合唱サークル、刷新される

 平成最後の4月5日、わたしの参加している公民館活動の一つ、合唱サークルの重鎮たちがサークルを去って行った。 『家族の面倒を見なければならない』 『病気が進んで出られなくなった』 『公民館に来るのが大変だから』  理由はさまざまであった。  30年間サークルを続けていた人がやめたときには、目を疑ってしまった。  わたしにはわからない。  サークルに不満があったのだろうか。  ボケていく家族が心配だと言われたら、沈黙するしかない。  男には仕事があり、女には家庭がある、というのが昭和30年代の女性の価値観であるらしい。故に女に社会生活は営めないという向きもあるようだが、かつての重鎮たちは女性らしい社会生活を営むというよりは、男に近いやり方でサークル活動をしていた。  強いリーダーシップと、根回しのうまさ。  弁舌さわやか、交渉力抜群。  その鋭い舌鋒を武器にすることもある。  少しでも浮いた人間を見ると、KYと口にして、からかっていた。  そんな彼らが、意外と身内には優しいのだとわかって、わたしは見直した。  広島人というのは、根性論を口にしたり熱血漢だったりするのだけれど、根のところは優しくてちょっとばかり、不器用なのかもしれない。   いや、不器用かどうかはわからない。ひょっとしたら、浮ついた言葉を言うのは不誠実だと思っていただけなのかも。  重鎮たちが去ったあと、新しい人たちがサークルに入ってきた。  その人たちは、会議を開き、小さいことでも相談して決めてくる。  以前には、ぜんぶ重鎮たちにお任せしていたので、こんなことぐらいは代表が決めてもいいのに、と思うが、新人さんには不安があるのだろう。  もともと民主主義というのはめんどくさいものなのである。  勝手になんでも決められて不満だった人にとっては、このサークル運営は歓迎できることのようで、新しい人たちを気に入った、という声も聞く。  以前からのサークル会員は、2人になった。  わたしは、すぐ「嫁!」 と呼び捨てにし、小さなことに目くじらを立てた重鎮がいなくなり、少しさびしく思っている。  ちょっかいを出されるのは、関心のある証拠なのだ。  いつまでサークルが続くかはわからないが、毎週のように自分たちのおしゃべりで盛り上がる会員たちを見ていると、女性らしいサークル活動になったという実感が、じわじわとわいてくる。雰囲気は、以前よりも開放的になった。  当たり前だが、広島人にも、いろいろある。いろんな人と関わっていきたいと願ってやまない。 

ブックマーク

この作品の評価

0pt

Loading...