異能者たちの苦悩 | 第五章 マリオネットの憂鬱
ネームレス

第191話 創世の神話 開闢(かいびゃく)

 ――運命《さだめ》……?  鱗に覆われた蛇とも|竜《りゅう》ともとれる頭部が俺に言葉を吐いてきた。  |兎《うさぎ》であれば耳にあたる場所にツノがあり、その周囲にも剣山のように細かな突起物がある。  |冷徹《れいてつ》そうな赤い瞳と視線がぶつかった。  獣は喉の奥から深い息を放つ。  |獣臭《けものくさ》い風が剥き出しの牙のあいだをすり抜けてきた。  小さな木々ならば、この一息で簡単に倒れてしまうだろう。  ただし|ここ《・・》に木々があればの話だ、が。  見渡す限り木々ひとつ存在しない世界。  虫、一匹の存在も許されない環境。  「オマエはいつでも|他者《だれか》の|業《カルマ》を背負って|絆《ほだ》される」  喘息のような|喘鳴《ぜんめい》と空気を振動させる重低音が語りかけてきた。  口腔内は唾液で湿っていて、まるで朝日でも食い散らかしたように赤い。  さらに俺の目を釘づけにしたのはその大きな体だった。  それくらいの巨体でしか、その樹齢何百年もの丸太のような首は支えられないだろう。  「|理解《わか》ってる」  「|戯言《ざれごと》を。何度、繰り返せば気づくのだ?」  異形の頭部は八つあって、そのひとつは|人語《じんご》を習得していてスラスラと話をつづける。  他、七つの頭も|獲物《おれ》に狙いを定めているようで|一点《おれ》を凝視している。  |巨石《きょせき》のような体が合計八つの頭を支えていた。  それだけの体積があるのだから当然のことだろう。    長い首をそれぞれ不規則に揺らして俺に接近してくる。  俺の顔の前で――シューシューと鼻息を荒くさせた。  獣臭い微風がふたたび俺の体をかすめていく。  獣がクジラほどの大きさの尾を揺らすと――ズッシーン。と重い音がした。  そいつが動くたびに周囲の空気はピリリと委縮する。  鼻の先が俺の頬に触れる……いや触れているのかどうかはわからない。  |俺《・》が|俺《・》であることはまだ|俺《・》にはわからないから。    けれど、きっと|俺《・》は|俺《・》なんだろう。  ここが寒いのか暑いのかもわからない、ただ少し先に目をやると赤と|橙《だいだい》色の|艶光《つやびかり》したドロドロの物体が噴き出していた。    俺があのマグマに触れることができるのかできないのかもわからない。  あれは熱いのか冷たいのか?  温度なんてのはそれぞれの個体によっての感じ方だ。  熱帯魚にとって適温とされる最大公約数的な温度は|摂氏《せっし》二十四度から二十八度。  たとえば摂氏一度で生きる魚にとっての二十度台は死を意味する、十度であってもそれは死の環境だ。    逆説的に考えて、生存可能な環境下で測る温度を基準に、暑いのか寒いのか? 熱いのか冷たのいか?を判断しているにすぎない。  世界が変われば融点も沸点も変わる。  経験則からいえば、今のこの状態は雲が蒸発するほどの環境……でもすぐにマグマは脇からピキピキと凍結しはじめた。  今はまだしょうがないか、灼熱も極寒も同類項としてある。  いや、これは俺の速度領域の捕らえ方だ。  「それでも俺は……」  俺は巨大な生き物の|目下《もっか》で口ごもった。  決意か逡巡のどちらかの選択を迫られているようだったから。  |前回《あのとき》は失敗だった……のか……?  「つくづく因果な運命だな。いや、オマエにとって“因果”も“運命”も同義か?」  「ああ」  俺はそう答えるしかなかった。  「|時間《とき》は不可逆だ。決して|遡《さかのぼ》るな」  |時間《とき》とは、ある点から点への流れ。  |刻《とき》は、点と点を結んだ中のとある一点。    つまり|刻《とき》の連なりが|時《とき》を形成するといってもいい。   |現在《いま》は|現在《いま》である、けれどそう思った瞬間にさえ|現在《いま》は過去へと流れていく。    もう何百年分を費やした。  「|理解《わか》ってる。|因果律《じかん》に干渉しない」  「オマエにそれができるとは思えんな?」  そいつは笑った、いや、そう見えただけかもしれない。  でも確かに片方の口の端をニヤリと吊り上げていた。    ただ、俺にはそんな怪物の表情の見分け方などは知らない。  それでもわかってしまう、それが俺とこいつの|因果《いんが》だから。  それも前回までの関係だけれど。  「つぎは、いったいいくつの|特異点《とくいてん》が集結するのだろうな? 【|終焉《おわり》の|開始《はじまり》】。そのとき、ふたたび|相見《あいまみ》えようぞ?」  特異点は時間の支配から解放された存在。  時間の強制力から、ゆいいつ|解脱《げだつ》できる者。  「ああ。|幾星霜《いくせいそう》を経てそのときにな……ただし、俺は|終焉《おわり》を前提になんてしない。その眼で確かめろ」  「|未来永劫《えいごう》を願うか? ひとつ忠告しておいてやる。けっして望み通りの結果になどならん。七つのラッパが吹かれたのは七つの罪を犯しすぎたからだ。罪の洪水。罪の|決壊《けっかい》。箱舟を沈没させるほどの大罪。あれには恐れいった」  「きっと変えられる」  「|オリジナル・シン《げんざい》はまだ残っている。それを背負う者に繁栄などあるものか?」  巨大な生き物は、岩のように大きな目をギョロリと見開き、体躯を百八十度、|翻《ひるがえ》した。  真横には|二又《ふたまわ》に分かれた|鈍色《にびいろ》の槍が刺さっている。  ロンギヌスと呼ばれるものだ。  ロンギヌスがどこに刺さっているのか、いや、刺さってさえいないのかもしれない。  |聖槍《せいそう》の|柄《え》からはポタポタと赤い雫がしたたっている。  「そうだとしても|オリジナル・シン《げんざい》は何度となくその中身を変えてきた。|前回《・・》の罪を|今回《・・》も被るとは限らない。その都度|歴史《ストーリー》は変わる」  「Y(時間)軸は消滅。Z(単位)軸は均衡を保ったまま。X(並走)軸は破損。X軸の残骸がこ今回のX軸にもくい込んでくるだろう。……中途半端な三点軸をどうするつもりだ?」  「今はまだわからない」  「……まあ、いいさ。どのみち物語の最終章、オマエはまたすべてを忘却の彼方へ消し去っているのだから」  八つの長い首は俺に背を向けたまま扇状に広がって天を仰いだ。  「それも|運命《うんめい》だ。オロチ!?」  俺がオロチと呼んだ、その怪物は振り返ることはない。  ――ズズズ、ズズズ。と巨大な音をたてて歩いていく、二本の足は前進を止めることはなかった。  大きな山が動くがごとく、オロチは轟音をとどろかせた後に咆哮した。  高音域と中音域と低音域が混成した叫びが空気を破裂させる。  |東雲《しののめ》がクレバスのように割れると天道が伸びてきた。  |暁《あかつき》の空に太陽が顔をのぞかせる。  遮るものなく、すぐに|橙色《だいだいいろ》の|後光《ごこう》は放射状に散っていった。    地上に|足元《あしもと》はなく、天空に空もない。  |昼夜《ちゅうや》もなく、右も左もない、|東雲《しののめ》がどこにあり天道がどこにあったのかはもう定かではない。  産れたばかりの朝が目覚める。  刹那も永遠も変わらない。  |産声《うぶごえ》の代わりに|燦々《さんさん》と陽射しが降り注ぐ。  |遙か《・・》|遠くの《・・・》|遙か近く《・・・・》で|白色矮星《はくしょくわいせい》が|超新星爆発《スーパー・ノヴァ》を起こした。  日光と月光の境界線もなく、延々と光は降りつづけた。

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