振り子細工とマリアベール

「紹介するね。村井シゲルさん、ええっと、その、私の夫、です」彼女は頰を赤らめた。恥ずかしげに口元に添えた手には銀の指輪がきらめいている。 彼女、笹倉改め村井サツキとは幼馴染だ。二つ年上の姉・千秋の同級生で、実家は隣同士。子供の頃から三人でよく遊んだものだった。さすがに中学に上がった頃からは同級生と過ごすことも増えたが、事あるごとに映画を観に行ったり、ファストフードに集ってだらだらとお喋りをしたり、部屋でゲームに白熱したりした。親友、と呼んでも差し支えない関係だったと思う。彼女が遠方の大学に進学した後はなかなか会う機会も得られなかったが、それでも年に数度はメールのやり取りがあったし、帰省のおりには欠かさず顔を出してくれた。そして今日、光栄にも我々姉弟は彼女の友人代表として、揃って結婚式に招待された、というわけだ。 「おお。写真で見たよりずっといい男でびっくりしたぞ」千秋はサツキを肘で小突いた。村井氏は照れた笑顔を見せる。確かに、いかにも人が好さそうで、かつ理知的で、いかにもデキル男、な印象の人物だ。聞くところによれば、そこそこ大手の商社に勤めているらしい。「村井です。サツキがいつもお世話になっています」彼は微笑み、会釈した。柔らかなテノールで口調も穏やか、旧友の夫としては何の心配もない、極めて申し分のない人物であるといえる。挨拶の後、女性陣が束の間の井戸端会議に花を咲かせる間に村井氏は黒服の式場スタッフに呼ばれどこかへ行ってしまった。彼の姿が見えなくなると同時に、俺は無意識に息をついてしまい、慌てて咳払いで誤魔化す。人見知りをするたちではないのだけれど、さすがに少々緊張していたようだ。「ハルちゃんも、来てくれてありがとうね」冷や汗をかいていると、不意にサツキがこちらを向いた。見慣れているはずの顔だが、今日はなんだかやたらと眩しく感じる。記憶にある彼女の姿は制服かデニムばかり。当然、ドレス姿など初めてだ。白い肌に真紅のルージュが映える。「二人には絶対、来て欲しかったんだよね」昔と変わらないサツキの屈託のない笑みに、俺は密かに安堵した。 「ところで、本当におれ来ても良かったの。いくら幼馴染でも、普通はさ」俺は小声で尋ねた。結婚式に異性の友人呼んでトラブルに発展した、というような話は時折耳にする。招待状を受け取ったときから、断る選択肢はないとはいえそれだけが不安だった。しかし彼女は笑顔のまま首を横に振った。「大丈夫、ハルちゃんが私の初恋の人だって、シゲル君も知ってるから」そうか、知っているのか。それなら——いや、ちょっと待ってくれ。「今、なんて?」「初恋の人」「だれが?」「ハルちゃん」「だれの?」「私」「いつ?」「高校入ったばかりの頃かなあ。ハルちゃんが中学生。ぜんぜん脈なさそうだったし、結局言えないまま卒業しちゃった」目眩がした。冗談にもほどがある。初恋?それはこちらの台詞だ。それももっと前、小学生の頃から、<現在に至るまで>だ。救いを求めるように千秋の方を見ると、目をそらして口笛を吹く仕草。からかってやんなよとか、何か言うことがあるだろ?ないのか?まさか、本当に?おれの十何年は一体何だったんだ?いや待て違う、そうじゃない。顔には出すな。いくらなんでも、今日、この日に。 「そうなの?そりゃ悪いことした……いや、そのおかげであんないい人見つけられたんだから、むしろおれ、感謝されてもいいんじゃない」これでも一応社会人、接客業で叩き上げられた営業用のペルソナが咄嗟にいい仕事をした。俺は笑い、サツキも笑う。「えへへ。まあねえ」サツキの斜め後ろで千秋があからさまにほっとした顔をした。「あ、私もう行かなきゃ。チアキ、スピーチよろしくね」サツキは顔の前で両手を合わせ、それから手を振って控え室へと戻っていった。引きずられたドレスの裾を近くに控えていた介添人が慌てて持ち上げ、花嫁について行く。その後姿を見送っていると、いきなり背中を強く叩かれ、俺は思い切り咽せた。「てめえ、何すんだよ」振り返って千秋を睨みつける。「気合いだよ、気合い」千秋は澄まし顔でそう言った。「もうすぐ開場だ、行くぞ」 「あー、しかしその、なんだ」足元も覚束ない二次会からの帰り、千秋は心なしかしおらしかった。「我が親友ながら、あそこまでデリカシーが不自由だとは思わなかった。許せ弟よ」千秋が俺を弟呼ばわりするのは相当にバツが悪い時だ。わかってはいたが、やはりコイツは最初から全部知っていたのだ。サツキのことも、俺のことも。「しかし、どうせ一時の気の迷いだと思って黙っていたのもよくなかったか……」千秋は赤い顔で呟く。この女も大概、デリカシーには不自由だ。「まあ、昔の話だろ」俺は努めて平静を装う。「そうなのか?」千秋の追撃。披露宴の料理はなんの味もしなかったし、なんなら誰が何の話をしたか、余興があったかどうか、当のサツキが最後にどんなスピーチをしたかだって何ひとつ覚えてはいないのだが、ここまできてその砦を破られるわけにもいかない。千秋は不服そうな顔をしている。「あのな晴巳。その自制の強さは美徳だが、こういう時くらいはブチまけちまったって、アタシは気にしないぞ」予想より随分真っ直ぐな言葉に、俺の視界は揺れた。しかし込み上げてきたのは涙ではなく。「……あ」俺はそのまま道端にうずくまった。 「ほれ、水買ってきたぞ」千秋が投げてよこしたペットボトルを受け取り、キャップをひねる。「悪い」口をすすぎ、残りで地面を流した。とりあえず、側溝のそばで助かった。「どう見てもペースおかしかったからな」「いつも通りだよ」「そういうことにしてもいいけど」しばしの沈黙。「そうだ、合コンしよう」千秋が唐突に言った。「しねえよ」鼻をすすり、俺は立ち上がった。 ……と、いうのがもう五年も前で。今では四人になった村井家とは普通に家族ぐるみの付き合いが続いている。驚くべきことにあのガサツ極まりない姉も一昨年結婚して、来月には第一子が誕生する予定だ。そして俺はというと、相変わらずの独身貴族。「やべえ、コメも卵も切れてる」月曜日の朝、冷蔵庫も炊飯器も空っぽだ。袋麺を補充しなかった先週の怠惰な自分が恨めしい。仕方なしに魚肉ソーセージを焼きもせずそのまま囓る。幸いにも今日は特売日だ。仕事帰りにあれこれ調達してこよう。 窓を開けると外は穏やかな小春日和。向かいの一軒家の花壇には色とりどりの花が揺れている。しかし本当の春には、まだまだ遠い。

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実家が隣同士、距離が近過ぎるとダメですねぇ。

2019.05.14 10:43

薔薇美

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