アマゾンの泥水

「お勤めご苦労。久しぶりだな、ジョニー、エリザベート」  二〇一九年五月某日。  黒龍江省での一件の後、退院した俺ことスライムのジョニー・ジャクスン海兵隊二等軍曹はキャンプ・レジューンの少佐殿のオフィスに呼び出されていた。  当然、相棒のレイザーこと黒エルフのエリザベート・ファースタンバーグ三等軍曹もだ。  素敵に年季の入った黒壇の執務机の向こうに座る我らが女ボス、少佐殿は真新しい中佐の襟章をつけてニコニコしていた。  紫色の肌に金色の瞳、立派な羊角と紫色の美しい髪。身長は低くて胸は大きく、やや童顔。  まるで一昔前の秋津島のアニメに出てくる女の子だが、これで二千数百余年を生きる|戦乙女《ヴァルキリー》、我らが堕天使様だ。  俺とレイザーはパッとすばやく敬礼した。しばらく二本足になっていなかったらから俺の動作にあやふやなところはあったが、元少佐殿──中佐殿は笑顔で答礼してくれた。ありがたい。 「中佐殿もお変わりなく。昇進おめでとうございます」 「なに、お前たちのおかげだ。礼を言う」  秋津島の皇室関係者を救出した黒竜江省の一件は、中東撤退後ろくな吉報のなかった|海兵隊特殊作戦部《MARSOC》、いや、|魔王軍特殊作戦軍《U.S.SOCOM》全体にとってとりわけ大きな戦果として伝えられた。  秋津島内戦にうまく介入できず、オキナワを始めとした北西太平洋の主要拠点を失った魔王軍と合衆国にとっても、久しぶりの明るいニュースだった──少なくとも、秋津島との同盟を重要視する派閥には。 「でも、災難でした。とりわけハードテイルには」 「ああ。ジョシュアとグリンベレーには気の毒なことになった」  大日本帝国株式会社の人材獲得コマンドに包囲され、蹂躙されかけていた秋津島からの脱出者とグリンベレーを助けるために、俺たち第9特設救難小隊は無茶なことをやらかした。  俺自身を含む四人の|ぶよぶよ野郎《スライム》だけを先行降下させ、生きた防壁とし、本隊到着までの時間を稼ぐ。  その無茶は、グリンベレー一二名を含む二三名の死傷者を出しつつも、秋津島皇室正統後継者・麗子内親王殿下の救出に確かに成功した。第9特設救難小隊の損害は二名だけ。ハードテイルことジョシュア・マッキンゼイ曹長とクラッシュことミランダ・ケイシー二等軍曹だ。  クラッシュはなんとか一命をとりとめたが、グレネードで細切れにされたハードテイルは初期救命処置が成功したにもかかわらず、ハワイの海軍病院にたどり着いた五分後に死んでしまった。海兵隊の記録簿には戦死と記入された。  そして、この無茶なことを提案したのはこの俺だ。 「御遺族は」 「居ない。先週葬式に行ってきたが、寂しいものだったよ」  中佐殿は儚く笑って頭を軽く振った。 「二千と何百年か生きてても、こればっかりは慣れないな」 「中佐殿──いえ、閣下のそのお言葉だけで、俺達はみな救われます」  二千年、あるいはそれよりもっともっと古い時代から異端の民を守るため戦ってきた堕天使様がたに、俺たち魔族の兵隊が満腔の敬意を示すのは、彼女たちがこういう方々だからだ。  有史以前に姿を消して信仰と試練のみを残された神々や、信徒の死を称えるばかりで悼むことのない大多数の天使たちとはわけが違う。  プロテスタントや回顧的イスラームでは不信心そのものの考えだが、あいにく俺は種族の信仰とフス派やカソリックやルター派の影響がまぜこぜになった、スライム祖霊信仰だ。今日も明日もぶよぶよのんびり生きられますように、ぶよ。  中佐殿はもう一度頭を振った。 「ともあれ、あの作戦に参加した将兵は全員昇進だ。それと二週間、交代で休暇を貰える」  それまで無表情だったレイザーが少しばかり顔をしかめさせた。 「そんな顔するなよ、エリザベート。ちゃんと二人の休暇は揃えてやるから」  俺が海兵への復帰を決めた日から、レイザーは片時も側を離れようとしない。  俺とレイザーは互いの命を自分のものとした仲だ。内容はいささか物騒だが。  しかし中佐殿が苦笑交じりに言ってやると、途端にレイザーは上機嫌になり、規律を無視して俺の左腕──スライムといっても二本足の真似をしている方が、二本足の社会では何かと便利だ──にまとわりついた。爽やかで華やかな彼女の体臭を感じ取り、俺もずいぶんいい心地になった。  中佐殿の机の側に安めの姿勢で控えていたバート上級曹長が咳払いをした。身長二一五センチもある筋肉だるまのオーガーがそういうふうにすると、それだけでずいぶんな迫力がある。  俺たちは慌てて離れて気をつけをし直した。 「まったく。お前たちときたら、いつでもどこでも発情しおってからに」 「すんません、気をつけてはいるんですが」 「こうなるとお前たちにはさっさと退役してもらうしか無いな! 再就職先はコーヒー屋か、農場か。どっちがいい?」  俺たちがぎょっとすると、中佐殿はさっと右手を振った。 「今のは冗談だ。私と魔王軍は、まだお前たちを手放す気にはならない」 「そいつは良かった」 「それにお前の煎れたコーヒーは」  ここで俺以外の全員が唱和した。 「アマゾンの泥水だ」  特設救難大隊ですっかりお決まりの冗談になった、俺のコーヒーの悪口だ。  でもそこまで言うことはないだろう?  俺のコーヒーは激しくまずいだけで、腹まで下すことはない。  少なくとも目覚ましには最適の逸品だと、俺は自認している。

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124pt

かわいい……みんなかわいい……

2019.09.05 09:36

榊亮

2

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ああ、ついにお二人が結婚! 13年もなんと一途なこと!(笑)

2019.08.16 15:37

機人レンジ

1

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