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 第一に、俺は刀と縁が無い。  俺が歩んだのは学問の道であり、ペンは剣より強しと言えどペンは剣には成り変われない。  履き違えてならぬのは、「興味が無い」のでは無かったという事だ。一丁前のチャンバラごっこは日ノ国男児たるもの嗜みはしたし、木刀を持った餓鬼大将を尊敬の眼差しで見ていたこともある。  ただ、縁がなかった。其れで俺の道は決まった。  学問の道は楽ではなかった。地頭があったというのは有利なステイタスだったが、何分俺は天才では無かった。しかしながら懸命の努力の末俺は|所謂《いわゆる》ナンバースクールに入ることができ、この|山郷《さんごう》を小気味良く|闊歩《かっぽ》できている。これには|迫間《はざま》にいる父母も、声高らかに自慢していると先日の文にはあった。  今の俺の話をしよう。  高等二年ともなれば学友も固まり、良い様に学校を|牛耳《ぎゅうじ》る上級生への|畏怖《いふ》は群れを成すことで消せることが分かってきた。近頃はやけに|擦切《すりき》れた学服やトンビコートを|纏《まと》う者、それに高下駄を履いて滑稽に足首を捻る者など、ナンチャッテ武士だの天狗だのが学内に湧いている。俺も真似て被れてみるかとインバネスなんぞに手を出した。 『第一高等学校生らしき高潔でインテリジエンスな会話』などは、するとすれば下級生かカフェーのウエイトレスの前くらいか。鬱々と人生問題に|煩悶《はんもん》し哲学的思想に悩む者が多い中で、俺はしゃあしゃあと文学世界に没入することが多かった。 「おい“三四郎”。いや、今日は“坊っちゃん”か……それとも“猫”か?」 「“|代助《だいすけ》”だ」 「そうかい。じゃあ戻ってこい、|虎之助《とらのすけ》」  視界を流れていた文字の川がぱっと空に消え、次いで纏めた布で殴られたような衝撃に頭が揺れる。ちきしょうと振り返れば左手に俺の本を提げ、右手で学帽を被り直す友人がそこにはいた。 「おはようさん」 「叩き起こせと言った覚えは無いがおはよう、谷川」 「声だけで戻ってこなかった君が悪い。ほら帰るよ」  だからと言って学帽を凶器にすることも無かろう、と返してもらった本を風呂敷に収めながら教室を出る。終業からは半刻過ぎており、傾いた日の中を心なしか歩みの速い谷川と共に進んだ。 「今日も教師|紛《まが》いか」 「紛いとは失礼な、家庭教師はれっきとした教師だろう」 「そうだな、谷川“先生”」 「……君はまたナントカ助になりに行くのだろうな」 「|代助《だいすけ》だ。お前も読むといいさ、書名だけ知っていると言うのは損だぞ」 「その内君から借りるよ、読書オンチ」  煙を払うように話を手で払われつつ、俺達は山郷の大通りに足を踏み入れる。大通りの往来は多少日が傾いたくらいでは|一縷《いちる》の衰退もなく、|直《す》ぐに俺も谷川も物言わず雑踏に紛れた。  往来を走り回る幾台もの人力車、カフェーに入り行く和装の女達、洋館を目指したあらゆる建屋。その中に時折見られる洋装の紳士淑女。  |延寿《えんじゅ》より西洋の波を被った|夕京《ゆうきょう》は、|慶永《けいえい》になってもその激動振りを減衰させてはいなかった。そして俺達は甘んじて、その波に揉まれている。  一方で変わらぬ者もある。眠たげにも拘らず右手を腰の刀から離すことはない、俗に『|花守《はなもり》』と呼ばれる者達だ。往来を闊歩するその様子は子供からは憧憬の眼差しを、夢を見たことがある学生や大人からは羨望の念を集めることが多い。特に最近はお偉い花守の家で縁談があったと、女学生らがやいのやいの騒いでいる。 「君、チャンバラが下手だったろう」  例外なく、俺達の話もそちらに引っ張られるものだ。 「お前は人の事が言える腕だったのか」 「そうだったら今頃道場でも開いて金に困らない生活を目指していたさ」 「同じだな。それに俺達は腕どころか、縁もなかった」 「ああ、全くだ。あれは頑張ってなれるようなものじゃあないと、いつ気づいたか」 「『あれ』と言ってやるな、お国が上にいる方々だぞ」 「へえ、虎之助は羨ましくはなかったのかい」 「名前負けする腕では羨ましいもへったくれもなかっただけだ」  おちょくるように名を呼ばれれば今度はこちらが話を払う。お相子だなと笑う谷川には目もくれてやるまいと顔を逸らせば、少々賑わっている馴染みのカフェーが目に入った。  それから、数秒。 「おい君、虎之助。そこで止まれば往来の邪魔になるよ」  谷川の声を受け取るはずの聴覚も、続いて学帽で殴られたはずの痛覚も。  その数秒だけは、すべて視覚に注がれた。

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