戴冠、或いは暁を待つ | 三章:大嘘つきたちの夜
かなた

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 銀の名を冠した壁の姿は、なぜだか妙に懐かしい。  思えば僕はもともと王宮の暮らしで、城壁の内側の住人であったのだ。壁の姿はあって当たり前、という認識があるのかもしれない。  ただし残念なことに、トゥーリーズの壁は王宮のものとは違い、見えて来てからが遠い。  僕とクロイツは一瞬だけ目線を交わすと、どちらからともなく馬の速度を上げた。駆けるとは言い難い足取りは、壁を出たときよりもいくぶん遅い。  おかげで僕は、心行くまで壁の姿を拝むことができた。いつか王都から来たときには見ることのなかったその威容は、どこまで行っても同じように堅固に見える。  造り手である街の住人たちの誇りを反映した姿は、なるほど〈銀〉の名を戴くに相応しいように思えた。たしかその名をつけたのは、戦時中の国王の相談役――先生から見て何代も前のひとだと聞いたが、彼も僕と同じ感想を抱いたに違いない。  そうして付けられた名は、職人たちの誇りそのものでもあるはず。  なにせ僕の先生を含め、歴代の王の相談役はただの相談役などではない。彼らは竜より神託と呼び得る詞《ことば》を受け、その名代として王の導き手を務めるヒトだ。王太子は彼らの前に跪き、その手から王冠を授けられ、生前からの諡《おくりな》を受けてはじめて王と呼ばれる。  ゆえに王の相談役から名を授かることは、この国において最大の栄誉のひとつであるとされた。またその逆に、歴代の相談役の側にとっても、名付けはもっとも重要な仕事のひとつである。君のきょうだいにはなんと名付けるべきかと笑った面は、今でもまざまざと思い出すことができる―― 「ルカ様!」  聳《そび》える〈銀の壁〉の手前で僕らを迎えてくれたケイは、僕らが彼女の姿を見分けるより先にそう叫んだ。それを聞いて、嗚《ああ》と思う。  あのときイラテアは、獣の目は王の血統を見分けるものだと教えてくれた。  音でもなく匂いでもなく、彼女の青黒の瞳はそれを以て僕をルカと呼んだのだ。彼女が親しいはずのクロイツではなく、僕を。――ひと息に駆け寄って来た女は、クロイツの姿を認めると同時、鼻面に皺を寄せて顔を逸らした。 「……火薬と血。ひどい臭いだ」  もし今のケイに尾があれば、雪を撫でて不快さを示していたことだろう。 「知ってるよ」  対するクロイツもまた、彼女に対する忌避感を隠すことをしなかった。ただしそれを口に出すことはせず、黙って僕のほうへと手を差し出して来る。手綱を渡せという合図だ。  応じて馬を降りようとした僕を制したのは、並の男よりも大きなケイの掌だった。 「エクリール様が温情で、おまえを壁の中に入れてやるようにと仰せだ」  にわかにクロイツが目を眇《すが》めた。  歪に細められた瞼の奥の黒色には、明確すぎるほどの不信の気配が宿っている。 「馬はわたしが預かる」  それでも彼はするりと馬を降り、手綱をケイへ手渡した。僕もそれに倣《なら》ったが、彼女に曳《ひ》かれた馬たちは、激しく首を振ることで叛意を示す。  ――どうやら馬たちもまた、獣を見分ける感覚を持っているようだった。女はぐるると唸りを上げ、なかば力任せに手綱を引っ張り始める。 「アマリエがエクリール様から指示を預かっているはずだ。わたしからは以上。……それからクロイツは後でわたしのところに来い」 「俺は用がねぇから来ない」 「おまえ!」  咆哮じみた声色に応じ、鹿毛の馬が前脚で雪を蹴った。女はまた唸りを上げてから、両手で手綱を掴み直す。  それを見たクロイツは顔に似合わぬ笑いを上げ、壁に向かって歩き出した。  背中越しに振られる掌を見たケイは、無言で肩を落としてみせる。そんな彼女に頭を下げて、僕もまた壁のほうへ駆けて行く。  勝手口はふたりで潜ったが、誰も僕らに声をかけて来ることはなかった。  軍人たちの姿は見えるが、誰しも言葉に迷っている――そんなふうに見える。クロイツは彼らを一瞥すると鼻で笑って見せ、大股に細工師通りへ舵を切った。通りとは名ばかりの長い階段へ差しかかると、さも当然のごとく手摺へ飛び乗る。  挙動の迷いのなさに対し、僕は少しだけ目を細めた。 「ひょっとしてそれも、見習いのころの名残りだったりする?」 「それについては全部当たり」  細めた目を瞠ると、頭上から鈴を鳴らすような笑いが降って来る。 「……って言っても神官の仕事とはなんにも関係ねぇよ。先生が気の向いたときにやってたのと同じ、ちょっとした願かけみたいなもんさ」 「願かけ」 「先生は俺より少しは真面目なひとだったから、もっとまともな願をかけてたけどね」  そんなものかと尋ねると、そんなものだと笑う。 「ちなみにどんな願をかけてるの」 「必勝」 「……僕から見れば、君には必要なさそうだけど」 「上には上がいるものだよ、ルカ君」  僕が緩やかな階段を登り切るのと同時に、クロイツもまた爪先で手摺を蹴った。音もなく広場のタイルへ降り立った彼は、そのままくるりと回って僕のほうを振り返る。釣られて広がる白の外套は、黒ずんだ血の汚れを帯びてなお、舞手の衣を思わせた。  さらにそれを従える当人の仕草にも、いつもよりも楚々《そそ》とした優雅さがある――と思われたのは、僕が彼の正体を知ってしまったがゆえの錯覚だろうか。 「正直なところを言うとな、俺は厳密に願をかけてるわけじゃねぇのさ。でも、そいつを欠かしたから負けたんだって思うのは、俺に勝った相手にも失礼だろ」  言葉も妙に理知的に聞こえる。 「たしかに」  やはりこれは自分の錯覚だなと算段を付けながら、相鎚をひとつ。  だろうと笑うクロイツの後をついて、広場を抜けるために歩き出す。ふたりで歩調を合わせて向かう先は、領主邸の囲いのほう――無人であるはずの見張り小屋の影を見て、ようやくこの街に帰って来たのだという気分が湧いた。が。 「アマリエ、帰って来たよ」  見張り小屋には珍しくひとの姿があった。しかも、ふたつ。片方は大きく、もう片方はやたらと小さい。役所と詰所兼役所を合わせても、ほかに類を見ないほどの小ささだ。  窓の外に僕らの姿を見出すと、彼女は包まった毛布の中で、形容し難い声を上げた。 「そ、それ! なんで!」  思うに、言いたいことは山とあったのだろうと思う。  その中でアマリエが唯一表すに至ったのは、クロイツの外套の汚れについてだった。言葉とともに指差されたクロイツは、さも呆れたとばかりに肩をすくめる。 「別におまえが洗うんじゃねぇんだから、別にいいだろ」 「それは当たり前です!」  アマリエとともに見張り小屋に詰めていた軍人は、すっかり興奮し切った少女を宥めるべく、どうどうと声を出す。が、そんなもので静まるアマリエではなかった。  ドアがわりの毛《もう》氈《せん》を引きちぎりそうな勢いで飛び出して来て、なぜか僕の姿を上から下まで検分《けんぶん》する。それが終わったら今度は側面。時間をかけて僕の周囲を回り終えてから、クロイツのほうへ大股で近づく。 「あなた、ちゃんとルカさまをお守りしたんでしょうね!」 「したした、しました。完璧。一《いち》分《ぶ》の隙もない感じで」  クロイツは諸手を挙げて降参の姿勢だ。  それほどまでにアマリエの勢いは凄まじかった。ただのヒトの目しか持たない僕から見ても、なにかおかしなものが見えてしまいそうなほどに。 「アマリエちゃん」  けれども彼女の相方たる軍人には、勇気があった。  毛氈を引き上げて出て来た彼は、手にした紙をひらひらと振る。 「エクリール様から預かって来たんだろ、手紙」  畳まれた紙には封蝋が捺《お》されている。  光の加減で銀粉を透かす青い色彩に刻まれた紋は、狼と剣。これについては目視でたしかめるまでもなく、僕が元から知っていることだ。天藍石《てんらんせき》にも似たあの青は、エクリールの生家が使う特注の封蝋である。  封蝋集めを趣味にしていた僕のきょうだいは、あの色の封蝋がついた手紙をもらうとひどく喜んでいた――ので、きょうだいの代役を務めていた僕もまた、あれをもらったら喜ぶことを心がけていた。おかげでどうにも印象が深い。 「そうです! そうでした!」  手紙を受け取ったアマリエも、外した封蝋をポケットへとしまう。ひょっとしたら彼女もあの封蝋がお気に入りなのかもしれない、と僕は思った。 「……まずお二方ともおつかれさまでした」  紙面を改めたアマリエは、落ち着き払った様子で僕らに向き直る。  僕はなんとはなしに姿勢を正して続く言葉を待った。クロイツは外套のまだ白い部分を摘み上げ、汚れの具合を調べていた。 「まずはえーと、少し休みを取りなさいとのことです。夕方になったら、これは……」 「呼び出すので」 「呼び出すので!」  アマリエの傍らで、軍装の男が鷹揚にうなずく。  上背がある割にひと懐こい顔をしたこの男は、僕も何度か言葉を交わしたことのある相手だ。眉尻の傷ゆえに人相は悪く見えるが、話せば気安いひとであったと記憶している。  彼はクロイツに向けて、上着を預かろうかと小声で問うた。 「気にすんな」  魔術師の返答は短いが、ぞんざいではない。  ついで袷《あわせ》を掻き合わされた外套の汚れは、元が血であったとは思えないほど赤味を失っている。僕の鼻では血の匂いを知覚できないのも、気温の低さだけが原因ではなかろう。  その証拠に、アマリエも汚染の正体に気づいたふうはない。  だからこそ彼女はしゃんと胸を張り、 「休む前にそれを洗うのですよ!」  などと宣うことができるのだ。 「わかってるよ、うるせぇな」  クロイツはさぞや億劫そうに応じてから、アマリエを避けて塀の向こうへ歩き出す。僕に向けて頭を下げた軍服の男が、小走りでそれに続いた。 「僕らも帰ろうか」  言うと、アマリエはうなずく。  おずおずと手を伸ばして来る仕草に笑って、僕は彼女の手を取った。 「……行かれたのはどちらですか?」  先《さき》んじたふたりの姿が見えなくなってから、アマリエはささやく声音でそう問うて来た。 「トゥーラのほうだよ。いくら馬でも、たった二日でアルシリアとは往復できない」 「そうですか……」  エクリールの幼い侍女は口許に手を当て、なにかを考え込む仕草を見せる。結い髪をほどいた頭を見下ろしながら、僕は小さく首をかしげた。  アマリエが顔を上げると、ちょうど目が合う。 「ルカさまは、アルシリアへも行かれたことがありますか?」 「そうだね、いちおうは」  アルシリアは翠珠山脈《すいじゆさんみやく》と王都の中継地点だ。山道を通ってトゥーリーズとトゥーラへ入るなら、そこを通らない者などいない。  王都から馬車に乗ってトゥーリーズを目指した僕も、もちろん例外ではなかった。 「でも残念なことに、窓から景色を見たりしたことはないんだ」  ――僕はそのとき加減が悪く、馬車の窓の鎧戸を開くことができなかったから。  アマリエはなるほどとひとつ首肯した。それからまた少し沈黙を挟み、僕の顔を斜に見上げる。 「山道はどうですか? 馬車の鎧戸を開けたりは?」 「してはもらったんだけどさ」  僕は苦笑しつつ、宿舎の勝手口を開いた。  足を踏み入れた厨房にひとの姿はなく、建物の中はしんと静まり返っている。  そこに至ってなお、アマリエは僕の手を離そうとしなかった。彼女が希求するものの変化を悟り、僕はそっと膝を折る。 「外を見ていると余計に酔う有様だったから、山道もほとんど見ていないんだ。……なにか気になることでもあった?」  馬車の御者と護衛は協議の上、翠珠山脈を超えるときだけは、馬車の鎧戸を開けてくれていた。中の僕が本当に参っては可哀想だという、ひどく人道的な理由に基づいて。――しかしながら外を見られる状況になかったのも、嘘ではない。彼らの優しさを無下にするのは申し訳ないと思いながらも、僕は本当に馬車の中で臥《ふ》せているしかできなかった。  その仔細を説明せずとも、アマリエは言葉の裏にあるものを感じ取ったようだった。祖父であるラリューシャと同じ赤銅《しやくどう》の目を伏せ、唇を舐めて、言葉を探す様相を見せる。 「翠珠山脈の道が険しいのは、本当なんですね」  思索の末にまろび出た言葉に対し、僕はひとつうなずいた。けれども折り曲げた膝を伸ばすことはしない。  おそらく彼女は、アルシリアと二都をつなぐ道の険しさに興味があるわけではない。この娘は聡《さと》くはあるものの、幼子のようになにもかもを尋ねることをしないから。  目線を絡めて傾聴の意を示せば、彼女ははにかむように微笑《わら》った。 「……わたしの両親は王都のほうで商売をやっていたんです。ふたりが亡くなった後、お祖父さまに引き取られてトゥーリーズに来たんですよ」  うん、と再度うなずく。 「だからわたし、あの道のことも実はよく知らなくて」  王都からトゥーリーズへの道程は、なにもアルシリアを経由するものだけではない。遠回りであることに目を瞑れば、山脈を南北に回り込んで訪れることも可能である。しかしながらアマリエが言いたいことは、そういう話ではないだろう。  黙して続きを待つ僕の眼の前で、彼女はまた舌先で唇を舐めた。 「それで、あの。これはですね、本当は内緒の話なんですけれども……」  少女の言葉はささやく細さだった。手招きに合わせて顔を傾け、耳を寄せると、彼女は口許に当てた手を通してそっと声を吹き込んで来る。 「お祖父さまの頼みで、わたしを連れて来たひとが、山道では背負ってくれたんです」  にわかに僕は瞠《どう》目《もく》した。うなずくことは、できなかった。  馬車が行き交うことすらできない細い山道は、ヒトにも獣にも優しい道ではない。子どもとはいえ他人を背負って進むなど、無謀どころの騒ぎではないだろう。  それを成そうと思うのに必要なのは、覚悟よりもむしろ自分自身へのたしかな自信であるはず。しかもそれを完遂したというのなら、みずからの能力を顧《かえり》みた上で可不可を判ずる頭脳の持ち主でもあったはずだ。  一体誰がそんなことをと尋ねる前に、アマリエはするりと僕の手を離した。 「クロイツですよ。誰かに言ったら引っ叩いてやるって言われたから、ルカさまも内緒にしてくださいね」  小さな背中は、振り返ることなく廊下の向こうへ駆けて行く。  膝を伸ばした僕は、一体どんな顔をしていただろう。  笑みを残して先へ行った少女を追いつつ、そっと頬を撫でた。――笑っているような気もするし、強張ってしまっている気ようなもする。自覚はともかくとして、他人はこれをなんと称するのだろう。今すぐにアマリエを呼べば、的確な答えは容易に得られたはずだ。  にも関わらず、僕はそれをしなかった。この顔は誰にも見せてはいけない――少なくとも今の僕は、そのように思ったから。

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