第42話 万能薬

「皆、もういいから持ち場に戻れ。リゼのことは僕たちに任せて」  紫庵の靴音が、つかつかと鳴る。 「えーっ! リゼ様、ついさっき目を覚ましたばっかりなのに!」 「まだカラダ拭いて差し上げてる途中よー!」 「ワタシだってスープ飲んでもらってないわ!」 「じゃあ、オレが飲んでやるよー!」 「キャーッ! ちょっとダージリン! あんたが飲んでどうすんの!」  紫庵が追い払うと、ウサギ獣人メイドたちは、文句を言いながらも部屋から出て行った。  出ていく際に、なぎを上から下までじろじろと見ていった。  外国人の美少女あるいは美人たちばかりだ。  なぎは俯いた。  ウサギ美女……こんな綺麗な人達が、常にリゼさんの周りにいたんだ…… 「なぎちゃん、手伝って」 「は、はい」  紫庵、弥月、なぎの三人でリゼを抱え起こした時、リゼの背が異常にボコボコとしていることに気付き、なぎも弥月も目を見張った。 「リゼ、ほら、シャツを脱ぐんだ」 「イヤです!」  抵抗するリゼを無視して、紫庵がシャツをめくると、背の左側には、肩甲骨のあたりから腰まで、拳ほどの青い笠のキノコがびっしりと生えていたのだった。  両手を口に当てたなぎと、「わっ!」と驚いた弥月が尋ねる前に、紫庵が答えていた。 「バンダースナッチの毒のせいだよ」  リゼは無念そうな顔付きで、黙っていた。 「あ、博士からもらった薬が……」  言いながら、なぎはポケットからプラスチックのケースを取り出した。 「おっと! 塗るのはまだだぜ。ジャムとバター探してくるからな! 待ってろ、リゼ!」  弥月は、なぎの手から薬の入ったケースを引ったくり、鞄を持ち、勢いよく飛び跳ねて、部屋から出て行った。 「なんてひどい……! これが傷跡なんて……」  なぎがベッドに座るリゼを見るが、リゼは目を逸らした。  それは、初めて見る表情だった。  普段のやさしく笑いかける草食系男子とはまったく違う、落胆とも違う、思い通りにいかない悔しさ、歯がゆさにも似たその様子に、なぎは、やはり自分は来てはいけなかったのだと思い、またしても悲しくなった。 「なぎさんには見られたくなかった」  リゼの言葉の後にも、沈黙が流れた。  ふと、なぎが上目遣いになる。 「……あの、……さっきのハーレムを……ですか?」 「違いますよ! この怪我です!」  一瞬、なぎを見上げると、かあっとリゼの顔が赤くなり、再び顔を背けた。 「弱って情けないところなんか……見られたくなかったんです。不甲斐なくて……」  聞き返すように、なぎが見つめるが、リゼは目を合わせないままだ。 「……あ、ああ、弥月のヤツ遅いなぁ! バターが見つからないのかも知れないから一緒に探してこよう!」  独り言を装ってそう言うと、紫庵は、すうっと姿を消した。 「……不甲斐ないなんて、わたし、思わないです。クイーンとおばあちゃんを助けるために傷を負ったんだから、むしろ、男らしいって思います」  傷に障らないよう気遣うような静かな声で応えた。 「アズサとメアリー・アンは、無事そちらにいるのですね」  少しだけ微笑みを浮かべ、リゼは安堵したようだった。 「今、こちらでは異変が起きていて大変なんだろうとは思ったけど、……わたしがこっちに来ても足手まといなだけだってわかってたけど、……行かずにはいられなかったんです。リゼさんに何があったのか、ずっと心配で……」  潤んだ瞳で、下を向くリゼを見ているうちに、居たたまれない気持ちになっていく。 「でも、お世話をしてくれる人があんなにいるんだったら、わたしが来なくても大丈夫でしたね……。みーくんが薬の調合が終わったら、……帰ります」  なぎが背を向けた時だった。  リゼが、なぎの手を掴んだ。  おそるおそる振り返ると、リゼは下を向いたままだった。 「……さっき、なぎさんを見て、懐かしく思えました。僕には、こっちの世界の方が長くいたのに、不思議ですよね」 「……懐かしい? わたしが?」 「はい。ですが、今、この世界では危険な怪物が横行していて、僕が今まで見たこともないくらい、外は本当に危険な状態なんです。なぎさんにもしものことがあったらと思うと、ぼくこそ心配で、逸早く元の世界に帰してあげないと、って思って……でも、いてくれると……」  リゼが握っていた手を引き寄せるのは、強い力ではなかったが、なぎはリゼの胸に滑り込んでいた。 「……いてくれると、嬉しい」 「わたしも……そばにいられるなら、……嬉しい」  こぼれる涙を押さえるなぎの背を、リゼの右腕がやさしく抱えた。  弥月たちが戻ると、なぎの膝の上で、白いウサギが丸くなって眠っていた。  背の半分には、青いきのこが生えている。  二人に気付くと、目元を赤くしたなぎは、にこっと笑った。 「リゼさん、疲れたみたいで、そのまま寝ちゃった」  唖然として、紫庵が口を利いた。 「……せっかくの再会なのにね」 「ううん、いいの。充分だわ」  こぼれる笑顔で、ウサギの額を指でそっと撫でる。 「じゃあ、今のうちに、薬塗ってやろうぜ!」  弥月が素早く跳んでいき、木の器にバターとジャムと万能薬を合わせたドロドロのものをヘラで掬い、白い背に並んだ青い笠に塗りたくった。  途端に、ウサギは目を開き、なぎの膝から転げ落ち、ベッドの下へと隠れた。 「あっ! 逃げるなよ!」  弥月がベッドの下を覗き込むと、白ウサギは耳をピンと立て、縮こまっていた。 「ちょっとしみるかもしれないけど、これ塗らないと治んないぜ!」 「え? しみるの?」 「ああ。結構痛いかも」  なぎは、気の毒そうな顔でベッドの下を覗く。  白ウサギはますます奥へと引っ込んだが、後ろから音も立てずに近付いた紫庵に引っ張り出された。 「さすがネコ! 気配消すのうまいな!」  弥月が喜んでその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。  ウサギを手のひらに乗せ、慣れた手付きで抱き上げると、紫庵はにっこり笑った。 「さあ、リゼ、いい子だから、なぎちゃんのところに行きな。はい」 「え? わ、わたしが? きゃっ!」  ジタバタしているウサギをなぎの胸に押し付け、「早く押さえて!」と早口で言った。  慌てふためき、なぎは暴れているウサギを縦抱きし、ウサギの頭を胸にぴったりと付けた。 「だ、大丈夫だから、リゼさん。これを塗れば怪我も治ります。すぐ済みますから、いい子にしてて」  リゼを胸に抱いていると思うと変な気もするが、なぎの声を聞いたウサギは暴れるのはやめても緊張しているように強張り、ぶるぶる震えて縮まっている。  そうであっても、容赦なく弥月がバター状態の薬をべったりと塗りたくった。  暴れて逃げ出そうとするウサギを、なぎが必死で、強すぎない力で押さえこむ。  なんとか薬を塗り終わり、ベタベタになった背に、紫庵がリゼの白いシャツを取り出し、被せた。  ウサギはヘトヘトになり、ぐったりとなぎの膝の上に横になっていた。 「ウサギになってる時で良かったな。激痛でも叫べないから」  にこにこと笑う弥月を、なぎは見上げた。 「激痛……?」 「ああ、多分な」 「《《ヒトになってたら》》、押さえつけるのもっと大変だったね」  弥月に続いた紫庵も、にっこり笑った。  なぎの顔が青ざめていき、心から気の毒そうに、伸びているウサギを見つめた。  もし、梓が同じ目に合っていたとしたらと考えると、ゾッとする。  なぎは心からリゼに感謝し、早く治ることを願っていた。 「……リゼさん、お疲れ様でした。おばあちゃんを助けてくれて、本当にありがとうね」  感謝だけではない、愛おしさも込められた瞳で見下ろし、人差し指と中指の背で、軽くウサギの白い頬の毛を撫でた。

ブックマーク

この作品の評価

33pt

Loading...