戴冠、或いは暁を待つ | 二章:魔術師は語る
かなた

09

 昼時、職人の名を冠された通りはひとでごった返している。坂の下の門前広場から、屋台やもの売りが登って来るせいだ。さらには飯屋からの配達人やら、昼食を買いに来る人間やらが加わって、王都でもそうそう見られない光景がそこにはあった。  僕らは白昼夢めいた喧騒に飲まれることを避けるべく、早くから裏路地に入る。薄暗い小道を下ってから鍛冶屋通りへ出て、昼食を買ってからラリューシャの工房へ。  ハイロは心底嬉しそうな顔で扉を開け、僕らを迎えてくれた。 「食事を買って来たよ。あと、こっちはアマリエから」  言いつつ手渡した本を、彼は恭《うやうや》しくさえ見える手付きで受け取る。 「ハイロはいつもそういう本を読むよね」  僕がアマリエに頼まれて運んだ本は、実のところこれが初ではなかった。彼女はいつも誰かに頼んで、士官向けの教科書として使われる本を調達する。 「実は寝る前に読んだりしてるの?」  ハイロは答えに迷ったのか、微苦笑を貼り付けた顔で頭を掻いた。 「そいつはもともと軍人志望だぞ。知らなかったのか?」  かわりに答えたのはクロイツだった。早々に床で胡座《あぐら》を組んだ彼を見下ろしながら、僕も腰を下ろす。 「適性試験で駄目だったんだよな」 「一回話した切りなのに、よく覚えてるな。心の傷を抉《えぐ》らないで欲しいんだけど」  困ったような笑みは消さぬまま、最後にハイロが座った。  ラリューシャの工房には、弟子が寝泊まりする部屋はあるものの、個人的に使える机と椅子は数が少ない。ゆえに部屋の中で何人かで話すなら、こうして床に座るのが通例だ。 「おまえの場合は擦り傷みたいなもんだろうが」 「心の傷に擦り傷も切り傷もないだろ」  淹れてもらった花《はな》茶《ちや》の赤い雫を啜りつつ、僕は眉根を寄せた。苦かったわけではない。 「……だった、ってことはもう諦めたってこと?」  ほかならぬハイロ自身が首を横に振る。 「俺の場合はまだ、誰かと〈契約〉するっていう抜け道があるから」  竜の血を引く獣たちは、自分たちの祖がそうであったように、ヒトと契約を交わすことができた。夢見の眸《め》との契約は、その生涯を竜の夢《寝物語》へ転ずることだと言い換えられる。  ――かつて偉大なるかたちの獣《アデライード》は、善《よ》き語り部《べ》の王と呼ばれる僕らの祖が与えた寝物語に対し、この国そのものを与えてくださった。そのことを受け、竜はみずからの子らが行う契約に対しても、それに相応しい対価を用意してくださっている。  それは僕らが明晰夢に手を加えることに似ているが、完全に時間の法則から外れた奇跡でもあった。つまりかの竜は、未だ見ぬ夢に対して手を加え、僕らの願いを叶えてくれる。諸外国では唯一神とまで呼ばれる誰かに等しい御《み》業《わざ》でもあるが、その媒介となる獣とヒトの側には、契約を全《まつと》うし終えるまでは寄り添う必要があるという縛りもある。  ゆえに獣の側には、数々の特例が法によって認められていた。たとえば貴族と契約を交わせば、護衛として軍籍に身を置くこともできるだとか、そういう類の約束事が。 「おかげでどうしたって諦めがつかないのは、よくないね」  ハイロはごろごろ喉を鳴らして、昼食の包みを開いた。遅れて僕もそれに倣《なら》う。  今日の昼食は、馴染みの店で買った鶏肉とほうれん草のパイ包みだ。包みの油紙を半分だけ残して食べるやり方は、店を紹介してくれたハイロから教わった。  豆《まめ》炭《ずみ》を載せた鉄鍋に入れて売られていた料理は、まだほのかに暖かい。  中に巻き込まれたバターがじわりと溶けているけれど、残した油紙で包めば指は汚れずに済む。 「それならいっそ鍛冶屋の見習いなんて、綺麗さっぱりやめちまえよ」  他店で買った串焼きの肉を串から外しつつ、クロイツはそんなことを言う。 「昔の俺みたいに、荒事に首突っ込んでるほうが百倍目があるって。仕事なら昔の伝手でいくらでも紹介してやるからさぁ」  たとえば――と彼は言葉を続けようとしたが、それを制したのはハイロだった。  夜天色のまなこには、すっかり困り果てたようにも見える、諦念の色が浮かんでいる。 「俺は駄目だ。人間相手についうっかりは通用しないだろ」  ハイロは獣――〈竜の仔〉だ。その身はヒトの姿をしているときはおろか、野を駆ける獣の姿をしているときでさえ、同等の体格を持つ生物に勝る。もしも意志があるというのであれば、彼の身体はヒトにとって充分な凶器になり得るだろう。たとえ意志がなくとも過程が違うだけで、結果は同じだ。 「じゃあ、いっそ魔術師にでもなっちまえよ。雇われでもちゃんと真面目にやれば待遇なんて軍人と変わんねぇから。な?」 「……なにが『な』だ」  言って、ハイロは肩をすくめる。 「俺たちの躯《からだ》は、最果てに座《おわ》す貴き御方が現《うつ》し世《よ》に遺《つか》わされた道具だ。自分勝手にあの方の御業を成すなんて、寿命に鑢《やすり》をかけるみたいなもんだぞ」 「ああ、鬼《おに》目《め》のやつね」 「……鬼目?」  思わず問うた声に、クロイツは両の手をこすり合わせる。 「人参が一発で微《み》塵《じん》切《ぎ》りと千《せん》切《ぎ》りの合いの子になる」 「出処《でどころ》が同じなんだから、そいつらの子どもも人参だろ……」  ハイロは呆れたような声を発したが、魔術師が言わんとしたところは十分に通じた。  というよりも、僕はその事実を知っていた。最果てのあるじから分《わか》たれて生まれた獣たちは、みずからの意思に基づく魔術を使うことができない。それはこの国における、一種の常識だ。 「あと、おまえみたいに親方の鍛冶場で傷の手当てができるほど、俺の神経は太くない」  続くハイロの言葉に、クロイツは答えなかった。  かわりに串から外してあった肉のひとつを、今ひとたび串刺しの憂き目に遭わせる。 「ルカ」  そうして改めて僕を呼ばわる声は、いつもどおりの涼やかさ。続きを求めて首をかしげると、彼は串に刺した肉を嚥下し終えてから、言葉を舌の上に乗せる。 「今日はだいぶ歩くから、飯残すなよ」 「満腹になるなとも言われたよね。今日はどこまで行くか、そろそろ教えてもらえる?」  魔術師はうなずいた。 「ここトゥーリーズが誇る難関不落の城壁、誉《ほま》れも高き〈銀の壁〉の上だ」  これには、僕よりも先にハイロが声を上げる。いつもの堂々たる声音からは想像もつかない、本当の少年のような高い声だった。僕はむしろそちらのほうに驚いて、目を瞠《みは》る。 「おまえ、あんなところにルカを連れて行くつもりか!?」  あんな――と呼ぶということは、彼はあの城壁の上に登ったことがあるらしい。  ぐしゃりと油紙に皺が寄る音がして、ハイロが身を乗り出した。 「落ちたら死ぬんだぞ!」 「壁上の警備隊だって生身のヒトだけど、落ちて死んだやつなんていねぇだろ。というよりルカ、あれだ、面倒だからおまえから説明しろ」  ヒトと同じ見た目をした喉からは、赫《かく》然《ぜん》たる獣の唸りが漏れている。が、クロイツはさしてそれに構うふうもなく、また肉をひとつ串刺しにした。 「……僕は頼みごとをした立場だから、納得していることなんだよ、ハイロ」  手指を汚すことなく肉を平らげる姿を横目に、僕はまっすぐハイロのほうを見る。  怒りによって開いた瞳孔のせいで、彼のまなこはほとんどが黒い。そこに湖面を揺蕩《たゆた》うにも似た光が見えるのは、眼球の奥にある夜目を利かせるための機構のせいだろう。その証拠に瞳孔が閉じるのに合わせ、瞳の光も薄らいで行く。それがすべて収まることこそなかったものの、結局ハイロは僕らを止めなかった。  かわりにえらく同情した顔をして、工房を去るのを見送ってくれる。  通りはすでにひとの姿もまばらになり、商売人たちも片付けに勤《いそ》しんでいるぐらいのものだ。クロイツはそんな鍛冶屋通りを、まっすぐに渡って路地へ入った。さらにはガラス職人の集う吹《ふき》屋《や》通りを抜け、土の匂いの濃い窯守通《かまもどお》りを過ぎ、僕が名前も知らない細い通りも過ぎ越して、ひたすら南へ歩いて行く。  そうして行き着いた先で目にした壁は、門前広場で見たときより高く見えた。もちろん距離や作りの問題ではなく、僕の気分の問題としての話だ。  なにせ僕らは今からこれを登るのだから、楽しい気分がするはずもない。 「垂直登《とう》攀《はん》は間違いなく無理だと思うけれど……」  壁を見上げる僕の横で、クロイツは少しだけ坂を下った先を指した。 「こいつは元々、大昔の戦争中に使われてたもんだ。越えて入ろうとするやつがいたら困るから、きちんとそれを防げるように作ってある」  磨き抜いた雪花石膏を想わせる指が示す先には、壁と同じ灰色の石を積んで作った階段が存在している。階《きざはし》を追って目線を上げて行けば、その終点は壁の上だ。つまりは登った先で待ち構え、梯《はし》子《ご》かなにかでやって来る敵を迎え撃つ仕組みらしい。  ほとんど空を仰ぐようだった顔を戻して、僕は魔術師の姿を見やる。 「――ので、ありがたく使わせてもらう」 「ありがたくかぁ」  正直、まったくありがたくない。が、クロイツは坂道を歩く気安さで、石の段差に足をかける。登る足取りにも、重さらしい重さはなかった。  中天に近い日を受けた霜《しも》華《ばな》の模様ばかりが、風《かざ》花《はな》めいて揺れている。  対する僕は暗色の外套をまとった姿で、重いばかりのはじめの一歩を踏み出した。二段上がり、三段上がり、そのあたりで早々に段数を数えることをやめる。どうせ帰りもこれを降りなくてはいけないのだ。明確な数字がわかっていれば、そのときは絶望的な気分がするはずである。  ふと見上げた白い姿は、登っては止まりを繰り返し、僕が追い越すことを許さない。  正直、呆れた身軽さと脚力だと思った。 「なぁ」  声をかければ、止まった先で振り返る。続きを促す声はなかったが、僕はそれを彼なりの傾聴《けいちよう》の姿勢と捉えることにした。 「君、さっきの話は本当か?」 「ハイロに話したことか?」  クロイツは、ふたたび言葉を待つことはしなかった。  陽の光にさんざめく風花《かざはな》たちがそうであるように、刺繍に留められた氷の華の姿は愉しげに踊る。それを従えて、魔術師はまた石の段差を登って行く。  不意に吹き下ろした風に混じって、エクリールの吸う香薬と同じ香りがした。 「あれなら本当だ。隠してるわけでもねぇし、大将だって知ってるよ」  同時に落ちる声は、平時と同じ。  幅の細い階《きざはし》をまたひとつ登りながら、僕はかつて先生から聞いた話を思い出す。  ――先生が言うところによれば、猟兵は必ず三人ひと組のものらしい。観測手と護衛を兼ねた者がひとりと、狙撃役がひとり。最後のひとりが両者の支援役。狙撃役と呼ばれる者を必ず擁《よう》するのは、本職の狩人たちがその役割を担っていたときの名残りである。  そして彼らが今時分に与えられる役割は、街の中で獲物を狩るようなものである、とも先生は言っていた。だから本来ならば、狙撃役はもう必要ない。  かわりにひとりが追い立て、もうひとりが退路を塞ぎ、残りひとりが標的を仕留める。そのために、三者ともに近距離での格闘に長ける。今ではそういう形式の兵《へい》科《か》になったのだ。 「なら、あのとき対応が手馴れていたのはそのせいか……」  ゆえに彼らはみずからの仲間が欠けることを厭《いと》う、とも聞いた記憶がある。  つまり、三人のうちひとりを潰してしまうのは、猟兵たちと相対するときの最善手というわけだ。それを成せる手腕がいかほどのものか、僕には判断がつかない。  考えようとしたさなか、不意に刃物の冷たさが首筋を撫でる感触があった。錯覚だ。打ち消すように首筋を撫でつけながら、また石段をひとつ登る。  改めて見上げれば、いよいよ壁の上が明瞭に見えつつあった。あと数段を残して、クロイツは城壁の天辺へと手をかけ、自分の身体を引き上げる。  僕は素直に階段を登って残る距離を埋めた。もし足でも滑らせれば、目も当てられない事態になるのは確実だ。考えるまでもない。

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