真中凛

「うう……ひもじいよお……お腹空いたよお……ご飯食べたいよお……」  梅雨が本格化するジメジメとした季節。そんなとある夜、この寂れた『吾妻商店街』を、一人の少女が歩いていた。  この少女、名前を真中凛《まなかりん》という。ピンク色のジャージに身を包み、空腹が辛いお腹を押さえながら、フラフラと商店街を歩いている。商店街とはいっても、店のほとんどはシャッターが降りており、開店はしていない。いわゆるゴーストタウンである。  黒く美しい長い髪。整った顔立ち。幼さを感じさせる、丸い頬。年齢は、おそらく15歳くらいといったところだろうか。  15歳くらい、というのはあくまで推測でしかない。本当の年齢は分からない。彼女に訊けばよいのだが、そうもいかない。何故なら、この少女──凛にも、自分の年齢が分からないのである。  真中凛には、記憶がないのだ。  とはいっても、全ての記憶がないわけではない。分からないのは、自分のことについてのみ。その他の、社会の一般常識的なものはしっかりと残っているのである。 「コンビニ……コンビニはどこ……。お腹空いた、死んじゃう……! 食べ物買わないと……私死んじゃうー!」  ちなみに、唯一自分について記憶が残っていることがある。それが《《名前》》だ。真中凛。この名前だけが、彼女にとって自分であり得る唯一の情報であった。 「こ……コンビニ発見! ポテチ! コーラ! チンジャオロース!」  たぶんチンジャオロースは売っていないと思うが、凛はどうやらコンビニを見つけることができたようだ。最後の力を振り絞って、凛はコンビニの入り口をくぐった。 「カゴ! カゴいっぱいに食料を! 詰め込む! のよ! そして、まっすぐ! レジへ向かうの! さ!」  店に陳列された食料を見て、どうやら凛は少し元気が戻ってきたようである。食料がいっぱいに詰め込まれたカゴを、おそらくフリーターであろう30代と見られる男性の店員が立つレジにドスンと置いた。 「んふー。これください!」  凛は満足気に、店員がバーコードをスキャンしている様を見つめていた。 (もう少しでお腹いっぱいになれる。ワクワク! ワクワク!)  なんかもう、さっきから犬のような尻尾が生えて、フリフリと振っている凛。よほどお腹が空いていたのだろう。 「──えー、6,280円にごにょごにょ」  よしよし了解ですと、凛は赤いラウンドジッパーの財布を開いてお金を……お金を……あれ? お金を……。 「お金……ない……」  財布の中身を確認として、絶望の淵に立たされた凛。冷や汗ダラダラ。お腹グーグー。 (え、私ってお金持ってなかったの? 実は凛ちゃん、貧乏だった疑惑発生? うわ、なんか店員さん、めっちゃ見てるし。てか店員さん、しっかりしろ、私。いくら財布を覗いてもお金はありませんよ。具体的には、67円しか入っていませんよ) 「ちょっと、お金ないんじゃ買えないよ」  店員が不機嫌そうに、凛に吐き捨てた。ボランティアじゃないんだもの、当然だ。 「うーー……」  ありゃりゃ、凛は目に涙を浮かべてしまった。目の前に、待ち望んだポテチやコーラやチンジャオロースがあるというのに、食べることができないのだから。  ……チンジャオロース、あったんだ。  すると凛は、カゴの中からポテチの袋をガサリと取り出した。そして頭の上に掲げ、頭を低くして懇願を始めたのである。 「お願いオジサン! このポテチだけ! 一袋だけちょうだい! お願い、オジサン!」  店員の眉がピクリと動いた。 「オジサンって。まだ19歳なんですけど」  なんと、30代と思われたこの店員、まだ未成年であった。凛、痛恨のミス。19歳店員の機嫌を損ねてしまったぞ。 (やっちまったー。私、やっちまったー。てかさ、分からないっての。どー見てもオジサンだっての。子供いて、2回くらい離婚してそうだっての)  失礼極まりない、真中凛。 (どうしよう……このままじゃ、ポテチもらえない。お腹空いたまま。私、本当に死んじゃうかもしれない) (こうなったら、一か八かよ。凛、頑張れ凛……! テレビで見た通りにやれば……)  すると凛は、ピンク色のジャージの上着をスルリと脱ぎ、Tシャツ姿になった。そしてTシャツの首元をずらし、チラリと鎖骨のチラリズム。そのまま、19歳店員を上目遣いで艶かしく──いや、色気は皆無であるが──頑張って色っぽさを演出した。 「お願い、お兄さん。私にポテチ、譲ってくれない……かな?(チラリチラリ)」 真っ白な肌、浮き上がった鎖骨。マニアにはたまらないのかもしれないが──。 「ブフォーー!!!(鼻血)」  あ、マニアでした。しかも、どうやら19歳店員はロリコンであったらしい。凛のお色気作戦にまんまと落ちてしまった。ハアハアと、息を荒くする19歳店員。なんだかヤバくないか? 目、ギラギラしてるんだけど。 「き、キミ。これ全部持っていっていいからさ。おに、お兄さんに、もっと大切なところ見せてくれない、かな?」  19歳店員暴走。仕事中にナンパをしてはいけません。いや、ナンパよりヤバいけど。てか、ナンパじゃないけど。 (これ全部くれるのか、《《アリ》》だな)  こらこら、凛。何を考えている。アリとか、ありえないから。健全な生き方をするのだ凛。ちょっと……脱ごうとするな。Tシャツをおもむろに脱ごうとするな。  そのときであった。 「店員さん、俺が買うよ」  学校の制服姿の男子高校生が、二人の間に割って入ってきたのである。頭はボサボサ。でも顔はなかなか整っているこの男子高校生。男子高校生は財布を広げ、一万円札を19歳店員に差し出した。 「えっ! お兄さん、いいの!? 私に食べ物買ってくれるの!?」  こんな優しい男子に出会ったのは、初めての凛。目をまん丸くして、ビックリした表情で男子高校生を見つめている。 「別にいいよ。バイト代入ったばっかだし」 「で、でも悪いよ。お兄さんが一生懸命稼いだ、大切なお金でしょ?」 「エロいことして貰うよりも、俺に奢られた方がずっといいと思うぞ。店員さん、お会計すませちゃってください」  19歳店員、歯ぎしり。 「くっ……一万円お預かりごにょごにょ」  *   *   *  凛と男子高校生は、大きな袋を2つ持って、店を後にした。店を出るや否や、凛はポテチをむさぼり、コーラをがぶ飲みし、チンジャオロースをバクバクと食べ始めた。 「……お前な。そんな道端で食べるんじゃないよ。ちゃんと家に帰って食べなさい」 「むしゃ! むしゃむしゃ! しゃー!」 「飲み込め。何言ってるか分からないよ」  男子高校生に言われ、コーラで流し込んだ凛。そしてやっと喋れる状態になった。それほどまでに、我を忘れるほどに、凛は空腹だったのだ。 「お兄さん、本当にありがとう! やっとお腹がいっぱいゲフーー!! ゲップ出た」  せっかく可愛いのに、ゲップをしたりと、とても残念な少女である。それを見て、なんだかとっても心配になってくる男子高校生。頭をかきながら、家まで送ってやるかなど、とても親切な思考を巡らせていた。 「お前、家どこだよ。送っていくよ」  すると凛、うーんと難しい顔をして考え込んでしまう。うーん、うーん、うーん。 「……分からない」 「はあ? 分からないってどういう意味?」  すると、凛はさも当たり前のように、あっけらかんとした表情で、こう言った。 「私ね、なんだか知らないけど、自分に関する記憶がないんだー。だから私ね、帰る家が分からないの──」  記憶を失った少女と、男子高校生の不思議な出会い。しかし、ここから、よりいっそう不思議な出来事が、二人の間に巻き起こるのである──。

ブックマーク

この作品の評価

0pt

Loading...