2話

 娘は、答えに困ります。目線を落として、左に泳がせたかと思うと、今度は右に彷徨います。娘は、青年の誠実な思いを嬉しく思いました。けれど、擦り切れだらけの服や、切って貼って継ぎ足したような補修だらけのスカートと青年の身奇麗な服装とを見比べて、恥ずかしく思ったのです。娘は、苦しみ紛れの精一杯の作り笑いを浮かべて、言いました。 「気が早く、ありませんか? 私達、初めて会ったばかりですし」  青年は、茹で上がるように赤面し、逃げるように目を伏せて 「すみません。あなたの仰る通りですね」と、気弱な口調で言いました。それから、また顔を持ち上げ、真摯な面持ちで娘を見据えます。 「僕は、あなたの事をずっと見ていた。一目見た時から、あなたに恋をしてしまったのです」と。  娘は、どぎまぎ居心地悪く、気後れしました。というのも青年と自分では、白鳥と烏くらい、別な生き物に見えたからです。この青年は身なりからして、きっと貴族。けれども、私は、何とか食いつなぐだけの大貧民。自分のような人間が、この青年に釣り合うとは思えない。娘は、そう思ったのです。その場は、苦し紛れの言い繕いをして、逃げのびた娘。  けれども、この青年の苛烈な程の熱に、ついに娘の心も動かされました。元より、娘の方は、この青年に何ら不快はありません。寧ろ、面貌秀逸なこの青年には、心惹かれるばかりでした。何度かのデートを重ねて、いつしか青年は娘の心の支えとなりました。娘は瓦解寸前だった自身の人生に生きる意義を見出したのです。そうして、ある日の事。青年は娘を妻に娶りたい、と言いました。拒む理由など何一つありません。娘は青年の事を好いていたし、青年だって娘の事を愛していました。  しかし、青年は貴族の出。彼には、親が決めた許婚が居た事を知らされます。娘はショックを受けました。けれど、言いにくい事を正直に話してくれた青年の誠意に目を向け、それをありがたいと思い直します。青年は娘を自宅へと招きます。そこは、やはり、貴族の家とも言うべきか、壁は全てレンガ作り。窓から差し込む陽光だけでは十分な光が得られません。その為、昼間ですら、煌びやかなシャンデリアに灯りを灯しています。絹のクロスが掛けられた長テーブルの席に、娘は青年と並んで座ります。そして、長テーブルを挟んだ向こう側に、青年の父親は、いかめしい面構えで座っています。豪奢な食事を終えた後、いよいよ、本題に入ります。 「父上、私は、彼女を妻に迎えたい、と思います」と言って、青年は娘の手を握りました。娘は、伏目がちに青年の父親を見据えます。父親は、ちらと汚物でもみるような細めた目で、娘を一瞥してから 「馬鹿を言うな。お前は、この家の跡取りなんだ。こんなどこの家の出か、わからぬ娘と一緒になりたい等と」  娘は困惑顔で面伏せ、一際小さく、背を丸めました。反論の余地等ありません。片田舎の村の出である我が身が恥ずかしく、青年に対して申し訳なく思ったのです。青年は、父親に必死の形相で反駁します。 「家の事等知りません。彼女と一緒になる事が出来なければ、この喉を切り裂いて、自害する覚悟すらあります」  その後は青年とその父親の、凄絶な一騎打ち。大激論が始まったのです。両者共に、お互いの意を曲げず、相手の心をへし折らんばかりに、罵詈(ばり)を飛ばし合っていました。その場は、引き分けと言う形で幕切れとなりましたが、後に勝ったのは青年でした。父親は、鋼鉄すら捻じ曲げるほどの青年の頑迷な意思の前に、敗れたのです。もはや聞く耳持たずと、諦めた形ではありますが、屈した事には違いありません。こうして、娘は、青年と結ばれる事を約束されました。 父親と論争してまで、この青年は自分との関係に対し誠実を尽くしてくれた。その事が何より嬉しく、娘は一生、この青年に付いて行こうと感奮し、思い余って涙しました。また、誰かの妻となる、という諦めかけていた念願が叶い、歓喜していました。そして、青年との婚儀は進み、娘は、青年の家の一室に引っ越してきました。今まで借りていた暗く狭い部屋とは、段違いです。天井は見上げるように高く、天窓からは、光が差し込みます。通気性だって、断然に良く、カビの臭いは一切しません。娘は、青年から借り受けた艶のある椅子に腰掛けると、うっとり目元を潤ませながら、自身の将来に思いを馳せます。貴族の妻として、迎えられるのだから、礼儀作法にも気をつけなくっちゃ。身なりだって、気にしないといけないわね。ちょっと、髪を切ろうかしら。こんこん、と扉を叩く音が聞こえ、はっと我に返って、娘は現実へと意識を戻します。娘が戸を開くと、そこには、微笑を浮かべる青年の姿がありました。 「新しい部屋は気に入ってくれた?」 「はい」 「これからは、侍女に何でも言いつけるといいよ」 「ええ、ありがとう」と笑顔で談笑していた時、娘は急に気分が悪くなりました。胃が重く感じ、そこから何かが上がるような胸のムカつきが始まりました。思わず、よろめき前かがみになった瞬間、青年が娘を抱き支えます。 「どうしたの? 顔色悪いけど」 「ごめんなさい。夕べ、振舞って貰った料理があまりに、おいしかったから、食べ過ぎちゃったのかな」そう言って、笑顔を繕おうとした瞬間。  げえっ! 鉄砲魚の如く、その場に吐瀉物をぶちまけました。  青年はすかさず、自分の口元を押さえます。釣られて、げろを吐きそうになったのです。 しかし「いけない。すぐに、横になった方がいい」青年は、娘の腕を取り肩に回す形で、抱き支えるとベッドに、そっと横たえます。 「ごめんなさい。汚しちゃって」 「いいんだ。環境が急激に変わったから、その反動かもしれない」と言って、青年は慈しむような目で娘を見た後、傍に座って手を握りました。お先真っ暗なんて、思っていたけれど、こんなに優しい人と一緒になれるなんて、私は何て幸せ者なんだろう。娘は幸せを感じながら、眠りにつきました。一晩、眠ったら、もう何ともないはず。娘だけでなく、皆が、そう思っていた事でしょう。  けれど、その日を境に頻繁に、吐き気を催すようになりました。変な物なんて食べていないし、頭を打ったりした事もない。どうしちゃったの?私の体は・・・。青年も同じように心配になったのでしょう。青年は医者に見てもらう事を進めました。 「大丈夫。寝ていれば、明日には、きっと良くなるから」と虚勢を張っては見たものの、一向に良くなる兆しは見えません。そればかりか、その頻度は前にも増して、多くなりました。

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