エピローグ

【佐々木響】東京 /9月10日15時10分  貴美雄の記憶喪失というアクシデントにバタバタしたが、やっと落ち着いてきた。  子供を助けてよろめいて頭を打ったって聞いた時は力が抜けた。CTも問題なかったし、怪我も少し腫れてる程度とのことだ、大丈夫だろう。  不動産屋には俺がすぐさま連絡した。あいつの診断書を持って押し掛けて迫ったら、変だとは思っていたと意外とすんなり受け入れて敷金の返金など対応してくれた。入居していた分の日割り分と部屋のクリーニング代は取られたが仕方がない。いや、それでもしめしめと朦朧としている客に契約までさせた辺りあの不動産屋は悪質だな。  ま、変な買い物をしてないだけまだマシと考えよう。……大丈夫だよな?クレジットカードの明細も確認しといた方がいいよなこれ。  つい、ため息が出た。  それにしても、よく3日間何事もなく過ごせたものだ。丸々1年間記憶を失くしていたとはいえ、日付が記憶を失う前と失った後で一緒なせいで気づかなかったというのはどこか抜けてるあいつらしい。  そもそも記憶喪失になったのだって、俺をこっそり迎えに空港に行こうしていた途中だと言う。  あの日は飛行機がキャンセルになって振替便が翌日になったから、迎えに来ていたとしても俺の便は飛ばなかったから無駄足になっていたんだけどな。気持ちだけもらってはおくが、なにも記憶を置いていかなくたっていいのに。  3日間何をしていたか聞いたら、部屋に何にもないから最低限の買い出しをした後はずっとこもって書き物をしていたというじゃないか。  そんなところもあいつらしい。  しかし一番びっくりしたのはその書き物だ。  嫌がるところを無理やり見せてもらって驚いた。タイトルは「カワラナデシコ」。  前に書いたものと同じタイトル。  中身も同じく、友人の杏と伊吹山に向かう私小説風のフィクションだ。友人役に俺を想定して書いたと言われて少し気恥ずかしく思うのは今でも変わらない。  ただ、話の流れが違っている。  文芸新人賞奨励賞を受賞した作品では伊吹山に向かう隣に友人がいたが、3日間で書いた分では出だしは同じであるが隣に友人がいない展開になっている。  興味を覚えて読み進めたが、前作『カワラナデシコ』と同じようでいて全く見え方の違う世界観の「カワラナデシコ」は、前作と併せて読むと同じはずの主人公の心境が環境によってこうも違いを見せるのか、という気持ちが伝わってきて一つの魅力となっている。  俺はこの新しい「カワラナデシコ」を完成させるように貴美雄に頼み込んだ。この作品は前作と対になる作品となるに違いない。  最初は完成している『カワラナデシコ』があるんならと不承不承ではあったが、今ではもくもくと続きを書いている。あいつの中でもきっと大切な作品なのだろう。  記憶を失くしていながらも、一度書いたことを忘れながらも、同じテーマで同じタイトルのものを書くというのは貴美雄の中で大切なモチーフだからに決まっている。  俺は参考にと送ってもらった書き途中の「カワラナデシコ」のデータを出先の喫茶店で開く。今は香港のブックフェアで見つけた絵本の翻訳権プロデュースを終えた後のほんの息抜きタイムだ。  俺は慣れた動作でその箇所を表示させる。今の段階でも気に入っている、あいつの一文を。 「カワラナデシコ」ー67頁ー 「君がいなければ知らなかった花の名前を知ることで、僕の世界はまた一つ広くなった。今僕の隣に君はいないけれど、君がこの世界に確かにいることは今の僕の世界の見え方がそれを証明している。たとえ離れていてもその事実はなくならない」  END

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