水間に散らした華

茜色の空を見るたびに胸が騒ぐのは、 あの空の向こうに大切な人をなくしてしまったからかもしれない  この国には、他の国にはない機関がある。  国家人口管理局、通称『リコリス』。  先の少子高齢化の反動で人口爆発が起きて、養い切れる以上の国民を抱えたこの国が作った姥捨山。犯罪者、助かる手立てもない末期の病人、浮浪者、その他世間に『いらないモノ』と判断された者達は、リコリスの掃除人達によって片付けられていく。  それこそまるで路肩のゴミを掃除夫が拾っていくかのように、淡々と。 「っ、は……!! はぁ……っ!!」  そのリコリスが敷いた厳戒態勢の中を、私は必死で走り抜けていた。立入禁止区域に指定されたエリアを出歩く人影は、私以外には一つも見当たらない。当の私だって、どうしてこんなに危ない真似をしているのか、理由は全く分かっていなかった。  ただ、予感がした。この茜空の向こうに、大切な人がいると。胸の中に広がったモヤモヤしたその予感は、私に足を止めることを許してはくれなかった。 「……っ!!」  せわしなく出入りする息が、私の気管支を焼く。その痛みをやり過ごすために胸に指を喰い込ませながら、私は必死に足を進めた。  私の記憶には、欠落がある。いや、正確にいえば、『知識』はあるけれど『記憶』はない。  半年前、私が昏睡状態から目覚めた時、私の中に対人関係の記憶は何一つとして残されていなかった。目覚めた私の周囲を取り巻いて嬉し涙を流す人達の名前を、私は一人として知らなかった。家族も、友達も、学校の先生も、先輩も後輩も。みんなみんな、私の中では初対面の人達ばかりだった。  そして、私自身とも、私は初対面のようなものだった。  走レ アノ 空ノ 向コウマデ 「……っ!!」  私の中の何かが、ずっとそう囁いているような気がする。記憶とともに、私の中では何かが欠けてしまった。その穴を埋めるかのように、声にならない声が、景色になりきらない靄が、私の心に訴えかけてくる。  ビルに切り取られて散り散りになった茜空。その空が視界に入るたびに、ザワリと何かが揺れる。  欠けてしまった破片の向こう側から、何かが私に訴えかけている。以前の私は、その訴えと寄り添うように生きていた。そんな予感が、家から飛び出してきた私の足をひたすらに動かしていた。 「っ!!」  路地が途切れて、赤い光に満たされた交差点に出る。正面が行き止まりの三叉路だ。右へ行くか左へ行くか迷った私は、先を求めて首を左右へ振る。  その瞬間、目に入った。  飛び出してきた私へ向けられる黒い筒先と、その主を取り囲む黒服達。礼服と呼ぶには重苦しく、喪服と呼ぶには豪奢な黒服は、リコリスの掃除人がまとう仕事服だ。  でも、私の目を引いたのは、畏怖の対象である黒服でも、反射的に自分に向けられた銃口でもなかった。  黒服の輪から離れてたたずむ、異色の灰色。その灰色は、トレンチコートの色だった。うなじで一つにくくられた茶がかった黒髪が、その灰色とあいまいなコントラストを作り出している。そのあいまいさを蹴散らしているのは、両腕につけられた腕章とトレンチコートに通されたベルトの深紅。眼鏡の奥に隠された瞳は、無機質に私のことを見ている。  その人の唇が、何かをためらうように動いた。何かを紡ぎかけては閉じ、閉じられては動く唇の動きが、私には妙にゆっくりと見えた。 「……ここへ来る未来は、見えていたよ」  迷った末に選ばれた言葉は、キュッと胸の奥を掴まれるような『懐かしい』とも『恋しい』とも思える声音に乗せられて私の耳に届けられた。 「『来るな』って、あの時に言ったのに、また来るなんて。馬鹿だな、沙希《さき》」  そしてフワリと、無機質だと思っていた瞳が、笑う。 「…… 、 …」  ユラユラと青白い光が踊る、水底《みなぞこ》のような部屋。  髪を乱す冷たい風。  頭をなでてくれた優しい手。  川辺にたたずむスパイラルビル。  足早に通り過ぎていく茜色の雲。 「   くん」  フラッシュバックする光景を見ながら、私の唇は懐かしい名前を呼んでいた。  でも私は、その名前を音として認識することができない。  それでも、私の声は彼に届いたのだろう。『動かないはずだ』となぜか知っている彼の表情が、フワリと、本当に嬉しそうに、でも泣きだしそうに、緩む。 「沙希」  手を、伸ばす。  茜空の向こうにいる、彼に向かって。 「さようなら」  でもその手は、彼には届かなかった。  まるで思考がショートでも起こしたかのように、私の意識は突然闇に落ちた。 「お前には、この未来が視えていたんだな」  意識を失いくず折れた赤谷《あかや》沙希が、ストレッチャーに乗せられて救急搬送されていく。  その様を遠くから見つめる沙烏《さう》の傍らに並び、遠宮龍樹《とおみやたつき》は声を上げた。 「この一年、あの地下室から出ようとしなかったお前が現場に出ると聞いて、何をしでかすのかと張り付いていたわけだが……。赤谷沙希が絡んでいたのか」  赤谷沙希と、かつて『長谷久那《はせひさな》』という名で暮らしていた沙烏は、幼馴染だった。互いに淡く想いあっていたことも、龍樹は知っている。  だが二人は、ただ互いを想いあう平凡な高校生でいるには特殊すぎた。 「『予言者』沙烏。その予言はすべて、赤谷沙希を生かすためだけに吐き出されているのだから」  赤谷沙希には、未来が視えた。  長谷久那にも、未来が見える。  沙希は超能力としての『未来視』で未来を視ることができ、沙烏は周囲の情報を分析処理することで予測としての未来を把握することができた。情報屋・長谷家の筆頭として裏世界にも通じていた沙烏とは違い、沙希の未来視は突然発症したもの。裏の掟を知らない沙希の未来視が、リコリスには邪魔だった。  だから一年前、赤谷沙希の名前がリコリスの片づけ者リストに載った。その時沙希の元に派遣された掃除人が龍樹だ。 「御冗談を。俺は誠心誠意、リコリスに尽くしているじゃないですか」 「それが赤谷沙希を生かすための条件だから、だろうが。俺の発言は、間違ってはいない」  情報屋・長谷家筆頭として全てを使ってリコリスを翻弄させた沙烏だったが、逃げ切ることはできなかった。沙希は頭部に銃弾を受け重傷。周囲は龍樹が本庁に要請した応援に囲まれていた。  そんな中、沙烏が沙希を生かすために取った道が『自身が隷属する対価としての沙希の存命』だった。 「……赤谷沙希に記憶が戻れば、不穏分子と判断して処分せざるを得ない。そのことを思えば、お前としては赤谷沙希の記憶喪失は都合のいいことだろうが」  情報屋・長谷家の筆頭。その情報処理・分析の腕は、リコリスにとっては垂涎の逸品だった。  だから、長谷久那は、自分をリコリスに売った。赤谷沙希の命を対価として。 「それでも、心の片隅で時折、思い出してほしいと、願ったことはないのか?」 「……覚えていなくても、いいんです。思い出さなくても、いい」  赤谷沙希がその意思の元に自由に生きている限り、離反も抵抗もしない。その代わり、リコリスが赤谷沙希を害することあらば、自分は死を選ぶ。リコリスが関わる闇を世間にばらまきながら、リコリスの命運を引き連れて死んでやる。  それが、かつての長谷久那が、今の沙烏が下した決断。かつて片付け者リストに名を連ねた赤谷沙希が、今を以って生きている理由。  沙烏が強要されているわけでもないのに本庁の地下に与えられた仕事部屋から外へ出ようとしないのは、離反の意志がないことを示すためだ。  長谷久那は想い人のために、己の未来と倫理、全てを捨てた。赤谷沙希を『沙烏』の人質としてリコリスに差し出すことで生かした。 「ただ君が、生きて、笑っていてくれるなら……」  頭部に銃弾を受けた衝撃で記憶と未来視を失った赤谷沙希は、これから先も知ることなく光の下を生きていくのだろう。  自分のために地下に沈んだ一人の青年がいたということを。 「……赤谷沙希の身柄確保と、搬送先の指示。俺がやるべきことは、終わりました。向こうも片付いたようですし、俺は一足早く、本庁に戻ります」  小さく息をついて物思いを断ち切った沙烏は、身を翻すと止められた公用車に向かって足を進め始める。一年ぶりに外へ出てきたというのに、地下へ戻ろうとするその足取りに躊躇いはなかった。  ――願うことさえも、罪なのだろうか  その背中を見るともなしに見つめながら、龍樹は柄にもなく思った。  ――消えてしまった記憶の向こうに、欠けてしまった心のどこかに、彼女が抱いた想いが今も残っていますようにと思うことは  曖昧な色彩を飲み込もうとする茜空は、残酷なまでに赤くて。  その色は、一年前のあの日の空の色に、よく似ていた。

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