極東黙示録1927 | 第壱章『帝都に舞う式鬼、霊鎮めたる巫女』
寝る犬

第玖話「桜花爛漫―おうからんまん―」

 四月。  銀座でのあの攻防から、すでに半月以上の時が過ぎている。  当初その見鬼《けんき》の左目のみを買われて陰陽独立特務大隊《おんみょうどくりつとくむだいたい》へと編入することになった九条大和も、実践を経《へ》るに連れ、壱与《いよ》の式鬼甲冑《しきかっちゅう》・蛭子神《ひるこ》、飯塚の神刀《じんとう》・天薙雲《あめのなぎくも》に次ぐ、第三の戦力として、対|式鬼《しき》戦闘の前線に立つようになっていた。  大和の持つ鬼遊《おにすさび》と言う名の小振りな特殊軍刀は、人を斬るために鍛えられた《《普通の》》打刀《うちがたな》である。  本来ならば、霊子《れいし》に乗ったエネルギーと波長、そしてベクトルに過ぎない式鬼《しき》を斬ることなどかなわないはずの軍刀で、なぜか大和だけがそれを斬り、その上|陰陽術《おんみょうじゅつ》の式鬼返《しきがえ》しを行ったのと同様に、術者へと反撃を行うことが出来るのだった。  式鬼《しき》を打った相手よりも高位の術式と、その式鬼《しき》の持つ波長・ベクトルを正確に推し量る能力を必要とするはずの式鬼返《しきがえ》しは、ここ数年断続的に続く帝都東京への霊的攻撃を食い止め、その《《元》》を突き止める力となる。  慢性的な戦力不足に悩む陰陽独立特務大隊《おんみょうどくりつとくむだいたい》が、これを放っておくはずもなかった。  だが、陰陽独立特務大隊《おんみょうどくりつとくむだいたい》の誇《ほこ》る最新鋭の蒸気式《じょうきしき》霊子演算機《れいしえんざんき》『思兼《おもいかね》』を持ってしてもなぜ大和だけが式鬼《しき》を斬ることが出来るのかは、定かにはわかっていない。  いくら科学が発達し、国家神道《こっかしんとう》陰陽術《おんみょうじゅつ》の知識が蓄積《ちくせき》されようとも、いくつかの《《仮定》》を提示するに留まっていた。  もとより大和本人にも判らぬ力であるのだ。なぜ己の左目が式鬼《しき》を見ることが出来るのか、なぜ己の振るう軍刀が式鬼《しき》を斬ることが出来るのか、全くわからない。  ただ、《《できる》》。  その事実と確信だけが、大和の中にしっかりと在った。  そしてあの炎の武人である。  陸軍幼年学校《りくぐんようねんがっこう》を逃げ出したあの夜、大和少年の体を内から支配し。憤怒の炎で焼き尽くさんとした力。  あの武人は、陰陽独立特務大隊《おんみょうどくりつとくむだいたい》で陰陽術の基礎を身に着けた彼が、自らの身体を寄《よ》り代《しろ》として偶然に降ろした力である。  記録された霊子《れいし》エネルギー量からすれば、本来ならば神器《じんぎ》レベルの依り代と、巫女《みこ》数人分の霊力がなければ、呼び起こすことなど叶わないものと『思兼《おもいかね》』は試算した。  例えるならば、式鬼甲冑《しきかっちゅう》に『神の座』として取り付けられた六つの『陰陽鏡《おんみょうきょう》』と、神代《じんだい》の巫女《みこ》の再来とされる壱与《いよ》の全霊力。  それを持ってすれば、あるいは可能かもしれない。  だが、さすがの壱与といえども、言霊《ことだま》を扱う陰陽師である以上、名も知らぬ神を降ろすことは叶わなかった。  結局、大和の能力については、霊子学研究の世界最高学府《せかいさいこうがくふ》と名高い帝国大学の協力を得ても、何もわからないというのが本当であった。 「――と言う訳で、昨日まで第一分隊『飯塚隊』の補助戦闘員として扱っていた九条大和二等兵を第三分隊の筆頭戦闘員とする許可が下りました。本日より第三分隊を『九条隊』と称します。やっと対|式鬼《しき》戦闘を行える分隊が三つになり、今までよりも広域の作戦行動を取ることが出来るようになる訳ですが、九条二等兵は壱与同様若輩です。各員の補助と、一層の努力を望みます」  考え事をしていた大和の耳に、美しい女性士官、獅子王院《ししおういん》 櫻子《さくらこ》少尉の挨拶が聞こえる。  ふと視線を横に向けると、和装に白いフリル付きのエプロン姿の少女が、一生懸命に話を聞く姿が目に入った。  陰陽大隊《おんみょうだいたい》に、式鬼《しき》として討伐されかけていた大和を救ってくれた、この壱与《いよ》と言う名の同い年の少女に、何度もあのときの言葉の意味を聞こうとした大和であったが、結局今まで聞くことはできずにいる。  特に理由があるわけではない。タイミングであったり、その場の空気であったり、《《なんとなく》》聞きそびれていただけなのだ。横目で見つめる大和の視線の先で、壱与が振り返った。  急に強く吹いた風が淡い紅色《べにいろ》の桜を散らし、壱与の双眸《そうぼう》と大和の左目。三つの赤い虹彩《こうさい》に、美しいグラデーションを彩った。 「――さて、神祇省《じんぎしょう》の誇る霊子演算機《れいしえんざんき》『思兼《おもいかね》』によると、本日より四日間の式鬼《しき》警戒レベルはほぼゼロと試算されています。これは前後半年間の予想の中では最も低い数値です。よって本日、最低限の警戒要員以外は休養も兼ね、九条大和二等兵との懇親会《こんしんかい》、および大隊主催のお花見会を催すこととしました。皆《みな》存分に英気を養ってください。では、私の話はこのくらいで。大隊長、お言葉と乾杯の音頭をお願いします」 「よっ! 安芸津《あきつ》少佐どの! 待ってました!」  飯塚少尉のおどけた囃子《はやし》言葉に、周囲の兵たちからも同じような喝采が上がる。少佐といえば上級士官である。しかも大隊長といえば、言うまでもなくこの部隊で一番偉い人間であるはずだ。帝国軍人の常識から考えれば、飯塚のような物言いは懲罰ものであるように大和には思えた。  そんな大和の気持ちなどお構いなしに、床几《しょうぎ》から「よっこらしょ」と立ち上がった白髪で恰幅《かっぷく》のいい男性が、三崎伍長から酒坏《さかづき》を受け取る。  直接会話をしたことはおろか、入隊してから一ヶ月以上経つにもかかわらず、こんなに近くで見ることも初めてである大隊長に、大和は緊張した面持ちで、直立不動の姿勢をとった。 「え~、なんだね。言うべきことは獅子王院《ししおういん》が全部言っちまったし、アタシからは特になにもないよ。優秀な副官を持つと楽ができていいやね」  人好きのする笑顔をたたえ、安芸津《あきつ》少佐はまるで噺家《はなしか》のように、ざっくばらんな言葉でそう言った。  あっけにとられる大和の見ている前で、少佐は着流しの裾《すそ》から右足をのぞかせる。ガチャリと鳴ったその足は、膝の上から先がすっぱりと無くなっており、まるで式鬼甲冑《しきかっちゅう》のような義足《ぎそく》になっていた。 「しかし獅子王院《ししおういん》の話は長すぎるのが玉《たま》に瑕《きず》ってやつだ。待ってる間に疲れっちまったよ。ほらこのとおり、足が棒になっちまった」 「出た! 少佐どのの十八番《おはこ》!」 「はいはい、お後がよろしいようで。あ、乾杯はそれぞれいいようにね」  飯塚の合いの手。苦笑する櫻子《さくらこ》と呆然とする大和を尻目に、周囲からはまたどっと笑い声が上がる。  そのままなし崩し的に宴会は始まり、上野恩賜公園《うえのおんしこうえん》の端に陣取った花見会場は、楽しげな空気に包まれた。 「九条さま、どうかなさいましたか?」  頭が回らなくなり、ただその場に突っ立って宴会を眺めていた大和の袖が、遠慮がちに引かれる。我に返った大和を、壱与《いよ》が心配げに覗き込んでいた。 「……あの方が……いや、安芸津《あきつ》大佐どのは、いつもああなのか?」 「はい! 安芸津《あきつ》さまはとても面白い方でいらっしゃいます!」  仮にも陸軍大佐である。普段の大和であれば「士官に向かって面白い方とは何事か!」と一喝していたであろう。しかし、涼し気な着流し姿で扇子を片手に酒を飲む安芸津《あきつ》少佐には、面白い方以外の形容詞が見つからない。また、本人もそれを望んでいる様子でもあり、大和は小さくため息を付いた。  憧れであったはずの軍属である。神祇省《じんぎしょう》所属の部隊であるということ、つまり櫻子《さくらこ》を含め、構成員の一部が文官であることを差し引いても、仮にも帝国陸軍《ていこくりくぐん》の特殊部隊であるはずだ。  その陰陽大隊《おんみょうだいたい》に所属してからというものの、大和の理想像は粉々に砕かれていた。 「……大隊長どのに挨拶をと思っていたが、今日はお忙しそうだ、次の機会でいいだろう」 「はい。お酒の席と言うのは《《壱与たち》》にはよくわかりませんから」  壱与に悪気はない。それをわかっていても、言外に女子供と一括りにされた気がして、大和はむっとする。  そんな大和の心に気づきもせず、壱与はそわそわと桜の向こうへと視線をさまよわせていた。何の気なしに視線をたどる。陰陽大隊《おんみょうだいたい》の酒席として広くロープの張られた境界線の向こうで、たくさんの露店《ろてん》が軒《のき》を連《つら》ね、大人も子供も群がっているのが見えた。 「なんだ、欲しいものでもあるのか?」  壱与の背中がびくんと跳ねる。その姿は、いたずらが見つかった子供そのものであった。  恐る恐る振り返った壱与の頬《ほほ》は、熱を持っているように赤い。  大和は小さな優越感を感じ、やっと肩の力を抜いて笑うことができた。 「あの! 違うんです! 食べ物のことばかり考えていたわけでは……いえ、本当に美味しそうですけど……違うんです!」  しどろもどろになりながら、壱与は一生懸命言い訳をしている。  周囲を見渡し、大人が皆《みな》酒宴を楽しんでいるのを確認すると、大和はロープに向かって歩き始めた。 「え? 九条さま?」 「どうした? 行かないのか?」 「あ、はい! あ、でも……」 「構うことはない。誰も壱与が居ないことなど気にしないさ」  それでもまだ、ぐずぐずと悩みながら胸の前でこね回している壱与の手を、やまとはぐいと引っ張る。 「あ」 「いいから来い。行くぞ」  問答無用で大股に歩き始める大和の後ろを、赤いリボンを揺らしながら壱与が歩く。  和装の壱与は大和の歩く速さに合わせるのに一生懸命であったが、それでもその顔は、嬉しそうに笑っていた。  

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