鏡に映る

 ノートパソコンに映る文字列──真中凛のことが書かれた記事を何度も読み返す。 「うーん、これ私のことだよなあ」  凛は何度も、不思議そうに呟いていた。そこに、玄関の鍵がカチャンと開く音がする。そして、小さなビニール袋を持った向伸一郎がドアを開け、部屋に戻ってきた。 「ただい──お前……何勝手にパソコン開いてるんだよ。しかもその格好……」  バスタオル一枚でパソコンの前に座っている凛を見て、向は閉口した。 (女って、こんなに無防備なものなのか)  いや、無防備なのは凛だからである。はしたない。はしたかないが、今の凛には、そんなことはどうでもよかった。  凛は立ち上がり、部屋に入ってきた向の前に立つ。そして、いつも通りの顔で、あっけらかんと報告をした。 「兄者。私ね、死んでた」  *   *   * 「可愛くなーい」  凛はコンビニ袋から、ベージュ色の下着を取り出し、広げ見ながら文句を言った。 「コンビニのなんて、そんな物だろ。文句言わずに、早く履いてこい。短パンとTシャツは俺の貸すから」 「……そうね。ありがとう、兄者」  そう言うと、凛は体に巻いていたバスタオルをバサリと落とし、そして向が買ってきた下着に足を通し始めた。  おいおい……いくら向が凛をガキだと思っていても、それはいただけない。仮にも部屋に二人きりなのである。凛はもう少し、いや、かなり、自分が可愛い女の子であることを自覚した方がよろしい。 (女って、こんなに無防備なものなのか)  首を痛めるのではと心配になるくらい、勢いよく首をひねって凛を見ないようにした向は、先ほどと同じことを思った。  まだ女を知らない向少年、17歳。女はこういうものだ、という勘違いしないでほしい。凛だから──そう理解してほしい。決して、女=無防備ではない、ということを。 「兄者、短パンとTシャツ貸してよ」 「胸ぇー! 胸を隠せよ!」  *   *   * 『18日午前10時15分ごろ、千葉県成田市にある市営住宅の屋上から転落し、中学生の真中凛さん(15)が、体を強く打って死亡した。警察は、自殺と事故の両方の可能性がるとし、捜査を進めている』  パソコンの画面には、『千葉日報』のニュース記事が映し出されている。その記事を、静かに、何度も読み返す向。 (あの市営住宅か……14階建てで、この辺りで一番高い建物だ。自殺の名所になってるからな、最近。また飛び降りたのか。まあ、事件の可能性もあるみたいだけど) 「ビックリでしょ、兄者。私が死んでたなんてさ。驚き桃の木山椒の木だよ」 「──同姓同名だろ、馬鹿馬鹿しい。それに、凛は生きてるじゃないか。現在進行形で。いいかげん、本当のこと言えよ」  向はまだ、信じていなかった。そりゃそうである、凛は今まさに、向の前に座り、そして喋っているのだ。私ね、死んでた──そう言われても信じられるはずがない。 「いや、たぶん私死んでる。そんな気がするの。15歳って書いてあるし。私もたぶん、それくらいの年齢だし」 「でもお前、生きてるじゃん」 「生きてるよねー」  生きてるよねー、じゃねーよ──向はため息をつきながら思った。少しはマシな嘘をついてほしい──そうも思った。 「とりあえず、今晩はここに泊まっていいから。明日はちゃんと帰るように」 「だから、帰る家が分からないんだってば。記憶ないんだもん。もしかして兄者、私の言うこと信じてない?」 「ああ、信じてないよ。というか、信じるやつがおかしいだろ」  凛はイラっとした。私は本当のことを言っているのに、信じないなんて信じられない。そう思い、イライラを膨らませた。プクーっと頬を膨らませた。イライラ。 「信じないなら、勝手にすればいいよ」 「あー、そうしますよ。家出少女さん」 「家出じゃない! 何言ってるの、兄者! 私は死んじゃったんだよ?」 「だから、生きてるだろ。マシな嘘をつけ。何なら、今ここで、雨の中放り出すぞ」 「兄者ひどい! 私は! 私は……」  凛の感情は、イライラから、哀しみへと移り変わった。信じてもらえない、哀しさ。情けなさ。色々なものが入り混じる。 (こんな冷たい人を頼った、自分が馬鹿だった。もう、雨の中で野宿してやる)  そして凛は立ち上がる。そして、干してもらっていた服をハンガーから外し始める。  おいおい凛、今はまだ土砂降りだぞ? 今晩は大人しく泊めてもらった方がいいんじゃないのか? 変な人に絡まれるぞ? コンビニ19才店員みたいな男に。  すると、向の表情が険しくなった。視線は凛──ではなく、姿鏡である。姿鏡は窓際に立つ凛を映し出す──はずなのだが。 「おい、凛。ちょっと待て」 「何よ。ちゃんと出ていくから、心配しないでいいわよ。土砂降りの中、野宿して、風邪引いて、悪化して、死んだら、化けて兄者の夢枕に出てやるんだから」 「映ってないんだよ……お前が……」 「え……?」  姿鏡は、誰もいない窓際を映し出していた。その中には、凛の姿は、なかった。干してあった服だけが、フワフワと宙に浮かんでいるのであった。 「どうなってやがるんだ──」

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