極東黙示録1927 | 第壱章『帝都に舞う式鬼、霊鎮めたる巫女』
寝る犬

第拾壱話「死告蝶―しこくちょう―」

 東京府《とうきょうふ》麹町区《こうじまちく》大手町。  関東大地震からの帝都復興事業《ていとふっこうじぎょう》以前には、道三町《どうさんちょう》と呼ばれていた辺りである。官庁や将門《まさかど》の首塚にもほど近い路上に、スーツ姿の男たちが数人倒れていた。  あるものは鼻梁《びりょう》が削がれ、あるものは目がくり抜かれ、腕の無くなっているものや、足のないものもある。  共通しているのは苦痛に満ちた表情と、すでに動くこともできない屍であるという事実のみであった。 「畏《かしこ》み畏《かしこ》み申し上げます! 右手二番! 武甕槌男神《たけみかづちのおのかみ》! お出で下さい!」  大気が引き裂かれ、雷鳴《らいめい》が響く。暗闇の中、蒸気タービンが轟音を轟《とどろ》かせ、巨大な人型《ひとがた》の機械が現れた。二メートル以上もある巨体が地面を蹴り、宙を舞う。  背中に蒸気をたなびかせた式鬼甲冑《しきかっちゅう》・蛭子神《ひるこ》は、壱与《いよ》の祝詞《のりと》により神の力を銀《しろがね》の腕に降ろし、稲妻《いなづま》の如き打撃を暗闇へと叩き込んだ。  闇の中から、闇より暗い漆黒の人影が飛ぶ。それは黒き民族衣装《サラファン》を蝶の翅《はね》のように翻《ひるがえ》し、美しい放物線を描いて地面へと舞い降りた。 「まぁ恐ろしいこと。ふふ……不格好な機械人形でも、そこに降ろす怪しげな神の力は本物ですのね」  銀色の髪が振り返り、壁に空いた大穴を眺める。  いや、《《眺める》》と言う表現は正確ではなかろう。何しろ漆黒の女の目には天鵞絨《びろうど》の目隠しがしっかりと巻かれているのだ。布には銀糸《ぎんし》で大きな一つ目が縫い取られているとは言え、その偽りの目で実際に物が見えると言う道理はない。  それでも顔を大穴へと向けたファティマ・ラスプーチナは、二歩三歩と距離を取ると、民族衣装《サラファン》の袖口から長い銀の針を数本、手の中に落とし、忍者の使う苦無《くない》のように身構えた。  視線の先、煉瓦《れんが》の壁に空いた大穴から、蛭子神《ひるこ》が立ち上がる。式鬼甲冑《しきかっちゅう》と言う名前ではあるが、蛭子神《ひるこ》は防御のための装備ではないのだ。パイプと歯車で作られた、ゴテゴテとした《《椅子》》と言ったほうがイメージに近い。  それに乗り込む壱与《いよ》の衣服も、薄い巫女装束《みこしょうぞく》を纏《まと》うのみであった。さらに、直に肌へと装着せねばならない五つの神座《かみざ》や陰陽鏡《おんみょうきょう》のため、頭部、両腕、両脚、そして丹田と呼ばれる下腹部の布は切り取られている。肌の露出の多いその巫女装束《みこしょうぞく》は、大和に言わせれば破廉恥《はれんち》な衣服以外の何物でもなかった。  そんな姿のまま、煉瓦《れんが》で作られた巨大な壁に大穴を開けたのだ。当然ながら壱与《いよ》の体にはあちらこちらと傷ができ、土埃で汚れていた。 『壱与《いよ》さん! 損害報告を!』 「大丈夫です! やれます!」  小さな可愛らしい鼻から血が流れているのにも構わず、右足のペダルを力いっぱい踏みしめる。通信機から飛ぶ指示に返事にもならない返事を返しながら、壱与は蒸気タービンを唸らせ、足のローラーで加速した。  一瞬前まで壱与の居た空間を銀の長い針がかすめ飛ぶ。  一本一本が三十センチほどもある太い針は、硬い地面を物ともせず、その半ばまでも突き刺さった。 「動きも思ったよりよろしいのですね」 「いきますよぉ! 天津罪《あまつつみ》、国津罪《くにつつみ》、許許多久罪《ここだくつみ》出《いで》ん! 天津《あまつ》の益荒人《ますらひと》らが、過《あやま》ち犯しけむを法《の》り別《わ》けん! 蛇《おろち》之ぉぉ! 麁正《あらまさ》ぁぁぁ!!」  瓦礫を跳ね飛ばし、地面を滑るように走る蛭子神《ひるこ》の右腕に、泡立つ光のような剣《つるぎ》が結実する。  左手の九二式機関砲での掃射《そうしゃ》を受け、ファーチャは身を躍らせる。空中では身動きの取れないファーチャに向け、光の剣・蛇之麁正《おろちのあらまさ》が、袈裟斬りに叩き降ろされた。 「くっ?! 来たれ|鉄の精霊《プリディジェレアズニーデュフ》!!」  一瞬早く、ファーチャの呪文が唱えられる。彼女を貫くはずだった九二式普通|実包《じっぽう》は呪文により捻じ曲げられ、人を模した煤《すす》のような姿をした異様な式鬼《しき》へと姿を変えた。  壱与は構わず、蛇之麁正《おろちのあらまさ》を振り下ろす。五体、十体、十五体……光の剣《つるぎ》は式鬼《しき》を難なく切り裂いた。  ファーチャに届いた剣が、民族衣装《サラファン》を焼き焦がす。それでも、式返しの衝撃と、式鬼《しき》自体の質量をバネにして、ファーチャは剣の届かない範囲へと、高く、遠く飛んだ。  左肩から右の脇腹にかけて、民族衣装《サラファン》が裂け、黒い艷《つや》やかな革紐でキツく戒められたファーチャの肢体が顕《あらわ》となる。革紐のない部分の真っ白な肌が焼け、醜悪に泡立った。  剣の傷とは関係なく、口から血の混じった唾液が吐き出される。それは式鬼《しき》を正しい方法で撃退した際に起こる反動現象。式返しによる、丹田への直接ダメージの証だった。  いくら式返しに対する呪術的防御を事前に築いていたとしても、こればかりは完全に防ぐ術《すべ》などない。  ファーチャの内臓には、倒された式鬼の数だけ傷が付き、本来ならば、もう立っているのがやっとの体であるはずだった。 「もう勝負は決しました! えぇっと、そう! 投降を、してください!」  蛇之麁正《おろちのあらまさ》を構えたまま、壱与は叫ぶ。  追い詰められているのはファーチャのはずなのに、壱与の声には、それ以上の《《焦り》》が浮かんでいた。  ファーチャがそれを見てニヤリと笑う。笑ったまま、また茶碗一杯ほどの血を吐き、がくりと膝をついた。 「ひっ」  ファーチャの姿を見た壱与の口から、思わず小さな悲鳴が上がる。  顔からは血の気が引き、きょろきょろと助けを求めて視線をさまよわせた。  そして、光の剣はノイズが入ったかのようにゆらぎ、消える。勢いよく回っていた蒸気タービンも、咳き込むように何度か音をたてると、ついには停止した。 「え? あれっ?」 『蛭子神《ひるこ》、トヨクモ機関内圧二十二、十八、十三……だめです! 稼働維持できません!』  慌ててガチャガチャとレバーやペダルを操作する壱与の耳に、通信機の先で三崎伍長が告げた。  ファーチャはそのすきに、体を引きずるようにして立ち上がり、血に濡れた重い民族衣装《サラファン》を脱ぎ捨てる。体中をキツく締め付ける黒い革紐だけのあられもない姿となった彼女は、サラファンの中から小さなナイフを取り出すと、ゆっくりと壱与へと近づき始めた。 『壱与、相手が霊子や式鬼《しき》じゃなく生身の人間でも、敵よ。倒さなければあなたが殺されるわ』 「あわわ……すみません櫻子さま!」 『落ち着いて。集中しなさい。陰陽鏡《おんみょうきょう》へ霊子力を供給するのよ!』 「はい! 今! 今やっています!」  何とか集中しようと、壱与はうつむいてレバーを固く握りしめる。うんうんと唸っている間にもファーチャは一歩また一歩と壱与へと近づき、もうあと一メートルほどの距離にまで近づいていた。そこでまた、鮮血を吐く。  その湿った音に、壱与の心は千千《ちぢ》に乱れ、なけなしの霊子力は雲散霧消《うんさんむしょう》した。 ――カンッ ――カカンッ  暗闇に音が響き、投光器のスイッチが入る。  地上に下りた二つの月の如き投光器の丸い明かりの中に、不自然に長い日本刀を背負った男の影が現れた。 「……やぁお嬢さん。なかなか煽情的《せんじょうてき》な衣装だね。俺は好きだよ、そう言うの」  あまりの眩しさに目をキツく瞑った壱与には、その声が誰のものか、すぐにわかった。  逆に、目を厚い布で塞いでいるファーチャは顔を背ける様子もない。真っ直ぐに投光器の中心を見据え、その銀色の一つ目を怪しく輝かせた。 「どなたかしら? お褒めいただいて光栄ですけど、私《わたくし》、今ちょっとお仕事中ですの」 「仕事ならなおさらさ。そう言う格好は、特定の殿方の前だけにしたほうが良い。どうだい? なんなら俺をその特定の殿方にってのは?」 「ごめんなさい。長い日本刀を持っている殿方は嫌いなの」  飯塚の時間稼ぎの言葉をかわし、ファーチャは一足とびに壱与へと飛びつく。  吐血して今にも倒れそうだった姿からは想像もつかない早業に、飯塚たちはその場から一歩も動くことは出来なかった。  壱与の首筋に、小さなナイフが当てられる。  それでもその間、周囲は対式鬼戦闘用の結界で固められ、劇場の準備は着々と進められていたのだった。

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