っていないだろう。 『……アアァ……私ハ、敗れた、ノカ……』  こちらの疲労がピークに達し、壁際にもたれかかった時、鎖で雁字搦めになっていたマンティコアが静かに口を開いた。  どうやら最後の最後で、狂乱から解放されたらしい。  その声音は、水面のように静かだった。 『それニ小僧……あア、思い出シたぞ。私に引導ヲ渡すのガ同類といウのは、皮肉ナものだナ』 「……あんた、俺のこと知っているのか?」  自嘲気味に笑うマンティコアは、微かに頷いた。 『オ前はアリア女史の、弟ダったかラな。あそこニいた者なら、誰でも知っていタ。……そして、アノ場を無事離れた、数少ない一人だトも』 「……悪い。あの時は俺も、他の奴らを助ける余裕なんてとてもじゃないが……」 『構わなイとも。寧ろお前を死なセテは、あの世の女史に合わせル顔がナい。そうイう意味では、勝ったのガお前で良かったし……私を止めてくレたこトにも、礼を……ぐゥっ』  ごぼりと血塊を吐き出したマンティコアには、もうあまり時間は残っていなさそうだった。  俺はマンティコアへゆっくりと歩み寄り、その体に手を触れて問いかけた。 「すまない、元仲間のよしみで最後に教えてくれないか。この街の地下で、一体何が起こっている? どうしてあんたは帝国じゃなくてこの王国の、それもこんなところに?」  瞳から光を失いつつあるマンティコアは、声を切らせながらも、最期にはっきりと答えた。 『……この下、さらに最奥部……あの研究を続けテいる、施設ガある。そこへ行ケば、女史とイたお前なら、全て分かる。……もうこの街ノ、無辜の人間ガ、何、人、モ……』  生気を失ったマンティコアは……いや、恐らくその男は。  それ以上、何も話さなかった。  俺は亡骸を鎖から解き、その場に横たえた。  今この場では埋葬できないことを詫びてから、俺は通路奥からの唸り声に身構えた。  薄々感じてはいたが、いささか早めのご到着に、陳腐なことに漏れたのは失笑だった。 「そりゃあれだけ騒げば、追ってくるよな」 『『『ガルルルル……!』』』  地獄の番犬、ケルベロス。  爛々と輝く六つの瞳の威圧感は変わらずで、こちらを食い殺さんと眼光が射抜いてくる。  魔力も体力も失った今では、勝機は万に一つもないとコンマ数秒で悟った。 『『『ゴアアアアアアアアア!!!』』』  大きく吠えた三つの頭、その口腔内を注視すれば、やはり件のルーンが刻まれていた。  それを視認しただけで、ケルベロスに対しての恐れや畏怖の多くは消え、代わりに哀れみにも似た何かがこみ上げてきた。 「やっぱりお前も、いや、あんたもなのか」  あのマンティコアと同じように、今すぐ解放してやりたいのは山々だ。  きっと目の前のこいつも、好き好んでこんなことをやってるんじゃないだろう。 「でも、今は俺もこんなザマなんでな。悪いが一旦、退かせてもらうぞ!」  意を決した俺は、予備動作なしで横に跳ね飛んだ。  こちらを見るケルベロスの瞳は、予想外といった感情で溢れ、見開かれていた。  その理由は間違いなく、俺の真下にあるのが激流の水路だったからだろう。 『『『グオオオオオオ!!!』』』  ケルベロスの牙が届くよりも先に、俺は冷たく暴力的な水流に飲み込まれた。  勝ち目もなく、撤退するだけの体力も魔力も策もない今、こうするしかないのは明白。  だが、上下左右すら分からなくなる激流に揉みくちゃにされる俺は、果たして生還できるのだろうか。  ああ、全く。  本気出して働こうとか思ったあの日から、ロクなことがなかった気が──。  ──。  ────。 「……げほっ、げはっ!?」  突然、水中から空気中に、地下から外に叩き出された。  水を吐いた肺が酸素を求めて、むちゃくちゃな呼吸が始まった。  ……いや、きっと突然なんかじゃない。  意識を失いかけたうちに外に押し流されていた、ただそれだけの話。  そして激流の中から、ピンポイントで俺を感知して引っ張り上げる、そんな芸当が可能なのは……。 「リ、アナ。すまん、心配かけて……」 「謝るくらいなら、流されてこないでください! あと一歩で溺死でしたよ!」  泣きそうになりながらがばっと抱きついてきたのは、誰あろうリアナだった。  冷えた体では、リアナの体温と柔らかさが心地よかった。 「ケルベロスに、追いつかれてな。でも、マンティコアは、あいつは俺が……」 「喋らないでください、傷に触ります。……全身火傷で、またどんな無茶をしたのですか」 「それは、おいおい話す。それより、セナは……?」 「すぐ横で寝ていますよ。少なくとも、今の貴方よりは無事かと」  首を横に向ければ、確かにセナは俺の隣で横たわっていた。  呼吸も安定していて、リアナが血を拭ったのか、ぱっと見では疲れて寝ているようにしか見えない。 「そうか……よかった。……う、おぉ……」  そこまで言ったところで、意識がまた消えかかる。  体中ガタガタで、限界に差し掛かっているみたいだった。  でも待て、まだダメだ。  気絶するみたいだと、リアナが心配する。  現に今だって、泣き出しそうなんだ。  せめてもうちょっとくらい、話をしてから……。 「リア、ナ。俺は、大丈……」  強引に意識を保って口を動かすと、リアナがぎゅっと抱きついてきた。  それから聞いていて落ち着く声音で、リアナが耳元で囁いた。 「……今の貴方は、疲れ果てています。少し横になっていれば良くなりますから、今はただ休息を。話は後で、ゆっくりと聞きますから」  ……そう言ってくれるなら、それなら今は少しだけ休もう。  太陽とリアナの暖かさに包まれた俺は、そのままゆっくりと意識を手放した。

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