8-4

   8-4  回廊を抜け、塔の螺旋階段をあがる。松明を持つのは、先ほどの男だった。その後ろにアンナとエリオットは続く。男は右膝が悪いのか、必ず一段一段、左足を先に上へ乗せてから、階段をあがる。 「名前は?」  アンナが尋ねた。 「パトリック・ボーマン。マリアノフの最高司令官だ」 「あんたがそうか」とアンナ。「なかなか表には姿を現さないらしいな」 「だから私のことは忘れたほうがいい」  パトリックはいった。「冬は嫌いだよ。古傷が痛む」  右膝を摩った。 「ブランウェールズの騎士だったとか」とアンナ。 「昔ばなしだ。今はこの街の者だよ」  螺旋階段を登りきる。「さ、ここだ」  パトリックが扉を開けた。 「勢揃いだな」  アンナがいった。 「俺たちがいてもいいのか?」とエリオットが続く。「場違いな気がする」 「聞こえてるよ、エリオット君」  ルーベンがいった。ゆっくりとした動きでテーブルにグラスを置く。ルーベンの他には、フリードリヒ・ゴッドマン、ヴィクトリア・ハープ、サイモン・ホークス。マリアノフ市参事会でも、重鎮、古参の会員たちだった。小さな丸テーブルを囲んでいる。 「権力者が密会か?」  アンナの皮肉。 「市民に公開しているよ。君たちだ」  ルーベンがいった。  パトリックもゆっくりと椅子に腰かけた。テーブルに空きはない。 「私たちの椅子がないな」とアンナ。「客じゃないのか?」 「悪いがない」  フリードリヒがいった。鍛冶屋組合の組合長でもあり、市参事会ではルーベンに続く古参だった。「お前らはそこにいろ」  鍛冶屋らしい口調と大きな声量は老人になっても変わらない。 「すぐに終わりますよ」  ヴィクトリア・ハープが続けた。「エリオット、久しぶりね」 「お久しぶりです」  エリオットがいった。 「知り合いだったのか?」とアンナ。 「彼とは仕事仲間です。私はお父様とのお仕事が多かったですがね」  ヴィクトリア・ハープが代わりに答えた。この老婆はマリアノフ裁判所の最高裁判官を長年務めた法務官だった。死刑執行人とは同じ領域の仕事をしていた仲だ。 「もういい。話を始めよう」  サイモン・ホークが退屈そうにいった。元王族で庶民の女と結婚した変わり者。庶民と結婚し王族の身分は失ったが、庶民になれるはずもなく、貴族と特別市参事会顧問という身分を与えられた男だった。この中では一番若いが年齢はもう五十の後半だった。 「阿片についてか?」  アンナがいった。 「そういわんでくれ」  ルーベンが嗜めるようにいう。 「あんたらはどこまで知っていた?」とエリオットがいった。 「怒りを感じるのも無理はない」  ルーベンがいう。「騙されていたような気分だろう」 「ヴァレンシュタインの阿片事業を知っていたんだろ?」とアンナがいう。 「私たちにはマリアノフの治安を守る義務がある。責任がある以上、常に最善を尽くし、情報を手に入れて対策を講じる」  ルーベンは否定しない。 「私たちの存在は?」 「意外な展開だったと認めよう。楽園派の阿片事業、その裏までは読み切れなかった。まさかあんな虫を持ち込んで魔導士を量産しようと考えていたとはな。君たちの活躍がなければ見過ごし続けていたかもしれない」 「あんたらヴァレンシュタインの阿片事業は黙認していたのか?」  エリオットがいう。 「奴は市参事会員になるためなら幾らでも金を使った」 「泳がせていたのか。金のために」 「なくてはならないものだ。これも市の運営のためだ」とルーベン。悪びれる様子はない。皺ひとつ動かさずに淡々と喋る。 「頃合いをみてヴァレンシュタインの役割を終わらすつもりだったんだがね」  パトリックがいった。「そこに君たちがやってきた」 「だがお前らのおかげでヴァレンシュタインの兵力が増強され手がつけられなくなる前に始末する必要があるってこともわかった」とフリードリヒ。 「均衡、調和こそ平和なのよ、エリオット。わかって」  ヴィクトリアがいう。「ヴァレンシュタインは平和のための調和を崩そうとした」 「そして葬られた。しかも私たち市参事会は手を汚さずに」  サイモンがほほ笑む。「これが重要だ」 「私たちを利用した、そういうことだろ」とアンナ。 「それについては了承済みだったはずだ」  ルーベンはいった。 「賢者の石は残念だったな。私は渡せない」 「それも必須ではなかった」と冗談のような穏やかな表情でルーベン。「だが、これからじっくり取り組む事案だ」 「感謝はしないぞ」  アンナがいった。「私は私のものだ」 「辛辣な奴だ」とフリードリヒ。だがアンナのことを嫌っている感じではない。気の強い女が好きなのだろう。 「ヘレンは?」とエリオット。「彼女の役割は?」 「もうわかっていたと思ったが、説明するとヘレンは私の部下だ」  ルーベンがいった。「阿片の流通について把握するためエドゥアールに送り込んだ」  この狸め。この調子なら送り込んでいた部下はヘレンだけじゃないはずだ。 「諜報員か」とアンナ。 「優秀な諜報員だ」  ルーベンがいった。 「核心を話してくれないか?」  エリオットがいった。「言い訳はもう十分だ」 「阿片については全てを忘れてほしい。今後、どこの誰がこの街の阿片を仕切っているか、それについても一切の疑問を持たずに、黙っている。できるか?」 「あの寄生虫は?」 「それも忘れろ。あの壷はこちらで回収済みだ」 「この鍵は?」とアンナ。  鍵を見せた。 「渡してもらおう」 「つまり阿片も虫も市参事会が仕切るってのか?」  アンナが見下すように鼻で笑う。「金がないんだな」 「阿片の流通が突然止まれば中毒者は凶行に出る。阿片の価格は上がる。だが中毒は治らない。しかも中毒者には金がない。そしたらどうなる。阿片を暴力で奪うようになる。阿片を買うための金を強盗するし、阿片そのものを強奪することもあるだろう。それでも手に入らない場合は死を選ぶものも出てくる。つまり治安維持のためには段階的に流通量を減らしていく必要があり、それができる者は限られている」  ルーベンがいった。「虫も同じだ。強力すぎる。これはマリアノフの平和のためだよ」 「賢いな」  アンナがいった。 「しかも親切だ」  エリオットが付け加える。 「私たちの取り分は?」とアンナ。「この鍵は安くないぞ」 「忘れろ、といったはずだ」  もうルーベンは何もいわなかった。パトリックが喋った。「君たちを指名手配に戻すのは簡単だぞ」 「なるほどな。誓うよ」  それからアンナが舌打ち。 「俺も約束する」とエリオット。 「もう帰っていいか?」とアンナ。「ここは臭くてかなわない。な? エリオット」 「確かに。さっきからどうも阿片臭い」とエリオットがいった。 「金儲け頑張れよ、クソども」  アンナが鍵を床に放った。「これが口止め料だ。私たちの大活躍は一生黙ってろ」  二人は返事を待たずに部屋を出た。    ■ 「あいつらクソ野郎だ」とエリオット。「何なんだよ、あの態度とあの物の言い方」 「お前の知り合いもいたろ」  ロマノフ大聖堂を出て、カジート地区とは反対側に向かって歩いている。 「俺が同類だってのか? ヴィクトリアは親父の知り合いで、俺のことなんてどうでもいいと思ってる」 「次には昔から嫌いだったとかいうんだろ?」 「よくわかったな。あいつは昔から大嫌いだった」 「今は?」 「もっと大嫌いだよ」 「まるで子供の喧嘩だ。お前の言い方は」 「俺が詩人に見えるか?」 「金のあてが一つ消えたな」 「まだ金のこといってるのかよ」 「お前、何か勘違いしてないか?」 「え?」 「お前の借金がまだ残ってるだろ」 「俺たち仲間だとばっかり思ってたよ」 「上下関係、あるからな」 「けどもう金は入りそうにない」 「私がいったこと覚えてるか?」 「何を? 上下関係について?」 「金のあてが“一つ”消えた、そういったろ?」 「他にあるのか?」 「お前は頭を使えないのか。全部私が考えて実行してる」 「大丈夫だ。もうわかった。あんたの考え、当ててやろうか?」  エリオットは足を止める。 「どうやら、同じ奴を考えてるみたいだな」とアンナがいった。

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