戴冠、或いは暁を待つ | 終章:物語の終わり
かなた

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 それからの話をしよう。  死者の弔いを終えてから、エクリールは兄たちに短い手紙を書いた。  トゥーラへの道程を取って返してしまった以上、もはや彼には言い逃れなどできない。ならば早々に挙兵するまでだと、銜え煙管で彼は笑った。  その手紙が早馬に乗せられたのと入れ違いに、ラリューシャは工房の仕事を辞めた。  あとは死ぬまで炉の火を守りながら、もし万が一のことがあれば、またあの剣を繕うつもりであるという。工房にある仕事のための細々とした荷を片付けるため、という名目で、アマリエもまた数日の暇《いとま》をもらった。  このわたしもまた、特にやることもないから、彼女とともに工房の片付けを手伝うことにしたのだった。 「お祖父さまの剣はね、すごかったですよ!銃弾なんてこう、すぱんって切れて、とっても綺麗な音がするんです!」  アマリエはなんだかんだと言いながら、あの夜にクロイツが披露したはずの剣捌《さば》きについて、何度も何度も熱っぽく語っていた。  ラリューシャはひと言だって答えないくせに、聞くたびに必ず手が止まる。結局のところこのふたりは、これからも祖父と孫としてやって行くのだろう。  そんなふたりの孫のほうは、工房に泊まり込んでいたが、わたしは夕方になれば毎日宿舎へ帰る。夕刻、見送りに玄関口まで出た彼女は、唇を尖らせてわたしの外套の裾を引いた。 「髪飾りがずれていますよ」  別によそよそしくなったわけではないものの、近ごろの彼女はなかなか口うるさい。さらには王女殿下なのだから、と毎日髪になにやら飾ってくれる。中には彼女が手ずから作ってくれた、真っ白な花の飾りもある。  周囲には奇異の目で見られるのでやめて欲しい気もするけれど、仕方がないのでもう諦めた。あのエクリールにさえ止められなかったことが、わたしごときに止められるとは到底思えなかった。  飾られた頭をフードで隠し、領主邸の敷地へと帰る足取りは早い。そうして普段なら一目散に宿舎へ帰るが、今日のわたしは敷地の奥にある階段を登った。  聞いたところによれば、あの夜の壁上は酷い有様であったと言う。死者こそ出なかったものの、見張りはことごとく重傷であったそうだ。その裏付けとばかりに、壁の上の見張りはずいぶん少ない。薄雪の後に残る足跡も、同じく。  白と灰の斑になった壁上を、わたしはのんびりと東へ歩いて行く。ようやく見えてきた待ち合わせの相手の姿は、ましろの雪の上にあった。  そこへ至る足跡はない。わたしが踏んではじめて、綺麗に靴底の形を写した跡が付く。 「元気?」 「これが元気に見えるんなら死んだほうがいいぞ、おまえ」  クロイツは壁の向こうに足を投げ出して、東の山々を眺めていた。  そのかたわらには連絡用の道具の一式があるものの、使われた形跡は見出せない。 「……身体は訓練でいくらでも動くんだけどなぁ。後始末が面倒くさいのは歳ですわ、歳」 「君、わたしとそんなに変わらないだろう」 「犬猫なんて寿命が短いんだから、十超えたら爺婆だろ。同じだ、同じ」  かつて、この国には偉大な獣があったという。鱗と毛皮、羽毛と角、内外の骨――生まれたときから定まった姿と引き換えに、欲しいものを欲しいままに持った獣だ。  そして彼はあまりに偉大であったがゆえに、その身はいつしか北の最果ての地を成すまでに至った。そうして分かたれた地こそが、わたしたちの父祖が治めて来た王国であり、同じように彼女より分かたれたものが獣たちである。  もっとも獣たちは、国土よりもわたしたちによく似ている。  寿命も、姿も、ものを想う心も、仕草も。――面倒くさそうに雪上に寝転んだ姿を見下ろして、わたしは薄く笑った。 「そうか、同じか」  ヒトには火事場の馬鹿力と呼ばれるものがあるが、獣たちも同じものを持っている。たとえみずからの身体を破壊してでも、通常以上の力を引き出す機構を。 「そう、同じだよ」  クロイツの最後の魔術がなんであるかは、エクリールが教えてくれた。  世界の修復――過ぎ去った時を巻き戻すにも等しい、魔術師の最《さい》秘《ひ》奥《おう》のひとつである。いずれ竜の身許に仕える魔術師ならば、それを以て世界の歪みを正すのだとも聞いた。  けれどもクロイツは、取得した秘儀をそんなことには使わなかった。かわりに彼はほとんど巻き込むようなやり口で、彼自身を――神代《かみよ》に父母を同じくするものを修復していた。  あの夜はいわば常に火事場の馬鹿力を振るっていたわけで、修復には時間がかかる、というのがクロイツ自身の言い分である。雪上に足跡を残せないのも、ぬかるみに足を滑らせることがないのも、あの夜に逆巻いて帳《とばり》の相を呈した雪も、すべてはその魔術がもたらす結果であったと彼は言った。 「おかげで、俺はもうすぐ死ぬわけだ」  うんとひとつうなずいて、わたしは彼の横に座り込む。特に迷わず、足は壁の向こうへ投げ出した。あの日のような命綱はないけれど、それを恐ろしいとは思わなかった。 「魔術は鑢《やすり》みたいなものだって、ハイロが言ってたね」 「そう。ちょいと遊ぶくらいなら、俺たちの親分だって目こぼししてくれるんだよ」  獣たちは魔術を使えない。――正確には、使わない。  自分たちにとっての魔術とは、寿命を削り取る鑢のようなものだとハイロは言った。あの言葉は半分正しくて、半分間違っている。つまり仮に魔術に手を染めても、彼自身の寿命は縮まない。それでも混血児《僕ら》は殴るほうが何倍も早いから、ヒト向けの小手先の技術など必要がないのだ、とエクリールは言っていた。 「別に後悔してるわけでもねぇから、怒られたっていいんだけどさ」  寿命を削られるはずの側のクロイツは、そう言って笑った。  わたしは改めて彼の姿を見下ろし、単眼鏡だのと一緒に置かれた剣に目を向ける。 「……ひとつ聞いてもいいかな」  笑う勢いで両腕を投げ出したまま、いいよ、とクロイツは言った。 「答えられることなら」 「コウっていうのは、どういうひとだったの」  飾り気のない黒鞘の剣を打ったひとが、彼の友人であったことは知っている。獣である彼自身が言うのだから、そこに間違いはないだろう。  彼がラリューシャの孫であったことも、同じく間違いはないはずだ。  けれどもわたしは、そのひと自身についてなにも知らない。あの日彼の打った剣で自分たちを救っておいて、ひどいことをしてしまった自覚も抜けなかった。  クロイツは指先でぐしゃりと白い髪を掻き上げ、ひどくつまらなそうに問いに答える。 「ハイロと同じだ」  わたしは目を丸くした。  ラリューシャの娘は、弟子と駆け落ちをしたと聞いている。そうしてあの老爺のあずかり知らぬところで生まれた孫が、コウであると。  本当にコウとハイロが同じなら、駆け落ちの相手もまた獣であったはずだ。 「少し長くなるんだが、聞くか」  白い獣はそのように前置きをした。うなずくと、いつになく静かな声が続きを語る。 「まず神官っていうのはさ、竜のために物語を書いて、馬鹿のひとつ覚えみたいにお祈りして、それで全部の職業なのよ。なのに俺なんて獣だっていうんで、死んだ後も同じやつに寝物語なんてしてやるって決まってるわけ。――冗談じゃねぇってコウにはよく話した」  わたしと同じ話を聞くコウは、どんな顔で応じていたのだろう。その疑問の答えを見出せるのではないかと淡い希望を抱いて、わたしは投げ出された剣を見る。 「俺はそんなのは御免だから、神官になんてなりたくないっていうのもよく話したよ。どうせ死んだ後まで他人《よそ》様の人生を語るくらいなら、生きてる間は面白おかしく生きて、語られる側になりてぇなという話でね」  クロイツはへらへら笑って、白い指先で剣を掴んだ。 「要は俺、ヒト《おまえら》が羨ましかったんだよ」  空はすでに暗いが、月はまだ出ていない。  未だ昇らぬ月と同じ色の瞳が、じっと黒い剣を見る。  かすかに愁《うれ》いを帯びた顔貌《がんぼう》はいつものように、一枚の絵画を想わせる美しさ。わたしは今なら、この佳容《かよう》の理由を完璧に理解することができる。 「だもんで俺はこの形《なり》でも、この国で一番つよくてえらい獣に――王の獣になるぞってことで話を締めた。それならその夢を手伝ってやるっていうのが、コウの口癖だった」  高い〈銀の壁〉を渡る風が、緩く渦を巻いている。いつぞやと同じように運ばれる雪雲はなく、見上げた空には星があった。  明日はきっとよく晴れて、今夜は月が見えることだろう。 「そのために誰にも負けない剣を打ってやるってさ」 「……うん」 「なのにぽっくり死んじまったもんだから、仕方なくこいつを持って来た。習作だったのは内緒だぞ」 「わかった」  このままわたしたちは月を待ち、そして夜が明けるのを待つ。朝になればイラテア商会からの遣いがやって来るから、それを待つのが今日のわたしたちの仕事だ。――少しでも頭数を揃えるべく、彼女の私兵を借り受けるために。  クロイツの語る言葉が絶えると、人気《ひとけ》の少ない壁の上は、耳が痛くなるほど静かだった。

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