作家の話③

 3. 【尾毛貴美雄】東京 /9月3日18時30分  データを保存すると一つため息を吐いた。  いつからか自然と一段落すると漏れるようになったが僕はまだ29歳だ、歳のせいではないと思いたい。  気付くと部屋が薄暗くなっていることに今更気がつく。いつのまにか夕方になっていたらしい。  疲れているほどでもないがわざわざ外に出るのも億劫と思い、また湯を沸かす。  ビニール袋を漁り、小腹を満たすアイテムを取り出す。日用品と一緒に買ってきたカップ麺。同じメーカーの品で、そばとうどんを買ってきていた。  僕はそばにした。響(ひびき)は、うどんの方が好きだから、顔を出した時にこちらが残っていた方が良い顔をするだろう。  湯を注ぐと3分間何も考えない。これは僕の習慣なのだが、ちょっとした時間に何もしない時間を意図的に作っている。無意識のうちに脳内が整理されるのを期待しているのと、意識的に休憩を入れるためた。  簡素な食事をしながら考える。どうして響は遅いのか。適当なようでいて押さえるところは押さえるあいつのことだ、覚えていることに対して何もしないなんてことはないだろう。  そうなると思い至る可能性が一つある。もしかして、響は僕のことを忘れてしまったのではないかと。  バカな妄想だが、物書きの性分なのか考え始めると自然と状況が浮かんでくる。  何か理由があって記憶を失ってしまった君。  僕の名前である尾毛(おもう)貴美雄(きみお)すらも思い出せない。自分の事だけはしっかり覚えているくせに、周りに居た特定の人の事がすこんと抜け落ちる記憶障害。仕事には復帰できていながら、見慣れたはずの名前に辿り着けない日々を過ごしている。……なんて、ね。  少し考えて、意識してその妄想を中断した。  言葉にすると本当になる、なんてのは古臭い迷信だと思っているけれど、一度こうかもしれないと思ったことが可能性として不安を煽ることまでは否定できない。  人間心理ってそういうものだ。不確定なものに対しては想像することで対応するしかないが、想像することしかできないからこそ芽生えたイメージを払拭するのは容易ではない。  君が僕のことを忘れているかもしれない。  あくまで想像の域を出ない話だ。  それに別にそうだったとしても慌てることはない。僕には僕の生活があり、響が居ないからといって成り立たないわけではない。  食事を終え、ゴミを片付ける。  カロリーを摂るだけならばなんだっていいはずなのに、敢えてそばを選び、トッピングの小さい乾燥ナルトに嬉しさを覚えたりする。  必要でなくとも、あった方が彩りが豊かになるものは確実にある。食事も、暮らしも。  不必要なものを排していった先にあるものはなんだろう。そもそも、それが不必要だとどうして分かるだろうか。  不必要なものが一定量積み重なることで必要なものに化けることもあるかもしれない。  安易に判断できないなら、世界には彩りがあった方がいいのではないだろうか。  つらつらとしょうもないことを考えながら、近くに見つけた銭湯に向かう。  あまり汗をかかない性分だけれど、湯に浸かることで得られる何かはあると思っている。それは不確定な着想だったりもするが、確実に得られるのは疲労回復という効能だ。

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