第二部 貴女に、――5

「アルテナ……」  愛しい名を呼び、両手を見下ろす。  かつて彼女が握りしめてくれた手とは、違うけれど。 「……俺は、少しは優しくできるようになったか……?」  ――彼女は魔物に取り憑かれたまま行方不明。胃の奥が、ぎゅっと痛みを訴える。  ああ、どうか無事でいてくれ。どんな姿になっていてもいいから。 「ヴァイス。大丈夫か」  アレスがやってきて、ぬるま湯の入ったコップを手渡してきた。まるでクラリスのハーブティーが空になったタイミングを見計らったようだった。  寒い中、冷たくない飲み物はそれだけでありがたい。  ヴァイスはそれを一飲みに飲み干し、立ち上がった。 「大丈夫だ。俺も捜索に戻る」 「――王宮の学者どもに話を聞くことについてなんだが……」  アレスは歯に何かが詰まったかのような声で言う。  たった今まで、アレスは王宮に集まっているはずの学者団と話をしてきたはずだ。 「どうだった?」 「どうも、うまくない。魔物をはがすには魔物がどこから入ったのかを知らなくてはならないと、その一点張りで」 「それを調べろという話だろう!?」  ヴァイスはイライラと舌打ちする。本当に役に立たない学者どもめ。  アルテナが見つかり次第、魔術師と学者たちに容態を見せて、その『弱点』とも言える場所をさぐりあてようと考えていたのに。 「エリシャ姫のほうは無事に助かるんだろう。下らん、王族は助けても一般の巫女は救えんということか」 「いや……実はエリシャヴェーラ殿下のほうも危ういらしい」 「……なんだと?」 「どうも、彼らの思った以上に進行してしまっているらしくてな。学者どもは混乱のさなかで、まともな話にならなかったんだ」 「姫のことも助けられない……?」  それならシェーラ殿はどうなるのだ。町の他の人々は。  本当に本当に、学者どもはアテにならない……! 「……助ける方法は、ありますよ」  ふいに声がかかった。  寒さが一瞬、吹き飛ぶような衝撃の言葉だった。ヴァイスとアレスは同時に振り返った。  そして、そこに思いがけない男がいるのを見た―― 「――ヨーハン!」 *  ヨーハン・グリッツェン。かつてアレス一行の仲間だった男。  一人暴走し、仲間を再起不能にしたことを後悔してパーティを去った男。稀代の魔物学者――  その旧知とも呼べる男を、ヴァイスは殴り飛ばしていた。本気の怒りをありったけ拳にのせて。 「き、さま……」  唇がわなわなと震えた。拳にはエネルギーが溜まりに溜まっていて、もう何度殴っても気が済みそうにない。 「――アルテナに魔物を取り憑かせたのは貴様だと! 本気で言っているのか……!」  地面に倒れ込んでいたヨーハンは自力で上半身を起こし、切れた唇から流れた血を手の甲で拭った。 「……はい。僕がやりました」 「……っ」 「よせヴァイス! お前が何度も殴ったら死ぬ!」  振り上げられた拳をアレスが引き留める。  殴ったら死ぬ? 何度殴っても飽き足らないと言うのに。  大きく深呼吸をし、腹に冷たい空気を入れて激昂を鎮める。寒さを感じないほどに熱い体を、何とか冷まそうとする。  拳を、ゆっくりと下ろす。  ヨーハンはよろよろと立ち上がり、深く頭を下げた。  彼は語る。いつもの間延びした口調ではない、気落ちした真面目な声で。 「……魔物を売買するグループを追っている途中で、僕がうかつにも魔物に取り憑かれた。その魔物を、アルテナ様にうつしてしまったんです……」 「うつした?」 「だから僕は、アルテナ様に取り憑いた魔物の『弱点』を知っています。それと……エリシャヴェーラ様を始めとする硬化魔物についても、方法を考えてあります」  ヨーハンはまだふらついていた。元から体の強い男ではないのだ。  アレスがヨーハンを支え、「本気で言ってるんだな?」と念をおした。 「はい……嘘じゃありません」 「嘘じゃないからといって許されると思うなよ」  ヴァイスはうなるように、ぎりぎり噛み締める歯の間からそう言った。  「はい」とヨーハンはうなだれた。 「僕は……誘惑に負けました。魔物はより清廉な存在を求めます。それを穢し、貶めるために。アルテナ様を選んだのは、僕と魔物の利害が一致……したからだった」 「魔物と利害が一致しただと?」 「僕はアルテナ様がほしかった」  ヨーハンは目を閉じる。もう一度殴られると思ったのだろう。  馬鹿めとヴァイスは旧知の友人を罵倒する。 「来るなら来いとたしかに言った。だが、これは卑怯だ」 「分かっています……」  ――魔物に取り憑かれるとどれほど気が狂うものなのか、ヴァイスは知らない。  だがどうしても許せなかった。魔物学者であるヨーハンなら、魔物に取り憑かれたときの抵抗の仕方くらい知っていてもおかしくなかったはずなのに。  ヨーハンは――負けたのだ。  また、自分に負けたのだ。 「ヴァイス、私たちには分からない葛藤もある。決めつけるんじゃない」  まるでヴァイスの心中を見抜いたかのようにアレスが言う。  ヴァイスは奥歯が折れるかと思うほど歯を噛み締めていた。この男のせいでアルテナが――  ヴァイスでは話にならないと判断したのだろう、アレスがヨーハンを支えたまま話しかける。 「アルテナの状況について、どこまで知っている?」 「崖から落ちて急流に呑まれたというところまで……。おそらく生き延びていらっしゃるでしょう。あの魔物は異常に頑丈だったから。魔物は呼吸を必要としませんし」 「本当か!」  それだけは朗報だった。ヴァイスは半信半疑ながら、それでも安堵した。 「それでアルテナについた魔物の弱点は? それに、姫たちのことも助けられるとはどういうことだ?」 「――姫たち硬化魔物を排除するには、アルテナ様の力が必要なんです」 「なに?」 「だからまずアルテナ様を救わないと……アルテナ様の魔物の『弱点』は」  すなわち、どこから体に侵入したのか。それは。 「……口、です……」  お前それは、とアレスが引きつる。  一拍遅れてヴァイスも意味を悟った。そして、もう一度ヨーハンを殴った。  今度はアレスも、かばうことはできなかった。 「……口からなら魔物ははがせるでしょう。一刻も早くアルテナ様を見つけなければ、同化が進んでしまう。はがすのが難しくなる」 「――アルテナは今どこにいるんだ?」 「そればかりは僕にも……」  くそっと毒づいてヴァイスは乱れていた外套をはおりなおした。 「何が何でも見つけて俺が魔物をはがす。アルテナを助ける。絶対に!」 「ヴァイス様。忘れないでください」  身をひるがえそうとするヴァイスに、ヨーハンが告げる。 「――魔物をはがすということは、大半の場合別の人間に魔物を取り憑かせると同義。はがした後の処置を考えておかなくてはなりません――」  そんなことは分かっているとヴァイスは応えた。  そう――分かっている。魔物をはがすことの難しさは。  それでも。 「やらねばならん……!」  アルテナを無事に救い出すためには―― *  幸いなことに、それから数刻もしないうちに有力な情報が手に入った。 「妙にふらふらと歩く寝間着の女性が修道院に向かっているのを見たという町の人間がいる」  それはヴァイスの知己である町人たちの情報網から回ってきた。  ヴァイスはアレスらとともに馬を飛ばした。ヨーハンも黙ってついてくる。魔物に関して一番詳しいのはヨーハンだから、ヴァイスも何も言わなかった。  修道院に着いて修道長を呼ぶと、 「いえ、修道院には来ておりませんが……」  困惑した声が返ってきた。  そんな馬鹿なとヴァイスが動揺したとき、「あ!」と修道長は口を手に当てて、 「ひょっとしたら……裏の|禊《みそ》ぎの間に?」 「禊ぎの間? それはたしか星祭りや婚儀の日に使うための」 「そうです。ちょうど先日、アルテナとも行きました。ひょっとしたらそっちへ」  禊ぎの間に行った――なぜ? 「星の巫女としての本能なのか? しかしそれにしては」 「もしもアルテナ様にご本人の意識があるのなら」  ヨーハンが後ろで学者らしく朗々と喋る。 「魔物を倒すのには、禊ぎの水が必要と、考えたのかもしれません」  禊ぎの間の水は本当に神聖なる水だ。理屈は分からないが、浸かると魔を祓う。真に神による水と言われているのだ。  元々とある山から汲んできている水だが―― 「ちょっと待て。ではアルテナは、魔物憑きのまま禊ぎの水に入るか、禊ぎの水を飲むかしようとしているのか?」  そんなことをして大丈夫なのか。ヴァイスは青くなってヨーハンに迫る。  ヨーハンはいつものへらへらとした態度をすっかり改め、真顔で首を振った。 「……危険です。禊ぎの水はアイテムの『聖水』と同じですから」  聖水――|討伐者《ハンター》たちにはなじみのアイテム。  弱い魔物ならば、ふりかけるだけで消滅させることもできる。強い魔物にも、一定のダメージを与えられる。  もしもアルテナが禊ぎの間に入ったなら、丸ごと聖水に浸かるようなものだ。同化し始めた魔物を――抱えたままで。  ヴァイスはアレスとカイ、ヨーハンに修道長をつれて禊ぎの間へと急いだ。 「ああ、鍵が」  禊ぎの間は普段厳重に鍵をかけられている。それが破壊されていた。とうてい人の力とは思えぬ様相で―― 「アルテナ。アルテナ!」  ヴァイスは叫びながら扉を蹴り開けた。  十字の形に作られた建物の――  その中央に――  禊ぎの水が湛えられていて―― 「アルテナ!」  まさにその禊ぎの水の中に、探していた人はいた。

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この作品の評価

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はじめまして。 こちらはなろうの方で初めて拝読した作品でしたが、セルバンテスにも出されたのだなぁ、と思っておりました。 「注目の作品」で存在に気付いてからしばらく経ったのですが……不思議ですね。何故評価ポイントがこれほどまでに低いのでしょう。 パラグラフが比較的大きいので、ぱっと見読みにくそうに感じるのでしょうか(本当は読みやすいのですけれどね)。 もしくは、セルバンテスという場所に集まるユーザ層のせいなのでしょうか……(恋愛ものなので)。 ここは男性ユーザが多いということですし、ゲーム性を望まれるレジェンドノベルスの影響もあるのかもしれませんね。 作品は面白いです。個人的には書籍化されていてもおかしくないものだと思っています。 少なくとも、私はとても好きです。 陰ながら応援しておりますので、引き続き執筆活動、頑張ってください!

2019.10.05 16:33

津南 優希

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