戴冠、或いは暁を待つ | 三章:大嘘つきたちの夜
かなた

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 三者の姿がすっかり見えなくなったのち、僕らは馬上のひととなった。  金を払って回収して来たという馬の上から、クロイツは嬉しそうな顔で僕に滞在証の割符を投げ渡してくれる。聞くに、これは官吏に金を握らせて回収して来たものだという。冗談だろうとは言えなかった。クロイツは魔術師であることを差し引いても、そういう男だ。  さらに付け加えておくのなら、あったかもしれない否定の根拠はすでに亡《な》い。僕らの母が愛して止まない正しさなど、もはや彼女と相対する者の中にしか残っていないのだから。 「証書偽造はおまえが言うように、死刑には該当しない。だから王都に泣きついても、自分たちが叱られるのが関の山――おかげさまで俺の元同僚は、今ごろ臨時収入で大騒ぎだ」 「そういう君はもらってないのか、臨時収入」 「袖の下で丸ごと消えたのをもらったって言うなら、もらったぞ」  魔術師たちは、嘘をつかない。けれどもそれを遵守するためには、やはり並々ならぬ努力が要るようだと僕は思う。  徒歩でトゥーリーズまでを踏破すれば、一日では到底時間が足りない。つまり明後日には絶対に間に合わないわけだから、彼はどうしても馬を入手する必要があったのだろう。 「……出すよ、半分」 「いいっていいって、気にしなさんな」  クロイツの声に棘はない。ゆえに、僕はなんとも居心地の悪い気分がした。  うろうろと泳がせた視線はしかし、なにか自分の気を紛らわせるものを見つけるには至らない。街道は来たときと同じだし、周囲に至ってはもっと変化がない。  そして結局のところ、僕はまっすぐに前を見る。 「……話をしてもいいかな」  不明確な〈なにか〉のかわりに気晴らしの種を求めた先は、自分の裡《うち》へ。 「というより、聞きたいことがあるんだけど」  より正確には、会話の緒《いとぐち》へ。  クロイツは僕より少し前で手綱を握ったまま、いいよと小さく答えた。 「答えられることならな」  彼は韜《とう》晦《かい》することのない魔術師だが、いかなる問いにも答えをくれるわけでもない。そんな彼の態度は今の僕にとって、むしろ好ましいように思えてならなかった。 「君のことなんだけど」 「内容による」  返答は、ひたすらに早い。僕は嘆息してから、慎重に言葉を選ぶための時間を取る。クロイツは意外にも、それを急かすようなことをしなかった。  それだけの事実に安堵しながら、ようやく選び終えた言葉を投げてみる。 「君、やっぱり魔術師の家系の生まれなのか」  真意を隠すための衣《きぬ》ならいくらでもあったが、ここにおいてそれを使うことはしない。仮に使ってやったところで、ああだこうだと言われるのが関の山だ。 「違う」  応《いら》えはやはり早かった。そして、短い。端《はな》から否定されるような気はしていたけれど、その速度たるや、僕をたじろがせるには充分すぎる。  おかげで続く言葉を発せないままでいる僕に、クロイツはひとつ溜息をついてみせた。 「俺の家は割と普通の貴族の家だよ。親父は王宮勤めで、お袋は家にいる」  では、と僕は黙したまま考える。彼の父はもしかすると、僕の顔見知りであるかもしれない。名前を聞けばわかる相手である可能性も、けっして低くないはずだ。だと言うのに、僕はそれを言葉に出して問うことができなかった。  なぜなら僕は、クロイツという名の息子を持つひとと、王宮の中で会ったことがないからだ。つまりなにか、前提がおかしい。欠けている。 「おまえの親もそんな感じだろ?」  僕の戸惑いに構わず、クロイツのほうが言葉を連ねる。すかさずうんと肯定を返しはしたものの、それは僕があらかじめ用意していた返答のひとつでしかない。  王都に暮らす貴族は、その大半が王宮に仕える者だ。だから、この類の質問は肯定しておけば面倒がないのである。  クロイツは手綱を操って馬の足を緩めた。そうしてすっかり僕に並んでしまってから、こちらの顔を覗き見て来る。 「ま、俺の家の場合は領地が北のほうなんだけどな」  にへらと笑う顔は子どものようだ。くだらない秘密を打ち明ける、少年の笑み。 「ということは、領地から参内《さんだい》なさっておられたのか」  呆れた気分で僕は答えた。王宮で働く貴族には、土地を持たない名誉貴族と、王都に別宅を構えて暮らす地方領主の二種がいる。エクリールの家は前者であるが、クロイツの家は後者というわけだ。そこまで考えを巡らせて、僕も顔を横へと向ける。 「君もいずれは家督を継いだり――はしないか。兄君がおられるんだもんな」 「半分当たり。兄貴はまとめて流行《はや》り病《やまい》でくたばったが、継承権は弟のほうに行った」  次に、首をかしげる。 「兄君が全員亡くなられたのなら、継承権は君が得るものだろう」  家督というのは往々にしてそういうものだ。はじめは長子が継承権を得るが、死去するような事態があれば直下の子どもに継承権が移行する。  エクリールのように長子が家督の継承権を捨てた場合なら、次男が得た権利を放棄することによってはじめて、三男以下に権利が回る。その例外の筆頭は父母が別の家に属する場合だが、クロイツの話ぶりにそんな気配はうかがえなかった。  次に考えられるのはエクリールと同様、上の兄すべてが放棄した場合だが、これもやはり当人の言葉からは考えにくい。となれば―― 「君、」  考え得るのはただひとつ、さらなる例外だけだ。それは僕が思い出せるだけの一般性を持つものの、目の前の男にはどうにも似合わないように思えてならない。 「神官だったのか」  なにか合図の力加減を間違えたのか、月毛の馬が大きく首を振る。慌ててそれを制すべく手綱を引いた僕の姿に、クロイツは大笑した。にわかに彼が乗る鹿毛のほうも嘶《いなな》いて、彼も似たような行動を実施する羽目になる。二頭を常歩《なみあし》に戻すには、短くない時間が要った。 「丸をつけてやりたいところだが、残念、これも半分だけだ」  真面目に前を眺めながら、クロイツは虚空に弧を描いた。真円にはしない。  ――僕らは周辺諸国のひとびとが崇める〈偉大なるもの〉を示す呼称に則り、自分達が尊ぶ最果ての獣を〈神〉と呼称することがある。  両者は厳密には異なるものであるが、手の届かないものであるという点については大差がないからだ。その延長として僕らは、現世において竜を奉ることを生業にする者たちを指して〈神官〉と呼ぶ。 「見習いでやめちまったからな」  僕の解答に半丸を与えた魔術師は、みずからの正体をそう称した。 「……ご両親、怒っただろう」  家から神官を出すことは、一族から魔術師を輩出する以上の栄誉である。かわりに神官となる子どもは家との関わりを失うが、家が得られるものは大きい。  神官として務めさせた子どもが逃げたということは、その利益も誉れも、同時に跡取りの予備も一挙に失ったということに等しい。それに伴う彼の両親の落胆については、想像することさえ恐ろしかった。 「どうだろうなぁ」  返答はどこか迷ったふうだ。けれどもいつもの僕がするのと同じ、言葉そのものに対する迷いではない。 「先生ともあれから連絡は取ってねぇし……便りがないのはなんとやらってところか」  本当になにひとつ知らないから、言えることがない――そんなふうに聞こえた。 「そっか」  彼が言う先生は、もちろん僕の先生ではない。リセリのことでもない。  おそらくは彼が見習いを務めていた場所の、本物の神官のことだ。 「……先生は、よい方だった?」 「おう」  返答は常のとおりの早さ。僕は、ふたつの音の短い隙間に「先生」の姿を探す。  けれどもそれが見つかるより先に、クロイツはふたたび口を開いた。銀の鈴の音が語るのはただただ、かつて暮らした神殿の上の種々《くさぐさ》である。  薄氷《うすらい》よりほかに橋渡しを持たない水上の宮。終日竟夜《ひねもすよもすがら》、竜へ捧げるための物語を書く作業のこと。獣皮から保存の効く紙を作るための方法。湖の氷を割る儀礼。師でもあった本物の神官が紡ぐ、詩編の数々――旧《ふる》い言葉をつなぐ旋律は抑揚に乏しく、しかしながらやわらかに僕の耳朶を打つ。  こうして聞く彼の声は、祭具に近しい祈りの側に属するものだった。  職人たちがひとつずつ手で作る蒼玻璃の香炉と、それを示す鈴、儀礼の前触れとして吹かれる石笛――それらと同じ、斯《か》く在《あ》れかしと誰かが願った事実の具現。  そういう声を出せるようにと、誰かが心を込めて育てたかたち。  彼が紡ぐ歌の響きは、いつかに聞いた子守唄に似ている。歴史のどこかへ正確な語意を落とした言葉たちが、優しい意味合いのものだけを、今の世へと伝えているからだ。  もっとも残念なことに、クロイツは僕を寝かしつける目的でそれを唄っているわけではない。どちらかといえばその逆、僕を起こすために唄っている。  思い返してみれば一連の話も同く、僕を起こしておくためのものだった。  ――天を仰げば、すでに夜は白みつつある。  見るべき方角を見やれば、夜はその帳を上げる用意を整えつつあるだろう。要するに、僕もそろそろ一夜を徹《てつ》する。眠気の波はちょうどすぐ間近まで来ているが、半端に意味のわかる歌は、それを防ぐにはちょうど良かった。  おそらくもう少し経てば、眠気は一周回ってどこかへ行ってしまうはずだ。  いっぽうクロイツは口許だけを動かしながら、まっすぐに前を見ている。唇からまろび出る歌は、おそらく彼にとっても尊き御方へ加護を請う歌なのだろうと僕は思った。  詩篇《しへん》の響きを従えて至った三叉路の先は、馬たちが歩きやすい道ではない。  此処から先、鞍の上でうとうとしていたのでは、なにかの拍子に落馬することも充分にあり得る。ついでに延々喋っていたりすると、舌を噛む可能性も大きい。  トゥーリーズへ続く雪道へと入るのと同時、クロイツはぴたりと口を噤んだ。  僕もそれに倣《なら》って黙り込み、聞いたばかりの話に色をつける作業に入る。  陰影相混じり合って揺蕩《たゆた》う水面は透明な青、神殿の壁は色の一切を拒む白。脳裏にまざまざと風景を描く作業を続ければ、寝入ってしまう恐れは少ない。  ついでに、馬の歩みから伝わる上下動もなかなかのものだった。もはや眠気が訪れる要素はないままで、僕らは白んだ空の下にある灰色の壁を見るに至る。

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