戴冠、或いは暁を待つ | 二章:魔術師は語る
かなた

08

 夢を見ていた。僕がまだ故郷にあったころ、父も健在であったころの夢である。  父はけっして名君ではなかったが、国をいたずらに荒らすこともなかった。そんな父の血を引く僕の同胞《はらから》は、さながら気弱が服を着て歩いているような有様だった。  対する僕は喧伝《けんでん》とは真逆に、ドレスの裾をたくし上げ、中庭を走り回って遊ぶような子どもであった。花々をわたる蝶たち、先生の魔術を真似て壁に描き付けた文様、父の獣が手ずから作ってくれた鳥《とり》呼《よび》笛《ぶえ》――思い出せば懐かしいばかりの、僕の遊び場。そこで遊ぶことを咎められた記憶が少ないのは、僕が王位を継がない王女として、良くも悪くも放任されていたせいなのだろうと今ならわかる。  ちなみにその裏返しとして、珍しく咎める性質《たち》のひとは僕に対して容赦がなかった。  たとえば王宮勤めであったエクリールの父君などは、僕の首根っこを掴んだりするぐらいのことを、わりあい平気でやっていた記憶がある。そうして僕を庭木だの壁だのから引っ剥がして、宙吊りのまま一喝をくれるのだ。  それを目撃したきょうだいは驚くほどよく泣いて、ずいぶん困ったのを覚えている。  彼――リュカは一事が万事そんな塩梅であったから、世継ぎとして避けては通れない儀礼さえ嫌がってよく泣いていた。仕方なくそれを代行してやれたのは、僕らがひとつの胎に生まれたきょうだいであったからこそ。  きょうだいの服をまとった僕を、誰もが王女だと見抜くことはできなかった。結果として僕の同胞《はらから》は気弱なまま育ち、僕の行為のひとつひとつに、悲鳴とも泣き声ともつかない声を上げていたわけだ。  それは僕らが共有する秘密が暴かれる前の、短い時間のことでもあったけれど。  * * *  耳《じ》朶《だ》を打った悲鳴は、きょうだいが上げたものによく似ていた。目覚めたとたん、目に入る天井が王宮の白石ではないことに面食らってしまうほどに。  木目もあらわな天井の下、二枚重ねの毛布を跳ね上げて、寝間着のままで外へ出る。そうして一等に出会ったのは、花紺青《はなこんじよう》の上着を羽織った軍人だった。  眉尻の傷がやたらに目立つ、顔見知りの男だ。彼の姿を認めた僕は、ようやくここが今の自分の住まい――トゥーリーズが抱える軍の詰所兼宿舎の二階であることを、はっきりと思い出した。彼とふたりで顔を見合わせるうち、なんだなんだと宿舎全体が騒がしくなる。  廊下まで出て来た連中の中には、眠た過ぎてヒトの姿を取れない獣もいた。  そのうちアマリエが泣きそうな顔で走って来て、掃除用のブラシが折れていることを涙ながらに訴えた。自分が今朝の掃除当番であることを知っていて、誰かが悪戯《いたずら》をしたのかもしれない、と。  軍人たちは口々にそんな彼女を宥《なだ》め、労わり、同情の声をかけてやっていた。  僕も彼女の結われていない髪を撫でてやったが、心中は正直おだやかではなかった。なにせ僕はブラシを折った犯人を知っている。より正確には、折れたブラシと折れていないブラシを入れ替えた犯人を知っているのだ。  あの魔術師は昨晩窓から逃げたと思ったら、ちゃっかり入れ替えのほうも敢行していたらしい。その事実を口にせずにおいたのは、僕が彼に恩義を感じていたからにほかならない。  そして当の恩人はと言えば、朝食の麦粥が炊けるころ、ひょっこりと戻って来た。  改めて聞けば、昨日は木工通《もつこうどお》りの知人の家へ泊まったという。彼の宿泊先がラリューシャのところでなかったことに、僕は少しだけ安堵した。 「昨日はこっちに付き合ってもらったから、今日はおまえに行き先を決めさせてやる……と言ってやりたいところだが、今日は用事があってな。昼からでもいいか」 「いいけど、なんの?」 「久々にアマリエの勉強を見てやる」  チーズが入った麦粥は、とろみの分だけ冷めにくい。それを前にしたクロイツは、スプーンを手に取らなかった。かわりにテーブルへ頬杖をつき、右手のひと差し指で天板を叩いている。あからさまに苛立った態度だな、と僕は思った。 「アマリエの勉強を見るのは嫌なのか?」 「は?」 「なんだか苛々しているようだから……あ、違うか。いくら仲が悪くたって、アマリエは別に刺したり殴ったりはしないと思うよ」  黒いまなこが眇められ、整い切った顔が左右の均整を失う。  どうやら不正解らしいと判じたとき、彼は深々と溜息をついた。 「猫舌だから食えねぇんだよ、俺は」  近くの席で粥を睨んでいた軍人が不意に顔を上げ、僕らのほうを見た。インク色の目は彼が獣である証――比喩でもなんでもなく、彼は正真正銘の猫舌の持ち主である。  そのすぐそばで粥を啜っていた禿頭《とくとう》の中年が、小さく噴き出すのが見えた。  彼らをまとめて睨んだクロイツの顔には、もはや鬼気とでも呼べるものが見い出せる。ふたり揃って素知らぬふうを装うまでを見届けて、彼は頬杖をつく腕を変えた。 「……しかし君、本当に魔術師なんだな」  魔術師というのはみずからの術が及ぼす影響を計るため、世界そのものへと定められた法則――僕らが科学と呼ぶような事象に明るく、それを学ぶ過程で一定の教育を受けているのが常だ。だから彼らは押し並《な》べて、一定の知識階級であるとされる。  貴族の家に雇われた者であるなら、子女の家庭教師ぐらい兼務することも少なくない。ちなみに僕の先生だって、本業は父の相談役だった。 「魔術でそれを冷ましたりは」 「できるならとっくにやってる。いい加減に世の中の標準ってもんに慣れろよ、てめえ」  ただし品性に関しては、先生とクロイツは比べるまでもない。こんな男が知識階級に数えられることを、僕は少しだけ不思議に思った。  閑話休題。  エクリールは、実家であるハーウェン伯爵家の三男坊だ。しかしながら、彼はいずれ家《か》督《とく》を継ぐことが決まっている。  将家《しようか》の誉《ほま》れ高き家において、先に武官となった兄ふたりが、いずれ軍を離れて家に縛られることを厭《いと》った結果だ。なのでエクリールは順当に行けば――早逝してしまうことさえなければ、ハーウェン家の当主として爵位を得る。  彼に雇われているアマリエも、同じく順当に行くならば、将来は伯爵付きの女官となる。  ただし伯爵付きの女官というやつは、無闇に働きさえすればよいというものではない。彼女たちには必ず一定の学があり、読み書き計算にだって不自由しないのが通例だ。  そうでなくては、彼女たちが真の意味で主人の助けになることはできない。  ゆえにアマリエもまた、今から学をつけるべく頑張っているらしい。 「――数字だけで考えるから頭がこんがらがるんだよ、こういうもんは」  僕に教師と呼べるような相手はひとりしかいないから、教え方の巧《こう》拙《せつ》というものはよくわからない。けれどもクロイツは、巧と呼べるほうではないかと思う。  聞いていると、彼は意外とアマリエの目線に合わせてものを話すのだ。長椅子の上にのんべんだらりと横たわった姿勢が、まるで嘘かなにかのように。 「銀貨一枚と銅貨五枚で、銅貨六枚の林檎を買うとする。そうすると銅貨が足りないことになるわけだから、銀貨を銅貨十枚として出せるわけだ。そこから林檎の代金を引く」 「じゃあ、四枚と五枚で……おつりは銅貨九枚になりますね」 「そう、これを繰り下げと申します。ってことでひと区切り」  とりあえずの区切りが付いたのを見届けて、僕は惰性によって広げていた本を閉じた。 「お疲れさま。お茶でも淹れようか」  加湿のために、暖炉では常に湯が沸いている。道具さえ用意してあれば、紅茶を淹れるくらいは簡単な仕事だ。  宿舎には誰でも飲める買い置きの茶葉があるけれど、今日は僕が王都から持参したとっておきの茶葉を淹れることにする。元は先生の実家から送られた茶葉を、強くねだって譲ってもらったものだ。勿体ない飲み方なのは知っているけれど、先生の好みに倣《なら》って、蜂蜜とミルクもたっぷり入れた。 「ふむふむ、北のほうの銀《ぎん》葉《よう》紅茶ですね。アマリエは習ったから知っています」  量が入るようにと、使った器もカップではなく大ぶりのマグ。それを両手で包み込むようにして、アマリエは少しずつ紅茶を啜る。 「当たり。……クロイツはそんなことも教えてるの?」 「俺は読み書き計算と政治のことしか教えてねぇ。食いものは大将が甘やかしてんだよ」  室内でも外套を脱がない魔術師のほうは、ひとくち啜った時点で眉根を寄せた。猫舌という本人評は嘘ではないようだ。 「別に甘やかされてるんじゃないです! ただアマリエはまだ子どもで、ご実家へ帰った折にはまず婚約者様付きになるはずだからって……」  アマリエは声を荒げたものの、語勢は最後まで持続しなかった。緩々と勢いを失った言葉がすっかり消えたころ、僕は彼女とその師を交互に見る。 「胎《はら》違いの妹御《いもうとご》だよ。大々的な喧伝はしてねぇけどな」  問わんとしたところを察したらしいクロイツは、吐き捨てるように言った。 「要するに大将は異母妹《いもうと》が可愛くて仕方ないわけだ」  獣の血を引く一族であれば、父祖の血を守るための近親婚は珍しくない。  その中で、エクリールの御《ご》母《ぼ》堂《どう》は他家から嫁いで来た純血のヒトであった。それを踏まえて考えてみると、彼の子どもには期待されるところも大きいのだろう。 「エクリール、妹なんていたんだね」  言うと、クロイツは掌を見せて来る。意味を取りあぐねて見つめていると、 「御《おん》歳《とし》五歳」  と宣告された。 「あー……納得が行った」  もし遠縁の親戚などいるのであれば、そちらに妹御を嫁がせるほうが理に適っている。  つまり先日僕が騙《かた》った立場は、幼いアマリエであればともかく、クロイツを含む真っ当な大人を騙《だま》せるようなものではなかったわけだ。  アマリエは僕らのやり取りを不思議そうな顔で聞いていたが、なんでもないと首を振ってみせると、また紅茶を啜り始めた。  ――ついでの話であるが、五年前といえばわたしが完全に王宮の離れへ引きこもった年でもある。そして同時に父が病に倒れた年であり、きょうだいが立《りつ》太《たい》子《し》の儀に臨んだ年。  そのときからこちら、僕も先生に直接お会いしたことはない。この紅茶をいただいたときも、すべて手紙でやりとりをした。 「そういやアマリエ、この間の課題はまだ残ってるか」  お元気かしらと考え込む僕の耳に、ぞんざいな言葉が飛び込んで来る。けっして甘過ぎない涼やかな声は、その声遣《こわづか》いを含めても耳に心地好《よ》いものだった。  アマリエはこっくりうなずいて、談話室の机の抽斗《ひきだし》を開く。彼女が私物化しているらしいその中には、古びた羊皮紙やインクの瓶と、編み物の道具とが一緒くたに入れられていた。 「……じゃあ、今日の授業はこのまま終《しま》いにしよう」 「いつもより早いですけど……」 「俺はルカ様とお出かけだ」  アマリエはおもむろに眉をひそめたが、批難までは口にしなかった。クロイツの語調を咎めることもしない。 「お祖父《じい》さまの工房に顔を出されますか?」 「そいつに聞け」  いつの間にか上体を起こした魔術師は、僕のほうを顎で示した。 「なにか用があるなら回れると思うけれど――いいんだよね?」  白い布地に包まれた頭が上下する。是《ぜ》、の意だ。それを受けて、アマリエはもうひとつ抽斗を開いた。小さな手が引っ張り出したのは、革張りの表紙の上製本。それは机へ置かれたとたんに、あからさまなほど重たげな音を立てる。  めくりやすさを第一に、紙の並びもあえて不均一に作られた書籍は、ひどく物々しいと同時に年季も入った代物だった。 「ええと……〈刑《けい》訴《そ》判《はん》例《れい》集第七版〉?」  箔押しの表題も、まだ幼いアマリエの姿とはうまく結びつかない。彼女がこの本を開いて読み耽《ふけ》っているところなど、輪郭さえ想像ができなかった。 「アルトゥールの本かよ。盗んだのか?」 「ひと聞きの悪い! ハイロの勉強になる本をということで、相談して借りたのです」  そういえばアマリエはハイロに対し、報奨《ほうしよう》という名の対価を約束していた。しかし侍女見習いに過ぎない彼女は、自由になる金銭をほとんど所有していないはず。  さらには用がなければ広場を出て坂を下ることもしないのだから、彼女が用意できるせめてもの報いがこれなのだろう。 「届けてくればいいんだね、わかった」  本を手にした僕に、アマリエは深々と頭を下げた。そんな彼女に見送られるかたちで、僕はクロイツと並んで談話室を出る。  外套を着込んで外に出ると、空気は普段より乾いていた。 「こりゃ降るな、今夜あたりに」  室内から外套を着たままのくせ、クロイツは寒がるふうを見せない。彼は三種の魔術を使えると言っていたが、そのうちひとつは防寒の術であるのかもしれなかった。  さしあたって外套の白も、それを彩る金糸も寒々しげな色であったから、僕はなんとなく彼から目線を逸らしておくことにする。それほどまでに、寒い。 「……夜までに帰って来られる場所で済ませてもらえたら嬉しい」  視界の端で、金の色彩がわずかに動いた。 「それなんだけど、さっきも言ったとおり、今日はおまえが行き先決めていいよ」  気安い声に、逸らしたばかりの目線を戻す。こちらを見る黒いまなこは、遠目に見ても深淵の暗闇を想わせる色彩だった。 「なんでまた、そんな……」 「俺、ここ何ヶ月か街空けてたからさ。正直おまえといっしょだと、街中で見ておくべきところってそんなに算段がつかないの」  ひとりならどこへなりとも行けるのか、という言葉はぐっと飲み込む。そして僕は腕を組んだ。  吐き出す息の白さばかりがやたらと目につく。それはけっして、昨日見た香薬の煙とは似ていない。呼気の白さは煙と同じ薄青を佩《お》びていないから、似ようはずもない。あの煙はただの煙ではないから光の色に染まることができるのだ、などと言っていたのは先生だ。  どこか掠《かす》れたような懐かしい声を皮切りに、僕はきょうだいのことを思い出す。  今朝方《がた》の夢に出て来たきょうだいは、かつて僕のことを姉と呼んでいた。恐れを知らぬ勇敢な、自慢の姉だと。だから僕はそれに恥じないよう、できる限りは勇猛果敢な姉上でいたい―― 「なら、君が物を調べるやり方を教えて欲しい」  望んだままにあるために、僕はまず自分に胸を張れなくてはいけないと思った。  そのためにも、僕には知るべきことがある。――たとえば王都の現状であるだとか、そういう類のよしなしごとだ。 「できれば、エクリールに知れても害が少ないやり方を」  クロイツは燃え落ちた領主邸の跡地から、返答に先《さき》んじて呆れたような目線をくれた。 「いいよ」  なにを調べたいのか、とは問わない。  そうして落ちた沈黙を短いままに終わらせたのは、まだ幼さの残る声だった。 「クロイツ! お祖父さまに迷惑をかけたら容赦しませんからね!」 「あーもう言われなくてもわかってるよ! 仕事しろ、仕事!」  怒鳴り返したクロイツが見やった先、窓から身を乗り出した小さな侍女が、怒れる仔猫のように目端を吊り上げている。 「お祖父さまが作った道具を借りて行くのも許しませんよ!」 「それについては、おやっさんが許さねぇから安心しろ。じゃあな!」  大人の猫や犬でも仔猫の威嚇に怯むことはある。この場合はクロイツも。土台の上を駆ける背中をなかば呆然と見送ってから、僕もまた慌てて外へと駆けて行く。背中に当たる見送りの言葉に、しっかりと手を振りながら。

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